鎌田政真和歌
寛永十五年三月十一日 / 冊子 336頁/原整理番号 74
鎌田出雲守政真の愛権花についての記録。突然の化生や鎌田家の系譜に触れ、花と秋の露に寄せた和歌・返歌を載せる。
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寛永十五年三月十一日 / 冊子 336頁/原整理番号 74
鎌田出雲守政真の愛権花についての記録。突然の化生や鎌田家の系譜に触れ、花と秋の露に寄せた和歌・返歌を載せる。
九月廿五日 / 冊子 372~373頁/原整理番号 129
寛永八年九月二十五日、紹嘉宅で紅葉を題に家久らが詠んだ和歌を集めたもの。家久の歌に続き、豊後守久賀、喜入紹嘉、新納久徳ら召された人々の歌を列記する。
年月日未詳 / 冊子 385~387頁/原整理番号 134-1
島津光久の死去を受けて北の方の陽和院が詠んだ和歌。病状を聞いた時から訃報後までの月・春・雪などに寄せた歌を並べ、光久への追慕と別離の悲しみを表す。
文禄4年正月20日 / 冊子 864頁
東山歌会で、島津義久(龍伯)が「庭松契久」を題として詠んだ和歌。植えてから幾代もの春を経た松が、変わらぬ緑の陰をつくる情景に永続性を重ねる。 近衛家の歌会に参加した義久の文化活動を、本人の署名と作品から確認できる。
年月日未詳 / 冊子 335頁/原整理番号 71
兵庫頭忠朗についての記録。元和五年二月に四歳で家久に伴われ鹿児島を発ち、大坂を経て上京し、道正庵に滞在した経過を記す。
寛永七年九月十三日 / 冊子 341頁/原整理番号 85
島津龍伯が藤の花を詠んだ歌と、それに応じて家久が詠んだ歌を載せる。
明和八年八月二十日~十月二十日(編年記事所載日) / 冊子 293頁/原整理番号 780/整理ID 780
この年八月二十日、大樹家治公の正妃閑院氏が薨じた記事で、閑院宮直仁親王女・従二位などの注を伴う。九月十日未刻、遺骸を東叡山へ移して葬り、同二十三日に中陰の梵儀を行ったため、番頭菱刈孫兵衛實祐を上野へ遣わして香奠銀五枚を献じた。十月二十日、心観院殿の遺命により古今和歌集一匣を賜ったと記し、光廣卿の親筆との注を伴う。別注は、老女から浄岸院へ渡された後、浄岸院が受けて「余」へ届けたことを説明し、本文は在国中に拝受し、その後に女使を城へ遣わして恩を謝したという。同日、浄岸院へ屏風一双を賜ったことも記し、書牘を差し上げて謝したとする。末尾に、この遺物の件は明和九年正月に主馬からの達しがあり参照すべきとの注を伴う。出典は重豪公御譜中。
年月日未詳 / 冊子 863~864頁
近衛龍山公の東山邸で催された歌会における島津義久の詠草。「当座鶯」では軒端に近づく鶯の声を玉簾と結び、「待花」では枕に聞く雨音を待ち望む花のよすがとして詠む。 義久の京都滞在中の教養と、公家社会との交流を具体的な二首から伝える。
年月日未詳 / 冊子 867~868頁
院御所の花見から夜更けに帰る際の桜、泉涌寺で御代の墓と仏舎利を拝した折の散る花、吉野の花への執心などを詠んだ島津義久の詠草。 洛東禅林寺で近衛龍山公と催した当座では、住吉の松に君の長久を重ねる。義久の京都社寺巡礼と連歌師・公家との交流を一群の歌から追える。
年月日未詳 / 冊子 716~718頁
鶴を中心題として催された和歌会の懐紙。春・夏・秋・冬・恋・雑の各題ごとに、他阿弥陀仏、藤原安繼、喜阿、新納近江守忠勝、通法寺其阿、藤原忠重、壽獨阿、安房守藏信ら多数の作者名と詠歌を収め、参加者の交遊と題詠の構成を伝える。
天文廿年九月十四日 / 冊子 890~894頁
天文二十年九月十四日に催された『月前白菊』題の和歌会の詠草。飛鳥井雅綱、権大納言季遠、安藝守善久、玄等、宗養ら多数の作者名と各一首を順に掲げ、月光の下の白菊という共通題に対する表現の違いと、島津家周辺の文芸交流を伝える。
永禄十一年十二月廿一日 / 冊子 206頁
幼少時から養育され、文武二道を教えられた祖父日新の死を悼み、島津義久が永禄十一年十二月二十一日に捧げた追悼文と和歌。「けさは日のあらたなりつる影もはや/西なる空に雲かくれつゝ」と詠み、日新を日の光になぞらえて西方への逝去を悲しむ。
永禄十一年十二月廿一日 / 冊子 206頁
本文書はNo.468と同文のため省略され、日新を日の光になぞらえた島津義久の追悼和歌だけを異本の表記で掲げる。「今日ハ日の新なりつる影もやゝ/西なる空に雲かへれつゝ」とする。
永禄十二年正月末(四十九日) / 冊子 207頁
日新の死から四十九日となる正月末、島津貴久が「南無地蔵菩薩」の各字を句頭に置いて捧げた八首の追悼和歌。避けられない別れ、残る面影、親の慈愛、日数の移ろい、煙となった人の行方を詠み、乱れない最期だけを慰めとしている。
天正四年四月十四日 / 冊子 475~476頁
「月前郭公」を題に、島津義久・近衛前久・伊勢貞知・島津歳久・新納忠元らが詠んだ和歌集。月夜の郭公の声を都・雲居・旅情などに結び付け、天正四年四月十四日の会として収める。
天正四年四月十四日 / 冊子 478頁
本文はNo.844と同じ「夏日詠月前郭公和歌」につき省略されている。近衛前久の鹿児島滞在中、月前の郭公を題として義久・前久・歳久・忠元らが詠んだ歌会詠草の重出である。
(天正八年)十一月十日 / 冊子 680頁
島津義久が梅岳常潤の死を昨日今日のことのように思いながら十三回忌を迎え、教えを思い出して悲しみ、梅岳の二字を詠み込んで霊前へ手向けた追悼和歌。『梅の花うへし岳へをこと問はゝ とせの古跡そ程なき』と詠む。
(天正八年)十一月十日 / 冊子 688頁
本文はNo.1183と同文。島津義久が梅岳常潤の死を悼み、十三回忌を迎えて教えを思い出し、梅の二字を詠み込んで霊前へ手向けた追悼和歌。
天正十年五月廿五日 / 冊子 712~713頁
島津義久が真幸吉田天神社へ奉納した十首和歌。立春・花・郭公・萩・月・雪・待恋・逢恋・山松・神祇を題として、四季、恋、神の加護を詠む。
年月日未詳 / 冊子 362頁
島津歳久が、根白坂の戦いで戦死した頴娃久虎の生前をしのんで詠んだ追悼和歌。弓馬の家に生まれて武芸に励み、酒宴や舞曲の場でも人々と交わった久虎の人柄をたたえ、「桂岳林昌居士」と唱えて霊前へ手向けている。
年月日未詳 / 冊子 487頁
島津竜伯が、聡明で『源氏物語』などに親しんだ姉・通善周慶大姉の死を悼み、仏への帰依と別離を詠んだ追悼和歌。才知ある女性の教養と、姉を失った竜伯の深い哀惜が直接伝わる。
(天正19年)6月□日 / 冊子 506頁
島津義久が夢中で得たという一首を記す。「無事の世」を願う趣旨が込められ、戦乱後の安泰を希求する義久の心情をうかがわせる短い夢想和歌。
文禄2年閏9月23日 / 冊子 746頁
島津久保が朝鮮の島で早世したことを悼み、祖父・島津義久(龍伯)が六字の名号を各首の冒頭に置いて六首の追善和歌を詠む。武士としての久保の志を偲び、その冥福を阿弥陀仏に祈る。 若い後継者を失った義久の悲嘆と、仏教的な追善表現を伝える重要な和歌史料。
年月日未詳 / 冊子 746頁
近衛前久(龍山)が、義久(龍伯)の久保追善六首を読んで感涙し、その返歌として一首を詠む。言葉の「玉の光」が亡き久保の行く道を照らし、迷わせないよう願う内容。 公家の近衛前久が島津家の後継者喪失に和歌で応えた、両者の文化的交流を示す追悼歌。
年月日未詳 / 冊子 31頁
樺山紹剣が「松蔭新涼」を題として、茂る松の下露に秋の初風の涼しさを詠んだ和歌一首。
年月日未詳 / 冊子 32頁
本田助之丞家蔵文書に収める、近衛信輔が庄内都城で興行した和歌会の作品群。「松蔭新涼」「秋日同詠松蔭新涼和歌」などを題に、近衛信輔、龍伯、大蔵少輔長治、左衛門尉長家ほか島津家臣らが、松陰・秋風・露・涼しさを詠んだ。
年月日未詳 / 冊子 33頁
近衛信輔が西国から帰洛する折、大隅富隈で催した和歌会の懐紙。「当座薄露」「寄鏡神祇」などの題で近衛信輔と島津家臣らが詠み、慶長元年七月六日の帰京出立時の歌も収める。公家と島津家中の文芸交流を示す和歌資料。
年月日未詳 / 冊子 215頁
島津義久(竜伯)が、東福寺龍吟庵で営んだ大中庵主の年回追善に際して詠んだ追悼和歌。故人が和歌を深く好んだことを思い、夕立の雲が消えても蓮葉に露の名残を留めるように、故人の面影が残ることを願って霊前に手向けたと記す。
年月日未詳 / 冊子 538~539頁
夏の日、松の間に鳴く郭公を題に、少将忠恒・図書頭忠長以下十一名が詠んだ和歌を収める。初音を待つ心、夜の木末や松陰、雨雲、軒端、木深い松などを取り合わせ、声は聞こえても姿の見えにくい郭公と松間の景を各人が異なる表現で詠み分ける。
年月日未詳 / 冊子 811-813頁
恒吉八幡宮への法楽として島津一門・家臣らが詠んだ和歌集。卯の花や夏日などの題をめぐり、龍伯・少将をはじめ多くの詠者が季節の景物と信仰を詠み連ねる。
慶長七年四月廿六日 / 冊子 813-814頁
恒吉八幡宮への法楽和歌。首夏風・早苗・村雨・夏月・夕立・旅恋・後朝恋などの題で、島津家臣らが初夏の景物や恋情を詠み連ねる。
慶長七年四月廿六日 / 冊子 814頁
恒吉投谷八幡宮への法楽和歌。寄神祇祝および夏日同詠松間郭公を題に、久高・図書頭忠長らが神徳、夏夜、郭公などを詠んだ歌群。
慶長七年五月十二日 / 冊子 816-817頁
連歌師里村紹巴の生涯と業績を回顧する追悼文。若年から奈良・京都で和歌・連歌の道に励み、宗祇の遺風を継いだこと、八十歳で没したことを悼み、辞世・追悼の和歌を添える。
慶長九年十二月吉日 / 冊子 950-958頁
帖佐新正八幡宮へ奉納された三十六歌仙和歌群。島津義弘を大檀主、忠恒を筆者、座主頼雄を本願主、市来家鎮を絵師とし、多数の施主が参加して、息災延命・家門繁栄・領国泰平を祈願し、十二月二十六日に成就した。
慶長十一年三月四日 / 冊子 59~61頁
慶長十一年三月四日に催された『詠花有喜色』を題とする和歌会の詠草。島津義久・義弘をはじめ家臣や僧侶らが、春の花の色、霞、雪、風、長閑さなどを詠み交わした。
慶長十二年二月十五日 / 冊子 106~107頁
慶長十二年二月十五日、島津義久が病没した実窓正真大姉を悼んで霊前に手向けた追悼和歌。実窓正真大姉は病床に伏し、治療や験のある僧による祈祷も及ばず早世したため、人々の嘆きに促されて義久が「御仏の跡したひてや盛りなる 花の散り行く二月の空」と詠んだことを記す。
年月日未詳 / 冊子 159~160頁
島津家久をはじめ十二名が、実窓芳真大姉を追悼して詠んだ和歌集。月・夢・春・野・仏跡などを題材に、故人への悲しみと供養の心を表す。
慶長十四年六月廿九日 / 冊子 223~224頁
慶長十四年六月十四日に死去した山田越前守有信(法名・利安慶哲居士)を悼み、島津龍伯が六月二十九日に忠節一途の生涯とその死を惜しんで詠んだ二首の追悼和歌。
十一月十七日 / 冊子 274頁
国分宮内澤氏蔵書。息長宿禰道隆の「わかたのむ神のむかしの言のはの/絶ぬなかれの岩清水かな」を掲げ、十一月十七日の会で豊霧丸・左近将監源俊隆・紀景行・源俊堅が神垣・松・清水などを詠んだ社頭祝言和歌。法印龍伯の歌は次文書No.690に属する。
慶長十五年五月二日 / 冊子 274~275頁
慶長十五年五月二日の和歌会で詠まれた、鶴の長寿を題とする和歌集。雲井・松・千代などの語を用いた賀歌を、多数の参加者名とともに収録する。
慶長十五年十一月廿六日 / 冊子 303頁
慶長十五年十一月二十六日、島津義久(龍伯)が島津忠長を追悼した記事と和歌。忠長が若い頃から国法の整備や武功に尽くし、茶・和歌・連歌にも通じた人物だったと称え、山寺の木葉と灯火に寄せてその死を悼む。
年月日未詳 / 冊子 309~310頁
島津義弘(惟新)による島津義久追悼和歌と長文の哀悼文。義久を島津氏十六代の太守として称え、世を治めた徳、和歌・武芸、民への慈しみを回顧し、月・花・露・煙などの景物に寄せて死別の悲しみを詠む。
年月日未詳 / 冊子 324~325頁
為俊を追悼する一連の和歌。武士としての名残、春の花、水の清さ、夢路、月などに寄せ、故人への哀惜と追善の思いを各人が詠む。
年月日未詳 / 冊子 575~576頁
弓の師として頼んだ本郷義則の死を悼み、朝夕の思い出、春の花、秋の月、雁の声などに託して哀惜を詠んだ島津家久の追悼和歌群。
(元和三年三月十五日) / 冊子 638~639頁
有馬重純の死を悼み、花・露・白雲・月などに寄せて無常と故人への哀惜を詠んだ島津家久の追悼和歌六首。
年月日未詳 / 冊子 696~697頁
八条智仁親王邸の歌会で詠まれた「寄道祝」を題とする親王・島津家久・公卿らの和歌と、十四人の着座位置を示す会席図。
年月日未詳 / 冊子 706頁
元和五年七月二十一日寅刻に没した島津義弘が、春秋の隔てなく埋葬地となることや、死後も仏法の導きに従う心境を詠んだ辞世和歌二首。
(元和五年七月廿一日) / 冊子 706~707頁
阿蘇玄与が、五常を守り仏神の道を尊んだ松齢自貞庵主(島津義弘)の生涯と死を悼み、無常・涙・秋・月などを題材に詠んだ追悼和歌。
年月日未詳 / 冊子 707頁
忠俊が、文武を備え仏法を尊んだ松齢自貞庵主(島津義弘)の徳と死を悼み、露・秋・月・法の道などを詠み込んだ追悼和歌。
年月日未詳 / 冊子 707~708頁
喜入紹嘉久正が、松齢自貞庵主(島津義弘)の死を悼み、その面影や武士の道、秋の露・月・紅葉などを題材に詠んだ追悼和歌。