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『旧記雑録』前編・後編・附録10冊と追録1~8(暫定版)、『旧記雑録拾遺 伊地知季安著作史料集1~9』『家わけ1』(暫定版)、関連史料(外伝)『島津世禄記』の46,754件を横断検索できます。検索範囲は史料群・巻を組み合わせて選べます。結果は50件ずつ表示します。

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50 件 (全巻)/ 1–50件を表示

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追録8-No.798-6領内通宝半朱の通融停止と新銭への引替を告げる達旧記雑録暫定版確認度 中

来正月から半朱の通融を止め、当地鋳物方で新銭へ引き替えると知らせる

領内通宝の半朱は新銭へ繰り替えると以前に命じており、来正月から諸向での通融を差し止め、新銭を用いて当地の鋳物方で引き替えるよう命じる。その旨を向々へ伝え、地頭・領主へも漏れなく知らせるよう求める。年内でも引替を望む者が鋳物方へ差し出せば、すぐ引き替えるよう指示する。朱明治元辰十一月廿六日、龍衛。来正月の停止と年内希望者の引替を分け、交換率・現代価値や全回収完了は補わない。

登場人物
龍衛、領内通宝使用者・年内引替希望者、鋳物方、地頭・領主、向々
宛先
向々・地頭・領主、引替を受け付ける鋳物方
キーワード
原798の6領内通宝半朱新銭繰替前命来正月諸向通融差留新銭当地鋳物方引替地頭領主不洩年内希望即引替明治元辰十一月廿六龍衛
追録8-No.1256-1参内通知・請書旧記雑録暫定版確認度 中

徳大寺実則の陪食参内通知と島津忠義の請書

宮内卿徳大寺実則が島津忠義へ、三月十三日正午の陪食に参内するよう通知し、服装は自由とする追書を添える。続いて忠義が、その命を承った旨を徳大寺実則へ返答する三月七日付請書を収める。

登場人物
宮内卿徳大寺実則、従三位島津忠義
宛先
島津忠義/宮内卿徳大寺実則
キーワード
徳大寺実則、島津忠義、宮内卿、陪食、参内通知、請書、三月十三日、正午、服装自由
前編1-No.2240文書確認度 高

島津貞久書下

島津貞久が比志島一族へ、南方凶徒数百騎が谷山城に入ったとの内通人の告申を伝え、今明日にも近所へ進出する見込みなので、猶予なく馳せ寄って合戦するよう命じた書下。

登場人物
島津貞久・比志島一族
宛先
谷山城ほか
キーワード
島津貞久、比志島一族、谷山城、南方凶徒、内通人、軍勢催促
前編1-No.2425文書確認度 高

島津道鑑書状

島津道鑑が、伊集院助三郎・市来方から東福寺城の凶徒による夜討の企てを聞き、内通・合力の風聞もあるとして警戒を促した書状。

登場人物
島津道鑑・比志島彦一ほか
宛先
九州ほか
キーワード
島津道鑑、伊集院助三郎、市来、東福寺城、夜討、内通、警戒
前編2-No.2212記事確認度 高

北郷忠相譜

伊東方の落合兼佳が高城に在城しながら北郷忠相へ内通し、天文三年正月十六日に忠相軍を潜かに招き入れたため高城を容易に奪取した。翌日、梶山・勝岡・山之口の諸城も放棄され、忠相が高城へ移った経緯を記す。

登場人物
北郷忠相、落合刑部少輔兼佳、伊東氏
宛先
—
キーワード
北郷忠相譜、北郷忠相、落合兼佳、高城、内通、梶山、勝岡、山之口、天文三年
後編1-No.53記録確認度 高

山本氏日記(五月分)

弘治二年五月十三日夜、溝辺城内に北原方と内通する者がいて敵を中城へ引き入れたが、肝付氏の者らが奮戦して切り返した。敵方に多数の戦死者が出て、肝付三郎五郎が高名を立てた。数日後、敵と心を合わせた竹下某らが処罰されたことも記す。

登場人物
肝付三郎五郎、肝付氏の者、北原方、竹下某
宛先
—
キーワード
山本氏日記、弘治二年五月、溝辺城、中城、内通、北原方、夜襲、肝付三郎五郎、高名、竹下某、処罰
後編1-No.222記録確認度 高

長谷場越前自記

球磨から北原家督へ戻された北原兼親が、のちに伊東・相良両氏と内通して薩摩方の番兵を討とうとしたため、島津方が糾明した経過を記す。相良方番衆は助命して球磨へ追放し、兼親らを移住させ、兼親には伊集院上神殿村五十町を与えた。

登場人物
北原兼親、島津貴久、相良氏、伊東氏
宛先
—
キーワード
長谷場越前自記、北原兼親、相良氏、伊東氏、内通、薩摩番兵、糾明、追放、上神殿村、五十町
後編1-No.707記録確認度 高

伊地知重昌自記

元亀三年九月二十七日に島津軍が早崎へ着陣して新城を落とした際、伊地知方の各城から島津陣へ内通した者を列挙する。新城一人、本城四人、田上城二人、垂水城九人の計十六人とし、矢文や使者によって連絡した人物名を具体的に記録する。

登場人物
伊地知重昌、伊地知美作入道、伊地知民部少輔、前田主膳、前田隼人、高木加賀、伊地知讃岐、中馬佐渡、薗田采女、岩橋讃岐、大迫清右衛門
宛先
早崎、新城、本城、田上城、垂水城
キーワード
伊地知重昌自記、元亀三年、早崎、新城、本城、田上城、垂水城、内通、矢文、使者、十六人、伊地知氏
後編1-No.876記事確認度 高

肝付氏略伝

肝付兼護が三百余兵で高原城攻めに従軍したが傍観したため、伊東方への内通を疑われた。忠節を示すため十月に飫肥へ出兵して南郷で伊東軍と戦うが大敗し、新納忠氏兄弟ら数百人が戦死した。福島城は鎌田政近・島津征久の援軍で守られた。

登場人物
肝付兼護、島津義弘、伊東義祐、肝付兼名、新納忠氏、新納忠盈、肝付兼隆、肝付兼種、鎌田政近、島津征久
宛先
—
キーワード
肝付氏略伝、肝付兼護、高原城、内通疑惑、飫肥、南郷合戦、新納忠氏、福島城、鎌田政近、島津征久
後編1-No.936記録確認度 高

樺山紹剣自記

天正五年十二月、日向山東がことごとく島津領となり、義久が大隅正八幡宮へ参詣したことを記す。福永丹波守が内通を申し出た際、新納忠秀入道慶雲が高原から野尻城へ急行したことも載せる。

登場人物
樺山紹剣、島津義久、福永丹波守、新納忠秀入道慶雲
宛先
—
キーワード
樺山紹剣自記、日向山東、島津義久、大隅正八幡宮、福永丹波守、内通、新納忠秀、野尻城
後編1-No.937記録確認度 高

野尻城合戦従軍者交名

福永丹波守の内通申出を受け、高原から野尻城へ馳せ籠もった従軍者として、新納四郎左衛門忠秀入道慶雲らを記す交名。

登場人物
新納忠秀入道慶雲ほか
宛先
—
キーワード
野尻城合戦、従軍者交名、福永丹波守、内通、高原、野尻城、新納忠秀、慶雲
後編1-No.1013記事確認度 高

北郷時久譜

大友父子が高城を包囲すると、北郷時久は子の相久・忠虎に数千兵を率いさせ先鋒として鬼山を経て宮崎城へ進ませた。城内の内通者が伊東勘解由左衛門に敵兵を招き入れる計画を知らせたため、都於郡の河原田道場へ走ってこれを捕らえ、北郷久盛が奮戦して大敵を退け城を守った。

登場人物
北郷時久、北郷相久、北郷忠虎、北郷久盛、伊東勘解由左衛門、大友宗麟、大友義統
宛先
—
キーワード
北郷時久譜、北郷相久、北郷忠虎、北郷久盛、宮崎城、内通、伊東勘解由左衛門、河原田道場、高城合戦
後編1-No.1049記事確認度 高

日向記

大友軍が高城を包囲する一方、伊東旧臣らは日向四十八外城へ廻文を回し、十月十日に一斉放火して都於郡へ攻め入る計画を立て、警固船も折生迫へ向かわせた。しかし一味の一部が島津方へ内通したため九日に企図が露見して関係者が誅伐された。二十四日には平野・三納勢が放火と都於郡攻撃を試みたが、連判勢が失われて千人ほどに減り、島津方に撃退された。

登場人物
島津家久、山田有信、吉利忠澄、鎌田政近、伊東旧臣、平野三河、三納衆
宛先
—
キーワード
日向記、高城包囲、伊東旧臣、四十八外城、廻文、一斉放火、都於郡、折生迫、内通、三納反乱、鎮圧
後編1-No.1378文書確認度 高

島津義久書状案

島津義久が秋月氏へ、前年冬に高瀬で大友方の撤陣を申し入れ承諾されたのに、なお高良山へ滞在しているのは不届きだとした書状案。高良山座主・蒲池氏・黒木氏から内通があることを評価し、機会があれば三家を含めて一致して取り計らい、今後も疎略なく相談したいと述べる。

登場人物
島津義久、秋月種実、大友方、高良山座主、蒲池氏、黒木氏
宛先
秋月殿
キーワード
島津義久書状案、秋月氏、大友方、高瀬、高良山、蒲池氏、黒木氏、内通、三家協調
後編2-No.3文書確認度 高

島津氏老臣書状案

新春の祝意に続き、前年冬の高瀬乗陣時に豊州衆の帰陣を申し入れ、相手も承諾したのに、今なお高良山に滞在しているのは不届きだと秋月殿へ伝える。高良山座主・蒲池・黒木から連日内通があることを挙げ、機会が到来して三家を味方に組み入れられれば、今後いっそう緊密に協議したいと申し送る書状案。筑後方面の調略と豊州衆への警戒が具体的に分かる。

登場人物
秋月殿、高良山座主、蒲池氏、黒木氏、豊州衆
宛先
秋月殿
キーワード
新春祝意、高瀬乗陣、豊州衆、帰陣要求、高良山、高良山座主、蒲池氏、黒木氏、内通、三家連携、秋月氏、筑後調略
後編2-No.10文書確認度 高

島津氏老臣書状案

新春の祝意に続き、前年冬の高瀬乗陣時に豊州衆の陣払いを申し入れ、承諾を得たのに、今なお高良山に滞在しているのは極めて不届きだと秋月殿へ伝える。高良山座主・蒲池・黒木から連日内通があり、肝要な約束を忘れていないとしたうえで、機会を捉えて三家を味方に組み入れられれば、今後いっそう緊密に協議したいと申し送る島津氏老臣の書状案。筑後方面の調略構想が具体的に分かる。

登場人物
秋月殿、高良山座主、蒲池氏、黒木氏、豊州衆
宛先
秋月殿
キーワード
島津氏老臣、秋月氏、高瀬乗陣、豊州衆、陣払い、高良山、高良山座主、蒲池氏、黒木氏、内通、三家連携、筑後調略、正月
後編2-No.87記事確認度 中

島津義弘譜

天正十三年九月朔日、飯田山の陣中で家臣の内通・謀議が発覚した経過を記す島津義弘譜。関係者の証言や密書を照合し、虚偽の訴えや若年者の軽率な関与を見分けながら処分を進めた。戦陣で軍事行動と並行して家中秩序を維持し、義弘が証拠を確かめて裁断する様子が分かる。

登場人物
島津義弘、飯田山陣中の家臣・関係者
宛先
—
キーワード
島津義弘譜、島津義弘、飯田山、陣中、内通、謀議、密書、証言、処分、家中統制
後編2-No.671記事確認度 高

島津久保譜

豊臣秀吉の小田原攻めで島津久保が各地の城攻めに従軍し、忍城・成田氏や山中城などの戦況を見聞した経過を詳述する。 北条方の内通・降伏、小田原城内の動揺、家臣の処罰まで記し、小田原征伐終盤の情勢を島津側から伝える重要な譜記事。

登場人物
島津久保、豊臣秀吉、北条氏直、成田氏長、松田憲秀
宛先
—
キーワード
島津久保、豊臣秀吉、北条氏直、小田原征伐、忍城、成田氏、山中城、内通、降伏
後編3-No.966文書確認度 高

島津義弘(惟新)書状

島津義弘(惟新)が又八郎に、庄内境の諸所を担当する人衆を銘々承知したことを肝要とする。先月二十五日に飛脚が上着し、山口勘兵衛らの下向時に上方の様子を伝えた後は変事がないと報じ、奥方と宰相殿がともに快復したので安心するよう知らせる。庄内から無事の返事は望みにくく、内通を申し出る者も多いであろうから、わずかな行動にも念を入れ、諸境目を緩みなく固めて油断しないよう命じる。

登場人物
島津義弘(惟新)、島津忠恒(又八郎)、山口勘兵衛、休心、竹織部祐、本田助丞、宰相殿
宛先
又八郎殿
キーワード
島津義弘(惟新)書状、又八郎、庄内境、諸所担当、飛脚、山口勘兵衛、休心、竹織部祐、本田助丞、上方、奥方快復、宰相殿快復、庄内、内通、境目警戒、油断、十二月四日
後編3-No.1737文書確認度 高

平田増宗起請文前書

平田増宗が、伊集院忠真成敗に関連して自身の進退を誓約した起請文前書。三殿へ一貫して忠節を尽くし、忠真やその母と内通・対談したことも、使者を介して連絡したこともないと述べ、反乱への関与を全面的に否定する。

登場人物
平田増宗、島津義久(龍伯)、島津義弘(惟新)、島津忠恒(少将)、伊集院忠真(源次郎)、伊集院忠真の母
宛先
島津三殿
キーワード
平田増宗起請文前書、慶長七年十一月五日、平田増宗、島津義久、龍伯、島津義弘、惟新、島津忠恒、少将、伊集院忠真、源次郎、忠真の母、忠節、内通否定、反乱関与否定、起請文
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 130-1日記旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

寛明日記

『寛明日記』六日条。城中の会津刑部・坂部源八・山田右衛門佐が有馬左衛門佐へ内通して謀反を企てたが、返矢文が別の番所へ射込まれて発覚した。会津・坂部は同夜成敗され、山田は拘束されて落城時に小笠原右近大夫へ生捕られたと記す。

登場人物
寛明、会津刑部、坂部源八、山田右衛門佐、有馬左衛門佐、小笠原右近大夫
宛先
宛先なし(『寛明日記』六日条)
キーワード
寛明日記、六日条、内通、謀反、返矢文、誤射、会津刑部、坂部源八、山田右衛門佐、生捕り
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 131記録旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

藤掛集書

『藤掛集書』。会津刑部・坂部源八・山田右衛門佐らの有馬方への内通計画が返矢文の誤射で露見し、会津・坂部が殺害され山田が拘束・生捕りとなった経緯を記す。山田の妻子の処刑、宗門による一揆勢の結束、二月に松平信綱が強攻を望んだ一方、江戸上使が兵の損耗回避を命じたことも述べる。

登場人物
藤掛氏、会津刑部、坂部源八、山田右衛門佐、有馬左衛門佐、小笠原右近大夫、松倉長門守、松平伊豆守信綱、江戸上使
宛先
宛先なし(『藤掛集書』)
キーワード
藤掛集書、内通計画、返矢文、誤射、山田右衛門佐、妻子処刑、宗門、一揆勢、松平信綱、江戸上使、損耗回避
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w5:130-27記録・自記抄/曽於郡恩賞撤回と本田氏離反旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

樺山玄佐自記

樺山玄佐の自記から、大永六年の島津忠兼・本田氏関係と河上氏系譜記事を抄出した記録。十一月七日、金吾様に同行した忠兼が鹿児島へ帰陣し、本田因幡守兼親と父三河守親安の無二の奉公により本田氏へ曽於郡を与えたが、ほどなく河上次郎左衛門の姉に関わる事情から召し返したため、本田氏が恨んで出仕を止め、新納殿を頼ったと記す。さらに新納殿が本田氏へ内通した時、大永六年某月二十八日に宮内の社頭が天火かによって全焼したとする。付随記事は、市来氏へ嫁いだ女子の年代矛盾、僧一人、源左衛門の坂元氏養子、厚地吉内左衛門家長の曾祖父が家林から厚地名字を許された由来を記す。

登場人物
樺山玄佐、金吾様、島津忠兼、本田因幡守兼親、三河守親安、河上次郎左衛門、新納殿、市来助次郎、市来因幡守家朝、源左衛門、坂元氏、厚地吉内左衛門家長、河上家林
宛先
—
キーワード
樺山玄佐自記、大永六年十一月七日、金吾様、島津忠兼、鹿児島帰陣、本田因幡守兼親、三河守親安、曽於郡恩賞、河上次郎左衛門、本田氏、出仕停止、新納殿、内通、宮内社頭、天火、全焼、市来助次郎、市来因幡守家朝、年代矛盾、源左衛門、坂元氏養子、厚地吉内左衛門家長、河上家林、厚地名字由来
旧記雑録拾遺 著作史料集9-文書ID W06_文書0037覚書旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

某覚書

北村の内通に応じた城入りと、その後の戦いを詳しく記す覚書。北村地頭播磨守と三度協議し、正月十一日に少数の案内で城へ入ったが、蒲生勢が横から攻め、味方は大きな損害を受けた。岩陰や狭い道で戦いながら退き、播磨守は退却を相談した。新納忠元は主従三人ほどで大太刀を持って防戦し、貴久のもとへ参着して木脇・大炊介らと敵に当たったという。後には福嶋秋月への給付のため一時無知行となったこと、河辺野間の知行と永吉の地頭職を与えられたことも記す。

登場人物
島津貴久、播磨守(北村地頭)、村田越前守経定、指宿丹後守、北村主税助、外山由左衛門尉、市左衛門、海江田清左衛門尉、新納忠元、木脇刑部左衛門、大炊介、福嶋秋月
宛先
—
キーワード
某覚書、北村の内通、三度の協議、正月十一日の城入り、蒲生勢の横撃、退却と損害、太刀での防戦、忠元の救援、知行と地頭職
旧記雑録拾遺 著作史料集9-文書ID W06_文書0060自記旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

樺山玄佐自記

菱刈家の継承と島津への内談から、大口・馬越をめぐる争いまで記す。菱刈側は新知行の所領を献上する約束をしたが、求麻との境界や大口の住民の用心について相談した。貴久が飯野へ向かった後、兵庫頭・新納・肝付らは菱刈へ先に派遣され、伊東への内通を知って馬越を攻めた。羽月・平泉・山野との通路と守備を確保し、羽月は島津方へ進上された。終わりには番替と帰還、絶通路にしたことを記す。

登場人物
樺山玄佐、樺山左兵衛尉廣度、菱刈重猛、相摸守重盈、菱刈大膳完隆秋、島津貴久、義久、兵庫頭、肝付弾正忠、新納武蔵守、中務太輔、樺山兵部太輔
宛先
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キーワード
樺山玄佐自記、菱刈家の継承、内談、所領の献上、伊東への内通、馬越攻城、守備隊、羽月の進上、絶通路
旧記雑録拾遺 著作史料集9-文書ID W06_文書0164覚書旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

勝目兵右衛門覚書

天正八年五月、忠元が大口に接する相良領寶川内を攻め、忠堯と城へ入った平田又次郎ら三人が討死した。忠元は重康・重賢を誘って伏兵を置き、敵を討った。城主らは城を捨て、朴野・岩年礼も領地となった。続いて隈本方への援軍と内通、阿蘇方との対立を記す。十月十五日の矢崎攻めで忠元が丸田ら敵を討ち、翌日網田が降伏した。十一月の合子戦では忠元父子らが働き、百三十余人を討ち取って帰陣したとする。

登場人物
新納忠元、忠堯、貴明、兼早、水金右衛門、山下伊賀、山下早左衛門、有村隼人、平田又次郎、伊地知重康、重賢、城親賢、相良義陽、鎌田寛栖、丸田久右衛門、中村二太夫
宛先
—
キーワード
勝目兵右衛門覚書、天正八年の寶川内攻め、三人の討死、城の放棄、肥後の内通、矢崎と網田の攻取、合子の戦い、百三十余の首級
旧記雑録拾遺 家わけ1-管理ID TMP-P02-NENE2-D0356書状旧記雑録拾遺暫定版確認度 –

刊本標題:名和慈冬書狀

先に報じた末吉陣取の後、池平を取ったことや都城近所の作毛に対する行動、十八日の退陣時に追う野臥を討捕・生取したとの戦況を伝える。 税所介の注進として十八日卯時の城の忍落し、小嶋入道・野田父子らの動向や三十余人討捕などを伝え、その後の追撃と大隅の城の忍落しにも触れる。 海賊船や本宮方・肥後方面の詳報を求め、守護人に関する内通の話は秘密とする。 参陣や軍勢の差寄せを相談し、志布志方面は下勢を待って沙汰する案を疑問形で示す。豊後と中国方面の戦況は伝聞として記す。

登場人物
税所介、小嶋入道、野田父子、守護人
宛先
祢寝右馬助殿
キーワード
末吉、池平、都城、忍落、討捕、海賊船、内通、軍勢
後編3-No.211文書確認度 高

新納為舟忠元起請文

新納忠元が、主家への忠節を貫き、内外の者と私曲を結ばず、知り得た企てを隠さず申し出ることなどを誓った起請文。違背した場合に諸神の罰を受ける旨を神文として列挙する。

登場人物
新納忠元、川上四郎兵衛尉、天照大神・八幡大菩薩ほか諸神
宛先
川上四郎兵衛尉殿
キーワード
新納忠元、川上四郎兵衛尉、起請文、忠節、内通禁止、告発、神文、諸神
後編3-No.228文書確認度 高

相良家長起請文

相良家長が、義弘・忠恒への奉公を第一とし、内外の者と私曲を結ばず、知り得た企てを隠さないことなどを誓った起請文。違背した場合に日本国中の神仏の罰を受ける旨を列挙する。

登場人物
相良家長、島津義弘、島津忠恒、天照大神・八幡大菩薩ほか諸神
宛先
—
キーワード
相良家長、島津義弘、島津忠恒、起請文、忠節、内通禁止、神文、諸神
後編3-No.1065文書確認度 高

青木利金外六十一名連署起請文前書

青木利金ら六十二名が、島津義久(龍伯)・島津義弘(惟新)・島津忠恒(少将)に二心なく奉公すると誓う。親族を含め逆心の企てには同意せず直ちに通報し、伊集院忠真らと私的に結ばず、他国へ内情を漏らさず、御家に難儀があれば親族を捨てても奉公し、国を離れる事態でも島津領内で最期を遂げることなどを連署した起請文前書。

登場人物
青木利金外六十一名、島津義久(龍伯)、島津義弘(惟新)、島津忠恒(少将)、伊集院忠真(源次郎)
宛先
—
キーワード
青木利金外六十一名連署起請文、島津義久、島津義弘、島津忠恒、伊集院忠真、二心禁止、内通禁止、通報義務、他国口外禁止、御家救援、連署
追録2-No.745書状旧記雑録暫定版確認度 中

鳥居忠救書状

鳥居忠救が松平修理大夫へ、旅行中の健勝と去る六日の大坂到着を聞いて喜んだ書状。自身の領内を通った際、途中へ使者を遣わした件につき丁寧に取り上げられたことに謝す。

登場人物
鳥居忠救(鳥居播磨守)
宛先
島津吉貴(松平修理大夫)
キーワード
鳥居播磨守忠救、松平修理大夫、旅行、健勝、去六日、五月六日、大坂到着、五月二十九日付、領内通行、使者、慇懃、謝礼、旧六月訂正
追録2-No.2170文書旧記雑録暫定版確認度 中

秋月種政書状

秋月長門守種政が松平薩摩守島津吉貴へ、厳寒のなか吉貴が勇健であることを喜び、琉球船が領内を通航した際に家来を差し出したことへの礼を受けたと返答した書状。船が無事に吉貴領国へ到着したことを祝い、領国産の蠟燭一箱を贈られたことに謝意を述べた。

登場人物
秋月種政
宛先
島津吉貴
キーワード
秋月種政、秋月長門守、島津吉貴、松平薩摩守、厳寒、琉球船、領内通航、家来、領国到着、蠟燭一箱、領国産、宝永二年十二月十七日、書状
附録2-No.563文書確認度 高

山口直友書状

故郷出身で盲目の座頭が薩摩へ下りたいと望んでいるため、慈悲により領内を俳徊して芸能・生業を営めるよう許可を求めた山口直友書状。

登場人物
山口直友、比志島国貞、伊勢貞昌、座頭
宛先
島津家久
キーワード
山口直友、島津家久、比志島国貞、伊勢貞昌、座頭、盲人、領内通行、慈悲
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w8:71書状草案・庄内との通交風聞への警告旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

慶長四年八月六日島津惟新書状草案

島津惟新(義弘)が伊東豊後守へ、下向後に何度も書状を出したこと、上方は無事であることを伝え、国元と庄内の様子を問う書状草案。伊東の家中から庄内へ魚・塩などを送っているとの風聞に加え、庄内からの落人が多数いてその噂は事実だとの知らせが国元から届くため、事実なら一揆への同意と受け取られかねず伊東のためにもよくないと警告する。さらに、石田治部少輔から庄内へ下った使者が伊東家中の者のように通行し、源二郎も同心したとの情報を挙げ、内府様が事情を確かめるため山口勘兵衛尉を遣わしたと述べる。惟新は、これまで伊東と親しく相談してきたからこそ風聞を告げるとして、私的な通交も含め庄内との連絡を避け、在国の竜伯・少将と相談するよう求める。慶長4年8月6日付。欄外には『旧記雑録後編三』841号と同一文書かとの推定注記がある。

登場人物
島津惟新(島津義弘)、伊東豊後守、竜伯、少将、源二郎、石田治部少輔、山口勘兵衛尉、内府様
宛先
伊東豊後守殿
キーワード
慶長4年8月6日、島津惟新、島津義弘、伊東豊後守、上方無事、国元、庄内、魚塩輸送の風聞、庄内落人、一揆同意への懸念、石田治部少輔の使者、源二郎、内府様、山口勘兵衛尉、竜伯、少将、庄内通交停止要請、旧記雑録後編三841号同文推定
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w8:74書状・幸侃成敗への異議と処遇糺明の嘆願旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

慶長四年十一月六日伊集院忠真書状

伊集院源次郎忠真が平野源右衛門尉・高皇新蔵へ、幸侃の罪科を糺明しないまま成敗したことを迷惑だと訴え、忠真自身も三月以来取り籠められ、誠実な申し立てが非道と受け止められていると述べる。竜伯・兵庫頭と通じたなどの嫌疑は根拠がなく、忠真は今後も毛頭背くつもりはないとして、内府様に事情を申し上げる機会を求める。薩州へ使者一人を出して公に説明し、必要なら自分一人で出頭して咎めを受ける覚悟だとし、志摩守による取次ぎと召し出しの手配を両人に頼む。本文末の年次は慶長4年11月6日だが、欄外には慶長5年かとの推定が付く。付属の包紙については、庄内の騒動時に忠真が寺澤志摩守へ示した証文の後証として伏見で志摩守・惟新が封目に判を据えた旨の説明がある。

登場人物
伊集院源次郎忠真、幸侃、平野源右衛門尉、高皇新蔵、竜伯、兵庫頭、志摩守、島津義弘(包紙注記)、寺澤広高(包紙注記)
宛先
平野源右衛門尉殿、高皇新蔵殿
キーワード
慶長4年11月6日、慶長5年かの傍注、伊集院源次郎忠真、幸侃成敗、罪科糺明、三月以来の取籠め、竜伯・兵庫頭との内通嫌疑否定、内府への説明、薩州使者、単独出頭の申出、志摩守取次、平野源右衛門尉、高皇新蔵、包紙、伏見、封目判
旧記雑録拾遺 著作史料集9-文書ID W06_文書0064勲功記旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

新納忠元勲功記

菱刈重猛が伊東方と結び、三之山城が攻められた後、幼い鶴千代の所領処分を相談したことを記す。内応が続いたため島津方が飯野から馬越へ夜襲し、井手籠一族を討ち取る際、忠元も働いた。菱刈方は八城を放棄して大口へ退き、島津方は守備隊を配置した。大口は相良の加勢を得て市山へ攻め、守将らが討死した。忠元は大中から守備を命じられ、所領も受けたが、市山へ軍勢を移す下知が出た時の難儀も記す。

登場人物
新納忠元、菱刈重猛、重任、鶴千代、菱刈大膳完隆秋、島津貴久(大中)、義久(貴明)、井手籠駿河守重之、兵部少輔重房、弥四郎重陣、市山、伊集院久慶、家利、相良義陽
宛先
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キーワード
新納忠元勲功記、菱刈の伊東への内通、鶴千代の降参、馬越の夜襲、忠元の働き、城の放棄、番手の配置、相良の加勢、市山の攻囲
旧記雑録拾遺 著作史料集9-文書ID W06_文書0083年譜旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

新納忠元年譜

菱刈重猛が伊東方と結び、重猛の死後も重任が幼い鶴千代を奉じて侵攻したと記す年譜。貴久は飯野から兵を出し、馬越を夜襲して井手籠一族二百余級を得た。忠元も槍で四人を討ち、貴久らは落とした八城へ兵を配置した。相良義陽の加勢を受けた菱刈方との戦いで、市山の守将らが戦死した。忠元は馬越から市山の地頭に移され、蒲生に采邑を与えられ、所属兵を率いて奉公したという。

登場人物
島津貴久、義久、義虎(本文は義則)、新納忠元、新納武久、伊集院久宣、久慶、有馬純秀、村田経綱、町田忠継、井手籠重之、重房、重陣、菱刈重猛、重任、鶴千代、隆秋、相良義陽
宛先
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キーワード
新納忠元年譜、菱刈の伊東への内通、重猛の死、鶴千代、馬越夜襲、井手籠一族の討死、八城配置、市山守将の戦死、忠元の槍功、地頭と采邑
前編2-No.1606記事確認度 高

島津忠昌譜

文明十七年閏三月一日、修理亮忠廉が菱刈へ越山し、牛屎方面へ進んだ経過を記す島津忠昌譜。道秀父子と相良二郎五郎長輔・相良為續の内通を背景に、忠廉と長輔らが対面した。薩摩守方・北郷・樺山の三勢力が和議を整え、長期抗争を収束させようとした交渉過程を示す。

登場人物
島津忠昌、修理亮忠廉、道秀父子、相良二郎五郎長輔、相良為續、薩摩守、北郷氏、樺山氏
宛先
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キーワード
島津忠昌譜、文明十七年、閏三月一日、修理亮忠廉、菱刈、道秀、相良長輔、牛屎、北郷、樺山、和議
後編1-No.388記事確認度 高

新納忠元勲功記

菱刈重猛が伊東方へ内通したため三之山攻めが失敗し、重猛死後の降参交渉も老臣らの反対でまとまらなかった経緯を述べる。永禄十年十一月の馬越城奇襲で新納忠元が度々奮戦して矢傷を負い、周辺八城が大口城へ退いた後は各城に守兵が置かれた。十二月二十九日に市山守将の市来家利・伊集院久慶らが戦死すると、忠元が市山城守備を命じられ、蒲生の蔵入地などを与えられた。

登場人物
新納忠元、島津貴久、島津義久、菱刈重猛、菱刈隆秋、相良義陽、市来家利、伊集院久慶
宛先
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キーワード
新納忠元勲功記、永禄十年、菱刈重猛、伊東氏、馬越城、新納忠元、矢傷、大口城、市山城、市来家利、伊集院久慶、蔵入地
後編1-No.944記事確認度 高

庄内平治記

高原地頭上原尚近が、伊東義祐に遺恨を持つ野尻の福永丹波守・野村文綱と内通を結び、十二月七日夜に三百余騎を野尻城へ招き入れた。翌日義久が十万余騎で入城し、戸崎・佐土原も落ち、義祐は山中を経て豊後の大友氏のもとへ逃れ、日向は島津領となった。

登場人物
上原尚近、福永丹波守、野村文綱、島津義久、伊東義祐、大友氏
宛先
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キーワード
庄内平治記、上原尚近、福永丹波守、野村文綱、野尻城、島津義久、伊東義祐、佐土原、豊後退去、日向平定
後編4-No.1152記事確認度 高

慶長十九年御日記抄(八月七日~十月朔日)

慶長十九年八月七日から十月朔日までの御日記抄。島津義弘(惟新)からの伝言をはじめ、島津家久(奥州様)の川内通過と長崎出立、村尾源左衛門尉入道・新納次郎四郎らの長崎出立および出立人数の編成、奥州様への茶の進上、鎌田左京亮による使節と焼葉壺三つの進上、小城権現座主職への善乗院任命、本田伊豆守の鹿児島への使い、新納次郎九郎の見舞いなどを記す。

登場人物
島津義弘(惟新)、島津家久(奥州様)、村尾源左衛門尉入道、新納次郎四郎、鎌田左京亮、喜入摂津守、東郷長門守、善乗院、本田伊豆守、新納次郎九郎ほか
宛先
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キーワード
御日記、慶長十九年、島津義弘、惟新、島津家久、奥州様、川内、長崎出立、村尾源左衛門尉入道、新納次郎四郎、出立人数、茶、鎌田左京亮、焼葉壺、小城権現、座主職、善乗院、鳥目百疋、本田伊豆守、鹿児島、新納次郎九郎、八月七日、八月八日、八月九日、八月十一日、八月廿六日、九月廿日、十月朔日
追録6-No.1413記事旧記雑録暫定版確認度 中

跡乗・茶弁当の取扱いをめぐる附札と口達の確認経緯

茶辨当一件書として、公儀から当春一統に触れられた跡乗と茶辨当の取扱いをめぐる申立・附札・口達の確認を記す。陸奥守から申立があり、薩摩も御書附を出したところ、可為前々之通という附札を受けた。一方で三ヶ所下馬では遠慮するのがよいという口達があり、薩摩への同様の口達は御取次公用人が自分の覚書として一紙に記して渡した。これを供頭・目付へ伝え、下馬まで幾度も持参したが、その間に問い合わせはなかったと述べる。去月十八日の登城時、同席の某から太守へ内々に茶辨当の取扱いについて話があり、太守は誰の御沙汰によるのかを確かめることとした。新たな老中の沙汰がない間は従来の指図に従い、前と変わる沙汰なら御礼をし、新しい指図を得たらそれに応じるという筋を記す。翌朝、安藤氏に改めて茶辨当の扱いを尋ねた。安藤は一統への御達と、薩摩へは旧例通りという指図があることを述べ、跡乗・茶辨当を前々之通に守るよう供頭・目付へ申し渡すべきこと、口達を記した一紙は御取次用人自身の覚書であることを説明する。口達には外々之移りにも相成るという事情と三ヶ所下馬で遠慮する趣旨の文言があった。これに対し薩摩側は、前々之通という附札と、下馬で遠慮するという覚書では意味が食い違い、茶辨当を下馬に置く扱いなら附札の趣旨が立たないと述べる。口達を用いないなら前の備所から引き入れて茶辨当を置き、跡乗の馬もそれに準じるのが適当という筋を伝える。相手は理屈はもっともと聞き、御答としてはその通りで、さらに沙汰があるまではその理解とする経緯を記す。仙台からも申立があり、老中の評議では薩摩・仙台両家は他の国持とは違って格別なので両家は旧通りと仰せ出されたこと、三下馬で遠慮するという御沙汰は一切なかったとの説明も載せる。他の国持が願い出てよいかという問いには、追々願い出てもよいとの話がある。営中ではこの件の沙汰はなく、御取次用人の自分覚と附札の指図との関係を確認し、異なる新たな沙汰があれば早く知らせ、問い合わせの際にはこの経緯によって答える趣旨を重ねて記す。末の朱注は八月十一日、有川勇馬が先日の内通を不審に思い取計を尋ねられたことを申し出て、仲が承けて達したとする。仲には久健の注がある。さらに後年の御記録方の見合のため記し置き、江戸で山本傳藏に直接申し付け、家老座帳から書写して送られた帳によったという伝来の付記を添える。

登場人物
太守重豪、松平陸奥守、安藤氏(信成の注)、御取次公用人、供頭、目付、有川勇馬、仲(島津久健の注)、山本傳藏
宛先
独立宛所記載なし(一件経緯記録)
キーワード
茶辨当跡乗、公儀一統触、附札可為前々之通、三ヶ所下馬遠慮、取次公用人自分覚一紙、去月十八日登城、安藤信成、薩摩仙台格別旧例、八月十一日有川勇馬仲久健、山本傳藏家老座帳書写送付
追録8-No.413本文群(春嶽総裁免職・京都守衛交替・水戸関東守衛と領内伝達)旧記雑録暫定版確認度 中

春嶽の総裁職免除と京都守衛交替、水戸中納言の関東守衛委任、領内周知を記す記事群

八内容の雑集記事群。春嶽が政事総裁職の辞任を願い許可前に当地を出立し、呼戻しや家来の残留をめぐる経緯を受け、朝廷が出格の宥免で総裁職を免じたと記す四月朔日の覚。次に京都守衛用掛を三条中納言に命じ、十万石以上の諸侯は守衛人数書をその方へ提出するよう求める四月通知。さらに十万石以上を京都警衛に交替で在京させる指示と、当亥年四~六月・七~九月・十~十二月の担当三名ずつを挙げる別紙がある。水戸中納言は滞京命令から関東守衛への下向を命じられ、外国との措置は曲直と名義を明らかにして国威を立てるよう取り計らい、尾張大納言・老中とも相談するとする。別の通知では水戸に大樹の名代として防禦を指揮し、先代の遺志を継いで諸藩と協力することを求める。六月四日の領内通知は公義の別紙を組中・支配中・諸郷へ伝え、末尾は亥六月八日御勝手方印・向井新兵衛取次で支配中への周知を求める。春嶽への評価や防戦方針は史料の叙述で、担当表を実際の勤務完了としない。

登場人物
松平春嶽、朝廷、三条中納言実美、大目付、拾万石以上諸侯、上杉彈正大弼、松平紀伊守、奥平大膳大夫、加賀中納言、南部美濃守、松平備前守、立花、丹羽左京大夫、戸田采女正、水戸中納言(注:徳川慶篤)、尾張大納言(注:徳川茂徳)、老中、大樹、御家老座、御勝手方、向井新兵衛
宛先
大目付から諸侯へ通知、領内では組中・支配中・諸郷へ伝達
キーワード
雑集八内容、松平春嶽総裁職辞任無許出立呼戻残居家来、出格宥免免職四月朔日、三条中納言実美京都守衛用掛、十万石以上人数書交替在京、当亥年四六月七九月十十二月各三担当別紙、水戸慶篤関東守衛曲直名義国威尾張茂徳老中相談、大樹名代防禦先代遺志、六月四日家老座印公義通知、亥六月八日勝手方印向井新兵衛取次周知
追録8-No.1262-2請書・参内記録旧記雑録暫定版確認度 中

島津忠義の参内承諾請書と書棚・錦拝領の記録

五月五日の参内通知を受け、島津忠義が翌六日午前十時の参内を承諾する請書を宮内卿徳大寺実則へ出す。続く記録は、六日に八景の間で前年の金塊献上への返礼として紫檀の書棚一箇・錦一巻を拝領し、三条・岩倉・徳大寺へ礼の参上をしたことを記す。

登場人物
従三位島津忠義(請書)
宛先
宮内卿徳大寺実則(請書)
キーワード
島津忠義、徳大寺実則、請書、参内、八景の間、金塊献上、紫檀書棚、錦、拝領、三条実美、岩倉具視、礼参上
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 127起請文・家中忠誠旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

衆中連署起請文

島津龍伯・義弘・忠恒への奉公に悪心なく、背反者に同心せず、内通や入魂を行わないことを誓う衆中連署の起請文。違背時の神罰を掲げる。

登場人物
衆中、島津龍伯、島津義弘、島津忠恒
宛先
島津龍伯・島津惟新・島津忠恒
キーワード
衆中連署起請文、島津龍伯、島津義弘、島津忠恒、忠誠誓約
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 767書状・天草渡海と兵糧調達旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

川上久国書状

有馬では当面城攻めがなく、十四日から天草へ人数を順次渡しているとの情報を伝える。十四日付書状への返答として、黄門の気色は変わりなく、高崎伊豆守が上洛するので口頭で聞くよう述べる。雑説や伊東殿の内通の噂にも触れる。船五、六艘と米調達、物奉行への相談、上方での借銀がないことなどを記す。正月十六日付、仁蔵人宛。欠字は推補しない。

登場人物
川上久国 仁蔵人 黄門 高崎伊豆守 伊東殿 物奉行
宛先
仁蔵人
キーワード
天草渡海 有馬 城攻め 黄門 雑説 米調達 船 借銀
旧記雑録拾遺 著作史料集7-文書ID w09:5伊集院幸侃の豊臣方との関係をめぐる季安考旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

伊地知季安考

季安が島津家と豊臣政権の交渉、伊集院幸侃の先行降伏や人質としての出頭、石田三成らとの関係を旧記から考える。幸侃の出世と宗門を通じた内通の可能性を論じる。

登場人物
本文記載人物(詳細は本文画像参照)
宛先
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キーワード
伊地知季安、伊集院幸侃、羽柴秀長、石田三成、豊臣政権、一向宗
旧記雑録拾遺 著作史料集9-文書ID W05_文書0092記録抄旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

応永記

『応永記』が、応永四年四月下旬、伊久・元久らが山北・鹿児島・日隅各地の軍勢を集め、清色城を攻囲したと記す。黒瀬・木場原・満手野・野頸・寿昌寺の峰などに陣を置き通路を遮断したが、河と険山のため道貞の旧攻囲と同じ難儀を受け、味方や子息を派遣して守護方にも事情を伝えた。高江では渋谷の計略とされる侍三十八人の切腹があり、清色城も食糧・矢弦不足の中で内通者を得られず没落した。その後、新山寺で渋川探題らが対面し、座席・礼・酒宴の次第を記し、探題は膝の不調で滞在したのち十月下旬に帰ったという。

登場人物
島津伊久(久哲)、島津元久、守久、伊作久義、新納実久、本田忠親、渋川満頼、修理亮殿、山城殿
宛先
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キーワード
応永記、清色城、伊久、元久、攻囲、山北、鹿児島、兵糧不足、通路遮断、三十八人切腹、新山寺、渋川探題
追録5-No.1866御譜記事旧記雑録暫定版確認度 要確認

重年親母・宗信眞母ヲ「様付」トス(記事)

この年、先考重年の親母と太父宗信の眞母に、従来に加えて「貴重」の称を付した記事。重年の親母には「称於登免」、宗信の眞母には「称於嘉久」の注があり、「貴重」には俗に「様付」と呼ぶとの注を添える。宝暦六年七月二十八日、その扱いを領内に知らせた。出典は重豪公御譜。

登場人物
島津重年・重年親母(称於登免)・宗信・宗信眞母(称於嘉久)
宛先
該当なし
キーワード
重年親母、称於登免、太父宗信眞母、称於嘉久、貴重之称、俗曰様付、七月二十八日邦内示達
追録8-No.684本文群(仏公使騎馬警衛・三国公使参内周知・諸願伺届提出先の通知と首尾)旧記雑録暫定版確認度 中

六藩の騎馬警衛、公使参内の周知、諸願・伺・届の提出先と二通方式を伝える

六藩の騎馬警衛として藝州・土州・肥後各三騎、薩州・加州・筑前各五騎を掲げ、明二十九日の仏国公使入京に備え明暁伏見へ出張し、諸藩で相談して混雑なく警衛するよう求める。別紙の早い廻覧も指示する。二十八日の内田首尾は、公使入京の書付二通を淺野から伝達され、本書を黒田へ順達したと報じ、写しを添える。別の薩州宛通知は、明後晦日午半刻に仏・英・蘭公使が参内することを二十八日付で知らせる。同日の赤井出頭・松室甲斐からの交付首尾注を伴う。さらに王政一新に伴う諸願・伺・届は太政官代辨事役所へ、原本に写しを添え二通で差し出すよう通知し、二十九日の赤井への交付と内田の届書が添うと記す。

登場人物
藝州・土州・肥後・薩州・加州・筑前の騎兵、仏国公使、仏・英・蘭公使、薩州、太政官代辨事役所、留守居付役赤井直之進、非蔵人松室甲斐、内田仲之助、伊勢様、淺野・黒田(順達先)
宛先
騎馬警衛は六藩、参内周知は薩州、提出先通知は諸願伺届の提出側。首尾は内田から伊勢様
キーワード
原684雑録中騎兵藝土肥後三騎薩加筑前五騎明廿九仏入京明暁伏見警衛申談混雑なし二月別紙廻覧辰二月廿八内田伊勢淺野から伝達本書黒田写添二通順達薩州明後晦午半仏英蘭参内二月廿八赤井松室甲斐今般大政一新諸願伺届太政官代辨事役所本紙写二通二月廿九交付届