唐入軍役人数島津家分覚書
年月日未詳 / 冊子 57~58頁
唐入りに付された島津家の軍役人数を一万五千人とし、義弘・義久・又八郎の持分別に長鑓・鉄砲・弓・馬上などの数量を割り振った覚書。各人の武器・馬・具足の負担を示し、渡海軍の編成基準を定めている。
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『旧記雑録』前編・後編・附録10冊と追録1~8(暫定版)、『旧記雑録拾遺 伊地知季安著作史料集1~9』『家わけ1』(暫定版)、関連史料(外伝)『島津世禄記』の46,754件を横断検索できます。検索範囲は史料群・巻を組み合わせて選べます。結果は50件ずつ表示します。
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年月日未詳 / 冊子 57~58頁
唐入りに付された島津家の軍役人数を一万五千人とし、義弘・義久・又八郎の持分別に長鑓・鉄砲・弓・馬上などの数量を割り振った覚書。各人の武器・馬・具足の負担を示し、渡海軍の編成基準を定めている。
文禄五年十二月五日 / 冊子 58~59頁
唐入りの軍役について、馬数に応じた人数、米・大豆、五か月分の兵糧、船の大きさ別の艘数、船頭・加子、馬の輸送数などを詳細に算定した覚書。軍勢の編成だけでなく、兵糧と輸送船を一体で見積もった大規模な動員計画である。
慶長十七年十二月晦日 / 冊子 388頁
慶長十七年十二月晦日付の軍役・兵具注文で、御分国中の諸侍の人数、高、扶持、鉄砲、弓、鑓、玉薬、塩硝、長太刀などの数量を列挙した軍備集計。
2月(日不記、年不記) / 冊子 283~284頁/原整理番号 395の3/整理ID 395-3
雑集中の軍役付平常沙汰。別紙のとおり御筆で示された趣旨を一統が慎んで承知し、当今の士風を振るい文武に励むよう求める。衣食住を倹約し、分限に応じて兵器・糧食を備え、急場の御用を滞りなく勤めること、組合の和睦と信義を重んじ疎略なく条目を守ることを命じる。二月、筑後・大藏・但馬・式部の四名署名。前の五条書付の内容を受ける伝達として整理し、五名連署の別行と署名数を混同しない。
御筆:文久3年壬戌10月(原文)・朱注に干支写誤/副書2月(年日不記) / 冊子 320~321頁/原整理番号 454の1~2/整理ID 454-1
通達留の御筆写は原冊の1~2を含む。五条は、詩歌や遊技に専念して士に似合わない行為をしないこと、知行高に応じ軍役人員・兵器・糧食を不足させないこと、衣食住の贅沢を慎むこと、組合に長病・死去者があれば同位が早く物主へ申し出ること、仕伍組合の和睦を求める。原文は文久三年壬戌十月、御名乗御判。朱注は三年は癸亥・二年は壬戌で写誤とする旨を記すが、本文を黙って校訂しない。続く二月の筑後・大藏・但馬・式部四署副書は、御筆に従って士風・文武・倹約を励み、分限に応じ兵器糧食を用意し、組合の和睦信義を守って急場の御用を滞らせないよう求める。同じ五条を載せる第395号の2の文久二年壬戌十月とも原記載を比較して保持する。
辛未4月知政所 / 冊子 808頁/原整理番号 1029の2/整理ID 1029-2
諸局附属長のうち軍役高を所持する者について、従前から用いてきた名称を認める。居附士以上の免許者には、この趣旨を申し渡すよう命じる。辛未四月知政所。
辛未4月19日知政所 / 冊子 808頁/原整理番号 1029の3/整理ID 1029-3
藩内士族の軍役高について、古来の軍備・合同力を踏まえ、制度の変遷後も年齢・役高等に基づく軍役を整える。集成館・火薬局など専業に従事する者は通常の出軍から除き、非常時には軍用に従うなど、軍役の配置・免除基準を定める。辛未四月十九日知政所。
(天正6年か) / 冊子 72~73頁/原整理番号 63の3
一町から十町までの所持町数に対し、主従二人から十一人まで一人ずつ増す軍役基準を列挙する。十町から百町・千町までは一町につき具足一領による軍役算用を記す。後評は天正四年高原城出陣賦との併記を検討し、同年ではなく天正六年の日州目白坂出陣時の賦ではないかと推測する。
四月 / 冊子 239~240頁
天下の形勢変化と近来の戦争を踏まえ、敵襲時に軽々しく発砲せず、戦列・持場を守って指揮に従うこと、蒸気船・銃砲・兵士の訓練と統制を徹底することを命じ、表方・奥掛・御勝手方へ周知した軍務通達写。
(慶長二年)五月十一日 / 冊子 101頁
島津忠恒が、赤国方面の軍役と朱印による人数割当てを受け、家中の人員・馬・兵糧・船を点検して渡海準備を整えるよう三名に命じた書状。海上での遅滞を避け、現地の必要に応じて配分することも指示する。
慶長三年四月二日 / 冊子 202頁
島津義弘が上井神五郎へ、軍役その他の奉公について、役人や当奉行が命令を難渋させ、無沙汰にし、または油断して勝手に振る舞う者がいれば、当役人としてその知行を召し上げ、事情を詳しく報告するよう命じた直書。報告を受けて改めて吟味し、科の軽重に応じて処分するとする。
(寛永九年)八月廿二日 / 冊子 312~314頁
島津久元・伊勢貞昌が、吉利下総守・新納右衛門佐を通じて伝えた国元軍役の談合状況を問い、武具兵具の調達、道具用意、知行高に応じた具足・馬・武具の賦課、御城の総高六拾万五千石を基準とする軍役などについて、早急な決定と報告を求めた連署書状。
(寛永九年)十一月二日 / 冊子 322頁
軍役・城備えに関する覚書。先手・二番手の主取、留守居、馬廻衆、船手主取、百石当たりの人役、要地への配置、出水・菱刈衆、法度、幟と鉄砲小指、乗馬数、加治木方人数、蔵入使、兵糧、町人への役負担、普請具の用意などの検討項目を列記した。
年月日未詳 / 冊子 334~351頁
寛永九年の高帳写。島津氏家臣・役人・外城担当者を知行高順に列記し、各人の石高、役職・官途・配置先を記す。高禄層から百石前後までの多数の家臣、人数合計、出水・阿久根・水引・各外城の衆中や軍役人数も収録する。
寛永十年二月十日 / 冊子 354頁
寛永十年の軍役覚書。鎧千八百本・鉄砲三千丁・弓千二百丁を総高六十万石に対する軍役の賦として掲げ、別に乗馬六百七十四騎、鉄砲千五百丁、弓六百四十七丁、鎧七百本などの数量を記す。
年月日未詳 / 冊子 388頁
島津家久譜に収められた軍衆一紙目録で、乗馬衆、陸立衆、道具衆、手明・指物持、夫丸、船頭・加子などの人員を区分し、総勢と鉄砲・弓・鎧などの兵具数を記したもの。
嘉永元年申八月・九月、九月十五日等(条項別日付。安永二年の指示を引用) / 冊子 98~105頁/原整理番号 147/整理ID 147
軍役人数・飯米・馬・旗印と東西海岸防禦の手当を定める本文群。知行百石につき従卒二人・主従三人を出役させ、端高や一人前に不足する引足は小高無高の諸士へ配当する。病気幼少の高持や寺領からも家内の者が出役する。陣中飯米は五十石以上三合、四十九~三十石二合、二十九石以下は御物御構とする。寄合以上から無格小番以下は二百五十石から馬一疋、千石二疋、千五百石三疋、万石は賦で定め、役料高や役職による例外も記す。安永二年の乗馬登城の指示と節倹を引き、改正した旗相印等を別冊図形で確かめ定めどおり準備するよう求める。佐多等の東目海岸・西目海岸の異国船来着、長崎への加勢に備え、物主・小頭・御使番・御目付、兵糧玉薬・小荷駄、諸郷・各番組の配置名簿を載せ、早く出役し用意するよう命じる。東西岸への大砲十挺一組、長崎加勢の六挺一組、御奉書到来後の迅速な出役を定める。西岸打方の物頭六人は一ヶ月二人ずつ繰廻で定め、家来を差し出す場合の人数割と図の場所の固守、急変時の無遅滞と後年の継続を求める。八月・九月等の近江・笑左衛門の署と家老座印を付し、十二の内容区分に分けて記録する。
嘉永六年九月(末尾補記) / 冊子 143頁/原整理番号 208/整理ID 208
公辺から命じられた海岸手当を入念に吟味し、考え付いたことを留め置かず申し出るよう命じる達書。造立を命じた二か所の台場その他の海防は国家の肝要で万人の命に関わるので、人目や利益を考え製作を粗略にしてはならないとする。平日倹約するのも非常のためであり、費用を惜しんで必要なことを省略せず、命じた法どおり堅固に製作するよう求める。軍役方だけでなく、大目付・横目・掛奉行から末々まで伝えることを命じ、末尾に嘉永六年九月の補記を付す。
年月日不記(手当次第) / 冊子 284~285頁/原整理番号 396の2/整理ID 396-2
別冊の来航手当次第で、九つの条目と補記を含む。山川沖に四艘以上の船が見え内海へ入る様子があれば遠見番所・烽火臺・砲声等で知らせ、山川・指宿・今和泉・喜入・谷山・垂水・新城を通報拠点とする。内海での船の応接後に掛家老・軍役奉行・軍賦役が定める合図を用い、市中の早鐘・太鼓や近隣寺鐘等でも伝える。御先手六組は弁天波戸・大門口・調練場・新波戸・祇園洲臺場等へ集まり指図を待つ。旗本は本丸下護摩所、三郎の旗本は二丸下造士館・南泉院に集合する。城下守衛六組は演武館または臺所御門内で振向の指図を受け、姫様方の守衛にも対応する。留主時にも同じ集合先を用い、別の人員は十五才から五十八才として各先手与頭の差配で集まる。諸郷・私領は海岸の地形・遠近と兵卒募集に従って救援し、各集場で道具を整え家老・軍役等の指図を受ける。戦争・征討開始時の別の合図も規定する。予定された警戒・出役の手順で、実際の戦闘報告ではない。
甲子3月写置(後記) / 冊子 350~351頁/原整理番号 497/整理ID 497
長州征伐に付く役職別の給与・従卒の規定で、甲子三月に写し置いたと記す。家老一人には卒十五人、小荷駄二疋と主従までの扱い、家老座書役三人、軍役方家老座二人には一人につき二貫目・卒五百目等を記す。用達、大目附、右書役、側役、書役、軍役奉行・旗奉行・玉薬奉行・使番・目付・軍賦役、兵粮奉行・普請奉行・人馬奉行・横目、御用人・小荷駄奉行・作事奉行以下について人数や貫目・百目を列記し、使番の人脱か注も持つ。物主の従卒十五人、城下物主八人、側役以上地頭物主六人、留守居以下直觸以上四人、作事奉行以下は六人賦以上二人・五人賦以下一人、旗頭・什長・貝役・大鼓役各一人、郷士物主二人とする。手人召列の者へは支給しないとの例外もある。役職人数・従卒・金銭単位と例外を別に示し、実支給額や兵員総数は確定しない。
子8月27日家老座と勝手方周知(正文) / 冊子 382~383頁/原整理番号 542の6/整理ID 542-5
原の6の書付。松平大膳太夫の家来が兵器を用いて朝廷へ背いたことを不届きとし、追討の惣督を紀伊中納言、副将を松平越前守へ命じ、紀伊中納言の指揮に従い忠勤を尽くして速やかに討つよう求める。続いて、惣督は紀伊中納言だが諸事は尾張前大納言の指揮に従うとする公義の別紙二通を、与中・支配中・諸郷へ知らせる通知を収める。子八月廿七日、軍役方家老座印と御勝手方印、中村新介取次・役名略の記載がある。原の2の尾張中納言惣軍惣督の配置書とも各原記載を別に示し、実指揮の経過を推定補完しない。
文久2年壬戌11月(日不記) / 冊子 275頁/原整理番号 384/整理ID 384
執事方帳留の軍政に関する仰出。金剛定院は慶長以前の御三代様の旧法を基礎に西洋砲術を採用し、順聖院も調練を指揮したが、なお十分に達していないとする。外夷の危急が増す中で軍政を厳重にすべきなのに、西洋人の動作を模倣するばかりで人心の帰嚮が薄いと懸念し、慶長以前の旧制に従って軍備改革を綿密に吟味するよう求める。関東へ勅使が進んだことを承知しており、攘夷を命じられた時に速やかな手当ができるよう厚く心得るとする。台場・大砲等は西洋規則を基礎としつつ、我が国力に合わないこともあるので、さらに工夫し簡易で行いやすい方法を研究するよう求める。文久二年壬戌十一月。危急・人心への評価は本文の見解で、施工や軍備完成の報告ではない。
明治2年八月24日知政所(年は朱書)/当秋開始・旧寅年から来酉年の原期間言及 / 冊子 694頁/原整理番号 907/整理ID 907
通達留。少将の藩知事任命に伴い家禄を現石十分一とし、士族給禄をこれに基づいて改める方針を述べる。改革高一石の所務米三斗六合の十分一、原三升六夕のうち六夕を除き、軍役高を与えられた者は一石につき三升を高の多少に関わらず当秋から軍備用に別途納めるとする。去る寅年から来る酉年まで定めていた定式外三升重出米は当秋から免じ、出る石数分を外御蔵米の内から従来通り軍備方へ差し分ける。領地返献・世禄減少の本一所持には納入不要とし、伊勢雅楽・鎌田仙十郎・町田民部も同断とする。朱明治二巳八月廿四日、知政所。家禄割合・所務米の算当・新軍備別納・旧重出免除・例外を区分し、夕を現代単位へ換算せず、実徴収額や免除完了・人数は補わない。
辛未4月12日樺松善之丞 / 冊子 817頁/原整理番号 1032の2/整理ID 1032-2
軍役高の員数、各家の俸禄と嫡子以下の内訳、養料米・切米の支給状況を調査し、御用見合いのうえ会計局へ承知させる。来る十四日までに担当者が間違いなく差し出すよう命じる。辛未四月十二日樺松善之丞。
慶長元年12月5日 / 冊子 79~80頁/原整理番号 63の19
唐入りの軍役人数・五か月分の兵糧と馬飼料・輸送船を積算する。人数小計1万2433人に右馬頭・幸侃分を加え、総人数1万5097人と記す。二度漕ぎの一度分は人船91隻・5800人、馬船30隻・136足を配する。馬数・穀物合計・作船数と費用には内訳との不一致があり、記載値を保持する。
慶長17年12月晦日 / 冊子 141~159頁/原整理番号 81
分国内の諸侍について知行高と軍役人数を集計し、具足・弓・鉄砲・鑓・指物などの兵具数量をまとめた注文。慶長17年12月晦日付で、軍勢規模と装備所要を一括して示す。
正月十二日 / 冊子 831~833頁
加世田衆の一与に属する者を列挙し、愛徳善左衛門尉・大坊・市来半介ら各人の軍役負担の基準となる知行高を石・斗・升・合で記した軍役高帳。
〔弘化四年〕十月・十月十五日・十六日・晦日等(本文未年。月日のない書付を含む) / 冊子 80~82頁/原整理番号 127/整理ID 127
軍役方の設置・担当・手当・伝達に関する本文群。異国船の領内・長崎への来着、公辺からの援兵や不時出張に備え、名代・副名代を置き、城代差副や留守中の手当を調所と相談するよう命じる。名代島津山城と副名代豊後への主副二通に続き、惣奉行調所、惣頭海老原宗之丞、取次二階堂志津馬へ、家流に基づく取調と規定、出馬御供の差出、表方・奥掛への連絡を指示する。軍法の附記は天保期の触書、大砲等の使用、和漢の戦闘法の取捨、貴久・義久・義弘の軍法を基本とすることを挙げ、一家の流儀だけに拘泥せず、国の風に合う防禦の備えを整えるよう求める。役人が時々出席して用務を行き届かせること、手当別紙を役人限りに承知し写し取ること、十月十五日に明後十七日の召出場所を鷲之間次之間と伝えること、十六日付を含む掛の者への伝達も収める。末尾の豊後の指示は諸士その他の人数・武具を調べ、支配頭に問い合わせ、期限を相互に連絡し、遅延や不都合を早く解決して御用を滞らせず、支配下にも行き届くよう命じる。通達・添える軍法記述を十一の内容区分で台帳に別記する。
文久2年壬戌10月(日不記、再掲書付) / 冊子 283頁/原整理番号 395の2/整理ID 395-2
五条の書付。詩歌や諸遊技にのみふけり士に似合わない所業をしないこと、知行高に応じた軍役人員と兵器・糧食の不足に注意すること、衣食住に贅沢を用いないこと、組合中に長病または死去者があれば同位から速やかに物主へ申し出ること、仕伍の組合は互いに和睦することを求め、堅固に守るよう命じる。文久二年壬戌十月、御名乗御判と記すが姓名は記さない。前後の申渡に挟まれた再掲書付であり、本文に記された年・月を保持する。
壬申11月15日出納課 / 冊子 904頁/原整理番号 1118の2/整理ID 1118-2
県下諸士の旧軍役高所務米について、いろは組ごとの払渡日を十一月二十日から二十五日までに割り振る。所務手形を二日前までに受け取り、払渡日の前日に米蔵へ提出すること、期限を過ぎた手形は順次の払渡後に扱うこと等を命じる。
年月日未詳 / 冊子 188~194頁/原整理番号 111
御旗本の手鑓・長刀から鉄砲・弓・旗・騎馬・道具衆、各外城・郷ごとの人数と乗馬を大規模に列記する島津氏の軍役賦。塩硝・鉄砲玉・火縄・具足・陣屋道具などの数量と運搬人員も定める。
(元和9年) / 冊子 97~98頁/原整理番号 68
知行高別の鉄砲・弓・鎗・騎馬・旗の負担表と、半役に付く扶持方人数表を記す。装備表の一万石は鉄砲二十丁・弓十張・鎗五十本・馬上十四騎・旗三本。扶持人数は百石七人、一万石百五十人、十万石千五百人などを挙げる。末尾は光久公御譜にある元和九年の公儀定書とみられると説明する。
8月五通達/子10月4日軍役方・家老座、10月7日勝手方伝達 / 冊子 389~390頁/原整理番号 554の1/整理ID 554-1
八月の五通達を収める。第一は長州家来の禁闕への砲発を不届と評価し、父子の官位・御一字・称号を召し放つとの命令。第二は長防二国へ武器・米穀などを海陸から運輸してはならず、隣国で差し止め、時宜によって留め置き領主へ申すよう求める。第三は征討の通路である東海道・美濃路から大坂・播州・備州・藝州にかけて宿営、道橋の補理と松明・草鞋・籠木・筵・苫・縄・竹木・明俵・桶樽・鍬などの用意を領主・代官・地頭へ命じる。第四は長藩人の潜伏や家来の乗組、藩荷物を積む船を探索し、見つけ次第速やかに打ち留めるよう海岸領分の者へ求める。第五は海陸軍備を引き受ける伊豆守のもとへ、軍備警衛に関係する諸願届と御礼勤を出し、若年寄にも相越す指示。子十月四日軍役方・家老座と十月七日勝手方・伊地知壮之丞取次の領内伝達を付す。政治的評価と処分・取締の方針は各通達の叙述として示す。
嘉永元年四月(本文四月、承知の編者注による) / 冊子 95頁/原整理番号 140/整理ID 140
近年の長崎・相州浦賀等への異国船来着・漂着と、琉球に「仏嘆人」(原表記)が常留することを踏まえ、領内の海岸防禦と留守中の政務を述べた口達控。以前の手当も重要であったが、今回は手当を改め、大砲を防方の主とし、敵への備えを整えるよう命じる。軍役の方式は貴久・義久・義弘ら先代の流儀に基づき、先代の砲等の備組も用い、同列の内匠と久光を軍役名代として指揮する趣旨を伝える。今年秋に参府した後は公辺での用向きにも当たらせ、留守中は軍役だけでなく政事全般について家老座へ出席し、家老中の相談を聞き、その都度事情に応じて扱うよう求める。四月の表示と、嘉永元年四月に承知したとの編者注を付す。
〔嘉永元年〕(本文月日不記)。来酉年までの改革を戌年・亥年の二ヶ年へ延ばす / 冊子 97~98頁/原整理番号 145/整理ID 145
来酉年までに財用改革を成就する予定だったところ、二年延長するよう家老中へ命じた書付。昨年夏の委曲どおり改革は累年の方式で進めてきたが、琉球国の困窮を厚く救い、西洋人の渡来が多いため軍役を整え、人数・米の運送に費用がかかり、海岸防禦の手当も莫大と述べる。琉球人の参府、上使に関する当地の仮居と文化期の類焼後に仮建した邸館の造営修補、外邦への応答と国威を示す深勤の必要も挙げ、限られた産物料では大きな入費を補い難いとする。この年末から大坂新借を用途に充て、戌年から亥年までの二ヶ年、改革を延ばすよう命じる。年限の途中で取り止めず、昨年命じたとおり質素節倹を用い、細かい事情を心得て改革が成就するよう取り計らうことを求める。白木御文書十番箱中の三十五番に御筆仰出として収める。
4月(幕府通達年不記);藩内伝達:戌6月6日・戌6月7日 / 冊子 262頁/原整理番号 364/整理ID 364
大目付宛の銃隊調練通達。近頃西洋法を採用し旗本御家人は講武所で修行し、諸家でも精勤する向きがあるが、さらに熟練するよう厚く世話することを求める。麹町三丁目裏火除明地の下曽根甲斐守・高嶋喜平の調練場を江川太郎左衛門に兼ねて預け、講武所へ出ない万石以上以下の家来も三名と相談して調練場で修行するよう知らせる。正文四月。続く藩内伝達は公義から別紙通達が来たので組中・支配中・諸郷へ漏れなく申渡す旨で、戌六月六日御軍役方・御家老座印、御勝手方宛。右書略との注、戌六月七日御勝手方印、伊集院平治取次も記す。
文久2年10月(本文、日不記) / 冊子 274~275頁/原整理番号 383/整理ID 383
執事方帳留の六条口達。先代が神瀬で考えた台場築立は逝去後に中止され遺憾なので、危急の時勢に当分沖小島へ築立したいとする。ただし死生に係るため大目付以上・軍役奉行・軍賦役中へ十分な意見を求める。集成館では大砲鋳立・軍艦造立等の含みを述べ、掛役にも意見を促す。宝蔵金五十万両(但古金)から十五万両を繰り替え、内五万両を宝蔵に置き、残十万両を神社修造・集成館等の当座費に備えるとする。窮士には勤務と造士館・演武館の出席を求め、教授・師匠の印で扶持米を渡し出席帳を月末に側役へ出す。米価は精しく吟味してさらに下げるよう求め、諸色は義掛役・徒目付と掛役二三人で吟味し経過を側役へ届ける。文久二年十月。各提案・意見募集・配分指示と支払施工の完了を分ける。
2月21日(申渡、年不記);昨19日召出しへの言及 / 冊子 283頁/原整理番号 395の1/整理ID 395-1
雑集中の五名連署申渡。昨十九日、若年寄・大目付・大番頭・御小姓与番頭・側御用人・側役・軍役奉行・御休息所を召し出し、非常の時世の改革について沙汰があり、別紙のとおり御筆を示されたと記す。臣下を思う配慮に感じ入り、各自が職掌を尽くして改革の成功を図るよう求める。目前の外国船来航にも重大な時機として慎重に趣旨を守り、支配下役へも伝えるよう命じる。二月廿一日、筑後・大藏・帯刀・但馬・式部の五名。別紙の文久二年十月書付を今回の申渡年月へ書き換えない。
慶応元年乙丑9月16日申渡;昨日の不時勢揃への言及 / 冊子 399~400頁/原整理番号 567/整理ID 567
昨日、不時に命じた勢揃に速やかに集まり、調練の次第も混雑せず、軍役方・物主などの職掌はもちろん、一同の平日の備えにも満足したと述べる。三郎の留守中に自分も暫く心痛したが、当今の世態に鑑み各人が職掌を知り、文武を励むよう求める家老中への申渡。在執事方帳留に収め、慶応元年乙丑九月十六日に命じられたと記す。満足や心痛は発言者の評価として示し、動員人数や調練の具体的科目、発言者の実名は記されない。
明治3年午8月会計局/8月知政所 / 冊子 755頁/原整理番号 976/整理ID 976
任官時に伝書方から会計へ伝え、裏書証文を交付してきた俸禄支給について、多人数の出入で届出がない例があるため、任官の書付を伝事にも出す。明細書を出し持高を出納方で照合し、裏書に俸禄何拾俵を記す。出納方等の切米対象者には二人組で根帳を作り、証文の首尾に押印し、手形取扱いとは別の者が首尾を確認して出納奉行に習う。行見習からも二人ずつ出し、切米方と相談して根帳の不正な取扱いを防ぐ。兵士等の出入、転官・軍役高の増減には明細帳を会計局へ送り、俸禄通帳を添える。付高五拾石以上・以下の出入者は月末に出納方から会計局へ届ける。死失の際は三日以内に俸禄通帳を出し、以後は死失届を伝事方へ申し出るとともに通帳を添えて会計局へ出す。俸禄を下し置かない者も届出の上組書へ記し、各局へ漏れなく周知する。明治三年午八月会計局、八月知政所の周知文を伴う。
明治3年午9月 民事局/9月14日知政所 / 冊子 758~759頁/原整理番号 978の1/整理ID 978-1
通達留に屋敷取扱の別冊規定と、その周知通知を収める。新たに附着し一所持家来となった者、私領の士着者、定府者、家筋正敷で当地に帰る軍役勤務者などには、吟味の上十ヶ年の移転延長を認める。近所で返還等を約した屋敷は四壁形と年久数故による差を調べる。諸座付借地の名目だけで家来等が住む屋敷は取り上げ、旧船手・生産方の土地や水主の居形は検地して借地の名目をそろえる。上下西田町・湊津の屋敷は小三畦ほどの免許面積を調べ、職業の有無に応じて調整する。商売向けの建物・倉庫・土地増添は吟味し、町屋敷内の士族屋敷を町屋敷へ直して下人等の居住と店開きを許す一方、無免許の店構えは取り除く。引続高地面一反以上の所持者には支障のない範囲の譲渡・繰替を認め、居家に支障のある過上屋敷には十ヶ年の免許を置くが、名実の合わない官職召入屋敷は認めない。分地付属・四壁境界・売買を明らかにし、近在五ヶ村の免許借地は一反まで現屋敷に召し成す。過上部分を譲り受ける者は借地主と協議し、代銀を願い出て検地の上在来番所へ納める。当年閏十月中の願出を処理し、十一月初めに改帳、来春に実居住を確かめる。不正な屋敷は取り上げ、疑いは直ちに申し出る。末尾は明治三年午九月民事局。別冊のとおり屋敷取扱いを命じた旨を、九月十四日知政所が関係向々へ周知する。
明治4年辛未4月会計局 / 冊子 816~817頁/原整理番号 1032の1/整理ID 1032-1
諸向から軍役高等を引当に貸し付けた銀について、正月からの利率を改定し、従来の利率との差額を別段に処理する。余剰となる利足等は小学校費へ振り向け、諸士育成の趣旨に用いるよう命じる。明治四年辛未四月会計局。
(文禄3年)6月か / 冊子 76頁/原整理番号 63の11
国元の軍役を百石につき五人ずつと定め、全員の渡海を命じたにもかかわらず、前年春以来一人も渡海せず、軍役の履行も進んでいないと指摘する。文禄三年六月に義弘が申し送った覚書の一条である。
年月日未詳 / 冊子 829~831頁
寛永十五年の肥前島原一揆に際し、国分に割り当てられた出陣者を列記した交名・人数書留写。各人名に主従人数、鉄炮・鑓・弓・馬・持道具、自身または代人などの軍役構成を注記する。掲載者は合計八十五人で、そのうち自身衆十八人、被官まで含めた総勢は百三十四人と集計する。
壬申11月12日・14日 / 冊子 906~907頁/原整理番号 1120/整理ID 1120
朝廷への県内高届に用いるため、別紙様式で各自の持高を正確に記して十二日までに提出するよう命じる。あわせて、旧軍役高所務米の手形を区戸長へ渡すため、受取人は請取書を持参するよう十四日付で通知する。
弘化4年10月(目録) / 冊子 35頁/原整理番号 27
季安の書付は、英国への備えを急ぐ状況で、軍法を基本に和漢の作法を取捨し、大砲などの運用を含む外国防禦の手当を調べる方針を記す。
天正六年 / 冊子 549~550頁
田方所領高に応じた軍役賦。一町衆は主従二人、二町は三人と一町増すごとに一人を加え、十町では主従十一人とする。十町から百町・千町までも一町につき具足一領を負担させる。編者は天正四年の出陣賦と並ぶ原本から、天正六年の日向耳川方面出陣時の賦ではないかと推定する。
慶長三年三月廿二日 / 冊子 201頁
帖佐方の軍役高を区分別に集計した目録。定軍役分三万七千百四十三石七斗九升三合四夕六才、奥方二千百八十三石四斗二升七合六夕二才、医者分百二十三石七斗のほか、諸職・道具衆・中間・行司・浮所の各分を掲げる。これら七口の計を七千六百二石余、別の三口を四万四千七百四十六石余、北郷持分を三万七千三百三十一石余とし、最終の三口合計を八万二千七十七石八斗四升八合四夕二才と記す。
慶長十八年十二月朔日 / 冊子 433~446頁
慶長十八年十二月朔日付の軍役賦帳。家臣・地域ごとに石高、人数、乗馬、鉄砲・槍などの装備、船、城内外の勤仕を列挙し、総人数・道具・馬匹等の集計と大坂方面への動員経過を記す。
(寛永九年)八月朔日 / 冊子 301~302頁
島津氏の軍役賦。知行高や役格の区分ごとに、騎士・主従・小姓・甲持・馬取・指物持・夫丸などの人数と、馬・鉄砲・弓・槍・鞍道具等の負担基準を表形式で定めた。