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『旧記雑録』前編・後編・附録10冊と追録1~8(暫定版)、『旧記雑録拾遺 伊地知季安著作史料集1~9』『家わけ1』(暫定版)、関連史料(外伝)『島津世禄記』の46,754件を横断検索できます。検索範囲は史料群・巻を組み合わせて選べます。結果は50件ずつ表示します。

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164 件 (全巻)/ 1–50件を表示

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後編2-No.1601文書確認度 中

安宅秀安書状

秀安は唐島での番船捕獲や、明軍が籠る朝鮮の城を島津勢が攻めて多数を討ち取った戦功を祝う。 弓次郎の高麗出陣、伏見での留守役、軍役人数と知行、上洛・国元での処遇などを詳しく論じ、朝鮮戦役と家臣の軍役負担を結ぶ長文書状。

登場人物
安宅秀安、小杉丹後守、土持雲也老、弓次郎、島津軍
宛先
小杉丹後守・土持雲也老
キーワード
安宅秀安、小杉丹後守、土持雲也老、弓次郎、唐島、番船、明軍、朝鮮出兵、軍役、伏見
附録1-No.630文書確認度 中

島津勝久書状

島津勝久が、入来院殿の伝言、石州への連絡と廻船者の保護・入国、双方の礼や軍勢派遣、山事・所用の処置について詳しく指示した書状。

登場人物
島津勝久、東條丹後守殿、大山源左衛門尉殿、石州関係者、廻船者
宛先
東條丹後守殿・大山源左衛門尉殿
キーワード
島津勝久、書状、東條丹後守、大山源左衛門尉、石州、廻船、入国、軍勢、所用処置
前編2-No.2299文書確認度 中

島津勝久書状

島津勝久が大山・東條両名に、入来院方からの報告、使節の礼、石州方面の連絡や船員不足などを述べ、今後の協力を求めた書状。

登場人物
島津勝久、入来院氏、石州、東條丹後守、大山源左衛門尉
宛先
大山源左衛門尉殿、東條丹後守殿
キーワード
島津勝久、書状、入来院氏、石州、大山氏、東條氏、使節、天文五年
前編2-No.648文書確認度 高

島津元久書下

島津元久が島津美濃守へ、日向国臼杵院内の左馬助跡と、同国宮崎郡内の戸次丹後守跡について、御下文の旨に任せて領知するよう命じた書下。

登場人物
島津元久、島津美濃守、左馬助、戸次丹後守
宛先
島津美濃守殿
キーワード
島津元久、島津美濃守、日向国、臼杵院、左馬助跡、宮崎郡、戸次丹後守跡、御下文、領知、書下
前編2-No.908文書確認度 高

島津久豊安堵状

島津久豊が樺山安藝守に、日向国宮崎郡の戸次丹後守旧跡について、御下文の旨に任せて領知するよう安堵した文書。

登場人物
島津久豊(花押)、樺山安藝守教宗、戸次丹後守
宛先
樺山安藝守殿
キーワード
島津久豊、樺山教宗、戸次丹後守、安堵状、日向国、宮崎郡、旧跡、御下文、領知
後編1-No.429記事確認度 高

新納忠元勲功記

永禄十一年二月二十八日、小苗代原で敵が不意に出た際、新納忠元が薬師堂の板に詩句を書き終えるまで動かず、家臣久保勝八に引き退かされた直後、竹添丹後守の鑓で左脇を突かれた逸話を載せる。忠元はなお敵三人を討ち、自身も六箇所の傷を負ったため、貴久から使者を通じて感賞と見舞いを受けた。三月二十三日の曽木・市山攻撃では、未平癒ながら出陣し白坂と永福寺口の守備を指揮した。

登場人物
新納忠元、島津忠長、肝付兼寛、久保勝八行重、竹添丹後守、川畑藤七兵衛、春成外記、三原右京亮、長谷場純辰、宮原景種、佐多久政ほか
宛先
—
キーワード
新納忠元勲功記、永禄十一年、小苗代原、新納忠元、薬師堂、詩句、久保勝八、竹添丹後守、六箇所負傷、感賞、曽木城、白坂、永福寺
後編1-No.459記事確認度 高

島津貴久譜

大口方の勢力が増すなか日新が重病となり、義久が馬越城で諸所を警戒し、貴久は十一月に菱刈から加世田へ移って看病した。その隙に敵が川上丹後守・堀内某を討ち、救援した是枝大膳坊も戦死した。相良・菱刈両氏は感応寺を介して和睦を求めたが成立前の十二月十三日に日新が七十七歳で没した。貴久は日々供養し、翌年の四七日忌に梅花と追悼歌を献じた。

登場人物
島津貴久、島津義久、島津忠良(日新)、川上丹後守、堀内某、是枝大膳坊、相良氏、菱刈氏、感応寺
宛先
—
キーワード
島津貴久譜、大口、馬越城、島津忠良、日新、重病、加世田、川上丹後守、是枝大膳坊、感応寺、和睦、死去、追悼歌
後編1-No.624記録確認度 高

箕輪伊賀覚書

伊東義祐が島津氏の伸長を恐れ、元亀三年五月四日に大軍で飯野・加久藤を攻めた木崎原合戦を長文で叙述する。島津義弘は少数の兵を励まして横撃し、退却を装う戦法と援軍によって伊東文次郎・加賀守らを各陣で破り、自ら柚木崎丹後守を討った。伊東方の多数の戦死者、遺族や国人の動揺を記したのち、林翁粛の諫言や落書を引き、伊東義祐の佞臣偏重・賄賂・奢侈・苛政が敗北と国政混乱を招いたと論評する。

登場人物
島津義弘、伊東義祐、伊東加賀守、伊東新次郎、伊東文次郎、落合源左衛門、久富伴五左衛門、柚木崎丹後守、二階堂秀綱、林翁粛
宛先
飯野、加久藤、木崎原、古陣原、本知原、小林、高原、野尻、佐土原、都於郡
キーワード
箕輪伊賀覚書、元亀三年、木崎原合戦、島津義弘、伊東義祐、飯野、加久藤、伊東加賀守、柚木崎丹後守、伊東家批判、林翁粛、落書
後編3-No.1028記録確認度 高

松元権兵衛尉覚書

慶長五年正月廿八日の庄内山之口攻めで、松元権兵衛尉が日中三度敵を追い込み、柵を越えて戦った際に矢傷一か所を負ったこと、その立会人が調所丹後守・渕田右衛門尉・少将殿であったことを記す覚書。

登場人物
松元権兵衛尉、調所丹後守、渕田右衛門尉、少将殿
宛先
—
キーワード
松元権兵衛尉覚書、庄内、山之口、三度追籠、柵越え、矢傷、調所丹後守、渕田右衛門尉、少将
後編3-No.1243記事確認度 高

北郷忠能譜

関ヶ原合戦後、伊東氏が高橋氏領の宮崎城を奪った際、長倉三郎兵衛尉が北郷忠能の家臣・小杉丹後守へ書状を送り、島津家は徳川家康の恨みを受けているので北郷家が徳川方へ忠節を示すよう勧めた。忠能は応じず、その書状を鹿児島へ提出した。

登場人物
北郷忠能、長倉三郎兵衛尉兵国、小杉丹後守、伊東氏、高橋氏、徳川家康
宛先
該当なし
キーワード
北郷忠能譜、北郷忠能、長倉兵国、小杉丹後守、伊東氏、高橋氏、宮崎城、徳川家康、内応勧誘、書状提出、鹿児島
後編3-No.1248記事確認度 高

日向記

宮崎城主権藤とその子二人の首級を、小杉丹後守が山伏の一学坊を使者とし、検使の宮川を同船させて、筑後国水田に置かれた黒田如水(円清)の陣所まで届けさせたことを記す。続いて如水の返書を掲げる導入記事である。

登場人物
権藤父子三人、一学坊、宮川、黒田如水(円清)、小杉丹後守
宛先
該当なし
キーワード
日向記、宮崎城、権藤父子三人、首級、一学坊、宮川、小杉丹後守、黒田如水(円清)、筑後国水田、検使
後編1-No.620記事確認度 高

島津義弘譜

元亀三年五月四日の木崎原合戦を記す。伊東方数千が飯野を越えて加久藤を攻めたため、島津義弘は四、五十騎で木崎原を遮り、久富・遠矢らと迎撃した。長峯氏や伊東文次郎・落合源左衛門らを討ち、田原陣・鬼塚原へ追撃して義弘自身も強敵二人を斬った。島津方にも鎌田大炊助らの戦死者を出したが、少数で伊東方の大軍を破った勝利を天助と評する。

登場人物
島津義弘、伊東義祐、伊東文次郎、落合源左衛門、久富伴五左衛門、遠矢下総守、長峯弥四郎、竹下又左衛門、瀬戸口八郎左衛門、五代友喜、柚木崎丹後守
宛先
飯野、加久藤、木崎原、田原陣、鬼塚原、三山城
キーワード
島津義弘譜、元亀三年、木崎原合戦、飯野、加久藤、伊東義祐、久富伴五左衛門、長峯弥四郎、五代友喜、柚木崎丹後守、少数勝利
後編1-No.632記事確認度 高

木崎原合戦記

島津義弘の飯野入城から桶平伏兵戦を経て、元亀三年五月四日の木崎原合戦を詳細に叙述する。義弘は加久藤救援・野間門・鳥越・本地原に部隊と伏兵を配し、伊東新次郎を自ら討ち、五代勝左衛門らが伊東加賀守を討って敵軍を崩した。戦場地形・討取人数・六地蔵・太刀洗川の由来、白鷺を白旗と誤認して退いた相良援軍、間者を見破った死苦村彦六左衛門と褒賞地、三徳真成の祈祷・調伏や後世の伝承・編纂経緯まで収める総合的な合戦記。

登場人物
島津義弘、伊東義祐、伊東新次郎、伊東加賀守、伊東源四郎、落合源左衛門、五代勝左衛門、鎌田官栖、村尾源左衛門、柚木崎丹後守、光巌上人、藤元丹波、三徳真成
宛先
飯野、加久藤、木崎原、野間門、本地原、白鳥山、田原陣、粥餅田、死苦村
キーワード
木崎原合戦記、島津義弘、飯野、加久藤、野間門、本地原、伊東新次郎、伊東加賀守、柚木崎丹後守、白鷺、死苦村、三徳真成、六地蔵、太刀洗川
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 348-9留帳書状・出船報告旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

平田宗直加子立曳付留帳月廿日書状

平田宗直方が十九日に小松原へ着き、船と加子を改めた結果、余剰水手約四十人がいたことを相良丹後守へ報告した書状案である。翌日出船の予定と、今後の変更があれば追って注進する旨を述べる。

登場人物
平田宗直、相良丹後守
宛先
相良丹後守
キーワード
平田宗直、相良丹後守、小松原、加子、水手四十人、出船
前編2-No.2350記事確認度 中

島津貴久譜

天文八年三月十三日の紫原合戦で貴久方が敗れた後、平田式部少輔の要請を受けて翌日から本城・神前城を攻めた経過を記す。忠将・松崎丹後守らが加わり、攻城と交渉を重ねて和談を成立させ、新納近江守忠勝らを降参させた。

登場人物
島津貴久、平田式部少輔、島津忠将、新納近江守忠勝、松崎丹後守
宛先
—
キーワード
島津貴久譜、島津貴久、紫原合戦、平田式部少輔、神前城、新納忠勝、降参、天文八年
後編1-No.3記事確認度 高

島津歳久譜

蒲生北村の敵が帰順を装って島津軍を誘い出し、弘治元年正月二十二日に貴久・義久が吉田から出陣したところ伏兵に遭った。弟子丸播磨守・指宿丹後守以下十八人が戦死し、十九歳の歳久も負傷したと記す。

登場人物
島津貴久、島津義久、島津歳久、弟子丸播磨守、指宿丹後守、蒲生北村の敵兵
宛先
—
キーワード
北村合戦、偽降、伏兵、吉田、島津歳久、十八人戦死、負傷
後編1-No.7記事確認度 高

貴久記

弘治元年正月、屋形様父子が吉田まで出陣したが、北村勢の偽計により味方が敗軍した。弟子丸播磨守が退かずに討死し、指宿丹後守・敷根源八兵衛らも戦死したことを記す。

登場人物
島津貴久、屋形様の世子、弟子丸播磨守、指宿丹後守、敷根源八兵衛、福崎次郎三郎、濱田五藤兵衛
宛先
—
キーワード
北村合戦、偽計、敗軍、吉田、弟子丸播磨守、戦死者
後編1-No.460記事確認度 高

島津義久譜

大口方の勢力増大と島津方の戦死者増加を受け、日新の意見に従って山野を相良氏へ渡し和睦した。その後、菱刈方は堂崎に陣を築いて平泉への通路を断ち、田中川内の伏兵が番替えの川上丹後守・堀内氏を討った。相良・菱刈両氏は感応寺を介して再三和睦を求めたが、許可される前の永禄十一年十二月十三日に日新が没した。貴久は十一月から加世田で病床に侍していた。

登場人物
島津義久、島津貴久、島津忠良(日新)、相良氏、菱刈氏、平泉守兵、川上丹後守、堀内氏、感応寺
宛先
—
キーワード
島津義久譜、永禄十一年、大口、山野、相良氏、和睦、堂崎、平泉、田中川内、伏兵、番替、感応寺、島津忠良、日新、死去
後編1-No.625文書確認度 高

加久藤噯連署差出

元禄十年、記録奉行の求めに応じて加久藤の噯役四人が提出した木崎原合戦由緒書。伊東方が槍掛口から加久藤城へ攻め込み、樺山常陸坊父子と城番衆が戦死したのち、不動寺の僧が鉄砲で米良筑後守を撃って敵陣を崩したとする。島津義弘の木崎原での奮戦、五代勝左衛門による伊東加賀守討取、粥餅田での柚木崎丹後守討取までを伝える。

登場人物
伊地知佐太夫、西国八郎左衛門、白坂勘之丞、萩原惣左衛門、島津義弘、樺山常陸坊、米良筑後守、五代勝左衛門、柚木崎丹後守
宛先
記録奉行市来源右衛門
キーワード
加久藤噯連署差出、元禄十年、木崎原合戦、伊地知佐太夫、加久藤城、樺山常陸坊、不動寺、鉄砲、米良筑後守、五代勝左衛門、由緒書
後編1-No.628記事確認度 高

日向記

日向側の記録として、元亀三年五月四日の木崎原合戦と敗戦後の状況を詳述する。伊東方は加久藤を攻めた後、統制を失った退却中に島津義弘の横撃を受け、伊東加賀守ら諸将が次々に引き返して戦死した。所属別の戦死者名と、加賀守・別府宮内少輔・荒武兄弟・柚木崎丹後守らの最期や遺言を収める。敗戦後に起請文を確認すると従来の軍規と異なり、最初から一所討死を誓っていたとの不審も記す。

登場人物
島津義弘、伊東義祐、伊東加賀守、伊東新次郎、伊東又次郎、伊東修理進、伊東源四郎、落合源左衛門、柚木崎丹後守、持原甚左衛門、林翁粛
宛先
飯野、加久藤、木崎原、小林、高原、野尻、佐土原、都於郡
キーワード
日向記、元亀三年、木崎原合戦、伊東加賀守、伊東源四郎、島津義弘、戦死者、遺言、軍規、起請文
後編1-No.954記事確認度 高

殉国名薮

天正六年に島津方として戦死した者を月日・戦場別に列挙する名簿。三月の石城方面、十月二十三日の三原衆反乱、十一月十二日の高城・耳川合戦などの死者を中心に、福永丹後守・鎌田大炊助・伊地知式部少輔・本田親治・北郷久盛ら多数を記し、日付不詳の者も追記する。

登場人物
二宮肥後守、福永丹後守、鎌田大炊助、伊地知式部少輔、本田親治、北郷久盛、伊地知重直ほか
宛先
—
キーワード
殉国名薮、天正六年、戦死者名簿、石城、三原衆反乱、高城合戦、耳川合戦、本田親治、北郷久盛
附録1-No.2文書確認度 高

土持摂津入道雲也書状

土持摂津入道雲也が沢永温らに、早風殿の仮屋地が完成したことを喜び、御簾に関する相談を了承した書状。事情に不案内なので現地で調え、必要な代物は自方から進上すると伝え、留守中の紀左丹後守らの帰宅後に改めて礼を述べるとする。追而書で曾木利右衛門尉への取次ぎも頼む。

登場人物
土持摂津入道雲也、沢永温、曾木利右衛門尉、紀左丹後守
宛先
沢永温老参人々御中
キーワード
土持摂津入道雲也、沢永温、早風殿、仮屋地、御簾、曾木利右衛門尉、取次、書状
追録2-No.923連署状旧記雑録暫定版確認度 中

稲葉丹後守ほか四名連署状

稲葉丹後守・秋元但馬守・小笠原佐渡守・土屋相模守・阿部豊後守の五名が松平薩摩守へ、翌朔日は例月の御礼がないため登城に及ばないと通知した連署状。

登場人物
稲葉丹後守、秋元但馬守、小笠原佐渡守、土屋相模守、阿部豊後守(原署は役名のみ)
宛先
島津綱貴(松平薩摩守)
キーワード
稲葉丹後守、秋元但馬守、小笠原佐渡守、土屋相模守、阿部豊後守、松平薩摩守、明朔日、例月御礼なし、登城不要、五連署、諱不記
追録7-No.無番号_0108書状旧記雑録暫定版確認度 高

木村左兵衛尉・立野丹後守連署書状写(維君薙髪)

印刷「の7」、写。維君が昨夜薙髪し、維學心院と称したので心得のため知らせると記す。四月廿三日、立野丹後守と木村左兵衛尉が連署し、志岐正左衛門に宛てる。維學心院の維には「イ」の傍注を伴う。年は文政三年の一件表紙による。続く朱書は、文政三年辰五月廿一日に安房殿から本書を下され、帳留しておくよう命じられたことを國師崎良四郎が承知した旨を記す。さらに右のとおり一冊にまとめる旨の注がある。本文の四月二十三日、本文中の昨夜の薙髪、五月二十一日の受渡・帳留指示を分けて保持し、帳留日を薙髪の日付にはしない。

登場人物
木村左兵衛尉、立野丹後守、維君(維學心院)、志岐正左衛門、安房殿、國師崎良四郎
宛先
志岐正左衛門
キーワード
印刷の七写維君昨夜薙髪維學心院イ注四月廿三立野丹後守木村左兵衛尉志岐正左衛門朱文政三辰五月廿一安房本書相下帳留指示國師崎良四郎承知右通一冊
追録8-No.657-2大村丹後守家臣二名による布告拝見・勤王意思と御請一通の回答旧記雑録暫定版確認度 中

大村丹後守の家臣二名が名分・勤王を表明し、主君在京のため代わって御請を差し出す

布告を謹んで拝見し、君臣上下の名分を守って王家に勤めるのは当然で、天朝多難の時には一層尽力すべきだと述べる。東賊潰走・近畿穏静とする情勢を喜び、なお命を拒み私党したり両端の態度を取る者には速やかな処置が必要との見解を示す。丹後守へ早く伝えるが、主君は上京中なので自分たちから御請一通を差し出すとする。二月に大村丹後守家来の大村右近・稲田中衛が、直行・照正の判表示を伴って記す。主君への取次と家臣の回答、政治評価・忠誠の表明を分ける。

登場人物
大村丹後守(目録:大村純熈)、家来大村右近直行・稲田中衛照正、朝廷、命を拒む者・両端の者(回答の条件表現)
宛先
個別宛名不記(布告を伝えた側)
キーワード
二月大村丹後守家来大村右近直行判稲田中衛照正判布告拝見感佩王民王土君臣名分王家勤王天朝多難忠誠東賊潰走近畿穏静首國両端私党処置論丹後守上京家来御請壹通
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w4:108系図・上原丹後守流旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

上原丹後守流系図

上世不詳とする上原丹後守を祖とし、丹後守が日新公に仕えたのち中書家久に臣従し、日州佐土原で二百五十石を与えられたことから始まる上原氏系図。長野下総守の長男で上原家に入った佐太右衛門は慶長五年九月十五日の関ヶ原合戦で二十五歳で戦死し、法名を節義玄忠禅定門とする。尚辰は島津豊久に従って戦い、豊久戦死後に本城へ移り、寛永十五年正月十三日にわずか三人で米津へ至り、二月二十八日の島原で軍功を立てたと記す。後裔には傳左衛門尚堯、薬丸如水門下で示現流に関わり貞享五年六月十二日に能学寺で自殺した佐太右衛門尉、仁禮仁左衛門景治の二男である尚照らを掲げ、奉公・知行・戦死・養子の由緒を伝える。

登場人物
上原丹後守、島津忠良(日新公)、島津家久(中書家久)、長野下総守、上原佐太右衛門、上原尚辰、島津豊久、上原尚堯、上原傳左衛門、上原佐太右衛門尉、薬丸如水、上原尚照、仁禮仁左衛門景治
宛先
—
キーワード
上原丹後守流系図、上世不詳、上原丹後守、日新公、島津忠良、中書家久、島津家久、日州佐土原、二百五十石、長野下総守長男、佐太右衛門、慶長五年、関ヶ原、二十五歳、節義玄忠禅定門、尚辰、島津豊久、本城、寛永十五年、三人、米津、島原、軍功、尚堯、傳左衛門、薬丸如水、示現流、貞享五年、能学寺、自殺、知心宗覚居士、尚照、仁禮仁左衛門景治、系図
後編1-No.2記事確認度 高

島津貴久譜

島津貴久が嫡男義久、弟忠将、子の歳久・家久を率いて北村を攻めた際、敵の伏兵に遭って歳久が負傷。翌日、北原氏の軍勢が溝辺に出たため大隅衆が迎撃し、鉄砲で敵六人を射殺、太刀で一人を討ち取った。

登場人物
島津貴久、島津義久、島津歳久、島津忠将、弟子丸播磨守、指宿丹後守、敷根源八兵衛、福崎次郎三郎、濱田後藤兵衛、春山太郎三郎、名越、池井
宛先
—
キーワード
島津貴久、島津義久、島津忠将、島津歳久、島津家久、北村、伏兵、負傷、北原氏、溝辺、大隅衆、鉄砲、射殺、討取
後編1-No.8記録確認度 高

箕輪伊賀覚書

島津貴久勢が北村で北原氏の偽装退却と伏兵に遭い包囲される。指宿右馬允と竹若丸が殿を務めて戦死し、弟子丸らも討死する一方、北原忠辰が追撃勢を攻め、貴久は退却した。翌日、北原勢が加治木・溝辺へ進出すると大隅衆が迎撃し、敵およそ二十人を討ち取る・生け捕るなどしたが、味方の足軽にも戦死者が出た。

登場人物
島津貴久、島津義久、島津忠辰、島津忠将、蒲生勢、祁答院勢、弟子丸播磨守、指宿丹後守
宛先
—
キーワード
島津貴久、北原氏、北村、偽装退却、伏兵、包囲、指宿右馬允、竹若丸、殿軍、戦死、弟子丸、北原忠辰、加治木、溝辺、大隅衆、討取、生捕
後編1-No.18文書確認度 高

町田氏庶流系図

町田氏庶流の系図記事。町田三郎五郎が弘治元年四月朔日、隅州帖佐岩剣城の戦いで十九歳にして戦死したこと、兄の死後に新左衛門忠継が家を継ぎ、永禄十年の馬越城合戦で二十九歳にして戦死したことを記す。

登場人物
町田三郎五郎、町田新左衛門忠継、丹後守久吉
宛先
—
キーワード
町田氏、庶流系図、町田三郎五郎、帖佐岩剣城、弘治元年四月朔日、十九歳、町田新左衛門忠継、家督相続、馬越城、永禄十年、二十九歳、戦死
後編1-No.95文書確認度 高

飯野剣大明神本仏裏書

日向国真幸院飯野村の剣大明神の由来を記す。不動明王を本地として精舎・拝殿を建立し、毎年十一月二十二日に祭礼を行い、月三回の市を開いたこと、北原氏民部少輔の武運・家門繁栄・領内安全を祈る。

登場人物
北原氏民部少輔、飯野剣大明神、川野丹後守
宛先
飯野剣大明神
キーワード
飯野剣大明神、本仏裏書、真幸院、北原氏、不動明王、祭礼、市、武運、領内安全
後編1-No.428記事確認度 高

島津忠長譜

永禄十一年二月二十八日、島津忠長と肝付兼寛が馬越城から市山城へ赴き、新納忠元と大口城攻略を相談した後、小苗代原で敵の偵察兵と遭遇した経過を記す。忠元・兼寛・忠長らが応戦し、新納久継が負傷、面高真連坊が鉄砲で敵将を倒した。忠元は白坂で戦って左脇を刺されたが城へ退き、城壁を越えようとした敵三人を守兵が討って退散させた。

登場人物
島津忠長、肝付兼寛、新納忠元、新納久継、鎌田政年、面高真連坊、田実右京亮、竹添丹後守ほか
宛先
—
キーワード
島津忠長譜、永禄十一年、小苗代原、島津忠長、肝付兼寛、新納忠元、大口城、市山城、鉄砲、負傷、白坂、防戦
後編1-No.623記録確認度 中

木崎原合戦頚注文

元亀三年五月四日の木崎原合戦で島津方が得た伊東方の首級を、所属地・身分・被官数とともに列記する注文。大将・伊東一族、落合・長倉・米良・別府・柚木崎ら各地の武士を挙げ、確定できた首級を二百九十六、ほかに切り捨てた者は不明と記す。後世の参照用に重複を承知で旧記の人名を写したとの注記がある。

登場人物
伊東新次郎、伊東加賀守、伊東源四郎、伊東杢右衛門、落合源左衛門、長倉氏、米良氏、別府氏、柚木崎丹後守
宛先
木崎原
キーワード
木崎原合戦頚注文、元亀三年、伊東氏、落合氏、長倉氏、米良氏、首級、被官、二百九十六人、戦死者名簿
後編1-No.767文書確認度 中

飯野剣大明神十一一回阿弥陀本仏裏書

飯野剣大明神の十一面阿弥陀・薬師尊像を新造した際の裏書で、大檀那藤原朝臣忠平(島津義弘)夫妻の息災延命、子孫繁昌、院内安全、諸人快楽を祈る。本文年紀は天正二年閏十一月二十二日と読める。

登場人物
島津義弘、藤原忠智、丹後守
宛先
—
キーワード
飯野剣大明神、十一面阿弥陀、薬師尊像、島津義弘、藤原忠智、造像、息災延命、閏十一月、年月日表記差
後編2-No.116記事確認度 中

新納忠元勲功記

天正十四年正月、新納忠元が家臣を率いて大口を発し、豊後方の野尻城・高城などへ攻め込んだ戦功を記す「忠元勲功記」。城兵を討ち、城主・人質を確保して諸城を押さえ、入田氏側の人質との交換や服属処理まで進めた。諸隊の配置、城攻め、降参者の扱い、戦後の知行・褒賞を連続して述べ、新納忠元の豊後侵攻における軍事・占領実務を詳しく伝える。

登場人物
新納忠元、村隼人忠正、園田丹後守、野尻城主、高城城主、入田氏、大友氏
宛先
記事
キーワード
新納忠元勲功記、新納忠元、大口、野尻城、高城、豊後、人質、入田氏、城攻め、占領、軍功
後編4-No.474文書確認度 高

小林家孝書状

慶長十三年六月四日、小林家孝が島津家久に、豊臣秀頼が疱瘡から全快して節句以後たびたび出御したこと、秀忠から全快祝いの使者と太刀・馬二疋・衣類・銀子・越前綿など多くの進物が届いたことを知らせた書状。

登場人物
小林家孝、島津家久、豊臣秀頼、徳川秀忠、有馬豊氏、津田丹後守
宛先
島津家久(羽柴陸奥守)
キーワード
小林家孝書状、島津家久、豊臣秀頼、疱瘡全快、徳川秀忠、全快祝、進物、太刀、馬、銀子、越前綿
後編5-No.535文書確認度 中

細川忠利書状

細川忠利が島津家久に、加藤忠広旧領への入国命令を受けて江戸を発つ予定、城の受取り・掃除・上使到着・国境警備等の手配を報じた。また加藤忠広が出羽庄内で酒井宮内大輔預け、その子豊後守が飛騨で金森出雲守預けとなったこと、幕府上使・目付衆の出立予定や肥後国内の引継ぎ要員を詳報した書状。

登場人物
細川忠利、島津家久、加藤忠広、加藤豊後守、酒井宮内大輔、金森出雲守、内藤左馬助、石川主殿助、稲葉丹後守、伊丹播磨守
宛先
松平大隅守殿(島津家久)
キーワード
細川忠利、島津家久、肥後入国、加藤忠広、肥後改易、城受取り、国境警備、出羽庄内、飛騨、酒井宮内大輔、金森出雲守、幕府上使、目付、引継ぎ
後編5-No.536文書確認度 中

某覚書

加藤忠広父子の改易・配謫と肥後引継ぎに関する覚書。加藤右馬頭の早打、忠広父子への処分申渡し、忠広の出羽庄内・豊後守の飛騨への移送、幕府上使・目付衆の江戸出立、熊本・八代等の城番や案内役の配置を列記し、細川忠利が署判して喜入摂津守・樺山美濃守へ送ったもの。

登場人物
細川忠利、喜入忠続、樺山美濃守、加藤忠広、加藤豊後守、内藤左馬助、石川主殿助、稲葉丹後守、伊丹播磨守、金森出雲守、酒井宮内大輔
宛先
喜入摂津守殿・樺山美濃守殿
キーワード
細川忠利、加藤忠広、肥後改易、出羽庄内、飛騨、幕府上使、目付衆、熊本、八代、城番、引継ぎ、早打
追録6-No.181-11達書旧記雑録暫定版確認度 高

幕府大目付廻状

大目付が二月十七日、松平右近将監から渡された書付の写二通を諸家の留守居へ送る。書付を承知し、遅滞なく順達した後、池田筑後守のもとへ返却するよう指示している。宛先は松平陸奥守、有馬中務大輔、伊達遠江守、真田伊豆守、鍋嶋摂津守、秋月山城守、大田原出雲守、毛利能登守、織田丹後守、堀田梅之丞の十家の留守居。

登場人物
松平右近将監、池田筑後守、松平陸奥守、有馬中務大輔、伊達遠江守、真田伊豆守、鍋嶋摂津守、秋月山城守、大田原出雲守、毛利能登守、織田丹後守、堀田梅之丞
宛先
松平陸奥守、有馬中務大輔、伊達遠江守、真田伊豆守、鍋嶋摂津守、秋月山城守、大田原出雲守、毛利能登守、織田丹後守、堀田梅之丞の留守居
キーワード
幕府大目付、書付写二通、諸家留守居、順達、返却、池田筑後守
追録6-No.181-40達書旧記雑録暫定版確認度 高

幕府大目付添廻状

大目付が三月二十六日、松平右近将監から渡された書付の写し二通を送り、その趣旨を承知して滞りなく順達するよう命じる。最後の受取人から池田筑後守方へ返却するよう指示する。宛先として松平陸奥守、有馬中務大輔、伊達遠江守、真田伊豆守、鍋島摂津守、秋月山城守、大田原出雲守、毛利能登守、織田丹後守、堀田梅之丞の十名を掲げる。朱書には、当日の朝に大目付池田筑後守から廻状と写し二通が届けられ、書付を有馬中務大輔へ順達して写しを差し出した旨を記す。

登場人物
大目付、池田筑後守、松平右近将監、松平陸奥守、有馬中務大輔、伊達遠江守、真田伊豆守、鍋島摂津守、秋月山城守、大田原出雲守、毛利能登守、織田丹後守、堀田梅之丞
宛先
松平陸奥守・有馬中務大輔・伊達遠江守・真田伊豆守・鍋島摂津守・秋月山城守・大田原出雲守・毛利能登守・織田丹後守・堀田梅之丞
キーワード
大目付、松平右近将監、書付写二通、添廻状、順達、末尾返却、池田筑後守、有馬中務大輔、十名宛、三月二十六日
追録6-No.181-60達書旧記雑録暫定版確認度 高

幕府大目付廻状

四月十三日付の大目付廻状。日光山御法会に伴う紅葉山御宮での法会日割を、十五日卯上刻、十六日午上刻、十七日寅上刻と示す。阿部伊予守から渡された書付の写し一通を送るので、順廻の最後の受取人から大井伊勢守方へ返すよう指示する。宛先は御名の家と有馬中務大輔、真田伊豆守、秋月山城守、毛利能登守、堀田梅之丞、松平陸奥守、伊達遠江守、鍋島摂津守、大田原出雲守、織田丹後守の留守居。朱書には、今朝大井伊勢守から借り受けたため、本書を有馬中務大輔方へ順達し、写しを差し上げたと記す。法会の時刻通知、写しの送付・返却指示と、朱書による受領・本書順達・写上の記録を分けて示す。

登場人物
大目付、阿部伊予守、大井伊勢守、有馬中務大輔、真田伊豆守、秋月山城守、毛利能登守、堀田梅之丞、松平陸奥守、伊達遠江守、鍋島摂津守、大田原出雲守、織田丹後守
宛先
御名の家および有馬中務大輔・真田伊豆守・秋月山城守・毛利能登守・堀田梅之丞・松平陸奥守・伊達遠江守・鍋島摂津守・大田原出雲守・織田丹後守の留守居
キーワード
日光山御法会、紅葉山御宮、法会日割、四月十五日卯上刻、十六日午上刻、十七日寅上刻、阿部伊予守、書付写一通、各家留守居、順廻、大井伊勢守方返却、朱書、有馬方順達、写上
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 393-1書状旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

書状

熊次を飛脚として相良丹後守へ送る。小松原・小湊・小浦・片浦で船を改めて出船させ、船数は別紙に記したと報告する。市来湊には今晩着く予定で、順風により船は明日阿久根へ着く見込み。市来では船に対して水手が不足するため、京田・帆之湊・小野原・亀之川から加子を追い立てる。天草の情勢や相談結果の詳報を求め、自身も出船するので阿久根・出水の状況と水手の飯米支給等を伝えるよう依頼する。

登場人物
熊次 相良丹後守
宛先
相良丹後守
キーワード
熊次飛脚 船数別紙 加子不足 情勢照会
後編6-No.159-2文書確認度 中

松平石見守・生駒壱岐守衆中切腹被仰付候衆書立

松平石見守・生駒壱岐守の家中で切腹を命じられた者を列挙した書立。伊木野伊織以下の家臣を、相馬大膳・仙石越前守・丹羽左京・真田伊豆・京極丹後守・松平出羽守・森内記らの預け先ごとに掲げ、切腹者のほか追放・仕置に関わる者も記している。張紙・墨書で『此名書ハ御譜中ナシ』との注記があり、本文135頁から136頁上段まで続く。

登場人物
松平石見守、生駒壱岐守、伊木野伊織、同名次左衛門、大原久左衛門、寺西仲左衛門、菅友伯、小川四郎左衛門、別所六左衛門、牛尾四郎左衛門、杉谷多左衛門、丸山忠兵衛、山元喜左衛門、田邊三郎右衛門、石丸六左衛門、小川二郎兵衛、小寺八郎右衛門、宇津孫右衛門、山脇久左衛門、三野四郎右衛門、生駒帯刀、生駒左門、上坂勘解由、森出雲、前野次太夫、石崎若狭、下嶋市兵衛、新庄右近、相馬大膳、仙石越前守、丹羽左京、真田伊豆、京極丹後守、松平出羽守、森内記、青山大蔵允、井上筑後守、柳丹後守、能勢四郎右衛門尉
宛先
—
キーワード
松平石見守、生駒壱岐守、家中衆、切腹、書立、預け先、相馬大膳、仙石越前守、丹羽左京、真田伊豆、京極丹後守、松平出羽守、森内記、追放、仕置衆、張紙、墨書、御譜中ニ無之
追録2-No.970記事旧記雑録暫定版確認度 中

島津綱貴御馬拝領記事

元禄十四年四月十二日、上使稲葉丹後守義雅が綱貴へ上意を伝え、恩賜も例年のとおりであった。その後、綱貴は登営して謝礼し、馬一匹を賜ったと記す記事。

登場人物
綱貴、稲葉丹後守義雅(原文。別972の正往へ統一しない)
宛先
—
キーワード
綱貴、稲葉丹後守義雅、原諱異同、四月十二日、上使、上意、例年恩賜、登営、奉謝、馬一匹、拝領
追録2-No.972書状旧記雑録暫定版確認度 中

稲葉正往書状

稲葉丹後守(正往傍注)が松平薩摩守へ、家来の嶋津中務を翌十五日五時に城へ差し出すよう命じた書状。

登場人物
稲葉正往(稲葉丹後守)
宛先
島津綱貴(松平薩摩守)
キーワード
稲葉丹後守、正往傍注、松平薩摩守、嶋津中務、明十五日五時、登城、差出命令
追録2-No.1050連署奉書旧記雑録暫定版確認度 中

稲葉正通ほか四名連署奉書

稲葉丹後守正通・秋元但馬守喬朝・小笠原佐渡守長重・土屋相模守政直・阿部豊後守正武の五名が松平薩摩守へ、八朔祝儀として使者により献上された太刀一腰・馬代黄金十両を首尾よく披露したと報告する。

登場人物
稲葉丹後守正通、秋元但馬守喬朝、小笠原佐渡守長重、土屋相模守政直、阿部豊後守正武
宛先
島津綱貴(松平薩摩守)
キーワード
稲葉丹後守正通、秋元喬朝、小笠原長重、土屋政直、阿部正武、松平薩摩守、八朔祝儀、使者、太刀一腰、馬代黄金十両、首尾能披露、五連署
追録2-No.1454連署状旧記雑録暫定版確認度 中

阿部正武外四名連署状

稲葉丹後守・秋元但馬守・小笠原佐渡守・土屋相模守・阿部豊後守の五名が松平修理大夫吉貴へ、明十五日五半時に登城し、参府の御礼を申し上げるよう命じる。五月十四日付。

登場人物
阿部正武(豊後守)・土屋政直(相模守)・小笠原長重(佐渡守)・秋元喬朝(但馬守)・稲葉正通(丹後守)
宛先
島津吉貴(松平修理大夫)
キーワード
稲葉丹後守、秋元但馬守、小笠原佐渡守、土屋相模守、阿部豊後守、松平修理大夫吉貴、五月十五日、五半時、登城、参府御礼、五月十四日
追録2-No.1455連署状旧記雑録暫定版確認度 中

土屋政直外三名連署状

稲葉丹後守・秋元但馬守・小笠原佐渡守・土屋相模守の四名が松平薩摩守綱貴へ、家来の嶋津助之丞(忠守と傍注)を、明二十八日五半時に登城させるよう命じる。五月二十七日付。

登場人物
土屋政直(相模守)・小笠原長重(佐渡守)・秋元喬朝(但馬守)・稲葉正通(丹後守)
宛先
島津綱貴(松平薩摩守)
キーワード
稲葉丹後守、秋元但馬守、小笠原佐渡守、土屋相模守、松平薩摩守綱貴、家来、嶋津助之丞忠守、五月二十八日、五半時、登城、五月二十七日
追録6-No.181-72書上旧記雑録暫定版確認度 高

日光山本坊への金品献納者名書

四月十七日、本坊で御太刀目録・金馬代を献納する者の名順を、侍従以上として書き付ける。松平加賀守・松平讃岐守・御名から、諸大名と隠居、喜連川金王丸・喜連川秀翁までを列記する。松平越前守には「服」、井伊掃部頭と松平右近将監には「於御宮献納」の注記がある。隠居については、松平空山を内蔵頭隠居、松平監物を左京大夫隠居、松平丹後守を信濃守隠居、松平杢頭を阿波守隠居、松平但馬守を安藝守隠居、宗式部大輔を対馬守隠居、酒井靈岳を修理大夫隠居と注記する。個別の服・御宮献納・隠居の注を名順とともに保持し、全員が同じ場所・条件で献納したと一括しない。

登場人物
松平加賀守、松平讃岐守、御名、松平越前守、井伊掃部頭、松平左京大夫、松平中務大輔、藤堂和泉守、松平弾正大弼、松平筑前守、松平相模守、松平左兵衛佐、松平信濃守、宗対馬守、佐竹右京大夫、松平内蔵頭、松平安藝守、松平佐渡守、松平光丸、松平右近将監、松平右京大夫、松平周防守、阿部伊豫守、阿部飛弾守、松平出羽守、松平陸奥守、松平肥後守、酒井雅楽頭、松平土佐守、有馬中務大輔、松平播磨守、上杉大炊頭、細川越中守、松平上総介、松平大膳大夫、伊達遠江守、松平阿波守、松平兵部大輔、酒井左衛門尉、秋元但馬守、井上大和守、本多伯耆守、松平空山、松平監物、松平丹後守、松平杢頭、松平但馬守、宗式部大輔、酒井靈岳、喜連川金王丸、喜連川秀翁
宛先
—
キーワード
松平加賀守、松平讃岐守、御名、松平越前守、井伊掃部頭、松平左京大夫、松平中務大輔、藤堂和泉守、松平弾正大弼、松平筑前守、松平相模守、松平左兵衛佐、松平信濃守、宗対馬守、佐竹右京大夫、松平内蔵頭、松平安藝守、松平佐渡守、松平光丸、松平右近将監、松平右京大夫、松平周防守、阿部伊豫守、阿部飛弾守、松平出羽守、松平陸奥守、松平肥後守、酒井雅楽頭、松平土佐守、有馬中務大輔、松平播磨守、上杉大炊頭、細川越中守、松平上総介、松平大膳大夫、伊達遠江守、松平阿波守、松平兵部大輔、酒井左衛門尉、秋元但馬守、井上大和守、本多伯耆守、松平空山、松平監物、松平丹後守、松平杢頭、松平但馬守、宗式部大輔、酒井靈岳、喜連川金王丸、喜連川秀翁、御太刀目録・金馬代献納者の名順と服・隠居の注記
追録7-No.無番号_0014願書旧記雑録暫定版確認度 高

家主吉兵衛願書(目録345の6)

麻布山谷町吉兵衛店の浪人鈴木清七方の願いを、妻ぎんが申し立て、家主吉兵衛が添印した願書。実の娘かよが当年22才であり、書院御番頭長谷川丹後守組の佐野善次郎を当宿として御屋敷奥へ奉公に出したが、以後の安否が分からないと訴える。善次郎へたびたび取次を頼んでも便りがなく、役人衆を通じてかよの安否を知りたいとする。御屋敷へ直接訴え、娘と面談し、差し置かれた次第を聞くよう慈悲を願う。寛政4年壬子10月20日、鈴木清七願付代として妻ぎんの願人記載、家主吉兵衛印、松平豊後守方役人衆宛。これはぎん側の願いで、娘の実父・身分をここで確定した裁定ではない。

登場人物
鈴木清七妻ぎん、嘉代(かよ、当年22才)、鈴木清七、家主吉兵衛、佐野善次郎、長谷川丹後守(御書院御番頭)、松平豊後守家役人
宛先
松平豊後守様 御役人御衆中様
キーワード
鈴木清七妻ぎん、実娘かよ22才申立て、家主吉兵衛添印、麻布山谷町、佐野善次郎当宿、長谷川丹後守組、御屋敷奥奉公、安否不明、取次不通、面会願、慈悲願
追録7-No.2542詩歌旧記雑録暫定版確認度 高

九鬼隆徳寿歌

丹後守藤原隆徳が島津重豪へ贈った和歌。「春日詠老祝」の題を置き、うららかに霞む野辺に咲く花にも、さらに百年を重ねて君の行く末が栄えることを願う。作者署名は藤原隆徳で、朱注が九鬼と補う。正文所在は前掲作品と同じことを「全上」で示す。天保三年の米寿祝賀作品群に属し、作品に具体的な月日はない。

登場人物
九鬼丹後守藤原隆徳、島津重豪
宛先
島津重豪(祝賀対象)
キーワード
九鬼隆徳、藤原隆徳、丹後守、島津重豪、春日詠老祝、野辺の花、百年、長寿、寿歌