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旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w4:108系図・上原丹後守流旧記雑録拾遺暫定版・確認中

上原丹後守流系図

慶長5年9月15日、寛永15年1月13日・2月28日、貞享5年6月12日ほか/原整理番号 108

確認度高
この文書は暫定版です

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概要

上世不詳とする上原丹後守を祖とし、丹後守が日新公に仕えたのち中書家久に臣従し、日州佐土原で二百五十石を与えられたことから始まる上原氏系図。長野下総守の長男で上原家に入った佐太右衛門は慶長五年九月十五日の関ヶ原合戦で二十五歳で戦死し、法名を節義玄忠禅定門とする。尚辰は島津豊久に従って戦い、豊久戦死後に本城へ移り、寛永十五年正月十三日にわずか三人で米津へ至り、二月二十八日の島原で軍功を立てたと記す。後裔には傳左衛門尚堯、薬丸如水門下で示現流に関わり貞享五年六月十二日に能学寺で自殺した佐太右衛門尉、仁禮仁左衛門景治の二男である尚照らを掲げ、奉公・知行・戦死・養子の由緒を伝える。

登場人物

上原丹後守、島津忠良(日新公)、島津家久(中書家久)、長野下総守、上原佐太右衛門、上原尚辰、島津豊久、上原尚堯、上原傳左衛門、上原佐太右衛門尉、薬丸如水、上原尚照、仁禮仁左衛門景治

宛先

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キーワード

上原丹後守流系図、上世不詳、上原丹後守、日新公、島津忠良、中書家久、島津家久、日州佐土原、二百五十石、長野下総守長男、佐太右衛門、慶長五年、関ヶ原、二十五歳、節義玄忠禅定門、尚辰、島津豊久、本城、寛永十五年、三人、米津、島原、軍功、尚堯、傳左衛門、薬丸如水、示現流、貞享五年、能学寺、自殺、知心宗覚居士、尚照、仁禮仁左衛門景治、系図

冊子頁

277~278頁

読込量

中

面白さ

★★★★☆

原文を確認

(2)217~382頁(諸家系図4~5).pdf