SEARCH THE ARCHIVE

文書を探す

『旧記雑録』前編・後編・附録10冊と追録1~8(暫定版)、『旧記雑録拾遺 伊地知季安著作史料集1~9』『家わけ1』(暫定版)、関連史料(外伝)『島津世禄記』の46,754件を横断検索できます。検索範囲は史料群・巻を組み合わせて選べます。結果は50件ずつ表示します。

検索範囲
すべての文書
読込量の目安
小
数行~半頁未満。短い書状、感状、証状、記事、本文省略や同文注記のみ。
中
半頁~1頁程度。一つの用件をある程度詳しく記すもの、複数項目を含む目録・交名。
大
1頁を超え3頁未満。複数の用件・事件・人物・地名を含む長文書、詳細な譜記事・合戦記録・日記・知行帳。
特大
冊子頁3頁以上。長大な日記・軍記・系図・知行帳・軍役帳。

44 件 (全巻)/ 1–44件を表示

ページ 1 / 1

後編5-No.563文書確認度 中

新納忠清・最上義時連署条書

新納忠清・最上義時が、琉球から唐へ渡る進貢船・冠船等の運用について定めた連署条書。御借銀返済、船数と往復時期、船主・勘使の選定、銀子・荷物・糸の管理、漂着・破船時の処置、唐への渡航者の統制などを詳細に指示した。

登場人物
新納忠清、最上義時、喜入忠続、川上久国、琉球関係者、唐船関係者
宛先
喜入摂津守様・川上左近将監様
キーワード
新納忠清、最上義時、喜入忠続、川上久国、琉球、唐、進貢船、冠船、御借銀、勘使、銀子、荷物、生糸、漂着、破船、渡航統制
附録1-No.501文書確認度 高

北条義時書状

北条義時が島津左衛門尉に、富山刑部丞の幼い子息を母に付き添わせて上洛させるよう命じた書状。母子をともに上洛させることを重ねて執達している。

登場人物
北条義時、富山刑部丞の子息・母
宛先
島津左衛門尉殿
キーワード
北条義時、島津左衛門尉、富山刑部丞、子息、母、上洛、執達、鎌倉幕府
後編5-No.459記事確認度 中

島津家久譜

寛永八年十月二十八日、翌春に明国王の冊封使が琉球へ渡来するとの知らせを受け、島津家久が必要な用務のため新納忠清と最上義時を琉球へ派遣したことを記す家久譜の記事。

登場人物
島津家久、中山王、新納忠清、最上義時
宛先
中山王
キーワード
島津家久、中山王、琉球、明国、冊封使、冠船、新納忠清、最上義時、派遣
後編5-No.460文書確認度 中

島津家久書状

島津家久が、翌春に明国王の冠船が来航すると聞き、必要な用務を命じた新納加賀守忠清・最上土佐守義時を派遣するので十分に相談するよう求め、口上と贈物を託した書状。

登場人物
島津家久、中山王、新納忠清、最上義時
宛先
中山王
キーワード
島津家久、中山王、琉球、明国、冠船、冊封使、新納忠清、最上義時、贈物
後編5-No.469文書確認度 低

伊勢貞昌書状

伊勢貞昌が、比志島宮内国隆の処罰を受けて断絶した比志島家について、比志島紀伊国真と鎌田出雲政近が伊集院忠棟事件や関ヶ原後の国難で尽力した忠節を詳述し、国隆の子を退けて忠節の系統から後継者を立てるよう進言した長文書状。

登場人物
伊勢貞昌、比志島国隆、比志島国真、鎌田政近、比志島義時ほか
宛先
仁礼蔵人
キーワード
伊勢貞昌、比志島国隆、比志島国真、鎌田政近、比志島義時、伊集院忠棟、関ヶ原、家督再興、忠節
後編5-No.564文書確認度 中

島津久元・伊勢貞昌連署書状

島津久元・伊勢貞昌が、琉球の冠船参候に伴う黄門様の座席・贈答、琉球銀子の取扱い、種子島殿への知行加増と軍役、茶入・藤堂殿関係の品、種子島への蔵入四千斛の処置などを指示した連署書状。

登場人物
島津久元、伊勢貞昌、新納忠清、最上義時、喜入忠続、川上久国、黄門様、種子島殿
宛先
新納加賀守殿・最上土佐守殿・喜入摂津守殿・川上左近将監殿
キーワード
島津久元、伊勢貞昌、新納忠清、最上義時、喜入忠続、川上久国、琉球、冠船、黄門様、銀子、種子島、知行加増、軍役、茶入、蔵入四千斛
前編1-No.254文書確認度 中

北条義時書状

北条義時が島津忠久へ、薩摩郡内山田村本領主大蔵氏の訴えを折紙で伝え、相伝所領に対する押領を停止し、早く道理に任せて処置するよう命じた書状。

登場人物
北条義時・島津忠久
宛先
鎌倉・薩摩国
キーワード
北条義時、島津忠久、薩摩郡、山田村、本領主、大蔵氏、相伝所領、押領停止
前編1-No.278文書確認度 中

北条義時書状

北条義時が三郎兵衛尉に宛てた書状。三郎兵衛尉が武蔵守とともに上京するとの報告を了承し、その働きを神妙であると評価する。

登場人物
北条義時・三郎兵衛尉
宛先
京都・鎌倉
キーワード
北条義時書状、三郎兵衛尉、武蔵守、上京、神妙、承久三年
後編5-No.462文書確認度 高

島津家久書状

島津家久が、琉球滞在が長引く苦労を察し、翌春の明国王の冠船来航に備えるため二人の使者を派遣したので、趣旨に沿って相談するよう命じた書状。

登場人物
島津家久、川上又左衛門尉、中山王、新納忠清、最上義時
宛先
川上又左衛門尉
キーワード
島津家久、川上又左衛門尉、琉球、冠船、冊封使、使者、協議
後編5-No.560文書確認度 中

喜入忠続条書

喜入忠続が琉球三司官へ示した条書。家久の江戸在府と将軍家での首尾、前年に新納・最上を介して行った唐交易交渉、借銀返済のための銀子送付、返済不調時の知行召上げ、冠船渡海、鹿二十頭の送付、加藤忠広父子の改易・流罪を伝えた。

登場人物
喜入忠続、島津家久、将軍、琉球三司官、新納忠清、最上義時、加藤忠広父子
宛先
琉球三司官
キーワード
喜入忠続、琉球三司官、島津家久、江戸、将軍、唐交易、借銀返済、知行召上げ、冠船、鹿二十頭、加藤忠広、改易、流罪
旧記雑録拾遺 家わけ1-管理ID TMP-P02-CONT-A17系譜導入記事旧記雑録拾遺暫定版確認度 –

管理表題:有北條陸奥守義時…二通記左

北條陸奥守義時袖判の書二通があり、左に記すと紹介する。

登場人物
北條陸奥守義時
宛先
—
キーワード
袖判
旧記雑録拾遺 家わけ1-管理ID TMP-P02-CONT-R07重出/省略参照旧記雑録拾遺暫定版確認度 –

現行表題(出所留保):北條義時袖加判散位藤原某奉書

北條義時の袖判を加えた散位藤原某の奉書として掲げる省略参照である。 本文は七号文書と同文とする。 当該切片には奉書本文・年月日・宛所を収録しない。 七号文書との同文を掲げるが、参照先の内容一致は未確認である。

登場人物
北條義時、散位藤原某
宛先
—
キーワード
同文、省略、袖判、奉書
前編1-No.240文書確認度 高

関東御教書

北条義時が島津忠久へ、薩摩国御家人らの訴えを受けて沙汰するよう命じた関東御教書。御家人の対捍・役負担をただし、鎌倉殿の下知に従って国内の争いを処理するよう求める。

登場人物
北条義時・島津忠久
宛先
薩摩国
キーワード
関東御教書、北条義時、島津忠久、薩摩国、御家人
前編1-No.242記事確認度 高

西藩野史

『西藩野史』の記事。承元・建保年間の和田義盛の挙兵と敗死を叙し、島津忠久が幕府方として戦功を挙げた経過を記す。義盛一族の蜂起、北条義時方との戦闘、討死者、忠久への甲斐国波加利新庄の恩賞、その後の忠久の奉公・上洛・薩摩への寺院建立伝承までをまとめる。

登場人物
島津忠久・和田義盛・北条義時
宛先
鎌倉・薩摩国
キーワード
西藩野史、和田義盛、島津忠久、北条義時、和田合戦、波加利新庄、恩賞、上洛、寺院建立
前編1-No.258記事確認度 高

島津国史

『島津国史』の記事。承久元年前後の朝廷・鎌倉の動向を記し、北条義時の執権、藤原頼経の鎌倉下向、後鳥羽院方との緊張、島津忠久・忠季らの奉仕を年次で叙述する。

登場人物
島津忠久・北条義時・藤原頼経
宛先
鎌倉・京都
キーワード
島津国史、承久元年、北条義時、藤原頼経、後鳥羽院、島津忠久、島津忠季、鎌倉、朝廷
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w3:76-1系図・家歴旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

源家西俣氏系図

比志島元祖上総介重賢(入道法橋栄尊)の二男盛忠を祖とし、重賢から譲られた薩摩国満家院内西俣名主職を後裔が相伝した源家西俣氏の系図。久盛・義時の筑前笠崎異国番、義定への貞和四年道鑑公御書、義光への応永十八年久豊公御書など、名主職・所領・軍役を証する文書の伝来先も記す。義村に実子がなかったため蒲生彦太郎清冬の二男を猶子とし、その後に蒲生で永秀庵・観音院(泊瀬山長谷寺)を建立した由緒を載せる。天文二十三年、蒲生茂清が加治木城の肝付兼盛を攻めた際、蒲生氏の類族であった武蔵守盛家父子は岩剣城へ加勢し、池島ヶ原で敗れて同年十月二日に自害した。幼少の清房は母に匿われて菱刈へ逃れ、成長後は島津氏に奉公して諸軍役・大坂出陣に従い、島津家久から鎧一領を与えられ、のち家督を清昌へ譲って清敷地頭となった。後代には瀬口重明二男の盛友を清房妹の遺跡へ入れて西俣氏を称させたこと、孫太郎遺跡を姉が八、九年支配する間に家伝の証書・重物が散逸し、孫兵衛が島津光久から跡職を命じられて万治二年に清敷から鹿児島へ移ったため、所領・跡職だけが安堵されたことを記し、盛武以下の子女・婚姻まで続ける。

登場人物
比志島重賢(入道法橋栄尊)、盛忠、久盛(西念)、義時(初名義兼)、忠辰、義定、島津道鑑、井四郎頼仲、義光、島津久豊、義村、蒲生彦太郎清冬、盛時、盛通、盛昌、盛家、蒲生茂清、肝付三郎五郎兼盛、彦八郎、清房、島津家久、清昌、盛友、瀬口重明、盛盈、盛方、盛次、盛貞、盛順、盛清、永盛、守栄、盛寿、盛興、盛房、盛武、島津光久、鎌田太郎右衛門
宛先
—
キーワード
源家西俣氏系図、比志島重賢、入道法橋栄尊、盛忠、薩摩国満家院、西俣名主職、久盛、義時、筑前笠崎異国番、忠辰、義定、貞和四年、道鑑公御書、井四郎頼仲退治、義光、応永十八年、久豊公御書、義村、蒲生彦太郎清冬、猶子、永秀庵、観音院、泊瀬山長谷寺、天文二十三年、蒲生茂清、加治木城、肝付兼盛、盛家、岩剣城、池島ヶ原、自害、清房、菱刈、島津家久、鎧一領、大坂出陣、清敷地頭、清昌、盛友、瀬口重明、西俣氏称、家伝文書散逸、島津光久、跡職、万治二年、鹿児島移住、所領安堵、盛武
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w5:132文書・下知状/羽島浦・牟木浦相論旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

関東下知状

貞応二年四月、前陸奥守北条義時が、肥後国住人西山九郎の娘紀氏の夫・相良兵衛尉長継と薩摩太郎忠友との相論三箇条を裁決した関東下知状。羽島浦は、忠友が寿永二年に紀氏の祖母大蔵氏尼から譲られ、その後三十余年知行した実績により忠友の領知を認める。牟木浦は、承久二年七月の寺家下文・正宮公文所施行状等に基づき忠友を名主職とし、狼籍については国司の沙汰で既に成敗済みとして再審を要しないとした。勘状正文は筑後介秀朝の許で紛失したため案文により成敗し、義時が判を据える。

登場人物
北条義時(前陸奥守)、相良兵衛尉長継、西山九郎、紀氏、薩摩太郎忠友、大蔵氏尼、筑後介秀朝、国司
宛先
相良兵衛尉長継・薩摩太郎忠友(相論当事者)
キーワード
関東下知状、貞応二年四月、北条義時、前陸奥守、相良兵衛尉長継、西山九郎、紀氏、薩摩太郎忠友、羽島浦、牟木浦、相論、寿永二年、大蔵氏尼、譲状、三十余年知行、承久二年七月、寺家下文、正宮公文所施行、名主職、狼籍、国司成敗、筑後介秀朝、勘状正文紛失、案文裁決
前編2-No.925文書確認度 高

島津久豊書状

島津久豊が比志島左京義時に、伊集院方が前非を悔いて同心したことを伝え、従来の申談どおり関係を変えず、伊集院方の先知行についても疑念を抱かないよう保証した書状。

登場人物
島津久豊(花押)、伊集院方
宛先
比志島左京義時
キーワード
島津久豊、比志島左京義時、伊集院方、書状、前非、同心、申談、先知行、神誓、使者
追録1-No.1864記事旧記雑録暫定版確認度 中

島津光久帰国記事

島津光久が貞享元年四月に帰国許可を受け、五月に江戸を発ち、大坂から海路を経て六月に鹿児島へ帰城した行程と、随行者・使者への拝領品を記す記事。

登場人物
島津光久、島津久竹、肝付久兼、比志島義時、新納久仲ほか
宛先
—
キーワード
島津光久、島津久竹、肝付久兼、比志島義時、新納久仲、帰国、江戸、大坂、鹿児島、拝領品、貞享元年
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w4:115系図・家伝/合戦・史料成立注記旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

富山系図

神代を略し、藤原鎌足・淡海公から武智麻呂・房前へ分かれる系線のうち、房前・真楯・内麿以下を富山氏へつなぐ系図。義良・義行・義秀・義忠・義兼・義時・義光・義任らから多数の支流を派生させ、伊勢守・土佐助・玄蕃頭・左近将監・藤左衛門尉などの官途、法名、出生・婚姻を記す。義光は五郎太夫、号福殿と称し、寿永二年六月一日に北陸道篠原合戦で討死したとする。また義孝は外記助から法印有受となり正応寺住持を務めた。末尾の貼紙は、この系譜を百年内外のものと見て法印有受の書写かと問い、義般以下では文字がすべて異なると指摘しており、系図本文の成立時期と筆跡差を検討した注記である。

登場人物
藤原鎌足、淡海公、藤原武智麻呂、藤原房前、藤原真楯、藤原内麿、藤原冬嗣、藤原真夏、藤原浜雄、藤原家宗、義良、義行、義秀、義忠、義兼、義時、義光、義任、義明、義元、義晴、義胤、義統、義成、義方、実義、義助、義定、義安、義賢、義貞、義孝、法印有受、義延、義般、義隆、義知
宛先
—
キーワード
富山系図、藤原氏、藤原鎌足、淡海公、藤原武智麻呂、藤原房前、藤原真楯、藤原内麿、藤原冬嗣、富山氏、義光、五郎太夫、福殿、寿永二年、北陸道篠原合戦、討死、伊勢守、土佐助、玄蕃頭、左近将監、藤左衛門尉、義孝、法印有受、正応寺住持、義般、貼紙、百年内外、筆跡差、系図成立
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w7:26系図・建部姓田代氏旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

建部姓田代氏正統系譜

桓武天皇―葛原親王―高見親王―高望親王から平氏諸流を展開し、良望・良将・良兼・良繁・良文の系、忠頼・将常以下の各地の祖、北条四郎大夫時家から時綱・時兼・時政・義時・泰時・時氏らへ続く北条系、惟衡―正度―正衡―正盛以下の伊勢平氏系を並記した系図。忠盛には三十三間堂建立、清盛には太政大臣・厳島再興、維盛には新三位中将、資盛・師盛・清度らには位官を注記する。田代氏の直接の系統では、時盛が伊豆守として当国へ下向し、野上田伊予坊を引いて知行し、源氏から平姓へ改めて建部氏を号したとする。光盛―秀盛―久季の久季は上洛して宇治川で討死し、佐多家が断絶して守護領となったと記し、時盛―実盛―国盛以下から道清・以久・清久・久助へ至る。以久は法光寺を建立し、氏久から良院・鹿屋内高隈村の宛行文書を受けたとし、清久には串良知行などの文書、久助には『三ヶ国の大将軍として探題へ参上』との注記を添える。

登場人物
桓武天皇、葛原親王、高見親王、高望親王、良望、良将、良兼、良繁、良文、忠頼、将常、頼尊、良盛、惟時、時家、義時、泰時、時氏、時房、経時、時頼、清盛、教盛、忠盛、惟衡、正度、正衡、正盛、頼盛、経盛、忠度、重盛、宗盛、知盛、基盛、重衡、維盛、資盛、時盛、光盛、秀盛、久季、兼盛、存盛、明盛、祐盛、家盛、実盛、国盛、成盛、道清、以久、清久、久助
宛先
—
キーワード
建部姓田代氏正統系譜、桓武平氏、葛原親王、高望王、鎮守府将軍、北条氏、伊勢平氏、三十三間堂建立、厳島再興、清盛、忠盛、時盛、当国下向、野上田伊予坊、平姓、建部氏、宇治川討死、佐多家断絶、守護領、田代氏、法光寺建立、良院、鹿屋、高隈村、宛行文書、串良知行、探題
旧記雑録拾遺 家わけ1-管理ID KW1-G000003無番号系譜記事/相論説明・文書導入旧記雑録拾遺暫定版確認度 –

管理表題:曾木太郎重能との南俣院地頭職争い(管理標題)

大隅國菱刈住人曾木太郎重能が南俣院を押領しようとして関東へ訴えたと記す。 清重は頼家卿から得た御下文を携え、建永元年春に鎌倉へ参向したと述べる。 問注所での清重の行為を「陳謝重能之濫訴」と記し、清重が元のとおり南俣院を領知することになったと述べる(「濫訴」は記事の評価、「陳謝」の訳語は要再精読)。 同年二月二十九日付で北条義時から簡牘を得たとし、それを左に備えるとの導入記事。

登場人物
曾木太郎重能、清重、頼家卿、北条相模守義時
宛先
—
キーワード
南俣院、押領(史料上の記載語・事実認定未確認)、相論、鎌倉、問注所、簡牘
旧記雑録拾遺 家わけ1-管理ID KW1-G000004無番号系譜記事/複数文書導入旧記雑録拾遺暫定版確認度 –

管理表題:清忠の譲受と南俣院地頭職裁許(管理標題)

清忠譜中の記事で、父清重の譲りを受け、建保五年八月二十二日の将軍家政所下文で南俣院地頭職に補任されたと記す。 曾木太郎重能が再び地頭職をめぐり鎌倉へ訴え、清忠と重能が問注所で決断を受けたと述べる。 清忠の領有を元のとおり認める旨の北条義時袖判下文を同年九月二十六日付として記す。 同年十月・十一月の留主所下文も含め左に備えるとの記事であり、各引用文書本文はこの記事内にはない。

登場人物
清忠、清重、曾木太郎重能、北条相模守義時
宛先
—
キーワード
清忠譜、政所下文、問注所、袖判、留主所
旧記雑録拾遺 家わけ1-管理ID KW1-G000006無番号系譜・家譜記事/導入記事旧記雑録拾遺暫定版確認度 –

管理表題:清綱譜記事:○貞應元年壬午八月…

後掲の証書群を案内する清綱譜の無番号記事。 貞應元年壬午八月の守護所下文と、同三年甲申四月十四日の証書を列挙する。 同年五月一日の北條陸奥守義時下知状、五月二十六日の北條武藏守泰時・同相模守時房の施行状、六月の寺家公文所下文等を挙げる。 これらの証書が後に備わると結ぶ。

登場人物
北條陸奥守義時、北條武藏守泰時、同相模守時房
宛先
—
キーワード
清綱譜、守護所下文、下知状、施行状、寺家公文所
旧記雑録拾遺 家わけ1-管理ID TMP-P02-LOCAL-A06系譜導入記事旧記雑録拾遺暫定版確認度 –

管理表題:5号省略参照への導入(管理標題)

北條相模守義時の書があり、以下に記すという紹介記事。

登場人物
北條相模守義時
宛先
—
キーワード
系譜導入
旧記雑録拾遺 家わけ1-管理ID TMP-P02-CONT-A09無番号系譜記事旧記雑録拾遺暫定版確認度 –

現行表題(出所留保):清忠

清忠を次郎・右近大輔、法名沙弥淨光とする系譜記事である。 厳親清重法師行西の死去後、菱刈重能が祢寝院内南俣地頭職を訴えたことを記す。 鎌倉で清忠と重能を尋問し、清忠の領掌について政所下文と北條相模守義時の袖判に言及する。 続いて当該地頭職を沙汰すべき旨の在判書に触れ、「記左」と証書を導入するが、その参照本文は別件である。

登場人物
清忠、次郎、右近大輔、沙弥淨光、清重法師行西、菱刈重能、北條相模守義時
宛先
—
キーワード
系譜、地頭職、祢寝院内南俣、政所下文、袖判
旧記雑録拾遺 家わけ1-管理ID TMP-P02-CONT-A12系譜導入記事旧記雑録拾遺暫定版確認度 –

管理表題:二通を導入する共通記事

祢寢院南俣地頭職を父の譲状に任せて領掌できる旨と、北條陸奥守義時在判の書二通を左に記すと紹介する。

登場人物
北條陸奥守義時、父
宛先
—
キーワード
地頭職、譲状
旧記雑録拾遺 家わけ1-管理ID TMP-P02-CONT-A16系譜導入記事旧記雑録拾遺暫定版確認度 –

管理表題:兵部房圓運…記左

兵部房圓運が訴えたが南俣名主職を清綱に賜る旨に関わる、北條陸奥守義時袖判の書を左に記すと紹介する。

登場人物
兵部房圓運、清綱、北條陸奥守義時
宛先
—
キーワード
南俣名主職
旧記雑録拾遺 家わけ1-管理ID TMP-P03-NIKAIDO-A002無番号家譜記事旧記雑録拾遺暫定版確認度 –

管理表題:導入2(管理標題、原標題なし)

承久三年七月十二日、頼経卿が参河國重原荘の地頭職に補したと記す。 執権北條陸奥守義時の判を据えた御教書一通があると述べる。 正文は家蔵するという家譜の説明である。 左に記すとして二号文書を導入する。

登場人物
頼経卿、執権北條陸奥守義時
宛先
—
キーワード
承久三年、参河國重原荘、地頭職、御教書
旧記雑録拾遺 家わけ1-管理ID TMP-P03-NIKAIDO-A012無番号家譜導入記事旧記雑録拾遺暫定版確認度 –

管理表題:八導入記事12

将軍實朝公・頼嗣卿の御下文二通を挙げる。 執権北條陸奥守義時の姓名がある御教書一通を挙げる。 同左京権大夫政村・同相模守時宗連名の政所下文一通を挙げ、合計四通の古写と記す。 正文を家蔵すると述べ、左に備える。

登場人物
將軍實朝公(原表記・比定未確認)、頼嗣卿、北條陸奥守義時、左京権大夫政村、相模守時宗
宛先
—
キーワード
姓名有之御教書一通、都而古寫四通
前編1-No.311記事確認度 中

島津忠時譜

『島津忠時譜』所収の『東鑑』記事。承久四年二月六日、南庭で大追物が行われ、若君頼経が御覧になり、小山新左衛門尉朝長・島津三郎兵衛尉忠義らが射手を務めたことを記す。

登場人物
島津忠時・北条義時ほか
宛先
鎌倉・南庭
キーワード
島津忠時譜、東鑑、承久四年、南庭、大追物、小山朝長、島津忠義
前編1-No.315文書確認度 高

関東下知状

関東が越前国守護について、前年の御下文に従って島津忠久が奉行するよう命じた下知状。散位大中臣用房が判を据える。

登場人物
左衛門尉惟宗忠久・前陸奥守平義時
宛先
越前国
キーワード
関東下知状、島津忠久、越前国守護、前年御下文、奉行、大中臣用房
前編1-No.354記事確認度 中

島津国史

『島津国史』の記事。安貞二年七月二十三日、将軍頼経が駿河前司義村の田村山庄へ渡御し、島津忠時が後陣四十八人の一人として供奉したことを記す。頼経・忠時らの年齢と官職も注記する。

登場人物
島津忠時・道仏公・北条義時ほか
宛先
鎌倉・薩摩国
キーワード
島津国史、安貞二年、九条頼経、三浦義村、田村山庄、島津忠時、供奉
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w1:14-1系図旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

東鑑

二階堂維遠流のうち、行光から行次までを『吾妻鏡』の記事と家蔵文書の目録を交えてたどる長編系図。行光の将軍御成・鶴岡八幡宮供奉・上洛使節、元行の和田義盛の乱での戦功と相模国懐島殿原郷・三河国重原荘の地頭職、行氏・行景の所領相続と幕府下文を記す。泰行については蒙古襲来への警固命令を受け、忍照尼の判断と久明親王の許可により薩摩国阿多北方へ下向した経緯を掲げる。行雄・行仲は建武・観応期に足利尊氏方として軍功を挙げ、尊氏・直義・直冬らの御下文・感状を伝えたとする。後半は行貞の田布施城籠城と島津元久への降伏、市来・阿多への移住、行隆の田布施城奪回未遂、忠行の足利義政供奉、行次代の島津立久・忠昌関係文書までを収める。

登場人物
二階堂行光、二階堂行村、源実朝、二階堂元行、和田義盛、九条頼経、北条義時、二階堂行義、二階堂行有、二階堂行藤、二階堂行久、二階堂行氏、北条泰時、藤原頼嗣、二階堂行景、宗尊親王、北条時宗、北条政村、二階堂泰行、忍照尼、久明親王、北条貞時、北条宣時、二階堂行雄、守邦親王、北条高時、北条英時、足利尊氏、足利直義、足利直冬、島津貞久、二階堂行仲、島津師久、島津元久、伊作久義、二階堂行貞、島津伊久、二階堂行隆、二階堂忠行、足利義政、二階堂行次、島津立久、島津忠昌、伊地知重貞、本田兼親
宛先
—
キーワード
二階堂維遠流、吾妻鏡、二階堂行光、二階堂元行、和田義盛の乱、評定衆、地頭職、家蔵文書、蒙古襲来、忍照尼、二階堂泰行、阿多北方下向、建武・観応、足利尊氏、足利直義、足利直冬、田布施城、島津元久、二階堂行貞、二階堂行隆
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w3:75系図・家歴旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

西俣代々系図

清和天皇―貞純親王―源経基―満仲以下の清和源氏祖系から、頼光・頼信・頼義・義家らを経て西俣氏へ至る系図。祖先が島津忠久に頼まれて薩摩国満家院に住み、三子をもうけた後に信濃へ帰国し、子の重賢(入道栄尊)が母方の私領を知行したとする。重賢の母方は満家院郡司大蔵氏永平の娘菩薩房で、満家院郡司職は関東下文・京都宣旨・薩摩国守護文書によって相伝されたという。忠範は満家院惣郡司・比志島城主として宮崎警固番を勤め、時範は弘安四年の蒙古襲来時に一族を率いて壱岐島へ渡り防戦し、祐範も郡司職と文書を継承した。盛忠以下は西俣郷領主・西俣城主として続き、義範の建武三年宮方合戦討死と子範平への尊氏感状、義定・義光の軍功と島津貞久・久豊からの御書、義村の永享年中の合戦討死と島津貴久からの感状拝領を記す。

登場人物
清和天皇、貞純親王、源経基、源満仲、源頼光、源頼信、源頼義、源義家、源義親、源為義、源頼朝、島津忠久、源義賢、源義仲、源頼賢、村上頼重、重賢(入道栄尊)、大蔵永平、菩薩房、忠範、時範(哲阿)、祐範、盛忠、盛資、栄秀、栄慶、義範、範平、久盛、義時、忠辰、義定、義光、義村、大炊亮長久、島津貞久、島津久豊、島津貴久
宛先
—
キーワード
西俣代々系図、清和源氏、清和天皇、貞純親王、源経基、源満仲、源頼光、源頼信、源頼義、源義家、源為義、島津忠久、薩摩国満家院、信濃帰国、重賢、入道栄尊、母方私領、大蔵永平、菩薩房、満家院郡司職、関東下文、京都宣旨、薩摩国守護文書、忠範、満家院惣郡司、比志島城、宮崎警固番、時範、弘安四年、蒙古襲来、壱岐島防戦、祐範、西俣郷、西俣城、義範、建武三年、宮方合戦討死、範平、尊氏感状、義定、義光、軍功、貞久御書、久豊御書、義村、永享年中、貴久感状
旧記雑録拾遺 著作史料集9-文書ID W08_文書0007-2系図旧記雑録拾遺暫定版確認度 低

島津忠久系図

島津忠久の伝記を古系図・家伝と玉海・東鑑・山槐記・百練抄・寺社記録などで考証する。冒頭に廣言集の伏見行幸歌を挿入し、丹後局と惟宗廣言・比企氏の関係、忠久を高倉王の子とする説、住吉出生・狐火・三宮の呼称を検討する。以仁王の敗死後の出家と逃亡、頼朝挙兵と鎌倉入、法師房丸から忠久への元服・賜名、北陸宮と義仲、鵜丸・吹丸・鳩作・小十文字などの護剣を年代順に記す。島津庄の領家・庄官・下司・惣地頭・守護と弁済使の関係を、下文・家譜・税制や各地の所領に即して論じ、山門院・木群城への就封と随従者を挙げる。奥州征討の先鋒、軍紀と賜名、庄内訴訟と本地頭の所領回復、阿多・菱刈などの諸氏をたどり、家人・乳母・婚姻関係を整理する。頼朝の死、比企能員の変と守護職復帰、寺社造営、学僧、承久の戦死者、忠久の出家・死と丹後局の葬送までを記す。割注は年齢・出生年・元服年・官職名・異名・母方の食い違いを指摘し、古系図の皇統説と後代の記録を比較する。末尾には丹後局像の供養と願主を記した御像裏書の写しを添える。

登場人物
忠久(得佛公)、丹後局、惟宗廣言、惟宗基言、惟宗季能、忠季、忠康、忠經、忠綱、高倉王、北陸宮、後白河法皇、高倉天皇、以仁王、守覺法親王、隆曉、道性、道尊、眞性、永雲(永金)、比企尼、比企能員、源頼朝、政子、北條時政、義時、頼家、実朝、木曾義仲、義高、源義經、範頼、頼政、日胤、平清盛、重衡、畠山重忠、河越重頼、安達盛長、藤内元光、小城重通、伊豆藤内遠景、本田真親、千葉常胤、紀清遠、阿多宣澄(重澄)、鮫島宗家、八代章光、栄妙、正蘇、時定、近衛基通、基實、大江廣元、季基、良宗、相良頼景、菱刈重妙、大友能直、明恵、厚智、榮西、道聖、聖榮、眞頼
宛先
—
キーワード
島津忠久系図、皇統説、丹後局、惟宗廣言、住吉出生、元服と賜名、護剣、島津庄、下司と惣地頭、守護と弁済使、就封、奥州征討、家人と乳母、寺社造営、御像裏書、年代考証
旧記雑録拾遺 家わけ1-管理ID TMP-P02-LOCAL-R05同文省略参照旧記雑録拾遺暫定版確認度 –

刊本標題:北條義時書下

刊本標題は「北條義時書下」。本文書は家わけ一の番号文書5号と同文につき省略すると記され、当該位置に本文は収録されない。参照先本文は今回未読。

登場人物
—
宛先
—
キーワード
同文省略
旧記雑録拾遺 家わけ1-管理ID TMP-P02-CONT-R13同文省略参照旧記雑録拾遺暫定版確認度 –

刊本標題:北條義時書状

北條義時書状は第13号文書と同文につき省略すると刊本注記に記す。当地本文は不収録で、参照先は今回未読。

登場人物
—
宛先
—
キーワード
同文省略
旧記雑録拾遺 家わけ1-管理ID KW1-P01-39f4516f-D0005番号文書/北條義時書下旧記雑録拾遺暫定版確認度 –

現行表題(出所留保):北條義時書下

大隅國祢寢南俣院地頭職について、重延死去後に清重法師を補したことを述べる。 故左衛門督家の時、建仁三年七月三日に証文を与えたことと、論人が出れば双方を召し問うことを確認する。 重能の訴えに伴い証文を謀書とする問状が出たが、そのままの領掌を非難し、双方の理を糺決するまでは清重法師が領知すべきとする。 末尾は二月廿九日・相模守の花押で、正文在家藏の注を伴う。

登場人物
清重法師、重延、重能
宛先
—
キーワード
南俣院、地頭職、謀書(史料上の記載語・事実認定未確認)、糺決
旧記雑録拾遺 家わけ1-管理ID KW1-P01-39f4516f-D0007番号文書/北條義時袖加判散位藤原某奉書旧記雑録拾遺暫定版確認度 –

現行表題(出所留保):北條義時袖加判散位藤原某奉書

大隅國祢寢院内南俣地頭職について、清忠と重能らの問注の結果を伝える奉書。 清忠に政所の下文を給預したと述べる。 その文書に任せて沙汰し、下知を与えるべきことを藤内兵衛尉殿へ執達する。 建保五年九月廿六日、散位藤原奉の署名と袖の花押を伴う。

登場人物
清忠、重能、藤内兵衛尉
宛先
藤内兵衛尉殿
キーワード
南俣、地頭職、問注、執達
旧記雑録拾遺 家わけ1-管理ID KW1-P01-39f4516f-D0013番号文書/北條義時書狀旧記雑録拾遺暫定版確認度 –

現行表題(出所留保):北條義時書狀

大隅國祢寢南俣院地頭職についての書状。 清重法師の譲状に任せることを述べる。 清綱に安堵の下文を与えた旨を伝える。 五月一日・前陸奥守の花押で、年には(貞應三年カ)との推定注がある。

登場人物
清重法師、清綱
宛先
—
キーワード
南俣院、地頭職、安堵、下文
旧記雑録拾遺 著作史料集6-文書ID E::41系図旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

富山氏系図抄

富山氏系図の抄録。貞夏・頼宗らから義弘・義時ほかの分流に至る親子関係、法名、官途、没年や婚姻を枝分かれ図で示す。都城安久・百引村関係の富山家文書と併せて読む系譜資料。

登場人物
富山氏の系譜関係者、貞夏・頼宗・義弘ら
宛先
宛先なし(系図)
キーワード
富山氏系図抄、富山氏、貞夏、頼宗、義弘、系譜、都城安久