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『旧記雑録』前編・後編・附録10冊と追録1~8(暫定版)、『旧記雑録拾遺 伊地知季安著作史料集1~9』『家わけ1』(暫定版)、関連史料(外伝)『島津世禄記』の46,754件を横断検索できます。検索範囲は史料群・巻を組み合わせて選べます。結果は50件ずつ表示します。

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特大
冊子頁3頁以上。長大な日記・軍記・系図・知行帳・軍役帳。

40 件 (全巻)/ 1–40件を表示

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後編2-No.157記録確認度 高

勝部兵右衛門聞書

勝部兵右衛門聞書。七月十四日、島津軍が岩屋城を十重二十重に包囲し、鉄砲・石火矢を交えて攻める一方、高橋紹運は降伏を拒み、城門・岸・城内で激しい白兵戦を展開した。攻め口ごとの進退、将兵の負傷・討死、守兵の奮戦を具体的に描き、落城後は箱崎・香椎への参詣、秋月種実との相談、高良山への軍勢預置、豊後進攻をめぐる軍議まで記す。岩屋城合戦とその直後の島津軍の動きを連続して追える長大な現場記録である。

登場人物
勝部兵右衛門、高橋紹運、島津義久、島津忠長、伊集院忠棟、秋月種実、島津軍、岩屋城守備勢
宛先
記事
キーワード
勝部兵右衛門聞書、高橋紹運、岩屋城合戦、島津軍、鉄砲、石火矢、白兵戦、戦死者、秋月種実、高良山、豊後進攻
後編2-No.158記事確認度 高

島津義久譜

島津義久譜の記事。天正十四年七月十日に筑紫広門が勝山城を明け渡したのち、十二日に島津軍が天拝嶽へ進み、十四日から高橋紹運の守る岩屋城を包囲した。少数の守兵が矢・鉄砲・石火矢で激しく抗戦し、島津方も多数の死傷者を出しながら城門・城壁へ攻め寄せた経過を詳述する。落城と紹運方の最期に加え、島津方の討死者・戦功者を細字で多数列挙し、合戦参加者を復元できる中心的な譜の記事である。

登場人物
島津義久、筑紫広門、高橋紹運、島津忠長、伊集院忠棟、島津軍、岩屋城守備勢
宛先
記事
キーワード
島津義久譜、筑紫広門、高橋紹運、勝山城、天拝嶽、岩屋城合戦、包囲戦、石火矢、戦死者、戦功者、交名
後編2-No.143記録確認度 高

筑前岩屋城合戦従軍者交名

筑前岩屋城合戦に参加した島津方の諸将・部隊を、所属・役職・戦死や負傷の注記とともに列挙した従軍者交名。島津忠長、伊集院忠棟、新納忠元、上井覚兼、北郷忠虎らの配下まで記し、鉄砲・弓などの攻城部隊や各家の動員状況も追える。岩屋城攻めの軍勢編成だけでなく、誰が戦死・負傷したかを具体的に復元できる名簿史料である。

登場人物
島津忠長、伊集院忠棟、新納忠元、上井覚兼、北郷忠虎、島津軍従軍者・戦死者
宛先
該当なし
キーワード
筑前岩屋城合戦従軍者交名、岩屋城、島津忠長、伊集院忠棟、新納忠元、上井覚兼、北郷忠虎、従軍者、戦死者、負傷者、攻城軍
後編2-No.668文書確認度 高

筑前岩屋城合戦従軍者交名(No.143と同文)

本文はNo.143と同文のため省略されている。No.143は筑前岩屋城合戦に参加した島津方の諸将・部隊を、所属・役職・戦死・負傷の注記とともに列挙した従軍者交名である。 島津忠長・伊集院忠棟・新納忠元・上井覚兼・北郷忠虎らの配下まで記し、岩屋城攻めの軍勢編成と人的損害を復元できる名簿史料の重出である。

登場人物
島津忠長、伊集院忠棟、新納忠元、上井覚兼、北郷忠虎、島津軍従軍者・戦死者
宛先
該当なし
キーワード
No.143同文、筑前岩屋城合戦従軍者交名、岩屋城、島津忠長、伊集院忠棟、新納忠元、上井覚兼、北郷忠虎、従軍者、戦死者、負傷者
前編2-No.10文書確認度 高

比志島範平軍忠状

比志島範平が、前年十月二十五日の岩屋城退治以後の従軍と、正月二十一日・二十五日および三月二十日夜の濱陣合戦で先懸けを務めた軍忠を申告した。自身・中間平六・弟範家の負傷と見知人を挙げ、注進と恩賞を求める。

登場人物
比志島太郎範平、比志島彦次郎範家、中間平六、伊集院帖佐太郎左衛門尉、久木崎五郎兵衛尉
宛先
御大将
キーワード
比志島範平、岩屋城、濱陣、先懸、負傷、軍忠状、恩賞、伊集院帖佐
前編2-No.11文書確認度 高

比志島範平軍忠状

比志島範平が、前年十月二十五日の岩屋城退治以後の日夜の合戦と、正月および三月の濱陣合戦での先懸け・負傷を申告した軍忠状。度々の注進勘文を根拠に、後日の証拠となる一見状を求める。

登場人物
比志島太郎範平、比志島彦次郎範家、中間平六、伊集院帖佐太郎左衛門尉、久木崎五郎兵衛尉
宛先
御大将
キーワード
比志島範平、岩屋城、濱陣、先懸、負傷、軍忠状、一見状
前編2-No.14文書確認度 中

野田刑部左衛門軍忠状

野田刑部左衛門尉某が、岩屋城退治以来の諸合戦と三月の濱陣合戦での軍忠を申告した。弟の宮内右衛門尉兼弘が負傷し、島津氏久が同所で見知ったことを挙げ、注進と恩賞を求める。

登場人物
野田刑部左衛門尉某、宮内右衛門尉兼弘、島津氏久
宛先
御大将
キーワード
野田刑部左衛門尉、宮内右衛門尉兼弘、島津氏久、岩屋城、濱陣、負傷、軍忠状、恩賞
後編2-No.126記事確認度 高

殉国名藪

天正十四年三月二十七日の伊地知蔵人重増をはじめ、天正年間に豊後・筑前・筑紫・日向などで討死した島津方武士を、氏名・戦場・年齢・所属・同時戦死者とともに列挙する『殉国名藪』。岩屋城攻め、豊後陣、高城・赤城など各地の戦死者を収め、父子・兄弟・主従がともに戦死した例や遺族関係まで付記する。九州統一戦で島津軍が負った人的損失と家臣団構成を具体的に追える名簿史料である。

登場人物
島津方戦死者、伊地知蔵人重増、伊集院宮内左衛門尉忠連、宮原越中守、鎌田源左衛門尉政近、川上左京亮忠堅ほか
宛先
該当なし
キーワード
殉国名藪、島津方戦死者、伊地知重増、伊集院忠連、豊後、筑前、日向、岩屋城、討死、家臣団、戦死者名簿
後編2-No.142記事確認度 高

島津義久譜

天正十四年夏、筑紫広門の離反を受けて島津義久が大軍を率い、八代から筑前方面へ諸将を進めた経過を記す島津義久譜の記事。島津忠長・伊集院忠棟を将帥とし、新納忠元・北郷忠虎・上井覚兼らを動員して、大友方の要衝・岩屋城を攻撃した。高橋紹運が籠城して激しく抗戦し、島津方も多数の死傷者を出しながら七月六日に城を陥落させた、九州征伐前夜の激戦を伝える。

登場人物
島津義久、筑紫広門、高橋紹運、島津忠長、伊集院忠棟、新納忠元、上井覚兼ほか
宛先
該当なし
キーワード
島津義久譜、岩屋城合戦、高橋紹運、筑紫広門、島津忠長、伊集院忠棟、新納忠元、上井覚兼、筑前、城攻め、九州征伐前夜
後編2-No.144記録確認度 低

上井覚兼日記

天正十四年六月一日から七月二十九日まで、上井覚兼が筑前・筑紫方面への出陣準備と軍中の日々を記した長大な日記。鹿児島・肥後・豊後・京都との使者や書状の往復、船・兵糧・武具の手配、諸将の参陣、軍議と進発日程を逐日追う。宗麟・志賀氏への対応や秀吉・近衛家をめぐる交渉も軍事行動と並行し、祈祷・連歌・酒宴・射礼、病気見舞いなど陣中の日常まで詳しい。筑前侵攻と岩屋城攻めを目前にした島津軍の意思決定、情報伝達の遅れや諸将間の調整を、当事者の視点から復元できる重要な日記史料である。

登場人物
上井覚兼、島津義弘、伊集院忠棟、新納忠元、鎌田政近、北郷忠虎、志賀氏ほか
宛先
該当なし
キーワード
上井覚兼日記、筑前、筑紫、岩屋城、島津義弘、伊集院忠棟、新納忠元、軍議、使者往来、兵糧、陣中生活、島津氏、島津家中、薩摩政治、領国支配、軍事、外交
後編2-No.150記事確認度 高

島津世録記

『島津世録記』の記事。天正十四年六月十八日に筑紫討伐を決し、七月二日に肥後八代へ軍勢を集結した経過を記す。島津忠長・伊集院忠棟・新納忠元・北郷忠虎ら諸隊の編成と進路を列挙し、鷹取城や筑紫広門の降伏、岩屋城での高橋紹運との激戦、双方の討死者へと展開する。大軍の構成から各城攻略までを一続きに示す戦役記事である。

登場人物
島津義久、島津忠長、伊集院忠棟、新納忠元、北郷忠虎、筑紫広門、高橋紹運ほか
宛先
記事
キーワード
島津世録記、筑紫討伐、肥後八代、島津忠長、伊集院忠棟、新納忠元、北郷忠虎、筑紫広門、高橋紹運、岩屋城
後編2-No.159記事確認度 高

島津歳久譜

島津歳久譜の記事。義久が肥後八代へ進んで筑紫城・宝満城・岩屋城を攻略した経過を前置きし、続いて大友氏を討つため豊後進攻を決したことを記す。家久には一万余騎を率いて三重方面へ、義弘には三万七百余騎を率いて肥後から長野峠へ進ませ、歳久も義弘軍に従った。岩屋城一戦の軍功記事ではなく、筑前平定から豊後侵攻へ移る島津四兄弟の軍勢配分・進軍路を示す譜の記事である。

登場人物
島津歳久、島津義久、島津義弘、島津家久、筑紫広門、高橋紹運、大友宗麟、島津軍
宛先
記事
キーワード
島津歳久譜、島津歳久、島津義久、島津義弘、島津家久、肥後八代、筑紫城、宝満城、岩屋城、豊後進攻、軍勢配分
後編2-No.160記事確認度 高

島津忠隣譜

島津忠隣譜の記事。筑紫進攻で副将となった忠隣は、七月六日の鷹取城攻撃で外門へ迫り、強敵と槍を合わせて八か所余りの傷を負いながら生還した。家臣の脇元城介は忠隣をかばって一歩も退かず討死し、河上左京亮も同日に戦死した。翌七日には忠隣が板添口から岩屋城へ直進して攻略に加わったと記し、忠隣本人が岩屋城で戦死したわけではない。

登場人物
島津忠隣、脇元城介、遠矢信濃守、木脇伊賀、河上左京亮、島津義久
宛先
記事
キーワード
島津忠隣譜、島津忠隣、脇元城介、鷹取城、外門、槍傷、家臣の討死、河上左京亮、板添口、岩屋城
後編2-No.161記事確認度 高

島津忠長譜

島津忠長は筑紫城攻略後、七月七日の岩屋城攻めで自ら前進し、城兵の長刀・鉄砲・投石を受ける接近戦を家臣らと戦った。攻城の激しさと味方の死傷を記したのち、落城後に高橋紹運の子・弥七郎直次(高橋統増)が宝満城から人質として来たこと、なお立花城が降らず使僧を送って開城を迫った経過までを載せる。

登場人物
島津忠長、高橋紹運、高橋統増(弥七郎直次)、秋月種実、島津義久
宛先
—
キーワード
島津忠長譜、島津忠長、岩屋城、高橋紹運、高橋統増、弥七郎直次、宝満城、立花城、攻城戦、降伏勧告
後編2-No.163記事確認度 高

北郷忠虎譜

北郷忠虎は七月十四日の岩屋城攻めで、高橋紹運が守る城を四方から包囲する陣の一角を担った。二十七日の総攻撃では、石・木・鉄砲で抵抗する城兵に対し、忠虎も岸壁近くまで進んで攻城に加わった経過を記す。

登場人物
北郷忠虎、高橋紹運、島津忠長、島津義久
宛先
—
キーワード
北郷忠虎譜、北郷忠虎、岩屋城、高橋紹運、島津忠長、包囲、総攻撃、投石、鉄砲、攻城戦
後編2-No.164記事確認度 高

樺山忠助譜

秋月種実が、豊後へ進むにはまず筑前の岩屋城を落とすべきだと進言したことから説き起こし、島津軍が城を包囲して総攻撃に移るまでを記す。岩屋城では高橋紹運方が鉄砲・石・長刀などで激しく抗戦し、島津方も多数の死傷者を出した。樺山忠助も城際で負傷しながら退かず、家臣に救われたことを含め、攻城の戦略と個々の戦闘を結び付けて伝える。

登場人物
樺山忠助、秋月種実、島津義久、高橋紹運、島津忠長、島津忠隣
宛先
—
キーワード
樺山忠助譜、樺山忠助、秋月種実、島津義久、岩屋城、高橋紹運、島津忠長、包囲、総攻撃、負傷
後編2-No.165記録確認度 高

大口土浜川西市丞覚書

七月七日の筑紫岩屋城攻めを起点に、落城後の筑前・筑後・肥前方面の軍事行動を日付順に回想する。秋月種実らとの折衝、諸将・使者の往復、城々の降伏と人質、兵糧・船・鉄砲の手配、仙石秀久ら大友方援軍の情報などを収録する。島津軍が岩屋城攻略後に北部九州を掌握し、さらに豊後侵攻を構想する過程を、現場の軍務・補給・情報伝達から具体的に知ることができる。

登場人物
川西市丞、島津義久、秋月種実、伊集院忠棟、上井覚兼、仙石秀久、大友宗麟
宛先
—
キーワード
大口土浜川西市丞覚書、川西市丞、岩屋城、秋月種実、伊集院忠棟、上井覚兼、仙石秀久、大友宗麟、兵糧、豊後侵攻
後編2-No.166記録確認度 高

上井覚兼日記

上井覚兼が七月朔日から二十九日までの軍務を日ごとに記した長大な陣中日記。筑紫表への出陣準備、諸将との軍議、日州・薩州各衆の配置、使者・書状の往復、兵糧・酒・船・鉄砲の調達を追う。岩屋城では包囲・総攻撃、城兵の抵抗、味方の負傷・戦死と高橋紹運の最期、落城後の捕虜・人質・戦功確認を記録する。さらに秋月氏・立花城などとの交渉、寺社参詣や帰陣までを含み、九州征伐期の作戦決定と兵站・情報伝達を一体的に示す第一級の現場史料である。

登場人物
上井覚兼、島津義久、島津忠長、島津忠棟、秋月種実、伊集院忠棟、高橋紹運、樺山忠助
宛先
—
キーワード
上井覚兼日記、上井覚兼、筑紫、岩屋城、高橋紹運、島津忠長、秋月種実、伊集院忠棟、軍議、兵糧、使者、捕虜
後編2-No.167記録確認度 高

長谷場越前自記

長谷場越前の回想。七月十四日に武蔵方面へ陣を移し、天拝山を経て岩屋城へ迫った島津軍の配置と、二十七日の総攻撃を詳述する。鉄砲・石火矢・弓・長刀が飛び交い、城戸口や岸壁で敵味方が入り乱れ、長谷場配下も多数の死傷者を出した。高橋紹運方の頑強な抗戦、城内突入と落城、戦後の戦功・死傷確認に加え、安楽寺・太宰府天満宮などへの参詣や筑前での行動までを載せる、攻城参加者側の具体的な戦場記録である。

登場人物
長谷場越前、島津義久、島津忠長、高橋紹運、宮原景種、伊集院忠棟
宛先
—
キーワード
長谷場越前自記、長谷場越前、岩屋城、高橋紹運、天拝山、総攻撃、鉄砲、石火矢、城戸口、戦死者、安楽寺、太宰府天満宮
後編2-No.168記録確認度 高

樺山紹剣自記

樺山紹剣が、豊後へ進む前提として岩屋城を攻めることになった経緯から、七月二十七日の総攻撃と落城までを回想する。城兵は石・長刀・鎗などで激しく防戦し、島津方も岸壁や城際で組み討ちとなって多数の死傷者を出した。配下の樺山忠助が重傷を負いながら退かず戦ったこと、各隊の攻撃位置や討死・負傷者、落城後の処置までを挙げ、岩屋城合戦の苛烈さを樺山家側から伝える。

登場人物
樺山紹剣、樺山忠助、高橋紹運、島津忠長、島津軍諸将
宛先
—
キーワード
樺山紹剣自記、樺山紹剣、樺山忠助、岩屋城、高橋紹運、総攻撃、岸壁、石打、長刀、鎗、組討、死傷者
後編2-No.169記事確認度 高

旧伝集

岩屋城主高橋紹運が島津忠元の降伏勧告を退け、城兵とともに抗戦して討死した理由と、その忠節を語る。大形宗肌責の説話を引き、少数でも主君への恩に報いるべきだという紹運の覚悟を示す、敵将評価として注目される記事である。

登場人物
高橋紹運、島津忠元、島津軍
宛先
—
キーワード
旧伝集、高橋紹運、岩屋城、島津忠元、降伏勧告、忠節、大形宗肌責、敵将評価、討死
後編2-No.170文書確認度 高

前田兼政立願状

前田兼政が当日の城攻めで高名を立て、武運長久を得ることを願い、願いが成就した場合には鵲戸で七日間参籠し、八幡宮へ連歌百韻を奉納すると誓った立願状。岩屋城攻め当日、武将が戦功と生存への願いを参籠・連歌奉納という具体的な宗教行為に結び付けたことが分かる。

登場人物
前田兼政
宛先
鵲戸・八幡宮(祈願先)
キーワード
前田兼政、立願状、鵲戸、七日参籠、八幡宮、連歌百韻、岩屋城、城攻め、高名、武運長久、戦勝祈願、奉納
後編2-No.173記事確認度 高

島津義久譜

島津義久が岩屋城陥落後、立花城の高橋統増(宗虎)へ降伏を勧めた交渉を記す。 宗虎は、父紹運が義理を守って討死した以上、自分だけ領地と命を惜しんで降るのは恥辱だとして拒絶し、義久もその義理と勇気を認めた。

登場人物
島津義久、高橋統増、立花宗虎、高橋紹運
宛先
—
キーワード
島津義久、高橋統増、立花宗虎、高橋紹運、立花城、降伏交渉、岩屋城、忠節
後編2-No.180記録確認度 高

上井覚兼日記

上井覚兼が八月朔日から晦日までを記した長大な日記。岩屋城攻めで負傷した覚兼は帰路と療養の様子を記しつつ、立花・宝満・筑紫方面の処置、豊後出兵をめぐる評定、諸将・使僧・寺社との面会を続ける。書状や使者の往復、降伏者・人質・知行の扱い、兵糧・酒・贈物、医師の治療や負傷者への見舞いまで日々記録する。北部九州攻略後の占領統治と次の豊後侵攻準備が、覚兼自身の傷の痛みや日常生活と並行して進む様子を伝える陣中・軍政日記である。

登場人物
上井覚兼、島津義久、島津義弘、島津忠長、鎌田政年、伊集院忠棟、秋月種実、吉利忠澄
宛先
—
キーワード
上井覚兼日記、上井覚兼、岩屋城、負傷、療養、立花城、宝満城、筑紫、豊後出兵、軍議、使者、人質、兵糧
後編2-No.263記録確認度 高

勝部兵右衛門聞書

豊後進攻では諸城が次々に降参する一方、岩屋城だけが抵抗し、島津家久・新納武蔵守らが攻め落としたものの大きな損害を出した。その後、関白秀吉と大和大納言秀長の大軍下向を知って撤退を決断し、豊後国内で味方を失いながら追撃を受ける情勢を記す。

登場人物
勝部兵右衛門、島津家久、新納武蔵守、豊臣秀吉、豊臣秀長
宛先
—
キーワード
勝部兵右衛門聞書、九州征伐、豊後侵攻、岩屋城、島津家久、新納武蔵守、豊臣秀吉、豊臣秀長、撤退、追撃
後編4-No.1594文書確認度 中

後醍院宗重軍忠覚書

後醍院宗重が、相良氏との戦い、岩屋城・耳川・高麗など各地の合戦での先陣・太刀打ち・負傷・討取り等、自身と一族の軍忠を列挙し、証明を求めた長文の覚書。

登場人物
後醍院宗重、島津氏軍勢
宛先
後醍院宗重
キーワード
後醍院宗重軍忠覚書、軍忠、相良氏、岩屋城、耳川、高麗、先陣、負傷、討取り、元和五年五月十七日
附録2-No.1306記事確認度 高

新納氏系図抄(十七)

新納友義の三男忠光を祖とする支流系図。忠光が志布志落城後に島津忠幸へ仕え阿多地頭となったこと、久時父子の牛根・岩屋城での軍功と高城での戦死、久宣の朝鮮・庄内陣、焼亡による重器文書喪失、久宗の奏者番・御用人歴を記す。

登場人物
新納友義、新納忠光、新納忠清、新納久時、新納久宣、新納久詮、新納久宗
宛先
—
キーワード
新納氏、新納忠光、新納忠清、新納久時、新納久宣、新納久詮、新納久宗、志布志、阿多、牛根城、岩屋城、朝鮮出兵、庄内陣、焼亡、犬追物、系図
附録2-No.1416記事確認度 高

喜入氏系図抄(二)

喜入季久の後裔系図。忠道・久績兄弟の根占戦死、久道の長患い、島津義弘四男の養子早世、岩屋城で戦死した久延、細川幽斎の進言で還俗し家を継いだ忠政、関ヶ原で戦死した島津豊久家を継いだ忠栄、島津光久庶子忠長の養子相続を記す。

登場人物
喜入季久、喜入忠道、喜入久績、喜入久道、島津義弘、細川幽斎、島津豊久
宛先
—
キーワード
喜入氏、喜入忠道、喜入久績、喜入久道、根占、島津義弘、岩屋城、細川幽斎、還俗、島津豊久、関ヶ原、養子、系図
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w2:19系図旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

藤原姓長谷場氏系図

藤原鎌足・冬嗣から長良・良房・基経らを経て長谷場氏へ至る祖系と、薩摩・大隅・日向に展開した諸流を記す長大な系図。鹿児島郡司・弁済使・取納使、東福寺城・市来城・飫肥・櫛間・有馬等の所領・城地、建武期の足利尊氏による安堵、島津元久への東福寺城・長谷場屋敷の引渡しと清水移居、福昌寺創建、市来移住などを叙述する。近世部分では渋谷・伊東・大友・菱刈・豊後・庄内などの諸合戦、岩屋城・高城・小林城・大口・泗川等での軍功・討死、家督・養子・婚姻・法名・地頭職を列記する。実純の朝鮮出陣・泗川戦、琉球への武具奉行派遣、大坂陣、万治二年の琉球押奉行、松山・真幸・吉田地頭歴までを収め、末尾は純堯の女子四人と婚姻先を記して終わる。

登場人物
藤原鎌足、藤原冬嗣、藤原長良、藤原良房、藤原基経、藤原国経、師純、永純、直純、遠経、良範、行純、経純、朝純、家純、資純、国秀(矢上伊豆守)、宗純、純連、忠良、時純、澄純、鶴壹丸、秀純、晴純、久純、忠純、惟純、康純、高純、廣純、貞純、則純、重純、純里、慶純、純真、純徳、純房、純富、純正、実純、純秀、純堯、匡純、純辰、純智、治純、愛寿丸、島津元久、石屋和尚、島津立久、島津忠昌、川上道安斎、島津忠良、島津貴久、島津義久(龍伯)、島津義弘、島津家久、島津光久、大友宗麟、伊集院源次郎、樺山権左衛門、平田太郎左衛門、川上将監
宛先
—
キーワード
藤原姓長谷場氏系図、藤原北家、鹿児島郡司、弁済使、取納使、東福寺城、市来城、飫肥、櫛間、有馬、足利尊氏安堵、島津元久、清水移居、福昌寺、石屋和尚、渋谷退治、伊東退治、大友軍、岩屋城、高城、小林城、大口、泗川、朝鮮出兵、琉球武具奉行、大坂陣、琉球押奉行、松山地頭、真幸地頭、吉田地頭、家督、養子、婚姻、法名、軍功、討死
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w6:13-5同文省略・島津忠国書状/牛屎・淵辺家系譜・家伝旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

島津忠国書状(同文省略)・牛屎淵辺家系譜

冒頭は『諸家系図文書』10の7号文書と同一のため島津忠国書状を省略する。参照先は忠国が牛屎へ、菱刈方から詳細を聞いて早く来訪・決断するよう催し、対面を望んだ二月二十日付書状である。久元(牛屎越後守・法名光久)は永享十年の福昌寺仏殿造営勧進で、羽月元忠・山野頼元・北原久兼ら八十七人とともに馬一疋分の代銭を奉加した。歓元(同越後守・法名光秀)は文正二年梅雨吉日に牛屎家系図一巻を作り、薩摩守陳元から元親までの系譜を収め、文正元年から文明九年までの島津家系図・覚書も伝えた。応仁元年、牛屎院の兵乱で一門が日向真幸院へ移り、北原家との親族関係を頼ったこと、元親が大隅守・法名梅岳源春を称したこと、重元が永正六年に六十余歳で鷹書一冊二十五枚を書いたことを記す。天文十二年三月二十七日、実元は牛屎家先祖を覚書や本朝の大家系図と照合して記し、宗実兄弟が源頼政嫡子・仲綱の娘を母とし、建久七年に頼朝の恩免を受けて遠流先の薩摩へ下向し、羽月・山野・平泉を与えられ、子孫が牛屎・淵辺を称したとの家伝を載せる。元継の女子は兄弟不和のなか系図・文書を保持し、国分御前様に仕えた後に加藤金右衛門へ嫁いだため古文書が加藤家へ伝わり、頼朝御教書は公用のため提出されたとする。淵辺主計元継は慶長・元和の上地や宮越との田地争論で知行を減らし、寛永頃には約十石となった。弥兵衛は家に凶事が多く繁昌しないため母方の淵辺へ名字を改め、肥後の聖山伏を氏神として正宮・荒神宮に祀ったとし、元亀三年五月四日の真幸院における義弘と伊東家の合戦で五十四歳で戦死した。元秋は栗野に生まれ、父の戦死後に飯野・栗野を移り、伊東・大友との戦いを経て天正十五年豊後で戦死した。重綱は井手石氏の養子となり川上忠智に仕え、肥前深江・筑州岩屋城・朝鮮で戦い、朝鮮で左手を負傷して退き、加治木・鹿児島へ移って八十四歳で没した。元貞は父元秋の戦死後、十三歳で義弘に召し出され、吉松鶴丸村二十五石と栗野木場村三十石、計五十五石を与えられた。十五歳で義弘に従って朝鮮へ渡り、忠恒に近習・小姓として仕え、良右衛門の名、包清の脇指や衣裳を拝領し、のち帖佐・平松・加治木・鹿児島へ移住して、万治元年に百二十三石を持って隠居した。

登場人物
島津忠国、牛屎、久元(牛屎越後守・法名光久)、牛屎越後守久元、羽月豊後守元忠、山野因幡守頼元、北原周防守久兼、歓元(牛屎越後守・法名光秀)、元親(右衛門尉・法名梅岳源春)、重元(牛屎権守・法名龍永)、実元(牛屎平二郎)、盛元(牛屎権之允)、宗実、源頼政、伊豆守仲綱、源頼朝、忠齊、元継(淵辺主計・牛屎隠岐)、加藤金右衛門妻、国分御前様、宮越、弥兵衛(牛屎・淵辺、法名一庵道慶)、島津義弘、伊東家、弥兵衛妻(妙金禅定尼)、元秋(淵辺平五郎・平内左衛門、法名祖栄昌範)、元綱、元次、元英、元智、元任、元珍、元矩、井手石五郎兵衛重綱(月江浄西)、川上忠智、川上忠堅、元貞(淵辺宮千代・平内左衛門・良右衛門、法名善林宗樹)、島津忠恒、豊臣秀吉
宛先
牛屎殿(参照先w6:10-7の宛所)
キーワード
島津忠国書状、同文省略、諸家系図文書10の7、牛屎家、淵辺家、福昌寺仏殿造営、馬代銭奉加、八十七人、歓元、文正二年牛屎家系図、島津家系図、応仁元年牛屎院兵乱、日向真幸院、北原家、重元鷹書、天文十二年実元覚書、宗実、源頼政、伊豆守仲綱、建久七年、頼朝恩免、薩摩下向、羽月、山野、平泉、加藤金右衛門妻、国分御前様、古文書伝来、頼朝御教書、上地、田地争論、名字変更、牛屎から淵辺、正宮、荒神宮、元亀三年真幸院合戦、島津義弘、伊東家、天正十五年豊後戦死、井手石重綱、肥前深江、筑州岩屋城、朝鮮出兵、左手負傷、元貞、五十五石、忠恒近習、小姓、包清脇指、帖佐、加治木、鹿児島、万治元年、百二十三石
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w7:23系図・大蔵姓高橋氏/戦国軍歴・改易移封・後裔旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

高橋氏系図

高橋氏の出自を漢高祖・後漢霊帝の後裔から大蔵春実へつなぐ伝承で説き、筑前諸郡を領した大蔵姓高橋家に秋月氏から種時を迎え、顕種・元種へ続く系譜と軍歴を記す。顕種は大友方の攻撃を受けた筑前宝満城を守り、後に和睦した。元種は幼少で秋月種実の養子となり、天正十四年の島津勢による筑前攻略では父とともに大友勢を破り、七月二十七日の岩屋城落城・高橋紹運討死後、宝満城などをめぐる軍事行動に関与した。慶長四年、島津忠恒が伊集院忠真を都城で攻めた際には徳川家康から救援準備を命じられ、翌関ヶ原では当初西軍に属したが、福原・垣見・熊谷・木村らの処置をめぐり秋月種長・相良頼房らと共謀し、垣見・熊谷・木村の首を家康へ献じて本領安堵を得たとする。しかし同年冬、秀忠の命で領地を没収され奥州棚倉へ移り、元和二年十月九日に三十七歳で没した。後継の種直は慶長十二年に日州臼杵郡縣城で生まれ、旧臣の助力を受けて日州縣・高岡などに住み、光久の恩許により高橋姓を復した。以後の種長・種次・種栄・種良らについて、婚姻、知行、江戸勤仕、地頭職、没年・法名を宝永期まで載せる。

登場人物
漢高祖、後漢孝霊皇帝、大蔵春実、種時(高橋中務太輔)、顕種(参河守・宗仙)、高橋主膳鎮種(入道紹運)、秋月種実、高橋元種(九郎・右近大夫)、島津忠恒、伊集院忠真、徳川家康、徳川秀忠、石田三成、福原右馬助、垣見和泉守、熊谷内蔵允、木村宗左衛門、相良頼房、秋月種長、大友紹運、種直(延種・長吉・主膳・七郎右衛門)、志島紀伊守国貞、島津光久、種長、種次、種栄、種良
宛先
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キーワード
高橋氏系図、大蔵姓、漢高祖、後漢霊帝、大蔵春実、秋月氏、種時、顕種、宝満城、高橋紹運、岩屋城、天正十四年、秋月種実、高橋元種、島津忠恒、伊集院忠真、都城、徳川家康、関ヶ原、西軍、石田三成、垣見和泉守、熊谷内蔵允、木村宗左衛門、秋月種長、相良頼房、首級献上、本領安堵、徳川秀忠、改易、奥州棚倉、種直、日州臼杵郡縣城、高岡、島津光久、高橋姓復帰
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w7:24系図・大蔵姓高橋氏諸流/原田・秋月・江上・田尻分流旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

高橋氏系図

漢恵帝・呂后から少帝・劉建・孝建・孝倫へつなぐ渡来伝承を経て、大蔵姓の祖から原田・秋月・江上・高橋・田尻の各氏へ分岐する系図。原田太郎種臣を筑前三笠郡原田城、秋月二郎種信を弥須郡古所山城、江上三郎種光を筑後三潴郡江上城、多記四郎長種を筑後三原郡高橋城、田尻五郎種保を生葉の居住者として、名字と城・所領を対応づける。後半は高橋形部左衛門佐種基、種成・文種以下を経て、秋月豊前守文種の二男・元種、吉弘左近大夫鑑理の二男で大友義鑑女を母とする鎮種(紹運)へ続く。鎮種は高橋家断絶のため養子となって家名を継ぎ、筑前岩屋城で薩州勢と戦って義死したとする。元種は西征時に日向国縣城を与えられ、慶長五年の関ヶ原後に処分されたのち赦免された経緯を記し、子孫の官途・居城・婚姻・改姓も載せる。末尾は筑前国住士魯井道載方から高橋武右衛門種登へ送られた写本であると伝来経路を明記する。

登場人物
漢恵帝、呂后、孝謙天皇、少帝、劉建、孝建、孝倫、道清、種臣(原田太郎)、種信(秋月二郎)、種光(江上三郎)、長種(多記四郎・兵庫頭)、種保(田尻五郎)、種基(高橋形部左衛門佐)、種成、文種、元種(九郎・右近大夫)、秋月豊前守文種、鎮種(左馬介・紹運)、吉弘左近大夫鑑理、大友義鑑、大友義鎮(宗麟)、種政、種弘、種登(高橋武右衛門)、魯井道載
宛先
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キーワード
高橋氏系図、漢恵帝、呂后、渡来伝承、大蔵姓、原田氏、秋月氏、江上氏、高橋氏、田尻氏、筑前三笠郡原田城、弥須郡古所山城、筑後三潴郡江上城、筑後三原郡高橋城、生葉、種基、文種、元種、日向国縣城、関ヶ原、鎮種、紹運、吉弘鑑理、大友義鑑、岩屋城、薩州勢、義死、養子、家名相続、魯井道載、高橋武右衛門種登、写本伝来
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w6:505系図・系譜旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

肝付覚左衛門家系図

末吉の肝付覚左衛門家系図。上世の出所は不明と注記し、権之助豊前守兼隆が十七歳で伊東河内守を討ち、恩賞として知行六町を得たこと、二十三歳から兵道を行い、岩屋城攻めで敵三人を討ち取ったことを記す。兼隆が肝付郡高山から末吉へ移った由緒を述べ、治右衛門兼清・覚左衛門兼豊以下、伴右衛門・権右衛門らの分岐と婚姻を列記する。

登場人物
肝付兼隆、兼清、兼豊、兼昌、兼満、兼門、兼彌
宛先
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キーワード
肝付覚左衛門家系図、末吉、肝付兼隆、豊前守、伊東河内守、知行六町、兵道、岩屋城、肝付郡高山、兼清、兼豊、兼昌、兼満、婚姻
島津世禄記-A27記事関連史料(外伝)確認度 高

合志隈部宇土動等属我旗下事付高森合心於豊後事并忠平守護代之後称義弘事

天正十二年以降、合志・隈部・宇土をはじめ肥後・筑後・筑前の諸勢力が島津方へ服属し、忠平が守護代となって義弘を称した経緯を中心に記す。義弘は熊本・高森方面へ出陣し、赤星・大津山・和仁・小代・秋月・原田などの国人を従える。阿蘇方が花山を攻めると義久も八代へ進み、甲佐・堅志田・御船を攻略し、反島津の合志氏を降伏させた。高森が豊後方へ通じ、津守城でも反乱が起こると、新納忠元が謀略と急襲でこれを鎮圧する。後半は筑紫・岩屋・宝満・立花方面への遠征を記し、高橋紹運が守る岩屋城を激戦の末に落とす。島津方にも多数の戦死者を出し、紹運の子立花宗茂が抗戦の意志を示すと、島津諸将はその勇を認めて無益な攻撃を避けた。肥後支配の拡大、義弘の守護代就任、筑前方面への進出と岩屋城の激戦をまとめる大部の記事である。

登場人物
島津義弘、島津義久、島津忠長、新納忠元、伊集院忠棟、北郷忠虎、高橋紹運、立花宗茂、筑紫広門、秋月種実、阿蘇惟前、甲斐氏
宛先
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キーワード
肥後国人、守護代、義弘、高森、筑紫征伐、岩屋城、高橋紹運
後編2-No.153記事確認度 高

日向記

『日向記』の記事。六月から筑紫出兵を定め、義久が八代に留まり、忠長・忠棟らを大将として軍を進めた経過を編年で記す。七月の高良山着陣、鷹取城・和賀山・筑紫広門の居城攻略を経て、岩屋・宝満方面へ戦線を広げたこと、討死や攻城後の動向をまとめる。筑紫戦役の進行順序を追える記録である。

登場人物
島津義久、島津忠長、伊集院忠棟、上井覚兼、筑紫広門、高橋紹運、筑前・豊後の諸将
宛先
記事
キーワード
日向記、筑紫出兵、島津義久、島津忠長、伊集院忠棟、高良山、鷹取城、和賀山、筑紫広門、岩屋城、宝満城
後編2-No.147記事確認度 高

北郷忠虎譜

北郷忠虎譜の記事。天正十四年六月十八日、島津義久が筑紫勢の攻略を企てて大軍を鹿児島から出し、七月二日に肥後八代へ入り、諸将が筑紫へ直進したことを簡潔に記す。忠虎が参加した筑紫進攻の発動と行軍を示す記事であり、鷹取城・岩屋城での個別の戦功までは本文に記されていない。

登場人物
北郷忠虎、島津義久、島津軍
宛先
記事
キーワード
北郷忠虎譜、北郷忠虎、島津義久、鹿児島、肥後八代、筑紫進攻、島津軍、出陣、行軍
後編2-No.151記録確認度 高

長谷場越前自記

長谷場越前の自記。天正十四年六月十三日に義久が国元を出馬し、肥後八代に在陣して筑後・筑紫へ先陣を送った経過を述べる。島津義弘・歳久・家久、忠長、忠棟、北郷忠虎、新納忠元らの部隊と配下を列挙し、高良山から筑紫方面へ進む島津軍の軍勢編成・指揮系統を詳しく残す。岩屋城内の白兵戦ではなく、合戦前の動員と行軍を知る従軍記録である。

登場人物
長谷場越前、島津義久、島津義弘、島津歳久、島津家久、島津忠長、伊集院忠棟、北郷忠虎、新納忠元ほか
宛先
記事
キーワード
長谷場越前自記、長谷場越前、島津義久、肥後八代、筑後、筑紫、軍勢編成、先陣、高良山、行軍
後編2-No.155記録確認度 高

長谷場越前自記

長谷場越前自記。七月六日、筑紫方との防戦を破って町口・板城戸を突破し、筑紫広門の居城へ攻め入った過程を描く。河上左京亮が十文字・八ツ花形に切り回って奮戦し、多数の傷を負って倒れ、介錯された最期を中心に、城内へなだれ込む島津兵と双方の死者を記す。岩屋城ではなく、筑紫方居城攻略の白兵戦を伝える。

登場人物
長谷場越前、河上左京亮、筑紫広門、島津軍、筑紫方
宛先
記事
キーワード
長谷場越前自記、長谷場越前、河上左京亮、筑紫広門、町口、板城戸、居城攻略、白兵戦、介錯、討死
後編2-No.162記事確認度 高

樺山久高譜

樺山久高は島津忠長・伊集院忠棟らの軍に加わり、七月十九日の筑紫広門の居城攻撃で、城門を開いて打って出た敵と白兵戦を交えた。久高は大刀で斬りかかる敵に応戦し、左手などに複数の傷を負いながら戦い続け、敵兵を討ち取ったという。岩屋城ではなく、筑紫広門の居城をめぐる具体的な戦闘記録である。

登場人物
樺山久高、島津忠長、伊集院忠棟、筑紫広門方城兵
宛先
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キーワード
樺山久高譜、樺山久高、島津忠長、伊集院忠棟、筑紫広門、筑紫城、城門、白兵戦、大刀、負傷
附録2-No.1187記事確認度 高

伊集院久春譜

伊集院久春(元巣)が十七歳以来、牛根・横川・飯野・馬越・敷根・長野城・荒平・穂北・安徳城・岩屋城などで負傷を重ねながら戦った軍功を詳述する譜。朝鮮へ七年間供奉し、撤兵時にも諸将を救った忠節までを『決勝記』として顕彰する。

登場人物
伊集院久春、島津貴久、島津義久、島津義弘、島津家久、肝付氏、伊東氏、菱刈氏
宛先
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キーワード
伊集院久春、元巣、島津貴久、島津義久、島津義弘、肝付氏、伊東氏、菱刈氏、朝鮮出兵、決勝記、軍功