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『旧記雑録』前編・後編・附録10冊と追録1~8(暫定版)、『旧記雑録拾遺 伊地知季安著作史料集1~9』『家わけ1』(暫定版)、関連史料(外伝)『島津世禄記』の46,754件を横断検索できます。検索範囲は史料群・巻を組み合わせて選べます。結果は50件ずつ表示します。

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97 件 (全巻)/ 1–50件を表示

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前編2-No.1471文書確認度 高

政国書状

政国が二階堂三左衛門定行から太刀一腰と鳥目三千疋を受領した礼を述べ、返礼として太刀一腰(景光)と織物を進上した書状。

登場人物
政国、二階堂三左衛門定行
宛先
二階堂三左衛門定行
キーワード
政国、書状、二階堂三左衛門定行、太刀、鳥目三千疋、金銭、景光、織物、贈答、十一月廿二日
前編2-No.1474文書確認度 高

政国書状

政国が二階堂三左衛門定行に贈答への謝意を述べた書状。本文はNo.1471と同文のため省略される。

登場人物
政国、二階堂三左衛門定行
宛先
二階堂三左衛門定行
キーワード
政国、書状、二階堂三左衛門定行、贈答、No.1471同文、十一月廿二日
附録1-No.369文書確認度 高

島津常久書状

島津常久が入来院三左衛門尉に、京都滞在中に石州から事情を聞き、先方が諸事に辛労していることを労った書状。留守中のことを特に心配しているが、下向の時期も近いと聞くので安心するよう伝え、詳しくは面談時に話すとする。

登場人物
島津常久(島津下総守)、入来院三左衛門尉
宛先
入来院三左衛門尉殿御宿所
キーワード
島津常久、島津下総守、入来院三左衛門尉、京都、石州、留守、辛労、下向、面談
追録6-No.2169目録旧記雑録暫定版確認度 中

妙心院家本の渋谷喜三左衛門へ知行を与える

知行高百九十石四斗五升五合八勺八才を鹿児島武村・荒田村、谷山中村・五ヶ別府村、溝辺麓村、高山宮下村・野崎村、大崎神領村・持留村、綾北俣村、須木須木村、串良岡崎村、田布施大野村・尾下村、大村北方村、伊作入来村、末吉中之内村・諏訪方村・二之方村、百引百引村、横川下之村、庄内高城桜木村・穂満坊村・大井手村、高原水流村、山之口富吉村の各村内に列記する。渋谷喜三左衛門が妙心院の家本として帯方に従い救済に尽くした事情を述べ、山下御屋敷の私買地高から右の高を拝領させたので職務に励むよう命じる。十二月十八日付宮之原通直・二階堂行旦・島津久健・島津久起連署で、包紙にも拝領知行目録写一通と記す。

登場人物
島津久起、島津久健、二階堂行旦、宮之原通直、渋谷喜三左衛門貫臣、妙心院
宛先
渋谷喜三左衛門貫臣
キーワード
島津久起、島津久健、二階堂行旦、宮之原通直、渋谷喜三左衛門貫臣、妙心院、知行目録、百九十石、妙心院家本、救済、拝領、山下御屋敷、私買地
前編2-No.1363文書確認度 中

島津忠長宛行状

島津忠長が二階堂殿に対し、薩摩国田布施の所領について先例に任せて沙汰するよう命じた宛行状。

登場人物
島津忠長、二階堂三左衛門豊行
宛先
二階堂殿
キーワード
島津忠長、宛行状、二階堂三左衛門豊行、薩摩国、田布施、所領、先例、沙汰
後編3-No.34文書確認度 高

島津義弘書状

島津義弘が又八郎へ、朝鮮在番衆の辛労をねぎらい、図書頭・石田治部少輔らの供奉、伊勢弥九郎の上洛、光明院・神徳院による渡海祈念について伝えた。さらに、明の勅使来朝に伴い、朝鮮在番衆の各主将は人数を残して帰朝すること、約七百人を伊集院抱節・比志島紀伊守・鎌田出雲守のもとに残し、又八郎らは直接京都へ上ることを指示した。船数を確実に整え、不足時は国元へ連絡すること、残番衆の士気や帰国用の船に配慮し、小西摂津守と相談することなども求めた書状。

登場人物
島津義弘、島津又八郎(島津忠恒)、図書頭、石田治部少輔(石田三成)、伊勢弥九郎、伊集院抱節、比志島紀伊守、鎌田出雲守、小西摂津守(小西行長)、木脇三左衛門尉、本田源右衛門尉、光明院、神徳院、明勅使、朝鮮在番衆
宛先
又八郎殿
キーワード
島津義弘、島津忠恒、図書頭、石田三成、伊勢弥九郎、伊集院抱節、比志島紀伊守、鎌田出雲守、小西行長、木脇三左衛門尉、本田源右衛門尉、光明院、神徳院、明勅使、朝鮮在番衆、帰朝、上洛、京都、残留兵、七百人、船、渡海祈念、書状
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 515達旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

上田三左衛門尉達

大膳亮内の上田三左衛門尉は加久藤御曖衆へ、妻の妹への宗門手札交付を依頼する。妹は先年の改めの際、加治木又八郎の御前に奉公しており、御内方には手札が下されなかったため現在も所持していない。寛永十三年八月に暇を得て上田のもとへ来た後、加久藤衆中小原織部佑方へ遣わしたので、今回の改奉行へ申し入れて手札を下すよう求める。

登場人物
上田三左衛門尉、上田三左衛門尉の妻の妹、加治木又八郎御前、小原織部佑
宛先
谷口次郎左衛門尉、白坂大炊左衛門尉(加久藤御曖衆)
キーワード
寛永十六年三月十六日、上田三左衛門尉、大膳亮内、妻の妹、加治木又八郎御前、奉公、御内方、宗門手札、寛永十三年八月、暇、小原織部佑、加久藤御曖衆、谷口次郎左衛門尉、白坂大炊左衛門尉、改奉行、交付依頼
附録2-No.1281文書確認度 高

新納武久書状

累年預かっていた長光太刀が安堵されたことを大いに喜び、その礼として領地一町を新納忠勝へ贈る。今後は小法師との契約により保管し、異議はないと伝えた新納武久書状。

登場人物
新納武久、新納忠勝、三左衛門
宛先
新納忠勝
キーワード
新納武久、新納忠勝、長光太刀、安堵、礼、領地一町、契約、保管
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 275-2書状旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

田中宗行外二名連署書状

府内御横目衆からの返書写し二通を見せられたことへの礼を述べ、島への贈物・兵糧類を家中で賞味した旨を伝える田中宗行外二名連署書状。家老衆への取次ぎを頼み、十一月四日付で山本三左衛門宛に結ぶ。

登場人物
田中宗行、岡本新兵衛、多賀主水、山本三左衛門、府内御横目衆
宛先
山本三左衛門
キーワード
田中宗行外二名連署書状、府内御横目衆、返書写、贈物、家老衆
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 375-5送状・兵站文書旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

飯米賦渡送状

十一月二十四日、赤米十八石三斗八升と真米二石三升三合を掲げる。天草一乱に伴い加世田内の小湊・小浦・片浦から仕立てた船の船頭・水手・上乗衆の飯米として、永山覚兵衛尉・三原源右衛門へ渡すよう篠原三左衛門・丸田内膳正へ命ずる。数量の横には前かき・右同と記す。

登場人物
永山覚兵衛尉 三原源右衛門 篠原三左衛門 丸田内膳正
宛先
篠原三左衛門・丸田内膳正
キーワード
飯米 赤米十八石三斗八升 真米 船頭 水手 上乗
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w8:83連署書状・薩州の国分居住許可の通知旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

〔寛永十三年〕六月十五日伊勢貞昌・川上久国連署書状

伊勢兵部少輔貞昌と川上左近将監久国が四人の宛先へ、薩州様が国分に居住したいと望み、酒井讃岐守を通じて披露したところ許可されたと伝える。連署の奉書が出され、黄門様が下国すればこの件も追って伝えられる見込みだという。詳しい事情は野州老から伝えるためここでは述べきれないとし、この段は承知してほしいと通知する。6月15日付で、寛永13年は本文外の傍注。確認用画像第2頁は次項84の冒頭『貴報』のみで、本書状の本文は第1頁・原PDF冊子577頁上段で完結する。

登場人物
伊勢兵部少輔貞昌、川上左近将監久国、薩州様、酒井讃岐守、野州老、黄門様、弾正大弼、山民部少、鎌山雲守、三左衛門
宛先
弾正大弼様、山民部少様、鎌山雲守様、三左衛門様
キーワード
6月15日、寛永13年の傍注、伊勢貞昌、川上久国、薩州様、国分居住希望、酒井讃岐守、許可、連署の奉書、黄門様の下国後の伝達見込み、野州老、四名宛所、確認用画像第2頁の次項84混入
旧記雑録拾遺 著作史料集5-文書ID D:172-9文書旧記雑録拾遺暫定版確認度 低

西田時通外二名連署書状

四月六日付の書状。沢原野御馬追をめぐり、参加人数の変更や近隣の人々との相談、雨天時の対応について報告する。御座を設けることや諸事を事前に確かめるよう求められた件にも触れ、準備の見通しを伝える。

登場人物
西田時通外二名、乍去御奉行、一先日御老中、和国三左衛門尉、黒木弥
宛先
乍去御奉行、御報三一小給、一先日御老中、御方、和国三左衛門尉
キーワード
西田時通外二名連署書状、御旧式類抄三、御馬追・牧政、役職・人事、目録・所蔵
旧記雑録拾遺 著作史料集7-文書ID w02:32書状旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

某三名連署書状

加久藤側の三名が山奉行の三原九兵衛へ、飛札を受けて御狩倉付と御用木留帳を調べ、書付を差し出したことを報じる。御狩倉付は御支配所の用向きでもあると添える十月十五日付書状。

登場人物
五代三左衛門、町田七郎左衛門、三原九兵衛、加久藤曖三人
宛先
五代三左衛門・町田七郎左衛門
キーワード
飛札、狩倉付、御用木留帳、加久藤、支配所、返答、連署書状
追録4-No.1368連署証状旧記雑録暫定版確認度 高

城井三左衛門外三名連署証状

郡奉行と山奉行の連署証状。重富にまだ役人が常駐していないため、当面は帖佐・吉田の役人が所管地を引き渡し、後に重富の役人が移ってきた際は両方へ届け出て、定めた境界どおり引き継ぐとする。

登場人物
大野鐵兵衛、仁礼彦右衛門、肥後興三右衛門、城井三左衛門、島津壮之助
宛先
宛先の記載なし
キーワード
重富、帖佐、吉田、役人、引渡し、境界
後編6-No.152文書確認度 高

米良某・菱刈某連署書状

菱刈美濃守重綱と米良三左衛門尉が国元の重臣らへ、相良清兵衛を江戸へ召し出すよう相良壹岐守から命じられ、清兵衛が先月二十日に出立したことを報じた連署書状。その留守中に清兵衛方の者と犬童牛兵衛が同心して逆心し、勝手な振舞いをしたため討ち果たしたが、すでに残党なく事は収まったとして安心するよう伝え、詳しくは使者の口上に委ねている。

登場人物
菱刈美濃守重綱、米良三左衛門尉、相良清兵衛、犬童牛兵衛、相良壹岐守、伊地知弥右衛門尉
宛先
三原左衛門佐様・鎌田治部少輔様
キーワード
菱刈美濃守重綱、米良三左衛門尉、相良清兵衛、犬童牛兵衛、相良壹岐守、伊地知弥右衛門尉、江戸召出し、留守、逆心、討伐、使者口上、連署書状
後編6-No.186文書確認度 高

黒田頼崇起請文

黒田三左衛門頼崇が、振舞方の見廻役として諸事に念を入れて奉公し、御前で聊爾がないよう注意すること、どのような策があっても同調せず直ちに言上すること、聞き違いによる疑いを受けた場合は糺明のうえ召し仕えるよう願うことを誓った起請文。違反時には梵天・帝釈・四大天王・日本国中の諸神などの神罰を受けるとする神文を伴う。本文見出しは「起請文前書之事」、本文署名およびインデックス表題はいずれも「黒田頼崇」と確認した。

登場人物
黒田三左衛門頼崇
宛先
—
キーワード
黒田頼崇、黒田三左衛門頼崇、起請文前書之事、振舞方、見廻役、奉公、御前、計策、言上、糺明、起請文、神文、梵天、帝釈、四大天王、神罰、本文署名、インデックス表題
後編6-No.333文書確認度 高

西国時通外二名連署書状案

西国時通らが、秋月家家老の入江三左衛門一行の通行を知らせた書状案。入江は父子三人・弟一人・女房衆五人を含む上下四十五人で唐津方面へ向かい、野尻に宿泊後、八日町の三学院付近へ到着したとする。伊地知杢右衛門からの連絡を受け、宿泊・通行への対応を関係者へ申し送っている。

登場人物
西国時通、秋月家家老入江三左衛門、伊地知杢右衛門、野尻・八日町の役人
宛先
—
キーワード
西国時通、秋月家、入江三左衛門、伊地知杢右衛門、父子、女房衆、四十五人、唐津、野尻、八日町、三学院、宿泊、通行、書状案
後編6-No.334文書確認度 高

西国時通外二名連署書状案

西国時通らが、秋月家家老の入江三左衛門一行が翌日に当地へ通行する予定であることを知らせた書状案。父子三人・弟一人・女房衆五人を含む上下四十五人で唐津方面へ向かい、前日に野尻、当日に八日町へ宿泊した経路を示し、宿所・通行の準備を求めている。

登場人物
西国時通、秋月家家老入江三左衛門、伊地知某、野尻・八日町の役人
宛先
—
キーワード
西国時通、秋月家、入江三左衛門、四十五人、唐津、野尻、八日町、旅程、宿泊、通行準備、書状案
後編6-No.373文書確認度 高

吉田康清有馬・天草両陣軍衆人数極

有馬・天草両陣の軍衆人数極。鹿児島衆・外城衆などについて内衆と披官・小者の人数を区分して集計し、両陣に動員された人数の総計を示す。黒田三左衛門・土持左馬権頭の確認を伴う。

登場人物
吉田康清、黒田三左衛門、土持左馬権頭、鹿児島衆、外城衆、有馬・天草両陣軍衆
宛先
—
キーワード
吉田康清、黒田三左衛門、土持左馬権頭、有馬、天草、軍衆人数、鹿児島衆、外城衆、内衆、披官、小者、人数極
追録1-No.1602記事旧記雑録暫定版確認度 高

光久、家光ノ二十五年忌ニ香典

徳川家光の二十五年忌法会に際し、島津光久が仁礼興三左衛門景林を使者として、銀二十枚の香奠を東叡山の尊霊前へ奉献した記事。

登場人物
島津光久、徳川家光、仁礼興三左衛門景林
宛先
—
キーワード
島津光久、徳川家光、二十五年忌、法会、仁礼興三左衛門景林、香奠、銀二十枚、東叡山、記事
追録1-No.2180記事旧記雑録暫定版確認度 高

村尾重栄琉球ニ在番ス

元禄二年三月二十六日、村尾重栄を琉球在番奉行として派遣し、東郷三左衛門らを副役に付け、任期を終えた元禄四年七月十八日に薩摩へ帰ったことを記す記事。

登場人物
村尾重栄、東郷三左衛門、毛利作右衛門、長友勘左衛門、村尾與兵衛
宛先
—
キーワード
村尾重栄、琉球在番奉行、東郷三左衛門、毛利作右衛門、長友勘左衛門、村尾與兵衛、任期、帰国、記事
追録4-No.1549系譜記事旧記雑録暫定版確認度 高

継豊の妹於民の出生記事

継豊の妹於民について、九月十五日に生まれ、母は近藤三左衛門嘉包の娘であると記す。後に伊勢兵部の妻となったことも付記する。

登場人物
於民、島津継豊、近藤三左衛門嘉包、伊勢兵部
宛先
—
キーワード
於民、継豊の妹、出生、近藤三左衛門嘉包、伊勢兵部
追録6-No.2058記事旧記雑録暫定版確認度 中

重豪参勤途次ニ御鷹ノ鶴拝領ス

天明四年正月十三日、重豪は江戸参勤のため鹿児島を発ち、家老島津左中久金、大目付川上頼母久品、側役岩下佐次右衛門方恭、側役格愛甲蔵記廉盛・児玉祝人実門らが供奉した。九州路を進み、二十三日に筑前木屋瀬、二十四日に豊前大里へ渡り、中国路を経て閏正月十一日に大坂、十二日夜に大坂を発して淀川を遡り伏見に一泊、十五日に伏見を発ち、十六日に近江高宮へ着いた。これに先立つ閏正月七日、将軍徳川家治は宿次奉書により、将軍家の鷹が捕った鶴一隻を重豪へ与えた。久世広明から留守居を通じて伝達され、鶴と奉書は村田藤九郎経條・河野三左衛門良堅が宿次で護送し、十六日に高宮の客舎で重豪が受領した。同日、重豪は側用人平田平太左衛門位就を謝恩使として江戸へ遣わした。位就は重豪を待って美濃国清洲駅にいたが、鶴受領の報を受けて同駅から江戸へ発ち、二十三日夜に到着、二十五日に久世広明宅へ赴き、翌日には老中各邸を回った。重豪は高宮から美濃路・東海道を進み、二月朔日に江戸へ到着して芝邸に入り、同日留守居を老中邸へ遣わして参府を報告し、六日には自ら老中各邸を回った。七日、久世広明は留守居に、通常は謝恩使が将軍に目見えして奉書を受ける例だが、この時は重豪がすでに朝覲していたため、将軍は謝恩使に会わず奉書も与えないと伝えた。

登場人物
島津重豪、徳川家治、島津久金(島津左中)、川上久品(川上頼母)、岩下方恭(岩下佐次右衛門)、愛甲廉盛(愛甲蔵記)、児玉実門(児玉祝人)、久世広明、村田藤九郎経條、河野三左衛門良堅、平田平太左衛門位就、江戸留守居
宛先
宛所なし
キーワード
島津重豪、参勤、江戸、正月十三日、島津久金、川上久品、岩下方恭、愛甲廉盛、児玉実門、九州路、筑前木屋瀬、豊前大里、中国路、大坂、淀川、伏見、近江高宮、徳川家治、宿次奉書、御鷹、鶴一隻、久世広明、村田藤九郎経條、河野三左衛門良堅、平田平太左衛門位就、美濃清洲駅、美濃路、東海道、芝邸、謝恩使、朝覲、留守居
追録6-No.2117覚書旧記雑録暫定版確認度 中

田沼意次側から伝えられた休息所使用法と謝礼不要の旨を記す

田沼主殿頭の用人大竹三左衛門から切紙で呼び出された渋谷五郎右衛門が、朔望・二十八日などの登城時に大廊下下の休息所内で障子際へ控え、場所は大目付・目付に問い合わせること、年始・五節句にも同じ休息所を用いることを口達された。渋谷が礼勤めの要否を尋ねると、先の命令を補う達しであるため表向きの謝礼は不要と説明された。九月二十三日の申出に、十月一日の登城時、牧野越中守が大目付衆からの書付を重豪へ直接渡したとの朱書を加える。

登場人物
島津重豪、田沼意次、大竹三左衛門、渋谷五郎右衛門、伊賀、牧野貞長、大目付、目付
宛先
家老座内の報告(口達は田沼主殿頭用人から)
キーワード
田沼意次、大竹三左衛門、渋谷五郎右衛門、伊賀、島津重豪、大廊下下、休息所、障子際、大目付、目付、謝礼不要、牧野貞長
追録8-No.432本文群(三郎上京依頼の二書状と小笠原動静・携帰注)旧記雑録暫定版確認度 中

親征をめぐり三郎の速やかな上京を求める二書状と京都からの携帰・拝聞を記す記事

三内容の雑集。第一は三郎の七月十二日書状で、人心に関わるため親征に尽力したいとの依頼を受け、表向への許しと早い上京のための取り計らいを求める。大連署の建白が朝議に合ったことも述べる一方、親征は治定しておらず御時宜次第とし、詳しい話をして上京許可を得たいとする。第二は七月十一日の連名書状、三郎殿宛で、召しを受けた好機に上京し、懸案を分明にして親征の願いに力を貸すよう重ねて頼む。第三の注は小笠原圖書頭の上京の事情と対外沙汰への心得を載せ、文久三年亥七月十一日に奈良原幸五郎・税所喜三左衛門が京都から持ち帰り、十三日に御一門以下の諸役人・諸士が本丸で拝聞したと記す。書状の日付順と携帰注を整合のため書き換えず、上京・親征の実行完了を認定しない。

登場人物
嶋津三郎、連名の依頼者(姓名不記)、大連署の建白者、朝廷、小笠原圖書頭、奈良原幸五郎、税所喜三左衛門、御一門・諸役人・諸士
宛先
第一は宛名姓名不記、第二は嶋津三郎殿
キーワード
三内容、七月十二日嶋津三郎書状親征上京許可依頼、大連署建白朝議符合親征未治定、七月十一日連名三郎殿宛急速上京依頼、小笠原圖書頭上京動静沙汰心得、文久三年亥七月十一奈良原幸五郎税所喜三左衛門京都持下、同十三本丸一門諸役諸士拝聞
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 275-1記事旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

記事

四日、熊本家老中が山本三左衛門を松倉長門守方の籠城家老への見舞使者として遣わした記事。使者に対し籠城家老から書簡が贈られたことを記す短文。

登場人物
熊本家老中、山本三左衛門、松倉長門守方籠城家老
宛先
なし
キーワード
記事、熊本家老中、山本三左衛門、松倉長門守、籠城、見舞使者
追録1-No.1001-3申上書旧記雑録暫定版確認度 高

北郷家跡目申上書(枝番3)

北郷家跡目の処置について、千世松の縁組・家相続案、北郷又次郎への早期申渡し、知行三百石や開地の手当、家中・被官の処置を検討し、関係者を召して上意を伝えるよう申し上げた文書。

登場人物
喜入摂津守、千世松、北郷又次郎、伊東三左衛門、高崎惣右衛門、島津光久
宛先
—
キーワード
喜入摂津守、千世松、北郷又次郎、伊東三左衛門、高崎惣右衛門、島津光久、北郷家跡目、縁組、知行三百石、開地、被官、申上書
追録1-No.1001-4申渡書旧記雑録暫定版確認度 高

北郷家跡目申渡書(枝番4)

島津光久側が、喜入摂津守と千世松の縁組、名字免許と北郷家相続、北郷又次郎への伝来刀・知行付与を進める一方、官位、知行・所領、家臣団、幼少の世継ぎがある場合の相続まで関係者で協議するよう伝えた申渡書。

登場人物
喜入摂津守、千世松、北郷又次郎、伊東三左衛門、高崎宗右衛門、島津光久
宛先
—
キーワード
喜入摂津守、千世松、北郷又次郎、伊東三左衛門、高崎宗右衛門、島津光久、北郷家跡目、縁組、名字免許、知行、所領、家臣団、世継ぎ
追録1-No.1001-9申渡口上旧記雑録暫定版確認度 高

北郷又次郎宛申渡口上(印刷枝番9)

北郷跡を喜入摂津守へ仰せ付け、伝来刀・知行少分を北郷又次郎へ与える案について、又次郎の辞退理由をもっともと認め、付与を取り止める旨を伝えた申渡口上。

登場人物
島津光久、北郷又次郎、喜入摂津守、伊東三左衛門、高崎惣右衛門
宛先
北郷又次郎
キーワード
島津光久、北郷又次郎、喜入摂津守、伊東三左衛門、高崎惣右衛門、北郷家跡目、伝来刀、知行、辞退、申渡口上、印刷枝番9
追録1-No.1003-1申渡記録旧記雑録暫定版確認度 高

小杉家跡目申渡記録(枝番1)

島津光久が、小杉家跡目について庄内へ照会し、役人らで相談して候補を申し上げるよう命じ、相談結果を早急に報告するよう重ねて指示した記録。

登場人物
島津光久、小杉家役人、鎌田蔵人、伊東三左衛門
宛先
—
キーワード
島津光久、小杉家跡目、庄内、役人、相談、候補、鎌田蔵人、伊東三左衛門、申渡記録
追録1-No.2472口上覚旧記雑録暫定版確認度 高

使者口上覚

使者が近藤吉左衛門宅で、光久が十一月二十九日に死去したこと、太守からの書状を届けたこと、幕府への届出について指図を求めることなどを申し述べた口上覚。

登場人物
那須三左衛門、近藤吉左衛門、島津綱貴、島津光久
宛先
—
キーワード
那須三左衛門、近藤吉左衛門、島津綱貴、島津光久、使者、口上、死去届、書状、差図、口上覚
追録6-No.1907伺書旧記雑録暫定版確認度 高

桜島蜜柑の不作により十二月の献上を炙鮎一種とすることを伺う

例年十二月に桜島蜜柑と炙鮎を献上してきたが、桜島の火災で柑木が損傷し、煙も続いて蜜柑の産出が少なく、先例どおりの献上が難しいと重豪が述べる。国産の代替品も見当たらないため、当面は炙鮎一種のみの献上を伺う。十月二十一日付。付札は蜜柑が再び出来るまで炙鮎一種の献上を認める。続く附記は、十月十八日に有川勇馬が田沼意次方へ書付を持参し、二十一日に本城源七郎が提出したこと、二十六日に用人を介して呼出し・相談を受けたことなどを記す。1906は同じ問題を要約した別記事。

登場人物
島津重豪、田沼意次(田沼主殿頭)、有川勇馬、三浦庄二、本城源七郎、山崎藤五郎、大竹三左衛門、矢野清右衛門
宛先
—
キーワード
島津重豪、田沼意次、有川勇馬、三浦庄二、本城源七郎、山崎藤五郎、大竹三左衛門、矢野清右衛門、桜島、桜島蜜柑、柑木、炙鮎、十二月献上、代替品、伺書、付札、御用人
追録6-No.2195-9書上旧記雑録暫定版確認度 中

三月四日の招請人六十三記載を席の区分別に列記する

将軍転任祝儀の招請人名を63件列記する。三月四日・御次第不同とし、大書院・表書院御取持・勝手之間・居間書院・居間・勝手の区分と各人の断注を記す。掲載数は出席人数を表さない。

登場人物
松平弾正大弼、松平摂津守、伊達遠江守、松平大学頭、松平土佐守、松平雅楽頭、榊原式部大輔、伊達大膳大夫、上杉弾正大弼、戸田采女正、内藤備後守、有馬左兵衛佐、亀井隠岐守、相良壱岐守、山内摂津守、本多肥後守、織田筑前守、榊原兵部大輔、遠山和泉守、久留嶋信濃守、大久保能登守、松平三郎太郎、渡邊忠四郎、乙幡宇兵衛、水谷善兵衛、水上鐵藏、松岡九八郎、山川清右衛門、河野仙寿院、池原長仙院、橘宗仙院、馬嶋瑞伯、長谷川太郎兵衛、倉橋三左衛門、長田甚左衛門、酒依清左衛門、土方宇源太、篠山吉之助、狩野栄川院、狩野養川、鍋嶋甲斐守、織田左近将監、立花出雲守、柳生但馬守、酒井縫殿頭、九鬼中務、京極伊豫守、京極八之助、村松四兵衛、村松代七、橘隆庵、小川玄孝、山添宗積、奥平大膳大夫、松平靭負、山添熙春院、桂川甫周、堀本一甫、嶋津淡路守、嶋津式部少輔、嶋津又吉郎、深見久太夫、伊勢萬助
宛先
三月四日招請名簿(個別宛所なし)
キーワード
松平弾正大弼、松平摂津守、伊達遠江守、松平大学頭、松平土佐守、松平雅楽頭、榊原式部大輔、伊達大膳大夫、上杉弾正大弼、戸田采女正、内藤備後守、有馬左兵衛佐、亀井隠岐守、相良壱岐守、山内摂津守、本多肥後守、織田筑前守、榊原兵部大輔、遠山和泉守、久留嶋信濃守、大久保能登守、松平三郎太郎、渡邊忠四郎、乙幡宇兵衛、水谷善兵衛、水上鐵藏、松岡九八郎、山川清右衛門、河野仙寿院、池原長仙院、橘宗仙院、馬嶋瑞伯、長谷川太郎兵衛、倉橋三左衛門、長田甚左衛門、酒依清左衛門、土方宇源太、篠山吉之助、狩野栄川院、狩野養川、鍋嶋甲斐守、織田左近将監、立花出雲守、柳生但馬守、酒井縫殿頭、九鬼中務、京極伊豫守、京極八之助、村松四兵衛、村松代七、橘隆庵、小川玄孝、山添宗積、奥平大膳大夫、松平靭負、山添熙春院、桂川甫周、堀本一甫、嶋津淡路守、嶋津式部少輔、嶋津又吉郎、深見久太夫、伊勢萬助、将軍転任、右大臣、祝儀、招請、人名書、断注
追録6-No.2195-10書上旧記雑録暫定版確認度 中

三月六日の招請人七十二記載を席の区分別に列記する

将軍転任祝儀の招請人名を72件列記する。三月六日・御次第不同とし、大書院・表書院御取持・勝手之間・小書院・居間書院・居間・勝手の区分と各人の断注を記す。同名の再出を含む。掲載数は出席人数を表さない。

登場人物
松平左近将監、松平左京大夫、佐竹右京大夫、松平内蔵頭、松平安藝守、藤堂和泉守、有馬中務大輔、酒井雅楽頭、丹羽加賀守、松平出雲守、酒井修理大夫、松平左兵衛佐、稲葉能登守、毛利甲斐守、諏訪伊勢守、秋月佐渡守、本多豊後守、牧野兵部少輔、柳澤信濃守、立花丹後守、小笠原伊豫守、秋月山城守、酒井大学頭、永谷但馬守、林肥後守、土屋伊豫守、松平隠岐守、名取半左衛門、林百助、山口勘兵衛、守山八十郎、永井傳右衛門、鈴木清兵衛、諏訪部文九郎、長野善三郎、橘宗仙院、河野良以、桂川甫周、長谷川太郎兵衛、倉橋三左衛門、長田甚左衛門、酒依清左衛門、土方宇源太、篠山吉之助、原田順阿彌、平井専阿彌、石井栄阿彌、松平隠岐守、池原長仙院、松平伊豫守、松平左兵衛、河野仙寿院、山添熙春院、阿部備中守、奥平大膳大夫、鳥居播磨守、酒井相模守、水野壱岐守、松平靭負、橋本阿波守、青山但馬守、戸田五助、水谷彌十郎、橋本数馬、戸田久次郎、堀本一甫、田村元長、嶋津淡路守、嶋津式部少輔、嶋津又吉郎、深見久太夫、伊勢萬助
宛先
三月六日招請名簿(個別宛所なし)
キーワード
松平左近将監、松平左京大夫、佐竹右京大夫、松平内蔵頭、松平安藝守、藤堂和泉守、有馬中務大輔、酒井雅楽頭、丹羽加賀守、松平出雲守、酒井修理大夫、松平左兵衛佐、稲葉能登守、毛利甲斐守、諏訪伊勢守、秋月佐渡守、本多豊後守、牧野兵部少輔、柳澤信濃守、立花丹後守、小笠原伊豫守、秋月山城守、酒井大学頭、永谷但馬守、林肥後守、土屋伊豫守、松平隠岐守、名取半左衛門、林百助、山口勘兵衛、守山八十郎、永井傳右衛門、鈴木清兵衛、諏訪部文九郎、長野善三郎、橘宗仙院、河野良以、桂川甫周、長谷川太郎兵衛、倉橋三左衛門、長田甚左衛門、酒依清左衛門、土方宇源太、篠山吉之助、原田順阿彌、平井専阿彌、石井栄阿彌、松平隠岐守、池原長仙院、松平伊豫守、松平左兵衛、河野仙寿院、山添熙春院、阿部備中守、奥平大膳大夫、鳥居播磨守、酒井相模守、水野壱岐守、松平靭負、橋本阿波守、青山但馬守、戸田五助、水谷彌十郎、橋本数馬、戸田久次郎、堀本一甫、田村元長、嶋津淡路守、嶋津式部少輔、嶋津又吉郎、深見久太夫、伊勢萬助、将軍転任、右大臣、祝儀、招請、人名書、断注
追録6-No.2220覚書旧記雑録暫定版確認度 中

登城時の休息所・礼席の取り扱いを記す

太守の登城と月次の礼を機に、田沼主殿頭からの伝達や大広間での沙汰を記す。今後の登城時、大廊下下の休息所を使用できること、年始・五節句などは扱いが異なること、白書院・黒書院での礼や席次、田沼からの呼び出しと先例との関係を詳述する。冒頭に「九月十五日」、末尾に「天明五年五月十五日」と記され、日付が一致しない。

登場人物
渋谷貫富(渋谷五郎右衛門、留守居)、島津重豪(太守)、田沼主殿頭、久松筑前守、大竹三左衛門、井伊掃部頭
宛先
記載なし(渋谷貫富の覚書)
キーワード
渋谷貫富、島津重豪、田沼主殿頭、久松筑前守、大竹三左衛門、井伊掃部頭、登城、月次の礼、休息所、大広間、白書院、黒書院、席次、五節句
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 553覚旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

天草立軍衆覚

天草出陣衆の延べ人日を一日賦で集計する。鹿児島衆は十万四千四百二十五人日で、人躰九千四十九人日、被官・夫九万五千三百七十六人日。外城衆は十五万六千八十三人日で、人躰十一万二千七百六十六人日、被官・夫四万三千三百十七人日。総計二十六万五百八人日は、人躰十二万一千四百二十五人日、被官・夫十三万九千八十三人日に分かれる。

登場人物
黒田三左衛門尉、土持左馬権頭
宛先
宛先記載なし
キーワード
寛永廿一年二月三日、天草立軍衆、延べ人日、鹿児島衆十万四千四百二十五、外城衆十五万六千八十三、総計二十六万五百八、人躰十二万一千四百二十五、被官・夫十三万九千八十三、黒田三左衛門尉、土持左馬権頭
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 556覚旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

有馬立軍衆人数究

本文は天草出陣衆の延べ人日を一日賦で集計し、鹿児島衆十万四千四百二十五、外城衆十五万六千八十三、総計二十六万五百八人日とする。内訳は人躰十二万一千四百二十五、被官・夫十三万九千八十三で、文書553と同内容である。本文日付は二月三日だが、目録は標題を「有馬立軍衆人数究」、年月日を寛永二十一年二月五日とするため、目録欄と本文内容の相違を保持する。

登場人物
黒田三左衛門、土持左馬権頭
宛先
宛先記載なし
キーワード
目録寛永廿一年二月五日、本文二月三日、目録標題有馬立軍衆人数究、本文天草立軍衆覚、延べ人日二十六万五百八、人躰十二万一千四百二十五、被官・夫十三万九千八十三、黒田三左衛門、土持左馬権頭、文書553同内容
追録5-No.305記事旧記雑録暫定版確認度 高

宗信、琉球慶賀使を伴い参府す

家重の将軍職継承に対する琉球慶賀使の参府を記す。継豊は病気のため江戸に留まり、延享三年に家督を継いだ宗信が代行する旨を執政酒井雅樂頭忠知へ申し出て、許可された。中山王尚敬は慶賀正使具志川王子と副使與那原親方を薩府へ遣わし、寛延元年九月九日、宗信は正副使と従者九十八人を率いて薩城を出発した。島津兵庫久門、番頭格入來院石見定勝、家老鎌田典膳政昌、側用人本田孫右衛門親房、近習役澁谷喜三左衛門貫通・二階堂林左衛門行通・福山平太夫安都らが同行し、家老平田掃部正輔、用人有川幸右衛門貞利、近習役堀堀右衛門貞起らが使節を監督した。十一日に向田の仮館へ着き、十四日に琉球使・琉人監官・諸有司が久見崎港で乗船した。

登場人物
島津宗信・島津継豊・徳川家重・酒井忠知(雅樂頭)・尚敬(中山王)・具志川王子・與那原親方・島津久門(兵庫)・入來院定勝(石見)・鎌田政昌(典膳)・本田親房(孫右衛門)・澁谷貫通(喜三左衛門)・二階堂行通(林左衛門)・福山安都(平太夫)・平田正輔(掃部)・有川貞利(幸右衛門)・堀堀右衛門貞起(原文表記)
宛先
—
キーワード
島津宗信、島津継豊、琉球使節、江戸参府、薩府、宗信公御譜
追録5-No.1239御譜記事旧記雑録暫定版確認度 高

重年帰国と謝使の派遣

宝暦三年四月二十三日、重年が家老義岡相馬久中、側用人二階堂林左衛門行通・澁谷喜三左衛門貫通、福山平太夫安都、近習役河野安之右衛門通古らを従えて江戸芝邸を発った記事。東海道・伊勢路を経て五月八日に城州伏見の仮館へ着き、一日留まった。十日に出発して川を下り大坂仮館へ着き、二日留まった。十三日に船で尼ヶ崎へ進み、播州を陸路で通って十六日に坂越へ着き、直ちに乗船して翌十七日に出帆した。二十七日夜に日州細島港へ着いたが、先の大火で民家の半ばが焼けていたため、供の人馬が到着するまで船内で三日待ち、六月二日に下船した。都濃、都於郡、高岡、高城、都之城、福山を経て九日に福山から船で鹿府築地亭へ着き、府城へ入った。都濃は秋月佐渡守種美領内、都於郡は島津加賀守忠雅領内の宿所との元注がある。その後、番頭喜入安次郎久福を謝恩使として江戸へ遣わした。久福は九州を進み豊前小倉から船で大坂へ渡り、東海道・伊勢路を経て七月十一日に江戸芝邸へ着いた。二十八日に登営し、家重へ重年の献物芭蕉布二十端・三種二荷を呈した。土岐伊豫守頼熙が取り次ぎ、久福自身も太刀一腰・馬代白銀一枚・紗綾二巻を献じて拝謁し、井上河内守利容の奏達を受けた。続いて西城の松之間で家治へ重年の献物三種二荷を呈し、永井伊賀守直陳が取り次いだ。久福自身は太刀一腰・馬代白銀一枚を献じた。八月六日に再登営し、西尾隠岐守忠尚が檜之間へ久福を召して回答の奉書を渡し、土岐頼熙の取次で紗綾二巻を与えた。同日、西城の秋元但馬守凉朝からも回答の書翰を受けた。二十八日に芝邸を発ち、東海道を経て大坂から船で西海を航行し、十一月六日に薩府へ帰って復命した。出典は重年公御譜。

登場人物
島津重年・義岡相馬久中・二階堂林左衛門行通・澁谷喜三左衛門貫通・福山平太夫安都・河野安之右衛門通古・喜入安次郎久福・家重・家治・土岐伊豫守頼熙・井上河内守利容・永井伊賀守直陳・西尾隠岐守忠尚・秋元但馬守凉朝・秋月佐渡守・島津加賀守(宿所元注)
宛先
該当なし
キーワード
重年、義岡久中、行通、貫通、安都、通古、四月二十三日芝邸発、五月八日伏見、十六日坂越、十七日出帆、二十七日細島、火災、六月二日下船、九日府城、喜入久福、七月十一日江戸着、二十八日登営、家重、芭蕉布二十端、三種二荷、家治、太刀、馬代白銀、紗綾二巻、奉書、八月二十八日発、十一月六日復命
追録5-No.2016御譜記事旧記雑録暫定版確認度 要確認

忠洪初御目見・家臣拝謁と献上記事

宝暦八年四月十九日、忠洪が老中奉書を受け、熨斗目・長袴を着して登城し、黒書院で将軍父子に初めて拝謁した記事。幼少のため、一族島津淡路守久柄を同伴者に選んだが、当日は西城の親戚松平越中定賢が同伴したという注がある。家重へ太刀一腰・縮緬十巻・白銀二十枚・馬一匹、家治へ太刀一腰・白銀二十枚・馬一匹を献上した。家治への奏者は黒田大和守直純、取次の用番老中は本多伯耆守正珍。忠洪は三下段へ入り、初席へ退いて上意を受け、平伏して退出した。続いて家臣一族島津若狭久定、家老樺山左京久倫・島津主鈴久郷・高橋縫殿種壽が、各々家重へ太刀一腰・馬代銀一枚・縮緬五巻、家治へ太刀一腰・馬代銀一枚を献上した。番頭名越左源太恒篤らと、用人澁谷喜三左衛門貫通・宮之原甚五太夫通直・諏訪甚兵衛兼方・小林中太兵衛政央が、各々家重へ太刀一腰・馬代銀一枚・縮緬三巻、家治へ太刀一腰・馬代銀一枚を献上して台顔に拝謁し、金森頼錦・水野忠見が奏者を務めた。幼少の忠洪に代わり家臣九人が襲封の恩を謝したことは、通常の元服後の家臣拝謁と異なる旨の注がある。忠洪はさらに西城大広間へ登り、松平周防守康福に拝謁して前件を謝し、家臣九人も西城で礼を述べた。その後桜田邸で休息し、老中・側用人・若年寄の各位へ礼を述べ、先例に従い白銀十枚を献上した。また本営の老女へ各白銀二枚、表使女へ各一枚を贈った。出典は重豪公御譜。

登場人物
島津忠洪・島津淡路守久柄・松平越中定賢・徳川家重・徳川家治・黒田大和守直純・本多伯耆守正珍・島津若狭久定・樺山左京久倫・島津主鈴久郷・高橋縫殿種壽・名越左源太恒篤・澁谷喜三左衛門貫通・宮之原甚五太夫通直・諏訪甚兵衛兼方・小林中太兵衛政央・金森兵部少輔頼錦・水野壱岐守忠見・松平周防守康福・老中・側用人・若年寄・本営老女・表使女
宛先
徳川家重・徳川家治・老中・側用人・若年寄・本営老女・表使女
キーワード
四月十九日忠洪初拝謁、幼少久柄選定定賢同伴、黒書院将軍父子、家重家治別進物、黒田直純本多正珍、久定樺山久倫主鈴久郷高橋種壽、名越恒篤澁谷貫通宮之原通直諏訪兼方小林政央、家臣九人襲封謝恩、金森頼錦水野忠見、西城大広間松平康福、桜田邸、老中側用人若年寄白銀十枚、老女各二枚表使各一枚
追録5-No.2020-6献上物控え旧記雑録暫定版確認度 高

御目見に伴う献上品と家臣・役人の控え

四月の御目見における家臣九人の献上物を記した控えである。一族の島津若狭と家老の樺山左京・島津主鈴・高橋縫殿の四人は、公方へ太刀・馬代銀・縮緬五巻、大納言へ太刀・馬代銀をそれぞれ献上する。番頭の名越左源太と用人の澁谷喜三左衛門・宮之原甚五太夫・諏訪甚兵衛・小林中太兵衛の五人は、公方へ太刀・馬代銀・縮緬三巻、大納言へ太刀・馬代銀をそれぞれ献上する。附紙には同じ内容で献上する旨の指示がある。

登場人物
島津若狭・樺山左京・島津主鈴・高橋縫殿・名越左源太・澁谷喜三左衛門・宮之原甚五太夫・諏訪甚兵衛・小林中太兵衛・公方・大納言
宛先
宛所記載なし
キーワード
家臣九人、前四人縮緬五巻、後五人縮緬三巻、太刀馬代銀、公方大納言
追録6-No.976-14系譜旧記雑録暫定版確認度 中

浄岸院の出生・養姫・婚姻と逝去・薩州への葬送履歴

浄岸院の出生から養姫・婚姻、家族の事蹟、逝去と葬送をまとめた履歴。宝永二年乙酉二月十九日、京都で千代姫として生まれ、実父は清閑寺前大納言熙定、母は「家之女房」で後に玉勝院と称した。四歳で江府へ下り、宝永五年戊子七月二十五日、御台の願いによって常憲院の養姫となり竹姫と称する。享保十四年己酉六月四日に継豊との縁組が命じられ、同年十二月十一日に婚姻が整った。嫡子盆之助を独子とし、享保十八年癸丑五月朔日に女子菊姫が出生、宝暦五年乙亥十二月七日に筑前国主の嫡松平修理大夫重政へ嫁いだと記す。続いて宝暦十一年辛巳十二月四日の女子屋世姫出生と、十一歳の明和八年辛卯八月十日の早世を記すが、この女子の母は明示しない。重政が宝暦十二年壬午七月十四日に死去した後、菊姫は髪を卸して真含院と称し、継豊が宝暦十年庚辰九月十日に死去した後、竹姫は髪を卸して浄岸院と称した。六十八歳の安永元年壬辰十二月五日辰刻、芝の御守殿で逝去し、法号を浄岸院殿信譽清仁祐光大禅定尼とする。同月二十日卯上刻に御守殿から出棺し、薩州福昌寺へ送葬する。供は家老島津左中、側用人西恰之助、近習役薬丸猪右衛門、留守居有川勇馬、使番大野清大夫、御守殿添用達川上頼兵衛、中通目付伊東三左衛門、表目付平田主右衛門ほか、鎖口添番・医師・馬廻・新番・歩行の者が段々に命じられた。公儀の留守居番織田図書も国元まで遣わされるよう命じられたと結ぶ。

登場人物
浄岸院(千代姫・竹姫)、清閑寺熙定、玉勝院、常憲院、御台、島津継豊、盆之助(恭徳院注)、菊姫(真含院)、松平修理大夫重政(黒田注)、屋世姫、島津左中、西恰之助、薬丸猪右衛門、有川勇馬、大野清大夫、川上頼兵衛、伊東三左衛門、平田主右衛門、織田図書
宛先
履歴記事のため独立宛書なし
キーワード
出生・養姫・婚姻履歴、女子の事蹟、剃髪、逝去、葬送と供役
追録6-No.1696願書旧記雑録暫定版確認度 高

島津重豪参勤時期変更願書

島津重豪が、近来は持病が暑気に障り、例年の暖気の時節に出発しても道中が甚だ難儀であるとして、全快するまでの間は三月中に暇を下され、二月中に参府したいと願う。安永九年八月九日、御名。朱の付札は願いの通りとする。別の朱書は、例書を添えた願書を八月九日に倉橋三左衛門を介して御用番松平右京大夫へ提出し、十一日に朱書の御附紙を付して返された経緯を記し、関源八・有川勇馬にも触れる。病状そのものの治癒や実際の出発・参府完了を報告した文書ではない。

登場人物
島津重豪、松平右京大夫、倉橋三左衛門、関源八、有川勇馬
宛先
御用番松平右京大夫(朱書の提出先。願書本文に独立宛名なし)
キーワード
持病、暑気、道中難儀、三月中御暇、二月中参府、願之通、例書添付、御用番、朱付札
追録6-No.2289伺書旧記雑録暫定版確認度 中

国許からの献上品が間に合わないため在国品の献上を伺う

重豪は、在国時節に差し上げる干鯛・残魚について、国許からの品が到着しないため、在国にあった品を献上してよいか伺う。十一月八日付の伺書と、留守居矢野清右衛門の呼出し、別の留守居伊木喜兵衛による御取次大竹三左衛門への御用付札提出を記す。

登場人物
島津重豪(松平薩摩守)、矢野清右衛門、伊木喜兵衛、大竹三左衛門
宛先
御用番田沼主殿頭(付札の提出先)
キーワード
島津重豪、在国、干鯛、残魚、献上品、田沼主殿頭、留守居、伊木喜兵衛、御用付札
追録6-No.2534書状旧記雑録暫定版確認度 高

隠居・家督願の提出受領と関係先への通知を報告する

隠居・家督願の案文を十五日に留守居澁谷五郎右衛門が用番牧野越中守ほか老中へ持参し、内見を求めたと報告する。異存がなければ十八日の客対日に先例どおり親類方へ先手衆を添えて提出したいと申し入れ、随意にするよう回答を得た。用番と松平周防守には十八日に願書を出し、廿九日か晦日に隠居・家督の命が下ることを希望する内意も伝えたという。十八日に用番宅で願書が滞りなく受け取られ、大いに喜ばれたとの連絡を受け、倉橋三左衛門らへ挨拶し、一門などへの通知を指示した。願書受領は当地の詰合へ即日伝え、京・大坂へは本日便で知らせるとし、願書写しを添える。明姫・女中方への伝達と、そちらから佐土原へ知らせるよう依頼する。正月廿三日付、関山糺・市田勘解由・二階堂主計から四名に宛てる。

登場人物
島津重豪、牧野貞長(越中守)、松平周防守、澁谷五郎右衛門、柳生但馬守、倉橋三左衛門、明姫、関山糺、市田勘解由、二階堂主計、喜入安房、川上頼母、島津仲、宮之原主膳
宛先
喜入安房、川上頼母、島津仲、宮之原主膳(各殿)
キーワード
隠居願、家督、案文、内見、客対日、願書受領、留守居、通知、明姫、佐土原
追録6-No.2543記事旧記雑録暫定版確認度 高

重豪が致仕を願い正月廿九日に牧野貞長から許可を伝えられたと記す

天明七年正月四日、柳生但馬守俊則・倉橋三左衛門久雄が重豪に代わって登城し、致仕を願ったと記す。廿九日には重豪が登城し、牧野越中守貞長を介して願いの許可を伝えられたと述べる。

登場人物
島津重豪、柳生但馬守俊則、倉橋三左衛門久雄、牧野越中守貞長
宛先
記事のため宛名なし
キーワード
致仕、隠居願、代理登城、柳生俊則、倉橋久雄、牧野貞長、許可
追録7-No.無番号_0063報告書旧記雑録暫定版確認度 高

記録奉行調書(906の4・出産女中の後歴先例)

大奥で召し仕えた女中が子を産んだ後に縁付を命じられた例、また子へ直接召し付けられた者があるか調べるよう命じられたことへの先例調書。浄国院(島津吉貴)の妾、郷田仲兵衛兼近女お幾・後霜林は子を産み、後に重富屋敷へ移った。重富留守居へ照会すると、当若狭殿の祖父周防殿(忠紀・注)が享保19寅9月に磯で生まれ、すぐ月桂院(吉貴側室)の養育となったが、延享2年乙丑3月21日に下屋敷から鼓川へ移り、同日母を勝浦山屋敷から召し移したと分かった。家元郷田安左衛門にも照会したが詳細不明で、形行いの次第は不知とする。吉貴の妾、近藤三左衛門嘉包女お政・後貞寿院は因幡殿の実母。吉貴逝去時まで御側に召し仕え、その後因幡方へ移り、今和泉留守居によれば延享元年甲子5月15日、因幡(初三次郎)の磯付高屋敷と道具を拝領、延享4年丁卯10月の遷去時も因幡の拝領なので磯屋敷で籠居した。宝暦2年申7月に居屋敷を拝領して家作し、翌3年酉には母子が喜入へ移った。有邦院(島津継豊)の妾、伊地知八四郎季鄰女おはんは本殿の実母で、知覧屋敷へ移った。享保17年子閏5月朔日に本丸大奥で出生し同日島津本久豪方へ引越し、直子の筋で養育された。延享2年丑12月朔日に北条織部から母を本殿方へ移す旨、100石の所務を一世下す旨を命じ、同日玄蕃から50石の所務を一世付けられたが、50石以外に本殿からの命はないとする。翌寅年2月26日、本殿15歳の時におはんが知覧へ移った。以上の先例は調べたが古い事なので細部は不明で、寛陽院(島津光久)の妾から子に召し付けられた人もあるものの、出産後の縁与等は見当たらないと報告する。文化元年子10月16日の朱注、記録奉行本田孫九郎・平山五郎右衛門、記録方添役橋口善兵衛、見習碇山八郎右衛門・本田休七・八田孝之進の六名を掲げる。居住・養育・道具・一世禄の先例と、縁付について確かな例を示せない調査結果を分ける。

登場人物
浄国院吉貴、有邦院継豊、寛陽院光久、郷田仲兵衛兼近女お幾・霜林、郷田安左衛門、周防忠紀、月桂院、近藤三左衛門嘉包女お政・貞寿院、因幡殿(初三次郎)、伊地知八四郎季鄰女おはん、本殿(初太郎次郎久峯・注候補)、島津本久豪、北条織部、玄蕃、本田孫九郎、平山五郎右衛門、橋口善兵衛、碇山八郎右衛門、本田休七、八田孝之進
宛先
独立宛名なし(調査命令への報告)
キーワード
906の4、出産女中後縁先例調査、郷田氏重富鼓川移居、近藤氏今和泉磯喜入、伊地知氏知覧、本久豪養育、一世百石・五十石、縁与不明、文化元年十月十六日、記録方六名
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 368-1送状・兵站文書旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

飯米賦渡送状

十一月二十三日、大迫休左衛門・唐仁原隼人佐・森田与三左衛門・久松四郎左衛門・森田八左衛門・野田内蔵丞・宇多与左衛門の各主従へ、真米・赤米各一斗五升を掲げる。小浦・片浦から出水へ向かう人衆乗船の上乗として、加世田衆中に同日以後三十日分の飯米を片浦で渡したことを記し、到着後も算用して支給するよう是枝喜右衛門へ伝える。

登場人物
大迫休左衛門 唐仁原隼人佐 森田与三左衛門 久松四郎左衛門 森田八左衛門 野田内蔵丞 宇多与左衛門 是枝喜右衛門
宛先
是枝喜右衛門
キーワード
上乗 飯米 三十日分 小浦 片浦 出水
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 376-3送状・兵站文書旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

飯米賦渡送状

十一月二十四日、大迫休左衛門・唐仁原隼人佐・森田与三左衛門・久松四郎右衛門・森田八左衛門・野田内蔵丞・宇多与左衛門の各主従へ、真米・赤米各一斗五升を記す。加世田衆中の上乗に十一月二十三日以後三十日分の飯米を渡すよう、三原源左衛門・永山覚右衛門へ命ずる。天草一乱に伴い小浦・片浦から出水へ遣わす乗船のための支給である。

登場人物
大迫休左衛門 唐仁原隼人佐 森田与三左衛門 久松四郎右衛門 森田八左衛門 野田内蔵丞 宇多与左衛門 三原源左衛門 永山覚右衛門
宛先
三原源左衛門・永山覚右衛門
キーワード
飯米 上乗 三十日 起算日