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追録5-No.1239御譜記事旧記雑録暫定版・確認中

重年帰国と謝使の派遣

〈宝暦三年〉四月二十三日~十一月六日〔記事〕/整理ID 旧記雑録追録5_文書1239

確認度高
この文書は暫定版です

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概要

宝暦三年四月二十三日、重年が家老義岡相馬久中、側用人二階堂林左衛門行通・澁谷喜三左衛門貫通、福山平太夫安都、近習役河野安之右衛門通古らを従えて江戸芝邸を発った記事。東海道・伊勢路を経て五月八日に城州伏見の仮館へ着き、一日留まった。十日に出発して川を下り大坂仮館へ着き、二日留まった。十三日に船で尼ヶ崎へ進み、播州を陸路で通って十六日に坂越へ着き、直ちに乗船して翌十七日に出帆した。二十七日夜に日州細島港へ着いたが、先の大火で民家の半ばが焼けていたため、供の人馬が到着するまで船内で三日待ち、六月二日に下船した。都濃、都於郡、高岡、高城、都之城、福山を経て九日に福山から船で鹿府築地亭へ着き、府城へ入った。都濃は秋月佐渡守種美領内、都於郡は島津加賀守忠雅領内の宿所との元注がある。その後、番頭喜入安次郎久福を謝恩使として江戸へ遣わした。久福は九州を進み豊前小倉から船で大坂へ渡り、東海道・伊勢路を経て七月十一日に江戸芝邸へ着いた。二十八日に登営し、家重へ重年の献物芭蕉布二十端・三種二荷を呈した。土岐伊豫守頼熙が取り次ぎ、久福自身も太刀一腰・馬代白銀一枚・紗綾二巻を献じて拝謁し、井上河内守利容の奏達を受けた。続いて西城の松之間で家治へ重年の献物三種二荷を呈し、永井伊賀守直陳が取り次いだ。久福自身は太刀一腰・馬代白銀一枚を献じた。八月六日に再登営し、西尾隠岐守忠尚が檜之間へ久福を召して回答の奉書を渡し、土岐頼熙の取次で紗綾二巻を与えた。同日、西城の秋元但馬守凉朝からも回答の書翰を受けた。二十八日に芝邸を発ち、東海道を経て大坂から船で西海を航行し、十一月六日に薩府へ帰って復命した。出典は重年公御譜。

登場人物

島津重年・義岡相馬久中・二階堂林左衛門行通・澁谷喜三左衛門貫通・福山平太夫安都・河野安之右衛門通古・喜入安次郎久福・家重・家治・土岐伊豫守頼熙・井上河内守利容・永井伊賀守直陳・西尾隠岐守忠尚・秋元但馬守凉朝・秋月佐渡守・島津加賀守(宿所元注)

宛先

該当なし

キーワード

重年、義岡久中、行通、貫通、安都、通古、四月二十三日芝邸発、五月八日伏見、十六日坂越、十七日出帆、二十七日細島、火災、六月二日下船、九日府城、喜入久福、七月十一日江戸着、二十八日登営、家重、芭蕉布二十端、三種二荷、家治、太刀、馬代白銀、紗綾二巻、奉書、八月二十八日発、十一月六日復命

冊子頁

404~405頁

読込量

中

面白さ

高

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(3)311~473頁(寛延4~宝暦4).pdf