沢某覚書条書
年月日未詳 / 冊子 1頁
沢氏所蔵文書から、萬善六町内二町九段、正八幡宮領の稲林寺平村田薗、大隅国栗野郷村下八町などを列挙した覚書。氏久の天授三年八月十九日判や、正八幡宮の造営料・立願に関する寄進状、元久の明徳三年・応永三年の判、神宮寺大智庵の記事を控える。
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年月日未詳 / 冊子 1頁
沢氏所蔵文書から、萬善六町内二町九段、正八幡宮領の稲林寺平村田薗、大隅国栗野郷村下八町などを列挙した覚書。氏久の天授三年八月十九日判や、正八幡宮の造営料・立願に関する寄進状、元久の明徳三年・応永三年の判、神宮寺大智庵の記事を控える。
四月十九日 / 冊子 1~2頁
土持摂津入道雲也が沢永温らに、早風殿の仮屋地が完成したことを喜び、御簾に関する相談を了承した書状。事情に不案内なので現地で調え、必要な代物は自方から進上すると伝え、留守中の紀左丹後守らの帰宅後に改めて礼を述べるとする。追而書で曾木利右衛門尉への取次ぎも頼む。
七月廿五日 / 冊子 2頁
本田重経が沢殿に、祈祷のため馬二疋を神宮へ進上し、そのうち鹿毛で斑文のある一疋を現地に留め置くよう伝えた書状。本文は『旧記雑録前編二』No.1153と同文である旨が注記される。
十月廿九日 / 冊子 2頁
本文は『二六二二号文書と同文』との注記だけを掲げて省略されている。巻末目録では盛朗書状・十月廿九日とするが、確認した『旧記雑録前編一』No.2622は島津貞久書下で日付・標題が一致せず、参照先または目録表記の再確認を要する。
年月日未詳 / 冊子 2~3頁
藤野氏伝来分を含む島津氏関係の重書を、巻数・通数、正文・案文の別、案件別に列挙した注文。異国降伏祈祷、蒙古人襲来、薩州御家人の守護催促、警固、悪党・博奕、市来院、筥崎宮、走湯山、殺害人行延男、将軍家御書、元暦・承久年間の下文などを記録している。
年月日未詳 / 冊子 3~4頁
藤野氏伝来分を含む島津氏関係の重書を列挙した注文。殺害人行延男の件、宮崎宮祭、市来院、走湯山、官途、大隅・日向両国の守護職、市来井田郷、船上からの将軍家御書・返事、貞和・康永・観応・正平年間の御教書・綸旨・合旨などを、巻・通数と正文・案文の別を付して控える。
年月日未詳 / 冊子 4頁
相馬胤綱一流の系図に関する記事。本文は別番号文書と同文である旨を注記し、この箇所では系図本文を省略している。
年月日未詳 / 冊子 4頁
四条東洞院の敷地相伝を示す系図の記事。本文は別に収録された系図の一部に当たるため、この箇所では省略した旨を注記する。
正月十七日 / 冊子 4頁
島津国久が、信輔を相手方の地に逗留させたことを伝え、信輔は若輩なので隔心なく意見を加えてほしいと頼んだ書状。滞在は長くない見込みであるため、芳意を添えて世話をしてほしいとし、後便を期す。
九月二日 / 冊子 4頁
近衛前久が改年の賀詞を述べ、龍山宛の書状を披見したこと、長く音信が途絶えていたことへの思いを伝えた書状。見参のしるしとして扇三本を送り、詳しいことは大蔵少輔から申し伝えるとする。
九月廿六日 / 冊子 4頁
近衛信尹が、龍山から相手方へ送られた書状を披見したことを伝え、長らく音信が途絶えていたことへの遺憾を述べた書状。見参のしるしとして扇三本を送り、詳しいことは大蔵少輔が申し伝えるとする。
十二月十三日 / 冊子 4~5頁
近衛信尹が、前年秋に禁裏近辺へ堂上衆が派遣されて以後、家門の諸事が不如意であると伝えた書状。助成を求めて古川主膳入道を遣わしたので馳走してほしいと頼み、扇子五本を送り、詳細は進藤筑後守から伝えるとする。
四月十六日 / 冊子 5頁
進藤長治が、御殿焼失への助成を求めて同族の左馬允を派遣したことを伝えた書状。別途送った書状の内容に従い、相手方が左馬允を馳走してくれるよう頼む。
四月十日 / 冊子 5頁
進藤長治が、同族の左馬允の上洛時に書状と唐糸一斤を贈られたことへ謝意を述べた書状。不断光院が帰国するので、相手方の家門で諸事を取り計らい馳走してほしいと頼む。
六月廿八日 / 冊子 5頁
進藤長治が、相手方の上洛後に連絡が途絶えたことを詫び、修理大夫の使者として古市長門守が上洛したと伝えた書状。修理大夫が筆を染めた短冊十枚を進上し、詳しくは後便で述べるとする。
三月五日 / 冊子 5~6頁
進藤長治が、家門の使者として不断光院が下向するので、添えた書状の趣旨を心得てほしいと頼んだ書状。貴国で諸事を馳走することは家門の祝着になるとし、修理大夫への取成しも求める。
三月十七日 / 冊子 6頁
進藤長治が、便がなく長く連絡できなかったことを詫び、両殿への取成しと近況の知らせを求めた書状。兵部大輔には別紙を送れないため伝達を頼み、詳しいことは新介から申し入れるとする。
三月九日 / 冊子 6頁
進藤長治が、使者として長く滞在した際に受けた種々の馳走と懇意へ謝意を述べた書状。家門への進物を披露し、祝着の旨を記した書状と、合点を得た一巻を進上すると伝える。
九月五日 / 冊子 6~7頁
進藤長治が、先に贈られた和歌への感謝を述べ、急便のため自作を返せないことを詫びた書状。予期せず下向した際の馳走と懇意に謝し、早速上洛して家門へ報告するとし、兵部大輔や光明寺寒汀齋らへの取次ぎも頼む。
九月廿六日 / 冊子 7頁
進藤長治が、懇ろな使者と種々の音信に謝し、龍山からの書状の趣旨を披露して返書を出したことを伝えた書状。好便がなく連絡できなかったことを詫び、家門が当地へ来るため距離が近くなることを喜び、詳報を後に期す。
十二月十三日 / 冊子 7頁
進藤長治が、使者の古川主膳入道を遣わしたことを知らせた書状。家門の御殿が禁裏近所へ移され、諸事不如意で調達が難しいため、助成と使者への馳走を頼み、家門の祝着になると伝える。
四月二日 / 冊子 8頁
進藤長治が、特別な用件はないが好便を得て消息を伝えた書状。相手方が以前上洛した際に進上した沈香は念入りに選ばれた良香で、家門がたびたび祝着の意を示していると述べ、京都で相応の用件があれば申し入れるよう勧める。
四月五日 / 冊子 8頁
進藤長治が、長く好便がなく音信できなかったことを詫び、前年の書状が届いたかを尋ねた書状。領国の無事と肥州方面の事が意向どおりに収まったことを祝し、機会があれば相応の取成しを頼む。
三月十三日 / 冊子 8~9頁
進藤光盛が、使者として左衛門大夫を派遣したので、領国内の事情に不案内な同人を馳走してほしいと頼んだ書状。以前不断光院の下向時にも書状を送ったこと、相手方から贈られた笠子を秘蔵していること、過去の懇意を忘れず上洛を待っていることを述べる。
三月九日 / 冊子 9頁
進藤光盛が、派遣した左衛門大夫が受けた種々の馳走を聞き、謝意を述べた返書。紅花一斤の贈与にも感謝し、以前自ら下向した際の懇意を今も忘れず、再び訪ねて対面したいと伝える。
三月十五日 / 冊子 9頁
不断光院清誉が、使者の進藤左衛門大夫を通じて伝授の件を整えたと知らせた書状。大閤が病気で自筆できないため原本を送り、相手方で書写してこの便で返すよう求め、詳細は岩崎新介が説明するとする。
三月十日 / 冊子 9~10頁
不断光院清誉が、進藤の上洛時に受けた懇ろな書状へ謝意を述べた書状。古今集に関する相談と進上物を喜び、天目を贈るとの申し出に恐縮し、翌年には下向して礼を述べたいと伝える。
三月十七日 / 冊子 10頁
不断光院清誉が、当年の下向を予定していたが近衛殿の強い要請で延期したと詫びた書状。翌年の下国を期し、進藤左衛門大夫への厚遇に感謝し、大閤の死去や御聞書の受領にも触れ、岩崎新介が詳述するとする。
三月十五日 / 冊子 10頁
飛鳥井雅教が、好便を得て消息を伝え、前年に橘陰から聞いた委細を踏まえて翌年の下向を予定すると知らせた書状。太守への取成しを頼み、詳しいことは使僧から説明させるとする。
九月十一日 / 冊子 10頁
飛鳥井雅教が、前年の上洛時にたびたび会ったことを懐かしみ、約束どおり下向する予定が大内周防介の強い引留めで延期になったと伝えた書状。翌春の下国を約し、橘景への伝達を頼み、板物一端を贈って詳細は平田兵衛尉に託す。
三月十六日 / 冊子 10~11頁
四辻季遠が、宗養の宿所で対面できたことを喜び、その後の様子を尋ねた書状。座右に置いていた勅筆の掛字を贈り、今後はたびたび音信したいと述べ、詳しくは瀬尾某左衛門尉に託す。
十一月廿六日 / 冊子 11頁
近衛信尹が、京都で不慮の錯乱が起こり諸事に方策がないため、匠作へ使者の書状を送ったと伝える文書。この機会に匠作を馳走してほしいと頼み、詳細は進藤筑後守から伝えるとする。
十月一日 / 冊子 11頁
本多正純が、奥州様が下向して両御所へ礼を述べ、無事に帰国したことを伝えた書状。琉球での苦労と尽力に謝意を示し、同行した久太郎の成長を喜び、太刀一腰・馬代銀子三枚・段子二巻の贈答にも礼を述べる。
十月廿三日 / 冊子 11頁
飛鳥井雅庸が、蹴鞠の門弟であることを示す十骨扇の所持を枇杷山久太郎に許可した伝授状。
八月十六日 / 冊子 11頁
近衛稙家が三十首の和歌を一首ずつ披見し、いずれも優れていると評価した書状。自らの批評は信用に足りないと謙遜しつつ墨付を施し、練子一端の贈答に謝意を述べ、後便を期す。
八月十六日 / 冊子 12頁
近衛稙家が、長く音信できなかったことを詫び、前年春の病中には他筆で書状を送ったと述べた書状。丁子香五斤の贈与に感謝し、百人一首は誤りが多いものの染筆したと伝え、今後の交信を期す。
八月十七日 / 冊子 12頁
松尾頼元が、前年の下向時に受けた厚遇へ謝意を述べた書状。入江殿が上洛して進物を届けたこと、官位について本所から尽力することを伝え、青蓮院殿筆の天神名号を贈り、詳細を侍者に託す。
八月十八日 / 冊子 12頁
日野町資将が、上洛後に便りがなかったところ思いがけず書状を受けたことを喜んだ書状。春に福昌寺僧の下国に託した書状の到着を尋ね、家門への願いを披露して返書と百人一首の御本を得たことを伝え、唐皮・瑠璃瓶・唐食籠・緞子を贈る。
八月十八日 / 冊子 12頁
日野町資将が、上洛後に会えず残念に思っていたところ書状を受けたことを喜んだ書状。丁子香二斤の贈与を重ねて秘蔵すると述べ、再会を願い、詳しいことは本庄右兵衛尉から伝えるとする。
三月廿八日 / 冊子 13頁
尊朝法親王が、長期の在陣の苦労を察し、前年に当門の大工新四郎の件で受けた厚意へ謝意を述べた書状。新四郎が再び下国するため、相応の下知と配慮を加えてほしいと頼む。
年月日未詳 / 冊子 13頁
角田広継が、前年の下向時に家門の書状を私的に樺山殿へ差し出したとの風聞を否定し、天文十九年の使者下向では本所方の書状と御屋形様への二箇条だけを携えたと弁明した書状。大和殿らの証言を挙げ、飛鳥井殿下向時に初めて樺山殿と対面したとして、疑念を解くよう求める。
正月廿三日 / 冊子 13~14頁
新納忠元が、瀬戸に滞在していたため返書が遅れたことを詫びた書状。相手の意向を本右・白次の両人から披露させ、上洛については事情を詳しく聞いたものの、当面は思いとどまるのがよいとの返答を伝える。
十月四日 / 冊子 14頁
末弘入道鈎江が、孤舟斎が用事で蒲生へ赴いて当地に滞留していることを知らせた書状。囲碁の相手として長道守・王佐渡が同心している近況を伝え、相手が二日ほどのうちに鹿児島へ来るかどうか返事を求める。
六月廿五日 / 冊子 14頁
長積が、重田備州を介した書状への返礼とともに、当地の難しい事情を報じた書状。新納武州の関与、地下年寄衆の異見、十郎左衛門尉の他出を経て大口の争いが無事に収まったと伝え、鹿児島に出頭した新納武州とも相談して善左衛門尉の進退を支援するよう頼む。
年月日未詳 / 冊子 14~15頁
差出人不詳の人物が、久しく出入りしなかった八代へ赴き、牧弥五郎の件が義陽の代に定められた成敗どおり処理されたことへの謝意を述べた書状。弥五郎の兄が自分たち親子を狙うとの風聞に対し強い措置を求め、子孫のためにも今後の支援を頼む。あわせて双方の近況と女子衆の消息を伝える。
六月八日 / 冊子 15頁
島津義虎が、以前借りた六巻書について、弓箭が続いて写し取れなかったため、なお借用して静かに書写したいと頼んだ書状。必要な時にはすぐ返すとし、書札の書や残存する巻についても確認を求め、あわせて近況と贈物を伝える。
年月日未詳 / 冊子 15~16頁
本田親歳が、若い者の心得のため検断に関する古い証跡を送った書状。以前の証跡は東福寺脇の役所で失われ、家に残る証跡を持たせたと述べる。親類に写させて原本を返すこと、祖父・父の筆録には落字や仮名遣いの不備があり得ること、享禄元年以来の書付を閲覧に供することを伝える。
七月廿八日 / 冊子 16頁
鑑法が、先春の申し入れに対する丁寧な返書と内々の取り成しへ謝意を述べた書状。遠国のため音信が滞ったとし、真光寺の使節が出国する機会に書状を託し、その寺が当地の事情に不案内なので万事支援してほしいと頼む。別紙で贈られた二品も受領したと伝える。
正月十二日 / 冊子 16頁
津興が、前年夏の上洛後に音信が途絶えていたことを詫び、国中の静謐を尋ねた書状。長年の大望に関わる用事が多いため帰国を延ばし、来春から夏ごろの下向を見込むと伝える。御屋形様父子・典厩様への取り成しと、寺家の修理・諸役・公事を怠りなく処理し、老齢の報忍寺にも配慮するよう求める。
年月日未詳 / 冊子 17頁
戦陣での処置と恩賞の基準を箇条書きにした文書。伊東との合戦時の命令、下地に背く者の連座、豊後守殿・北郷殿の衆や城の切岸に関する扱い、熟練者の披露、征矢・手火矢による忠節、未熟者への所領安堵、親子が同じ戦場に出た際の高名者への所領給付などを定める。