島津氏進上物注文
年月日未詳 / 冊子 254~256頁
島津氏が各地の守護・領主・寺社などへの進上物を相手ごとに列記した注文。太刀・刀・弓矢・鎧・馬・衣類・香・茶碗・酒器などの品目、数量、仕様を詳細に記す。
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年月日未詳 / 冊子 254~256頁
島津氏が各地の守護・領主・寺社などへの進上物を相手ごとに列記した注文。太刀・刀・弓矢・鎧・馬・衣類・香・茶碗・酒器などの品目、数量、仕様を詳細に記す。
弘治二年八月吉日 / 冊子 35~36頁
弘治二年八月吉日付の進上物・費用目録。伊勢の神楽・宿人礼、八幡・春日・愛宕への散銭や織物・沈香、高野山への金銭、公方・大御所への進上額、金作太刀・太刀・腰物などを列記し、金銭二千五百貫と総括する。
宝暦十二年十二月二十一日 / 冊子 963頁/整理ID 旧記雑録追録5_文書2757
十二月二十一日、里披きの際に一橋宗尹刑部卿へ進めた刀の仕様を記す。刀は備前国盛景、長さ二尺三寸六分、代金二十五枚で、三所物は廉乘作、鎺は二重金、切羽は金、鍔は赤銅磨、縁は赤銅七子とする。柄は鮫に白糸巻、鞘は黒塗、鳩目は金とし、下緒、小刀寿命、緞子の袋も列挙する。
年月日未詳 / 冊子 311~322頁
加治木御日記。慶長十六年正月朔日からの記事として、島津家久周辺への年始の進上物・贈答、祝儀や儀礼、使者・役人名、品目・数量・金額、諸方との往来などを日ごとに記録する。
享保九年七月廿七日 / 冊子 670~674頁/整理ID 1695
七月二十七日、将監から家老中への八朔進上物・御礼着座の覚書。従来八朔に太刀・馬を進上した家々の受渡場所を、今回定めた年頭御礼の格式に準じて変更する。太刀一腰と馬一疋をそれぞれ進上する者の一覧を示し、御対面所・屏子門内・菊之間・虎之間・広間などの区分と受渡位置を列記する。直馬の受渡しを明記し、図書・中務・内膳、将監・助之丞、帯刀・内記などの同格内の役順・年長順、三年に一度や隔年の先例と今後の扱い、役職就任による位置変更を規定する。列記の六人は地頭職がなく、八朔に中紙三束ずつを進上する扱いとする。記録奉行に格式を調べさせ、疑問は相談し以後も従うよう定める。
永正十三年正月廿日 / 冊子 135~136頁/原整理番号 31
寛永十六年正月三日の太刀進上に際する座配を、左右の列や上座・内座の位置ごとに列記した覚書。北郷・島津・敷根・渋谷・佐多・頴娃・喜入らの席順を示す。末尾は、この年の配列に新納・北郷らから異議があったため後年の座配は相談して定めるとし、貞享元年五月に忠昭が将来の参考として書き抜いたと記す。
年月日未詳 / 冊子 136頁/原整理番号 32
寛永十七年以降の正月の太刀進上の座順をめぐる経緯を記す覚書。新納家と佐多家が席次に異議を申し立て、家督の祝儀に限ると説明された配列が後年の先例とされることを嫌い、元日の進上を避けて日を改めた例を挙げる。慶安年間には両家の家位が決着しないため双方が太刀を進上しなかったと記す。
応永十七年六月 / 冊子 472~475頁/原整理番号 269
進上物の注文。諸大名・寺社や役人などへの太刀・馬・弓矢・刀装具・酒肴等の贈答品を、相手方ごとに品目と数量を列挙する。
慶応2年年頭 / 冊子 93~94頁/原整理番号 131
慶応二年の年頭に御役付御太刀を進上する人数を、川上右膳・北條織衛・嶋津勇馬・西筑右衛門・伊地知小十郎・本城源七郎らの名と役職を挙げて書き上げる。進上の対象となる役付や礼式の扱いを記す。
(寛永八年)五月八日 / 冊子 211頁
琉球人から進上させる品として、練芭蕉布百端、中華尺・大尺各五、竹心香五脚、香箱類百袋、珍しい貝鳥、伽羅、巻物、蘇鉄などを列記する。蘇鉄は大きな鉢に植え、日光へ献上し後代まで残るものとするよう求め、高麗由来の品も進上候補とした注文。
正徳六年五月十五日 / 冊子 264頁/整理ID 673
五月十五日、松平大隅守継豊が中将へ、健勝を喜び、土用中の機嫌を伺うため使者を遣わし、目録どおりの品を進上すると伝える。当地は別条ないので安心するよう述べる。将軍拝謁の祝儀を拝受した記事ではない。
享保三年卯月廿二日 / 冊子 348頁/整理ID 921
卯月二十二日、中山王尚敬が侍従へ、貴国の平安と健勝を喜び、今回江戸へ祝儀を申し上げる使者として越来王子を差し上げると伝える。それに伴い太刀一腰・馬代白銀百両と目録どおりの品を進上すると述べる。
享保四年八月二日 / 冊子 418頁/整理ID 1084
八月二日、松平大隅守継豊が中将へ、先ごろ拝領した雲雀五を使者により差し上げ、これに付して祝意を表す二種を目録どおり進上すると伝える。中将の無事を喜び、当地も変わりなく無事であるとして安心を願い、後日の便りを期す。
天明七年九月十三日(年は朱書) / 冊子 1000頁/原整理番号 2691/整理ID 2691
日ごとに冷気が増す中、父がますます健やかに旅行していることを喜ぶ。先の便で思い掛けず品々を贈られたことへの謝意を述べ、旅中の用に立つだろうと品を進上すると知らせる。こちらは一同支障なく、自分も無事であると報じ、今後も父の機嫌を伺う。追伸では雄五郎も無事に旅行されるよう気遣い、軽い品を送るので伝えてほしいと付言する。九月十三日付、中将様への書状である。
応永17年6月 / 冊子 52頁/原整理番号 49の9
島津殿(冒頭原注は島津元久)の上洛について、応永十七年六月三日の参府、十一日の参会、二十九日に御屋形へ御成の際の引物と、御所の目に懸かった供衆を記す。御一家二名、國方六名、御内方二名に分け、北郷中務少輔・樺山安藝守・加治木能登守ら各人の御太刀一・鳥目百貫を列挙する。軍行ではないが供衆の例として略抄した記事。
安永三年卯月六日(年は朱)、本文三月廿六日帰着 / 冊子 425~426頁/原整理番号 1176/整理ID 1176
まず中将の機嫌よい参府を祝う。自身は去年上国して、願いどおり御目見、料理の頂戴、能見物、仮屋への二度御入、御筆の御字拝領、城や屋敷での厚遇を受けたと述べる。滞在中には諸所への配慮があり、時宜よく暇を下され、馬鞍置と品々も拝領したこと、末々まで配慮を受けたことを重ねて謝し、極めて難有いとする。海路無事に三月廿六日に帰着した旨を国王も承知して難有く祝着とし、御礼のため与那原親方を差し上げたので、このように申すと述べる。さらに太刀一腰・馬代黄金十両と目録どおりの品を進上する。末尾は卯月六日、中城王子尚哲判、進上中将様、朱に安永三年。写正文は右筆所にある。王子自身の帰着日と受けた厚遇、国王の承知、謝礼の使者と品を記す。国王の別書と同じ謝礼を二回の独立贈与として合算しない。
明和二年 正月八日(年・日の八は朱注) / 冊子 48~49頁/原整理番号 154/整理ID 154
年頭に太刀を進上する人のうち、在京中、使者として赴いている者、江戸往来の途中などで年頭に在府しない人は、今後の出府または帰着の際に太刀を納めるよう指示する。ただし、江戸で詰合せをしている人は従来どおり江戸で進上するとする。これを通達したので承知し、記録奉行にも申し渡すよう命じる。山城の署に島津久定の人物注。年月日朱注は明和二年正月、日は八を囲む注記。右白木御文書五番箱中ニ有之という保管注がある。出典注は重豪公御譜中・写正文在文庫。
慶応元年・十一月廿九日 / 冊子 85~86頁/原整理番号 118
季安は翌月朔日、御書院で御太刀を進上して町奉行格役替の御礼を申し上げるよう命じられる。熨斗目・素袍・烏帽子を着け、朝六ツ半時に早めに出頭するよう達された。
享保三年正月二日 / 冊子 340頁/整理ID 891
正月二日、松平大隅守継豊が中将へ、改年の祝いと公方・中将の健勝を喜ぶ。本日登城して首尾よく礼を済ませ着座を命じられ、酒を頂戴し時服を拝領したと報告する。当地に別条はなく、年の祝儀に使者を遣わし目録どおりの品を進上すると伝える。
天明七年八月六日(年は朱書) / 冊子 995頁/原整理番号 2675/整理ID 2675
秋暑の中で父の健勝を喜び、出立前で諸事多忙であろうと気遣う。自分は今回初めて増上寺の火之番を命じられ、ありがたく思っていると報告する。こちらは一同支障なく、自分も間違いなく勤めているという。道中で用に立つだろうと品を進上したので、その旨を知らせると結ぶ。八月六日付で、宛所は御尊父様。贈った品の品名・数量は本文には記されていない。
安政5年5月9日 / 冊子 184頁/原整理番号 256/整理ID 256
白木御文書十番箱中の「敬白 天罰霊社起請文之事」。中山王尚泰が、先国王の跡職を命じられ、筋目を違えずこの邦を相続できたことをありがたい厚恩とし、生涯忘れないと誓う第一条を掲げる。他の条項と神文は省略されている。安政五年五月九日、尚泰の判を記し、中将様へ進上する。
安政6年5月6日 / 冊子 215頁/原整理番号 292/整理ID 292
白木御文書十番箱中の「敬白 天罰霊社起請文之事」。中山王尚泰が先国王の跡職を命じられ、筋目を違えず邦を相続できた厚恩を生涯忘れないと誓う掲載第一条を収める。他の条項は略す。続いて、今回の御家督相続に際して諸事先規どおりに守ると述べ、違背時の神文は略す。安政六年五月六日、尚泰の判、少将様への進上を記す。
正徳五年七月廿七日 / 冊子 231頁/整理ID 552
七月二十七日、松平大隅守継豊が中将吉貴へ、無事健勝に旅行していることを喜ぶ。信證院も機嫌よく、この日発輿することを祝い、その祝儀を申し上げると伝える。当地は別条なく皆無事なので安心するよう記す。
正徳六年三月十八日 / 冊子 259~260頁/整理ID 655
三月十八日、松平大隅守継豊が中将へ、健勝を喜び、上巳の祝儀として目録どおりの品を受け取ったことを謝す。
嘉永七年二月十九日・二十日(朱注の進上日) / 冊子 151~152頁/原整理番号 215の3/整理ID 215-3
印刷「の3~の5」の縁組口達と進上品の覚を収める。口達は家老豊後を時候見舞の使者とし、当六歳の嫡男虎寿丸と信君の縁組について御目出度の許容を幾重にも願うもので、二月十九日付、使者は家老嶋津豊後とする。続く進上品は御太刀一腰と御馬一疋・代白銀十両。豊後久宝署の覚では、右府に鶴毳三枚、源氏煙草一箱、香料五百足、大納言に鶴毳二枚、源氏煙草一箱、香料三百足、信君に白紅のちりめん二端と香代三百ひきを記す。朱注は覚三通を小奉書切紙・美濃折かけで仕立て、右府・大納言方には十九日、信君方には二十日に進上したとする。
応永十七年六月 / 冊子 238~239頁
島津元久が六月三日に上京し、同十一日に将軍家へ参会した際の進上物注文。御所・新御所をはじめ幕府要人と関係者ごとに、太刀、銭、馬、金銀、香料、衣類などの品目と数量を列記する。献上先別の贈答構成から、将軍家父子への礼遇、随行者の負担、上洛外交の規模を確認できる。
応永十七年六月 / 冊子 240~241頁
将軍足利義持が島津元久の在京屋形へ御成りになった際の御目見人数と進上物を列記した注文。北郷中務少輔、樺山安藝守、加治木能登守、野邊右衛門大夫ら一門・家臣が太刀・銭などを献じたことを記し、将軍接遇における島津家中の序列と役割を示す。
(天正四年四月) / 冊子 477頁
近衛前久の鹿児島滞留中に行った歌会・馬追・花見・連歌・川遊・馬揃・犬追物・瀬引・笠懸・春日社参詣などを列挙する。帰京に際して茶入・葉茶壺・琉球蓮・沈香・色糸・蘇木・上布・真綿などを進上した。
万暦六(天正六)年四月五日 / 冊子 539~540頁
琉球国から島津義久へ進上する品物を列記した注文。紅糸三斤、太平布五十端、焼酒などを掲げる。
文禄五年九月廿六日 / 冊子 47~48頁
長寿院盛淳・伊集院下野入道幸侃・鎌田出雲守政近が石田治部少輔へ、石火矢五挺を進上し、その内訳として払火矢一挺、幸侃より石火矢二挺、抱節より一挺と記した連署文書。
年月日未詳 / 冊子 215~217頁
島津又八郎の上洛に伴い、京都で諸方へ進上した礼物と支出を列記した覚書。治部少輔・幽斎老ら武家、公家・寺社・家臣・職人など多数の相手ごとに、銀子、鉄砲、刀、鳥目、紙、扇、衣類、食品等の品目・数量・代銀を記し、饗応の振舞も含めて上洛時の贈答と費用を整理している。
年月日未詳 / 冊子 18頁
No.27の祝賀書状に伴う琉球国司尚豊の進上物目録。香餅一箱、寿帯香一箱、玉蘭香一箱、焼酎二壺、漬物二壺を列挙する。正文は文庫にあるとの注記を伴う。
明暦三年九月十七日 / 冊子 355~356頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0754
御火事後の修理に進上する銅・漆・錫・石材・鉄・材木について、担当先別の数量・価格・寸法を列挙した進上物覚。
延宝八年十月三日 / 冊子 700~701頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書1810
藤野家から進上した旗・刀剣・系図・命令書・古文書・画像など、家伝の調度・武具・文書類を列挙し、受渡しの経過を記録した目録。
年月日未詳 / 冊子 534頁/整理ID 1819
吉貴署の進上目録。御太刀一腰(一文字と注)・御小袖五十と、御馬一匹を掲げ、御馬の欄に代白銀千枚と注記する。関連するNo1818の家督御礼献上記事と対応する。馬の一匹は代銀を伴う目録表記で、実馬引渡しを示すものとはしない。
年月日未詳 / 冊子 534–535頁/整理ID 1820
島津吉貴が将軍徳川綱吉へ進上した太刀一腰の仕様を記した覚。太刀は一文字、代金十枚、長さ二尺五寸六分で、総金具に御紋を施し、紫糸巻・白地金入の御紋、梨地御紋蒔絵、緋地大和錦の袋などの拵えを備える。
年月日未詳 / 冊子 535頁/整理ID 1821
島津吉貴が家督相続の御礼として御台所と将軍徳川綱吉の母・桂昌院へ進上した品々の目録。白銀・縮緬などを掲げ、さらに大典侍・新典侍ら奥向きの女性や御表御使衆にも白銀を配る内容を記す。
年月日未詳 / 冊子 535頁/整理ID 1822
島津吉貴が父・島津綱貴の遺物として将軍徳川綱吉へ進上した品の目録。貞宗の御刀一腰と唐物文琳の御茶入一個を掲げる。
年月日未詳 / 冊子 536頁/整理ID 1823
島津吉貴が父・島津綱貴の遺物として御台所と桂昌院へ進上した永徳筆の御屏風一双の目録。家督相続の御礼を申し上げた同日に、両所へ同文の目録を各二通差し上げた旨も記す。
正徳元年 / 冊子 973–974頁/整理ID 3130
岩倉・かよが島津将監・島津帯刀へ、御二所の無事を伝える。摂政への加領の祝いを寄せ、御台所へ祝儀として目録どおり進上したことを披露し、満足している旨を取り次ぐ。
正徳六年四月(日不記、年は朱注) / 冊子 262頁/整理ID 662
一位様の意向として、祝儀物、御礼に伴う献上物やその他臨時の進上物を今後不要とすることを伝える。あわせて岩倉・梅園への贈物も不要とするよう申し伝える。
年・月・日未詳 / 冊子 397頁/整理ID 1037
越来王子が、今回中山王の使者として差し上り、目録どおり品を進上したのでよろしく取り計らうよう願う。翌二十二日、御三家から王使が差し上った礼として芝屋敷へ使者が派遣され、越来への恵物や使者への下賜品がある旨と返礼の請を越来へ伝えた。王子はその礼を薩摩方の馬廻新御番を通じ各々へ申し上げた。
享保九年九月 / 冊子 674頁/整理ID 1696
八朔の太刀進上席を相替え、年頭御礼の着座格式も別紙のとおり申し渡して帳面に記すよう指示する。
享保九年十二月 / 冊子 679頁/整理ID 1714
進上物の品目・進上者の扱いと先例を示し、判断が難しい場合は書付をもって申し渡すよう御記録奉行に命じる。
延享元年八月 / 冊子 777頁/整理ID 2026
延享元年八月、一門衆が八朔や来月朔日の進上物を出す際の家来の熨斗目着用についての申渡し。家来の身分や役目によらず主人の格式により着用し、普段は着用しない者も使者を勤めるときは着るが、進上物の請取役は着用を要しない。嶋津大蔵久純から嶋津玄蕃・周防・兵庫へ伝え、山澤十太夫・肥後平左衛門、奏者番その他の首尾係にも周知する。
延享元年八月廿九日 / 冊子 778頁/整理ID 2029
同月二十九日、嶋津貴儔・忠紀・久門を国の懿親とし、八朔に太刀・御馬を進上する際や九月朔日に登城する際の家臣使者は、主人の格式によって熨斗目を着用するよう命じた記事。家臣本来の衣服資格によらない取扱いとし、国老嶋津大蔵久春(久純)が木村四郎左衛門時央を使って山澤盛香へ伝えた。
延享元年八月二十九日 / 冊子 778頁/整理ID 2030
延享元年八月二十九日、嶋津玄蕃・周防・兵庫への熨斗目着用の申渡し写。一門の八朔や来月朔日進上物の使者は通常の家来身分によらず主人の格式で着用し、請取側は不要とする。山澤十太夫・肥後平左衛門その他首尾係と奏者番へも周知する。
延享三年 / 冊子 914~915頁/整理ID 2452
日付不記の進上目録。鞍置馬二疋を記し、黒葦毛四歳・四寸五分・薩州寄田野牧、黒河原毛四歳・四寸五分・薩州長嶋牧と付記する。
延享三年八月廿五日 / 冊子 936頁/整理ID 2509
No.2508の起請文に続く進上者の名簿。多数の大名・旗本の名と官名を列記し、宗信もその一人として記す。誓約条項を繰り返した文書ではなく、同じ起請文を進上した人々の範囲を示す一覧。
宝暦八年四月十七日 / 冊子 681頁/整理ID 旧記雑録追録5_文書2028
本多伯耆守正珍が四月十七日、松平又三郎忠洪へ、今朝進上した香具一箱・丸熨斗一箱を披露したと伝える。その首尾を喜び、返書を送る。