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『旧記雑録』前編・後編・附録10冊と追録1~8(暫定版)、『旧記雑録拾遺 伊地知季安著作史料集1~9』『家わけ1』(暫定版)、関連史料(外伝)『島津世禄記』の46,754件を横断検索できます。検索範囲は史料群・巻を組み合わせて選べます。結果は50件ずつ表示します。

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96 件 (全巻)/ 1–50件を表示

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追録1-No.2465記事旧記雑録暫定版確認度 高

孝子褒賞記事

河辺郡加世田郷大浦村の市兵衛・次郎兵衛・志摩右衛門は、母を養い助け合って暮らした。兄市兵衛の病死後、二弟が母と兄の遺児を養い、志摩右衛門は母を馬に載せ自ら轡を取って鹿府へ赴き、寺院を訪れて亡兄を弔い母の願いを満たした。元禄七年十月二十日、綱貴が母と兄弟を召し、二子の孝順を賞して青銅三千疋と耕田十斛の丁役免除を永く与えた。

登場人物
市兵衛(先に病死)、次郎兵衛、志摩右衛門、母、兄の遺児、島津綱貴
宛先
—
キーワード
加世田郷大浦村、市兵衛病死、次郎兵衛、志摩右衛門、母扶養、兄遺児養育、母を馬に載せる、轡、鹿府寺院、綱貴、孝子二子褒賞、青銅三千疋、耕田十斛免丁役
追録6-No.1673願書旧記雑録暫定版確認度 中

島津重豪願書

松平薩摩守の願書。参府の節には供の家老二人を連れ、御礼を申し上げる際に御目見を仰せ付けられてきたと述べる。前年に伺った趣旨があり、留守に置いた家老は前年に御目見を仰せ付けられた者であったが、先格のとおり供の家老と一緒に御目見するよう、去冬の伺いどおりに仰せ渡されていた。しかしその家老がこの節に病死したため、以前から参勤の御礼時に家来二人を御目見させてきたことを踏まえ、前年中に留守へ置いた年寄の者が参府した上で、御礼を申し上げる際に供の家老と一緒に御目見するよう願う。以上と結び、二月五日、松平薩摩守の署と安永九年の朱年注を付す。扣正文在右筆所とする出典注がある。朱書の御付紙には「可為伺之通候」と記す。別の朱注は、本文日付の当日に御用番板倉佐渡守へ差し出して置いたところ、同月十七日に同人から、御取次熱海多宮を通じて御付札のとおり仰せ渡されたという経過を記す。従前の二人同伴の慣例、去冬の取扱い、病死による変更願、付紙の指示、十七日の取次経過を別の段階として示し、病死家老と新しく同伴を求める年寄を同一人物にしない。

登場人物
松平薩摩守(願書署、重豪は目録)、供の家老二人(従前)、病死した留守家老、前年留守差置の年寄(姓名不記)、御用番板倉佐渡守、御取次熱海多宮(朱注)
宛先
独立宛名記載なし(朱注は板倉佐渡守への差出し)
キーワード
従前供家老二人御礼御目見、留守家老前年御目見・去冬許可、この節病死、留守年寄参府と供家老同伴願、二月五日松平薩摩守、御付紙伺之通、二月十七日板倉熱海多宮取次
追録6-No.1680記事旧記雑録暫定版確認度 中

重豪、家老二人を朝見せしむ

重豪公御譜中の記事。同年三月朔日、重豪が従行家老島津仲久健と菱刈大炊実祐を伴って大家に朝し、旧例どおり朝礼を行ったと記す。注は、従行家老二人が大家へ奉見するのは先例であり、この年の重豪の江戸行きには従行家老を一人減らして前年の留任家老をその数に充て、大家へ見えることを願い、すでに許可が下っていたと説明する。さらに重豪の江戸到着時の事情として、留守家老山岡久澄の病死と、菱刈実祐をその数に充てて大家へ奉見させるよう願ったことを記す。実祐は当時大目付で年寄と称し、官に告して江府邸に留任していたとする注も付す。本文は二人を従行家老として列挙し、注は実祐の当時の役を大目付・年寄と説明するので、本文の呼称と役職注を分けて保持する。三月朔日の朝礼と、それまでの家老人数変更・病死・代役願の経緯を記す記事で、本文と人物経緯注を一体として示す。

登場人物
重豪、島津仲久健、菱刈大炊実祐(注では大目付・年寄)、留守家老山岡久澄(注で病死)、大家(実名不記)
宛先
記事につき独立宛名なし
キーワード
三月朔朝礼、従行家老二人、島津仲久健菱刈大炊実祐、前年留任家老充数願許可、山岡久澄病死、菱刈代役、大目付年寄江府邸留任
追録3-No.1097文書旧記雑録暫定版確認度 中

琉球在番の病死と交代要員派遣に関する申渡書

琉球在番の附役や在番人の病死を受け、交代要員の派遣、琉球側との相談、書付の取扱いを指示する島津側からの申渡書。

登場人物
琉球三司官、豊見城王子、島津将監、島津内記、種子島弾正
宛先
—
キーワード
琉球三司官、在番、病死、交代要員、豊見城王子、書付
追録8-No.779-2病死した椋松善次の遺髪送付と戦死同様の葬式料取扱を求める報告旧記雑録暫定版確認度 中

連戦後に病死した椋松善次を戦死者同様に扱い、遺髪を親類へ渡すよう求める

一番隊兵士の椋松善次は、疫症で病院に療養していたが養生がかなわず、去る十八日に死亡したと報告する。遺髪はこの節に一緒に送るので、国許に届いたら親類らへ渡すよう求める。病死ではあるが、それまで多日連戦した働きを取り計らい、戦死者と同様の取扱で葬式料等を与えるよう依頼する。辰九月二十日、会津在陣の御軍賦役から御国元陸軍所・京都本営役所宛。原の病死を戦場での即死へ変更せず、待遇上の戦死同様という要求を分けて示す。

登場人物
一番隊兵士椋松善次、会津在陣御軍賦役、親類
宛先
御国元陸軍所、京都本営役所
キーワード
原779の2一番隊兵士椋松善次疫症病院療養不叶去十八死遺髪国元親類引渡多日連戦病死戦死同様御取扱葬式料九月廿会津在陣御軍賦役陸軍所京都本営
追録8-No.395-2御名乗御判の五条書付(士風・軍役・倹約・組合)旧記雑録暫定版確認度 中

士にふさわしい行動と軍役の備え、倹約・組合の病死報告と和睦を求める五条書付

五条の書付。詩歌や諸遊技にのみふけり士に似合わない所業をしないこと、知行高に応じた軍役人員と兵器・糧食の不足に注意すること、衣食住に贅沢を用いないこと、組合中に長病または死去者があれば同位から速やかに物主へ申し出ること、仕伍の組合は互いに和睦することを求め、堅固に守るよう命じる。文久二年壬戌十月、御名乗御判と記すが姓名は記さない。前後の申渡に挟まれた再掲書付であり、本文に記された年・月を保持する。

登場人物
御名乗御判(姓名本文不記)、士、組合・同位、物主
宛先
士・軍役と仕伍組合の関係者(宛名姓名不記)
キーワード
五条、御名乗御判、文久二年壬戌十月、詩歌諸遊技士不似合戒、知行高軍役人員兵器糧食、不贅侈衣食住、組合長病死去同位物主申出、仕伍組合和睦
後編2-No.55記事確認度 中

島津義久譜

天正十三年七月十三日以降、吉利下総守らが上井覚兼へ伝えた諸方の軍事情報をまとめた『島津義久譜』の記事。羽柴筑前守の軍勢が四国で戦い、七、八百人を失って敗れたとの風聞、甲斐宗運が病死したとの情報が届くが、謀略の可能性も疑っている。続いて島津図書頭忠長・伊集院忠棟らが宮崎・高知尾方面の作戦と兵器輸送を協議し、花山城をめぐって阿蘇・甲斐方の大軍と交戦した経過を記す。未確認情報を吟味しながら救援・守城策を組み立てる島津方の情報活動が分かる。

登場人物
島津義久、吉利下総守、上井覚兼、島津忠長、伊集院忠棟、甲斐宗運
宛先
該当なし
キーワード
島津義久譜、羽柴筑前守、四国、敗報、甲斐宗運、病死風聞、宮崎、高知尾、花山城、軍事情報
後編2-No.1057文書確認度 高

豊臣秀吉朱印状抄

No.1046の豊臣秀吉朱印状抄と同文であるため、原資料では本文を省略している。高麗へ派遣した船頭・水夫の過半が病死したことを受け、領内各浦から十五歳以上六十歳以下の代替要員を渡海させる命令。 同一命令が別の伝来・収録箇所にも残されたことを示す重複記事。

登場人物
豊臣秀吉、朝鮮渡海の船頭・水夫
宛先
薩摩・大隅・日向の諸浦
キーワード
豊臣秀吉、朱印状抄、No.1046、同文、省略、高麗、船頭、水夫、病死、補充動員
後編2-No.1184記事確認度 高

町田忠綱譜

町田久倍の子・忠綱が文禄二年春に朝鮮へ出陣し、旧都で島津義弘・久保に拝謁した後、両公に従って巨済島の唐島へ移った経過を記す。 忠綱は唐島の陣中で病死し、享年二十九歳だったという、若い家臣の朝鮮在陣と最期を伝える譜記事。

登場人物
町田忠綱、町田久倍、島津義弘、島津久保
宛先
—
キーワード
町田忠綱、町田久倍、島津義弘、島津久保、朝鮮出兵、巨済島、唐島、病死、二十九歳、譜
後編2-No.1253記事確認度 中

殉国名藪

文禄の役において朝鮮で戦死・病死した島津家臣を、死亡日とともに列挙する。伊地知左近将監重治、佐藤太郎五郎家元、土持三九郎清綱、津曲小左衛門兼祐、北郷讃岐守忠虎らの最期を記す。 合戦死だけでなく陣中の病死も含み、朝鮮出兵が島津家中に与えた人的損失を一覧できる記録。

登場人物
伊地知重治、佐藤家元、土持清綱、津曲兼祐、村田三吉郎、北郷忠虎
宛先
—
キーワード
殉国名藪、朝鮮出兵、戦死、病死、伊地知重治、佐藤家元、土持清綱、津曲兼祐、北郷忠虎
後編2-No.1273記事確認度 高

島津義弘譜

秀吉が公武を率いて大坂から吉野へ花見に赴いた一方、朝鮮在陣の長期化で丹波少将秀勝・東郷侍従・長谷川秀一・加藤光泰ら諸将が病死し、残る兵も疲弊したと記す。 華やかな吉野の花見と朝鮮陣中の死病・疲労を同時に伝え、文禄の役をめぐる中央と戦地の落差が鮮明な島津義弘譜の記事。

登場人物
島津義弘、豊臣秀吉、丹波少将秀勝、東郷侍従、長谷川秀一、加藤光泰
宛先
—
キーワード
島津義弘、豊臣秀吉、吉野花見、朝鮮在陣、丹波少将秀勝、長谷川秀一、加藤光泰、病死、軍旅疲労、文禄の役
後編2-No.1363文書確認度 高

島津義弘書状

義弘が前年以来の在陣者のうち帰朝者・病死者・病人が相次ぎ、新たに参陣する者もないため手元が極端な人手不足になったと訴える。国元では百石につき五人の軍役と聞いていたが、実際には渡海していないと批判する。 伊集院忠棟・比志島国貞らが連れてきた者以外はほとんど役に立たず、帰国した兵を再派遣するよう石田三成側へ求める。朝鮮在陣軍の消耗と補充停滞を義弘自身が具体的に告発した重要書状。

登場人物
島津義弘、石田三成、島津忠恒、伊集院忠棟、比志島国貞
宛先
石田治部少輔様参人々御中
キーワード
島津義弘、石田三成、朝鮮在陣、人手不足、病死、帰朝、百石五人、軍役、伊集院忠棟、兵員補充
後編2-No.1384記事確認度 高

征韓偉略

九月二十九日、数十艘の朝鮮水軍が唐島の福島正則らの陣を襲うと、正則は伏兵と軽兵で誘い込み、義弘は伊集院抱節斎を援軍に送った。正則が敵船一艘を焼き、敵は退却したが、十月一日には義弘の城下へ迫って銃撃し、八日に唐島から撤収したと記す。 また嫡子久保の病死、次子忠恒の朝鮮渡海願いを秀吉が許可し、忠恒が同月晦日に義弘の唐島陣へ到着したことも記す。戦闘と家督継承が重なる重要記事。

登場人物
島津義弘、福島正則、伊集院忠棟、島津久保、島津忠恒、豊臣秀吉
宛先
宛先なし(戦記記事)
キーワード
唐島海戦、島津義弘、福島正則、伊集院忠棟、敵船、火攻め、島津久保、病死、島津忠恒、朝鮮渡海
後編2-No.1459記事確認度 中

殉国名藪

文禄四年中に戦死・病死した島津方の家臣を、日付と所属を添えて列挙する。北郷忠虎の臣・鶴田市右衛門尉貞明、松下源二郎、島津義弘の臣・山本勘左衛門親臣や鬼塚三蔵らの最期を記録する。 個々の戦功記事では見えにくい人的損耗をまとめた名簿で、朝鮮出兵期の島津家臣団の犠牲を追える重要史料。

登場人物
鶴田市右衛門尉貞明、松下源二郎、山本勘左衛門親臣、鬼塚三蔵、北郷忠虎、島津義弘
宛先
宛先なし(戦没者記事)
キーワード
殉国名藪、文禄四年、戦死者、病死者、鶴田市右衛門尉貞明、松下源二郎、山本勘左衛門親臣、鬼塚三蔵、北郷忠虎、島津義弘
後編2-No.1558記事確認度 高

島津彰久譜

島津彰久が文禄四年七月五日に朝鮮で病死し、享年二十九、法号を天宗慈雲大禅定門としたことを記す。 家臣の安田次郎兵衛が主君の死を追って殉死した逸話も載せ、朝鮮在陣の人的損失と主従関係を伝える。

登場人物
島津彰久、安田次郎兵衛
宛先
—
キーワード
島津彰久、朝鮮出兵、病死、安田次郎兵衛、殉死、法号、享年二十九、主従関係
後編3-No.349記事確認度 高

殉国名数抄

「殉国名数抄」として、慶長の役で戦死・病死した島津家の家臣、諸士、従者らを列挙した戦没者名簿。氏名だけでなく、所属地・役職、親子・兄弟・孫などの家系関係、戦没地や年月日、蔚山・泗川・南原などでの戦死、船中・陣中での病死といった事情を小字で付記する。無姓氏の兵や朝鮮陣没者を含む、多数の犠牲者を家ごとに記録した史料である。

登場人物
島津家家臣、諸士、従者、朝鮮出兵戦没者
宛先
—
キーワード
殉国名数抄、慶長の役、戦没者名簿、島津家家臣、諸士、従者、蔚山、泗川、南原、戦死、病死、家系注記
後編3-No.756文書確認度 高

島津義弘・同忠恒朝鮮陣戦没者供養碑文

島津義弘・忠恒が、慶長二年八月十五日の南原表と同年十月朔日の泗川表で討ち取られた明軍、ならびに海陸で戦死・病死した敵味方の軍兵を等しく仏道へ入れるため建立した供養碑文である。南原では島津勢の討取四百二十人、泗川では大明軍八万余の敗亡を記し、度重なる朝鮮の戦場での死者を弔う。

登場人物
島津義弘、島津忠恒
宛先
—
キーワード
朝鮮陣戦没者供養碑文、島津義弘、島津忠恒、南原城の戦い、泗川の戦い、明軍、戦死者、病死者、敵味方供養、仏道、慶長四年六月上澣
後編4-No.148文書確認度 中

本田親存書状

本田親存が本田助允に、書状と下緒一具・唐墨を贈られた礼を述べた返書。勝吉の所持品を拝見したことに触れ、勝吉が懸命な療養にもかかわらず十二月二十日に三十三歳で病死したことを悼み、後の処置について相談している。

登場人物
本田親存(源右衛門)、本田助允、勝吉
宛先
本田助允
キーワード
本田親存、本田助允、勝吉、下緒、唐墨、所持品、療養、病死、十二月二十日、返書
後編4-No.674記事確認度 高

新納忠元勲功記

新納忠元勲功記の記事。忠元の妻で種子島修理亮時興の娘が慶長十四年二月十四日に病死し、法名を笑蓮妙欣大姉としたこと、赤塚某の書留に辞世の和歌が残ることを記す。

登場人物
新納忠元、種子島時興女
宛先
—
キーワード
新納忠元勲功記、新納忠元、種子島時興女、病死、法名、笑蓮妙欣大姉、辞世和歌
後編4-No.684記事確認度 高

島津以久譜

島津以久譜の記事。慶長十五年四月九日、以久が伏見で病死し、享年六十一、法名を高月院仁雄宗恕居士とし、洛陽四条寺町の大雲院に葬ったことを簡潔に記す。

登場人物
島津以久
宛先
—
キーワード
島津以久譜、島津以久、伏見、病死、享年六十一、高月院仁雄宗恕居士、大雲院、葬地
後編4-No.733記事確認度 高

島津家久譜

島津家久譜の記事。中山王尚寧の弟具志頭が駿府の邸で病死したため葬礼を行い、本多正純の命により平田阿波介宗衡が具志頭の従者らとともに棺を運び、正純がその経過を家久へ報告したことを記す。

登場人物
尚寧王、具志頭、平田宗衡、本多正純、島津家久
宛先
—
キーワード
島津家久譜、尚寧王、具志頭、駿府、病死、葬礼、平田宗衡、本多正純、棺、琉球
後編4-No.774記事確認度 中

新納忠元勲功記

新納忠元勲功記。慶長十五年三月、忠元が春の老いを詠んだ和歌と、同年十二月三日に大口で病死し、翌日に火葬されたこと、法名・葬所などを記す。

登場人物
新納忠元、島津義久、島津義弘、島津家久
宛先
—
キーワード
新納忠元勲功記、新納忠元、和歌、老い、病死、大口、火葬、法名、葬所
後編4-No.1228記事確認度 高

島津家久譜

宇喜多秀家の旧臣本郷義則が、秀家の八丈島配流後に薩摩へ来て島津家久の師範となった経緯を記す。本郷義則が元和元年三月二十五日に病死し、家久が深く哀惜したとする家久譜の記事。

登場人物
島津家久、本郷義則、宇喜多秀家
宛先
—
キーワード
島津家久譜、本郷義則、宇喜多秀家、八丈島、薩摩、師範、病死、元和元年三月二十五日
後編4-No.1790記事確認度 中

島津家久譜

島津家久の庶女松は伊集院氏の女性を母とし、柔順で容姿にも優れていたが、家久に従って江戸へ赴いた際に病死した。家久が深く悲しみ、六字名号を記し六首の和歌を詠んで追善したことを記す島津家久譜の記事。

登場人物
島津家久、松、伊集院氏
宛先
記事
キーワード
島津家久譜、島津家久、松、庶女、伊集院氏、江戸、病死、六字名号、六首和歌、追善
後編5-No.829記事確認度 中

島津家久譜

喜入美作守忠高が寛永十二年三月五日に病死し、訃報を受けた島津家久が五月十四日に島津久慶の母へ自筆の仮名書状を送り、婿にあたる忠高の死を慰めたことを記す系譜記事。

登場人物
島津家久、喜入忠高、島津久慶、島津久慶の母
宛先
―
キーワード
喜入忠高、喜入美作守、病死、三月五日、島津家久、島津久慶母、婿、弔慰、仮名書状
後編5-No.831記事確認度 中

島津家久譜

島津久慶の妹で喜入忠高の妻であった女性が、忠高の死後の四月十八日に病死し、島津家久が久慶側へ弔慰書状を送り、書中で夫妻の死を繰り返し嘆いたことを記す系譜記事。

登場人物
喜入忠高、喜入忠高室、島津久慶、島津家久
宛先
―
キーワード
喜入忠高、喜入忠高室、島津久慶妹、四月十八日、病死、島津家久、弔慰書状、夫婦
追録1-No.1581記事旧記雑録暫定版確認度 高

島津久通死去

島津久通が延宝二年十二月晦日に病死し、享年七十一、法名を沽水院徳源道智大居士としたことを記す譜中記事。

登場人物
島津久通
宛先
—
キーワード
島津久通、病死、享年七十一、法名、沽水院徳源道智大居士、譜中記事
追録1-No.1586書状旧記雑録暫定版確認度 中

島津光久書状

島津光久が琉球国司へ、官位昇進を祝い、中城王子が病死したため遠境から贈答品と弔意が届いたことを悦び、後慶を期すと伝えた書状。

登場人物
島津光久、中城王子、琉球国司
宛先
琉球国司
キーワード
島津光久、中城王子、琉球国司、官位昇進、病死、贈答、弔意、書状
追録1-No.2092覚書旧記雑録暫定版確認度 中

市来次左衛門覚書

市来次左衛門が、紀州から長崎へ送られた呉国船の乗員を召し出して漂着事情を聞き、病死者・生存者、船の図、航路や処置について長崎奉行側と確認した経緯を記す覚書。

登場人物
市来次左衛門、源左衛門、長崎奉行
宛先
—
キーワード
市来次左衛門、源左衛門、長崎奉行、紀州、呉国船、長崎、漂着、乗員、病死、船図、覚書
追録1-No.2628口上覚旧記雑録暫定版確認度 高

口上覚

前年九月朔日に領内の永良部島へ漂着・破損した福州船について、唐人百十人のうち一人が病死し、残る百九人と荷物を警固付きで長崎へ送り、長崎奉行が無事に受け取ったことを幕府へ報告した口上覚。

登場人物
島津綱貴、長崎奉行、福州船唐人
宛先
—
キーワード
島津綱貴、長崎奉行、福州船、唐人、永良部島、漂着、破船、病死、長崎送致、口上覚
追録2-No.無番号_0002口上覚旧記雑録暫定版確認度 低

島津綱貴口上覚

島津綱貴が小笠原佐渡守長重へ、領内へ送られた無宿流人六十八人のうち、江戸から大坂までの籠中で十三人が病死し、大坂町奉行から受け取った五十五人のうち船中で八人が病死して、残る四十七人が十二日に領内へ到着したと報告した口上覚。

登場人物
島津綱貴
宛先
小笠原長重(小笠原佐渡守)
キーワード
島津綱貴、小笠原長重、小笠原佐渡守、無宿流人、六十八人、江戸、大坂、籠中、十三人、病死、大坂町奉行、五十五人、船中、八人、四十七人、十二日、到着、元禄十七年二月十六日、口上覚
追録2-No.337口上覚旧記雑録暫定版確認度 高

諏方之瀬漂着唐船処置口上覚

南京から来航した唐船一艘に三十八人が乗り、一人が病死したのち、十月朔日に領内七島の諏方之瀬へ漂着した件を報告する口上覚。先に詳細を報告したうえで唐船に警固を付けて長崎へ送り、正月三日に異状なく引き渡されたと伝える。

登場人物
—
宛先
—
キーワード
南京、唐船一艘、三十八人、一人病死、十月朔日、七島、諏方之瀬、漂着、警固、長崎送致、正月三日、引渡し
追録2-No.358書状旧記雑録暫定版確認度 高

屋久島漂着朝鮮人送致書状

綱貴公御譜中に収められた書状。近藤備中守・丹羽遠江守へ、前年に領内の屋久島で破船した朝鮮人五十二人と所持道具を領内の船に乗せ、警固を添えて送ったと伝える。別に二人が病死したこと、遺骸と破損船具は家来が受けた指図どおり処置させ、詳細を家来が報告することも記す。

登場人物
—
宛先
近藤備中守、丹羽遠江守
キーワード
差出人未詳、近藤備中守、丹羽遠江守、屋久島、朝鮮人五十二人、所持道具、領内船、警固、送致、二人病死、遺骸、破損船具、指図、家来報告
追録2-No.366連署状旧記雑録暫定版確認度 高

丹羽長守・近藤用高連署状

丹羽長守・近藤用高が松平薩摩守へ、屋久島で破船した朝鮮人52人と所持道具が日本船で送られ、警固付きで前日28日に長崎へ無事着岸し、相違なく受け取ったと報告した連署状。別に病死した2人の遺骸と破損船具について薩摩藩家来と相談した指図が実施されることを承知し、詳細は使者と相談すると答える。

登場人物
丹羽長守、近藤用高
宛先
松平薩摩守
キーワード
丹羽長守、近藤用高、松平薩摩守、屋久島、朝鮮人五十二人、所持道具、日本船、警固、二月二十八日、長崎着岸、受取、病死二人、遺骸、破損船具、薩摩藩家来、使者、相談
追録2-No.368口上覚旧記雑録暫定版確認度 高

屋久島漂着朝鮮人送致口上覚

島津綱貴が、屋久島で破船した朝鮮人52人を長崎へ送り、先月28日に長崎奉行が受け取ったと報告した口上覚。別に病死した2人は朝鮮人の希望どおり土葬していたが、遺骸と破損船具を長崎へ送るよう奉行から指図があり、そのとおり送ったと述べる。

登場人物
島津綱貴
宛先
—
キーワード
島津綱貴、屋久島、破船、朝鮮人五十二人、長崎送致、先月二十八日、長崎奉行、受取、病死二人、朝鮮人の希望、土葬、遺骸、破損船具、指図
追録2-No.369口上覚旧記雑録暫定版確認度 高

屋久島漂着朝鮮人送致口上覚

島津綱貴が、屋久島で破船した朝鮮人52人を長崎へ送り、先月28日に長崎奉行が受け取ったと報告した口上覚。別に2人が病死しており、船具などは長崎奉行の指図があれば、そのとおり処置する用意があると述べる。No.368と異なり、土葬や遺骸・破損船具をすでに送ったとの記載はない。

登場人物
島津綱貴
宛先
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キーワード
島津綱貴、屋久島、破船、朝鮮人五十二人、長崎送致、先月二十八日、長崎奉行、受取、病死二人、船具、指図待ち、処置予定、土葬・遺骸送付記載なし
追録2-No.702口上覚旧記雑録暫定版確認度 中

島津綱貴口上覚

島津綱貴が、前年十二月八日に屋久島一湊へ漂着した朝鮮人五十二人を長崎へ送り、二月二十八日に長崎奉行が受け取ったと報告する口上覚。別に病死者二人がおり、その遺骸と破船船具は長崎奉行の指図どおり処置した。

登場人物
島津綱貴
宛先
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キーワード
島津綱貴、口上覚、屋久島、一湊、朝鮮人五十二人、漂着、長崎、長崎奉行、二月二十八日、病死者二人、遺骸、破船船具、元禄十三年
追録2-No.720系譜抄旧記雑録暫定版確認度 中

島津久東誕生

島津久東(虎房・権七)は元禄十二年三月二十日に江戸芝邸で生まれ、母は江田五兵衛国重入道道用の娘で、第二十代島津綱貴の六男と記す系譜抄。翌十三年四月朔日、綱貴の命で島津久當の養子となり、正徳二年十一月三日に十四歳で病死した。

登場人物
島津久東
宛先
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キーワード
島津久東、虎房、権七、江戸、芝邸、江田五兵衛国重、入道道用、島津綱貴、六男、元禄十二年、三月二十日、元禄十三年、四月朔日、島津久當、養子、正徳二年、十一月三日、病死、十四歳、系譜
追録2-No.1604口上覚旧記雑録暫定版確認度 低

島津綱貴口上覚

島津綱貴が稲葉丹後守正通へ、領内へ送られた無宿流人六十八人のうち、江戸から大坂までの籠中で十三人が病死し、大坂町奉行から受け取った五十五人のうち船中で八人が病死して、残る四十七人が十二日に領内へ到着したと報告した口上覚。

登場人物
島津綱貴
宛先
稲葉正通(稲葉丹後守)
キーワード
島津綱貴、稲葉正通、稲葉丹後守、無宿流人、六十八人、江戸、大坂、籠中、十三人、病死、大坂町奉行、五十五人、船中、八人、四十七人、十二日、到着、元禄十七年二月十六日、口上覚
追録2-No.1605口上覚旧記雑録暫定版確認度 低

島津綱貴口上覚

島津綱貴が丹羽遠江守長守へ、領内へ送られた無宿流人六十八人のうち、江戸から大坂までの籠中で十三人が病死し、大坂町奉行から受け取った五十五人のうち船中で八人が病死して、残る四十七人が十二日に領内へ到着したと報告した口上覚。

登場人物
島津綱貴
宛先
丹羽長守(丹羽遠江守)
キーワード
島津綱貴、丹羽長守、丹羽遠江守、無宿流人、六十八人、江戸、大坂、籠中、十三人、病死、大坂町奉行、五十五人、船中、八人、四十七人、十二日、到着、元禄十七年二月十六日、口上覚
追録2-No.1768証状旧記雑録暫定版確認度 中

島津吉貴証状

吉貴公御譜中に、九月二十五日付で修理大夫が、病死した松平薩摩守の遺骸を棺に納め乗物で江戸から薩州鹿児島福昌寺へ送るため、箱根・今切両関所を滞りなく通す手形を求めた証状を載せる。遺骸について難儀があれば自分方へ知らせてほしいと述べる。

登場人物
島津吉貴(松平修理大夫)
宛先
松平主計頭・大久保玄蕃頭・井戸対馬守・米津周防守・近藤備中守(各殿)
キーワード
吉貴公御譜、修理大夫判形、薩摩守、病死、遺骸、棺、乗物、江戸、薩州鹿児島、福昌寺、箱根、今切、関所手形、通行、六ヶ敷、難儀、井戸対馬守、九月二十五日
追録2-No.1824記事旧記雑録暫定版確認度 中

島津久連、将軍ニ謁ス

忠朗流内匠久連譜に、宝永元年十一月十三日、吉貴が家督御礼のため江城へ登った時、久連が一族として随従し、将軍へ太刀・馬代・時服を献じて初めて拝謁したと記す。末尾には正徳二年壬辰七月二十八日、加治木で病死、三十三歳と付記する。

登場人物
島津久連
宛先
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キーワード
忠朗流、内匠久連、吉貴、宝永元年十一月十三日、家督御礼、江城、一族随従、初謁、太刀、馬代、時服、正徳二年七月二十八日、加治木、病死、三十三歳、内匠久近との異同
追録3-No.69文書旧記雑録暫定版確認度 高

駒木根政方・大岡清平連署書状

駒木根政方と大岡清平が薩摩守に、大島で漂着した唐船を修復し病死者を埋葬して三月十六日に出帆させたこと、琉球の大宜味間切へ漂着した別の唐船も修復して三月十日に出帆させたことを承知したと連署で返答する。

登場人物
駒木根政方、大岡清平、島津吉貴、唐人
宛先
松平薩摩守様
キーワード
駒木根政方、大岡清平、島津吉貴、唐船、大島、琉球、大宜味間切、漂着、修復、病死、埋葬、出帆
追録5-No.389文書旧記雑録暫定版確認度 高

島津宗信届書

島津宗信が幕府に、琉球中山王の使節に同行した使替官の渡嘉敷親雲上が旅中に病み、尾張国宮駅で正月十一日夜に病死したと届ける。十二日に同地の宗海国寺へ葬ったことも報告する。

登場人物
島津宗信
宛先
—
キーワード
島津宗信、具志川王子、琉球使節、病死、葬儀、届書
追録5-No.2765重豪、宝暦十二年在国公辺記事旧記雑録暫定版確認度 要

重豪、宝暦十二年在国公辺記事

重豪の宝暦十三年正月から十二月までの動静を列記する。翁舞の観覧、求馬の急病死、火災に伴う二万両の借入れと四千両の返納許可、二月の水痘、四月十五日の登城と二十八日の芝出発、六月十四日の出水到着・二十一日の府城到着を記す。御側御用人・御納戸奉行らの任免、老齢で多務の島津貴寧への政務免除と腰刀下賜、近寺士への弓砲訓練指示、鷹狩り・舟遊び・琉球踊り、九月二十六日の図書久完の死去も収める。十月朔日の玉川王子・豊見城王子への饗応、十一・十二月の射礼、十二月十八日の今泉濱亭訪問、二十三日の散楽・天狗舞による年忘れまで記録する。

登場人物
島津重豪・島津求馬・島津大藏久迢・島津圖書久完・松平右京大夫・松平周防守・玉川王子・豊見城王子・島津杢久峯・島津左中久金・福山平太夫安郁・赤松甚右衛門則・四元庄藏・長谷場伊角・藤野休左衛門・三原善兵衛・伊集院四郎・上村藤之丞・相良四郎兵衛・山岡齋宮・島津貴寧・島津大藏久迢・兒玉早之丞・川田伊織國福
宛先
記載なし(御譜記事)
キーワード
本文宝暦十三年正月十二月御譜、翁舞求馬急病死借金二万四千返納水痘、四月登城芝発六月出水着、人事弓砲放鷹琉球踊九月廿六久完卒、十月玉川豊見城饗応年忘、六月廿一府城着、貴寧免政務腰刀
追録6-No.761届書旧記雑録暫定版確認度 高

島津重豪届書

亡高祖父同氏上総入道(吉貴)の妹で、故松平隠岐守定英の妻だった者が離縁して国元に住んでいたところ、去る八日に病死したと知らせ、忌服はない旨を届ける。六月付、年は明和八年の朱注、署名表示は御名で、独立した宛所はない。控の正文は家老座にある。

登場人物
御名(島津重豪、目録)、亡高祖父同氏上総入道(吉貴注)の妹、故松平隠岐守定英
宛先
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キーワード
吉貴妹、故定英妻、離縁国元居住、去八日病死、忌服なし、六月御名
追録6-No.762覚書旧記雑録暫定版確認度 中

届書例書

六代前薩摩守綱貴の妻信證院が国元に住み、宝暦六年子正月晦日に病死したため、忌服はないものの届けるという例書。末尾には明和八年六月の朱注があり、さらに「此六月トアルハ宝暦六年正月ノ誤カ」と疑問を示す朱注を伴う。署名・宛所はない。

登場人物
六代前薩摩守綱貴の妻信證院
宛先
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キーワード
信證院死去届前例、綱貴妻、国元居住、宝暦六正月晦日病死、忌服なし、末尾明和八六月朱注・誤かの注
追録6-No.1023届書旧記雑録暫定版確認度 中

島津重豪届―亡大叔父島津杢の仮相続に従弟兵庫を仮養子とする

去年、帰国の暇を許された際に大叔父嶋津杢の仮相続を願ったところ、杢が去年病死したため、国元にいる従弟嶋津兵庫を、このたび初めて仮養子に願うと申し出る。この旨を承知して置かれるよう求める。末尾は閏三月四日、松平薩摩守、朱に安永二年とある。正文は右筆所にある。亡大叔父の仮相続に関する事情と、兵庫の仮養子の届を記す。

登場人物
松平薩摩守(島津重豪)、大叔父嶋津杢、従弟嶋津兵庫
宛先
独立宛書なし
キーワード
大叔父杢の病死、仮相続、従弟兵庫、初めての仮養子
追録7-No.無番号_0033その他文書旧記雑録暫定版確認度 高

男子出生届振問合書并答書(目録535の1)

二男を丈夫として届けた後に病死し、その後生まれた男子を三男と届けるか、男上りとして届けるかを問う。貼紙回答は三男のまま届けてよいとし、三男以下の末子も同断とする。次に、嫡子を届けた後、二男が虚弱または家中養子となり未届のまま、後の三男を届ける方法を問う。貼紙は虚弱な二男を届出に入れず三男を丈夫として届けられること、二男について問われれば虚弱である旨を口達回答してよいこと、養子へ遣わした場合も相応に扱うことを記す。問いと朱書貼紙回答を分け、未届の子と届けた子の順序を区別する。

登場人物
二男、三男、嫡子、家中養子
宛先
独立宛名なし
キーワード
二男病死、三男届、男上り、虚弱未届、家中養子、貼紙回答、口達