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『旧記雑録』前編・後編・附録10冊と追録1~8(暫定版)、『旧記雑録拾遺 伊地知季安著作史料集1~9』『家わけ1』(暫定版)、関連史料(外伝)『島津世禄記』の46,754件を横断検索できます。検索範囲は史料群・巻を組み合わせて選べます。結果は50件ずつ表示します。

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129 件 (全巻)/ 1–50件を表示

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前編2-No.762文書確認度 高

島津伊久系図

島津伊久について、貞和三年二月朔日生、応永十四年四月六日に六十一歳で没し、法号を久哲道観としたことを記す系図記事。

登場人物
島津伊久(上総介・大夫判官、法号久哲道観)
宛先
—
キーワード
島津伊久、上総介、大夫判官、久哲道観、系図、生没年、法号
追録6-No.976-8書上旧記雑録暫定版確認度 高

浄岸院の生前・逝去後の血脈法号と授与の事情

浄岸院の血脈法号を、生前と逝去後に分けて記した書出。生前の法号は「浄岸院殿信譽祐光大姉」で、祐天大僧正から差し上げられた血脈法号と注記する。逝去後の法号は「浄岸院殿信譽清仁祐光大禅定尼」で、増上寺の当住大僧正から差し上げられた血脈法号と注記する。最初は祐天から授与された血脈で済ませるはずであったが、増上寺が使僧を通じ、法式について当住から差し上げなければ法式が欠けると伝えたため、改めて差し出されたという。既存の血脈で足りるとの考えと、当住からの授与を必要とする寺側の法式を併記する。

登場人物
浄岸院(竹姫)、祐天大僧正、増上寺当住大僧正、増上寺使僧
宛先
独立宛書なし
キーワード
血脈法号、生前と逝去後、増上寺の法式
追録7-No.無番号_0104書状旧記雑録暫定版確認度 高

志岐正左衛門書状(法号中陰別紙・入棺葬送予定)

印刷「の3」の書状。別紙に御法号・御中陰御日割を掲げ、近衛家から届いたので差し上げると記す。入棺は明廿三日戌刻、葬送は五月六日酉刻に決まったとの知らせを受けたため、その旨を報告する。江戸へは別に差し上げるとの但書がある。本文末は辰四月廿二日、京都志岐正左衛門から御家老中へ。年は近衛基前薨去一件の文政三年の表紙による。入棺と葬送は書状時点での予定として記録する。目録は四月廿日とするが、本文の四月廿二日を保持し、両者の相違を要確認とする。

登場人物
志岐正左衛門、近衛家、近衛基前
宛先
御家老中
キーワード
印刷の三別紙御法号御中陰日割近衛家差越明廿三戌刻入棺五月六酉刻葬送治定予定江戸別段辰四月廿二京都志岐正左衛門御家老中目録廿日相違
追録7-No.無番号_0105書上旧記雑録暫定版確認度 高

近衛基前法号(印刷の4)

印刷「の4」の別紙。近衛基前の法号として「證常樂院大圓正覺禪定殿下」と記す。法号の全文と「別紙」の表示を保持する。独立した日付・署名・宛名は記されず、御法号・御中陰日割を添える無番号_0104の書状に続く法号書として整理する。法号の記載だけから授与日や葬送実施日を補わない。

登場人物
近衛基前
宛先
宛名なし(0104書状の別紙)
キーワード
印刷の四別紙近衛基前法号證常樂院大圓正覺禪定殿下
追録7-No.1447書状旧記雑録暫定版確認度 高

川上久芳問合書(大御前流産児の法号・石塔等)

白木御文書七番箱中七十一番。表紙は大御前の流産した子の納所等に関する江戸詰家老衆の問合書写。川上右近(久芳注)が四人へ照会する。子は納所の一所へ納めたが、法名と石塔を設けるかについて当時吟味があったことを踏まえ、流産であるためそれらには及ばず、後年混同の恐れもあるので法号の沙汰・石塔建立はしない方がよいとする。ただし心入をもっての事なら思召次第としてよいという、大御隠居の沙汰を承知したことを記す。御隠居へも、流産の子であるから石塔・位牌等の沙汰に及ばない旨を側用人平嶋平八が申し出た。江戸の記録奉行には申し聞かせてあり、この件を国元の記録奉行にも伝えて取計うよう依頼する。七月十九日、町田監物・嶋津安房・新納内蔵・鎌田典膳の四宛。各実名は久視・久備・久命・政與の注。朱書は文化12年亥八月廿日、安房殿からこの一通が下され、帳留する旨を木場次右衛門が承知したことを記す。流産の日付や子の名、法号・墓碑の建立実施は補わず、照会・沙汰・伝達・記録の段階を分ける。

登場人物
川上右近久芳、町田監物久視、嶋津安房久備、新納内蔵久命、鎌田典膳政與(実名注)、大御前、大御隠居、御隠居、側用人平嶋平八、木場次右衛門
宛先
町田監物殿、嶋津安房殿、新納内蔵殿、鎌田典膳殿
キーワード
大御前流産児白木七番箱七十一番江戸家老問合写納所一所法名法号石塔位牌沙汰不要後年混同心入思召次第大御隠居御隠居側用人平嶋平八記録奉行江戸国元川上右近久芳七月十九日四宛町田久視嶋津久備新納久命鎌田政與八月廿日安房下付木場次右衛門帳留
追録7-No.1379記事旧記雑録暫定版確認度 高

重豪が忠治遠忌に香奠を献じ竹千代の薨を弔う記事

重豪公御譜中、斉興公御譜にもありとの注。今秋8月25日、蘭窓公(島津忠治注)の三百年忌法事を鹿児島郡吉田郷津友寺で修し、重豪も家老川上右近久芳を遣わし香奠金200疋を進献して拝したと記す。同月26日に竹千代君が薨じた(法号玉樹院殿注)ため、翌27日に重豪は留守居を老中及び水野出羽守忠成(西丸側用人注)の邸へ遣わし、大家と諸君の起居を伺わせた。年は目録文化11年。忠治の遠忌供養と竹千代の薨後の機嫌伺いを分け、香奠金を竹千代への献上へ移さず、竹千代の実名や死因を補わない。

登場人物
重豪、蘭窓公(島津忠治注)、家老川上右近久芳、竹千代君(玉樹院殿法号注)、水野出羽守忠成(西丸側用人注)、留守居、老中、大家、諸君
宛先
独立宛名なし(重豪公御譜)
キーワード
八月二十五蘭窓公忠治三百忌吉田津友寺久芳香奠金二百疋拝、二十六竹千代薨玉樹院殿翌二十七留守居老中水野忠成邸大家諸君起居伺
追録6-No.1356記事旧記雑録暫定版確認度 中

重豪の女厚姫―芝邸での出生と後の天亡・法号・墓

安永五年丙申三月十五日、市田氏が芝の邸で女子を産み、厚姫と称したと記す。続いて七年戊戌六月十三日に天亡したこと、法号を翠黛院殿松屋惠吟大禪童女とすること、惠燈院と江府大圓寺に墓を建てたことを記す。

登場人物
厚姫、重豪(目録の父)、市田氏(母)
宛先
記載なし(誕生・没の記事)
キーワード
厚姫、母市田氏、芝邸、安永五丙申三月十五日出生、七年戊戌六月十三日天亡、翠黛院殿松屋惠吟大禪童女、惠燈院江府大圓寺墓
追録7-No.965系譜旧記雑録暫定版確認度 高

大信公女子富姫の出生・死去・法号・墓所

大信公御子、女子富姫を掲げる系譜抄。文化5年戊辰10月6日、江府で生まれ、母は松平藤十郎の家臣谷周右衛門政相の女とする。八年辛未正月8日に死去し、法号は麗岱院殿紅露雪顔童女、墓は惠燈院・大圓寺に建つと記す。八年の年記は、文化5年から続く記事の文化8年と読む。父の呼称は抄の大信公を保持し、母の家臣関係、出生地、死亡年次と法号・墓所を分けて採録する。

登場人物
大信公、女子富姫、松平藤十郎、家臣谷周右衛門政相、その女(富姫母)
宛先
独立宛名なし(大信公御子の抄)
キーワード
大信公御子、女子富姫、文化五年十月六日江府生、松平藤十郎家臣谷周右衛門政相女、文化八年辛未正月八日死去、麗岱院殿紅露雪顔童女、惠燈院大圓寺墓
追録7-No.1048系譜旧記雑録暫定版確認度 高

大信公の女子寿姫・孝姫系譜(母・婚姻・死去・法号)

大信公御子・女子の見出し、寿姫・孝姫・柔正院と掲げる。文化6年己巳11月21日江府に生まれ、母は松平藤十郎家臣谷周右衛門政相の女。松平越中守定和の夫人となり、夫には初奥州白河城主・後勢州桑名城主との注。文久2年壬戌5月16日死去、法号は柔正院殿通響端相慈好大姉と記す。出生・母の関係、夫と城主移動、死去日・法号を採録し、次1049の近江守表記とは出典別に保つ。御子の見出しは大信公、1049は重豪。後出1246は大信公に島津重豪の注を付すので、見出しは呼称差として保持する。

登場人物
大信公、寿姫、孝姫、松平藤十郎、家臣谷周右衛門政相の女、松平越中守定和
宛先
独立宛名なし(大信公御子女子の系譜)
キーワード
大信公女子寿姫孝姫柔正院、文化六十一月廿一江府出生、母谷政相女松平藤十郎家臣、定和夫人、初白河後桑名城主、文久二壬戌五月十六日没、柔正院殿通響端相慈好大姉
前編2-No.1518記事確認度 高

豊州島津系図

豊州島津系図として、島津久豊の三男秀久の出生、帖佐瓜生野での居住、文明九年八月六日の死去と法号などを記す系図記事。

登場人物
島津秀久、島津久豊、上原氏
宛先
—
キーワード
豊州島津系図、島津秀久、島津久豊、上原氏、帖佐、瓜生野、法号、文明九年
後編2-No.58記事確認度 中

薩州島津義虎譜

薩州家の島津義虎が天正十三年七月二十五日に没したことと、子女・妻の系統を簡潔に示す譜記事。 法号や妻が母川上上野守忠克の娘であることなどを掲げ、薩州島津家の親族構成と後継関係を確認できる。

登場人物
島津義虎、異伯、島津忠辰、島津忠続
宛先
—
キーワード
島津義虎、薩州家、島津忠辰、島津忠続、異伯、系譜、法号、川上忠克、親族関係
後編2-No.486記事確認度 高

喜入季久譜

天正十六年七月十四日、喜入季久が五十七歳で没し、法号を昌円季久としたことを記す譜記事。 没年月日・享年・法号を簡潔に伝える、喜入氏人物史の基本記録である。

登場人物
喜入季久
宛先
—
キーワード
喜入季久、死去、享年五十七、法号、昌円季久、天正十六年、人物伝
後編2-No.734記事確認度 中

川上経久譜

川上経久が正月二日に八十四歳で没し、法号を祥翁芳麟居士としたことを記す譜の記事。本文は年号を天正十九年壬辰と記す一方、「即文禄元年也」と注記しており、年次表記に注意を要する。

登場人物
川上経久
宛先
—
キーワード
川上経久、祥翁芳麟居士、死去、享年八十四、法号、文禄元年、年次注記、川上氏
後編2-No.1558記事確認度 高

島津彰久譜

島津彰久が文禄四年七月五日に朝鮮で病死し、享年二十九、法号を天宗慈雲大禅定門としたことを記す。 家臣の安田次郎兵衛が主君の死を追って殉死した逸話も載せ、朝鮮在陣の人的損失と主従関係を伝える。

登場人物
島津彰久、安田次郎兵衛
宛先
—
キーワード
島津彰久、朝鮮出兵、病死、安田次郎兵衛、殉死、法号、享年二十九、主従関係
後編4-No.769記事確認度 高

島津忠長譜

島津忠長譜の記事。忠長が病床にあり、諸医の治療や祈祷も効かず、慶長十五年十一月九日に六十歳で死去したことを記す。法号・墓所を掲げ、家臣尾辻次郎兵衛尉と藍田分太が追跡殉死したことも載せる。

登場人物
島津忠長、尾辻次郎兵衛尉、藍田分太
宛先
—
キーワード
島津忠長譜、島津忠長、病死、慶長十五年、享年六十、法号、宗功寺、尾辻次郎兵衛尉、藍田分太、殉死
後編4-No.1140文書確認度 高

島津家久息女譜

島津家久の三女で、家臣島津弾正久慶の室となった女性の譜。慶長十九年八月五日の出生、生母、慶安元年正月九日に三十五歳で没したことと法号を記す。

登場人物
島津家久三女、島津弾正久慶、相良日向長辰入道閑栖女
宛先
—
キーワード
島津家久息女譜、島津弾正久慶、相良日向長辰、出生、婚姻、死去、法号、慶長十九年
後編4-No.1764記事確認度 中

島津光久譜

島津光久の子女について、万千代丸と称した忠紀、重永、久雄らの出生、官位・拝領、母、養子縁組、没年月日と法号を列記した系譜記事。忠紀は家光らから刀剣を賜り島津久敏の家を継ぎ、重永・久雄もそれぞれ家臣家の養子となった。

登場人物
島津光久、忠紀、万千代丸、重永、久雄、徳川家光、島津久敏、彌寝重政、島津忠栄、相良長辰
宛先
—
キーワード
島津光久譜、忠紀、万千代丸、重永、久雄、徳川家光、刀剣拝領、島津久敏、彌寝重政、島津忠栄、養子、没年、法号、元和八年
後編5-No.239記事確認度 中

島津光久譜

島津光久の男子のうち貞昭と久尚について、生母・養家・出生年月日・没年・法号などを系譜形式で記す。貞昭は伊勢貞昌の養嗣となり寛文三年に江戸で没し、久尚は正保三年に十八歳で早世したとする譜記事。

登場人物
島津光久、島津貞昭、島津久尚、伊勢貞昌、崎山盛秀、川村秀政ほか
宛先
—
キーワード
島津光久、島津貞昭、島津久尚、伊勢貞昌、系譜、養子、出生、没年、法号
追録6-No.1231系譜旧記雑録暫定版確認度 高

重豪養女明姫の系譜抄―出生・養女・婚姻・死亡

重豪の御養女として女子の系譜を抄記し、明姫と雅姫の名を併記する。安永三年甲午十二月二十七日に鹿児島で生まれ、実父は一門の島津兵庫久徴、母は島津采女久芳の女であると記す。天明元年辛丑閏五月に重豪が養って子とし、島津淡路守忠持の夫人となったとする。忠持には日州佐土原城主の注がある。文化九年壬申正月十一日に卒したと記し、別に八日を忌日とする注を付すため、死亡日十一日と忌日八日を区別する。法号は英祥院殿香譽清薰履操大姉で、末尾は次の段に続く。明姫・雅姫を別人として分けたり、両名の改名順序や年月を補ったりしない。養女となった天明元年閏五月を婚姻の年月へ転用せず、安永三年の出生と養女・婚姻・文化九年の死亡を分けて整理する。冒頭の御養女・女子の記載も系譜内容に含む。

登場人物
明姫・雅姫(原の併記)、重豪、島津兵庫久徴、島津采女久芳の女、島津淡路守忠持
宛先
宛書なし
キーワード
明姫、雅姫、久徴実父、久芳の女、鹿児島出生、天明元年閏五月養子、日州佐土原忠持夫人、文化九年正月十一日卒、八日忌日、法号
追録6-No.1266申渡書旧記雑録暫定版確認度 中

島津久健申渡書―菩提寺領の所務と寄付文書の交付・伝達手順

高百五十石ずつ、浄國院・有邦院・慈德院・圓德院の菩提のため、それぞれの名で寄付し、その所務を年々福昌寺・浄光明寺へ相渡すことを述べる。各法号には吉貴・継豊・宗信・重年の注がある。また寛陽院・大玄院の寄付高も同前と仰せ付けられたとし、光久・綱貴の注を伴う。近日、御判物・御書付は大御目付の御使者によって各寺へ渡し、家老中の書付は御馬廻をもって同日に渡す予定を記す。この先例に従って首尾を整える旨を寺社奉行へ申し渡し、御記録奉行やほかの関係者にも漏れなく例の通り伝えるよう求める。ただし日限は追って申し渡すと付す。末尾は朱の安永四年五月二十六日、仲、重豪公御譜中の写で正文は文庫。包紙には朱の七十五、未五月二十六日、白木御文書五番箱へ郡山主右衛門が納め置いたとの注がある。文書の種類ごとの交付役と年々の所務を分け、交付日を五月二十六日と補ったり、五番箱を五箱の数量にしたりしない。有邦の原表記は先行の宥邦表記へ一律に改めない。

登場人物
仲(島津久健、目録による)、浄國院(吉貴の注)、有邦院(継豊の注、原表記)、慈德院(宗信の注)、圓德院(重年の注)、寛陽院(光久の注)、大玄院(綱貴の注)、寺社奉行、御記録奉行、大御目付使者、御馬廻、郡山主右衛門
宛先
寺社奉行・御記録奉行・首尾に関係する者(本文の伝達先、独立宛書なし)
キーワード
各百五十石、四法号菩提、年々所務、寛陽大玄同前、御判物御書付、大御目付使者、家老書付御馬廻同日予定、寺社御記録首尾係不洩、日限追而、包紙七十五、五番箱、郡山主右衛門
追録6-No.1282申渡書旧記雑録暫定版確認度 中

先祖の仏餉高各百五十石と旧高の銀への切替・六代目の申出手順

先祖の仏餉高について江戸へ伺ったところ、別紙の通り返答があったとする。五代目に当たる先祖の仏餉高を百五十石ずつ付す扱いとし、浄國院・有邦院・慈德院・圓德院にそれぞれ百五十石ずつ、都合六百石を御判物により寄付したと記す。法号には吉貴・継豊・宗信・重年の注がある。他方、かつて中納言に三百石を付していた分は銀三百枚に替え、寛陽院・大玄院に百五十石ずつ付していた分は銀百五十枚ずつに替え、泰清院の百石は銀百枚に替えるとする。中納言・寛陽・大玄・泰清には家久・光久・綱貴・綱久の注がある。以後もこの扱いに準じ、六代目となった時は高を銀に替える手順を整えるよう述べる。六百石は万々年まで済むよう仰せ出され、別紙の趣旨を帳面に詳しく記し、六代目になる時には家老中から間違いなく申し出るよう命じる。末尾は七月、主馬・帯刀・伊織・市正・仲の五名連署と各人名注。包紙には朱の七十七、安永四年未七月十日に主馬から渡されたこと、同十三日に白木御文書五番箱へ一条原善兵衛が納めたことを記す。原の有邦を宥邦へ改めない。新たな四法号の高と、別の旧高を銀へ切り替える額を分け、石と枚を同じ数量として合算しない。将来の六代目の手順を当日の銀切替完了へ移さず、渡日・納置日と本文の発給日も区別する。

登場人物
主馬喜入久福、帯刀小松清香、伊織川田國福、市正山岡久澄、仲島津久健(各注)、浄國院吉貴、有邦院継豊(原表記)、慈德院宗信、圓德院重年、中納言家久、寛陽院光久、大玄院綱貴、泰清院綱久、一条原善兵衛
宛先
家老中(六代目に至る時の申出担当)、寺領関係者(独立宛書なし)
キーワード
仏餉高、江戸伺、五代目四法号各百五十石計六百石、御判物寄付、中納言三百石銀三百枚、寛陽大玄各百五十石各銀百五十枚、泰清百石銀百枚、六代目引替、家老申出、包紙七十七、七月十日渡十三日納、五番箱
追録6-No.2079系譜旧記雑録暫定版確認度 中

重豪の四男亀五郎と五男の出生・夭折・葬所を記す

重豪の四男亀五郎は天明四年二月二十八日に江府で生まれ、同年七月二十九日に亡くなった。法号を香樹院殿秋露幻清大禅童子とし、恵燈院および江府大円寺に葬る。五男は天明五年八月十七日に江府で生まれ、母は亀五郎と同じと記され、天明六年四月十一日に亡くなった。法号を義光院殿天真祐明大禅童子とし、墓は前と同じと記す。

登場人物
島津重豪、四男亀五郎、五男(名の記載なし)、両児の母
宛先
記事のため宛所なし
キーワード
島津重豪、四男亀五郎、五男、出生、夭折、法号、恵燈院、大円寺
追録7-No.264申渡書旧記雑録暫定版確認度 中

伊勢貞矩申渡書

亡くなった年月や法号が不知であった七霊について追号を与え、寺の祭引次に附祭とし、位牌・厨子・仏具等の安置を済ませたので帳面に記すよう命じる申渡書。忠昌公夫人を天眞妙幸大姉、久豊公後夫人を無染了心大姉、立久公先夫人を鏡堂妙圓大姉、立久公三人目夫人を芳雲慈光大姉、忠治公夫人を玉蓮元香大姉、勝久公夫人を天室眞光大姉、師久公夫人を得祥玄瑞明一房と列挙する。忌日は新たに追選しない旨を記し、忠隆公の夫人は元来不知として今回の位牌安置には及ばないという。9月、播磨の署名と伊勢貞矩の人物注を伴う。包紙は忠昌公夫人と師久公夫人の追号・位牌安置の書付一通、四十九号とするが、師久夫人の法号末尾を二房と記し、本文一覧の一房と異なる。立久夫人は本書三人目、No.204では第二夫人と記し、双方の表記を残す。

登場人物
伊勢貞矩(播磨)、忠昌公夫人天眞妙幸大姉、久豊公後夫人無染了心大姉、立久公先夫人鏡堂妙圓大姉、立久公三人目夫人芳雲慈光大姉、忠治公夫人玉蓮元香大姉、勝久公夫人天室眞光大姉、師久公夫人得祥玄瑞明一房、忠隆公、御正統様
宛先
独立宛名なし(帳面記置を命じる申渡)
キーワード
伊勢貞矩、七霊、追号、位牌安置、厨子、仏具、亡年月不知、法号不知、忌日不追選、附祭、祭引次、帳面記置、忠隆公夫人、得祥玄瑞明一房二房異同
追録7-No.495系譜旧記雑録暫定版確認度 高

蓬之進系譜抄(目録495)

大信公御子と掲げる蓬之進の系譜。寛政10戊午年6月21日に江府で生まれ、母は浪人杉浦作左衛門政信の娘と記す。翌11己未年7月20日に夭亡、法号は蓬窓院殿惠旭秀光大禅童子候補と読み、院号首部の字形を留保する。墓は惠燈院および江府大圓寺に建てたと記す。出生と翌年の夭亡、母の出自、法号・二か所の墓所を分けて整理する。前494は重豪男と注し、本件は大信公御子の原表記を保持する。

登場人物
蓬之進、大信公(原表記)、杉浦作左衛門政信女(母)、杉浦政信
宛先
独立宛名なし
キーワード
蓬之進、大信公御子、杉浦政信女、江府出生、寛政十一年夭亡、法号、惠燈院、大圓寺
追録7-No.680系譜旧記雑録暫定版確認度 高

豹次郎重豪系譜抄(目録680)

大信公御子・豹治郎の系譜。享和2年壬戌11月28日に江府で生まれ、母は杉浦氏。文化元年甲子3月3日死亡、3月2日を忌日とする注を伴い、法号は寶臺院殿瑤琴幻調大禅童子と記す。墓を恵燈院及び大圓寺へ建てたとする。目録は豹次郎重豪系譜抄で、本文の豹治郎と字を区別して保持する。死亡日と忌日の異同を一日に統一しない。

登場人物
大信公、豹治郎(本文。目録豹次郎)、杉浦氏
宛先
独立宛名なし
キーワード
大信公御子、豹治郎・豹次郎、杉浦氏、江府出生、文化元年卒・忌日、法号、恵燈院大圓寺
追録7-No.983系譜旧記雑録暫定版確認度 高

於幹・範之進系譜(出生・約婚養育・養子・早世)

御系図中、斉興・男女15人の表示に続いて女子於幹を掲げる。文化6年己巳正月晦日生、母は島津仲久建の女との原表記。3月、島津安藝忠厚の嫡子島津三次郎忠皎との約婚を命じ、忠厚の家で養育された。8月14日に死去し、法名を華質幻(末字舞・舜候補で留保)と記す。近秘野呂の注も同日死去とし、香雲院殿に続く同法名・大禪童女の法号と、安主寺・惠燈院の表示を掲げる。もう一人の範之進は同年2月6日生、母は林安右衛門昌世の妹、島津圖書久儔の養子となり、8月12日に死去、法名滴露幻素。近秘野呂では瑤桂院殿滴露幻素大禪童子の法名と、安主寺・惠燈院の表示を付す。二人の出生・母・約婚後養育と養子・別々の死去日を分け、同じ人物や婚礼済みとしてまとめない。於幹の法名末字は600dpi局所像でも判読を留保し、母の父の姓名区切りも原表記を保つ。

登場人物
斉興、女子於幹、母の父島津仲久建(原表記)、島津安藝忠厚、嫡子島津三次郎忠皎、範之進、林安右衛門昌世とその妹、島津圖書久儔
宛先
独立宛名なし(御系図中)
キーワード
御系図斉興男女十五人、於幹正月晦日出生、島津仲久建女、三月忠皎約婚忠厚家養育、八月十四日没、香雲院殿法号末字留保、範之進二月六日出生、林昌世妹、圖書久儔養子、八月十二日没、滴露幻素瑤桂院殿、安主寺惠燈院
追録7-No.1130系譜旧記雑録暫定版確認度 高

長溥系譜抄(大信公御子九男・斉溥・黒田氏養子)

大信公御子、御九男、長溥。白木七番箱62号の桃次郎様御九男届によるとの注。初長溥、斉溥、桃次郎、官兵衛、美濃守の名乗りと、従四位、宰相、従三位、従二位の表示を掲げる。文化8年辛未3月朔日、母は松平藤十郎家臣谷周右衛門政相の女、松平備前斉清(筑前福岡城主注)の養子となったと記す。明治20年3月7日卒、神道祭のため法号を用いないとの注。任官・位階の個別年月日は本件に記されず補わない。次1131は重豪公御子の見出しなので、父公表示を各出典別に保持する。後出1246の大信公への島津重豪注を根拠に、見出しの父公呼称差の疑義は解消。

登場人物
大信公、御九男長溥、斉溥、桃次郎、官兵衛、美濃守、母谷周右衛門政相女、松平藤十郎、松平備前斉清
宛先
独立宛名なし(大信公御子系譜)
キーワード
大信公御子九男長溥、白木七箱六十二桃次郎届、初長溥斉溥桃次郎官兵衛美濃守、従四位宰相従三従二、文化八三月朔出生谷政相女、斉清筑前福岡養子、明治二十年三月七日卒神道法号不使用
追録7-No.1734表紙・所在注旧記雑録暫定版確認度 高

近衛基前薨去一件(表紙・記録概要)

白木御文書八番箱中三十六番、文政三年辰五月の表紙・記録概要。近衛前左府基前の薨去に伴う各人の忌掛り、法号、中陰の日割について、京都御留守居からの申越書付を留めると記す。また御簾中の維君が薙髪して維學心院と称した旨につき、同家の御用人の手紙を添え、京都御留守居へ申し送った書付を留めるとする。この記録内容は一冊の表紙にあるとの注を伴う。表紙の五月は一件の整理・記載年月として保持し、基前の薨去日や維君の薙髪日へそのまま当てはめない。個々の忌掛りや中陰日割は後続の書付で別に確認する。

登場人物
近衛前左府基前、御簾中維君、維學心院、京都御留守居、御用人
宛先
京都御留守居(申越書付の相手)
キーワード
白木御文書八番箱三十六文政三辰五月近衛前左府基前薨去忌掛法号中陰日割京都御留守居申越書付留御簾中維君薙髪維學心院御用人手紙添京都申越一冊表紙記録概要
追録7-No.2690書状旧記雑録暫定版確認度 高

諏訪武兼書状

諏訪治部が調所笑左衛門へ送った、重豪の法号の伝達と法式についての書状。本日家老座で寺社奉行へ法号を渡し、松之間で福昌寺に引き渡したと記す。住持が拝守し、先例通りの取扱いを申し渡したうえ、寺社奉行の跡上から福昌寺へ持参し、毎朝仏餉・茶湯を供えて回向し、初めての忌日には先祖の忌日と同様の霊膳等の法式を行うとする。御内證へ申し上げ、法号は大目付以上の家老座での拝見を命じ、一門を初め役人に限って詰所で写しを拝見させ、女中にも伝達した。組中、諸郷、琉球、諸嶋、佐土原仮屋守へも申し渡したので、関係者へ知らせるよう求める。二月十四日付、朱書天保四年、諏訪治部署。法号の引渡し、寺院での供養、閲覧対象と広域の伝達を区別する。

登場人物
諏訪治部(武兼)、三位様(島津重豪)、寺社奉行、御内證様
宛先
調所笑左衛門殿
キーワード
諏訪武兼、諏訪治部、調所広郷、島津重豪、法号、家老座、寺社奉行、松之間、福昌寺、住持、仏餉、茶湯、回向、初忌日、霊膳、大目付以上、役人閲覧、女中、諸郷、琉球、諸嶋、佐土原
追録8-No.68記事旧記雑録暫定版確認度 中

斉宣薨ジ、福昌寺ニ於テ葬礼・法事行ハル

斉宣の死去と帰葬、葬礼・法事を記す記事。天保十二年十月十三日に江戸高輪邸で病没し、享年六十九、法号は大慈院殿舜翁渓山大居士とする。脇注は十月十四日を忌日とする。二十七日に幕府が牧野山城守を遣わし香奠銀五十枚を贈った。十一月十七日に霊柩が江戸を発ち、翌十三年正月八日に出水、十二日に鹿児島の福昌寺へ入り、十五日に葬送を行う。斉興は福昌寺で焼香したが、霊柩が客殿から葬場へ出る際には病気のため神主を奉じられず、一門島津安藝忠剛が代行した。忠剛が神主を奉じて棺前から葬場を三回巡り、終えて木主を僧へ渡すと記す。斉興は斎主として発心門の側の茅筵に座った。御代の太刀の扱いなど、斉興が在府・在国で自ら神主を奉ずる場合との式の違いには筆者の考察を付す。二十一日から二十四日には福昌寺で中陰法事を行う。末尾で筆者宗高は、病中に礼の詳細を記録できず文献もないため、大事の記録が略されることを嘆く。

登場人物
島津斉宣、島津斉興、牧野山城守(実名の字形未確定)、島津安藝忠剛、宗高(筆者表示)、斎主・僧・侍臣
宛先
宛先なし(記事)
キーワード
島津斉宣、病没、享年六十九、法号、香奠銀五十枚、霊柩、帰葬、福昌寺、中陰法事
追録8-No.105-1書状(蓋紙付き)旧記雑録暫定版確認度 中

調所広郷・赤松主水連署書状

廣大院の法号を国元の菩提所へ安置し法事を行いたいとの願いについて、赤松主水と調所笑左衛門が五名へ経緯を知らせた書状。御用番阿部伊勢守からの伺に関する指示を踏まえ、法号等は久世出雲守に承合うよう求められた。十二日に礼をもって渡し、十四日に留守居付役淵邊仁右衛門から法号の別紙を受け取ったことを報告する。二殿・貴間・大奥その他へ申し上げ、御記録奉行にも伝えるよう求める。宝鏡院にも報告し、寺社奉行・福昌寺への伝達を取り計らうよう求め、伺書写等を添え、法号を一箱に入れて送ると記す。辰十二月二十三日付。前の蓋紙には、弘化二年正月、廣大院法号の国許菩提寺安置一件として、伺書一通・留守居首尾書三通・江戸詰家老衆の問合書一通写をまとめ、正月十八日に急飛脚便で到来したと記す。

登場人物
赤松主水、調所笑左衛門広郷、廣大院(徳川家斉室・島津氏)、阿部伊勢守、久世出雲守、留守居付役淵邊仁右衛門、嶋津主計、嶋津石見、菱刈安房、嶋津登、猪飼央、宝鏡院(斉興生母)
宛先
嶋津主計殿・嶋津石見殿・菱刈安房殿・嶋津登殿・猪飼央殿
キーワード
廣大院、徳川家斉室、島津氏、法号、国許菩提所安置、法事、久世出雲守、福昌寺、宝鏡院、赤松主水、調所広郷
追録8-No.105-2伺書旧記雑録暫定版確認度 高

島津斉興伺書

廣大院との特別な由緒により、その法号を国元の菩提所へ安置して法事を行いたいと伺う書付。十二月三日付で松平大隅守が記す。朱注は付札による応答として、法号等の詳細を久世出雲守へ承合うよう指示したことを記す。願いと応答を区別して収める。

登場人物
松平大隅守(島津斉興)、廣大院、久世出雲守
宛先
宛名記載なし(御内意の伺)
キーワード
島津斉興、廣大院、法号、国元菩提所、安置、法事、伺書、付札、久世出雲守
追録8-No.105-3首尾書・添書の本文群(三通)旧記雑録暫定版確認度 中

半田嘉藤次・淵邊仁右衛門首尾書(三通)

廣大院法号の国元安置に関する三通を収める。印刷「の3」は半田嘉藤次が辰十二月三日付で主水へ宛てる首尾書。阿部伊勢守・御用人山岡衛士の表示を付し、御勝手へ書付を持参して服部九十郎と相談し、御用人へ提出、帰宅後に結果を知らせる旨を伝え、西筑右衛門がその夕方に勤めたと報告する。「の4」は同じ半田が十二日付で主水へ報告する。御用人中の切紙により本日中に一人が出向き、付札のある御書付を阿部伊勢守の御用人町野平助を通して渡すこととなり、半田らと留守居付役川崎四郎左衛門が勤めた。追記で、その夜と翌朝の御請、御目付家への出向き、留守居付役名簿の備中守への提出、久世出雲守への法号承合も述べる。「の5」は十二月十三日付で留守居付役勤淵邊仁右衛門が半田へ宛てる首尾書。浅井傳八郎と出会い、久世への伺と前夜の付札を説明し、法号一枚を受け取って差し上げると報告する。追記では表方の使者を通した御請に加え、自分も勤めて帰ったため、別の御請使者は不要と伝える。

登場人物
廣大院、阿部伊勢守、御用人山岡衛士、服部九十郎、半田嘉藤次、主水、御用人町野平助、留守居付役川崎四郎左衛門、久世出雲守、寺社役浅井傳八郎、備中守
宛先
主水様(印刷3・4)、半田嘉藤次殿(印刷5)
キーワード
廣大院、法号安置、阿部伊勢守、御用人、御書付、付札、首尾報告、御請、久世出雲守、法号一枚
追録8-No.105-6添書旧記雑録暫定版確認度 高

半田嘉藤次添書

「右之通」勤めて申し出たとして、法号を差し上げることを報告する短い添書。辰十二月十三日付で半田嘉藤次が主水へ宛てる。末尾に「右一冊トス」の表示があり、廣大院法号安置一件の冊子終端に当たる。

登場人物
半田嘉藤次、主水
宛先
主水様
キーワード
廣大院法号、法号差上、半田嘉藤次、主水、添書、冊子終端
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 493日高正盛戦傷死去記事旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

伊地知季安記事

二十九日辛卯、日高十兵衛正盛が、前日の二十八日の攻城で受けた石疵が治らず死去したと記し、法号を一雄宗勝居士とする。

登場人物
伊地知季安
宛先
宛先記載なし
キーワード
伊地知季安記事、二十九日辛卯、日高十兵衛正盛、二十八日、攻城、石疵、死去、一雄宗勝居士、法号
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w4:103法名書上・墓碑調査旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

上原氏法名書上

別紙として上原氏関係の石塔を調べ、法号・没年月日・俗名または親族関係を列記した書上。万治二年六月二日から天保七年正月八日までの年紀を含み、上原源右衛門尚益の法号「正岩祖覚居士」と、その妻「梅屋姓芳大姉」・妹「実峯妙相大姉」、尚治・尚清・尚伝・尚真・尚績・尚方ら本人および母・娘などの墓碑情報を収める。久圓妙長大姉の脇の石塔一基は損壊して法号等が不明とし、ほかに地蔵形の墓二基を早世者かと推測する記載、所在不明の墓もある。末尾では『上原氏譜牒』にみえる五郎左衛門尚盛を余家の次門とし、子孫を見ず、本府興国寺中に古墓があるとの考証を付す。

登場人物
上原源右衛門尚益、尚益妻、尚益妹、上原源右衛門尚治、上原源右衛門娘、上原平太郎尚次、上原源左衛門尚清、上原源之進、上原源右衛門尚伝、尚伝母、上原正八郎、上原良八郎、上原源右衛門尚真、尚真母、上原長次郎、上原安太郎尚次、上原源右衛門尚績、上原源右衛門尚方、尚方母、上原市兵衛之兄、上原五郎左衛門母、上原五郎兵衛妻、上原五郎左衛門尚盛
宛先
—
キーワード
上原氏法名書上、別紙、墓碑、石塔、法号、没年月日、久圓妙長大姉、石塔損壊、法号不詳、正岩祖覚居士、上原源右衛門尚益、梅屋姓芳大姉、尚益妻、実峯妙相大姉、尚益妹、上原源右衛門尚治、上原源左衛門尚清、上原源右衛門尚伝、上原源右衛門尚真、上原源右衛門尚績、上原源右衛門尚方、地蔵形墓、早世、墓所在不知、上原五郎左衛門尚盛、上原氏譜牒、本府興国寺、古墓、万治二年、天保七年
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w6:4-1系図・懐良親王後裔系譜/近世薩摩藩士履歴旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

後醍醐天皇第六皇子征西将軍宮系図

後醍醐天皇第六皇子・征西将軍宮懐良親王を祖とし、良純・良政・良方・良張・良音・良央らへ続くとする近世薩摩在住家の系図。各人の出生・死没・法号、実子・養子・婚姻、松熊八郎・喜兵衛・喜右衛門・勝三郎などの通称と改名を記し、江戸・国元での勤役、府城での太刀一腰・馬代の献上と拝謁、高崎地頭職、船奉行・供奉、知行・褒賞銀などの奉公履歴を寛永から明和年間まで載せる。末尾の別紙は、平十兵衛家系図では同家を伊豆国伊東祐親―工藤祐経―祐明の後裔とする異説を示し、この別紙が『後醍醐院正統系図』中に収められていたと注記するため、懐良親王後裔説と伊東氏系譜説が併存する点が特徴である。

登場人物
後醍醐天皇、懐良親王(征西将軍宮)、良純、良政、良方、良張、良音、良央、松熊八郎、喜兵衛、喜右衛門、勝三郎、太守吉貴公、世子綱久公、島津久儔、島津久張、伊東祐親、工藤祐経、祐明
宛先
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キーワード
後醍醐天皇第六皇子征西将軍宮系図、懐良親王、征西将軍宮、後裔系図、良純、良政、良方、良張、良音、良央、松熊八郎、喜兵衛、喜右衛門、勝三郎、出生、死没、法号、養子、婚姻、改名、江戸勤番、府城、太刀一腰、馬代、拝謁、高崎地頭職、船奉行、供奉、知行、褒賞銀、伊東祐親、工藤祐経、祐明、伊東氏系譜異説
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w6:5系図・桓武平氏/秩父氏・畠山氏後裔系譜旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

平姓秩父氏略系図

桓武天皇から葛原親王・高見王・高望王を経る桓武平氏の系線を起点に、良文流、千葉氏・村岡氏などの分岐を示し、秩父武基・武綱から畠山重忠とその後裔へ続ける略系図。武綱が源義家の奥州征討に従って白旗を賜ったこと、重忠が源頼朝の挙兵以来諸戦に功を立てながら北条時政の後妻牧御方の讒言により武蔵国二俣川で一族・百五十余騎と討死したこと、その子孫が畠山・横瀬・長野・本田などへ分かれたことを注記する。後半は子孫とされる季随・貞久以下の鎮西下向と島津氏への奉公を詳述し、合戦で島津氏久を救って博多林香庵に匿し、扁舟で本国へ帰した忠功、薩摩・日向での地頭職・戦死・法号、婚姻・養子・改名を季弘・季豊ら近世の代まで記す。皇胤から東国武士、さらに九州の島津家臣へ接続する家伝的系譜で、重忠の悲劇と島津氏久救出譚を中心的逸話とする。

登場人物
桓武天皇、葛原親王、高見王、高棟王、高望王、良望、良将、良兼、良文、平忠常、千葉氏、秩父武基、秩父武綱、源義家、畠山重忠、源頼朝、北条時政、重保、重秀、重清、季光、季親、季随、島津貞久、島津氏久、貞親、季持、忠通、貞久、重元、重信、重相、重照、季弘、季豊
宛先
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キーワード
平姓秩父氏略系図、桓武平氏、桓武天皇、葛原親王、高望王、良文流、千葉氏、村岡氏、秩父武基、秩父武綱、源義家、奥州征討、白旗、畠山重忠、源頼朝、北条時政、牧御方、讒言、武蔵国二俣川、百五十余騎、畠山氏、横瀬氏、長野氏、本田氏、鎮西下向、島津貞久、島津氏久、博多林香庵、扁舟帰国、薩摩、日向、地頭職、戦死、法号、婚姻、養子、改名、島津家臣系譜
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w6:490系図・系譜旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

肝付曽兵衛家系図

島津内記家中の肝付曽兵衛家系図。宮之城肝付与兵衛兼武の二男兼貞を祖とし、兼貞が延宝九年霜月四日に没して法号を旭山了輝居士としたことを記す。以下、曽兵衛兼弘、伝左衛門兼常・兼全らの出生、女子の婚姻、母方を列記する。

登場人物
肝付兼武、兼貞、兼弘、兼常、兼全
宛先
—
キーワード
肝付曽兵衛家系図、島津内記、宮之城、肝付兼武、兼貞、兼弘、兼常、兼全、延宝九年、法号、婚姻
旧記雑録拾遺 著作史料集9-文書ID W05_文書0146寄進状旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

島津得仏(守久)寄進状

沙弥得仏が、新御堂・宮崎八幡へ薩摩国山門院内の井貝居の田七段を寄進した寄進状。得仏は守久の法号と注され、田地名と宛先にも校注を伴う。

登場人物
島津守久(沙弥得仏)、新御堂、宮崎八幡
宛先
新御堂・宮崎八幡
キーワード
島津得仏(守久)寄進状、井貝居の田七段、奉寄進、得仏花押、守久の法号
旧記雑録拾遺 著作史料集9-文書ID W06_文書0010墓碑銘旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

聲貞閑一大姉墓碑銘

久仰が先祖の聲貞閑一大姉のために建てた墓碑の銘。大姉は周防守久友の娘で加賀守祐久の室となり、子女を生んだ。祐久に従って志布志へ移り、天文年間の騒乱では家人と田布施へ避難し、子の梅岳が十三歳で奉公を始めた。梅岳が国の柱石となって大口に住むと大姉も従い、六月廿一日に没して専念寺に葬られたという。墓石の式心門一大姉・家譜の門一房・神主の聲貞閑一大姉という法号の異同、旧碑の文字磨滅と子孫の継続を記し、安政三年の新碑建立を述べる。

登場人物
聲貞閑一大姉、周防守久友、島津加賀守祐久、次五郎右衛門忠佐、市来美作守家守、島津忠勝、忠元(梅岳)、新納久仰
宛先
—
キーワード
聲貞閑一大姉墓碑銘、大姉の父と婚姻、子女、志布志から田布施への移住、忠元の奉公、母訓、法号の異同、旧碑の磨滅、新碑建立
旧記雑録拾遺 著作史料集9-文書ID W06_文書0011墓碑銘旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

聲貞閑一大姉墓碑銘

聲貞閑一大姉の墓碑の裏面銘。加賀守祐久の室で忠元の母であり、六月廿一日に没したが年は伝わらないと記す。碑の法号は式心門一大姉、家譜は門一房と異なるとし、昔から二斛を香資として寄進していたこと、長年で碑が壊れたため新たに建て、さらに香資を付したことを述べる。

登場人物
聲貞閑一大姉、島津祐久、忠元、新納久仰
宛先
—
キーワード
聲貞閑一大姉墓碑銘、墓碑の裏面、卒日の記載、法号の異同、二斛の香資、旧碑の破損、新碑と祭祀料
旧記雑録拾遺 著作史料集9-文書ID W06_文書0012系譜抜書旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

新納時升系譜抜書

時升が杜年に大口を訪れて寺僧の案内で石塔を拝し、式心門一大姉と記されていたと述べる系譜の抜書。文政十三年には久仰と再び参詣したが、寺は荒廃して塔をようやく見つけても文字が磨滅し法号を確認できなかった。寺の什物帳には大姉への銭六貫六百六十四文の月牌料を新納武蔵守が寄進したと記される。天保十四年には寺が再び焼け、住持も不在だったため、家の領分にある石塔の法号や古い事情を確定できないとする。

登場人物
新納時升、新納久仰、専念寺住持
宛先
—
キーワード
新納時升系譜抜書、杜年の参詣、石塔の法号、文政十三年再調査、寺の荒廃と焼失、法号不一致の疑問
後編1-No.618記事確認度 高

島津貴久譜

平田治部少輔純貞入道純喜が、島津貴久(大中良等庵主)の後世菩提を弔うため日本六十六州を巡歴した。翌元亀三年に帰国して、三月二十三日、貴久を追慕して鹿児島の海に身を沈め殉死し、廉州純貞禅伯と号したことを記す。

登場人物
島津貴久、平田純貞入道純喜
宛先
日本六十六州、鹿児島海、南林寺前
キーワード
島津貴久譜、平田純貞、平田純喜、六十六州、廻国、菩提、元亀三年、鹿児島海、殉死、法号
後編3-No.1886文書確認度 高

島津義久息女系図

島津義久の息女に関する系図記事。天文二十年八月二十二日に生まれ、母は島津忠良の息女で、島津義虎の室となったこと、慶長八年十一月十二日に上井で五十三歳で没したことを記す。

登場人物
島津義久息女、島津義虎、島津忠良息女
宛先
(島津義久息女系図)
キーワード
島津義久息女系図、島津義久息女、島津義虎、島津忠良息女、天文二十年八月二十二日、出生、慶長八年十一月十二日、上井、死去、五十三歳、法号