鎌田政統等連署書状
二月十日 / 冊子 153頁
鎌田政統らが本田蔵人に、上使下向に伴う石原での宿泊施設と振舞いの準備を指示した連署書状。宿は仮設程度に軽く造り、数百人の供衆には五、六か所で簡素な食事を供し、普請では前方衆の大工を使わず加治木の使衆と相談して整えるよう命じる。
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二月十日 / 冊子 153頁
鎌田政統らが本田蔵人に、上使下向に伴う石原での宿泊施設と振舞いの準備を指示した連署書状。宿は仮設程度に軽く造り、数百人の供衆には五、六か所で簡素な食事を供し、普請では前方衆の大工を使わず加治木の使衆と相談して整えるよう命じる。
(寛文元年)七月十二日 / 冊子 439頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0939
島津久茂と島津久頼が鎌田政有ら五名へ、将軍の機嫌伺いの使者には岩元清左衛門を差し出すので国元から別に召し上げる必要はなく、冬の機嫌伺い使者は頃合いを見て命じ、時期は追って知らせると達した連署書。
慶安三年六月二十八日 / 冊子 170~171頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0320
幕府御用に伴う使者・役人の派遣、城内外の宿所・境目、家臣の配置や袋物の受渡しなど、多岐にわたる実務処置を詳述した鎌田政有の書状。
慶安五年七月九日 / 冊子 219頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0440
前日昼に上使多賀左近が来訪し、薩州が御鷹の雲雀を拝領したことを鎌田政有が報じる。薩州から書状で太守へ伝えるので関係者にも知らせ、近く軽使で御礼を上げ、国元からも書状を調えるよう述べる。
承応二年二月二十一日 / 冊子 230~231頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0468
鎌田政有・新納久詮が国元の家老らへ、御供立の琉球衆の人数・早い派遣と宿の手配、浦之介を鶴に添えること、道具を江戸側に留めること等を依頼する。松平伊豆守の手紙で留守居一人を召され、今朝源左衛門・三雲太郎左衛門が伊豆守方へ参り、拝領の鶴・奉書・宿次手形を受け取り、和田浦之介を付けて送ると報じる。御当代では初めての儀であるため礼を加える相談と、御礼使を延引させないことを求める。二月二十一日付、封面は三月七日和田浦之介持下。
承応二年二月二十一日 / 冊子 231頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0469
鎌田政有・新納久詮が、殿様を含め八人が今回御鷹之鶴を拝領したことを列記し、御礼使の先例、物頭・御兄弟衆等の使者の扱いを国元の家老らへ伝える。朝倉左衛門・多賀左近の肥後下向、隠州様の当秋在国も報告する。本文二月二十一日付、封面に承応二年三月七日和田浦之介持下の注がある。
承応三年七月十四日 / 冊子 243頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0507
鎌田政有・新納久詮が国元家老へ、前日に公方の上使川勝丹波によって御鷹の雲雀を拝領したことを報告する。勝部長右衛門を少将のもとへ遣わし、国元でも披露すること、老中への御礼使者を手配することを伝える。雲雀を拝領した大名衆の書付を送って一覧に供する。
(明暦元年)十二月十一日 / 冊子 268~269頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0589
島津久茂・鎌田政有が国元家老へ、中村城之介を歳暮祝儀の使者として召し下したこと、光久の熱海湯治中の対面や供回り、川越新左衛門ら使者の取扱い、江戸・国元間の連絡について口上形式で伝えた文書。
(明暦二年)一月十六日 / 冊子 272頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0596
島津久茂・鎌田政有が国元の役人らへ、島津光久の若子の七夜祝儀が無事に済み、松平右京大夫から名を徳寿と付けられて来国俊の脇指を贈られ、髪立ても同家奥方へ頼んだことを報じた家老連署書状。
明暦二年一月十九日 / 冊子 272~273頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0597
島津久茂・鎌田政有が、公儀から禁止された華美な装束について、からぼうし・毛巾着・だんだら筋の衣類・付帯・毛の袋等を列挙し、違反者は召し捕って公儀目付衆へ披露するよう定めた家老連署禁制。
明暦二年一月十九日 / 冊子 273~274頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0598
島津久茂・鎌田政有が、衣服・遊興・芝居・遊女・酒宴・賭博・喧嘩・火事時の振舞い・武家奉公人の取扱い等について、奢侈と風紀の乱れを禁じ、違反の通報と処罰を命じた家老連署掟書。
(明暦二年)二月十六日 / 冊子 285~286頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0614
久茂・政有が国元役人五人へ、書状の受領と薩州様らの発足・祈祷、少将様の厄や虎寿の祈祷を求める。二月十三日には能勢小十郎を上使として御鷹の雁二羽を拝領したと報じる。太守の東目下向に備える供人数の配分・人夫馬、帰着翌日の礼使を指示し、上洛・留守の役人配置、金山に関する隠岐守滞在中の相談も伝える。
(明暦二年)三月九日 / 冊子 288頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0621
島津久茂・鎌田政有が国元の役人らへ、徳寿の誕生後の不調について医師嶋園斎に相談し、薬を服用して朝には快方へ向かったことを報じ、引き続き養生を頼んだ家老連署書状。
(明暦二年)三月九日 / 冊子 289頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0622
前書の添書として、政有・久茂が徳寿様の事情につき当地では内密に相談しているため、その意を心得るよう国元役人五人へ伝える。三月九日付。末注は徳寿が明暦二年正月九日生、六十日目に御天亡とする。
(明暦二年)四月廿六日 / 冊子 292~293頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0631
島津久茂・鎌田政有が国元の役人らへ、飛札が届いたこと、阿部忠秋が上使として来訪し、光久が時服・白銀等を拝領して喜んだことを報じ、御子様方にも知らせるよう求めた家老連署書状。
(明暦二年)六月十二日 / 冊子 294頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0636
政有が国元役人七人へ、金山再開の訴訟の進展、隠岐守・神尾備前守への謝礼と内密の取扱いを求める。再開後の両替座には、現在銀座に住み銀二、三千貫目ほどの資力を持つ糸屋十右衛門を用いて金小判を上げる案を伝える。糸屋の口上書を証人奉行へ渡したこと、島津大膳の願いが上聞して認められる見通し、国元から四人への参書を相談することも記す。
(明暦二年)六月十七日 / 冊子 295頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0638
島津忠廣・鎌田政有が国元の役人らへ、松平隠岐守・神尾備前守が老中へ長野金山再開の訴訟を取り次いだ経過と良好な応答を報告し、返書・謝礼の手配や関係者の病状を伝えた家老連署書状。
(明暦二年)六月廿四日 / 冊子 295~297頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0639
鎌田政有が国元へ、島津光久の帰国途上の無事、公方の疱瘡快癒に伴う祝儀使者・進物・返礼、金銀や御内書の取扱い、長野金山訴訟への謝礼など、江戸で調整すべき諸案件を詳しく伝えた書状。
(明暦二年)七月九日 / 冊子 298頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0643
政有が国元役人七人へ、前日昼に上使多賀左近が来訪し、薩州様(綱久との注)が御鷹の雲雀を拝領したと報じる。薩州からの書状で太守様(光久との注)へ知らせるので関係者も承知するよう述べ、近く軽使で御礼を上げること、国元からも書状を調えることを求める。
(明暦二年)七月廿八日 / 冊子 299~300頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0649
鎌田政有が国元の役人らへ、島津光久の帰国、将軍の疱瘡快癒に伴う祝儀使者・進物・返礼、長野金山再開の謝礼使と関係者への挨拶など、江戸での諸手配を伝えた書状。
(明暦二年)十月九日 / 冊子 304~306頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0663
鎌田政有が国元の役人らへ、長野金山の開始、祝儀使者と進物、幕府老中・関係者への挨拶、国元と江戸の人事・勤務、留守居衆や家中の病気など、多数の案件について照会・指示・報告を行った書状。
明暦二年十一月十一日 / 冊子 307~308頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0668
鎌田政有が国元の役人へ、当番老中阿部豊後守の呼出しに有川八右衛門が参り、御鷹之鶴拝領と告げられたと報じる。奉書を持たせ、堀新介を宰領に御道具の者二人を下向させる。祝儀の御書と礼使を遅滞なく差し上げ、途中も延引させないこと、鶴送御手形と礼使持参の取扱いを依頼する。
明暦二年十一月十一日 / 冊子 308頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0669
鎌田政有が国元の役人へ、鶴拝領の奉書を持たせると伝える。有川八右衛門の話として、今回の御給は常と違い格別に重く、一番は小松中納言、二番は当方で、留守居衆が豊後守方へ詰めて順に呼び出され受けたことを報じる。今日御給の家書を持たせたと伝える。
明暦二年十一月十三日 / 冊子 308~309頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0670
鎌田政有が国元役人六人へ、当日九ツ半時以に上使水野庄左衛門を通じ、薩州様(原注綱久)が御鷹の雁二を拝領したと報じる。橋口松浦介を報告使として差し上せ、隅州様からの礼使を求め、小荷駄位の随行人と国元からの騎馬を手配させる。別紙に拝領衆を書き付け、御衆への儀礼は松河州・神備前に相談するよう伝え、国元に人がいない松浦介を急ぎ召し上せるよう求める。
(明暦二年)十一月廿三日 / 冊子 310~312頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0674
鎌田政有が国元役人六人へ、神尾備前への返書、金山銀子の資金難と継続、雁拝領を祝った客衆への礼状、下屋敷からの遠方出仕の不便と上屋敷移動・修繕節約、虎寿の付人追加を相談する。歩行八人では不足し最低十人とし、翌年の薩州様下向は騎馬衆十二人から道中川越奉行二人・宿割奉行二人・物奉行一人を除いて南戸衆七人、歩行四十四五人等の配置を照会する。薬種代銀二百目等の取扱いも求める。
(明暦二年)十一月廿三日 / 冊子 312~313頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0676
鎌田政有が国元役人六人へ、十三日に薩州様(原注綱久)が御鷹の雁を拝領したことと、同時に拝領した人々への饗応を報じる。物音への憚りがあったが松河州・神尾備前と相談し、一昨二十一日朝に上屋敷へ客を招いて首尾よく済ませた。伊地知紋右衛門を隅州様(光久注)への報告使として下し、見舞衆の別紙を送って国元から礼状を出すよう求める。
(明暦二年)十一月廿六日 / 冊子 314~315頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0679
鎌田政有が国元役人六人へ、清泰院逝去に伴う悔状を上原小十郎に持たせて阿部豊後守へ差し出し、老中奉書と水戸・紀伊・尾張家からの返書を得たと報じる。奥方の若子平産祝儀中でも悔の遠慮は無用と伝え、神尾備前への返書も小十郎が持参する。十一月二十六日付。封面には明暦三年正月十日に上原小十郎が持ち下ったと記す。
(明暦三年)一月六日 / 冊子 317~318頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0688
鎌田政有が国元の役人へ、鶴御礼使の新納四郎左衛門と雁御礼使の本田仲兵衛が臘月二十八日に登城し、首尾よく正月六日に江戸を出立したことを報じ、御奉書を送る。薩州様が初めて御鷹之雁を拝領したことへの隅州様の祝儀、二種・一荷の調達と御礼の御服の相談、年頭の御礼・御名代、松河内守の参府と御孫誕生の祝儀等を伝える。正月六日付。封面には二月朔日に本田仲兵衛が持ち下ったと記す。
(明暦三年)一月廿六日 / 冊子 319~320頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0694
鎌田政有が中務を含む国元役人七人へ、在国大名十二三人の留守居が召され、三雲太郎右衛門が西丸で参勤延期の意を聞いたと報じる。上屋敷焼失のため六月七月の参勤とし、奉書と火事に伴う口上書の写を送って騎馬をもって礼を申し上げることを伝える。兵部から城炎上をうかがう使者を出すことや、節々の機嫌伺いを留守居に伝えるよう求める。
(明暦三年)二月三日 / 冊子 321~323頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0696
鎌田政有が国元役人五人へ、大火後の公方の無事、日光関係の例年儀礼でも登城がないこと、火付警戒・捕縛、六月七月参勤に伴う六月の使者を報じる。借屋は一宿八九人で畳も不足し、機嫌伺いは小荷駄・歩行衆程度の使者を当地で騎馬に仕立てる。屋敷割・買添地五百両の相談、材木高騰と国元の長屋材調達、飯米二月、金山資金難と江戸仕銀継続、焼跡番小屋、衣類・人員節約、鍋島の屋敷と新網町屋敷の交換も伝える。
(明暦三年)二月十日 / 冊子 323~325頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0697
鎌田政有が国元役人六人へ、大火で衣類を失った評定所筆者の替人急召上、上屋敷・鍋島の買添屋敷の内証と図面不備を報じる。下屋敷の騎馬四人・歩行衆十五人の召下、南戸・小姓・酒部屋等の減員を伝え、金掘七八十人の召出には難色があり、金子三千五百両ほどを借りて屋敷用達は済んだとする。伊東源次・川野善兵衛の人事と放火企図拘束、城普請による材木不足と国元の長屋材準備も求める。大名・江戸市中は節約と沈静の様子で、末注に先月十八九日の焼跡絵図を送ったと記す。
(明暦三年)二月十日 / 冊子 326頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0699
鎌田政有が国元の役人らへ、江戸大火で富士見御蔵の御腰物・御茶入・葉茶壺などの宝物が多く焼失し呂宋壺一つが残ったとの風聞、島津家上屋敷の被災状況、家臣・門中の死者や相果てた者について報告した書状。
(明暦三年)三月朔日 / 冊子 329~330頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0709
鎌田政有が国元の役人らへ、江戸城内に異常がないこと、奏者番衆の任命、火災後の長屋・屋敷再建に用いる瓦・板・道具の手配、関係者への書状取次ぎについて報告・指示した書状。
(明暦三年)四月七日 / 冊子 331~333頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0715
鎌田政有が国元の役人らへ、江戸・京都からの使者と書状、朝廷・将軍家関係の挨拶や法事、江戸城・大名屋敷の再建材木、火災後の道具・紙類の調達、関係者への取次ぎと帰国予定などを報告・指示した書状。
(明暦三年)十一月十一日 / 冊子 362頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0767
鎌田政有が国元の役人らへ、光久が将軍から鶴を拝領したこと、その祝儀の御書進上と返礼使者・留守居衆の手配を急ぐよう伝えた書状。
(明暦三年)十一月十一日 / 冊子 362~363頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0768
鎌田政有が国元の役人六人へ、鶴拝領の奉書を持たせると伝える。有川八右衛門の話として、今回の御給は平常と違い格別に重く、一番は小松中納言、二番は当方で、留守居衆が豊後守方で順に呼び出されて受けたと報じる。御給の家書を添える。十一月十一日付。封面には明暦三年十一月十一日の書状を同月十六日朝に堀新介が持ち下ったと記す。
(寛文八年)一月十六日 / 冊子 543頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書1242
鎌田政有・島津久茂が家老らへ、若子の七夜祝儀が済み、松平隠岐守が『徳寿』と命名して来国俊脇指の折紙物を、島津少将が盛光の脇指を贈り、髪立は隠岐守奥方へ依頼したと報じた連署書状。
承応元年十二月四日 / 冊子 227頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0459
江戸からの急報を受け、諸大名の登城や国元からの使者派遣、肝付半兵衛らの到着時期と使者の人選・日程を国元へ相談した連署状。
慶安2年10月13日 / 冊子 248頁/原整理番号 198
児玉作左衛門を介して届いた書面を披見し、種子島にいた栄俊が先月八日に急逝したことを伝える連署書状。栄俊が種子島にいた事情は以前から公儀も承知しており、御三老の使者を通じて披露した旨を述べる。慶安二年十月十三日付。
年月日未詳 / 冊子 29~30頁
太田備中守資宗が長崎へ到着し、外国人の渡航禁止に関する幕府の厳令を示して九州諸家の家老を召集したことを記す島津光久の譜記事。島津家からは家老川上久国と使役鎌田政有が長崎へ赴き、禁制の趣旨を承った。
「寛永十六年」八月六日 / 冊子 30~31頁
川上久国が国元の重臣らへ、八重山の波照間島へ小舟で漂着した二人を琉球で取り調べる件を報告した書状。漂着船の形状や乗員、前年に琉球へ来た南蛮人、呂宋方面から琉球を足掛かりに宗旨を広める懸念などを鎌田政有と相談し、幕府側へ説明した経緯を伝えている。
「寛永十六年」九月七日 / 冊子 41~43頁
島津久元と伊勢貞昌が、太田備中守資宗の長崎下向に伴って川上久国・鎌田政有を派遣した経緯を国元へ報告した連署書状。長崎での進上物、唐人・呂宋船など異国人と船舶の取締り、琉球からの渡航・宗旨調査、銀や積荷の扱いについて、長崎関係者との協議内容を詳しく伝えている。
承応二年十二月四日 / 冊子 240頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0497
鎌田政有・新納久詮・伊勢貞昭が国元の島津図書・島津筑前・町田勘解由へ、北郷佐渡の留守居役、当地の殿様・奥方の無事、霜月十八日に上使斎藤佐源太を介して御鷹之鶴を拝領したことを伝える。奥方等への伝達を依頼し、来七日の催しや松平隠岐守の御家等への伝達にも触れる。書状は十二月四日付、封面は承応二年十二月二十五日持下。
年月日未詳 / 冊子 242頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0504
島津光久が承応三年四月十二日に帰国の暇を得て五月十日に江戸を発ち、鎌田政有を伴って六月二十八日に薩摩へ着いた。のち手川上野久運を江戸へ遣わして幕府へ謝礼の品を献じ、久運が拝領物を受けた経過を記す記事。
二月十六日 / 冊子 148~149頁/原整理番号 261
川上久国・三原重庸が仁礼頼充・鎌田政有へ、薩州様が到着したら、どこへ早く赴くかを次飛脚で逐次報告するよう求めた書状。追而書で、この書状を新納右衛門佐に見せたうえで早々に源左衛門へ回し、油断なく注進するよう命じる。
「寛永十六年」八月十五日 / 冊子 35~36頁
川上久国が、八重山の波照間島へ漂着した小舟と乗員二人について幕府側へ説明した経緯を報告した書状。船の図や道具から呂宋船との関係が疑われ、乗員を差し出して琉球側で詳しく取り調べること、南蛮人が琉球を足掛かりにキリシタン宗旨を広める可能性を警戒することなどを述べている。
慶安三年閏十月二日 / 冊子 182頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0347
前年の琉球王使者への返事が遅れた事情、帰帆・再派遣、使者交替や中村佐五右衛門の処置などを説明した四名連署覚書。
慶安五年四月二十八日 / 冊子 217頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0431
光久の江戸発足が五月五日に定まったと飛札で知らせる。当日、帰国の暇を与えられ、例年どおり袷百・銀子千枚を拝領し、阿部豊後守が上使となったことを報じる。江戸発の日限を重ねて確認し、大坂まで来たら消息を伝える旨を述べる。封面に五月二十一日朝の飛脚持下という注がある。
(明暦三年)四月十六日 / 冊子 333~334頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0717
久茂が国元役人六人へ、御弓の勤めを命じられ、鎌田源左衛門へ伝えるよう下命されたことを知らせる。若御前様が今暁七ツ頃に姫を出産し親子とも無事であることを祝い、伊東元右衛門に祝儀の口上を託したとする。本文日付は卯月十六日で、封面に五月二日の注がある。
明暦三年九月十一日 / 冊子 350~351頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0751
島津久通らが、運賃船への私荷積載、琉球からの女性連行、武具・商品売買、船頭・水主の祝儀や酒宴、帆・木綿等の不正、琉球と領内間の無断往来を禁じた船舶取締定書。