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『旧記雑録』前編・後編・附録10冊と追録1~8(暫定版)、『旧記雑録拾遺 伊地知季安著作史料集1~9』『家わけ1』(暫定版)、関連史料(外伝)『島津世禄記』の46,754件を横断検索できます。検索範囲は史料群・巻を組み合わせて選べます。結果は50件ずつ表示します。

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25 件 (全巻)/ 1–25件を表示

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後編3-No.1597文書確認度 高

島津忠恒書状

島津忠恒が、惟新からの連絡として、十二日から福昌寺・帖佐で大中公追善の法華三部読誦を行う予定を伝える。忠恒自身の帰国や出水見廻りも含め、今後の移動日程を相談した書状。

登場人物
島津忠恒(家久)、島津義弘(惟新)、島津義久(龍伯)、大中公、福昌寺
宛先
島津義久(龍伯)
キーワード
島津忠恒書状、四月六日、島津忠恒、島津義弘、惟新、島津義久、龍伯、大中公、福昌寺、帖佐、法華三部、追善供養、出水、移動日程
追録6-No.690記事旧記雑録暫定版確認度 高

重豪、貴久の二百年忌を修す

同年六月二十日、南林寺で大中公の二百年忌法事を三日間修したと記す。大中公には島津貴久との注を付す。これに際し、番頭島津内膳久丘を使いとして香奠の白銀十枚を納め、拝礼させたという。

登場人物
重豪、大中公(島津貴久注)、番頭島津内膳久丘
宛先
—
キーワード
島津貴久大中公二百年忌、六月二十日、南林寺法事三日間、番頭島津内膳久丘遣使、香奠白銀十枚、拝礼
追録6-No.2080記事旧記雑録暫定版確認度 中

南林寺火災・再建と島津貴久像の還座

前年癸卯の正月十一日に南林寺で火災が起き、客殿まで焼けた。来訪中の蒲生郷士大脇孫六と住持泰禅は島津貴久(大中公)の影像を持ち出し、火災後は福昌寺に移した。その年七月二十六日に南林寺の再建工事を始め、翌春三月十日に落成した。十五日に影像を福昌寺から南林寺へ戻し、重豪は島津又六郎久良を、虎寿丸は大島休左衛門久章を大中公廟への参拝に遣わした。

登場人物
島津貴久(大中公)、島津重豪、島津又六郎久良、虎寿丸、大島休左衛門久章、大脇孫六、住持泰禅
宛先
記事のため宛所なし
キーワード
南林寺、火災、再建、島津貴久像、福昌寺、大中公廟、住持泰禅、参拝
追録7-No.1737記事旧記雑録暫定版確認度 高

重豪、貴久ノ遠忌法事ヲ修ス(南林寺・代参)

重豪公御譜中、斉興公御譜にもあるとする。今年夏六月二十三日の記事で、大中公の二百五十年忌法事を南林寺で三日間、二十一日から二十三日まで修したと記す。大中公には貴久の傍注がある。重豪は島津安房久備を遣わし、香奠金二百疋を献じて拝させた。年は前後の文政三年の配列による。対象者・法事の場所と期間、代参者、香奠の金額と単位を記録する。香奠の単位は疋であり二百両へ換算しない。重豪本人の参拝ではなく久備による代参として整理する。

登場人物
島津重豪、大中公貴久、島津安房久備
宛先
南林寺(法事・香奠先)
キーワード
重豪公御譜斉興公御譜今玆夏六月廿三大中公貴久二百五十年忌南林寺三日自廿一至廿三重豪遣島津安房久備香奠金二百疋拝代参
追録8-No.152記事旧記雑録暫定版確認度 高

斉興、祖法ニヨリ軍法ヲ設ク

斉興が藩内に軍法を設けた理由を述べる記事。大中公・貫明公・松齢公の旧制を専ら模範とし、古い制度の良い点を棄てずに取り、当世の士にも忠厚な風法を用いさせたいとする。その意向を家老へ告げるため、詳しい書付を以下に示すと記す。具体的な命令はNo.153に収める。

登場人物
島津斉興、大中公、貫明公、松齢公、家老、当世の士
宛先
宛先なし(記事)
キーワード
島津斉興、軍法、大中公、貫明公、松齢公、祖法、旧制、忠厚、家老
追録8-No.428本文群(国分居住の延期・軍務準備と伝達副書)旧記雑録暫定版確認度 中

国分での居住を延期し太守の許しと諸士の召移・軍務準備を伝える式部申渡と副書

国分での居住は先に命じられたが重大な事情で決しがたく、大中公に願いをかけ、国分の居住を延期することを太守が直々に許したとする。諸士の召移と征夷の手当を決め、厳重に備える趣旨を関係者へ伝える七月式部の申渡。続く七月十一日の大番頭方五番組方印・嶋津仲の副書は、各支配中へ写しを早く伝え、本文を滞りなく廻して留め返納するよう命じる。先の改称通知に合わせて本文の国分を国府へ書き換えず、居住延期・準備の指示と実施完了を区別する。

登場人物
大中公(注:貴久)、太守、諸士、式部、大番頭方五番組方、嶋津仲(注:久芳)
宛先
関係の向々へ、副書は各支配中へ写しを伝える
キーワード
雑集、国分居住先命から延期、不容易重大事情、大中公貴久願、太守許し、諸士召移征夷手当厳重準備、七月式部、七月十一日大番頭五番組方印嶋津仲久芳、支配中写し早伝達本文廻留返納
追録8-No.938-2伊作相州両家惣社の創建遷魂改祭と春冬神祭を定める達旧記雑録暫定版確認度 中

日新寺境内梅岳公神社傍に伊作・相州両家の惣社を設け、歴代の霊を遷し春冬神祭を行うよう求める

伊作・相州両家は大中公の正統相続時に兼帯し、以来代々厚く祭祀してきたと説明する。今般日新寺境内の梅岳公神社の傍に両家の惣社を設け、御当地御惣社の振合通りに両家歴代の霊をすべて遷魂した上で改祭し、以後春冬の神祭を行う旨を神社奉行と関係先へ伝える。明治二巳十一月廿九日、知政所。両家・歴代の霊・原の大中公梅岳公呼称・場所・遷魂後の条件と祭期を区分し、本文にない社号や各公の固有名、神祭の実施完了を補わず、春冬を春秋へ変更しない。

登場人物
知政所、伊作・相州御両家、大中公、梅岳公、御両家御代々の御霊、神社奉行、関係向々
宛先
神社奉行、関係向々
キーワード
原938の2伊作相州御両家大中公正統相続兼帯歴代祭祀日新寺境内梅岳公神社傍惣社創建御当地御惣社振合御両家歴代御霊遷魂上改祭春冬神祭神社奉行明治二巳十一月廿九知政所
追録6-No.628記事旧記雑録暫定版確認度 中

重豪、元久等の廟室を修復し福昌寺を再建す

この年、恕翁公元久・大中公貴久・一唯公久保・心應慶安大姉・曹源院殿の廟室を重修し、石塔を移したことを記す。十二月二十四日、組頭島津直衛久中を福昌寺と恵燈院へ遣わし、それぞれ代拝させた。続く記事は、享保乙卯の年に福昌寺が「池魚の災」に遭い、その後も寺宇が整わず殿屋を仮設していたため、この年、旧制に従って再建したとする。家老島津久金が総監、大目付島津久起が副監を務め、寺社奉行町田久連・島津久前、側用人二階堂行端、用人川上久福・川田国起、普請奉行伊集院兼明・村田経芳・面高俊常らが関与した。経芳が東武へ役務に出たため俊常が代わったとの注がある。春正月に着工し冬十二月に完成、同月二十六日に入仏供養を行った。先規により使番頭川上久馬久致を通じて福昌寺へ青蚨五百匹を贈って慶賀した。完成後、扁額を作り、重豪が「玉龍山」の三字を親書して山門に掲げた。門外の石橋一か所は龍門橋と呼ばれたが廃され、明和九年壬辰春には泉を引いて池とし、石橋を架けた。長さ二丈六尺余、幅一丈六尺余で、壮麗さは旧制を超えたとする。池中に蓮数百根を植えて蓮池と名づけ、小堂二宇に観音と弁財天女を安置し、さらに橋を架けて通じさせた。観音は俗に水観音といい、もとは龍門橋の傍らにあったとの注を伴う。

登場人物
重豪、恕翁公(元久)、大中公(貴久)、一唯公(久保、義弘の子)、心應慶安大姉(家久継室、島津忠清女)、曹源院殿(光久室、伊勢貞豊女)、島津直衛久中(組頭)、島津左中久金(家老・総監)、島津大進久起(大目付・副監)、町田監物久連・島津助之丞久前(寺社奉行)、二階堂源太夫行端(側用人)、川上彌五太夫久福・川田彦七国起(用人)、伊集院仁左衛門兼明・村田五右衛門経芳・面高善右衛門俊常(普請奉行)、川上久馬久致(使番頭)
宛先
—
キーワード
廟室重修・石塔移設、十二月24代拝、福昌寺享保乙卯災後仮設、旧制再建、総監副監と関係役、春正月着工・冬十二月完成、26入仏供養、青蚨五百匹慶賀、玉龍山親書扁額、龍門橋廃止、明和九年春泉池・石橋寸法、蓮数百根・蓮池、小堂二宇観音弁財天女、橋架設
追録6-No.1253記事旧記雑録暫定版確認度 高

定山公師久の四百年忌と香奠銀の減額の注

同年春三月二十一日、薩摩郡隈之城の稱名寺で、定山公の四百年忌の法事を修したと記す。定山公には島津師久の注があり、使番頭鎌田蔵人正方を遣わし、香奠銀三枚を献じて拝させたという。仝上は重豪公御譜中の出典を受ける。小字の注は、これまで祖先の遠忌法事では寺へ香奠銀五枚を納めていたが、ここで初めて減額し、銀三枚を香資として献じ、以後はこれに倣うと記す。その上で大中公・貫明公・松齢公・慈眼公のような場合はまた同じではないと付すため、すべての祖先法事を一律三枚へ改めたとしない。三枚はこの法事への献納額で、従前五枚と加算しない。四百年忌の原表記を保持し、師久の没年を逆算して補ったり、三月二十一日を死亡日として扱ったりしない。

登場人物
定山公(島津師久の注)、使番頭鎌田蔵人正方、稱名寺、重豪、大中公、貫明公、松齢公、慈眼公(原注の例外)
宛先
薩摩郡隈之城稱名寺(法事・献香奠先、独立宛書なし)
キーワード
定山公島津師久、四百年忌、三月二十一日、薩摩郡隈之城稱名寺、鎌田蔵人正方、香奠銀三枚、従前五枚、初減、以往倣、大中貫明松齢慈眼不同
追録7-No.248-2申渡書旧記雑録暫定版確認度 高

市田盛常申渡書

田布施城跡内の大中公誕生所に当たる小祠を基に石囲垣を取り仕立て、碑銘を立てるよう命じる添書。亀石と大中公の年競の松もあるので、粗末にならないよう囲垣を置くことを指示する。誕生所荒神の祭料が毎年不足するため、銀十五枚を渡し置き、郷士年寄の支配で祭料・石碑・囲垣の修覆料に取り計らうよう田布施地頭へ申し渡す。正月、勘解由の記載を伴う。包紙注は田布施亀城荒神祠碑銘書一通を木場次右衛門が見合のため預かったことと、2月2日納置を記す。横切書付に関する注と、寅正月10日に市来次郎左衛門から木場次右衛門へ渡された旨の注もある。碑銘の銀645銭長生銭とは別に、添書の銀十五枚という記載を保持する。

登場人物
市田勘解由(目録盛常)、田布施地頭、島津貴久(大中公)、市来次郎左衛門、木場次右衛門
宛先
田布施地頭への申渡し(独立宛名なし)
キーワード
市田盛常、田布施地頭、貴久誕生所、荒神祠、石囲垣、碑銘建立、亀石、年競の松、粗末防止、祭料不足、銀十五枚、郷士年寄、修覆料、木場次右衛門、市来次郎左衛門
追録7-No.483記事旧記雑録暫定版確認度 高

斉宣が焼失した日新寺を再建させる(重豪御譜)(目録483)

正月15日に加世田日新寺が焼け、寺主寂禅は梅岳公・大中公の木主と仏像・重器を常潤院へ避難させた。寺宇・山門は焦土となり、斉宣が家老菱刈大炊隆邑を総宰として再建させ、国中の士民も私財を寄附した。同年9月着工、翌己未春3月落成。衆寮・禅堂も復旧し、12日に梅岳公木主を日新寺客殿へ戻し、寺社奉行・営作諸司その他の僧侶・郷士が供奉、衆僧が法儀を修した。斉宣は隆邑に大官香5把を献じ拝礼するよう命じ、重豪も側用人を遣わして同品3把を献じた。儀礼後に木主を牌殿へ安置、大中公木主・仏像等も旧位へ戻した。出典は重豪公御譜中。

登場人物
斉宣、重豪、寺主寂禅、菱刈大炊隆邑、梅岳公(島津忠良)、大中公(島津貴久)、寺社奉行・営作諸司・僧侶・郷士
宛先
独立宛名なし
キーワード
日新寺火災、木主避難、常潤院、再建、私財寄附、菱刈隆邑、客殿、牌殿、大官香五把・三把
追録7-No.484記事旧記雑録暫定版確認度 高

斉宣が焼失した日新寺を再建させる(斉宣御譜)(目録484)

前年正月15日、加世田郷日新寺の火災で殿堂・門廡が全焼し、寺主寂禅が梅岳公・大中公の木主と仏像・重器を常潤院へ避難させた経緯を記す。斉宣は菱刈大炊隆邑を総宰として新造させ、その秋9月に着工、今己未春3月落成。13日に梅岳公木主を客殿へ奉還し、衆僧が法儀を行った。斉宣が隆邑に大官香5把の献納・代拝を命じ、父公も同品3把を献じた。儀礼後、木主を本殿へ安置し、大中公木主・仏像等も旧位に戻した。出典は斉宣公御譜中。前483の3月12日・牌殿という記載との差を残す。

登場人物
斉宣、重豪(父公)、菱刈大炊隆邑、寺主寂禅、梅岳公、大中公、衆僧
宛先
独立宛名なし
キーワード
日新寺再建、寛政十一年、客年火災、客殿奉還、本殿、大官香五把・三把
追録7-No.1082記事旧記雑録暫定版確認度 高

重豪御譜(貫明公二百年忌香奠と千眼寺再建援助)

文化7年庚午正月21日、妙谷寺で貫明公200年忌法事を3日、19~21日に修した際、重豪も家老頴娃信濃久喬を遣わし、香奠金200疋を献じ代拝させた。割書は祖先遠忌の費用について、官庫から祭費を出す場合と寺主が寺役法事を行う場合、1日又は3日などの違いを説明する。重豪は記録奉行に論じさせ、大中公・貫明公・松齡公・慈眼公の梵儀では寺主が3日の法会を設け、香奠を増し、その他は1日、功徳ある者は五十年忌と同様とするとの説明を載せる。次の丸印は別件。先に千眼寺を再建し黄金を付しても資用が足りず、同月26日に斉興が田禄150石を寺産として付したのは重豪の意によると記す。後注は文政8年乙酉冬10月にさらに田禄150石を加えたこと。文化7年の斉興追加と後年追加を分け、1081同件記事の田禄を二重合算しない。

登場人物
重豪、家老頴娃信濃久喬、貫明公、大中公、松齡公、慈眼公、記録奉行、寺主、斉興
宛先
独立宛名なし(重豪公御譜中)
キーワード
貫明公二百年忌妙谷寺十九至二十一三日、正月二十一頴娃信濃久喬代拝、香奠金二百疋、寺役法事官庫負担、記録奉行法会議定、千眼寺黄金資用不足、二十六斉興田禄百五十石寺産、文政八冬十月更百五十石
追録8-No.946-1旧寺地の六霊社の社号を定める達旧記雑録暫定版確認度 中

龍尾竹田松原大平徳重長谷の六社について旧寺地と霊社対象を掲げ社号を伝える

通達留。旧浄光明寺の御高祖霊社を龍尾神社、旧日新寺内梅岳公霊社を竹田神社、旧南林寺内大中公霊社を松原神社、旧妙谷寺龍伯公霊社を大平神社、旧妙圓寺内松齢公霊社を徳重神社、旧福昌寺跡慈眼公霊社を長谷神社と掲げる。今般の社建立に伴い、社号をこの通り称する旨を神社奉行と関係先へ伝える。明治二巳十二月、知政所。六組の社号・旧地・霊社対象、義久家久注と竹田の本々注を区分し、御高祖の具体名や社殿完成・祭祀開始実績、現在の住所は補わない。

登場人物
知政所、御高祖、梅岳公、大中公、龍伯公(義久注)、松齢公、慈眼公(家久注)、神社奉行、関係向々
宛先
神社奉行、承知すべき関係向々
キーワード
原946の1通達留龍尾旧浄光明寺御高祖竹田本々旧日新寺梅岳松原旧南林寺大中大平旧妙谷寺龍伯義久徳重旧妙圓寺松齢長谷旧福昌寺跡慈眼家久霊社六社号社建立神社奉行明治二巳十二月
追録5-No.684記事旧記雑録暫定版確認度 高

重年、襲封ノ礼物ヲ先霊ニ献ス

重年公御譜は、前年の江戸での襲封・元服に伴い、今年正月十八日、先例に従って薩府で使者を命じ先霊へ礼物を納めたと記す。台徳公・大猷公・厳有公・常憲公・文照公には各白銀二枚、南泉院の有章公、清揚院、慈眼院、不断光院の大玄院・寛陽院・陽和院・泰清院・真修院、福昌寺の蘭室院・霊龍院・深固院等、恵燈院の義天公には各白銀一枚を納める。本立寺の五世霊塔には青蚨二百匹、興国寺・南林寺・妙谷寺・隆盛院等の島津先霊にも白銀一枚を納め、襲封を賀した。同月二十一日には将軍家六霊を南泉院で拝し、元服を賀して慈眼院・浄国院・月桂院・瑞仙院や島津先霊にも白銀一枚を納めた。「従先蹤」は先例に従う意で、襲封と元服の献納が二日間に分けて行われた。

登場人物
島津重年・台徳公(秀忠)・大猷公(家光)・厳有公(家綱)・常憲公(綱吉)・文照公(家宣)・有章公(家継)・清揚院殿・慈眼院殿・寛陽院殿・陽和院殿・泰清院殿・真修院殿・大玄院殿・蘭室院殿・霊龍院殿・大岳公・義天公・圓室公・彭窓庵主・大中公・貫明公・興岳公・大翁公・浄国院殿・瑞仙院殿・月桂院殿/使者:島津大学久尚・桐山数馬国通・萬六郎(元注又六郎久定)・杜太郎兵衛久仲
宛先
—
キーワード
島津重年、襲封、元服、正月十八日、正月二十一日、先霊、将軍家六霊、白銀二枚、白銀一枚、青蚨二百匹、南泉院、不断光院、福昌寺、本立寺
追録7-No.248-1碑文・題記旧記雑録暫定版確認度 高

田布施亀城荒神祠碑銘書

薩州田布施の邑金峰山麓の亀城と、城内の荒神祠を修めた由緒を記す碑銘。小石室は天和2年壬戌に邑人篠原佐左衛門政盈が建て、島津貴久の誕生地と記していたという。寛政6年正月に有司へ修祠・石欄設置を命じ、銀六百四十五銭を長生銭として邑吏に付け、祠事の資としたため、臣山本正公室に石へ事を記して傍らに建てさせたと述べる。貴久は日新公の子、母は薩摩守重久の娘で、永正11年5月5日に生まれたと記す。誕生舎の跡に後人が荒神祠を建て、祠から東南十五、六歩の亀石二つと、亀石から西二歩の日新公が植えたと伝わる古松を挙げる。貴久の生誕・国難平定とこの地の縁を讃え、祠を鎮護して遺跡を存し、石や松のように保つ旨の銘を結ぶ。

登場人物
島津貴久(大中公)、島津忠良(日新公)、島津氏(薩摩守重久の娘)、篠原佐左衛門政盈、山本正公室
宛先
独立宛名なし(碑銘)
キーワード
田布施、亀城、邑金峰、荒神祠、島津貴久誕生地、篠原政盈、天和二年、寛政六年修祠、石欄、銀六百四十五銭、長生銭、山本正公室、亀石、日新公古松、碑銘
追録8-No.601-2国体一新・上京と公議を願う建言写旧記雑録暫定版確認度 中

高恩への報酬として上京・公議・善言の採用を願う建言写

祖宗以来の高恩に報いたいとして、幕府が従来の失態を悔い政権を朝廷へ返すのは国体一新の基を開く幸であり、中将の忠誠と尽力を称え、太守も早く上京してほしいと願う建言写。王制復古の公議は万代の基礎となるので、和漢古今の明君・儒師などの道理を考え、古典を通じ才能ある者を用い、諸藩の応接や広い善言を聞いて政務を至公に行うよう求める。君臣の善言採用と国の安危を論じ、千載の機会として恐れながら言上する。末注は慶応三年卯十一月九日、太守の発駕前に佐土原侯から差し上げた写とする。目録の島津忠義建言書の標題と、正文の無署名・写の差上者を区分し、忠誠や政治的称賛は本文の主張として示す。

登場人物
正文の話者私(実名署名不記)、太守、中将、佐土原侯(差上写注)、大中公・龍伯公・惟新公(貴久義久義弘の注)、朝廷、儒師・坊門清忠・楠氏等の古例
宛先
太守への差上写(発駕前の注)
キーワード
原6012疎陋狭識私祖宗高恩大中龍伯惟新貴久義久義弘幕失態悔政権朝廷帰国体一新中将忠誠尽力太守早上京公議王制復古万代基礎古典儒師任人古史坊門清忠楠氏善言言路君臣国家安危千載機会慶応三卯十一月九佐土原差上写
追録8-No.939諸菩提所の画像肖像木像遺骸の合祀小社建立と寺院廃止を定める達旧記雑録暫定版確認度 中

先代等の画像・肖像・木像・遺骸を指定社へ合祀し、一部旧寺地へ小社を設け社守・祭祀を定める

諸所に安置した先代等の画像・肖像・木像・遺骸を、指定の社へ合祀する対応を列記する。浄光明寺内得佛公社、日新寺内梅岳公社、妙圓寺内松齢公社、福昌寺内英嶽殿、妙谷寺内貫明公社、諏方社宗源殿が合祀先となり、各旧寺名・対象・媒体は台帳へ個別転記した。阿多上宮寺・高山日新院・川邊玉泉寺は旧寺地の由緒から小社を建て、誕生日を神祭として従来通り敬い、所中士族から社守を選び寺地をその者へ支配させ、神社奉行が吟味して申し出る。画像は箱入保護し祭日に懸ける扱いと当分鹿籠転院の注も保持する。寺院を廃し、合祀または一社建立を行い本社と同日に祭祀する旨を神社奉行等と諸郷へ通知する。明治二巳十一月知政所。実廃寺数・移送完了・現代社名地図対応は補わない。

登場人物
知政所、神社奉行、諸郷、所中士族社守、得佛公・節山公・圓室公・興岳公・松齢公・梅岳公・運久君・宰相君・恕翁公・大中公・持明君・大信公・金剛定公・貫明公・信證君・信解君・妙心君(台帳に各注)
宛先
神社奉行、その他関係向々、漏れなく諸郷
キーワード
原939通達留諸菩提所画像肖像木像遺骸得佛節山圓室興岳松齢梅岳運久宰相恕翁大中持明大信金剛定貫明信證信解妙心合祀箱入保護祭日懸当分鹿籠転院三寺地小社建立誕生日神祭士族社守寺地支配神社奉行吟味寺院廃本社同日祭祀明治二巳十一月
追録8-No.943歳久忠朗五忠臣の神霊祭祀寺院廃止神社等建立を定める達旧記雑録暫定版確認度 中

歳久・忠朗の菩提寺を廃し神社祭祀を設け、五忠臣位牌・別庵・長谷神社等の扱いを定める

歳久について、帖佐瀧ケ水の自盡と貫明公による心岳寺建立を述べ、寺を廃して跡に一社を建て神霊を崇め社司を置く。忠朗について、奉仕忠節と忠棟父子の叛逆による衰亡を原の評価・説明として述べ、笑岳寺を廃して自家で神霊を崇め、庶流伊集院四郎が祭祀を永続できるよう寄附高から七石を永く与える。忠長・政近・國貞・久治・貞昌の五人は、慈眼公が病悩重い際に位牌脇へ位牌を配列させたとの記述を掲げ、寺院廃絶後、國貞には別に菩提所源舜庵を建て、各霊は長谷神社の肖像脇に改め設けて従祀し、釼一振も置く旨を伝える。明治二巳十二月知政所。原顕彰・叛逆評価、霊の扱いと寺高・庵・釼を区分し、実移送祭祀完成や病名・実給付総額は補わない。

登場人物
知政所、嶋津左衛門歳久、貫明公、伊集院大和忠朗、日新公、大中公、忠棟父子(原叛逆評価)、伊集院四郎、嶋津圖書忠長、鎌田出雲政近、比志嶋紀伊國貞、伊集院下野久治、伊勢兵部貞昌、慈眼公、神社奉行、各子孫
宛先
神社奉行、各子孫、承知すべき関係向々
キーワード
原943通達留歳久帖佐瀧ケ水自盡貫明心岳寺廃一社神霊社司伊集院大和忠朗日新大中貫明奉仕忠棟父子叛逆原評価笑岳寺廃自家祭祀四郎寄附高七石永給五人忠長政近國貞久治貞昌慈眼病悩位牌脇配列國貞源舜庵長谷神社肖像脇改設従祀釼一振神社奉行子孫明治二巳十二月
旧記雑録拾遺 著作史料集8-文書ID W03_1-3書状旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

近衛稙家公御手跡考(日新軒書状と考証)

日新軒の六月二十七日付書状を掲げ、色紙の来歴に関する古記録と照らして近衛稙家公の筆跡かどうかを再考する。書状には家門の旧好と、委曲は古市長門守から伝える旨が記される。

登場人物
名連署手形、曲猶申含古市長門守、市甲斐子古市長門守、大中公、稙家公、日新公、伊呂波歌稙家公、又日新公
宛先
宛先明示なし
キーワード
日新軒・六月二十七日・近衛稙家・色紙
旧記雑録拾遺 著作史料集9-文書ID W06_文書0029詩注解旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

新納忠元詩時升註解

時升が忠元の二十七歳の歳旦詩を解説する。巾車には官名や庶人の乗物などの用例があるが、忠元はその年齢で高位にいなかったため帰去来辞に出る農人の車として考える。春の陽気で古い叢の花が再び紅になる句を、家の没落後に忠元が主君に遇い、その仁愛によって力を発揮したことと読む。割拠と英雄の句では器量を自負する読みを退け、年若い忠元が草廬の諸葛亮に比べ、忠信の心から奉公する情を述べたと解する。

登場人物
新納忠元、新納時升、日新公、大中公、劉玄徳、諸葛亮
宛先
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キーワード
新納忠元詩時升註解、巾車の官名、庶人の乗物、春の東風、旧叢と紅花、割拠の器量、英雄と草廬、忠元の奉公
追録7-No.1331書状旧記雑録暫定版確認度 高

川上久芳書状(加世田日新寺大中公位牌形の採用伺)

重豪公御譜中・写正文在家老座。野田感應寺へ御五代様の位牌を安置するよう大御隠居が仰せ付けたため、厨子・位牌を加世田日新寺安置の大中様(島津貴久注)の位牌の形により、別紙絵図面のとおりにしてよいか、寺社奉行が吟味して申し出たと伝える。そのとおり命じてよいか御意を伺い、趣を知らせるよう求める。文化10年朱注、11月廿九日、上印川上右近署、下印鎌田典膳宛。行間朱返答は1332として別記し、本伺を造作承認済・位牌厨子製作済としない。後続のNo.1333にある五項の位牌書立と対応する。

登場人物
川上右近(久芳は目録)、鎌田典膳、大御隠居、御五代様、大中様(島津貴久注)、寺社奉行
宛先
鎌田典膳殿(本書下印宛)
キーワード
野田感應寺御五代位牌安置命、厨子位牌加世田日新寺大中貴久御形別紙絵図、寺社奉行吟味採用伺、十一月廿九川上右近上印鎌田下印宛
後編1-No.533記事確認度 高

島津国史補注

島津貴久の葬所をめぐる異説を検証した補注。旧説では福昌寺の石塔を墓としたが、祭文や加世田の伝承から日新寺常潤院山中説が唱えられた。享和二年、本田親貞・相良常旭が現地調査すると石塔には「大中公」とだけあり、埋葬を示す銘記も伝承もなかったため、加世田で葬儀後に福昌寺へ埋葬し、常潤院の塔は灰塚と結論づけた。誤説をあえて残し、誤りの経緯を明らかにすると説明する。

登場人物
島津貴久、本田親貞、相良常旭、匡正、貞良、島津歳久、島津征久、加世田の住民
宛先
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キーワード
島津国史補注、島津貴久、葬所、福昌寺、日新寺、常潤院、石塔、灰塚、本田親貞、相良常旭、現地調査、享和二年、史料批判
追録6-No.2602記事旧記雑録暫定版確認度 中

重豪の隠居に伴う宗廟・諸社への金銀・香・青銭の献納を記す

重豪の隠居に際し、宗廟・神社へ敬意を表して供物を納めた経過を記す。三月二十一日、家老島津久邦を遣わし、鹿児島五社(諏方・稲荷・祇園・春日・若宮)と福ヶ迫諏方社へ金二百疋ずつを献納する。二十二日には喜入久福を南泉院へ遣わし、神祖廟へ銀二枚、台徳・大猷・厳有・常憲・文昭・有章・有徳・惇信・浚明の各廟へ銀一枚ずつを納める。また久邦を不断光院と浄光明寺へ遣わし、清揚廟と得佛へ銀一枚ずつ、浄國へ金二百疋を献納する。同日、側用人を遣わして、霊符堂看経所・休息所看経所・護摩所・稲荷・八幡・天神・不動、外庭の稲荷と相殿の若宮八幡、春日大明神、鵜戸権現、大人八幡、観音、尾畔の稲荷・弁財天・観音、二丸の諏方・弁財天へ青銭五十疋ずつを納める。二十三日には二階堂行旦を福昌寺へ遣わし、浄岸院・慈眼院・寛陽院・泰清院・大玄院・有邦院・慈徳院へ金二百疋ずつ、圓徳院へ官香二把と金二百疋を献納する。二十六日に平田成政を加世田へ遣わして日新公へ金二百疋、二十七日に二階堂行旦を遣わして花尾山へ銀一枚、郡山一之宮へ金二百疋を納める。四月十二日には菱刈實祐を南林寺へ遣わし、大中公へ金二百疋を献納する。

登場人物
島津重豪、島津和泉久邦、喜入安房久福、二階堂主計行旦、平田靱負成政、菱刈大次實祐、側用人
宛先
宗廟・神社(献納先)
キーワード
致仕、隠居、宗廟、神社、献金、銀、官香、青銭、家老、側用人
旧記雑録拾遺 著作史料集9-文書ID W06_文書0016年譜旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

新納忠元年譜

忠元の年譜が、天文七年に忠勝の敗落で家臣が離散し、安萬も父祐久に従って田布施へ移ったと記す。十四年、大中公が伊集院にいた時に入来院重朝が背き、八月七日頃に神殿から兵を出して郡山城を夜襲した。忠元は諸将とともに城へ迫り、先に柵を登って山口某と刀で戦い首を取った。初めての従軍で槍傷を負い、その時は十九歳だったという。

登場人物
新納忠元(安萬)、島津忠勝、島津祐久、梅岳、島津貴久、入来院重朝、南郷四郎忠□、市来小四郎家、川上十郎左衛門経久、阿弥忠政、野村民部少輔是綱、山口某
宛先
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キーワード
新納忠元年譜、宗子の敗落、安萬の同行、十四年の郡山攻め、夜間の城攻め、先登、山口との刀戦、槍創