樺山久高・鎌田政近連署掟書
慶長八年六月廿六日 / 冊子 899頁
樺山久高と鎌田政近が連署し、京泊から入津する唐船に関して、公方への礼物を理由に商人へ不当な買付けを強いてはならず、川内の唐人を含む当事者の自由な交易を妨げないよう命じる。違反者は厳罰とした。
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慶長八年六月廿六日 / 冊子 899頁
樺山久高と鎌田政近が連署し、京泊から入津する唐船に関して、公方への礼物を理由に商人へ不当な買付けを強いてはならず、川内の唐人を含む当事者の自由な交易を妨げないよう命じる。違反者は厳罰とした。
辛未本々 / 冊子 860頁/原整理番号 1079の3/整理ID 1079-3
開港場では外国商人から私的に器械・船艦等を買い入れたり金銀を借用したりすることを禁じる。旧藩中の借財は届け出て整理し、今後違反による負債が生じた場合は地方官の責任として厳重に取り締まる。
(永禄二年)三月三日 / 冊子 69頁
琉球国三司官が島津氏老臣に、唐商人来航に備え、貴国商船が来航した際には従来どおり武具・腰刀を那覇で預かり、出船時に返すこと、印判のない船を受け入れないことを求めた書状。織物九端を添える。
永禄十三年三月一日 / 冊子 236~237頁
村田経定が、広済寺雪辱東堂を琉球へ派遣するに当たり、近年薩摩商人が印判を携えず私的に往来しているのは沙汰の限りだと伝えた書状。今後違反者があれば船や財物を琉球側の処分に委ねるとし、詳細は雪辱和尚の口上に託す。
慶長二年二月廿一日 / 冊子 81~82頁
島津義弘が家中の規律を定めた掟書。勤番、口論・喧嘩、奉公人と商人の扱い、京都での宿所、飲酒、外出、市場での売買などを条項ごとに命じ、違反を禁じる。
(慶長五年)十二月廿四日 / 冊子 726頁
新納忠元が馬越の市日を加増として拝領したことを知らせ、十二月二十六日の開市に向け、加藤武部左衛門らと相談して各地の商人を集め、市の振興と商人の定着を図るよう依頼した書状。
(慶長八年)七月廿三日 / 冊子 901頁
伊勢貞成が虎皮・豹皮・小人島・水牛角・明礬・鹿皮・山馬皮・砂糖・紅木の数量を列記し、鹿児島と帖佐へ分配するよう命じた注文。唐人側と価格を確定し、商人へ引き渡すことも指示する。
年月日未詳 / 冊子 92頁
島津家久が伏見滞在中、盟約に背く琉球王を翌年討つ許可を徳川家康・秀忠から得て、ひそかに準備したことを記す島津家久譜の記事。同年八月に明船が琉球へ来着し、薩摩・大隅・日向の商人が交易航海を希望したため、山口直友は許可しつつ翌春の出兵を妨げないよう考慮すべきだと答えた。
(慶長十一年)十二月十二日 / 冊子 93頁
山口直友が島津忠恒(家久・陸奥守)に、贈られた唐皿への礼を述べ、大御所徳川家康の関東下向が息災であると知らせた書状。薩摩国の加子らの件は本多佐渡守の取り計らいで解決したと伝える。また、琉球に唐船が着いたため薩摩の商人を買付けに赴かせる案をもっともとしつつ、翌年の「御働」に差し支えないか十分に検討するよう求め、詳細は先に下向させた和甚兵衛に申し含めたとする。
慶長十一年十二月廿四日 / 冊子 102頁
慶長十一年十二月二十四日、入津した南蛮船の生糸について、京都・大坂の商人を呼び寄せ、割付後に残った糸も商人へ売るよう島津家久が命じた判物。価格の相談と売却に油断のないよう両名に指示する。
元和元年九月十八日 / 冊子 608頁
領内の魚・塩の売買について納屋主・問屋の役割を定め、浦々の商人・小売人による勝手な取引を禁じて流通を統制した三名連署の廻書。
(寛永六年)十一月十八日 / 冊子 119~122頁
将軍御成に用いる諸道具について、太刀・鎧・弓征矢・掛物・花瓶・石鉢・風鈴・琉球品などの調達・製作・進上、職人や商人への指示、道中の宿・路地、贈答先と数量を詳しく定めた覚書。
年月日未詳 / 冊子 433頁
島津義久の老臣某が琉球国三司官へ、日州商人の船が漂着した際、残留者や品物の扱いが不当であると抗議する。商人への偏頗や僧による利得を戒め、両国関係を阻害しないよう、今後の是正を求めた書状案。
(寛永十二年)十二月廿五日 / 冊子 514頁
秋月種成が、肥後へ商いに赴いて薩摩領内で留め置かれた福島の久蔵・善次郎・弥介の三人と、先月にも申し入れた作左衛門について、いずれも福島の者に相違ないので無事に帰すよう求めた書状。
10月(通知群、年日不記);貿易条は去ル申年の措置への言及 / 冊子 321~322頁/原整理番号 455/整理ID 455
六内容の雑集。雅楽頭の海陸備えの御用は和泉守・周防守と相談して扱うよう命じる。紀伊中納言は大坂で守衛・海岸防禦を厚くし、必要時に家老と諸藩を指揮する役とする。政事総裁を命じられた松平大和守には公義の御礼以外の贈物等をせず、機嫌伺も書状にするよう求める。大樹の上洛中に横浜鎖港談判が進む場合は適任者へ委任して成功を図るとし、別通知は談判にあたり軽挙暴発を避けるよう諸藩家来まで周知を求める。最後は神奈川開港後の生糸・日用五品等の輸出取締について、去る申年からの措置、今年の不作と物価・国費増加、府内外商人への影響を述べ、国中の支障を生まないよう取締を命じる。十月の通知群として各主題を分け、政策評価は本文の見解で鎖港・取締の完了とはしない。
辛未11月29日会計局 / 冊子 860~861頁/原整理番号 1079の4/整理ID 1079-4
各地の産物を増やすため、資金を貸し付けて生産・買入れを進め、国産会社が販路・輸出を支援する。茶などの特産品について商人の買い占めや不正を防ぎ、東京・横浜・大坂・神戸・長崎等への荷為替取組を整える。
壬申10月 / 冊子 904頁/原整理番号 1118の1/整理ID 1118-1
銃砲・弾薬類の売買規則を厳重に定め、詳細は追って通知するとしたうえで、それまで商人・一般人とも他府県を含む売買を禁じる。
明治6年12月12日鹿児島県庁 / 冊子 934頁/原整理番号 1180/整理ID 1180
諸物価は年々豊凶や需要の多少で自然に上下するため、一定価格の公定を廃止し、米・酒その他の品物を自由に流通させる。商人が結託して不当に価格をつり上げる行為は厳しく取り締まり、戸長へ申し付ける。
明治7年5月27日鹿児島県庁 / 冊子 940~941頁/原整理番号 1193の2/整理ID 1193-2
旧藩札交換で生じる小額銭の不都合を理由に、商人が手控え札を用いて物価をつり上げる行為があるため、定価どおりの取引を徹底する。端数に臨んでも価格を不当に変えず、管内に漏れなく周知する。
年月日未詳 / 冊子 808~809頁
天文十二年、種子島へ漂着した異国船から鉄砲と火薬調合の技術が伝わった経過を記す。種子島時堯が鉄砲を買い取り試射し、篠川小四郎・織匠に製造を命じた。技術が紀伊へ渡り、堺商人や和泉橘屋又三郎を介して国内へ普及したことを伝える。
(慶長十七年)八月二日 / 冊子 370頁
慶長十七年八月二日、島津義弘が、春山野で育てた四歳の駒と早馬、馬屋、唐船・小船の商売、商人の自由な往来、寺沢志摩守らの取次について述べた書状。
慶長十八年九月十五日 / 冊子 413頁
慶長十八年九月十五日、島津家久が琉球統治について、旧来の制度と日本法、国王位、知行配分、百姓、年貢船・渡唐船、商船、官人・人質、日本人・唐人商人の取扱いを定めた条書。
寛永九年六月二日 / 冊子 274~275頁
喜入忠続と川上久国が、唐へ渡す多額の銀子調達を新納加州老・最上土州老を通じて三司官に談合させ、冠船交易時の商人への銀子二分運上、七島衆の唐交易と私的銀取引の禁止、七島・徳之島・沖永良部等からの借銀、市来和泉守を介した連絡、上船改めや琉球の身分層・町人への運上を定めた条書。
寛永十年八月十日 / 冊子 375~377頁
島津久元・喜入忠続・川上久国の連署による物資調達の条書。上方から借りた銀で糸・唐物・銅・薬種などを購入する際の価格、帳簿、担当者、商人との取引、賄賂・私的売買の禁止などを細かく定めた。
年月日未詳 / 冊子 433頁
島津氏が大明各地の船主・商客へ告諭し、唐船入津時の交易法度を定めた文書。官買・押買・不正抽分を禁じ、日明双方の商人が合意した価格で売買すること、清廉な役人を置くこと、官用購入と銀の抽分率などを規定する。
辛未11月鹿児島県庁 / 冊子 856頁/原整理番号 1075の8/整理ID 1075-8
米穀その他の抜売は以前から禁止しているが取締が行き届かないため、津口等で一層厳重に取り締まる。大坂へ無手形で送る抜物を含め、関係役人が不正を見逃さず処理するよう命じる。辛未十一月鹿児島県庁。
明治7年5月25日鹿児島県庁 / 冊子 940頁/原整理番号 1193の1/整理ID 1193-1
銅銭の換算を七拾貳文として便宜上取り替える趣旨であったが、事情を利用して品物価格を倍増させる者がいるとの訴えがあるため、物価を厳密に取り締まり、違反を見聞きした場合は申し出るよう命じる。
慶長十六年九月十九日 / 冊子 344~345頁
慶長十六年九月十九日、樺山久高らが連署した琉球統制の条目。唐江交易、由緒不明者・女性・私的従属、寺家、琉球人売買、日本人との渡海、京判外の商船、法令違反者の処罰などを定める。
(慶長十七年)七月廿五日 / 冊子 366~367頁
慶長十七年七月二十五日、島津義弘が宗善へ、肩衝茶入と焼物、唐船商売の銀子、長谷川左兵衛佐・本多源右衛門尉を介した取次について依頼した書状。
慶長十七年八月六日 / 冊子 372頁
慶長十七年八月六日の禁制条々。中間・小者の無断拘置、喧嘩・罪人、門徒、手負い人の留置、煙草、宿と売買、馬荷、牛の殺害などを禁じ、違反者の処罰を定める。
元和五年十二月廿二日 / 冊子 721~722頁
殺人などの死罪、身売買、奉公人・家子の売買、逃亡者や犯罪人の匿い、宿主・請人の責任、借金返済、請人の引受けなどについて処罰と手続きを定めた条書。
六月三日 / 冊子 10~11頁
島津家久が喜入忠政へ、川上久国・蒲池備中入道・東郷重位と相談して国政を整えるよう命じた書状。百姓・町人・浦々の住民が疲弊し国が荒れるとの報告を踏まえ、商業・船舶・異国人との交渉を含む諸問題を慎重に協議し、以前のように曖昧に終わらせず将来まで通用する方針を定めるよう求める。
寛永三年七月廿九日 / 冊子 15~16頁
島津家久が袖判を据え、先に大坂で協議した国政方針を徹底させるため下した条書。唐船の来航・積荷・商売、異国人との交渉、諸役の執行について関係者が相談し、従来の決定を曖昧に変更せず、国の衰微や混乱を防ぐよう命じる。
年月日未詳 / 冊子 373頁
島津家久譜の記事。台湾から来た福州商船が長崎へ入港し、乗船していた唐人二人が阿久根へ置かれたため、その二人と前年から薩摩にいた同類を合わせた十五人を長崎へ送るよう求められた経緯を記す。
(寛永十年)七月十日 / 冊子 373~374頁
榊原職直・神尾元勝が薩摩側へ、台湾から来た福州商船が長崎へ入港し、唐人二人を阿久根に置いたとの申告を受けたため捜索して長崎へ送ること、前年から預けられた者を含む唐人十五人も送ることを求めた連署書状。
寛永廿年十月九日 / 冊子 272~273頁
島津久通らが船舶・交易・米穀輸送について定めた連署条書写。船の仕立て・修理・遭難時の損失、船頭・商人の責任、運賃・口米、島々への渡航、使者の扶持や米支給などを条々に規定し、不正や過分な負担を防ぐよう命じている。
戌六月(本文)/享保四年六月(目録) / 冊子 412頁/整理ID 1067
琉球国国司に対し、唐船持渡りの禁制品や抜荷をめぐる商人の取引を制限し、疑わしい品の申告・引渡しと違反時の処罰、外国船の来航時の取扱いを命じた覚書。
享保四年四月 / 冊子 413頁/整理ID 1069
琉球三司官へ、被仰渡事項を公義の御尋者へ伝え、抜荷や船荷の不審な取引を調べ、商人の申立てと品物を照合して改めるよう命じる申渡書。
享保四年七月 / 冊子 417頁/整理ID 1079
琉球国司へ、唐船抜商についての公儀の書付を申し渡し、油断なく商人や品物を調べ、疑いある者の取扱いを定める連署の申渡書。
明和九年辰六月(日無記載) / 冊子 328頁/原整理番号 909/整理ID 909
町家が繁華になれば商人が多く帰り入り、自然に賑わうとして、今後は城下で稼ぐために入る他国人を見込んで居付けさせることを認め、縁組も勝手次第とする。上方その他の国の奉公人も、男女を問わず抱え入れることを認める。これは町家に限らず、奉公人を諸人が抱えることも勝手次第とする。町家の者が当分、上方や長崎などへ差し越すことはあるが、今後さらに他国へ出ることも勝手次第と命じ、参宮類にも差し障りがないよう免ずる。以上の命令を表方へ通達し、御側方・御勝手方には写しをもって伝えるよう求める。明和九年辰六月付、主馬と署し、喜入久福の注を伴う。
3月会計局/3月知政所(年は目録明治3年) / 冊子 745頁/原整理番号 966の8/整理ID 966-8
藩内商人が他邦との商売で悪金を多く持ち込み、他邦商人が悪金を持ち越して品物を買う例もあり、位の不十分な品によって受け取る者が損をするため、新金の取締と引替等を行うとする。朝廷の布告を踏まえ、藩内の新金を措置しない状況がある折に従前どおり悪金が入り込むのは政事の妨げで、朝廷へも対しがたいとして、今後は金性を選び悪金を一切受け取らないよう命じる。当地では民事局、外城では地頭・副役が漏れなく周知し取り締まる。三月会計局、三月知政所の周知文を伴う。年は目録の明治三年による。「悪金」「新金」は本文の呼称で、種類や品位の数値は記されない。
天正15年 / 冊子 207頁/原整理番号 123の2
日本を神国とし、切支丹国から邪法を授けることを禁じ、伴天連に20日以内の帰国を命じる豊臣秀吉の追放令。寺社破却を禁じ、商人の往来は認める。
(天和三年)八月三日 / 冊子 714~715頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書1862
琉球人が長崎で唐物を買う際、相場とかけ離れた高値や品質不良を避け、前年価格・他所の値段と比較し、買手と売手が相談して隠し事なく取引し、必要なら国元へ照会するよう命じた覚書。
「寛永廿一年」五月十三日 / 冊子 333頁
南蛮人・伴天連の密航と交易に関する覚書。南蛮人が唐人の装束で唐船に紛れ、天川商人を介して商品を扱い、日本人姿で唐船・日本船に乗って来航する可能性を警告する。漁船を含む船舶の監視と、日本船の外国寄港禁止の徹底を求めている。
明治元辰十月朔日 / 冊子 609~610頁/原整理番号 784の1/整理ID 784-1
通達留。上方の米価が特に騰貴していると聞き、領内全体が米穀不足なのに、商人が密かに米穀を積み出すおそれがあると述べる。抜物取締りは以前にも命じているが、当地だけでなく諸郷・私領の津々浦々まで厳重に行き届かせるよう、津畑出張の抜物取締横目と番所詰横目へ命じ、地頭・領主・郡奉行・取納米差引横目へも早く知らせるよう求める。明治元辰十月朔日、龍衛。米価の風聞と密積出しへの懸念を通達の認識として示し、実摘発件数や不足量は補わない。
享保三年十一月~享保四年二月十八日 / 冊子 404~405頁/整理ID 1042
幕府の抜荷取締りの触状二通と、琉球近海の密貿易を禁じる種子島久基の申渡書を収める集合資料。
年月日未詳 / 冊子 195頁
江戸では米一石につき銀十九匁ほどで取引され、そのため世上が少し窮屈になっているとの事情を記す雑抄。寛永十九年六月三日付の書付に見える内容として抄録されている。
(寛永廿年五月十四日) / 冊子 238~239頁
島津光久の留守中における禁止事項をまとめた条書案文。火事に備えて帳簿や重要品を管理し、役人が油断して不正を見逃さないこと、賄賂を受けないこと、古物や預り物を内々に売買・流用しないことなどを定める。違反や疑わしい取引は相談・報告し、納殿衆が厳格に監督するよう求めている。
享保四年四月 / 冊子 412~413頁/整理ID 1068
琉球国司に対し、唐物の抜荷や禁制品の取引を禁じ、買手の証文や他国買求めの儀の取扱い、抜荷の通報と違反者への処置を命じる申渡書。
辛未12月28日鹿児島県庁 / 冊子 866~867頁/原整理番号 1084の8/整理ID 1084-8
生糸生産増加に備えて養蚕会社を整備し、資金の貸渡し、利益銀の扱い、出資者への配分、生糸や種紙の買上げ、国産会社を通じた輸出等を定める。不正な抜荷や買い占めを防ぎ、事業を公平に運営する。