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『旧記雑録』前編・後編・附録10冊と追録1~8(暫定版)、『旧記雑録拾遺 伊地知季安著作史料集1~9』『家わけ1』(暫定版)、関連史料(外伝)『島津世禄記』の46,754件を横断検索できます。検索範囲は史料群・巻を組み合わせて選べます。結果は50件ずつ表示します。
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w3:60系図旧記雑録拾遺暫定版確認度 高
年月日未詳 / 冊子 179頁/原整理番号 60
伊東才蔵家の系図。伊東加賀守から右衛門へ続き、右衛門は実は加賀守の弟で、兄の猶子となり、加賀守とともに木崎原で戦死したと記す。次左衛門の後裔は佐土原没落時に浪人となり、のち伊集院忠真に属し、忠真下城後は指宿に居住、その後加治木へ至って惟新公に仕え、知行を与えられた。別系の仙右衛門―志摩助の後裔は光久公に仕えて御守役を務めた。藤五郎―仙右衛門の系の後裔は、江戸上御屋敷の類火時に女房を介抱して退出させ、光久公病気の際には霧島御鉢へ二昼一夜参籠し、のち納殿役を務めた。
- 登場人物
- 伊東加賀守、右衛門(加賀守の弟・猶子)、次左衛門、伊集院忠真、島津義弘(惟新)、仙右衛門、志摩助、島津光久、藤五郎
- 宛先
- —
- キーワード
- 伊東才蔵家系図、伊東加賀守、右衛門、実弟、猶子、木崎原戦死、次左衛門、佐土原没落、浪人、伊集院忠真、下城、指宿居住、加治木、惟新公、知行、仙右衛門、志摩助、島津光久、御守役、藤五郎、江戸上御屋敷、類火、女房介抱、霧島御鉢、二昼一夜参籠、納殿役
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w5:191系譜覚書/家伝考証旧記雑録拾遺暫定版確認度 高
天正13年(1585)・寛永5年(1628) / 冊子 381頁/原整理番号 191
焼失した蒲池休右衛門家の系図に基づく家伝と、記主自身の考証を併記した覚書。筑後国蒲池城主の蒲池家は天正年間の合戦で敗れ、備中入道が天正十三年に島津義久へ属して千石を与えられたとする。備中入道の養子新助は山田民部入道性円の兄で小根占地頭、その嫡子が八郎左衛門で、記主は八郎左衛門の猶子だと述べる。備中入道を野田地頭とする家伝は当初不明としながら、寛永五年の御人数賦帳に『野田蒲池備中入道』とあるため正説と考えるに至った。
- 登場人物
- 蒲池休右衛門、蒲池備中入道、島津義久、新助、山田民部入道性円、八郎左衛門、八郎左衛門の猶子(記主)
- 宛先
- —
- キーワード
- 蒲池休右衛門、系図焼失、筑後国蒲池城主、天正中合戦失利、天正十三年、島津義久、千石、蒲池備中入道、養子新助、山田民部入道性円、小根占地頭、八郎左衛門、猶子、野田地頭、寛永五年、御人数賦帳、家伝考証
追録2-No.2370記事旧記雑録暫定版確認度 中
十一月廿八日~廿九日 / 冊子 698頁/整理ID 2370
島津吉貴が十一月二十八日の奉書を受けて翌二十九日に登城し、土屋政直・秋元喬朝・稲葉正通・大久保忠増・井上正岑の列座する場で、娘満姫を近衛左大臣家熙の猶子とする許可を伝えられた記事。吉貴は礼を述べた。
- 登場人物
- 江戸幕府・島津吉貴
- 宛先
- 島津吉貴
- キーワード
- 島津吉貴、満姫、近衛家熙、猶子、土屋政直、秋元喬朝、稲葉正通、大久保忠増、井上正岑、登城、許可、宝永三年、記事
追録6-No.996書状旧記雑録暫定版確認度 中
安永二年二月十一日 / 冊子 356頁/原整理番号 996/整理ID 996
中将重豪から中山王への書状。芳簡をいま披見したと述べ、「於敬事奥方被致猶子候為祝儀」と記された祝儀について、読谷山王子を遣わされ、太刀一腰・馬代黄金十両と目録どおりの品を贈られたことを喜び、謝意を示す。末尾は二月十一日、中将重豪の御判で、朱に安永二年とある。重豪公御譜中の収録で、正文は琉球国司にあると記す。
- 登場人物
- 中将重豪(島津重豪)、中山王、奥方、読谷山王子
- 宛先
- 謹上 中山王
- キーワード
- 猶子祝儀、中山王への礼、琉球使者、太刀・馬代黄金
前編2-No.1655文書確認度 高
文明十八年十月吉日 / 冊子 539~540頁
島津忠廉が本田兼親に、猶子・家の連続をめぐる事情と初太丸の扱いについて述べ、伊集院大隅入道らを介して意向を取りまとめ、今後の措置を相談した書状。
- 登場人物
- 島津忠廉、本田兼親、初太丸、伊集院大隅入道
- 宛先
- 本田因幡守殿
- キーワード
- 島津忠廉書状、本田兼親、本田因幡守、初太丸、伊集院大隅入道、猶子、家督、文明十八年、十月吉日
前編2-No.1661文書確認度 高
文明十八年十月吉日 / 冊子 541頁
本文はNo.1655と同文のため省略される。島津忠廉が本田兼親に、猶子・家の連続をめぐる事情と初太丸の扱いを述べ、伊集院大隅入道らを介して今後の措置を相談した書状。
- 登場人物
- 島津忠廉、本田兼親、初太丸、伊集院大隅入道
- 宛先
- 本田因幡守殿
- キーワード
- 島津忠廉書状、本田兼親、本田因幡守、初太丸、伊集院大隅入道、猶子、家督、文明十八年、十月吉日、同文省略
前編2-No.2056記事確認度 高
年月日未詳 / 冊子 666~667頁
大永六年十一月十二日、島津忠兼が使者を通じ、忠良の長男虎寿丸を猶子として家督を譲る意向を伝えた経過を記す。忠良は村田越前守・土持伊豆守・梶原備前守らの仲介にも再三辞退したが、最終的に受諾し、虎寿丸が貴久として継承する。
- 登場人物
- 島津貴久(虎寿丸)、島津忠兼、島津忠良、村田越前守、土持伊豆守、梶原備前守
- 宛先
- —
- キーワード
- 島津貴久譜、島津貴久、虎寿丸、島津忠兼、島津忠良、猶子、家督、大永六年
後編1-No.144記事確認度 高
年月日未詳 / 冊子 76頁
島津義弘が飫肥の島津忠親の猶子となり、永禄三年三月十九日に薩摩を発って飫肥へ赴き、防御を固めた経緯を記す。帰薩後に再び伊東勢来襲を聞くと、貴久父子の制止を振り切り、忠親との親子の契約を守るため救援へ駆けつけた。
- 登場人物
- 島津義弘、島津忠親、島津貴久、島津義久、伊東氏
- 宛先
- —
- キーワード
- 島津義弘譜、島津忠親、猶子、飫肥、伊東氏、永禄三年、防御、救援、親子契約
後編1-No.1469記事確認度 高
天正十二年 / 冊子 968頁
島津忠隣が天正十二年、十六歳で猶子となり、出水から祁答院へ移ったことを記す。
- 登場人物
- 島津忠隣
- 宛先
- 出水、祁答院
- キーワード
- 島津忠隣譜、十六歳、猶子、出水、祁答院、移住、天正十二年
後編2-No.128記事確認度 高
年月日未詳 / 冊子 161頁
天正十四年三月、近衛信尹から島津義弘へ使者と書状が届き、京都の諸事情が伝えられた島津義弘譜の記事。使者の古川宗心は、羽柴秀吉が近衛家の猶子となったうえで関白に任じられた経緯にも言及した。島津方が公家との連絡網を通じて秀吉の政権掌握を把握していたことを示す重要な記事である。
- 登場人物
- 島津義弘、近衛信尹、古川宗心、羽柴秀吉
- 宛先
- 該当なし
- キーワード
- 島津義弘譜、島津義弘、近衛信尹、古川宗心、羽柴秀吉、関白、近衛家猶子、京都、公家外交、使者
後編3-No.1231文書確認度 高
年月日未詳 / 冊子 596頁
久千は、子のなかった吉田美作守清孝の猶子となり、清次と改名した。慶長十年四月十七日に二十七歳で死去したことを記す。
- 登場人物
- 久千(吉田清次)、吉田美作守清孝
- 宛先
- 該当なし
- キーワード
- 大田氏系図、久千、吉田清次、吉田美作守清孝、猶子、改名、慶長十年、二十七歳
後編3-No.1901記事確認度 高
年月日未詳 / 冊子 921頁
島津久元譜は、嗣子のなかった新納四郎忠実が島津久元(初名忠在)を猶子として家統を継がせたと記す。慶長八年十二月、久元は日向国真幸院木永村へ移住し、領内一千石を与えられた。
- 登場人物
- 島津久元(初名忠在)、新納忠実(四郎)
- 宛先
- (島津久元譜)
- キーワード
- 島津久元譜、島津久元、初名忠在、新納忠実、四郎、嗣子、猶子、家督相続、慶長八年十二月、日向国、真幸院、木永村、移住、一千石、領地
後編5-No.376記事確認度 中
年月日未詳 / 冊子 202頁
忠紀は元和八年、島津忠清の娘を母として生まれ、早世して継子のなかった又四郎久敏の猶子となった家久の実子である。寛永八年四月一日、光久の任官時に玄蕃頭・諸大夫従五位下となり、秀忠・家光から刀剣を拝領し、太刀・銀・衣服を献上した。
- 登場人物
- 島津忠紀、島津家久、島津忠清、島津久敏、徳川秀忠、徳川家光
- 宛先
- —
- キーワード
- 島津忠紀、島津家久、島津忠清、島津久敏、猶子、玄蕃頭、従五位下、徳川秀忠、徳川家光、拝領刀剣
追録1-No.942記事旧記雑録暫定版確認度 高
年月日未詳 / 冊子 442頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0946
『北郷作左衛門久精譜中』は、寛文元年八月十八日に江戸芝邸で島津綱久の男子が誕生した際、北郷久精が命を受けて鳴弦・蟇目の役を勤めたと記す。男子は後に島津兵庫久薫の猶子となり、兵庫久住と称した。
- 登場人物
- 北郷久精、島津綱久、島津久住、島津久薫
- 宛先
- —
- キーワード
- 北郷久精、島津綱久、島津久住、島津久薫、寛文元年八月十八日、江戸芝邸、男子誕生、鳴弦、蟇目、猶子、北郷久精譜中
追録2-No.2319文書旧記雑録暫定版確認度 中
年月日未詳 / 冊子 683頁/整理ID 2319
つぼね・ひでが島津勘解由・島津帯刀へ、吉貴女満姫が左府の猶子となり、のちに近衞大納言家久と婚礼する件について、御簾中も満足し、左府からの伝奏を受けて仰せ出されたと知らせた連署消息。縁組が滞りなく整うよう願っている。
- 登場人物
- つぼね・ひで
- 宛先
- 島津勘解由・島津帯刀
- キーワード
- つぼね、ひで、島津勘解由、島津帯刀、吉貴女、満姫、左府、猶子、近衞家久、近衞大納言、婚礼、御簾中、縁組、連署消息
追録2-No.2368文書旧記雑録暫定版確認度 中
十一月 / 冊子 697–698頁/整理ID 2368
つぼね・ひでが島津勘解由・島津帯刀へ、薩摩守の妹の縁組と姫君の近衛左大臣家熙の猶子となる件を喜び、京都の伝奏衆へも取り次がれたと伝えた連署消息。井上河内守との交渉にも触れる。
- 登場人物
- つぼね・ひで
- 宛先
- 島津勘解由・島津帯刀
- キーワード
- つぼね、ひで、島津勘解由、島津帯刀、薩摩守妹、姫君、近衛家熙、猶子、伝奏衆、井上河内守、宝永三年、文書
追録2-No.2372文書旧記雑録暫定版確認度 中
年月日未詳 / 冊子 699頁/整理ID 2372
つほね・ひでが島津勘解由・島津帯刀へ、薩摩守の姫君の猶子縁組が調ったことを喜び、近衛大納言の縁組も首尾よく相済んだと伝えた連署消息。薩摩守と奥方の機嫌にも触れる。
- 登場人物
- つほね・ひで
- 宛先
- 島津勘解由・島津帯刀
- キーワード
- つほね、ひで、島津勘解由、島津帯刀、薩摩守、姫君、猶子、近衛大納言、奥方、宝永三年、文書
追録2-No.2373文書旧記雑録暫定版確認度 中
年月日未詳 / 冊子 699–700頁/整理ID 2373
つほね・ひでが島津勘解由・島津帯刀へ、姫君の件で近衛大納言方からの知らせを受け、薩摩守らが機嫌よく過ごすことを喜んだ連署消息。姫君の猶子縁組が調い、近衛左大臣も喜んだと伝える。
- 登場人物
- つほね・ひで
- 宛先
- 島津勘解由・島津帯刀
- キーワード
- つほね、ひで、島津勘解由、島津帯刀、姫君、猶子、近衛大納言、近衛左大臣、薩摩守、宝永三年、文書
追録2-No.2377文書旧記雑録暫定版確認度 中
十二月七日 / 冊子 702頁/整理ID 2377
平松中納言時方が十二月七日、薩摩守吉貴へ、先月十八日の書状と返翰に触れ、吉貴の息女を左大臣の願いによりその猶子とし、左大将との縁組を許す旨が二十九日に営中の老中列座で仰せ渡されたことを喜ぶ。吉貴が願い上げたものではないとの内情も記し、この趣を御両公へ伝えともに満悦したと知らせる。追申では陽和院の伝筆を承知し、書状でも大慶を伝える意を述べる。
- 登場人物
- 平松時方
- 宛先
- 島津吉貴(松平薩摩守)
- キーワード
- 平松中納言時方、薩摩守吉貴、去月十八日書状返翰、息女、左大臣願、猶子、左大将縁組、廿九日営中、老中列座、吉貴願上ではない、御両公、陽和院伝筆、十二月七日
追録2-No.2380文書旧記雑録暫定版確認度 中
年月日未詳 / 冊子 702–703頁/整理ID 2380
松むら・梅小路が島津勘解由・島津帯刀へ、姫君の近衛大納言方への猶子縁組が調い、薩摩守と奥方の機嫌がよいことを祝った連署消息。近衛大納言が従二位に叙されたことも喜ぶ。
- 登場人物
- 松むら・梅小路
- 宛先
- 島津勘解由・島津帯刀
- キーワード
- 松むら、梅小路、島津勘解由、島津帯刀、姫君、近衛大納言、猶子、従二位、薩摩守、奥方、宝永三年、文書
追録4-No.76連署消息旧記雑録暫定版確認度 中
享保十五年 / 冊子 59~60頁/整理ID 76
尾上ら五名が、益之助が竹姫の猶子となり前年十二月二十六日に披露されたことを祝い、一門の慶事として御礼を述べた連署消息。
- 登場人物
- 尾上、外山、高瀬、豊岡、三室、益之助、竹姫
- 宛先
- 松平上総介
- キーワード
- 尾上、外山、高瀬、豊岡、三室、益之助、竹姫、猶子、披露
追録4-No.77連署消息旧記雑録暫定版確認度 中
享保十五年 / 冊子 60頁/整理ID 77
桜井ら三名が、益之助が竹姫の猶子となり前年十二月二十六日に披露されたことを祝い、一門の名誉として祝意を伝えた連署消息。
- 登場人物
- 桜井、梅園、秀小路、益之助、竹姫
- 宛先
- 松平上総介
- キーワード
- 桜井、梅園、秀小路、益之助、竹姫、猶子、披露、祝賀
追録4-No.78連署消息旧記雑録暫定版確認度 中
享保十五年 / 冊子 60~61頁/整理ID 78
桜井ら三名が、益之助の竹姫猶子入りと披露を祝し、島津家の慶事として喜びと御礼を述べた連署消息。
- 登場人物
- 桜井、梅園、秀小路、益之助、竹姫
- 宛先
- 松平上総介
- キーワード
- 桜井、梅園、秀小路、益之助、竹姫、猶子、披露、御礼
追録4-No.79連署消息旧記雑録暫定版確認度 中
享保十五年 / 冊子 61頁/整理ID 79
尾上ら五名が、益之助を竹姫の猶子として前年十二月二十六日に披露したとの知らせを受け、祝意と御礼を伝えた連署消息。
- 登場人物
- 尾上、外山、高瀬、豊岡、三室、益之助、竹姫
- 宛先
- 松平上総介
- キーワード
- 尾上、外山、高瀬、豊岡、三室、益之助、竹姫、猶子、披露
追録4-No.80連署消息旧記雑録暫定版確認度 中
享保十五年 / 冊子 61~62頁/整理ID 80
藤枝ら奥向女中が、益之助の竹姫猶子入りと披露を祝い、目録の進達や御召・祝儀について御礼を述べた連署消息。
- 登場人物
- 藤枝、局、岡田、とみ、益之助、竹姫
- 宛先
- 松平上総介
- キーワード
- 藤枝、局、岡田、とみ、益之助、竹姫、猶子、目録、祝儀
追録4-No.1338記事旧記雑録暫定版確認度 高
元文四年八月四日 / 冊子 538~539頁/整理ID 1338
元文四年八月四日、将軍吉宗は老中松平乗邑を通じ、継豊の嫡子又三郎忠顕が竹姫の猶子であるため、忠顕以後の嫡子が代々「松平」を名乗るよう命じた。乗邑は水野壱岐守忠定へ伝え、忠定が継豊らの芝邸に赴いて知らせた。
- 登場人物
- 徳川吉宗、松平乗邑、島津継豊、島津忠顕、竹姫、水野忠定
- 宛先
- —
- キーワード
- 忠顕、竹姫猶子、松平称号、代々、乗邑、水野忠定
追録4-No.1339達書旧記雑録暫定版確認度 高
元文四年八月 / 冊子 539頁/整理ID 1339
幕府の達書は、継豊の嫡子又三郎が竹姫の猶子になったことを踏まえ、新たな称号の下賜を待たず、今から松平を名乗るよう命じる。今後も代々の嫡子が別の称号を待たずに松平を名乗ることを定める。
- 登場人物
- 松平乗邑、島津継豊、島津忠顕、竹姫
- 宛先
- 島津継豊
- キーワード
- 又三郎忠顕、竹姫猶子、松平称号、代々、嫡子
追録4-No.1340記事旧記雑録暫定版確認度 高
元文四年八月四日 / 冊子 539頁/整理ID 1340
将軍吉宗は、竹姫の猶子となった継豊の嫡子忠顕に松平の称号を許し、嫡子が代々称するよう命じた。老中松平乗邑がその命を受け、水野壱岐守忠定が芝邸で継豊と忠顕に伝えた。
- 登場人物
- 徳川吉宗、松平乗邑、水野忠定、島津継豊、島津忠顕、竹姫
- 宛先
- —
- キーワード
- 忠顕、竹姫猶子、松平称号、代々、乗邑、水野忠定
追録4-No.1341達書旧記雑録暫定版確認度 高
元文四年八月 / 冊子 539頁/整理ID 1341
幕府の達書は、継豊の嫡子又三郎が竹姫の猶子になったことを踏まえ、別途の称号下賜を待たず今から松平を名乗り、今後も代々の嫡子が同様に松平を名乗るよう命じる。No.1339と同内容の別記録。
- 登場人物
- 島津継豊、島津忠顕、竹姫
- 宛先
- 島津継豊
- キーワード
- 又三郎忠顕、竹姫猶子、松平称号、代々、嫡子
追録4-No.1351書状旧記雑録暫定版確認度 高
元文四年八月廿一日 / 冊子 544頁/整理ID 1351
島津吉貴は松平乗邑ら幕府の五人に使札を送り、将軍・大納言・竹千代の機嫌を喜ぶ。継豊の嫡子又三郎が竹姫の猶子となり、今後は代々の嫡子が別途の称号下賜を待たず松平を名乗る命令を承知したと述べ、謝意を伝える。
- 登場人物
- 島津吉貴、島津継豊、又三郎、竹姫、松平乗邑、松平信祝、本多忠良、松平乗賢、松平右京太夫
- 宛先
- 松平乗邑・松平信祝・本多忠良・松平乗賢・松平右京太夫
- キーワード
- 吉貴、竹姫猶子、又三郎、松平称号、代々、謝礼
追録4-No.1356書状旧記雑録暫定版確認度 高
元文四年九月廿三日 / 冊子 545頁/整理ID 1356
松平乗邑は松平上総入道島津吉貴に、将軍・大納言・竹千代の機嫌を伝える。継豊の嫡子又三郎が竹姫の猶子となったので、以後は松平を名乗り、代々の嫡子も別途の称号下賜を待たずに同様に名乗るとした吉貴の書状を承知し、その趣を上聞に達すると返答する。
- 登場人物
- 松平乗邑、島津吉貴、島津継豊、又三郎、竹姫、公方、大納言
- 宛先
- 松平上総入道(島津吉貴)
- キーワード
- 乗邑、吉貴、竹姫猶子、又三郎、松平称号、代々
追録4-No.1357書状旧記雑録暫定版確認度 高
元文四年九月廿三日 / 冊子 545~546頁/整理ID 1357
松平乗賢は松平上総入道島津吉貴に、継豊の嫡子又三郎が竹姫の猶子となり、以後は松平を名乗り、代々の嫡子も同様に名乗る命令を承知したと返答する。将軍らの機嫌も伝える。
- 登場人物
- 松平乗賢、島津吉貴、島津継豊、又三郎、竹姫、公方、大納言
- 宛先
- 松平上総入道(島津吉貴)
- キーワード
- 乗賢、吉貴、竹姫猶子、又三郎、松平称号、代々
追録4-No.1358連署消息旧記雑録暫定版確認度 高
元文四年 / 冊子 546頁/整理ID 1358
豊岡・八嶋・浦尾の連署消息。松平上総入道島津吉貴が八月二十一日付書状で知らせた、継豊の嫡子又三郎の竹姫猶子入りと、代々の嫡子が松平を名乗る命令を喜び、将軍・大納言・竹千代の健康も祝う。
- 登場人物
- 豊岡、八嶋、浦尾、島津吉貴、又三郎、竹姫
- 宛先
- 松平上総入道(島津吉貴)
- キーワード
- 八月二十一日、吉貴、竹姫猶子、又三郎、松平称号
追録4-No.1359連署消息旧記雑録暫定版確認度 高
元文四年 / 冊子 546~547頁/整理ID 1359
秀小路・櫻井・植松は松平上総入道島津吉貴へ、八月二十一日付の書状を受け取ったと伝える。継豊の嫡子又三郎が竹姫の猶子となり松平を名乗ること、代々の嫡子も同じ扱いになることを一位が喜び、吉貴にも祝意を伝える。
- 登場人物
- 秀小路、櫻井、植松、島津吉貴、又三郎、竹姫、一位
- 宛先
- 松平上総入道(島津吉貴)
- キーワード
- 八月二十一日、吉貴、一位、竹姫猶子、松平称号
追録4-No.1360連署消息旧記雑録暫定版確認度 高
元文四年 / 冊子 547頁/整理ID 1360
豊岡・八嶋・浦尾は松平上総入道島津吉貴に、八月二十一日付の書状を受け取ったと返答する。将軍・大納言・竹千代の健康を喜び、又三郎の竹姫猶子入りと代々の松平称号についての上意を祝う。
- 登場人物
- 豊岡、八嶋、浦尾、島津吉貴、又三郎、竹姫
- 宛先
- 松平上総入道(島津吉貴)
- キーワード
- 八月二十一日、吉貴、竹姫猶子、又三郎、松平称号
追録4-No.2080名乗り許可書旧記雑録暫定版確認度 中
延享二年正月廿五日 / 冊子 794頁/整理ID 2080
継豊は、安之助が禰寝家の猶子となったことに伴い、本家の小松の称号を用いるよう命じた。以後も嫡子が代々小松と称することを許可する。No.2054の忠通の系譜記事に記される小松家継承に対応する。
- 登場人物
- 島津継豊、小松安之助(島津忠通)
- 宛先
- 小松安之助
- キーワード
- 継豊、小松安之助、島津忠通、禰寝家、猶子、小松姓、嫡子、名乗り許可
追録6-No.348系譜旧記雑録暫定版確認度 高
明和三年八月廿九日 / 冊子 152~153頁/原整理番号 348/整理ID 348
「右ニ相添別冊」として甘露寺前大納言の姫の親類を列記した書付。母は黒田故甲斐守の姫、兄は甘露寺侍従、姉は鍋嶋摂津守奥方。同じ姉欄の世代姫には母が脇坂故淡路守の妹、清水御殿田鶴宮様御上臈との注がある。芳岡殿と妹阿喜姫の母にはそれぞれ家女房と記す。父方の叔母寶壽院には勧修寺故大納言高顕卿の奥方、母方の伯母には唐橋宰相奥方を挙げる。父方の甥欄の鍋嶋常丸には実父が勧修寺故大納言高顕卿という注が付く。続く從弟・同断の欄には万里小路前大納言、桜町院様御女中で勧修寺高顕卿の姫、清浄院、万里小路前大納言奥方(同前大納言の姫)、新典侍を列記し、母方の唐橋大夫、同断の黒田豊松が続く。兄欄の成就院には清水寺、甘露寺前大納言の猶子、実は倉橋二位の次男と注記する。「右之通御座、以上」で結び、寺田自然軒・藤木玄蕃の名と八月廿九日、明和三年の朱注がある。宛所の記載はない。目録題は甘露寺矩長女親類書で、No.346末尾の別冊親類付送付に対応するが、この書付自体に姫の名を綾姫とは記さない。
- 登場人物
- 寺田自然軒、藤木玄蕃、甘露寺前大納言(矩長、目録題)、甘露寺前大納言の姫、黒田故甲斐守、甘露寺侍従、鍋嶋摂津守奥方、世代姫、脇坂故淡路守の妹、芳岡殿、阿喜姫、寶壽院、勧修寺高顕、唐橋宰相奥方、鍋嶋常丸、万里小路前大納言、清浄院、新典侍、唐橋大夫、黒田豊松、成就院、倉橋二位
- 宛先
- —
- キーワード
- 親類書別冊、甘露寺前大納言の姫、母・兄姉妹、父方叔母・母方伯母、鍋嶋常丸実父注、從弟欄、田鶴宮御上臈、成就院、猶子・実倉橋二位次男、寺田自然軒・藤木玄蕃
追録6-No.1026申渡書旧記雑録暫定版確認度 中
閏三月(独立年・日なし、目録は安永二年) / 冊子 365頁/原整理番号 1026/整理ID 1026
京都の諸司代御用付から、堂上方の家の御続を順次書き出すよう命じられ、伝奏衆から甘露寺家について知らせがあったので、御続を書き出すよう求める。敬姫が御前の猶子に仰せ付けられるに当たり、甘露寺前大納言の孫の御続を書き出す必要があるという。藩側には懸合があったので江戸へ知らせ、この御続は追って書き出す旨を伝えたと記す。末尾は閏三月、左京、御記録奉行への伝達。包紙には敬姫のことと、甘露寺前大納言の孫の御続を書き出すよう左京から命じた書付一通との説明がある。写しは白木御文書五番箱六十中、包紙には朱書六十二と示す。
- 登場人物
- 左京(目録は樺山久智)、京都諸司代御用付、伝奏衆、甘露寺家、敬姫、御前、甘露寺前大納言の孫、御記録奉行
- 宛先
- 御記録奉行(伝達先)
- キーワード
- 堂上家の系譜、敬姫の猶子、甘露寺前大納言の孫、家系提出、江戸への報告
追録6-No.1210申渡書旧記雑録暫定版確認度 中
安永三年七月(日の記載なし)、本文は五月十九日の届出を回顧 / 冊子 439~440頁/原整理番号 1210/整理ID 1210
第一条は、虎寿丸を当午六歳として丈夫であるため嫡子の届をしたこと、慈照院には実子がなく、存生中に養子にしたいと約束していたことから、民部卿と内談の上で五月十九日に御用番へ申し出、聞き置かれた経緯を述べる。虎寿丸の嫡子届が済んだので、敬姫・於篤が御姉として取り持つよう仰せ出されたことを、各々承知するよう伝える。第二条は、敬姫が御前様の御養子となった際に御猶子と申し渡したが、今後は御養子と心得るよう仰せ出されたとし、このとおり御記録奉行へ申し渡すよう指示する。末尾は朱の安永三年、七月、左中、島津久金の注。虎寿丸の六歳は届出上の記載として保持し、実年齢の六歳とは断定しない。慈照院の養子希望は存生中の約束を述べ、申渡時の存命を意味しない。敬姫と於篤の御姉としての取持、敬姫の御猶子から御養子への呼称変更をそれぞれ記す。
- 登場人物
- 虎寿丸、慈照院、民部卿(原呼称)、敬姫、於篤、御前様(原呼称)、左中(島津久金の注)、御記録奉行
- 宛先
- 御記録奉行(末尾の申渡先)、関係者
- キーワード
- 当午六歳・丈夫、虎寿丸嫡子届、慈照院存生中養子約束、民部卿内談、五月十九日聞置、敬姫於篤御姉取持、御前様養子、御猶子から御養子、御記録奉行、七月左中
附録2-No.1167記事確認度 高
年月日未詳 / 冊子 517頁
山田氏十二代久武が永禄三年正月二十四日に生まれ、山田忠時に家統を継ぐ子がなかったため猶子となったこと、実父は上総介忠通であることを記した系譜。
- 登場人物
- 山田久武、山田忠時、山田忠通
- 宛先
- —
- キーワード
- 山田久武、山田忠時、山田忠通、永禄三年、猶子、家督、山田氏、系譜
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w3:41系図旧記雑録拾遺暫定版確認度 高
年月日未詳 / 冊子 157~159頁/原整理番号 41
『国分平八郎家系図』と題し、八文字紋を掲げる国分氏の系図。康友は兼宗大納言知国の四男とされ、鹿児島大夫・新田宮・鹿児島藤内・左馬允・大夫判官・薩摩国司などの称を伴い、島津忠久の猶子となった由緒を記す。定友以下の諸系線を展開し、友久は国分左衛門尉を号し、頭注に執印康友三男の鹿児島四郎友家を平野氏祖とする異説を載せる。友成・久成らへ続き、久成は羽島を号した。五代院右衛門友清の年代、五代筑前守が島津立久に仕え京都所司代浦上美濃守則宗から送られた書状、友宗が島津忠国の伊東征伐で功を立て加江田等を与えられたことを記す。友綱・友明は肝付合戦の平房八幡で討死し、友秀は朝鮮番船で討死した。末尾は友昌(蔵人)―友快(喜兵衛)と続き、その子孫を助之進とする。
- 登場人物
- 康友、兼宗、島津忠久、定友、友久、友家、助友、友成、師久、久成、友慶、友清、五代筑前守、島津立久、浦上美濃守則宗、友重、友秀、友宗、島津忠国、友致、友綱、友堅、友明、友昌、友快
- 宛先
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- キーワード
- 国分氏系図、国分平八郎家系図、八文字紋、康友、兼宗大納言知国四男、鹿児島大夫、新田宮、薩摩国司、島津忠久猶子、国分左衛門尉、友家、平野氏祖、久成、羽島、友清、五代筑前守、島津立久、浦上美濃守則宗、京都所司代、友宗、島津忠国、伊東征伐、加江田、肝付合戦、平房八幡討死、朝鮮番船討死、友昌、友快、助之進
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w3:43系図旧記雑録拾遺暫定版確認度 高
年月日未詳 / 冊子 160~161頁/原整理番号 43
菱刈氏嫡家十二代の家督重時から始まる略系図。重時を左兵衛佐、重衆を右兵衛佐とし、女子が肥州阿蘇惟永、島津出羽守忠明、相良伊勢守長皎へ嫁いだ婚姻関係を示す。重副は大和守で両院を知行し嫡家を継いだ。重政は次郎・伊勢守を称し、父重時の命で大口地頭職に補され大口に在城、法名を徳翁道盛居士とする。重根は兵庫頭で大口地頭職を相続し、法名天真道龍居士、天龍寺葬。重清は右衛門太夫で花北氏の猶子となり、肥州久木野で戦死した。重昌は四郎・越後守を称し、嫡家の大和守重猛が所知を島津義久へ献じて降った際に同じく旗下へ入り、曽木一所を賜ったのち花北へ替地され居住した。末尾は、この処遇について国老伊集院忠金・川上忠克(意釣)・三原重秋が新納忠元へ送った書簡を次文書として導く。
- 登場人物
- 重時、重衆、阿蘇惟永、重副、島津忠明、相良伊勢守長皎、重政、重根、重清、重昌、重猛、島津義久、伊集院忠金、川上忠克(意釣)、三原重秋、新納忠元
- 宛先
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- キーワード
- 菱刈氏略系図、嫡家十二代、重時、重衆、阿蘇惟永、島津忠明、相良長皎、重副、両院知行、重政、大口地頭、大口在城、徳翁道盛居士、重根、天真道龍居士、天龍寺、重清、花北氏猶子、肥州久木野戦死、重昌、重猛、島津義久、降参、曽木一所、花北替地、伊集院忠金、川上意釣、三原重秋、新納忠元
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w3:76-1系図・家歴旧記雑録拾遺暫定版確認度 高
年月日未詳 / 冊子 211~216頁/原整理番号 76-1
比志島元祖上総介重賢(入道法橋栄尊)の二男盛忠を祖とし、重賢から譲られた薩摩国満家院内西俣名主職を後裔が相伝した源家西俣氏の系図。久盛・義時の筑前笠崎異国番、義定への貞和四年道鑑公御書、義光への応永十八年久豊公御書など、名主職・所領・軍役を証する文書の伝来先も記す。義村に実子がなかったため蒲生彦太郎清冬の二男を猶子とし、その後に蒲生で永秀庵・観音院(泊瀬山長谷寺)を建立した由緒を載せる。天文二十三年、蒲生茂清が加治木城の肝付兼盛を攻めた際、蒲生氏の類族であった武蔵守盛家父子は岩剣城へ加勢し、池島ヶ原で敗れて同年十月二日に自害した。幼少の清房は母に匿われて菱刈へ逃れ、成長後は島津氏に奉公して諸軍役・大坂出陣に従い、島津家久から鎧一領を与えられ、のち家督を清昌へ譲って清敷地頭となった。後代には瀬口重明二男の盛友を清房妹の遺跡へ入れて西俣氏を称させたこと、孫太郎遺跡を姉が八、九年支配する間に家伝の証書・重物が散逸し、孫兵衛が島津光久から跡職を命じられて万治二年に清敷から鹿児島へ移ったため、所領・跡職だけが安堵されたことを記し、盛武以下の子女・婚姻まで続ける。
- 登場人物
- 比志島重賢(入道法橋栄尊)、盛忠、久盛(西念)、義時(初名義兼)、忠辰、義定、島津道鑑、井四郎頼仲、義光、島津久豊、義村、蒲生彦太郎清冬、盛時、盛通、盛昌、盛家、蒲生茂清、肝付三郎五郎兼盛、彦八郎、清房、島津家久、清昌、盛友、瀬口重明、盛盈、盛方、盛次、盛貞、盛順、盛清、永盛、守栄、盛寿、盛興、盛房、盛武、島津光久、鎌田太郎右衛門
- 宛先
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- 源家西俣氏系図、比志島重賢、入道法橋栄尊、盛忠、薩摩国満家院、西俣名主職、久盛、義時、筑前笠崎異国番、忠辰、義定、貞和四年、道鑑公御書、井四郎頼仲退治、義光、応永十八年、久豊公御書、義村、蒲生彦太郎清冬、猶子、永秀庵、観音院、泊瀬山長谷寺、天文二十三年、蒲生茂清、加治木城、肝付兼盛、盛家、岩剣城、池島ヶ原、自害、清房、菱刈、島津家久、鎧一領、大坂出陣、清敷地頭、清昌、盛友、瀬口重明、西俣氏称、家伝文書散逸、島津光久、跡職、万治二年、鹿児島移住、所領安堵、盛武
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w4:107-16口上覚・跡目相続/猶子願旧記雑録拾遺暫定版確認度 高
辰年5月15日 / 冊子 275頁/原整理番号 107-16
辰年五月十五日、上原休兵衛が門司伊兵衛・肥後少三郎へ、自分は上原源右衛門の跡目を命じられて同家を相続したので、今度は国分刑部左衛門の弟・八郎左衛門を自身の猶子にしたいと内談している旨を申し述べ、そのとおり許可されるよう取り次ぎを願った口上覚。追記により、この願いは七月三日に伝達されたことが分かる。
- 登場人物
- 上原休兵衛、上原源右衛門、国分刑部左衛門、八郎左衛門、門司伊兵衛、肥後少三郎
- 宛先
- 門司伊兵衛殿、肥後少三郎殿
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- 上原休兵衛口上覚、家蔵、辰年五月十五日、上原源右衛門、跡目、家相続、国分刑部左衛門、弟八郎左衛門、猶子、内談、許可願、取次依頼、門司伊兵衛、肥後少三郎、七月三日、相達
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w4:118系図抄・子女/婚姻旧記雑録拾遺暫定版確認度 高
年月日未詳 / 冊子 300~301頁/原整理番号 118
比企能員の子女を簡略に示す系図抄。能員の子として三郎・四郎・五郎と猶子の河原田次郎を掲げ、余一兵衛尉については母を渋河刑部丞の女と記す。三人の女子は、それぞれ笠原十郎左衛門尉親景、中山五郎為重、糟屋藤太兵衛尉有季の妻となったことを示す。現行確認用画像第2頁は次文書119『惟宗姓執印氏正統系譜』に付随する朱印・『伊地知氏珍蔵』印文の移行断片であり、比企氏系図本文は第1頁で完結する。
- 登場人物
- 比企能員、余一兵衛尉、渋河刑部丞、三郎、四郎、五郎、河原田次郎、笠原十郎左衛門尉親景、中山五郎為重、糟屋藤太兵衛尉有季
- 宛先
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- キーワード
- 比企氏系図抄、比企能員、余一兵衛尉、渋河刑部丞女、三郎、四郎、五郎、猶子、河原田次郎、女子三人、笠原十郎左衛門尉親景、中山五郎為重、糟屋藤太兵衛尉有季、婚姻、朱印、伊地知氏珍蔵、移行断片
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w7:20系図・平姓庶流平田氏/軍歴・家職・没年記録旧記雑録拾遺暫定版確認度 高
天文六年八月七日~慶長十七年四月二十六日(系譜中主要記事) / 冊子 483~487頁/原整理番号 20
桓武天皇―葛原親王―高望王から貞盛・維衡・正度・忠盛・清盛を経て、小松内大臣重盛の後裔を平田氏諸流へつなぐ庶流系図。平田安房助悦山を加世田龍徳院に葬ったこと、谷山吉幸城主・平田民部少輔宗秀が隅州平松の岩剣合戦で戦死したことを記し、宗貞・宗祐・宗位・宗如らの官途・没年・法名へ続く。宗清は天文六年八月七日に阿多宮崎本地河原で戦死し、宗張は天正十五年三月十五日に豊後坂梨で戦死、平田新七光宗は実父を宗秀とし、慶長十年十二月二十六日に七十七歳で没した。さらに妙谷寺・福昌寺住持となった宗徳、増宗まで続く家老役、宗次の野尻での被討、行宗の筑前航海中の船破損に際する切腹、宗親・宗朋・宗房らの没年と葬地を載せる。村田雅楽頭経宣の三男・宗敏は子のない宗房の猶子となり、九歳で義久の近習、十三歳で家久の幕下に奉仕し、十四歳の慶長四年には伊集院源次郎の庄内一揆に従軍したところまで記す。
- 登場人物
- 桓武天皇、葛原親王、高見王、高望王、良望、貞盛、維衡、正度、正盛、忠盛、清盛、重盛、基盛、宗盛、知盛、清宗、能宗、宗正、宗増、親宗、重宗、氏宗、宗秀、宗貞、宗祐、宗位、宗如、宗直、宗清、光宗、宗張、盛房、盛光、宗鑑、宗武、宗輪、宗吉、宗勝、宗成、宗徳、増宗、宗次、行宗、宗親、宗定、宗朋、宗房、宗敏、村田雅楽頭経宣、義久公、家久公、伊集院源次郎
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- 平姓庶流平田氏、桓武平氏、小松内大臣重盛、平田氏系図、加世田龍徳院、谷山吉幸城、宗秀、岩剣合戦、宗清、阿多宮崎本地河原、宗張、豊後坂梨、光宗、宗徳、妙谷寺、福昌寺、家老役、宗次、野尻、行宗、筑前海難、切腹、宗朋、南林寺、宗房、松原山、宗敏、村田雅楽頭経宣、猶子、義久公近習、家久公幕下、伊集院源次郎、庄内一揆
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w7:22-2系図・酒匂氏左衛門尉家/軍歴・伝来什物・家例復興旧記雑録拾遺暫定版確認度 高
永禄四年七月十二日、寛永十五年、宝永元年三月三日~宝永五年閏正月十六日(主要記事) / 冊子 498~501頁/原整理番号 22-2
酒匂氏左衛門尉家の系譜・軍歴・伝来什物の家例を記す。新左衛門尉から治部少輔へ続き、日州目白坂で戦死した人物を置く。源左衛門尉は鎌田尾張守政年とも称し、島津義久に仕え、伊集院忠朗・島津忠将の移動に従った後、永禄四年七月十二日の竹原山合戦で忠将とともに戦死し、配下三十余人も討死した。景宗は義久から正嫡と認められ、肝属郡串良など八町を知行したが、肝属一郡が伊集院幸侃へ与えられると子らは蒲生、のち出水へ移った。景政を猶子、景明を婿養子とする家督継承、後裔の婚姻・早世・地頭職も載せる。酒匂家伝来の観音像と『天之御母衣』は、家督者が千日潔斎・七か月別火を行って一度拝し、太刀・樽肴を献じて藩主へ披露する家例であった。景明・景義の代に中断したが、景安が旧例復興を訴え、宝永元年三月三日に儀礼を再興し、宝永五年閏正月十六日には忠久伝来什物を収めた筥蔵の小番を代々務めるよう命じられた。
- 登場人物
- 新左衛門尉、治部少輔、源左衛門尉、鎌田尾張守政年、島津義久、島津忠久、伊集院大和守忠朗(孤舟)、島津右馬頭忠将、新次郎、景国、景政(志摩之助)、景近(彦兵衛)、彦左衛門、景宗(次郎・新左衛門尉)、町田出羽守久倍、本田因幡守親治、島津図書頭忠長、伊集院幸侃、景明、景義、景安、島津綱貴、酒匂景堅、景春
- 宛先
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- キーワード
- 酒匂氏左衛門尉家、日州目白坂、源左衛門尉、鎌田尾張守政年、島津義久、伊集院忠朗、島津忠将、竹原山合戦、永禄四年七月十二日、三十余人戦死、景宗、正嫡、肝属郡串良、八町知行、伊集院幸侃、蒲生、出水、猶子、婿養子、観音像、天之御母衣、千日潔斎、七か月別火、太刀・樽肴、景安、家例復興、筥蔵、小番
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w7:29系図・惟宗姓市来氏/系譜考証旧記雑録拾遺暫定版確認度 高
承平6年~承久3年(系中) / 冊子 530~532頁/原整理番号 29
醍醐天皇の皇子保明親王・慶頼王の系統から保頼・頼房らへ続き、承平6年に惟宗姓を賜ったとする市来氏の系図。頼明・師貞・師行・時賢・行賢・国賢・天養・順賢・行直らの位階・官途を列記し、行直が大隅国宮執印に補され、順賢が姶良庄預所職に補任されたことなどを記す。教親・孝言・基言・広言へ続く古系図について、子を弟、弟を子として接続した箇所があり父子兄弟の順序を判別できないため、教親以前は古系図のまま残し、以後を校正したとの史料批判を付す。広言は和歌に熟達し、その詠歌を『玉葉和歌集』に収められたとし、丹後局が頼朝の寵を受けて男子を産み、嫉妬を避けて広言のもとへ下向し、その子孫が薩州で広言家を継いだという伝承を載せる。忠康は承久の兵乱で関東方として宇治川で戦死し、忠久は島津豊後守、忠季は若狭国守護職を称して島津を冒し黒十字紋を用いたとする。忠経も後鳥羽院に選ばれた武芸者十人の一人として承久3年に官軍側で戦死し、友成は広言の猶子となって市来家を相続したが、実父は国分左衛門尉友久で執印一族だと説明する。
- 登場人物
- 醍醐天皇、保明親王、慶頼王、頼房、保頼、師頼、師仲、頼明、師貞、師行、時賢、行賢、国賢、天養、順賢、行直、教親、孝言、基言、広言、丹後局、源頼朝、頼朝公の男子、忠康、忠久、忠季、友成、国分左衛門尉友久
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- 惟宗姓市来氏系図、醍醐天皇、保明親王、慶頼王、承平6年、惟宗姓、大隅国宮執印、姶良庄預所職、古系図、父子兄弟混乱、教親、校正、広言、和歌、玉葉和歌集、丹後局、源頼朝、薩州下向、忠康、承久兵乱、宇治川戦死、忠久、島津豊後守、忠季、若狭国守護、黒十字紋、忠経、後鳥羽院、友成、広言猶子、国分左衛門尉友久、執印一族、市来家相続
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w9:157系図・由緒記事旧記雑録拾遺暫定版確認度 高
年月日未詳 / 冊子 667~668頁/原整理番号 157
牛屎氏の由緒として、桓武天皇から高望王・貞盛・維衡らを経て平忠盛・清盛・重盛へ至る系線を示す系図。重盛の子とする宗実について、承安二年の出生、幼時に大炊御門左大臣藤原経宗の猶子となったこと、寿永二年に平家が都を出た際には都に残ったことを記し、源頼政の孫娘に当たる女性を母とするという記事も添える。前項w9:156の太秦姓・桑幡氏祖先説とは異なる平氏系統の記述で、後続の157枝番文書に接続する。
- 登場人物
- 桓武天皇、高望王、貞盛、維衡、正盛、忠盛、清盛、重盛、宗実、藤原経宗、源頼政
- 宛先
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- キーワード
- 牛屎氏系図、桓武天皇、高望王、貞盛、維衡、平忠盛、平清盛、平重盛、宗実、藤原経宗、猶子、寿永二年、源頼政、平氏系統
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w6:494系図・系譜旧記雑録拾遺暫定版確認度 高
年月日未詳 / 冊子 154頁/原整理番号 494
宮之城の肝付諸右衛門家系図。肝付諸兵衛兼綱の三男兼張、兼憲、兼次へ続く系統を示す。諸右衛門市左衛門が天和元年七月廿五日に没し、法名を自参常心居士としたこと、男子がなかったため市来七郎兵衛家豊の子を猶子として家を継がせたことを記す。
- 登場人物
- 肝付兼綱、兼張、兼憲、兼次、市来七郎兵衛家豊
- 宛先
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- 肝付諸右衛門家系図、宮之城、肝付兼綱、兼張、兼憲、兼次、諸右衛門、市左衛門、市来七郎兵衛家豊、猶子、天和元年、法名