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『旧記雑録』前編・後編・附録10冊と追録1~8(暫定版)、『旧記雑録拾遺 伊地知季安著作史料集1~9』『家わけ1』(暫定版)、関連史料(外伝)『島津世禄記』の46,754件を横断検索できます。検索範囲は史料群・巻を組み合わせて選べます。結果は50件ずつ表示します。

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後編3-No.377文書確認度 高

島津義弘証状

島津義弘が、朝鮮加徳島で昼夜にわたり粉骨し、軍兵の勝利を祈祷した櫻井坊慶長坊へ与えた証状。五大尊不動明王絵像一幅と古備前の太刀一腰を、大田吉兵衛を介して拝領させたことを証し、今後も肝胆を砕いて働くよう求める。

登場人物
島津義弘(惟新)、櫻井坊慶長坊、大田吉兵衛、島津軍兵
宛先
櫻井坊慶長坊殿
キーワード
島津義弘証状、惟新、櫻井坊慶長坊、加徳島、軍兵勝利、祈祷、五大尊不動明王絵像、古備前太刀、大田吉兵衛、拝領
旧記雑録拾遺 著作史料集5-文書ID D:184文書旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

島津龍伯久書状

三月二十六日付の書状抄。先に約束した馬追の見物は、体調と当地の馬追の都合でかなわないと伝える。一方、先方の馬追に向けて地元から馬乗り五、六人を派遣するよう申し付ける。

登場人物
島津龍伯久、御劉酌之、琴月、慶長九年六月、家久
宛先
御劉酌之、慶長九年六月
キーワード
島津龍伯久書状、寺社・宗教、目録・所蔵
旧記雑録拾遺 著作史料集5-文書ID F:120文書旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

島津惟新書状抄

島津惟新の書状抄。伏見の留守番のため上方へ送るべき人数が出されていないことを案じ、上方情勢の変化に備え、鹿島太郎兵衛を使者として国元の対応を促す。

登場人物
島津惟新、如此申下候、嘗時秀頼、慶長五年惟新、従伏見少将
宛先
嘗時秀頼、慶長五年惟新公従伏見少将
キーワード
島津惟新書状抄、軍事・武具、役職・人事、目録・所蔵
後編4-No.1152記事確認度 高

慶長十九年御日記抄(八月七日~十月朔日)

慶長十九年八月七日から十月朔日までの御日記抄。島津義弘(惟新)からの伝言をはじめ、島津家久(奥州様)の川内通過と長崎出立、村尾源左衛門尉入道・新納次郎四郎らの長崎出立および出立人数の編成、奥州様への茶の進上、鎌田左京亮による使節と焼葉壺三つの進上、小城権現座主職への善乗院任命、本田伊豆守の鹿児島への使い、新納次郎九郎の見舞いなどを記す。

登場人物
島津義弘(惟新)、島津家久(奥州様)、村尾源左衛門尉入道、新納次郎四郎、鎌田左京亮、喜入摂津守、東郷長門守、善乗院、本田伊豆守、新納次郎九郎ほか
宛先
—
キーワード
御日記、慶長十九年、島津義弘、惟新、島津家久、奥州様、川内、長崎出立、村尾源左衛門尉入道、新納次郎四郎、出立人数、茶、鎌田左京亮、焼葉壺、小城権現、座主職、善乗院、鳥目百疋、本田伊豆守、鹿児島、新納次郎九郎、八月七日、八月八日、八月九日、八月十一日、八月廿六日、九月廿日、十月朔日
追録8-No.128記事旧記雑録暫定版確認度 中

斉興慶長役ノ追薦ヲナス

慶長三年十月の泗川の役と同年十一月の戦から二百五十年に当たり、斉興がその年の戦死者の霊を弔った記事。九月二十一日、福昌寺住持独山を導師として薩府妙谷寺で施餓鬼会を行い、敵兵数万の亡魂にも施したと記す。貫明公・松齢公・一唯公の霊牌を置き、家老調所広郷が代わって礼拝し、戦死者の子孫も法筵に礼拝して食を賜り、僧俗に粥を施した。松齢公は征韓の役で伊集院妙円寺を菩提所としたが、場所が不便なため妙谷寺で法会を行ったと説明する。貫明公の肥前名護屋出陣と征韓事の指揮にも言及し、戦死者子孫の名録を作ったと記す。斉興譜に戦死者四十八名の列記があるという編者注があるが、本記事に各名は掲載されない。

登場人物
島津斉興、福昌寺住持独山、調所笑左衛門広郷、貫明公、松齢公、一唯公(久保・義弘男の人物注)、戦死者とその子孫
宛先
宛先なし(記事)
キーワード
慶長役、泗川、二百五十年、戦死者追薦、施餓鬼会、敵兵亡魂、妙谷寺、独山、霊牌、戦死者子孫、名録
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w6:14-17感状・関ヶ原合戦/帰国供奉・知行百石宛行+後続系譜旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

慶長五年十月十日島津惟新感状

島津惟新が指宿清左衛門尉へ、美濃国関ヶ原合戦で粉骨し、伊勢・近江・伊賀・大和・河内・和泉を経る帰国途上も片時も側を離れず奉公したことを賞して、知行百石を宛行った慶長五年十月十日付感状。後続系譜には、出水の八重尾因幡守家、蒲生の野村九右衛門家への婚姻、福山居住、忠易夫妻の出水での没年・法名などを記す。

登場人物
島津惟新(義弘)、指宿清左衛門尉、八重尾因幡守、野村九右衛門、忠易、平田氏女、九郎左衛門尉、曽兵衛尉、九郎介、九吉
宛先
指宿清左衛門尉
キーワード
慶長五年十月十日、島津惟新、島津義弘、指宿清左衛門尉、美濃国関ヶ原合戦、粉骨、伊勢、近江、伊賀、大和、河内、和泉、帰国路次、側近供奉、奉公、知行百石、惟新御印、出水、蒲生、福山、婚姻、法名
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w8:69書状・伊集院忠真の処遇と仲介依頼旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

慶長四年六月十八日伊集院忠真書状

伊集院源次郎忠真が肱枕老(川上忠智)へ、三月に石田治部少輔からの使者として下った桜木平右衛門尉が当地に滞留し、海路・陸路とも往来できず上洛が延びていたが、今回一人を添えて上洛させるので当地の様子を取り成してほしいと伝える。忠真は、武庫様の直書を拝見し自身の進退にも懇意を示された一方、幸侃が成敗された後に義弘様へ自分の処遇を尋ねても納得を得られず、諸口の往来を止められ、幸侃と同罪にされるように見え、境目の者による放火もあると訴える。義弘様の指示がなければ身上の決着はつかず、今は召し籠められたような状態だとして、武庫様への取り成しと早急な解決を川上に依頼する。慶長4年6月18日付。欄外には『旧記雑録後編三』762号と同一文書かとの推定注記がある。

登場人物
伊集院源次郎忠真、川上忠智(肱枕老)、石田治部少輔、桜木平右衛門尉、武庫様、義弘様、幸侃
宛先
肱枕老(川上忠智)
キーワード
慶長4年6月18日、伊集院源次郎忠真、川上忠智、肱枕老、石田治部少輔、桜木平右衛門尉、使者、海陸往来停止、上洛、武庫様、義弘様、幸侃成敗、進退、身上、放火、召し籠め、仲介依頼、旧記雑録後編三762号同文推定
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w8:70書状・庄内情勢照会と少将殿への助言依頼旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

慶長四年七月十三日島津惟新書状

島津惟新(義弘)が山田越前入道(理安)へ、国元に異変がないことを喜び、上方も一段と無事であると伝えたうえで、庄内の様子を尋ねる。時節柄の心配を述べ、若い少将殿には竜伯様から諸事を言い聞かせられるよう、山田が内々に親しく働きかけてくれればありがたいと依頼する。慶長4年7月13日付。本文冒頭の『正文本田弥九郎』は正文の所在を示す注記で、宛名ではない。欄外には『旧記雑録後編三』803号と同一文書かとの推定注記がある。

登場人物
島津惟新(島津義弘)、山田越前入道(理安)、少将殿、竜伯様、本田弥九郎(正文の注記)
宛先
山田越前入道殿(理安)
キーワード
慶長4年7月13日、島津惟新、島津義弘、山田越前入道、理安、国元無異儀、上方無事、庄内情勢、少将殿、竜伯様、内々入魂、正文所在・本田弥九郎、旧記雑録後編三803号同文推定
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w8:71書状草案・庄内との通交風聞への警告旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

慶長四年八月六日島津惟新書状草案

島津惟新(義弘)が伊東豊後守へ、下向後に何度も書状を出したこと、上方は無事であることを伝え、国元と庄内の様子を問う書状草案。伊東の家中から庄内へ魚・塩などを送っているとの風聞に加え、庄内からの落人が多数いてその噂は事実だとの知らせが国元から届くため、事実なら一揆への同意と受け取られかねず伊東のためにもよくないと警告する。さらに、石田治部少輔から庄内へ下った使者が伊東家中の者のように通行し、源二郎も同心したとの情報を挙げ、内府様が事情を確かめるため山口勘兵衛尉を遣わしたと述べる。惟新は、これまで伊東と親しく相談してきたからこそ風聞を告げるとして、私的な通交も含め庄内との連絡を避け、在国の竜伯・少将と相談するよう求める。慶長4年8月6日付。欄外には『旧記雑録後編三』841号と同一文書かとの推定注記がある。

登場人物
島津惟新(島津義弘)、伊東豊後守、竜伯、少将、源二郎、石田治部少輔、山口勘兵衛尉、内府様
宛先
伊東豊後守殿
キーワード
慶長4年8月6日、島津惟新、島津義弘、伊東豊後守、上方無事、国元、庄内、魚塩輸送の風聞、庄内落人、一揆同意への懸念、石田治部少輔の使者、源二郎、内府様、山口勘兵衛尉、竜伯、少将、庄内通交停止要請、旧記雑録後編三841号同文推定
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w8:74書状・幸侃成敗への異議と処遇糺明の嘆願旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

慶長四年十一月六日伊集院忠真書状

伊集院源次郎忠真が平野源右衛門尉・高皇新蔵へ、幸侃の罪科を糺明しないまま成敗したことを迷惑だと訴え、忠真自身も三月以来取り籠められ、誠実な申し立てが非道と受け止められていると述べる。竜伯・兵庫頭と通じたなどの嫌疑は根拠がなく、忠真は今後も毛頭背くつもりはないとして、内府様に事情を申し上げる機会を求める。薩州へ使者一人を出して公に説明し、必要なら自分一人で出頭して咎めを受ける覚悟だとし、志摩守による取次ぎと召し出しの手配を両人に頼む。本文末の年次は慶長4年11月6日だが、欄外には慶長5年かとの推定が付く。付属の包紙については、庄内の騒動時に忠真が寺澤志摩守へ示した証文の後証として伏見で志摩守・惟新が封目に判を据えた旨の説明がある。

登場人物
伊集院源次郎忠真、幸侃、平野源右衛門尉、高皇新蔵、竜伯、兵庫頭、志摩守、島津義弘(包紙注記)、寺澤広高(包紙注記)
宛先
平野源右衛門尉殿、高皇新蔵殿
キーワード
慶長4年11月6日、慶長5年かの傍注、伊集院源次郎忠真、幸侃成敗、罪科糺明、三月以来の取籠め、竜伯・兵庫頭との内通嫌疑否定、内府への説明、薩州使者、単独出頭の申出、志摩守取次、平野源右衛門尉、高皇新蔵、包紙、伏見、封目判
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w8:75覚書・家中統治と先祖祭祀の条々旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

慶長四年島津義弘覚書

島津義弘の覚書として、先祖に関わる儀礼、殿中の作法、子ども・町人以下の扶持や食事などは竜伯が定めた方式を変えず、判断に迷う事柄は竜伯へ相談するよう列挙する。鹿児島・諸外城の居住や役人の配置、諸方からの用所への申出には早く対応し、無足衆の扶持・高麗への出物人数・京都への参詣や鹿児島への移住希望も扱う。殿中の番や掃除、奉公人・家臣の移動、家中の相談、裁きと知行の配分を定め、近習や特定の者への私的な取り立てを避けるよう求める。大酒を禁じ、食物その他の昼夜の用心、依怙の禁止、もてなしや座の興行を口実に近づく者の扱い、新田宮の再興、家中に制札を立てないことにも及ぶ。末尾は慶長4年夏。個別の命令が連続する形式で、宛名は記されない。

登場人物
島津義弘(目録標題による)、竜伯、先祖、家中の諸人、役人、無足衆、鹿児島・外城の居住者
宛先
宛所記載なし
キーワード
慶長4年夏、島津義弘、竜伯、先祖祭祀、殿中作法、扶持・食事、鹿児島、諸外城、役人配置、無足衆、高麗への出物、京都参詣、鹿児島移住、奉公人、知行、依怙禁止、大酒停止、新田宮再興、家中制札なし、覚書
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w8:76覚書・留守中の法度と家中統制旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

慶長四年島津義弘覚書

島津義弘の覚書として、竜伯が定めて置いた法度や内向きの作法を安易に捨てず、国元の用件が片づくまでは遊山・乱酒を控えるよう求める。留守中に諸事をよく尋ね、諸外城の無足衆に伝えるべきこと、元日の作法、鹿児島での神水と一向宗の法度、信心を捨てないことを箇条書きにする。さらに、やむを得ない殺害や国衆の成敗は慎重に判断し、女中方へもみだりに命じないよう戒める。慶長4年夏の記載があり、宛名・署名は記されない。欄外には『旧記雑録後編三』755号と同一文書かとの推定注記がある。

登場人物
島津義弘(目録標題による)、竜伯、諸外城の無足衆、国衆、女中方
宛先
宛所記載なし
キーワード
慶長4年夏、島津義弘、竜伯の法度、内向き作法、国元用件、遊山・乱酒抑制、留守中、諸外城無足衆、元日作法、鹿児島神水、一向宗法度、信心、やむを得ない殺害、国衆成敗の慎重判断、女中方、旧記雑録後編三755号同文推定
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w8:77書状・在京の息女と又八郎への助言旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

〔慶長四年〕八月十日島津龍伯書状

龍伯が武庫入道へ、息女を当家の人質として十三年間京都に置いた事情と、その世話を頼んだ夫婦たちについて述べる。息女のことを関係者に広く任せるのは外聞がよくないとして、又八郎と相談したい意向を示し、平田豊入、川東善右衛門、猿渡九郎左衛門尉らにも言及する。又八郎は神妙に見えると喜びつつ、酒を飲み過ぎないよう細かく言い聞かせることを求め、少将殿にも意向を伝えてほしいと頼む。8月10日付で、慶長4年は本文外の傍注。上書に『武庫入道殿』『龍伯より』とあり、欄外には『旧記雑録後編三』849号と『家わけ三 町田文書』287号との同文推定注記がある。

登場人物
龍伯(島津義久の傍注)、武庫入道、龍伯の息女、又八郎、平田豊入、川東善右衛門、猿渡九郎左衛門尉、少将殿
宛先
武庫入道殿(上書)
キーワード
8月10日、慶長4年の傍注、龍伯、島津義久、武庫入道、息女、人質、在京十三年、又八郎、平田豊入、川東善右衛門、猿渡九郎左衛門尉、飲酒戒め、少将殿、上書、旧記雑録後編三849号、家わけ三町田文書287号
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w8:78書状・防戦勝利への祝意と稲荷への礼旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

〔慶長三年〕十一月六日島津龍伯書状

龍伯が羽兵庫頭・又八郎へ、防戦の大勝と二人が自ら働いて挙げた武功を、比類ない名誉として祝う。老中・奉行衆にも喜びを伝え、戦場に稲荷が現れたとの報告や野狐に関する前代未聞の出来事に触れ、鹿児島・富之隈・京都の稲荷に礼を申し祈念すると述べる。現地の様子を取り次いで早く知らせてほしいと求める。11月6日付で、慶長3年の年次は本文外の傍注。欄外には『旧記雑録後編三』556号との同文推定注記がある。

登場人物
龍伯(島津義久)、羽兵庫頭(島津義弘の傍注)、又八郎(島津家久の傍注)、老中、奉行衆
宛先
羽兵庫頭殿、又八郎殿
キーワード
11月6日、慶長3年の傍注、龍伯、島津義久、羽兵庫頭、島津義弘、又八郎、島津家久、防戦大勝、武功、老中・奉行衆、戦場の稲荷出現、野狐の前代未聞の記事、鹿児島・富之隈・京都の稲荷への礼、取次ぎ依頼、旧記雑録後編三556号同文推定
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w8:85起請文前書・国分家の養子と進退をめぐる誓約旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

慶長十七年六月十六日起請文前書

起請文の誓約者たちが比志嶋紀伊守へ、国分御上様との間で親子の進退を内談したことはなく、国分から申し入れを受けたこともないと誓う。菊袈裟が国分御上様の養子になるとの風聞も、誰かと相談したことも否定し、今後もそのような内談をしないと約束する。奧州様に害となる企てをしないこと、これに類する不審な話を聞けば申し上げることを条項に加え、慶長17年6月16日付で又四郎・忠仍・ぎくけさの名が並び、血判の記載もある。

登場人物
国分御上様、奧州様、又四郎、忠仍、ぎくけさ、比志嶋紀伊守
宛先
比志嶋紀伊守殿
キーワード
慶長17年6月16日、起請文前書、国分御上様、親子進退、内談否定、菊袈裟、養子風聞、奧州様、害意否定、不審な話の報告、又四郎、忠仍、ぎくけさ、血判、比志嶋紀伊守、旧記雑録後編四905号同文推定
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w8:87起請文前書・争議に関する弁明と相互熟談の誓約旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

慶長七年八月十日島津惟新起請文前書

惟新(島津義弘)が竜伯尊老(島津義久)へ、今度の『調事』では企てに全く関与していないと申し上げ、その説明が余すところなく聞き入れられて安堵したと誓う。今後たとえ讒言で妨げられても隠さず申し上げ、互いに疑いを残さず熟談して御家の長久を図ると約束する。京都からの『御噯』については御家のためによいと述べたが、私曲を構えたわけではないと弁明する。慶長7年8月10日付で、前項86と同様に讒言と家の将来をめぐる疑心を問題にするが、本件には惟新の署名と竜伯尊老の宛所がある。

登場人物
惟新(島津義弘)、竜伯尊老(島津義久)、讒人
宛先
竜伯尊老様(島津義久の傍注)
キーワード
慶長7年8月10日、惟新、島津義弘、竜伯尊老、島津義久、調事への不関与、説明受容、安堵、讒言、疑心を残さぬ熟談、御家長久、京都からの御噯、私曲否定、旧記雑録後編三1677号同文推定
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w8:91-1五大老連署書状・法度違反者と一族への処罰通達旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

〔慶長四年〕四月朔日豊臣氏五大老連署書状

前田利長・毛利輝元・上杉景勝・宇喜多秀家・徳川家康の五人が、羽柴薩摩宰相と羽柴薩摩少将へ、時勢に乗じて法度に反する移動をする者を厳しく禁じるよう通達する。違反者を後で聞きつけた場合には本人だけでなく一類をことごとく成敗すると明記する。4月朔日付で、慶長4年は本文外の傍注。二名の宛所と五人全員の花押があり、同頁前後の鎌倉期の文書とは時代も発給主体も異なる。

登場人物
前田利長、毛利輝元、上杉景勝、宇喜多秀家、徳川家康、羽柴薩摩宰相(島津義弘の傍注)、羽柴薩摩少将(島津家久の傍注)
宛先
羽柴薩摩宰相殿、羽柴薩摩少将殿
キーワード
4月朔日、慶長4年の傍注、豊臣氏五大老、前田利長、毛利輝元、上杉景勝、宇喜多秀家、徳川家康、羽柴薩摩宰相、島津義弘、羽柴薩摩少将、島津家久、法度違反、移動禁止、本人と一類の成敗、五名連署、花押、旧記雑録後編三714号同文推定
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w8:91-2記事・五大老御書と連名廻文の伝来注記旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

〔慶長四年五月十一日〕記事

編者が、宰相宛ての書状、家康の誓詞、五大老の御書二通以外は見当たらないと記す。一方で同じ慶長4年5月11日の書付に別の記録があるため、考証のために掲げ、連名の廻文本文は省略して対馬侍従・久留目侍従・薩摩侍従の三名だけを列挙する。傍注はそれぞれ宗義智・小早川秀包・島津豊久とする。廻文の具体的な用件はこの抄録からは分からず、前項91の1の処罰通達と同内容とは断定できない。

登場人物
徳川家康、五大老、宰相、対馬侍従(宗義智の傍注)、久留目侍従(小早川秀包の傍注)、薩摩侍従(島津豊久の傍注)
宛先
不記(本文は連名廻文の抄記)
キーワード
慶長4年5月11日、宰相宛書状、徳川家康誓詞、五大老御書二通、伝来状況、考証、連名廻文略、対馬侍従、宗義智、久留目侍従、小早川秀包、薩摩侍従、島津豊久、本文省略、旧記雑録後編三741号抄出推定
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID white:7日記抜書旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

慶長十九年日記抜書

慶長十九年の日記から大学坊の使者勤めを抜書したもの。五月廿六日に霧島山脇坊衆へ派遣され、般若寺別当坊を霧島座主と定める旨を伝達したこと、十月に羽柴越中守への使者として小倉へ赴き帰着したことを記す。

登場人物
大学坊、羽柴越中守、霧島山脇坊衆
宛先
—
キーワード
慶長十九年日記抜書、慶長十九年五月廿六日、十月十日、十月廿六日、大学坊、羽柴越中守、霧島山、般若寺、小倉、使者、日記
旧記雑録拾遺 著作史料集7-文書ID w12:3田租考旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

某条書七慶長十五六年高帳J\寛永十六年十二月御分国中惣高井衆中乗馬究帳

慶長期以後の高帳や旧記を引き、給地の割当てと田租の変化を考証する。領内の諸士・役人に関する記録を照らし、知行高の算定に用いる史料を示す。

登場人物
本文記載人物(詳細は本文画像参照)
宛先
―
キーワード
田租考、慶長三年、高帳、旧記、知行高
後編3-No.1830文書確認度 高

慶長八年出物覚書

慶長八年の諸種の出物を日付・賦課率・金額ごとに列記した覚書。若殿の慶事や上洛、大峯関係などに伴う負担を記し、銭合計一貫九百四十四文と、別途の出米七斗二升五合を算出する。

登場人物
本田助之丞、若殿、島津家
宛先
(出物覚書)
キーワード
慶長八年出物覚書、本田助之丞、六月、若殿、慶事、上洛、大峯、出物、賦課、石高割、銭一貫九百四十四文、出米七斗二升五合、負担記録
後編4-No.35文書確認度 高

慶長九年・十年公用出物控

本田氏に伝わる慶長九年・十年の公用出物を、日付ごとに銭・米・石高などの数量で記録した控。慶長九年八月から十年三月までの個別支出と、二年分の銭五貫百九十二匁などの合計を掲げ、石高に応じた負担額も算出している。

登場人物
本田氏
宛先
—
キーワード
本田氏、公用、出物、銭、米、石高、負担、慶長九年、慶長十年、会計控
後編4-No.152記事確認度 高

慶長十年国府衆中交名

慶長十年の国府衆中を家ごとに列記した大規模な交名。町田縫殿助(後の駿河守)をはじめ、各家の当主・子・兄弟・養子・婿・被官らの姓名、入道名、役職、親子・養子関係、居所・移住先、出仕・死亡などの注記を収める。

登場人物
国府衆中、町田縫殿助(後名駿河守)、長浜十郎兵衛、長崎織部佑ほか
宛先
—
キーワード
慶長十年、国府衆中、交名、家臣団、町田縫殿助、駿河守、当主、子、兄弟、養子、婿、被官、入道名、役職、親子関係、養子関係、居所、移住、出仕、死亡注記
後編4-No.1085記録確認度 中

慶長十九年日記

慶長十九年日記のうち正月三日以降の記事。年頭の拝礼、家臣や使者の参上、進物、酒宴、江戸・駿河方面との往来など、年初の儀礼と政務を記録する。

登場人物
島津家久、島津家中諸士、江戸・駿河関係者
宛先
—
キーワード
慶長十九年日記、年頭儀礼、拝礼、使者、進物、酒宴、江戸、駿河、島津家久
追録4-No.1785願書旧記雑録暫定版確認度 中

琉球進貢・接貢料銀の慶長銀への吹替願書

継豊は、琉球から清へ渡す進貢・接貢料銀について、元禄銀・宝永銀・慶長銀への過去の吹替を述べる。今回の文字銀への吹替では琉球側が受け取りに難渋するため、従前の慶長銀に替えて渡すよう幕府へ願い出た。

登場人物
島津継豊、琉球
宛先
幕府
キーワード
継豊、琉球、清、進貢料銀、接貢料銀、文字銀、慶長銀、吹替願い
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 83日記・陣中法度旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

慶長十九年日記

慶長19年11月11日、奥州様の大坂出張に際して定めた陣中法度を記す。陣中での酒宴、喧嘩・私闘、防戦、騒動、鉄砲使用、奉行衆の指図、異国衆や船の出入り、留守中の宿泊などを規制し、違反者を厳科に処すとする。

登場人物
島津家久(奥州様)、陣中諸衆、奉行衆、異国衆
宛先
陣中諸衆
キーワード
慶長十九年日記、島津家久、奥州様、大坂陣、陣中法度、喧嘩、鉄砲、奉行衆
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 136日記抄・切支丹禁制旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

慶長日記

切支丹禁制の徹底により、小笠原権之丞・榊原加兵衛らの赦免を認めず、宗門を離れなければ召し出すとした慶長日記の記事。

登場人物
小笠原権之丞、榊原加兵衛
宛先
なし(日記)
キーワード
慶長日記、切支丹禁制、小笠原権之丞、榊原加兵衛
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 138日記抄・切支丹宗門取締旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

慶長日記

将軍家が大久保相模守に対し、上方・畿内・西国の切支丹宗門を法度として詳しく調査するよう命じた慶長日記の記事。

登場人物
将軍家、大久保相模守
宛先
大久保相模守
キーワード
慶長日記、将軍家、大久保相模守、切支丹宗門
旧記雑録拾遺 著作史料集5-文書ID D:166文書旧記雑録拾遺暫定版確認度 低

慶長十九年御留守中日記

『慶長十九年御留守中日記』十二月二十七日の記事。藩内の馬を他国へ出すことを厳禁し、一所衆と諸外城へ廻文で申し渡した。馬の領外移出を統制した記録。

登場人物
盛香集寬永廿年加久藤曖所
宛先
他園、諸外城
キーワード
慶長十九年御留守中日記、御旧式類抄三、御馬追・牧政、史料内容
旧記雑録拾遺 著作史料集5-文書ID D:162日記旧記雑録拾遺暫定版確認度 低

島津惟新弘書状抄

慶長十年五月一日頃の書状抜書。御馬追を相手の下向まで待つようにとの意向に対し、時期が過ぎるため、まず諸所の馬追を行うよう申し付けると述べる。捕えた駒は数疋を残し、後日相手が鹿児島へ来た際に見せる考えを伝える。

登場人物
慶長十九年御留守中日、従奥州、惟新、島津圃書忠長
宛先
従奥州様、惟新、我等鹿児嶋
キーワード
島津惟新弘書状抄、御旧式類抄三、御馬追・牧政、役職・人事
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w8:72書状・伊集院忠真への処遇交渉と鎮静要請旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

慶長四年八月六日島津義弘書状

島津義弘(惟新)が伊集院源次郎忠真へ、忠真の6月17日・7月16日付書状を受け、幸侃が成敗された後も忠真の進退が定まらず庄内に籠る事態について、相互の言い分と自らの働きかけを詳しく伝える。義弘は、忠真が自分の家中の者一人に過ぎないと扱われれば名誉が傷つくとの懸念に理解を示す一方、竜伯様・少将殿への申入れや徳善院への請託、伊東豊後守を通じた書面のやり取りを述べ、これ以上の対立や放火・戦闘を避けるよう諭す。忠真が城から出た後の知行の額は自分には見積もれないが、生活できないほどにはならないだろうとの見通しを示し、内府様の使者として寺澤志摩守が下向する予定なので、その間の行動を慎むよう求める。加藤主計頭・木原式部少輔への依頼にも触れ、8月6日付で伊集院源次郎に宛てる。冒頭の『正文本田助之丞』は正文所在の注記であり宛名ではない。欄外に『旧記雑録後編三』839号との同文推定注記がある。

登場人物
島津義弘(惟新)、伊集院源次郎忠真、本田助之丞(正文の注記)、内府様、寺澤志摩守、幸侃、竜伯様、少将殿、徳善院、加藤主計頭、木原式部少輔、伊東豊後守
宛先
伊集院源次郎殿(忠真)
キーワード
慶長4年8月6日、島津義弘、惟新、伊集院源次郎忠真、幸侃成敗、庄内籠城、竜伯、少将、徳善院、内府、寺澤志摩守下向予定、知行の見通し、対立回避、加藤主計頭、木原式部少輔、伊東豊後守、本田助之丞正文注記、旧記雑録後編三839号同文推定
後編4-No.1189文書確認度 高

慶長十九年日記

島津義弘の大坂出陣を協議し、軍中法度の条々を定めた日記。流言の禁止、陣所の警固、戦闘時の統制、鉄砲使用、略奪や私闘の禁止、他国人・船舶・宿主への対応などを詳細に定める。

登場人物
島津家久、島津義弘、島津家臣団
宛先
—
キーワード
慶長十九年日記、大坂出陣、島津義弘、軍中法度、流言禁止、略奪禁止、陣所警固、十一月十一日
旧記雑録拾遺 家わけ1-管理ID KW1-G000124系譜記事旧記雑録拾遺暫定版確認度 –

管理表題:重張譜中記事:○慶長五年…十一月二十六日之目安状

慶長五年十一月二十六日の目安状を左条に載せると記す。

登場人物
—
宛先
—
キーワード
系譜記事、目安状
後編1-No.1127-1文書確認度 中

島津氏老臣連署知行目録

慶長十九年七月二十三日、明石川喜之内の高十四石を淵辺主計助へ宛行った知行目録。三原重種・伊勢兵部少輔・比志島国貞・町田久幸が連署する。本文には編年位置を誤った文書との注記がある。

登場人物
三原重種、伊勢兵部少輔、比志島国貞、町田久幸、淵辺主計助
宛先
淵辺主計助
キーワード
島津氏老臣連署知行目録、慶長十九年、淵辺主計助、明石川喜之内、高十四石、編年位置誤り
後編1-No.1127-2文書確認度 中

島津氏老臣連署知行目録

慶長十九年七月二十三日、所定の浮免高一石余を直松作右衛門へ宛行った知行目録。三原重種・伊勢兵部少輔・比志島国貞・町田久幸が連署し、編年位置を誤った文書群に含まれる。

登場人物
三原重種、伊勢兵部少輔、比志島国貞、町田久幸、直松作右衛門
宛先
直松作右衛門
キーワード
島津氏老臣連署知行目録、慶長十九年、直松作右衛門、浮免、高一石余、編年位置誤り
後編1-No.1127-3文書確認度 中

島津氏老臣連署知行目録

慶長十九年七月二十三日、浮免高三石一斗余を小嶋吉兵衛へ宛行った知行目録。三原重種・伊勢兵部少輔・比志島国貞・町田久幸が連署し、編年位置を誤った文書群に含まれる。

登場人物
三原重種、伊勢兵部少輔、比志島国貞、町田久幸、小嶋吉兵衛
宛先
小嶋吉兵衛
キーワード
島津氏老臣連署知行目録、慶長十九年、小嶋吉兵衛、浮免、高三石一斗余、編年位置誤り
後編1-No.1265文書確認度 高

新納忠元書状

新納忠元が樺山権左衛門尉へ、芦北方面から百姓を帰還させる件について、残留者は現地で不忠を働いた者で帰れないと申し立てていることや、出家まで百姓として日記に載せる扱いに疑問を呈した書状。出水・大口双方の縁者を調べ、境目の事情に即して帰還を相談すべきだとする。本文注は編年を誤り慶長五年の文書と指摘する。

登場人物
新納忠元、樺山権左衛門尉、加藤氏、出水衆、大口衆
宛先
樺山権左衛門尉
キーワード
新納忠元書状、樺山権左衛門尉、芦北、百姓帰還、加藤氏、出水、大口、境目、編年誤り、慶長五年
後編2-No.999文書確認度 中

伊勢貞昌外二名連署知行目録

隅州栗野内木場村の知行目録について、慶長十九年に伊勢貞昌・三原重種・比志島国貞の三名が連署して確認した文書。 天正期の知行関係を後年に再確認した可能性があり、土地権利の継承と家中行政を追う材料となる。

登場人物
伊勢貞昌、三原重種、比志島国貞
宛先
—
キーワード
伊勢貞昌、三原重種、比志島国貞、隅州、栗野、木場村、知行目録、連署、慶長十九年、土地権利
後編3-No.81記事確認度 高

島津義久譜記事

西国へ下向していた近衛信輔が京都へ帰るにあたり、大隅国富隈でたびたび和歌会を催し、慶長元年七月六日に帰京の途についたことを記す島津義久譜の記事。出立に際して近衛信輔と龍伯(島津義久)らが和歌を贈答した経緯を伝える。

登場人物
近衛信輔、龍伯(島津義久)、大隅富隈、島津家中
宛先
—
キーワード
島津義久譜、近衛信輔、島津義久、大隅、富隈、和歌会、慶長元年七月六日、帰京、贈答歌
後編3-No.118文書確認度 高

雑抄

島津義弘が慶長元年九月二十三日に大坂を出船し、十月十日に浜之市へ着いたことを記す雑抄。

登場人物
島津義弘
宛先
—
キーワード
島津義弘、慶長元年、大坂、九月二十三日、出船、浜之市、十月十日、到着、雑抄
後編3-No.173記事確認度 高

朝鮮日々記(島津義弘渡海記事)

慶長二年二月上旬、島津義弘が朝鮮へ渡海するため帖佐を出立し、蒲生・鹿児島・串木野方面を経て乗船した行程を日次に記す朝鮮日々記。各地の留守居・供衆の配置、船頭や馬の手配、風雨による滞留、忠恒方との合流など、出国から海上移動までの実務を詳しく記録する。

登場人物
島津義弘、島津忠恒、島津家渡海衆、留守居衆、船頭
宛先
—
キーワード
朝鮮日々記、慶長二年、島津義弘、島津忠恒、帖佐、蒲生、鹿児島、串木野、渡海、留守居、供衆、船頭、馬、風雨、航海日記
後編3-No.235記事確認度 高

雑抄

雑抄のうち、慶長二年六月六日付の友枕斎如貴から伊勢弥九郎への書状に、宰相が前日に上洛したと記されていることを抄出した記事。

登場人物
友枕斎如貴、伊勢弥九郎、宰相
宛先
—
キーワード
雑抄、友枕斎如貴、伊勢弥九郎、宰相、上洛、慶長二年六月六日
後編3-No.346記録確認度 高

唐島追渡書始(覚)

慶長二年七月二十八日から十一月十九日までの唐島追渡・朝鮮在陣日記。固川・南原・全州・海南・羅州・淳昌・泗川新城などを往来する島津勢と諸将の動きを、日々の天候、出発・到着時刻、行程、陣替え、使者・書状・贈答、兵粮や会食とともに記す。住民の拘束、城や在郷の状況、戦闘・討死の報、明軍来襲への対応までを連日の実務記録として残す。

登場人物
殿様、武庫様、伊集院源二郎、北郷作左衛門、小西摂津守、垣見和泉守、鍋島信濃守、伊東民部大輔、高橋九郎、加藤主計頭、毛利豊前守、日本諸将・使者
宛先
—
キーワード
唐島追渡書始、慶長二年、固川、南原、全州、海南、羅州、淳昌、泗川新城、行軍、陣替え、使者、書状、贈答、兵粮、天候、明軍
後編3-No.347記録確認度 高

泗川古城在陣日記(覚)

慶長二年十二月一日から二十九日までの泗川古城を中心とする在陣日記。毎日の天候、諸将・使者の出仕と宿直、書状・礼物・兵粮の受け渡し、古城・新城間の移動、軍勢の召集や警固を記録する。月末には漢南方面から蔚山へ明の大軍が来襲したとの報を受け、諸将への援軍要請、泗川城の備え、明側との接触に関する使者派遣までを記す。

登場人物
殿様、若殿様、武庫様、伊集院源二郎、垣見和泉守、北郷作左衛門、伊東民部大輔、秋月三郎、高橋九郎、長宗我部右衛門太郎、毛利豊前守、加藤主計頭、日本諸将・使者
宛先
—
キーワード
泗川古城在陣日記、慶長二年、泗川古城、泗川新城、出仕、宿直、使者、書状、礼物、兵粮、軍勢召集、蔚山、明軍、警固、天候
後編3-No.348記事確認度 高

新納忠元勲功記

『新納忠元勲功記』から、慶長三年二月二十一日に松齢様が久見崎から乗船する際、新納忠元が見送り、大嶋出羽守忠泰を供に付けて二首の別れの歌を贈った記事。同月二十八日に五十余艘で出船し、四月十九日に朝鮮加徳島へ着陣したこと、同年夏に忠元が清敷から飯野の地頭へ替えられて移住したことも記す。

登場人物
新納忠元、松齢様、大嶋出羽守忠泰
宛先
—
キーワード
新納忠元勲功記、慶長三年、新納忠元、松齢様、久見崎、大嶋出羽守忠泰、別れの歌、五十余艘、加徳島、清敷、飯野地頭
後編3-No.365記事・詠草確認度 高

島津義久詠草

島津義久が慶長三年正月二十日の近衛殿の御会始で詠んだ新年の鶯の歌をはじめ、里村紹巴らと「こゑ」「音」の字句を論じた経緯を書き留めた詠草記事。さらに都での花見、伏見墨満寺の墨染桜、建仁寺の藤を題材とする歌を収め、藤の一枝を所望して断られた際、歌を贈ると一枝を手折ってもらえたという作歌事情も記す。

登場人物
島津義久、近衛殿、里村紹巴、龍山様
宛先
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キーワード
島津義久詠草、慶長三年、近衛殿、御会始、新年、鶯、里村紹巴、こゑ、音、都、花見、伏見、墨満寺、墨染桜、建仁寺、藤、一枝所望
後編3-No.390記事確認度 高

島津義久譜

慶長三年三月二十日正午、島津義久が初めて徳川家康の門を訪れ、太刀・馬代・巻物五十端を献上し、伊集院幸侃が供をしたとの記事。家康から来臨する意向があると近衛殿を通じて同月十一日に知らされていたため、それ以前の参候を控えていたとし、訪問後は夜まで宴が続き、その後帰宅したと記す。

登場人物
島津義久、徳川家康、伊集院幸侃、近衛殿
宛先
—
キーワード
島津義久譜、慶長三年三月二十日、島津義久、徳川家康、初訪問、太刀、馬代、巻物五十端、伊集院幸侃、近衛殿、来臨予告、宴
後編3-No.424記事確認度 高

公記

慶長三年八月十八日、前関白太政大臣従一位豊臣秀吉が伏見城で六十三歳で死去し、京都東南の阿弥陀峰に葬られたと記す。

登場人物
豊臣秀吉
宛先
—
キーワード
公記、慶長三年八月十八日、豊臣秀吉、伏見城、死去、六十三歳、阿弥陀峰、葬送
後編3-No.488記事確認度 高

島津義弘譜

『島津義弘譜』が、慶長三年十月朔日の泗川・新寨決戦を詳述する記事。董一元ら率いる明軍が新寨を包囲すると、島津義弘は敵が城壁へ近づくまで鉄炮を撃たせず、白狐一疋と赤狐二疋の出現を稲荷明神の加護と信じて、大鉄炮の一斉射撃と開門突撃に転じた。義弘・忠恒父子や忠長らが敵を北へ追い、晋州川付近まで潰走させた後、首実検と勝利の儀礼を行い、翌二日に敵首三万八千七百十七級と算したとする。

登場人物
董一元、孟老爺、茅国器、島津義弘、島津忠恒、島津忠長、川上久高、寺山久兼、本田與兵衛、平田新左衛門宗位、明軍、朝鮮軍
宛先
—
キーワード
島津義弘譜、慶長三年十月朔日、泗川、新寨、董一元、孟老爺、茅国器、島津義弘、島津忠恒、島津忠長、明軍包囲、白狐、赤狐、稲荷明神、大鉄炮、一斉射撃、開門突撃、晋州川、敵軍潰走、首実検、勝利儀礼、三万八千七百十七級
後編3-No.489文書確認度 高

泗川表討捕首注文

慶長三年十月一日の泗川表における討捕首数を部隊別に記した注文。鹿島・帖佐・富隈の各方衆と、伊集院源次郎・北郷作左衛門の手勢による首数を列挙し、合計を三万八千七百十七とする。これとは別に、戦場で切り捨てた者の数は不明であると付記する。

登場人物
鹿島方衆、帖佐方衆、富隈方衆、伊集院源次郎、北郷作左衛門
宛先
—
キーワード
泗川表討捕首注文、慶長三年十月一日、泗川、討捕首、首注文、鹿島方衆、帖佐方衆、富隈方衆、伊集院源次郎、北郷作左衛門、部隊別集計、三万八千七百十七、切捨者数不明