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『旧記雑録』前編・後編・附録10冊と追録1~8(暫定版)、『旧記雑録拾遺 伊地知季安著作史料集1~9』『家わけ1』(暫定版)、関連史料(外伝)『島津世禄記』の46,754件を横断検索できます。検索範囲は史料群・巻を組み合わせて選べます。結果は50件ずつ表示します。

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39 件 (全巻)/ 1–39件を表示

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前編2-No.2267文書確認度 高

谷山伊佐智佐社々領坪付

薩摩国谷山郡和田名にある伊佐智佐社領について、祭田・五月五日神事料田など七か所の坪付と面積を列挙した文書。

登場人物
伊佐智佐神主孫左衛門、重正
宛先
伊佐智佐神主孫左衛門殿
キーワード
谷山、伊佐智佐社、社領、坪付、和田名、祭田、神事、天文五年
附録1-No.615文書確認度 中

島津立久書状

島津立久が、刀を遣わしたこと、源五郎らとの談合、五郎太郎の意向、木脇や鳥取孫左衛門に関わる人員・所領の処置を述べ、関係者への申し入れと便宜を頼んだ書状。

登場人物
島津立久、源五郎、五郎太郎、鳥取孫左衛門、関係者
宛先
—
キーワード
島津立久、書状、刀、源五郎、五郎太郎、木脇、鳥取孫左衛門、談合、所領処置
後編4-No.1379文書確認度 高

児玉氏軍忠覚書

児玉利昌が文禄・慶長の朝鮮役で自力・自船により渡海し、主従や船員を率いて国府衆も無償で乗船させた軍忠を列挙し、その働きの披露を求めた覚書。

登場人物
児玉利昌、児玉筑後守、新納孫左衛門、国府衆皆切与兵衛、山崎少兵衛
宛先
—
キーワード
児玉氏軍忠覚書、児玉利昌、児玉筑後守、朝鮮役、高麗、自力渡海、自船、国府衆、新納孫左衛門、元和二年十二月二十一日
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 376-2送状・兵站文書旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

笘送状

同二十四日、笘二十二帖を片浦庄屋山本九兵へ尉から受け取り、小浦で立てた四艘の船に乗せて遣わすよう小浦部當若松孫左衛門へ命ずる。各手前から送状を添えることも指示する。

登場人物
山本九兵へ尉 若松孫左衛門
宛先
小浦部當 若松孫左衛門
キーワード
笘 二十二帖 山本九兵へ尉 若松孫左衛門
前編2-No.1566文書確認度 高

都城円福寺阿弥陀像銘

日向国島津院円福寺の阿弥陀如来造立について、文明十六年六月十五日の年紀、信心大願主、僧寶秋ら奉加者を刻んだ仏像甲板の銘。

登場人物
僧寶秋、理性坊、南之坊、越前房、沙弥道、五郎太郎、孫左衛門
宛先
—
キーワード
都城、円福寺、阿弥陀如来、仏像甲板、銘、文明十六年、造立、奉加、僧寶秋
後編3-No.1311記録確認度 高

山田晏斎覚書

敵が迫ったため亀井武蔵から鉄砲衆の加勢を求められ、浜之市衆らを派遣した。しかし到着する頃には味方勢が崩れており、後に亀井武蔵には野心があったと聞いたことを記す。

登場人物
山田晏斎、亀井武蔵、浜之市衆、城井三郎兵衛、前原孫左衛門、鎌田次郎九郎、前原源六、福山衆
宛先
該当なし
キーワード
山田晏斎覚書、亀井武蔵、鉄砲衆、浜之市衆、援軍、味方崩壊、関ヶ原合戦、内応疑惑
附録2-No.1158文書確認度 高

阿多某覚書

普光院からの琉球関係文書一箱、徳川秀忠の御内書、系図調査時に島津弾正が借りた文書の所在を調査した報告。弾正死後に返上され、島津彦太夫から田中五右衛門へ受取が渡された経緯を阿多仲兵衛が記す。

登場人物
阿多仲兵衛、島津弾正、島津彦太夫、田中五右衛門、伊東孫左衛門
宛先
島津家
キーワード
阿多仲兵衛、島津弾正、島津彦太夫、田中五右衛門、普光院、琉球、徳川秀忠、御内書、文書返却
追録1-No.2389願書旧記雑録暫定版確認度 高

島津氏家臣御目見願

島津綱貴の参勤御礼に際し、供として召し連れた佐多豊前と家老禰寝孫左衛門について、前年と同様に将軍への御目見を許されるよう願い出た文書。両人の知行高・系譜と、禰寝孫左衛門の過去の御目見も記す。

登場人物
島津綱貴、佐多豊前、禰寝孫左衛門
宛先
—
キーワード
島津綱貴、佐多豊前、禰寝孫左衛門、参勤、御礼、御目見、願書、知行高、系譜
追録4-No.1601伺書旧記雑録暫定版確認度 中

吉貴の鷹の鶴拝領に伴う使者目見の伺い

継豊は、吉貴が宿次の奉書で御鷹の鶴を拝領したため、使者薗寝孫左衛門を通じて礼を述べたいと伺う。吉貴の赦免後の帰国や婚姻の際に使者の目見・献上を許された先例を挙げ、今回も同様の取扱いを願った。朱書で「可為此通」と認められる。

登場人物
島津継豊、島津吉貴、薗寝孫左衛門、大納言
宛先
幕府
キーワード
吉貴、御鷹の鶴、拝領、薗寝孫左衛門、御目見、先例、献上、大納言
追録4-No.1625記事旧記雑録暫定版確認度 中

吉貴の御鷹の鶴拝領と謝礼使者の往復

病気療養中の吉貴は元文五年十二月十三日、将軍吉宗から御鷹の鶴一隻を宿次奉書で賜った。江戸から急送された鶴を翌正月十一日に大磯館で拝領し、礼状を届けさせ、使者孫左衛門清香を江戸へ送る。清香は四月一日に登城して将軍・大納言への献上と謝礼を行い、四日・五日に奉書を受け、六月二十三日に薩摩へ帰着して復命した。

登場人物
島津吉貴、島津継豊、徳川吉宗、徳川家重、松平信祝、薗寝孫左衛門清香
宛先
—
キーワード
吉貴、御鷹の鶴、宿次奉書、大磯館、正月十一日、孫左衛門清香、謝礼使者、献上、奉書、復命
追録4-No.1626連署書状旧記雑録暫定版確認度 中

本多忠良・松平信祝・松平乗邑連署書状

本多忠良・松平信祝・松平乗邑は吉貴に、前年暮れに宿次奉書で御鷹の鶴を拝領したことへの礼として、使者孫左衛門が樽肴を献じたと承知したと返す。献上品を披露すると、使者が将軍の前へ召し出され、丁重な謝礼を将軍が喜んだと伝える。

登場人物
本多忠良、松平信祝、松平乗邑、島津吉貴、孫左衛門
宛先
松平上総入道(島津吉貴)
キーワード
御鷹の鶴、宿次奉書、吉貴、孫左衛門、樽肴、披露、将軍拝謁
追録4-No.1627書状旧記雑録暫定版確認度 中

松平乗賢書状

松平乗賢は吉貴に、宿次奉書で御鷹の鶴を拝領した礼として使者孫左衛門が樽肴を献じた件を了承する。献上品を披露したところ、使者が将軍の前へ召し出され、吉貴の心遣いを将軍が喜んだと伝える。

登場人物
松平乗賢、島津吉貴、孫左衛門
宛先
松平上総入道(島津吉貴)
キーワード
御鷹の鶴、宿次奉書、吉貴、孫左衛門、樽肴、披露、将軍拝謁
追録4-No.2350記事旧記雑録暫定版確認度 中

将軍宣下の賀儀に伴う継豊・宗信・吉貴への巻物下賜

徳川家重の将軍宣下を祝う賀儀に際し、上使の三浦志摩守忠次が継豊と宗信へそれぞれ巻物を下賜し、吉貴にも巻物十箇を下賜した。吉貴は比志島孫左衛門国泰を使者として謝礼の書状を呈し、執政所へ奉書を出した。その後に関連書状が続くことを記す記事。

登場人物
島津継豊、島津宗信、島津吉貴、徳川家重、三浦志摩守忠次、比志島孫左衛門国泰
宛先
—
キーワード
徳川家重、将軍宣下、賀儀、島津継豊、島津宗信、島津吉貴、三浦志摩守忠次、巻物、比志島孫左衛門国泰、謝礼
追録7-No.2207記事旧記雑録暫定版確認度 高

安山大中寺住職トナリ重豪ノ寿像ヲ福昌寺ニ安置ス

重豪公御譜の記事。文政十一年二月三日、福昌寺住持安山が幕府により大中寺住持となる。大中寺・総寧寺・龍穏寺を三関三箇寺とし、大中寺を下野、総寧寺を下総国葛飾郡国府臺、龍穏寺を武州高麗郡越生に置き、各寺の所領・管轄国と遠州の睡齋領を列記する。安山は重豪の特恩に報いるため寿像を本国福昌寺に安置したいと願い、許可を受けて仏匠梶田武助を中寺に招き彫刻させる。重豪は実名・花押を自書して像内に納める。二十七日に像が完成し、四月朔日に武助が高輪邸へ奉持し重豪が見る。その後、大中寺へ護送し、江府にいた福昌寺役人島津孫左衛門良中が寺社方の取次として寿像を護送する。江戸・大中寺からの出発は本文で「二十一日」と続き、東海・中国・九州の駅路を経て五月二十八日に鹿児島福昌寺へ着く。仏室未完成のため客殿の御仏座に置き、翌年五月に仏室が成り、十五日に仏殿へ遷座する。斉興は家老島津但馬久風を遣わして寿像を拝ませる。像完成日・出発日の月は本文に明記されていないため補わない。

登場人物
安山、島津重豪、梶田武助、島津孫左衛門良中、島津斉興、島津但馬久風
宛先
記事(宛名なし)
キーワード
安山、大中寺、福昌寺、三関三箇寺、総寧寺、龍穏寺、梶田武助、重豪寿像、実名花押、高輪邸、島津孫左衛門良中、五月二十八日、仏室、翌年遷座、久風代拝
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 396-6送状・兵站文書旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

水手送状

十一月二十七日、永吉の内の有嶋から立てた孫左衛門を掲げ、水手として受け取るよう永山覚兵衛尉・三原源右衛門へ申し送る。

登場人物
孫左衛門 永山覚兵衛尉 三原源右衛門
宛先
永山覚兵衛尉・三原源右衛門
キーワード
孫左衛門 水手 有嶋
旧記雑録拾遺 著作史料集9-文書ID W06_文書0115日記旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

上井覚兼日記

天正二年八月以後の出仕・交渉・接待を記す日記の抄録。川辺で盗人孫左衛門をめぐって起きた鹿籠との争論を忠元・鎌田らと相談し、中書の内議を使者の忠元から聞く。隈城の四十町、山田三十町、天辰・田崎を交換する所領調整や、弓箭の談合、江月斎・和泉の使者への対応を続けて記す。頴娃や唐口の座席と接待、諸役と参加者、雑説をめぐる義虎や中書への報告も記録する。天草の使僧の太刀・厚板物・馬代などの進献、和泉・天草の和平交渉と所領の一部譲渡、使僧の返事についても述べる。

登場人物
上井覚兼、新納武州、鎌田尾州、孫左衛門、金田、折田、左馬頭忠長、中書、入来院、北郷時久、本田野州、本田親貞、伊地知重秀、江月斎、喜入季久、平田昌宗、梅北國兼、川上久辰、新納忠堯、義虎、天草の使僧
宛先
—
キーワード
上井覚兼日記、川辺鹿籠争論、盗人孫左衛門、所領四十町、山田三十町、天辰田崎の交換、弓箭談合、使者の接待、雑説と義虎、和泉天草の和平、天草進献品
追録5-No.974御譜記事旧記雑録暫定版確認度 高

家重、重年入部ノ安否ヲ問ヒ

九月十九日、家重が重年の襲封後初の帰国を祝い、安否を問うため佳肴一種、鮭十尺を賜った記事。老中本多伯耆守正珍が江戸留守居山澤小左衛門盛福を自邸に呼び、老中宿次奉書と驛路證印を渡した。比志島孫左衛門國泰・谷山孫右衛門通音、歩士三人・軽卒六人が警衛して同日芝邸を発ち、東海・山陽・西海路を昼夜休まず進み、十月十五日に薩府城へ着いて重年が拝戴した。同日、山本利兵衛秀命・調所八左衛門恒堅が重年の謝書と驛路證印を携えて執政へ赴き、軽卒六人も従った。重年は一門島津周防忠紀を謝恩使とし、継豊も物頭中江九衛門員張を同行させた。秀命・恒堅らは西海・山陽・東海道を経て十一月十一日に江戸へ着き、山澤盛福の案内で武元へ重年の報翰を呈し、正珍の證印を返納した。忠紀は九州の駅路から豊前小倉、大坂、東海道を経て十八日に芝邸へ着き、二十一日に酒井忠寄へ家重宛の連署、秋元凉朝へ家治宛の連署を届け、西尾忠尚へ両公宛の格書と書状を渡した。十二月朔日、忠紀は白書院で重年の献物二種・雙樽を家重へ献じ、家治にも謝恩を伝え、松平周防守康福が奏達した。忠紀自身も太刀一腰・馬代白銀一枚・紗綾二巻を献じた。続いて西城で朽木土佐守玄綱を奏者とし、重年の献物一種・雙樽と、忠紀自身の太刀一腰・馬代白銀一枚を献じた。十二日に召されて登城し、檜之間で武元から回翰を手渡され、紗綾三巻を拝領した。青山因幡守忠知が奏達し、十三日には西城で武元から、十八日には西尾忠尚の邸で回翰を受けた。二十九日に芝邸を発ち、東海道を経て翌三月二十五日に薩府へ帰り復命した。

登場人物
島津重年・徳川家重・本多伯耆守正珍・山澤小左衛門盛福・比志島孫左衛門國泰・谷山孫右衛門通音・山本利兵衛秀命・調所八左衛門恒堅・島津周防忠紀・島津継豊・中江九衛門員張・松平右近将監武元・酒井左衛門尉忠寄・秋元但馬守凉朝・西尾隠岐守忠尚・徳川家治・松平周防守康福・朽木土佐守玄綱・青山因幡守忠知
宛先
—
キーワード
家重、重年、鮭十尺、奉書、驛路證印、比志島國泰、谷山通音、歩士三人、軽卒六人、山本秀命、調所恒堅、島津忠紀、中江員張、謝恩使、白書院、西城、二種雙樽、一種雙樽、紗綾三巻、回翰、復命
追録5-No.1130御譜記事旧記雑録暫定版確認度 高

琉球使節を伴う重年の参府と吉宗への弔書取次

宝暦二年の夏、中山王尚穆の襲封謝恩使今歸仁王子と副使小波津親方が薩府へ来ており、九月十一日に重年が琉球使正副と従者九十四人を伴って居城を発ち、江戸への参府に向かった記事。家老義岡相馬久中・島津主鈴久郷、側用人本田久米右衛門親房・二階堂林左衛門行通、福山平太夫安都、近習役河野安之右衛門通古らが従い、監琉使家老島津主殿久憑、表用人伊集院十蔵久東、近習役伊地知新太夫季周らも随行した。十二日に重年が向田仮館へ着き、琉球使も水引大小路へ着いた。十六日に重年は向田を発って九州を陸路で進み、十七日に琉球使と琉球人監官・諸役人は薩西京から大小二十艘で西海を航行した。重年は十月四日に豊前大里で乗船し、二十八日に播州坂越へ着船、翌日から山陽道を陸路で進んだ。十一月三日に尼ヶ崎で再び船に乗り、四日に大坂の河口へ着いた。河口では松平大膳大夫重就・細川越中守重賢・小笠原伊豫守忠総らが河船で出迎え、琉球使の旅員運送用に小艇三十八艘を給した。重年の乗船後は諸役人も小艇で指揮し、琉球使船を厳重に警衛した。琉球使らは重年より先に大坂へ入り、先例に従って島津加賀守忠雅の仮亭に泊まったとの元注があり、重年は大坂仮館で三日滞在した。別記は、前年六月の吉宗死去を琉球で知った中山王尚喜が榮野川親方に弔書を持たせ、当年六月に薩府へ届けた件を記す。先例により馬廻比志島孫左衛門國泰を使者として江戸へ送り、老中へ報書を呈した。

登場人物
島津重年・中山王尚穆(別記では尚喜、後改名尚穆)・今歸仁王子・小波津親方・義岡相馬久中・島津主鈴久郷・本田久米右衛門親房・二階堂林左衛門行通・福山平太夫安都・河野安之右衛門通古・島津主殿久憑・伊集院十蔵久東・伊地知新太夫季周・松平大膳大夫重就・細川越中守重賢・小笠原伊豫守忠総・島津加賀守忠雅(宿所元注)・徳川吉宗・榮野川親方・比志島孫左衛門國泰
宛先
該当なし
キーワード
重年、中山王尚穆、今歸仁王子、小波津親方、従者九十四人、九月十一日発、向田、九月十六日重年陸行、十七日琉使二十艘出船、十月四日大里、二十八日坂越、十一月四日大坂、三十八艘、警衛、忠雅仮亭、吉宗弔書、尚喜、榮野川親方、比志島國泰
追録5-No.1640記事旧記雑録暫定版確認度 高

忠洪襲封許サル、継豊政務ヲ代行(記事)

宝暦五年七月二十七日、島津淡路守久柄が忠洪のために老中西尾隠岐守忠尚の邸へ赴き、列座していた老中のうち忠尚から幕命を受けた記事。重年の遺領すべてを忠洪へ与え、忠洪が幼少のため四封内および琉球国の政務は継豊が先例に従って取り計らうよう命じ、継豊へ奉書を与えた。その知らせは八月二十二日に薩府へ届き、翌二十三日、継豊が祢寝孫左衛門清香を謝恩の使節として江戸へ遣わした。出典は継豊公御譜。

登場人物
島津忠洪・島津淡路守久柄・西尾隠岐守忠尚・島津重年・島津継豊・祢寝孫左衛門清香
宛先
該当なし
キーワード
七月二十七日幕命、忠洪襲封、久柄名代、西尾忠尚、重年遺領、幼少、継豊政務代行、四封内、琉球国、奉書、八月二十二日薩府到着、祢寝清香謝恩使
追録7-No.1838記事旧記雑録暫定版確認度 高

重豪公譜抄(将軍家昇任・贈答先別の献品と返礼)

重豪公御譜。二月二十七日に勅使広橋胤定・山科忠言、院使日野資慶が江府へ入り、三月朔日に家斉が従一位左大臣、家慶が正二位内大臣へ昇任した。五日、重豪は四本孫左衛門兼房を物頭として本丸へ遣わし、家斉の転任と家慶の任槐に各太刀一腰・馬代金一枚を献じた。同日、池田次郎兵衛貞眞を西丸へ遣わし、家慶の任槐へ同品を献じ、留守居助長孝を本丸、米良仲之丞則賓を西丸へ遣わして御臺様・御簾中へ各時鯛一箱を献じた。兼房は江府の物奉行、貞眞は右筆頭、長孝は能方、則賓は馬廻として在勤中で、当日は物頭・留守居助を仮に務めたとの各注を持つ。十六日、家斉は本多豊前守正意、家慶は森川紀伊守儀知を上使として芝邸へ遣わし、重豪へ結紬を各十巻・五巻賜った。遠山美濃守友壽が代受し、番頭を両上使の邸へ、留守居を若年寄・表方使者の御側衆邸へ遣わして謝礼した。斉興・斉宣の拝賜献品は各譜に載せると結ぶ。長孝の通称の前字は留保し、各贈答の数量を合算しない。

登場人物
島津重豪、家斉、家慶、御臺様、御簾中、勅使広橋胤定・山科忠言、院使日野資慶、四本孫左衛門兼房、池田次郎兵衛貞眞、留守居助長孝、米良仲之丞則賓、本多豊前守正意、森川紀伊守儀知、遠山美濃守友壽、島津斉興・斉宣
宛先
記事(宛先記載なし)
キーワード
重豪譜二月二十七江府三月朔家斉左大臣家慶内大臣五日四本兼房池田貞眞本丸西丸太刀一腰馬代金一枚長孝米良則賓時鯛一箱御臺御簾中仮物頭留守居助十六上使本多正意森川儀知結紬十巻五巻遠山友壽代受番頭留守居謝恩斉興斉宣各譜
追録8-No.29申渡書旧記雑録暫定版確認度 中

島津久浮申渡書

島津伊勢久浮が、霊龍院の位牌再安置と瑞輪寺・大圓寺の供養や寄附の取扱いを伝えた申渡書。瑞輪寺の火災後は屋敷から遠いため再興せず大圓寺へ置いていたが、瑞輪寺にも位牌一基を再び安置し、以前の祠堂銀百枚に加えて金百両を寄附するとする。貸付運用の利息によって月牌・遠忌などの法事を寺役で行い、内々に白銀五枚を贈り、番頭を御代参させる。盆の水向料は銀二枚、灯籠一対を付け、塔頭恵遠院には墓所掃除等の費用として米五石を毎年納める。従来の恵遠院への供養・修理等の扱いは改めない。一方、大圓寺に置く位牌は矢張只今までのとおりとし、仏餉米二十石は取りやめ、代わりに仏餉料として新たに銀百枚を寄附し、法事を行わせて御代参は要しない。五廟以前の遠祖の位牌には香奠銀三枚を納めるが、大圓寺には直接参詣した折に拝礼し、瑞輪寺には遠忌に代参を出す扱いを区別し、毎年の盆には特別の思し召しで当番頭を代参させる。十一月付で、包紙は同月十三日に川上孫左衛門の取次で上村休兵衛へ渡されたことを記す。

登場人物
島津伊勢久浮、霊龍院、川上孫左衛門、上村休兵衛、当番頭・住持
宛先
宛先記載なし(末尾は御記録奉行への伝達を指示)
キーワード
霊龍院、瑞輪寺、大圓寺、位牌再安置、祠堂銀、金百両、米五石、米二十石、仏餉料、御代参、当番頭
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 362-1送状・兵站文書旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

浦水手送状

『平田宗直加子立曳付』所収、十一月二十二日の浦水手送状。茂兵衛尉・喜左衛門・利兵衛尉・孫左衛門を船頭として掲げ、作左衛門以下の水手を列記する。小浦から立てた合計三十一人の浦水手を受け取るよう、永山覚兵衛尉・三原源右衛門へ命ずる。

登場人物
茂兵衛尉 喜左衛門 利兵衛尉 孫左衛門 作左衛門 神右衛門 作十郎 正九郎 久太郎 孫三郎 新左衛門 弥兵衛尉 清介 米千代 宇兵衛尉 助左衛門 休作 四兵衛尉 休三郎 弥作 助作 休兵衛尉 けさ 弥吉 助太郎 吉介 休次郎 与兵衛尉 孫九郎 太郎吉 次郎 永山覚兵衛尉 三原源右衛門
宛先
永山覚兵衛尉・三原源右衛門
キーワード
浦水手 三十一人 船頭 小浦 平田宗直加子立曳付
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 368-3送状・兵站文書旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

飯米賦渡送状

茂兵衛尉の五枚帆一艘、喜右衛門・利兵へ尉・孫左衛門の四枚帆各一艘について飯米を記す。最初の三艘は水手各八人に赤米各一石二斗、孫左衛門の船は水手十人に一石五升と記載する。十一月二十三日以後二十日分、一人一日七合五勺の海上飯米を片浦で渡したので、到着後も算用に従い支給するよう伝え、小浦から出水へ出船させた旨を記す。

登場人物
茂兵衛尉 喜右衛門 利兵へ尉 孫左衛門
宛先
なし(当該枝番内に宛所記載なし)
キーワード
飯米 七合五勺 二十日 小浦 出水 水手
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 370-1送状・兵站文書旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

飯米賦渡送状

『平田宗直銀米払方留帳』に対応する十一月二十三日の送状。主取茂右衛門尉・喜左衛門・利兵衛尉の三艘は各水手八人・赤米一石二斗、孫左衛門の四枚帆は水手七人・赤米一石五升と記す。小浦から出水へ遣わす人衆乗船の飯米として、同日以後二十日分を一人一日七合五勺の算用で渡すよう、三原源左衛門・永山覚右衛門へ命ずる。

登場人物
茂右衛門尉 喜左衛門 利兵衛尉 孫左衛門 三原源左衛門 永山覚右衛門
宛先
三原源左衛門・永山覚右衛門
キーワード
飯米 小浦 二十日 七合五勺 三原源左衛門
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 375-6覚書・船舶調達旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

覚書

十一月二十四日、荷方八端帆一艘に笘三十帖を付け、天草一乱のため公儀へ借り上げた覚書。船主を筑後の久二郎と記し、片浦で宮原傳兵衛尉に伝えた際は小湊の孫左衛門の船とされたが、庄屋佐藤大炊左衛門が小湊船ではなく筑後の久太郎の船だと述べたため、後日確認することとする。船手は秋目から立てた加子十一人、主取は太兵衛尉と付記する。

登場人物
筑後久二郎 筑後久太郎 宮原傳兵衛尉 孫左衛門 佐藤大炊左衛門 太兵衛尉
宛先
なし(覚書)
キーワード
公儀借上 船主確認 八端帆 笘三十帖 加子
旧記雑録拾遺 著作史料集6-文書ID C::57文書旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

犬追物手組

永正十二年閏二月三日の犬追物手組。島津四郎殿十二疋、島津又四郎三疋、島津二郎五郎十三疋などの配当を記し、検見を島津近江守殿、喚次を島津孫左衛門尉とする。

登場人物
島津四郎殿、島津又四郎、島津二郎五郎、本田三郎次郎、島津近江守殿、島津孫左衛門尉ほか
宛先
宛先なし(手組)
キーワード
犬追物手組、犬追物、手組
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 264-3記事旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

記事

二十九日、富岡城代三宅藤兵衛が城附の侍・手勢百人を率いて天草一揆鎮圧に出陣し、即日帰城した記事。配下の侍を列挙し、本渡方面への陣取り、伴天連二人の捕縛、村々の捜索と火刑・籠舎に及ぶ処置を記す。

登場人物
三宅藤兵衛、津田五郎助、樋賀孫左衛門、古橋庄助、田代七郎左衛門、宮司宗朴
宛先
なし
キーワード
記事、三宅藤兵衛、富岡城、天草一揆、本渡、伴天連、捕縛
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 363帳簿・船賦旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

平田宗直船賦帳 船賦出船申付状

片浦から出す五枚帆二艘・四枚帆二艘(各水手八人)の主取・加世田衆中上乗を記す。続いて小浦から出す五枚帆一艘・四枚帆三艘(水手八人・八人・七人・八人)の主取と上乗を列記する。さらに船頭太兵衛尉の八端帆一艘(船頭・水手十一人、上乗なし)を小松原から出すよう命じ、この船は肥前商人から借り、積んだ「しやうのう」を下ろして出水へ向かわせると付記する。

登場人物
平田宗直 壱岐 大迫久左衛門 蔵右衛門 唐仁原隼人佐 森田与三左衛門 弥九郎 久松四郎右衛門 茂兵衛尉 森田八左衛門 利兵衛尉 野田内蔵丞 宇多与左衛門 孫左衛門 太兵衛尉
宛先
なし(帳簿記事)
キーワード
船賦 五枚帆 四枚帆 八端帆 借船 肥前商人 しやうのう
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 368-2帳簿・船賦旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

船賦出船申付状

片浦から出す五枚帆一艘・四枚帆三艘(水手計三十二人)と、小浦から出す五枚帆一艘・四枚帆三艘について、船主・上乗・主取を列記する。さらに小松原三人・小湊三人の加子六人をそちらの船に早く乗せ、残る十一人は片浦から送ると伝える。十一月二十三日、小湊庄屋佐藤大炊左衛門宛。六人は商買船に雇われ小浦へ来ているが、船は他国船なので加子だけを小湊船へ乗せると付記する。

登場人物
唐十郎 大迫休左衛門 蔵右衛門 唐仁原隼人佐 壱岐 森田助太郎 森田与左衛門 市右衛門 大蔵 久松四郎左衛門 弥九郎 森田正左衛門 森田八左衛門 茂兵へ尉 喜右衛門 野村内蔵丞 助兵衛尉 宇多与左衛門 利兵へ尉 弥兵へ尉 孫左衛門 弥左衛門 平兵衛尉 惣左衛門 善七 半七 そう佐 佐藤大炊左衛門
宛先
小湊庄屋 佐藤大炊左衛門
キーワード
船賦 船主 上乗 主取 加子 他国船 佐藤大炊左衛門
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 371帳簿・船賦旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

平田宗直船賦帳 船賦出船申付状

『平田宗直船賦留』所収の出船指示。十三端帆三艘・十一端帆二艘・十端帆一艘・六端帆一艘の船頭・水手数と上乗を列記する。鹿児島町太兵衛尉の六端帆船は大坂への商買帰りに片浦へ来ており、他の運賃船も上米の積込を終えながら順風がなく滞在していると説明する。天草出兵の人衆乗船として米を積んだまま出水へ出すこと、残る運賃船にも同様に出船を命ずることを記す。

登場人物
菊野少五郎 五郎左衛門 山下九兵衛尉 吉左衛門 本田弥八郎 惣次郎 野村治部左衛門 孫左衛門 大窪大蔵助 喜左衛門 太兵衛尉 春成利介 休次郎
宛先
なし(帳簿記事)
キーワード
船賦 運賃船 七艘 上米 順風 出水
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 145-6取払帳旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

小原織部取払留

小原織部の取払帳。上津浦で伊地知重政付衆七人へ振舞った白米一升七合五勺、米之津・上津浦で買った塩四俵・鯛・さうち魚の代米を品目別に記す。末尾の『下文ハ二月十一日に載す』は参照注で、B列へ補入しない。

登場人物
小原織部、伊地知重政付衆、前田彦左衛門、野津安右衛門、村田郷左衛門、高木孫左衛門、白坂小介、御道具衆一人、長野正右衛門
宛先
宛先なし(小原織部取払帳)
キーワード
小原織部、取払帳、上津浦、米之津、振舞七人、白米、塩四俵、鯛、さうち魚、買物、二月十一日参照
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w2:25-1系図旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

伊地知将興証文

元文四年三月二十四日、秩父十郎右衛門将興が伊地知真学へ出した証文。雅楽助に実子がなく断絶した家の名跡について、願いにより相続・系譜への編入を許可する。渕之上家は当方と由緒があるため、伊地知へ改姓する件も別紙で差し出したと記す。続いて山城守・主税助・丹後守・雅楽助・渕之上清右衛門以下の系図を掲げ、妻の出自、没年・法名、渕之上家の別立て、季昭・只右衛門・清右衛門・金蔵・藤吉・季庸・季朗らの系線を整理する。藤吉は前田万右衛門二男で季朗の養子となったこと、末尾に文政十二年九月十二日生の女子と母・増水嘉左衛門家の記事を載せる。

登場人物
秩父十郎右衛門将興、伊地知真学、雅楽助、山城守、主税助、丹後守、渕之上清右衛門、下田喜右衛門、窪田甚助、上杉庄兵衛、今村孫左衛門、伊地知季昭、清太郎、只右衛門、清右衛門、万治季近、金蔵、藤吉、季庸、季朗、前田万右衛門、枦山長之丞、渕之上岩右衛門、増水嘉左衛門
宛先
伊地知真学殿
キーワード
伊地知将興証文、元文四年三月二十四日、秩父十郎右衛門将興、伊地知真学、雅楽助、無実子、家断絶、名跡再興、相続許可、系譜編入、渕之上家、伊地知改姓、由緒、別紙、伊地知季昭、万治季近、養子、妻の出自、法名、系図
追録1-No.1510記事旧記雑録暫定版確認度 高

綱貴帰国す

綱貴は同年八月十六日に江戸を発ち、家老町田忠代・使役平山忠知・鎌田政辰らと東海道を下る。勢州関で腹痛のため滞留療養し、九月四日に伏見、十六日に大坂から出船、十月十四日に出水脇元、十九日に船間島を経て二十二日に鹿城へ入る。禰寝孫左衛門清賢を帰国礼使として東都へ遣わし、白綸子二十巻・干鯛一箱・するめ(原字鰑形)一箱・御樽一荷を献じる。清賢自身も太刀・馬代・時服三を献じ、時服五を賜る。

登場人物
島津綱貴、町田忠代、平山忠知、鎌田政辰、禰寝清賢、徳川家綱
宛先
—
キーワード
綱貴、町田忠代、平山忠知、鎌田政辰、東海道、勢州関腹痛、伏見、大坂、脇元、船間島、鹿城、禰寝清賢、帰国礼使、白綸子二十巻、干鯛一箱、鰑形するめ一箱、樽一荷、清賢太刀馬代時服三、時服五拝領
追録1-No.2385-1記事旧記雑録暫定版確認度 高

綱貴、尚益に諸品を贈る

島津綱貴が禰寝孫左衛門清雄を琉球仮亭へ遣わし、佐鋪王子尚益に馬・宇治茶・白銀五百両・蠟燭・奉書・銅・干鯛・昆布などを贈ったことを記す記事。

登場人物
島津綱貴、尚益、禰寝清雄
宛先
—
キーワード
島津綱貴、尚益、禰寝清雄、琉球仮亭、馬、宇治茶、白銀五百両、蠟燭、奉書、銅、干鯛、昆布、贈答、記事
追録4-No.2054系譜記事旧記雑録暫定版確認度 中

継豊の弟忠通の出生と小松家・島津家の継承

継豊の弟忠通は安之助と称し、延享元年十二月六日に近藤嘉包の娘を母として生まれた。後に禰寝孫左衛門清香の養子となり小松を名乗り、宝暦六年二月二十一日に禰寝家を離れ、島津因幡忠郷の後嗣となったことまで系譜的に記す。

登場人物
島津忠通、島津継豊、近藤嘉包、禰寝清香、島津忠郷
宛先
—
キーワード
島津忠通、安之助、出生、十二月六日、近藤嘉包、禰寝清香、小松、宝暦六年、島津忠郷
追録5-No.1760家老首尾書旧記雑録暫定版確認度 要確認

高橋種寿在国家老首尾書

高橋縫殿種寿が十一月二十五日、江戸二家老へ国目付二名の国元での旅宿と見分の準備を相談する。春屋内の旅宿を御用掛相良彌一兵衛・宮之原宇右衛門らと調え、加治木屋敷・禰寝孫左衛門屋敷も候補としたが、作事に時間がかかり、来る正月末から二月初めの出立予定に備えて早い指示を求める。享保二年の巡見使以来の先例を挙げ、芹ヶ野・山ヶ野金山の見分、酒谷山・福山・加納などの居曲を通るか、御通路と当番の人数を問い合わせる。大坂から赤間ヶ関までの船中里数・道中記・船中記を送るよう求め、旅宿が早く調っても続報すると伝える。

登場人物
高橋縫殿種寿
宛先
島津主鈴・伊集院十蔵
キーワード
国目付、春屋旅宿、作事、金山見分、通路、船中里数
追録5-No.1790記事旧記雑録暫定版確認度 要確認

継豊、国目付両使ヲ厚遇ス(記事)

国目付の二使への接遇を記す記事で、正月二十二日の禰寝孫左衛門の若年寄への改称、二十五日の芝邸での二使饗応を述べる。二使は四月五日に出立して五月二十三日に鹿府へ着き、継豊・忠洪からそれぞれ太刀一腰・馬代金一枚・二種各千疋などを贈られた。六月には登城、先公小祥での福昌寺進香と接伴を受け、七月以降は谷山・城南の士街・寺院・家老の屋敷・桜島などを見分し、十一月十六日に府城を辞して帰路に就いた。末尾には十一月八日の伊集院織部久東の死去と、十二月四日の樺山左京久智の家老任命・菱刈孫兵衛實忠の大目付任命を添える。

登場人物
原注引載の御傳
宛先
記載なし
キーワード
国目付二使、下国、接遇、贈物、見分、伊集院久東死去
旧記雑録拾遺 著作史料集5-文書ID B:37文書旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

比志島範房覚月之五節供之事並諸士

享保二十年十一月、年男の選任と連名順についての覚。服喪で辞退した祢寝孫左衛門の代わりに義岡左平太を命じ、伊勢兵部との連名は通常の役職順によらず、御名字の者を先に記すとする。年男は表と内から選ぶが、番頭から必ず出すものでも両人の一方を必ず御名字の者にするものでもなく、家格だけで決めない重い勤めだと説明する。

登場人物
比志島範房、来辰年之御年男祢寝孫、市太夫、向後左、線州
宛先
右之跡今一人誰、市太夫、義岡左平太、向後左、線州、表御家老中、表方
キーワード
比志島範房覚月之五節供之事並諸士、役職・人事、目録・所蔵、伊勢
旧記雑録拾遺 著作史料集5-文書ID D:188文書旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

伊地知重延外三名連署状

正保二年二月六日付の火災報告。正月六日朝、八日町の竹内孫左衛門方から出火したと伝える。町の人々が外出していて消火が行き届かず大火となったため、その被害を知らせる。

登場人物
伊地知重延外三名、八日町竹内孫、御存知之、伊杢右、十二月八日称豪院領主
宛先
御存知之、伊杢右
キーワード
伊地知重延外三名連署状、寺社・宗教、儀礼・贈答、災害・普請