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『旧記雑録』前編・後編・附録10冊と追録1~8(暫定版)、『旧記雑録拾遺 伊地知季安著作史料集1~9』『家わけ1』(暫定版)、関連史料(外伝)『島津世禄記』の46,754件を横断検索できます。検索範囲は史料群・巻を組み合わせて選べます。結果は50件ずつ表示します。

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136 件 (全巻)/ 1–50件を表示

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追録8-No.985-3旧妙谷寺境内の墓守と掃除を草牟田墓守に兼帯させる達旧記雑録暫定版確認度 中

知政所達書(墓守)

旧妙谷寺境内にある二岳公の御六男・桂山君の墓と、伊邇色御墓について、草牟田の御墓守に兼帯させ、掃除等は同所の人足に勤めさせるよう命じる。草牟田御墓守へ申し渡し、関係向々にも知らせる。明治三年閏十月知政所。

登場人物
知政所、草牟田御墓守、同所人足、二岳公御六男桂山君、伊邇色御墓の関係者
宛先
草牟田御墓守および関係向々
キーワード
旧妙谷寺境内、二岳公御六男、桂山君御墓、伊邇色御墓、草牟田御墓守、兼帯、掃除、同所人足、閏十月
追録8-No.1019-1複数の御墓所の名称を定め直す達旧記雑録暫定版確認度 中

知政所達書(御墓所改称)

芝伊皿子大円寺御墓、月見御墓所、白金瑞聖寺御墓、白金台御墓所、麻布古川曹渓寺御墓、古川御墓所について、掲げる名称へ召し替えるよう命じる。辛未三月十八日知政所。

登場人物
知政所、御墓所管理者
宛先
御墓所管理関係者および関係向々
キーワード
御墓所改称、芝伊皿子、大円寺、月見御墓所、白金瑞聖寺、白金台、麻布古川曹渓寺、古川御墓所、三月十八日
追録8-No.949墓所を旧寺号から各地名で称するよう定める達旧記雑録暫定版確認度 中

旧寺号で呼んでいた墓所を清水高山草牟田長谷場等の地名呼称へ改める

通達留。旧本立寺墓所を清水、旧興國寺を高山、旧隆盛院を草牟田、旧福昌寺を長谷場西、旧恵燈院を長谷場東、旧深固院を長谷場北、旧浄光明寺を上之原、旧南林寺を大門口、旧壽國寺を武、旧良英寺を田之浦の御墓と称する対応を列記する。旧大乘院内鍋休丸様の御墓は清水城下御墓とする。従来は寺号で呼んでいたが原「都而被廢付」と述べ、以後は各地名で呼ぶ旨を伝える。明治三午正月知政所。十一対応の呼称変更を保持し、遺骸の移葬や墓地造成・現在地の特定、廃寺完成数を補わない。

登場人物
知政所、鍋休丸様(旧大乘院内御墓の原名)、関係向々
宛先
承知すべき関係向々
キーワード
原949通達留旧本立清水興國高山隆盛草牟田福昌長谷場西恵燈長谷場東深固長谷場北浄光明上之原南林大門口壽國武良英田之浦大乘院内鍋休丸清水城下御墓寺号廃地名相唱明治三午正月
旧記雑録拾遺 著作史料集5-文書ID F:249-1文書旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

惟宗政公撰加藤清風墓

加藤清風の墓誌銘。清風の家系、生い立ち、剣術の修業と諸流派・師匠との関係、武芸の評判、人柄と没年を述べる。

登場人物
惟宗政公撰加藤清風墓、自諸貴、初日半、臣秀頼、惟宗政
宛先
家千、二年壬戊十二月二日生於武
キーワード
惟宗政公撰加藤清風墓、寺社・宗教、軍事・武具、目録・所蔵、肥後
追録6-No.1501碑文・題記旧記雑録暫定版確認度 中

太夫人島津氏の墓表と、山本正誼の碑陰文

題は太夫人島津氏墓表で、題の八字は本文の列にまたがって大字で掲げられる。既に葬ってから三十三年として、子の懋昭が墓表を立てたと記す。太夫人は諱都美、島津氏、右馬頭忠将の後裔で、家は代々垂水を領し麑府に居住した。父の名は貴儔、自称備前、老いて自号靜山翁、太夫人はその嫡女とする。先君に嫁いで二年で没し、延享二年十一月七日、十九歳、法名は正覺院殿貞範妙雅大姉、墓は隅州加治木の長年寺にあると記す。祖夫人から聞いた人物評として、温恭慈恵、上に仕え下を慈しみ、平居幽閑で言笑を慎み、操縵・書札を好み、世俗の紛華を好まなかったことを載せる。男子は懋昭一人で、母の没時には生まれて才二日だったと記す。その後の嗣位襲封と、母の慈顔を知るに及ばなかった悲しみを述べ、安永六年丁酉十一月朔日、男・従四位上中将薩隅日三州守兼領琉球国源懋昭記と署す。近侍掌務臣山田明遠が薫沐拜書したと記す。続く碑陰文は、墓表を作った公が知学事臣山本正誼に碑の陰を書かせたものとし、夫人は圓德公の元配で、公が初め公族島津久季の嗣となったためその邑加治木へ葬られたと説明する。公が爵を襲った後、夫人の主を福昌寺祖廟へ祔し、諸侯の礼で祭ったことを、母以子貴の義として述べる。末は安永六年歳次丁酉冬十一月癸亥、知学事臣山本正誼謹記。編者注は原碑による補入、原碑文十行と篆字の区別を示す。

登場人物
太夫人都美、右馬頭忠将、島津貴儔(備前・靜山翁)、源懋昭(重豪、御譜表示との対応)、山田明遠(近侍掌務臣)、山本正誼(知学事臣)、圓德公(原呼称)、島津久季
宛先
独立宛所記載なし
キーワード
太夫人島津氏墓表、都美貴儔嫡女・靜山翁、延享二年十一月七日・十九歳正覺院、子懋昭生才二日、墓長年寺、十一月朔源懋昭記山田明遠書、碑陰十一月癸亥知学事山本正誼記・圓徳元配久季嗣加治木葬福昌主祔
前編2-No.2287文書確認度 高

石谷梅久墓誌銘文

石谷梅久が萩別府で戦死した経歴、実久方での活動、伊賀守から梅久への改名、法名心傳中空と没年月日を記した墓誌銘文。

登場人物
石谷伊賀守梅久、島津実久、町田氏、肥後助西
宛先
—
キーワード
石谷梅久、墓誌銘文、萩別府、戦死、島津実久、心傳中空、天文五年
後編5-No.1098文書確認度 中

島津家久願文

病気平癒のため、法花嶽薬師へ知行百石を寄進し薬師の法三万座を修すること、又八郎を名代として三之宮へ参詣し馬を寄進すること、鵜戸への名代参詣、会木にある頼朝墓の再興、清水の墓所に守りを立てることを誓願した。

登場人物
島津家久(願主)
宛先
祈願先(法花嶽薬師・三之宮・鵜戸・頼朝墓・清水墓所)
キーワード
島津家久、願文、病気平癒、法花嶽薬師、百石、薬師の法三万座、三之宮、又八郎、御馬寄進、鵜戸、会木、頼朝墓、清水墓所、十月二十三日
追録2-No.1791文書旧記雑録暫定版確認度 中

島津綱貴墓誌銘

島津綱貴の墓誌銘。綱貴を大玄院殿薩隅日三国主兼領琉球国源公昌道元新大居士と記し、羽林中郎将の官途と薩摩・大隅・日向三国および琉球国の領主であったことを示す。

登場人物
—
宛先
—
キーワード
島津綱貴、墓誌銘、大玄院殿、昌道元新大居士、羽林中郎将、薩摩国、大隅国、日向国、琉球国、領主、綱貴公御譜
追録3-No.1996文書旧記雑録暫定版確認度 中

墓石并葬礼定法

墓石塔の高さと代銀、寄合の取扱い、井垣や棺等の葬礼用具の寸法・代銀を定める。石切・棺屋など関係者に規格と手順を申し渡し、定めと異なる取扱いをしないよう指示する。

登場人物
宮之原甚大夫、種子島久基
宛先
石切・棺屋等
キーワード
墓石、葬礼、石塔、井垣、棺屋、代銀、規格、定法
追録6-No.1356記事旧記雑録暫定版確認度 中

重豪の女厚姫―芝邸での出生と後の天亡・法号・墓

安永五年丙申三月十五日、市田氏が芝の邸で女子を産み、厚姫と称したと記す。続いて七年戊戌六月十三日に天亡したこと、法号を翠黛院殿松屋惠吟大禪童女とすること、惠燈院と江府大圓寺に墓を建てたことを記す。

登場人物
厚姫、重豪(目録の父)、市田氏(母)
宛先
記載なし(誕生・没の記事)
キーワード
厚姫、母市田氏、芝邸、安永五丙申三月十五日出生、七年戊戌六月十三日天亡、翠黛院殿松屋惠吟大禪童女、惠燈院江府大圓寺墓
追録6-No.1424系譜旧記雑録暫定版確認度 中

重豪の娘於克の出生・夭亡と福昌寺の墓

齊宣公御妹の於克について、安永五年丙申十一月十日に鹿児島で生まれ、母は堤代長卿の女と記す。於克にはカツという読みの注がある。七年戊戌五月三日に夭亡し、法号を蓮心院殿清質妙香大禪童女とし、福昌寺に墓を建てたことを載せる。

登場人物
於克(カツの注)、齊宣、重豪、堤代長卿の女(母の原記載)
宛先
独立宛所記載なし
キーワード
齊宣公御妹於克カツ、安永五丙申十一月十日鹿児島生、母堤代長卿女、七戊戌五月三日夭亡、蓮心院殿清質妙香大禪童女、福昌寺墓
追録6-No.1502碑文・題記旧記雑録暫定版確認度 高

正覺院殿墓道の側に公が置いた石盥盤の記

正覺院殿の墓道の側に石盥盤を設け、公が置いたものと記す。安永六年歳次丁酉十一月七日、臣山本正誼謹記。

登場人物
山本正誼、公(本文呼称)、正覺院殿
宛先
独立宛所記載なし
キーワード
正覺院殿墓道側石盥盤公所置、安永六丁酉十一月七臣山本正誼謹記
追録6-No.1522記事旧記雑録暫定版確認度 中

於陽(牧姫の併記)の誕生、同母関係と夭亡・墓所

齊宣公の妹女子として於陽を掲げ、その脇に牧姫と併記する。安永七年戊戌正月十四日に江府で生まれ、母は家臣市田氏、茂姫と同母と記す。続けて、天明四年甲辰七月二十九日に夭亡したと載せるが、小注では二十六日を忌日とするとあり、没日と忌日が異なる。法号は芙蓉院殿に続いて牧・知玉大禪童女を含むが、牧の次の一字の判読は留保する。惠燈院と江府大圓寺に墓を建てたと記す。

登場人物
於陽(原に牧姫を併記)、齊宣、茂姫、母の家臣市田氏(名記載なし)
宛先
独立宛所記載なし
キーワード
正月十四日江府誕生、母市田氏・茂姫同母、天明四年七月二十九日夭亡、二十六日忌日小注、惠燈院・江府大圓寺墓
追録7-No.965系譜旧記雑録暫定版確認度 高

大信公女子富姫の出生・死去・法号・墓所

大信公御子、女子富姫を掲げる系譜抄。文化5年戊辰10月6日、江府で生まれ、母は松平藤十郎の家臣谷周右衛門政相の女とする。八年辛未正月8日に死去し、法号は麗岱院殿紅露雪顔童女、墓は惠燈院・大圓寺に建つと記す。八年の年記は、文化5年から続く記事の文化8年と読む。父の呼称は抄の大信公を保持し、母の家臣関係、出生地、死亡年次と法号・墓所を分けて採録する。

登場人物
大信公、女子富姫、松平藤十郎、家臣谷周右衛門政相、その女(富姫母)
宛先
独立宛名なし(大信公御子の抄)
キーワード
大信公御子、女子富姫、文化五年十月六日江府生、松平藤十郎家臣谷周右衛門政相女、文化八年辛未正月八日死去、麗岱院殿紅露雪顔童女、惠燈院大圓寺墓
追録7-No.1151記事旧記雑録暫定版確認度 高

重豪御譜(内証千万の死去と芝・福昌寺の墓)

重豪公御譜中。堤氏は千万と称し格式は内証、堤前中納言代長の女で斉宣の生母との注を付す。以前から舊腦と記す持病を患い医薬が効かず、今茲6月14日、江戸高輪邸で卒、65歳。後に13日を忌日としたとの注も掲げ、死亡日を13日に書き替えない。法名春光院殿心月清涼大姉。17日芝大圓寺で葬り、家老川上右近久芳が木主を持ち、同寺に墓・木主を置いた。秋9月26日、遺髪を本府福昌寺へ帰葬し、ここにも墓と木主を設ける。斉宣譜中に詳載との注。病状の掲載語、年齢、葬地と遺髪帰葬を保持し、現代病名を診断せず、木主を遺体と混同しない。

登場人物
堤氏(千万・内証の呼称)、堤前中納言代長(掲載注)、斉宣、川上右近久芳
宛先
独立宛名なし(重豪公御譜中)
キーワード
千万内証堤氏斉宣生母、堤前中納言代長女注、舊腦持疾医薬不効、六月十四高輪卒六十五後十三忌日、春光院殿心月清涼大姉、十七芝大圓寺川上久芳木主墓、九月廿六福昌寺遺髪墓木主
追録7-No.1306記事旧記雑録暫定版確認度 高

重豪・斉興が師久・勝久の墓地を定める記事

重豪公御譜中、斉興公御譜にも載る。六代主定山公師久・十四代主大翁公勝久の墳墓が廃れて詳らかでなく久しく憂えていたため、本年冬10月5日川内隈之城郷称名寺を定山公の墓地とする。氏は家をいうとの注。明年11月25日に宗久公廟中(向田仮館の側、称名寺領地の注)へ定山公石塔を再建し、斉興は若年寄島津相馬久謨を仮に家老役として派遣、大官香1把を献じ代拝させる。重豪も久譜を遣わし同じ品を献じ拝させる。また城下隆盛院を大翁公の墓地とし、越明年10月18日に同寺へ石塔を再建、家老島津安房久備を遣わし大官香1把で同様に拝させる。重豪が老いても志があったための挙と評する。文化10年は目録による。墓地選定と翌年・翌々年の再建追記を分け、亡失墓の実位置を発見したとはしない。

登場人物
重豪、斉興、六代主定山公師久、十四代主大翁公勝久、宗久公、若年寄島津相馬久謨、久譜、家老島津安房久備
宛先
独立宛名なし(重豪公御譜・斉興公御譜にもあり)
キーワード
定山師久六代大翁勝久十四代墓不詳、文化十冬十月五称名寺墓地、明年十一月廿五定山塔宗久廟・久謨代家老久譜香一把、隆盛院越明年十月十八大翁塔久備香一把
追録8-No.315-3石棺蓋銘(斉興招魂墓の銘文)旧記雑録暫定版確認度 中

国許で薨去した斉興の招魂墓と天璋院・親戚の親書奉納を記す石棺蓋銘

朱書の口裏注を伴う「御石棺蓋銘」。前三州太守従三位参議源朝臣斉興の招魂墓であると記し、斉興は国許で薨去したためこの寺には牌位を納めるのみであったと述べる。斉彬の薨去時に大樹の太夫人天璋君の孝思によって招魂墓を立てた先例を挙げ、今回の斉興の墓も天璋君の追悼によるとする。天璋君が書いた梵経と、その他の庶子・親戚の親書数巻を納めることを記す。右一通也の表示があり、本文に年月日を記さない。

登場人物
源朝臣斉興(前三州太守従三位参議)、斉彬、大樹の太夫人天璋君、庶子・親戚
宛先
宛先なし(銘文)
キーワード
御石棺蓋銘、斉興招魂墓、薩隅日三州太守、従三位参議源朝臣、国許薨去、牌位、斉彬招魂墓先例、天璋君孝思追悼、親書梵経、庶子親戚親書数巻、右一通也
追録8-No.877-7寺院全廃との誤解と寺地への粗暴な振舞を戒める達旧記雑録暫定版確認度 中

御前の神祭と城内護摩所等撤去を寺院全廃と誤解する者に、先代墓所位牌と崇敬を挙げて心得違いを戒める

御前の逝去に伴い神祭とし、その後城内の護摩所・看経所等を撤去したところ、寺院すべてが廃されたと受け取ったのか、近頃寺地へ踏み入り粗暴に振舞う者がいると聞こえる旨を述べる。寺院には先代の墓所・位牌等を置き崇敬してきたため、興廃を軽率な心得で扱い、先霊への対処が整わないことを戒める。今後このような心得違いがないよう早く関係先へ知らせるよう求める。六月五日、知政所。伝聞と達の評価を区分し、寺院全廃を実施済みの命令とせず、個別寺院や行為者名・件数は補わない。

登場人物
知政所、御前、御先代、寺地へ粗暴に振舞うと聞こえる者、関係向々
宛先
関係向々
キーワード
原877の7御前逝去神祭城内護摩所看経所取除寺院悉廃誤解伝聞寺地粗暴先代墓所位牌崇敬興廃先霊心得違戒六月五日知政所
追録8-No.885-1中元盂蘭盆会を禁じ祖先祭を仲春仲冬二度とする達旧記雑録暫定版確認度 中

領国中の中元盂蘭盆会を禁じ、二月四日以後と十一月中の卯日以後に各家が祭日を選ぶ祖先祭・墳墓管理を定める

通達留。吟味により中元盂蘭盆会を領国中一同禁止し、祖先祭祀は仲春・仲冬の二度に行うよう、神社奉行と関係先へ漏れなく伝えることを求める。仲春の祭は二月四日以後、仲冬の祭は原「十一月中ノ卯ノ日」以後に各家が祭日を選ぶ。祭式が分からなければ神社方へ尋ね、各人が自ら心得て行い、墳墓の取始末も十分行き届くよう求める。朱明治二年己六月廿五日、知政所。中元盆会の禁止と祖先祭継続・祭日選択・墓の管理を区分し、原暦日を現代日付に換算せず、全家の実施済み結果・人数は補わない。

登場人物
知政所、神社奉行、各家、祭式不案内者、関係向々
宛先
神社奉行、関係向々・領国中の各家
キーワード
原885の1通達留中元盂蘭盆会領国中禁止祖先祭祀仲春仲冬両度神社奉行仲春二月四日已後仲冬十一月中卯日以後各家祭日選祭式不案内神社方尋各人心得墳墓取始末朱明治二年己六月廿五日知政所
追録8-No.947-4執政と神事調役の職掌を記す職制書抄旧記雑録暫定版確認度 中

執政の朝政紀綱神事惣判諸官統領と、神事調役の神社陵墓祭典議処を記す

執政は朝政を奉体し、紀綱を主持し、神事を惣判し諸官を統領すると記す。神事調役は藩内の神社・陵墓・祭典等の事を議処する職掌を掲げる。本文に日付署名・個別氏名・官等はなく、目録は明治三年正月。No.947の3の職制変更通知と対応する内容として参照し、この欄へ五等官等の数字や任命者を補わず、別紙全文を所収したとも断定しない。

登場人物
執政、神事調役(個別氏名不記)
宛先
職制書抄(宛所不記)
キーワード
原947の4執政朝政奉体紀綱主持神事惣判諸官統領神事調役藩内神社陵墓祭典議処職掌日署官等氏名不記
追録8-No.1002-10十九日の照国・鶴嶺・龍尾神社と御墓参詣順路を定める達旧記雑録暫定版確認度 中

知政所達書(神社・御墓参詣)

十九日四ツ時に供揃いし、麻袴を着用して中門・矢来御門から出発する。照国神社、鶴嶺神社、龍尾神社、上之原御墓、常安峯、長谷場西御墓を参詣し、北御門・櫻之間・中門を経て帰殿する順路を定める。辛未正月十八日知政所。

登場人物
知政所、参詣者、供奉者
宛先
供奉・門衛・参詣関係者
キーワード
十九日四ツ時、御供揃、麻袴、中門、矢来御門、照国神社、鶴嶺神社、龍尾神社、上之原御墓、常安峯、長谷場西御墓、北御門、櫻之間、正月十八日
追録8-No.1171旧知事の墓参順路を知らせ道路清掃を命じる達旧記雑録暫定版確認度 中

旧知事墓参の通行順路

旧知事が翌二十日に磯新道筋、永安橋、春日神社前、旧大龍寺馬場、龍尾神社、上之原御墓、内之丸筋、常安峯御墓、長谷場御墓等を巡る順路を知らせる。盛砂等は不要とし、道路を不潔にしないよう指揮を命じる。

登場人物
庶務課、旧知事、沿道担当者
宛先
通行経路沿道の担当者
キーワード
旧知事、墓参、磯新道筋、永安橋、春日神社、龍尾神社、上之原御墓、常安峯御墓、長谷場御墓、道路清掃
追録8-No.1213達書旧記雑録暫定版確認度 中

戊辰戦死者の墓参・祭典に遺族を出張させる達

戊辰の役で伏見・鳥羽・北越などで戦死した人々の墓参と祭典執行のため、県下から一般右人数を出張させる。戦死者家族のうち希望者は申し出るよう、三町区長と県下戸長へ命じる。

登場人物
鹿児島県令大山綱良、三町区長・県下戸長
宛先
戊辰戦死者の遺族
キーワード
戊辰の役、伏見、鳥羽、北越、戦死者、墓参、祭典、遺族、出張、三町区長、戸長
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w5:188-8墓所調査記録/家由緒旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

加世田浄福寺蒲地氏墓所調査記録

宝暦十一年、蒲地四郎左衛門貞留が、焼失した加世田浄福寺の再建に普請検者として赴いた際、同寺にある蒲地氏先祖の墓を調査した記録。浄福寺の戦亡帳を借り、蒲地帯刀・蒲地左衛門四郎・蒲地新三郎・蒲地越中の四名を確認し、暖土持十兵衛から忠国公下馬札後方の塚について聞き取った。本田用右衛門家が蒲地先祖の墓として花香を手向けてきたとの本田与市左衛門の証言を得て、野町源右衛門の案内で現地を確認し、荒れた墓を整えて道を設け、四霊位の菩提・月忌料として青銅一貫文を納めたことを記す。貞留自身の書留等とも照合できると付記する。

登場人物
蒲地四郎左衛門貞留、浄福寺三世了典和尚、蒲地帯刀、蒲地左衛門四郎、蒲地新三郎、蒲地越中、暖土持十兵衛、本田用右衛門、本田与市左衛門、野町源右衛門、島津忠国
宛先
—
キーワード
宝暦十一年、蒲地四郎左衛門貞留、加世田、浄福寺、焼失再建、普請検者、戦亡帳、蒲地帯刀、忠国公下馬札、墓所調査、本田与市左衛門、野町源右衛門、四霊位、青銅一貫文、月忌料
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:194墓碑・系譜資料旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

墓碑(平田三五郎)

財部にある平田三五郎の墓碑二基の碑面を写した資料。没年月日・享年などを刻む二つの碑面図を掲げ、延時氏文書十五枚を文政五年三月九日に財部地頭仮屋で本書から写した旨を付記する。

登場人物
平田三五郎
宛先
—
キーワード
墓碑、平田三五郎、財部、碑面、没年月日、延時氏文書、文政五年、財部地頭仮屋
旧記雑録拾遺 著作史料集8-文書ID W15_114書状・墓参準備旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

野村半五左衛門の悟性寺墓参準備書状

太守の近々の通行に際して悟性寺への墓参を予定し、先祖の墓と地頭方の首尾、寺の由緒に関する書付を整えるよう伝える。野村半五左衛門が三月付で寺側に申し送った書状。

登場人物
野村半五左衛門
宛先
悟性寺の関司衆中
キーワード
野村半五左衛門・悟性寺・墓参・太守通行・三月
旧記雑録拾遺 著作史料集9-文書ID W01_文書0001墓誌旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

小根占年寄池端君墓誌

小根占の旧年寄池端氏について、清貧で孝友を重んじた人物像、郷役・公務への従事、家族と居所、晩年の病没を叙した墓誌。居所の池端を称とした由来や、子女、郷内での評価を記す。

登場人物
池端君
宛先
—
キーワード
小根占、池端君、年寄、墓誌、清貧、孝友、郷役、家族
旧記雑録拾遺 著作史料集9-文書ID W01_文書0010墓誌旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

柳滴水野先生之招魂墓

三河の居合師水野重治(柳滴)は寛陽公(島津光久)に招かれ、鹿児島で門弟を教えた。萬治二年七月十八日に伏見で没した後、水野流の形成と平田宗浄らへの伝授を顕彰する招魂墓の文。

登場人物
水野重治(柳滴)、島津光久(寛陽公)、平田監物宗浄、椎原柴右衛門、米良隼人重住
宛先
—
キーワード
柳滴、水野重治、島津光久、居合、水野流、松原、平田宗浄、招魂墓
旧記雑録拾遺 著作史料集9-文書ID W06_文書0008-1墓所絵図旧記雑録拾遺暫定版確認度 低

専念寺墓所絵図

専念寺の墓所と卵塔の配置を描いた略図。本堂・門と墓所の区画、石塔の位置や番号を示し、忠元の母の墓所を探した際の位置関係を伝える。

登場人物
—
宛先
—
キーワード
専念寺墓所絵図、卵塔、本堂、門、墓所の区画、石塔の位置
旧記雑録拾遺 著作史料集9-文書ID W06_文書0010墓碑銘旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

聲貞閑一大姉墓碑銘

久仰が先祖の聲貞閑一大姉のために建てた墓碑の銘。大姉は周防守久友の娘で加賀守祐久の室となり、子女を生んだ。祐久に従って志布志へ移り、天文年間の騒乱では家人と田布施へ避難し、子の梅岳が十三歳で奉公を始めた。梅岳が国の柱石となって大口に住むと大姉も従い、六月廿一日に没して専念寺に葬られたという。墓石の式心門一大姉・家譜の門一房・神主の聲貞閑一大姉という法号の異同、旧碑の文字磨滅と子孫の継続を記し、安政三年の新碑建立を述べる。

登場人物
聲貞閑一大姉、周防守久友、島津加賀守祐久、次五郎右衛門忠佐、市来美作守家守、島津忠勝、忠元(梅岳)、新納久仰
宛先
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キーワード
聲貞閑一大姉墓碑銘、大姉の父と婚姻、子女、志布志から田布施への移住、忠元の奉公、母訓、法号の異同、旧碑の磨滅、新碑建立
旧記雑録拾遺 著作史料集9-文書ID W06_文書0011墓碑銘旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

聲貞閑一大姉墓碑銘

聲貞閑一大姉の墓碑の裏面銘。加賀守祐久の室で忠元の母であり、六月廿一日に没したが年は伝わらないと記す。碑の法号は式心門一大姉、家譜は門一房と異なるとし、昔から二斛を香資として寄進していたこと、長年で碑が壊れたため新たに建て、さらに香資を付したことを述べる。

登場人物
聲貞閑一大姉、島津祐久、忠元、新納久仰
宛先
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キーワード
聲貞閑一大姉墓碑銘、墓碑の裏面、卒日の記載、法号の異同、二斛の香資、旧碑の破損、新碑と祭祀料
追録6-No.1776記事旧記雑録暫定版確認度 中

重豪の花尾山権現社・墓所・平等王院参詣記事

重豪が閏五月十九日に花尾山権現社へ参詣し、太刀・馬代を献じた。続いて丹後局と永金阿闍梨の墳墓に詣で、平等王院で休息する。帰途、一宮大明神(鎮座地は原本注記に東俣村とある)に白銀一両を献じたことを『重豪君御譜中』から記す。

登場人物
島津重豪、丹後局、永金阿闍梨
宛先
該当なし(記事)
キーワード
島津重豪、花尾山権現社、丹後局、永金阿闍梨、平等王院、一宮大明神、東俣村、白銀一両
追録8-No.233墓所・石塔・骨の調査処置申渡旧記雑録暫定版確認度 中

久豊(義天)の墓所・石塔・掘出骨に関する調査と処置

八代久豊の墓所と「義天」銘石塔・掘出骨の調査を述べ、混同を防ぐ処置を命じる文書。久豊は応永三十二年正月二十一日逝去、法号を義天存忠大禪定門とするが葬地が明らかでなく、安永三年に穆佐悟性寺の義天塚と伝える場所から骨を納めた甕、香炉や鈴が見つかっても確証が得られなかったとする。天保十二年に義天の二字を刻む石塔と笠石が出たため、旧文書・古老の伝承等を調べた。久豊の鹿児島での葬儀・法事、福昌寺の卵塔や御石塔等から廟所を検討し、去る丑年には上村休兵衛・榎本新兵衛を遣わして絵図と古い墓地の情報を集めたと記す。一方、火葬と土葬、後世の埋葬、損傷して読めない文字、記録の乏しさ等を挙げて、石塔の由来と掘出骨の身元は分けて慎重に扱う。石塔の文字を磨り消して寺内へ埋め、別途石塔一基の建立を命じ、穆佐中で奉尊し祭式を入念に行う扱い、寺家への書付と後年紛れない保管を示す。寺社奉行・穆佐地頭は石塔の取扱いと場所を吟味して寺家へ伝え、書付を取り調べ申し出るよう求める。本文末は正月・豊後、外包は安政三年正月二十一日に上村休兵衛へ渡して白木御文書十番箱へ納めたと記す。

登場人物
八代久豊(義天存忠大禪定門)、太守(本文個人名不記)、豊後(末署)、御記録奉行、良甚太夫(字形留保)、上村休兵衛、榎本新兵衛、元祖忠久(恕翁)、光久(寛陽院)、伊東家の祐満(官途原語留保)、古老、寺社奉行、穆佐地頭、寺家
宛先
御記録奉行へ。後続書付を寺家・寺社奉行・穆佐地頭へ伝える旨
キーワード
八代久豊、義天存忠大禪定門、葬地疑義、穆佐悟性寺義天塚、骨甕香炉鈴、義天銘石塔笠石、安永天保調査、旧文書古老絵図、福昌寺卵塔、火葬土葬、骨同定慎重、刻字磨消寺内埋戻、別石塔建立奉尊祭式、寺家書付格護
旧記雑録拾遺 著作史料集8-文書ID W16_71調書抜書旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

福昌寺の石塔・墓所に関する照会

福昌寺の石塔を拜覧し、義天の字彫りや墓所の位置を調査する。寺社奉行への照会と報告を記す。

登場人物
寺社奉行、福昌寺関係者
宛先
寺社奉行
キーワード
安永3年8月11日・福昌寺・石塔・寺社奉行
旧記雑録拾遺 著作史料集8-文書ID W16_73-2書付旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

法華嶽寺八町坂の石塔・墓地照会

法華嶽寺八町坂の石塔について、銘書の有無と所在地を照会し、古来の墓地との関係を問い直す。次頁上段まで続く。

登場人物
法華嶽寺・寺社方関係者
宛先
寺社方関係者
キーワード
貞享4年7月3日・法華嶽寺・石塔
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w4:103法名書上・墓碑調査旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

上原氏法名書上

別紙として上原氏関係の石塔を調べ、法号・没年月日・俗名または親族関係を列記した書上。万治二年六月二日から天保七年正月八日までの年紀を含み、上原源右衛門尚益の法号「正岩祖覚居士」と、その妻「梅屋姓芳大姉」・妹「実峯妙相大姉」、尚治・尚清・尚伝・尚真・尚績・尚方ら本人および母・娘などの墓碑情報を収める。久圓妙長大姉の脇の石塔一基は損壊して法号等が不明とし、ほかに地蔵形の墓二基を早世者かと推測する記載、所在不明の墓もある。末尾では『上原氏譜牒』にみえる五郎左衛門尚盛を余家の次門とし、子孫を見ず、本府興国寺中に古墓があるとの考証を付す。

登場人物
上原源右衛門尚益、尚益妻、尚益妹、上原源右衛門尚治、上原源右衛門娘、上原平太郎尚次、上原源左衛門尚清、上原源之進、上原源右衛門尚伝、尚伝母、上原正八郎、上原良八郎、上原源右衛門尚真、尚真母、上原長次郎、上原安太郎尚次、上原源右衛門尚績、上原源右衛門尚方、尚方母、上原市兵衛之兄、上原五郎左衛門母、上原五郎兵衛妻、上原五郎左衛門尚盛
宛先
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キーワード
上原氏法名書上、別紙、墓碑、石塔、法号、没年月日、久圓妙長大姉、石塔損壊、法号不詳、正岩祖覚居士、上原源右衛門尚益、梅屋姓芳大姉、尚益妻、実峯妙相大姉、尚益妹、上原源右衛門尚治、上原源左衛門尚清、上原源右衛門尚伝、上原源右衛門尚真、上原源右衛門尚績、上原源右衛門尚方、地蔵形墓、早世、墓所在不知、上原五郎左衛門尚盛、上原氏譜牒、本府興国寺、古墓、万治二年、天保七年
前編1-No.34記事確認度 高

島津家譜義朝伝

『御譜中 義朝伝』。平治元年十二月一日、藤原信頼の挙兵に源義朝が加わり、内裏を固め、三条殿を焼いて信西入道の一類を退治したと記す。恩賞として義朝は播磨守、鎌田正清は兵衛尉となり政家と改名。平清盛が密かに上皇・天皇を六波羅へ移したため形勢が逆転し、十七日の六波羅攻撃で義朝軍は敗走する。龍華越で負傷し歩けなくなった朝長は父に死を請い、義朝が殺したとする。東国へ向かう途中、青墓宿で数百人に襲われるが佐渡式部大夫重成が敵を射殺して退け、自ら腹を十文字に掻き切って死ぬ。義朝は案内人鷲栖光に導かれ尾張国野間内海の長田忠宗邸へ入り、忠宗の勧めで滞在したと記す。

登場人物
源義朝、藤原信頼、信西、鎌田正清(政家)、平清盛、源朝長、佐渡式部大夫重成、鷲栖光、長田忠宗、上皇、天皇ほか
宛先
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キーワード
御譜中、島津家譜、源義朝、藤原信頼、平治の乱、三条殿、信西、播磨守、鎌田正清、鎌田政家、平清盛、六波羅、源朝長、龍華越、青墓宿、佐渡重成、十文字切腹、鷲栖光、尾張国、野間内海、長田忠宗
前編2-No.152文書確認度 高

長谷場久武・氏純連署状

長谷場氏純・久武が、墓へ寄進した水田ならびに『いのしり四つる』について、覺阿の取り計らいに任せ、少しも煩いを申し立てないと約した連署状。

登場人物
長谷場久武、長谷場氏純、覺阿
宛先
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キーワード
長谷場久武、長谷場氏純、覺阿、墓、水田、いのしり四つる、寄進、異乱停止、連署状
前編2-No.2692記事確認度 中

島津日新斎譜

天文二十一年、六十一歳の島津日新斎が生死と国家・民衆について述べた記事。自らの葬送や墓所の扱い、死後の功徳、領主が民を治める心得を示し、あわせて詩歌に託した心境を記して、晩年の日新斎の政治観・宗教観・死生観を伝える。

登場人物
島津日新斎
宛先
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キーワード
島津日新斎譜、島津日新斎、生死、国家、葬送、墓所、功徳、詩歌、天文二十一年
後編2-No.726文書確認度 中

覚書(義久譜中)

義久譜中に収載された覚書。又一郎夫妻の上洛、供衆・役人の酒宴、京都での辛労、名護屋への参着、隠居・墓所・国役・国替などの検討事項を列挙する。本文範囲内に義久の署名・実名はなく、差出人比定は収載位置に依存する。

登場人物
島津義久(義久譜中の掲載による比定)、又一郎夫妻、供衆・役人
宛先
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キーワード
島津義久、又一郎夫妻、上洛、名護屋、隠居、墓所、国役、国替、供衆、覚書
後編3-No.1684記事確認度 高

伊地知季安愚考

伊地知季安愚考は、伊集院忠真が加藤清正の威を頼んで再び謀反を企てたことが露見し、川田国鏡の内命を受けた押川則義と渕脇平馬が、慶長七年八月十七日に野尻大津の狩倉で待ち伏せたと記す。案内者の誤りで則義は平田新四郎を鉄砲で射殺し、続いて平馬が忠真を射殺した。忠真は三十三歳で、墓は野尻にあり、法名を法山道機居士という。

登場人物
押川則義(治右衛門)、伊集院忠真(源次郎)、川田国鏡(大膳)、渕脇平馬、加藤清正、平田新四郎
宛先
(伊地知季安愚考)
キーワード
伊地知季安愚考、慶長七年八月十七日、伊集院忠真、源次郎、加藤清正、再謀反、川田国鏡、大膳、押川則義、治右衛門、渕脇平馬、平田新四郎、野尻、大津、狩倉、待伏せ、鉄砲、誤射、射殺、三十三歳、墓所、法山道機居士
後編4-No.785記事確認度 高

島津義久譜

島津義久譜の記事。祈祷・医薬・鍼灸の効なく、島津義久(龍伯)が慶長十六年正月二十一日に七十九歳で死去したことを記す。法名・墓所を掲げ、義久を追って殉死した十五人の姓名・役職を列挙する。

登場人物
島津義久、島津家久、殉死者十五名
宛先
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キーワード
島津義久譜、島津義久、龍伯、正月二十一日、享年七十九、病死、法名、墓所、殉死者十五名
追録1-No.1745書状旧記雑録暫定版確認度 高

徳川光貞書状

徳川光貞が島津光久へ、東福門院の墓所へ使札を差し入れた光久の丁重な配慮に謝意を述べた書状。

登場人物
徳川光貞、島津光久、東福門院
宛先
松平大隅守(島津光久)殿
キーワード
徳川光貞、島津光久、東福門院、墓所、使札、弔慰、書状
追録5-No.953御譜記事旧記雑録暫定版確認度 高

有徳院墓前への銅燈籠二基奉献

寛延四年八月二十六日、老中松平右近将監武元が、有徳院吉宗の尊前へ銅燈籠を献じる命を伝えた記事。継豊は国元におり、当家から人を遣わしていなかったため、何基献じるべきかを知らなかった。継豊は将軍家の姻家で、他家とは親疎が異なるとして、先例がなくても家統に応じて二基を献じることを願った。重年が同年十月六日にこの事情を武元へ伝えて許可を受け、使者を遣わして二基を献じた。翌宝暦二年五月十三日に完成して奉献したと記し、銘文を掲げる旨で記事を結ぶ。

登場人物
島津継豊・松平右近将監武元・徳川吉宗(有徳院殿)・島津重年
宛先
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キーワード
継豊、重年、武元、有徳院吉宗、八月二十六日、銅燈籠二基、将軍家の姻家、家統、十月六日許可、宝暦二年五月十三日完成奉献
追録5-No.954銘文旧記雑録暫定版確認度 高

有徳院墓前奉献銅燈籠銘

継豊が武州東叡山の有徳院殿尊前へ奉献する銅燈籠二基の銘文を掲げる。銘記日は寛延四年辛未六月二十日で、奉献者を薩摩大隅日向三國主兼領琉球國、致仕従四位上行左近衛中将兼大隅守、源朝臣継豊と記す。本文に「兩基」と明記する。前のNo.953が奉献の命令・許可・製作経緯を記すのに対し、本書は銘文そのものを掲げる。銘記の六月二十日は、No.953の製作完成・奉献日とは異なる。

登場人物
島津継豊
宛先
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キーワード
継豊奉献銅燈籠銘:有徳院尊前・二基と官位名乗り
追録5-No.955指図旧記雑録暫定版確認度 高

有徳院墓前銅燈籠の奉献指図

八月付の指図は、松平大隅守継豊へ、東叡山有徳院御霊前に銅燈籠を奉献するよう伝える。寸法は常憲院の御佛殿へ献じたものに合わせ、来年二月上旬に出来るよう求める。継豊公御譜中・正文在文庫の注を持ち、日付は八月だけで日を記さず、在口裏の朱注と松平大隅守宛の表示を伴う。本文に差出人署名や基数はなく、目録は幕府指図書とする。後のNo.961は同文の重年宛指図で、宛先が異なる。制作目標日は、No.953の翌五月奉献記事とは異なる。

登場人物
松平大隅守継豊・有徳院・常憲院
宛先
松平大隅守継豊
キーワード
幕府指図:継豊の有徳院銅燈籠寸法と翌二月上旬完成
追録5-No.961指図旧記雑録暫定版確認度 高

有徳院墓前銅燈籠の奉献指図

八月付の指図は松平薩摩守重年へ、東叡山有徳院御霊前に銅燈籠を奉献するよう伝える。寸法は常憲院御佛殿へ献じたものに合わせ、来年二月上旬に出来るよう求める。全上として継豊宛No.955と同文を受けるが、本書は重年宛で、在口裏(重年)という注を持つ。日付に日はなく、差出人署名や基数も本文にはない。目録は幕府指図書とする。No.962の実際の完成日は二月十日、奉献日は五月十三日で、本書に記す二月上旬は制作目標である。

登場人物
松平薩摩守重年・有徳院・常憲院
宛先
松平薩摩守重年
キーワード
幕府指図:重年の有徳院銅燈籠寸法と翌二月上旬完成
追録5-No.962御譜記事旧記雑録暫定版確認度 高

重年、有徳院墓前へ銅燈籠二基を奉献

八月二十六日、用番老中松平右近将監武元が江戸留守居役山澤小左衛門盛福を自邸に呼び、有徳院吉宗の尊前へ銅燈籠を献じる命を伝えた記事。薩摩にいた重年はその命を奉じ、翌宝暦二年二月十日に製作が完了し、同年五月十三日に銅燈籠二基を備えて奉献した。記事末は、その銘文を掲げる旨を記す。

登場人物
島津重年・松平右近将監武元・山澤小左衛門盛福・徳川吉宗(有徳院殿)
宛先
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キーワード
重年、松平武元、山澤盛福、江戸留守居、有徳院吉宗、八月二十六日、銅燈籠二基、宝暦二年二月十日完成、五月十三日奉献