島津忠兼書状
「永正十七年」二月五日 / 冊子 624頁
島津忠兼が肝付三郎五郎に、前年以来の在陣と軍忠をねぎらい、今後も忠節を尽くすよう求めた書状。
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『旧記雑録』前編・後編・附録10冊と追録1~8(暫定版)、『旧記雑録拾遺 伊地知季安著作史料集1~9』『家わけ1』(暫定版)、関連史料(外伝)『島津世禄記』の46,754件を横断検索できます。検索範囲は史料群・巻を組み合わせて選べます。結果は50件ずつ表示します。
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「永正十七年」二月五日 / 冊子 624頁
島津忠兼が肝付三郎五郎に、前年以来の在陣と軍忠をねぎらい、今後も忠節を尽くすよう求めた書状。
大永七年二月六日 / 冊子 673~674頁
樺山信久が肝付三郎五郎に、三か国がどのように変動しても二心なく相談し、互いに申披くべきことを誓った契状。
天文廿一年四月廿四日 / 冊子 896~897頁
島津忠将が肝付三郎五郎に、世間の変動があっても奉公を守り、相談・和睦の際にも背かないことを約した契状。
天文廿一年四月晦日 / 冊子 897頁
島津忠将が肝付三郎五郎に対し、奉公・一味の約束に偽りがないことを諸神へ誓った起請文。
天文廿二年二月十八日 / 冊子 906~907頁
樺山忠副が肝付三郎五郎に、世間の変動があっても奉公と一味を守り、相談・和睦の際にも背かないことを約した契状。
天正二年四月一日 / 冊子 338頁
島津義久が坊津の宮一丸船頭渡遣三郎五郎に発給した琉球渡海の朱印状で、天正二年四月一日の年紀を持つ。
七月二日 / 冊子 282頁
本文署名の忠兼が、内所の不調と帰宅後の気分を尋ね、回復したなら早くこちらへ来るよう肝付三郎五郎へ求めた書状。目録標題は島津勝久書状。
八月十七日 / 冊子 282頁
本文署名の忠兼が、近頃の事件と関係者の動向を知らせ、残る者への詮議や今後の処置について肝付三郎五郎へ申し送った書状。難読箇所を含む。
九月十七日 / 冊子 282頁
本文署名の忠兼が、相手の帰還後の無音を気遣い、真幸方面の様子と城をめぐる情勢を尋ね、堅固に対処するよう肝付三郎五郎へ求めた書状。
年月日未詳 / 冊子 294~295頁
島津忠国が、千代なへに関わる処遇や周囲の申し分を述べ、喜代三郎五郎らに相談して問題が収まるよう取り計らうことを求めた仮名書状。本文に難読箇所が多い。
二月廿八日 / 冊子 281頁
本文署名の忠兼が、相手の来訪が延びた事情を案じ、翌月三日を過ぎれば必ず来るよう求め、詳細は使者に託した書状。目録標題は島津勝久書状。
「大永六年」十一月五日 / 冊子 666頁
島津忠兼が肝付兼演に、虎寿丸らが来訪して心配はなく、肝付方が出頭する運びなので、確かな奉公を頼むとした書状。
「大永六年」十一月七日 / 冊子 666頁
島津忠兼が肝付兼演に、金吾との合意、伊集院での参会と鹿児島への同行、虎寿丸を呼び寄せたことを伝え、境目の番を堅固にするよう頼んだ書状。
年月日未詳 / 冊子 449~450頁
島津忠国が清光へ宛てた長文の仮名書状。河上三郎五郎ら関係者から寄せられた申出・返答を取り上げ、人の取立て、奉公、処遇について個別に指示する。現地の事情をよく見聞したうえで軽率に決めず、確認結果を報告して返事するよう求める。
年月日未詳 / 冊子 918頁
『島津尚久譜』が、加治木城主肝付三郎五郎をめぐる攻防を記す。尚久ら島津方が城を包囲して抵抗を抑え、使者を介して降伏条件を協議したのち、開城・帰順を受け入れ、城と人質・所領に関する戦後処置を定めた経過を伝える。
年月日未詳 / 冊子 11頁
町田氏庶流の系図記事。町田三郎五郎が弘治元年四月朔日、隅州帖佐岩剣城の戦いで十九歳にして戦死したこと、兄の死後に新左衛門忠継が家を継ぎ、永禄十年の馬越城合戦で二十九歳にして戦死したことを記す。
年月日未詳 / 冊子 29頁
弘治二年五月十三日夜、溝辺城内に北原方と内通する者がいて敵を中城へ引き入れたが、肝付氏の者らが奮戦して切り返した。敵方に多数の戦死者が出て、肝付三郎五郎が高名を立てた。数日後、敵と心を合わせた竹下某らが処罰されたことも記す。
(慶長五年) / 冊子 495頁
島津義久が起請文の前書として、伊集院幸侃成敗後の三郎五郎の進退は上意に従うと誓い、古弾正忠の奉公一筋を理由に家が断絶しないよう願う。富隈・鹿児島・帖佐三か所で忠貞を尽くし、親子・兄弟・縁者・知音であっても背反に同意せず、異変があれば直ちに報告すると誓約する。
年月日未詳 / 冊子 905頁
松元権兵衛が、慶長八年八月十七日に鹿児島浦の谷山で伊集院千寿・三郎五郎兄弟の死に関わる戦闘に加わり、初めに敵と斬り合って二か所の刀傷を負ったことを記す。谷山大左衛門・石塚才右衛門の名も挙げる。
年月日未詳 / 冊子 293~294頁
島津忠国が、本田関係者の取り立てや給付、千代なへの処遇、三郎五郎らの動向について、相手の意向を確かめながら今後の扱いを細かく指示した仮名書状。本文に難読箇所が多い。
年月日未詳 / 冊子 671頁
大永六年、島津忠兼が忠良一族へ国政を委ねようとした時期の樺山信久の動向を記す。信久は虎寿丸を後継者として支え、肝付三郎五郎・本田紀伊守・樺山助太郎らと諸家の帰属、領地配分、奉公条件を協議し、新体制への移行を調整した。
年月日未詳 / 冊子 918頁
『島津忠将譜』が、天文二十三年秋に忠将が隅州勢を率いて来援したことを記す。海路・陸路から加治木・清水方面へ進み、肝付三郎五郎方や城兵の動きに対処しながら、貴久方の岩剣・帖佐攻めを支援した経過をまとめる。
年月日未詳 / 冊子 655頁
世間騒動のなか、本田因幡守の娘婿方である太郎左衛門尉と本田三河守広久が結び、大永五年九月二日に清水隼人城と小濱生別府城を同日に奪取したことなどを記す。
天文五年十二月七日 / 冊子 751頁
町田忠親の通称・系譜を掲げ、天文五年十二月七日に薩州石谷で戦死し、享年六十一であったことを記す。
年月日未詳 / 冊子 4~5頁
天文二十四年から弘治元年にかけ、帖佐・吉田・北村・蒲生などの戦闘で討死した島津方の者を、日付・戦場・所属とともに列記する。個々の戦死状況や『蒲生山本氏日記』による異同注記も含む。
年月日未詳 / 冊子 10頁
弘治元年三月、島津方が帖佐別府川・山田・高尾で渋谷勢と戦い、敵を多数討ち取った経緯を記す。四月に帖佐・山田を確保し、七月には渋谷・蒲生勢の襲撃で東郷勢に多数の戦死者が出たこと、十二月に蒲生の新城が放棄されたことを載せる。
年月日未詳 / 冊子 10~11頁
弘治元年春、平松城を拠点とする島津方が帖佐を攻めた経緯を記す。三月二十七日、軽鋭の歩卒五人が高樋口で敵一人を斬り一人を捕え、島津尚久らが牛渡で敵を遮断して追撃、計二十六の首級を挙げた。尚久は城下放火の際に神社仏閣を厳しく保護した。四月二日夜、帖佐・新城・山田の敵が祁答院へ退去し、島津方が掌握した。
年月日未詳 / 冊子 11~12頁
天文二十四年三月以降の帖佐別府川・平松・山田・高尾などの戦闘を記す。島津方諸勢の出陣、敵兵の討取りと味方の戦死、帖佐・新城・山田の確保、北郷・根占・肝付勢の来援をまとめる。
年月日未詳 / 冊子 12~13頁
三月二日の帖佐別府川合戦、同八日の加治木・溝辺・日当山・長濱勢の山田出陣などを回想する。島津忠辰らの奮戦、敵味方の討死、帖佐方面への追撃、北郷・根占・肝付勢の来援を記す。
天正三年三月十五日 / 冊子 430頁
天正三年三月十五日、島津義久が代始めの犬追物を催した際の装束と式次第を記す。対面所で三献を行い、手長・配膳・包丁人・掻副・弓箙・行騰・沓鐙押などの役を定め、義久が庭で騎馬して惣門から馬場へ入り、射手らが待ち受けた。
年月日未詳 / 冊子 83~84頁/原整理番号 14
『上井覚兼日記』天正三年正月の記事を抜く。元日の社参と老中の三献、椀飯、十一日の酒席の献酬と座次を記すほか、同日の初談合で神社仏閣の修造、軍事、下大隅への移衆、菱刈、法度など五項目を地頭衆へ伝え、翌日に返答を受けたことを記す。十六日の寄合の席次やその後の出仕も載せる。
建武二年十二月十八日 / 冊子 640頁
薩摩国和泉庄久成名内御厩田壱町弐段と久光名内南部横枕壱町井口所開天三段を三郎五郎保音に譲る沙弥真証譲状。伝領した所領を代官牛上洛の間に預けた経緯を述べ、他の者へ譲らず保音の嫡子へ相伝させ、違反者は公事者へ追放する旨を定める。
(貞享三年)二月十八日 / 冊子 749頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書1972
島津光久が松平大隅守へ、松木左門を領内に召し寄せる件に加え、左門の嫡子三郎五郎も別件なく佐土原へ差し置かれているので、父子を召し寄せて事情を聞くよう重ねて申し入れた書状。
年月日未詳 / 冊子 758頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書1993
佐土原で松木左門の余党がなお治まらず、村上三太夫らが徒党を組んで家政を批判したため、光久が使者を派遣した。捕縛時に三太夫らが松木三郎五郎宅へ籠もり放火・抵抗して死傷者が出たので、光久が幕府老中へ使者を送り経緯を報告した騒動記事。
(貞享三年)七月廿二日 / 冊子 761~763頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書1999
島津光久が島津久寿へ、佐土原騒動に関する家老・家臣の証言、松木三郎五郎・村上三太夫らの嫌疑、黒貫寺隠居の風説を精査し、関係者を召喚・留置して偏りなく吟味し、家中を安定させるよう条々に命じた達書。
(貞享三年)七月廿六日 / 冊子 765~766頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書2005
氏名不詳の使者らが鹿児島方へ、佐土原で光久の命令を久寿・久也らに伝え、村上三太夫を松木三郎五郎宅から引き渡させようとしたところ、籠居・発砲・放火に至り、死傷者・捕縛者が出た経過を報告した書状の写し。
(貞享三年)七月廿六日 / 冊子 766頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書2006
島津久寿が島津図書らへ、光久の使者から命令を受け、罪科を申し付ける村上三太夫を松木三郎五郎宅から引き渡させようとしたが拒まれ、籠居者が発砲・放火して死傷・捕縛に至った経過を報告した書状。
(貞享三年)七月廿六日 / 冊子 766~767頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書2007
島津右京久也が島津図書方へ、光久からの使者が式部少輔方へ命令を伝えたが、村上三太夫は松木三郎五郎宅へ籠もっていたと報告する。前二十五日夜から退出を求めても三郎五郎とともに拒み、二十六日朝から門を閉じたため、申下刻に籠居側の男女三十余人を残らず討ち果たして落着したと記す。三郎五郎宅は自ら火を掛けて焼失し類火はなく、討手側に四人討死・十三人手負があるとする。
(貞享三年)七月廿六日 / 冊子 767頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書2008
相良長清・村田経景・中神内蔵が新納又左衛門方へ、村上三太夫・松木三郎五郎・森清兵衛らが説得に応じず、押し掛けたところ内から発砲し、自宅に放火したため、三人および籠居者を捕らえた顛末を報告した連署書状。
(貞享三年)七月廿七日 / 冊子 768頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書2010
島津久寿が島津図書へ、病気の島津右京を人手不足の佐土原へ戻して仕置を担当させるとの命令を伝え、右京が承知したこと、松木三郎五郎に関する処置の指示を承知したことを報告した書状。
(貞享三年)七月廿七日 / 冊子 768頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書2011
島津久寿が、松木三郎五郎の件について、父左門が知らなかったと申し立てていても重科であるとして、厳重な処置を命じるよう求めた覚書。
(貞享三年)七月廿七日 / 冊子 771~772頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書2013
島津久寿が島津図書へ、村上三太夫らの不届を受けて松木三郎五郎宅へ使者を送り、籠居・発砲・放火に至った処置と、関係者の吟味・処罰、家中への影響、今後の指図を仰ぐ事項を条々に記した口上覚。
(貞享三年)七月廿七日 / 冊子 772~773頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書2014
松木三郎五郎宅の討手について、物頭・普請奉行・引纏人数・左門役儀の者、討ち果たされた者、戦死・負傷した討手、焼死者、三太夫の妻子・三郎五郎の母ら関係家族、焼失家屋を列挙した書付。
(貞享三年)七月廿八日 / 冊子 773~775頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書2015
七月二十六日の松木三郎五郎宅討入りについて、負傷者とその後の死亡者、討ち捨てた三十四人、灰燼内外で確認した者、三太夫らの妻子・奉公人、七月二十八日に斬罪とした十二人を列挙した書付。
(貞享三年)七月廿八日 / 冊子 775頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書2016
新納久了が相良長清ら三使者へ、村上三太夫らが松木三郎五郎宅に籠居したとの報告と、三人を討ち果たしたとの続報を受領したこと、大久保忠朝への既往の伺いも踏まえ、光久への報告と今後の処置について詳しい返答を求めた書状。
(貞享三年)七月廿八日 / 冊子 775~776頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書2017
島津久竹ら家老五名が種子島蔵人・肝付主殿へ、佐土原家中の不穏を受け三使者を派遣し、村上三太夫らが松木三郎五郎宅に籠居して発砲したため討手を差し向け、屋敷焼失・死傷者発生に至った経過を知らせ、口外を慎むよう求めた連署書状。
(貞享三年)七月廿八日 / 冊子 776~777頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書2018
島津光久が大久保加賀守へ、久寿家中の村上三太夫と松木左門一類の不届を処置するため召し寄せたが、三太夫が松木三郎五郎宅に籠居して応じず、七月二十六日に討ち果たしたことを報告し、処置の了承を求めた書状。
(貞享三年)七月晦日 / 冊子 777頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書2019
島津久寿が肝付主殿へ、家中の松木三郎五郎・村上三太夫に不届があり七月二十六日に討ち果たしたこと、幕府への言上もあり得るため宇宿伝左衛門・能勢惣左衛門を差し上せたことを伝え、光久へ披露して指図を仰ぐよう求めた書状。
(貞享三年)八月廿三日 / 冊子 780頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書2033
島津光久が、久寿の在所仕置を相談する使者を派遣した際、家来村上三太夫と松木左門一類が不届のため仕置を妨げ、三太夫が松木三郎五郎宅に籠居して命令に従わず、七月二十六日に討ち果たした経過を説明した口上書。
年月日未詳 / 冊子 783~784頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書2048
島津光久が幕府へ、佐土原で逆意を企てた松木三郎五郎・村上三太夫を討った後、松木左門とその二男・三男も悪意の中心人物の親兄弟であるとして、島津久寿が三人に切腹を命じたいと申し出た件に同意し、処置の内意を伺った文書。