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『旧記雑録』前編・後編・附録10冊と追録1~8(暫定版)、『旧記雑録拾遺 伊地知季安著作史料集1~9』『家わけ1』(暫定版)、関連史料(外伝)『島津世禄記』の46,754件を横断検索できます。検索範囲は史料群・巻を組み合わせて選べます。結果は50件ずつ表示します。

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180 件 (全巻)/ 1–50件を表示

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附録1-No.133文書確認度 高

伊集院忠棟外二名連署書状

伊集院忠棟・町田久倍・平田光宗が、福昌寺への合力について諸地頭へ連署した書状。三か国の人勢に関する相談を踏まえ、当年は日州へ回るため、各地で福昌寺に相応の助力を行うよう求め、詳細は寺から伝達するとする。

登場人物
伊集院忠棟、町田久倍、平田光宗、福昌寺、日州の諸地頭
宛先
諸地頭御宿所
キーワード
伊集院忠棟、町田久倍、平田光宗、福昌寺、三か国、日州、諸地頭、合力、人勢
附録1-No.155文書確認度 中

川上久隅書状

川上久隅が河上次郎左衛門尉に、次郎左衛門尉の役務が無事に整ったことを喜び、今後も励むよう求めた書状。途絶えかけた連歌を再興するため連衆を差し出したこと、日州の役務も御老中衆と相談して進めることを伝える。

登場人物
川上久隅、河上次郎左衛門尉、次郎左衛門尉、左衛門尉、御老中衆、日州の関係者
宛先
河上次郎左衛門尉殿参御報
キーワード
川上久隅、河上次郎左衛門尉、役務、連歌、連衆、日州、御老中衆、精進、伝言
附録1-No.740記事確認度 高

文明記

『文明記』の記事。河内守久逸以来の家系と伊作氏七代の系譜を述べ、家運断絶の危機に際して日州福島から伊作へ移居させ、近江守との縁組によって家を継承し、子孫が続いた経緯を記す。

登場人物
久逸、忠國、伊作氏、日州福島・伊作関係者
宛先
—
キーワード
文明記、久逸、忠國、伊作氏、系譜、家督、日州福島、伊作、移居、縁組、子孫
追録8-No.1018-4日州灘の紙幣・銀銭交換と旧藩札等の会計処理を定める達旧記雑録暫定版確認度 中

会計局・知政所達(紙幣銀銭交換)

日州灘の紙幣について、従来の表面額と銀銭引上納の関係、交換時の換算・端数処理を定め、春の職制改革後の諸局経費や一般支配物入用への使用を整理する。旧職制中の上下から引き渡された紙幣・墨書等を点検し、会計局へ差し出して処理するよう命じる。辛未三月十五日会計局、十八日知政所。

登場人物
会計局、知政所、日州灘関係者、諸局、官吏、紙幣利用者
宛先
日州灘・諸局・紙幣交換関係者
キーワード
日州灘、紙幣、銀銭、交換、換算、端数、春職制改革、諸局経費、支配物入用、旧職制、会計局、三月十五日、三月十八日
旧記雑録拾遺 著作史料集7-文書ID w02:11達書旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

新納久親外三名連署達書

山奉行方の新納久親らが横川から日州表穆佐までの曖衆・行司衆へ、前年から地頭狩の夫役を公儀に召し上げたことを受け、十五歳から六十歳までの在郷の人々を新しい改札帳に記すよう命じる。曖衆と行司衆が奥書・連判し、翌月十五日までに鹿児島山奉行所へ差し出す。病者を別扱いする申し立てを認めない旨の追而書が付く。

登場人物
新納久親、仁礼藤左衛門、薬丸大炊兵衛、黒葛原周右衛門、横川・日州表稼佐渡、曖衆
宛先
横川より日州表稼佐渡ほか曖衆
キーワード
地頭狩、十五歳から六十歳、改札帳、曖衆、行司衆、山奉行所、病者
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 208記録旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

堀輿延自記

『堀輿延自記』(本文見出しは「堀興延自記」)。寛永十五年二月十三日、日州方外城の士百五十人に槍・弓・鉄砲の御道具持の代役を命じ、堀興延が堀四郎右衛門らを召し連れて向田まで進んだが、島原の事が済んだとの報を受け、御道具持百五十人とともに帰ったことを記す。

登場人物
堀興延、日州方外城の士、御道具持百五十人
宛先
宛先なし(堀興延自記)
キーワード
堀興延、寛永十五年二月十三日、日州方外城、御道具持百五十人、槍、弓、鉄砲、向田、島原、帰還
追録8-No.107記事旧記雑録暫定版確認度 中

斉興日州諸郷ヲ巡視ス

斉興が菱刈・真幸・日州諸郷を巡視した記事。三月二十一日朝六時に玉里仮館を発ち、家老調所広郷らが随行した。入来・鶴田・曾木を経て大口に泊まり、忠元霊社、水天宮、白木観音を参詣した。二十六日に大口を発って馬越・湯之尾・湯之元・栗野・吉松を経、加久藤城内で三徳を訪ね地神経の楽を聴き、白鳥山を越えた。飯野・小林を巡り神徳院、錫杖院、法華嶽寺などへ参詣し、善哉坊の身投獄を見た。高岡・高城・香積寺・粟野社・去川・通山・福山を経て、国分・加治木・重富権山別荘に立ち寄り、船で磯仮館下へ着き、館で休んで玉里仮館へ戻った。所要十七日と記す。陸路の郷は三十で、前もって宿所を定めて道路の修築や上下の供給を命じ、休憩所・宿所では必要な事のみを扱って費用を簡略にし、郷の郵務に費用を負担させなかったと結ぶ。

登場人物
島津斉興、家老調所笑左衛門広郷、随行の者
宛先
宛先なし(記事)
キーワード
島津斉興、調所広郷、巡視、菱刈、真幸、日州、諸郷三十、十七日、寺社参詣、道路修築、費用簡略
追録8-No.506御系図記事(茂久の日州細島預領)旧記雑録暫定版確認度 中

茂久に日州細島の地を預領させる旨を記す記事

御系図「忠義公」の元治元年四月十六日の記事。大家から、茂久に日州細島の地を預領させる旨を命じたと記す。「預領」という取扱いを示す短い記録で、領地の永続譲渡、面積・石高や実際の引継ぎ状況は記されない。命令の主体は原記載の大家として示す。

登場人物
忠義公・茂久、大家(命令の主体として原記載)
宛先
御系図記事、文書宛所なし
キーワード
御系図忠義公茂久、元治元年四月十六、大家命、日州細島預領
旧記雑録拾遺 著作史料集9-文書ID W06_文書0136日々記旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

日州御発足日々記

天正五年十二月七・八日の日州発足を記す日々記。正宮へ社参して脇元から越着へ入り、三献と太刀進上を受けた後、福永丹波守の子が人質として来ると使者から聞いた。上原長門守へ報告し、続衆や一家・国衆の対応を使僧・飛脚で伝える。翌日は濱市から五十艘余の供船と進物船で出て、長濱沖・小嶋で迎えを受け、着岸地で酒を重ねた。伊東の番衆は右方、武庫は野尻に籠もり、東の番衆を五、六人ほど討ち留めたと伝える。

登場人物
上原長門守、上原右衛門佐、福永丹波守、喜入摂州、町田伊賀守、平田周防介、伊東勢、野尻の武庫
宛先
—
キーワード
日州御発足日々記、天正五年十二月七日、社参、三献、太刀進上、福永の子の人質、使僧と飛脚、五十艘余の供船、野尻御番
旧記雑録拾遺 著作史料集9-文書ID W06_文書0137日々記旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

日州御発足日々記

天正六年正月の祝儀・土持と伊東の処遇・天草交渉を記す。土持は人質に関する条件を申し入れ、相撲や刀を進上し、伊東方の退治に従う意向を示した。山毛の廻文や大友父子の書状には日州の混乱と伊東の亡命について記される。天草から日州取得と勝利を祝う使僧・贈物が届き、佐土原などの城から来た百人ほどの家臣へ覚悟を求めた。末尾には九月二十九日付の大口忠元の書状の記事があり、相良・大友・肥州、八代真光寺との関係を報告する。

登場人物
土持、伊東家、大友宗麟、佐伯紀伊入道、山田新介、天草使僧、新納武蔵守、兵庫頭、大賢坊
宛先
—
キーワード
日州御発足日々記、天正六年正月、土持の人質と刀、伊東退治、廻文、大友の父子の書状、天草勝利の祝儀、国衆の覚悟、九月廿九日忠元書状
追録6-No.574記事旧記雑録暫定版確認度 高

重豪、佐土原久柄の胞弟大和の称号等を許す

同年初秋七月、日州佐土原城主島津淡路守久柄の胞弟大和が新しく家を立てようとして、島津の称号・諱名・家紋を願い、重豪が許したことを記す。あわせて庶子の称号・諱名なども定め、その詳細を以下に載せるとする。大和は本文では久柄の胞弟と記され、許可内容の具体的な家格・座席・諱字・紋所は後続文書で示される。

登場人物
重豪、島津淡路守久柄(日州佐土原城主)、大和(久柄の胞弟)
宛先
—
キーワード
佐土原城主久柄胞弟大和、新家、島津称号・諱名・家紋願許可、庶子称号諱名規定、後続文書導入
追録6-No.1033-1申渡書旧記雑録暫定版確認度 中

島津仲申渡―諸筋の事柄を今後の閏書等に記載する扱い

小倉筋・出水筋・東目・高岡筋・大口筋に関する事柄を、今後は閏書等に載せるよう命じたことを伝える。この旨は先に申し渡していたが、公辺その他へ書き出す際には、そのような呼称では難しい場合もあるため、九州筋・日州筋の扱いと、その時の吟味に従って記すよう担当の御役へ申し渡す。末尾は安永二年巳四月八日、仲、島津久健との注。雑抄中の収録。

登場人物
仲(島津久健注)、九州筋・日州筋の御役
宛先
独立宛書なし(担当の御役に伝達)
キーワード
地域筋・東目、閏書等への記載、公辺向け書出、時々の吟味
後編1-No.162文書確認度 高

某寄進状

六十六部沙門本願原加坊が日州福嶋院高野村で百万遍念仏を勧進し、阿弥陀三尊像を造立して、施主および道俗男女の現世安穏・後生善処を祈った寄進状。施主名は本文注記に島津忠良または島津勝久の可能性が示される。

登場人物
六十六部沙門本願原加坊、施主(島津忠良または島津勝久との注記)
宛先
日州福嶋院高野村の道俗男女
キーワード
某寄進状、永禄四年、六十六部、本願原加坊、百万遍念仏、阿弥陀三尊、福嶋院、高野村
旧記雑録拾遺 著作史料集5-文書ID F:73文書旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

大覚寺義昭辞世之歌

大学寺義昭僧正の謀露顕に関連し、日州櫛間へ落ちた野邊氏の家や、永徳寺をめぐる訴訟と文書の内容を伝える記録。末尾に『野邊の露』の句を載せる。

登場人物
依義教公之命忠園
宛先
日州櫛間
キーワード
大覚寺義昭辞世之歌、寺社・宗教、法令・裁許
後編1-No.948記録確認度 高

日州御発足日々記

天正五年十二月七日から晦日までの日向進発を日次に記す。正八幡宮参詣中に福永丹波守の内応を知った義久が海路で出陣し、義弘の野尻入城、紙屋以下諸城の服属、正八幡宮への戦勝奉告、高原・紙屋・都於郡への進軍、福永への恩賞と鉄砲拝領、相良・佐伯方との使者往来、高城衆の降伏と人質収容を経て年を越した。

登場人物
島津義久、島津義弘、福永丹波守、米良越後守、相良義陽、佐伯宗天
宛先
—
キーワード
日州御発足日々記、島津義久、島津義弘、正八幡宮、野尻城、紙屋城、高原、都於郡、相良義陽、高城、人質、日向平定
後編1-No.1041記録確認度 高

日州御発足日々記

天正六年正月から三月十九日までの日記。年始儀礼、土持・天草・相良らの祝使、伊東旧臣の移配と所領処分、日向諸城・寺社への対応、豊後側の侵攻情報と番衆配置を記す。二月以降は門川への豊後船到来、三城・三納方面の動揺、海江田衆の反乱鎮圧、穂北での伏兵準備など国境警備を強化し、義久が都於郡から鹿児島へ帰陣するまでを載せる。

登場人物
島津義久、島津義弘、島津家久、土持親成、新納忠元、伊集院忠棟、上井覚兼、大友宗麟ほか
宛先
—
キーワード
日州御発足日々記、天正六年、年始儀礼、土持親成、天草氏、相良氏、伊東旧臣、豊後侵攻情報、三城、海江田反乱、国境警備、帰陣
後編1-No.1042記録確認度 高

日州御発足日々記

天正六年九月十一日から十一月二十九日までの日向出陣日記の別本。野尻での石城攻めと九月晦日の受取、十月二十五日の高城救援出発、夢中詠、佐土原での軍議、十一日の伏兵戦と松山陣攻略、十二日の根白坂・耳川合戦、北方諸城への追撃・降伏処理、戦死者供養、恩賞と番手配置、霧島参詣を経た鹿児島帰陣を記す。

登場人物
島津義久、島津義弘、島津家久、島津征久、伊集院忠棟、上井覚兼、山田有信、大友宗麟、大友義統ほか
宛先
—
キーワード
日州御発足日々記、石城受取、高城救援、夢中詠、佐土原、松山陣、根白坂、耳川合戦、北方諸城、戦死者供養、鹿児島帰陣
旧記雑録拾遺 著作史料集7-文書ID w08:17日州御発足日々記抄旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

七日州御発足日々記

天正五年十二月の日向出陣で三原右京亮が旗役を務め、紙屋で御旗を立てた記事を引く。旗役の実際の行動を日々記で確認する。

登場人物
本文記載人物(詳細は本文画像参照)
宛先
―
キーワード
日州御発足日々記、天正五年、日向、紙屋、三原右京亮、御旗
旧記雑録拾遺 著作史料集7-文書ID w08:18日州御発足日々記抄旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

人日州御発足日身記

日向出陣の日々記から正月七日の記事を引き、御旗に雨が降った際に紙屋で御旗を掛けたことを記す。続く旗役の具体的な扱いを示す。

登場人物
本文記載人物(詳細は本文画像参照)
宛先
―
キーワード
日州御発足日々記、天正六年、紙屋、御旗、雨
旧記雑録拾遺 著作史料集7-文書ID w08:20-1日州御発足日々記抄旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

l日州御発足日々記

天正六年九月の出陣記事から、御旗・御太刀を持つ人員と出立の手順を引く。三原右京亮・本田らの役目を日々記の記録によって確認する。

登場人物
本文記載人物(詳細は本文画像参照)
宛先
―
キーワード
日州御発足日々記、天正六年、三原右京亮、本田、御旗、御太刀
旧記雑録拾遺 著作史料集7-文書ID w08:20-2日州御発足日々記抄旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

2日州御発足日々記

天正六年十月、山東高城への出陣で、船を用い、御旗・御太刀などを役人が分担して運んだ記事を引く。大友勢との対陣に伴う旗役の実務を示す。

登場人物
本文記載人物(詳細は本文画像参照)
宛先
―
キーワード
日州御発足日々記、天正六年、高城、大友氏、御旗、御太刀
前編1-No.1881記事確認度 高

肝付兼重伝

光明天皇の時、島山修理亮直顕が日向国大田城に駐兵し、伊東藤内左衛門尉祐広・祢寝清種らが諸城の攻防に参加した経過を記す肝付兼重伝。櫛間城・高城・大田城等の城郭支配と軍勢移動、肝付方との合戦を述べる。

登場人物
肝付兼重・光明帝・島津修理亮ほか
宛先
日州大田城・赤塚櫛間城ほか
キーワード
肝付兼重伝、光明天皇、島山修理亮直顕、日向国大田城、伊東祐広、祢寝清種、櫛間城、高城、城攻め
前編1-No.1884記事確認度 高

重久篤兼譜

建武三年十一月、島山修理亮直顕が日向国大田城に駐兵し、伊東祐広らを集めて肝付兼重方追討に備えたことを記す重久篤兼譜。

登場人物
重久篤兼・島津修理亮・伊東祐広ほか
宛先
日州大田城ほか
キーワード
重久篤兼譜、島山修理亮直顕、日向国大田城、伊東祐広、肝付兼重、追討
前編2-No.219文書確認度 高

今川義範軍勢催促状

今川義範が、武光以下の凶徒が城へ寄せて合戦中であるとして、佐伯・蒲江辺へ早急に馳せ越し忠節を尽くすよう催促した軍勢催促状。

登場人物
今川義範、武光以下の凶徒、佐伯・蒲江辺の軍勢
宛先
日州御領大田原村新助
キーワード
今川義範、武光、凶徒、合戦、佐伯、蒲江、忠節、軍勢催促状
追録2-No.27幕府触書写旧記雑録暫定版確認度 高

幕府触書写

日向国の御持合区域について、御家来衆同士や赤松甚右衛門との相渡しを協議し、村替え・組合せの有無、村高、寺社領、枝郷、新田、道・川・池沼・船渡などを調査して国絵図作製用の書付を短期間に差し出すよう命じた触書の写。

登場人物
幕府
宛先
日州の国絵図作製担当者・村役人
キーワード
元禄十年、幕府触書、日向国、国絵図、村替え、村高、寺社領、新田、道、川、池沼
旧記雑録拾遺 著作史料集5-文書ID F:131記録旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

記録所伺書

記録所からの伺書。島津勝久の沖之濱への移座と豊後・日向での動静について、家譜、寺院の書類など記録間の食い違いを挙げ、史料の扱いと記述の仕方を伺う。寛政十年四月五日付。

登場人物
御家十四代之太守勝久、大玄院、弥次、勝久、御正統、札方仕候、分隠蜜之取扱候、平山五郎
宛先
豊後州沖之漬、御廟所御位牌等何方、彼地、大玄院、以隆盛院、付佐土原、右衛門、彼方寺社方、権之助、祢寝、其後日州、贋原、益房丸、十年贋原、隅州高山、兵部太輔忠親之所、忠良庚原、嶋之内、勝久公日向、贋原之内、御正統、太夫、猛太夫
キーワード
記録所伺書、家譜編集、記録・文書管理、系図・由緒、日向、豊後
旧記雑録拾遺 著作史料集5-文書ID F:133-1文書旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

御伝記略

島津勝久の伝記略。勝久の出生から日向・佐土原での居住、伊東義祐との戦い、広原への移居、没年と葬所をたどり、妻子や後裔、墓所・寺院の伝承も記す。

登場人物
御伝、勝久、後義忠、益房丸又三郎郎、義久、然者勝久、児玉彦、新古何
宛先
日州真幸、磐若寺、然者三十年録者豊後州、忠良日州、被為越庚原、日向庚原、忠良、廉原之内、同村八幡宮、胴之内、新古何、一御石塔御夫婦、是又新古何
キーワード
御伝記略、寺社・宗教、鹿児島、日向、豊後
前編2-No.2255文書確認度 高

日州山之口的野正八幡宮棟札

日州山之口的野正八幡宮の造営に際し、北郷主君島津忠相らの繁栄、領内の安穏、宝祚長久などを祈願した棟札。

登場人物
藤原朝臣島津忠相、忠孝、久慶、正八幡宮、的野山弥勒寺
宛先
—
キーワード
山之口、的野正八幡宮、棟札、島津忠相、北郷氏、造営、祈願、天文四年
追録1-No.1645-3反論書旧記雑録暫定版確認度 中

日州論山一件反論書

日州庄内・飫肥間の境界について、相手方の申立てと古文書・絵図・境筋の由緒を逐条検討し、赤石川・梶山・板屋河内等の利用実態や過去の裁許を根拠に、自方の境界主張を述べた反論書。

登場人物
島津氏、伊東氏
宛先
—
キーワード
島津氏、伊東氏、庄内、飫肥、赤石川、梶山、板屋河内、古文書、絵図、裁許、反論書
追録6-No.1124記事旧記雑録暫定版確認度 中

中城王子尚哲らの饗応と薩隅・日州への参詣巡遊

同年十一月十八日、中城王子尚哲を招いて再び登城させ、膳食を許す。尚哲は太刀・馬代黄金十両と方物一式を備えて書院に謁し、著客居に膳を出す。膳は四汁十一菜との小注。琉人が座楽と唐躍を奏し、杯を尚哲へ伝え、食後に尚哲が拝謝して退いたと記す。二十一日には摂政朝恒への膳を用意し、次第は中城王子の例による。二十七日には尚哲以下の琉人を城に召す。人数の注は摂政からの者を五十五人、病のため登城できない者を六人と記す。書院と対面所で猿楽舞を見せ、書院へ戻って湯漬を供する。膳の注は五く三引替、四汁十三菜。尚哲は厚い歓待に謝して退く。鹿児島滞在中には品物を贈り、従者にもそれぞれ下付があった。花尾山・大雄山・浄光明寺・福昌寺・聖堂等を参詣し、請いに応じて福山野驛、駒取・吉野で狩猟・射芸・馬術を見物したとする。さらに日州霧島神社、大隅国正八幡宮へ赴き、同国踊郷栄之尾と同郷安楽村の温泉に浴したと記す。日別の饗応と滞在中の参詣・見物・湯浴を分けて記す。

登場人物
中城王子尚哲、摂政朝恒、琉人、従者、重豪
宛先
尚哲・朝恒ら(饗応の対象、独立宛書なし)
キーワード
十一月十八日・二十一日・二十七日、太刀・馬代黄金十両、四汁十一菜、五く三引替・四汁十三菜、座楽・唐躍・猿楽、五十五人・病者六人、寺社聖堂、狩猟・射芸・馬術、温泉
追録1-No.1645記事旧記雑録暫定版確認度 高

日州論山一件

日向国諸県郡庄内と伊東氏領那珂郡飫肥との山境をめぐる争論について、由緒書・双方の申立書・境界絵図関係書状をまとめた一件の親記事。

登場人物
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宛先
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キーワード
日向国、諸県郡、庄内、那珂郡、飫肥、論山、山境、境界争論、親記事
追録1-No.1645-1由緒書旧記雑録暫定版確認度 中

日州論山一件由緒書

日向国諸県郡庄内と那珂郡飫肥の境にある梶山・板屋・赤石河内周辺について、古くからの領有・河川・山境、寛永年間以降の境界争論と裁許、関係文書の成立経緯を説明した由緒書。

登場人物
伊東氏、島津氏
宛先
—
キーワード
日向国、諸県郡、庄内、那珂郡、飫肥、梶山、板屋、赤石河内、山境、寛永、由緒書
追録1-No.1645-2申立書旧記雑録暫定版確認度 中

日州論山一件庄内側申立書

島津氏側が、庄内と飫肥の郡境について、古来の山境・川筋・梶山村の利用実態と過去の境界取決めを挙げ、相手方が新たに主張する境筋を認めず、従来の境界を維持するよう求めた申立書。

登場人物
島津氏、伊東氏
宛先
—
キーワード
島津氏、伊東氏、庄内、飫肥、郡境、梶山村、川筋、山境、境界維持、申立書
追録2-No.427記事旧記雑録暫定版確認度 中

薩隅・琉球・日州国絵図提出記事

徳川綱吉が元禄10年閏2月4日、島津綱貴に薩摩・大隅・琉球の国絵図と日向一国図を伊東大和守祐実と相談して提出するよう命じた記事。正保国絵図は祖父島津光久が単独で提出しており、伊東家との共同校正は先例に背くとして、綱貴が異議を申し立てた経緯を記す。

登場人物
徳川綱吉
宛先
島津綱貴
キーワード
徳川綱吉、島津綱貴、元禄十年閏二月四日、薩摩、大隅、琉球、日向、国絵図、伊東大和守祐実、共同校正、正保国絵図、島津光久、先例、異議申立て
追録2-No.814口上旧記雑録暫定版確認度 中

日州諸家へ触ノ口上

島津綱貴が日向諸家へ、諸国絵図改訂に伴い日向国の清絵図を島津家が調製するため、各領内絵図を国元へ送るよう求めた口上。国境・村境を吟味して三枚の絵図を提出し、薩摩・大隅・日向の絵図と照合して差異を改め、関係役人が江戸・鹿児島・日向間で受渡し・相談する手順を示す。

登場人物
島津綱貴
宛先
日向諸家
キーワード
島津綱貴、日向諸家、諸国絵図、改訂、日向国、清絵図、領内絵図、国元、国境、村境、三枚、薩摩国、大隅国、照合、差異、修正、江戸、鹿児島、役人、受渡し、口上、元禄十三年
島津世禄記-A14記事関連史料(外伝)確認度 高

島津忠廉住日州飫肥事 付 肝付謀叛之事

島津忠国の弟季久の子忠廉が文明十八年から日向飫肥に居住した由緒と、永禄三年の将軍上使伊勢備後守による島津・伊東間和平交渉を詳録する。上使は飫肥を公領として和睦させようとするが、樺山善久ら島津方は、飫肥が頼朝以来の島津領であり伊東領ではないと反論し、伊東が飫肥へ手を出さないことや大友氏との協調を条件として確認する。続いて貴久は忠廉の孫忠廣の継子として忠平(のち義弘)を飫肥へ送る。忠平は一年後に薩摩へ戻り、その隙に伊東勢が飫肥を囲むと救援を望むが、貴久・義久に止められ、養父忠廣との関係に苦悩する。後半では肝付兼続が貴久への礼を欠き、廻城を奪って伊地知重興・禰寝重長と結び反乱したため、島津軍が竹原山・廻城で戦う。忠将は制止を聞かず敵中へ突入して戦死し、町田忠林ら七十余人も討死した。肝付方は敗れて恒吉へ退く。忠平は忠廣の勧めで薩摩へ帰り、忠廣は北郷八代系の忠親を養子とする。忠親はいったん飫肥城を伊東氏へ渡すが、同年九月に策を用いて再入城した。和平外交、忠平の養子関係、肝付反乱、忠将戦死、飫肥家継承を結ぶ記事である。

登場人物
島津忠廉、島津忠廣、島津忠平(義弘)、島津貴久、島津義久、樺山安芸守善久、伊勢備後守、伊東義祐、肝付兼続、島津忠将、町田加賀守忠林、伊地知重興、禰寝重長、北郷忠親
宛先
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キーワード
飫肥和平交渉、伊勢備後守、島津忠廉、忠廣養子、肝付兼続、忠将戦死、北郷忠親
島津世禄記-A22記事関連史料(外伝)確認度 高

日州平治之事

日向平定の過程を、高原・野尻・戸崎・石城の攻略を軸に記す。高原城は霧島山東麓にあり、伊東勢が島津領へ侵入する拠点となっていた。義久・忠平らは天正四年に攻撃し、軽率に城へ迫った兵に損害を出したものの、念仏寺を介した講和で城を受け取る。高崎・三山・須木など周辺八か所も島津方へ属した。伊東家中では義祐の暴政に不満が高まり、野尻・戸崎も次々と落ち、義祐は従う者を失って豊後へ逃れた。記事は伊東滅亡を義祐自身の失政の結果と論評する。翌年、長倉氏が石城に拠って旧領回復を図ると、忠棟らが大河に浮橋を設け、鉄砲・矢で包囲した。城内が糧食・水を断たれて降伏すると、島津方は城兵を餓死させず、食料を与えて豊後へ退去させた。軍事攻略と降伏者への処置を通じて日向支配が確立したことを示す。

登場人物
島津義久、島津義弘(忠平)、島津歳久、島津家久、島津征久、伊東義祐、伊東勘解由次官、伊集院忠棟、上原尚近、長倉氏
宛先
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キーワード
日向平定、高原城、伊東氏滅亡、石城、浮橋、降伏処置
島津世禄記-A23記事関連史料(外伝)確認度 高

大友侵日州高城敗北之事

天正六年、大友義統・義鎮父子が豊後・肥後・筑前などの大軍を率いて日向へ侵攻し、高城を包囲した戦いを記す。高城では山田有信を中心とする島津方の守兵が、兵糧や水の不足に耐えて防戦した。義久は諸軍を集め、家久らを前面に出して大友軍と対峙する。十一月の決戦では、島津軍が釣り野伏などの機動的な戦法で敵を誘い崩し、耳川方面へ敗走させた。大友方は多数の将兵を失い、河川や山道で潰走したとされる。戦後、義久は敵陣跡で凱歌を挙げ、敵方に従った日向の住民についても一律に殺すのではなく、罪を問いつつ謝罪・服属を受け入れた。大友氏の大軍を退けた高城・耳川の戦いを、島津氏の九州進出を決定づける勝利として描く記事である。

登場人物
島津義久、島津家久、島津義弘、山田有信、大友義統、大友義鎮(宗麟)、満田宗運
宛先
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キーワード
大友氏、高城合戦、耳川合戦、釣り野伏、日向支配
旧記雑録拾遺 家わけ1-管理ID TMP-P02-NENE3-D0420御内書案旧記雑録拾遺暫定版確認度 –

刊本標題:足利義滿御内書案

今河越後守の件について「留置日州之上者」と記す。 日向國人中に対し、その手に属して今後いっそう忠節を致すよう求める。

登場人物
今河越後守
宛先
日向國人中
キーワード
日向國人、日州、忠節
前編2-No.1509記事確認度 高

殉国名藪

文明八年九月十二日、時任源八左衛門義昭が日州三俣院の戦いで四十二歳にして戦死したことを記す記事。

登場人物
時任源八左衛門義昭
宛先
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キーワード
殉国名藪、時任源八左衛門義昭、日州、三俣院、合戦、戦死、文明八年
前編2-No.2685文書確認度 中

島津貴久書状

島津貴久が大友方の重臣らに、日州千戈の儀をめぐる当家の妨げが深刻であるとして、宗綱への取り次ぎと堅固な申し談じを求めた書状。

登場人物
島津貴久、吉岡越前守、臼杵越中守、吉弘左近大夫、田北大和守
宛先
吉岡越前守殿ほか四名
キーワード
島津貴久書状、島津貴久、吉岡越前守、臼杵越中守、吉弘左近大夫、田北大和守、日州、取次
後編2-No.243記録確認度 中

樺山紹剣自記

樺山紹剣が高動野の合戦から日州への退却まで、自身の見聞と行動を記した自記。勝戦の直後にも進路を失い、阿蘇坂などで多数の敵と戦いながら諸隊が離散・合流する様子が描かれ、撤退時の混乱を生々しく伝える。

登場人物
樺山紹剣、島津義久、伊集院忠棟、新納忠元、島津忠助
宛先
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キーワード
樺山紹剣自記、樺山紹剣、高動野合戦、日州、阿蘇坂、島津義久、伊集院忠棟、新納忠元、退却
後編2-No.424文書確認度 高

島津義久書状

新春を祝い、自身が思いがけず上洛してなお滞在中であること、宗次郎兄弟が無事であることを知らせる。義弘と右衛門大夫の上国が朱印で命じられたため、日州口に在宅する北郷時久へ、留守中の領国と島津方諸城を庄内と同様に守るよう頼み、馬二疋を贈った書状。

登場人物
島津義久、北郷時久、島津義弘、伊集院忠棟、宗次郎兄弟
宛先
北郷左衛門入道殿(北郷時久)
キーワード
島津義久書状、島津義久、北郷時久、島津義弘、伊集院忠棟、上洛、留守国、日州口、諸城、馬贈答
後編2-No.441文書確認度 中

某書状案

若年の「又七」(時期から島津豊久か)について、高崎越前守から幾度も教諭するよう求める。続いて山内の処置を論じ、右松宗納・黒木入道らが関係するなか、日州の巣鷹を義弘が受け取るよう関白朱印で命じられ、その趣旨に従って山内の儀を処理したと説明する。 当事者間の朱印が前後しても後の朱印を実効あるものとし、兄弟間の事情より関白朱印を優先すべきだと説く、領地・権限調整の書状案。

登場人物
島津豊久(又七か)、島津義弘、高崎越前守、右松宗納、黒木入道、関白豊臣秀吉
宛先
宛先不明
キーワード
又七、島津豊久、島津義弘、高崎越前守、右松宗納、黒木入道、山内、日州、巣鷹、関白朱印、豊臣秀吉、朱印の優越、領地処置
後編2-No.1001文書確認度 中

島津義久袖加判領知目録

日州志布志のうち、志布志名の三反二畝余を町田出羽守へ領知させた目録。 島津義久の袖判を伴い、志布志における小規模な知行給付と受給者を明確にする。

登場人物
島津義久、町田出羽守
宛先
町田出羽守
キーワード
島津義久、町田出羽守、日州、志布志、志布志名、袖判、知行、領知目録、地積
後編3-No.240文書確認度 高

島津竜伯宛行状

島津義久が友枕斎如貴に、日州諸県郡内の八代村・深年村などの土地を、村別の石高を示して充行った宛行状。

登場人物
島津義久(龍伯)、友枕斎如貴
宛先
友枕斎如貴
キーワード
島津義久、友枕斎如貴、日州、諸県郡、八代村、深年村、石高、宛行状
後編3-No.557文書確認度 高

近衛前久書状

近衛前久が〔慶長三年〕十一月六日付で島津義弘・忠恒へ出した書状。明の数万騎を即時に切り崩して三万余を討ち取った戦功を比類ないと称え、竜伯の喜びとともに禁裏へ報告したところ叡感があったと伝える。日州で豊後勢六万余を破った旧功にも触れ、秀吉死後は在陣を続ける必要がないとして、勢いを保ったまま早々に帰朝するよう求める。

登場人物
近衛前久、島津義弘(兵庫頭)、島津忠恒(又八郎)、島津義久(竜伯)、禁裏、大閤豊臣秀吉、豊後衆
宛先
兵庫頭殿・又八郎殿
キーワード
近衛前久書状、近衛前久、十一月六日、島津義弘、島津忠恒、明軍数万騎、三万余討捕、竜伯、禁裏、叡感、日州、豊後衆六万余、豊臣秀吉死去、帰朝要請
後編3-No.824記事確認度 高

盛香集

『盛香集』は、新納摂津が日州庄内へ布陣した時、古来稀な高齢で四肢も不自由ながら軍務に励んだことを記す。同陣で十五歳の平田三五郎が戦死すると、武蔵入道がその無双の美童を哀傷し、「きのふ迄誰か手枕にみたれけん/よもきか元にかゝる黒かみ」と詠んだという。

登場人物
新納摂津、平田三五郎、武蔵入道
宛先
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キーワード
盛香集、新納摂津、平田三五郎、武蔵入道、日州庄内、布陣、高齢、軍務、十五歳、戦死、哀傷歌、黒髪
後編3-No.1181記事確認度 高

宰相様記事 翻刻・訳文あり

宰相様は慶長五年九月まで大坂屋敷に滞在していたが、関ヶ原合戦に敗れた惟新公すなわち島津義弘(惟新)の帰国に際し、家人とともに大坂を出たと記す。西宮沖で義弘と同じ船へ乗り移り、九月二十九日に日州細島へ着き、そこから陸路で帰国した。

登場人物
宰相様、島津義弘(惟新)
宛先
該当なし
キーワード
宰相様記事、大坂屋敷、関ヶ原敗戦、島津義弘(惟新)、惟新、西宮沖、同船、日州細島、陸路帰国
後編3-No.1391記録確認度 中

瀬戸口休五郎覚書

森江の船で御上様の乗物を焼き捨てていたため、細島に上陸して出立する際、代わりの乗物に事欠いた。語り手の母が持参した乗物を借りることとなったが、父は自家の女房の駕籠を御上様に差し上げるのは畏れ多いとためらった。細島にほかの乗物がないため供用し、御上様は「日州八代」まで使用した。八代に迎えの乗物が到着すると母の乗物は返され、母には細島から八代まで公儀より馬が与えられた。日州は日向国で、八代は現在の宮崎県国富町八代地区方面とみられる。

登場人物
御上様、瀬戸口休五郎、瀬戸口休五郎父、瀬戸口休五郎母
宛先
該当なし
キーワード
瀬戸口休五郎覚書、細島、森江、御上様、瀬戸口休五郎、瀬戸口休五郎父、瀬戸口休五郎母、松岡勝兵衛、乗物、駕籠、日州八代、日向国八代、国富町八代地区方面、乗物返却、公儀、馬