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後編3-No.1181記事

宰相様記事

年月日未詳

確認度

概要

宰相様は慶長五年九月まで大坂屋敷に滞在していたが、関ヶ原合戦に敗れた惟新公すなわち島津義弘(惟新)の帰国に際し、家人とともに大坂を出たと記す。西宮沖で義弘と同じ船へ乗り移り、九月二十九日に日州細島へ着き、そこから陸路で帰国した。

登場人物

宰相様、島津義弘(惟新)

宛先

該当なし

キーワード

宰相様記事、大坂屋敷、関ヶ原敗戦、島津義弘(惟新)、惟新、西宮沖、同船、日州細島、陸路帰国

冊子頁

584

読込量

面白さ

★★★

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(5)572~683頁(慶長5).pdf

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採用済みの翻刻・訳文

3

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原文写し

管理人採用済み
慶長五年九月迄八為質大坂御屋敷へ被成御座、關ヶ原合戰破れ惟新公御下國ニ付、宰相様(家久公御母堂)、潜ニ大坂御出、西ノ宮ノ沖ニ而、惟新様御同船ニ御乘移被成、同月廿九日日州細嶋へ御着、從是陸路御歸國也、
根拠・参照箇所
geminiによる原文写し
投稿者
keicho
投稿日
2026-08-10

書き下し文

管理人採用済み
慶長五年九月までは質(しち)として大坂御屋敷へ御座(ござ)被成(なされ)、関ヶ原合戦破れ惟新公(いしんこう)御下国(ごかこく)に付(つき)、宰相様(さいしょうさま)(家久公御母堂(いえひさこうごぼどう))、潜(ひそか)に大坂御出(おいで)、西の宮の沖にて、惟新様御同船に御乗り移り被成(なされ)、同月二十九日日州細島(にっしゅうほそしま)へ御着(ごちゃく)、これより陸路御帰国なり。
根拠・参照箇所
geminiによる書き下し文
投稿者
keicho
投稿日
2026-08-10

現代語訳

管理人採用済み
慶長5年(1600年)9月までは、人質として大坂の屋敷においでになりましたが、関ヶ原の戦いで西軍が敗れ、惟新公(島津義弘)が薩摩へ下国されることになったため、宰相様(島津家久・忠恒の母堂である義弘の妻)は、密かに大坂をお出になり、西宮の沖合で惟新様の船へ乗り移られました。そして同月(9月)29日に日向国の細島に着船され、ここからは陸路でご帰国されたのです。
根拠・参照箇所
geminiによる現代語訳
投稿者
keicho
投稿日
2026-08-10