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『旧記雑録』前編・後編・附録10冊と追録1~8(暫定版)、『旧記雑録拾遺 伊地知季安著作史料集1~9』『家わけ1』(暫定版)、関連史料(外伝)『島津世禄記』の46,754件を横断検索できます。検索範囲は史料群・巻を組み合わせて選べます。結果は50件ずつ表示します。

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36 件 (全巻)/ 1–36件を表示

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後編1-No.1375文書確認度 中

新納忠堯書状

新納忠堯が新納忠元へ、新年の吉兆と例年以上の満足を祝し、祝儀として五明二本を贈った年賀書状。本文注記は天正十二年頃とする。

登場人物
新納忠堯、新納忠元
宛先
新納武蔵守忠元
キーワード
新納忠堯書状、新納忠元、年賀、吉兆、五明二本、天正十二年
後編2-No.1222文書確認度 中

忠堯坪付

谷口忠堯が、大隅国清水のうち北辰神社に付属する土地の坪付を作成したもの。田畠を所在地ごとに分け、反・畝・歩および収量を記して、神社領の規模と内訳を示す。 戦国末期の神社経営を支えた土地配分と年貢基準を確認できる実務文書。

登場人物
谷口忠堯、清水北辰神社
宛先
清水北辰神社関係者宛
キーワード
谷口忠堯、坪付、大隅国、清水、北辰神社、神社領、田畠、反畝歩、収量、土地台帳
後編2-No.1303文書確認度 高

忠実・忠堯連署坪付

大隅国清水の北辰社領について、寺田・上田・下田などの坪ごとに面積と分米を列記した坪付。橋口伴左衛門先、田中備後助先などの旧名義を示し、合計一七石四斗七升四合と算出する。 社領の所在と旧給人、石高を照合できる土地台帳で、谷口安房介忠実と忠堯の連署を伴う。

登場人物
谷口安房介忠実、忠堯、橋口伴左衛門、田中備後助、清水北辰社
宛先
—
キーワード
清水北辰社、坪付、大隅国清水、谷口安房介忠実、忠堯、橋口伴左衛門、田中備後助、社領、石高、連署
後編2-No.763書状確認度 高

島津義弘書状

本文はNo.1133の島津義弘書状と同文のため省略されている。新納忠元家に収められ、新納次郎四郎忠堯の所蔵と注記されており、同じ書状が新納氏関係史料にも伝来したことを示す。

登場人物
島津義弘、新納忠元、新納次郎四郎忠堯
宛先
—
キーワード
島津義弘、新納忠元、新納次郎四郎忠堯、No.1133と同文、本文省略、所蔵、伝来
後編2-No.1223文書確認度 高

北辰神社祭礼入目書

清水北辰神社の祭礼費として渡す米を「籾米七斗八」と定めた入目書。祭礼に必要な支出を、谷口忠堯が具体的な米量で記録する。 No.1222の坪付と対になり、神社領から祭礼経費がどのように賄われたかを示す短い会計文書。

登場人物
谷口忠堯、清水北辰神社
宛先
清水北辰神社関係者宛
キーワード
谷口忠堯、北辰神社、祭礼、入目書、籾米、七斗八、清水、神社経営、祭礼費、会計
追録6-No.2128記事旧記雑録暫定版確認度 高

島津斉宣が芝邸で元服し又三郎忠堯と称する

天明四年九月二十七日、島津斉宣が江戸の芝邸大書院で元服したことを記す。父島津重豪が自ら加冠し、島津伊賀久金が理髪を務め、又三郎忠堯と名乗らせて宝刀一振を与えた。家伝の元服式を基礎としつつ、重豪が幕府諸侯の家法を広く調べて典礼を定め、進物も折十一合・樽三荷から折十六合・樽五荷へ増したという。

登場人物
島津斉宣(虎寿丸・又三郎忠堯)、島津重豪、島津久金
宛先
御譜中記事(宛先なし)
キーワード
島津斉宣、虎寿丸、又三郎忠堯、島津重豪、島津久金、元服、芝邸、大書院、加冠、理髪、宝刀、家伝、典礼
追録6-No.2398記事旧記雑録暫定版確認度 高

又三郎忠堯の初御目見と献上への謝礼

七月二十七日の老中奉書により、翌二十八日、重豪は又三郎忠堯を伴って登城した。忠堯は白書院で将軍家治と世子家斉に初めて御目見し、家治へ太刀一腰・白銀二十枚・巻物十・馬一匹、家斉へ太刀一腰・白銀二十枚・馬一匹を献上した。重豪も家治へ綿五十把、家斉へ綿三十把を献上し、忠堯の初御目見の恩を謝した。

登場人物
島津重豪、又三郎忠堯、徳川家治、徳川家斉
宛先
江戸幕府
キーワード
島津重豪、又三郎忠堯、初御目見、徳川家治、徳川家斉、白書院、太刀、白銀、巻物、馬、綿、献上、謝礼
追録6-No.2399書状旧記雑録暫定版確認度 高

又三郎忠堯の御目見に伴う登城を命じる

老中四名は、又三郎忠堯の御目見が仰せ付けられたので、翌二十八日五時に重豪が同道して登城し、重豪自身も表御礼を申し上げるよう命じる。

登場人物
松平康福(周防守)、田沼意次(主殿頭)、牧野貞長(越中守)、水野忠友(出羽守)、島津重豪(松平薩摩守)、又三郎忠堯
宛先
松平薩摩守殿
キーワード
松平康福、田沼意次、牧野貞長、水野忠友、島津重豪、又三郎忠堯、御目見、登城、表御礼、老中連署
追録6-No.2401書状旧記雑録暫定版確認度 高

又三郎忠堯の初御目見と表御礼の登城命令を承諾する

重豪は、又三郎忠堯の御目見が仰せ付けられたので、翌二十八日五時に同道して登城し、自身も表御礼を申し上げるよう命じられたことを承知し、畏み奉ると回答する。

登場人物
島津重豪、又三郎忠堯、松平康福、田沼意次、牧野貞長、水野忠友
宛先
松平康福・田沼意次・牧野貞長・水野忠友
キーワード
島津重豪、又三郎忠堯、初御目見、登城、表御礼、請書、松平康福、田沼意次、牧野貞長、水野忠友
追録6-No.2404-1書状旧記雑録暫定版確認度 高

又三郎忠堯の初御目見と上意に謝礼を述べる

重豪は又三郎忠堯を同道して登城し、大廊下休息所で初御目見を命じられて懇ろな上意を受け、再び召し出されて慰めの言葉を賜り、さらに家来まで御目見を許されたことを重ねてありがたく思うとして、自身と又三郎が同様に御礼を申し上げる。

登場人物
島津重豪、又三郎忠堯、徳川家治
宛先
江戸幕府
キーワード
島津重豪、又三郎忠堯、登城、大廊下休息所、初御目見、上意、再召出、家来御目見、御礼
追録6-No.2133申渡書旧記雑録暫定版確認度 高

虎寿丸元服次第の改訂と記録保存を記録奉行へ伝える

又三郎の元服次第は先に帳面へ写すよう命じていたが、公辺への照会後に改訂されたため、次第書一通と仲殿から記録奉行へ渡す横切書付一通を添える。添書は、虎寿丸が九月二十七日に大書院で重豪の加冠を受け、又三郎、実名忠堯と称し、家伝の作法どおり滞りなく元服した旨と、別紙の祝儀次第を帳面へ記すよう十一月に命じる。

登場人物
虎寿丸(又三郎忠堯)、島津重豪、島津久金(仲)、御記録奉行
宛先
御記録奉行
キーワード
虎寿丸、又三郎忠堯、島津重豪、島津久金、仲、元服、次第書、添書、御記録奉行、公辺、改訂、白木文書九十九
追録6-No.2402書状旧記雑録暫定版確認度 中

家来一人を伴う御目見登城命令を承諾する

重豪は、家来一人の御目見が仰せ付けられ、その者を召し連れるよう命じられたことを了承する。前後資料から、この家来は又三郎忠堯を指す。

登場人物
島津重豪、又三郎忠堯、松平康福、田沼意次、牧野貞長、水野忠友
宛先
松平康福・田沼意次・牧野貞長・水野忠友
キーワード
島津重豪、又三郎忠堯、家来、御目見、召連、登城、請書、老中
追録6-No.2492記事旧記雑録暫定版確認度 高

家斉による又三郎の加冠と斉宣への改名・叙任および謝礼を記す

十二月六日付の老中奉書を受け、翌七日、稲葉能登守弘通が重豪の名代として又三郎忠堯に伴って登城した。黒書院で家斉が忠堯に加冠し、名の一字を与えられて豊後守斉宣と改称した。この日、従四位下に叙され、侍従に任ぜられたため、弘通は重豪に代わって御太刀一腰・綿三十把・御馬代黄金一枚を家斉へ献上し、謝礼とした。詳しくは斉宣の譜に載せると記す。

登場人物
島津斉宣(又三郎忠堯)、徳川家斉、島津重豪、稲葉弘通(能登守)
宛先
記事につき宛所なし
キーワード
島津斉宣、忠堯、元服、加冠、家斉、黒書院、豊後守、従四位下、侍従、稲葉弘通
追録6-No.2495記事旧記雑録暫定版確認度 高

家斉による加冠と斉宣への改名・叙任および拝領品と謝礼を記す

天明六年十二月六日付の老中奉書を受け、翌七日、稲葉能登守弘通が父重豪の名代として忠堯に伴い登城した。注記によれば忠堯は熨斗目・長袴を着用し、実年齢十五歳であった。黒書院で家斉が手ずから加冠し、一字を与えられて斉宣と改名、豊後守に任じられ松平豊後守と称した。次間では列座する老中が台命を伝え、従四位下・侍従への叙任と盃・肴の拝領があり、さらに宝刀一腰を賜った。斉宣は太刀一腰・刀一腰(備前祐光)・縮緬十巻・白銀三十枚・馬一匹を家斉へ献じて謝礼とし、弘通も重豪の名代として太刀一腰・綿三十把・馬代黄金一枚を献じた。謝礼の儀式を終えて桜田邸に入り着替え、大老・老中の各邸を訪ねて関与への謝意を述べ、その後帰邸した。

登場人物
島津斉宣(忠堯)、徳川家斉、島津重豪、稲葉弘通(能登守)、大老、老中
宛先
記事につき宛所なし
キーワード
島津斉宣、忠堯、元服、加冠、家斉、豊後守、従四位下、侍従、拝領品、謝礼
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 63-4覚書・田賦記事旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

某覚書

天正十一年五月六日、深江・安徳両城が義久に属す旨を有馬氏が伝えた後、深江の変約と安徳守兵の困窮から援兵を求めた経緯を記す。義久は六月二日の出発を予定し、新納忠堯・川上忠堅を先遣したが、勝利の報告を受け自身の出陣は中止した。田賦十五町につき勇士一人の定めを援兵派遣時のものとし、上井日記同年五月二十七日条を引証する。

登場人物
島津義久、有馬氏、新納忠堯、川上忠堅
宛先
なし(覚書のため宛先なし)
キーワード
深江城、安徳城、島津義久、有馬氏、新納忠堯、川上忠堅、田賦、十五町一人、上井日記
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w4:107-1知行坪付・系譜由緒旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

上原氏老臣連署坪付

天正八年閏三月吉日、伊集院忠棟・村田経定・上井覚兼・平田光宗・本田親貞の老臣五名が上原隼人佑へ、薩摩国加世田の津貫名牧壇之門内にある、あまつこみ・谷の口・山の下・牟田・坪・宮田尻・陰俣・上公田・堀町などの田地を列記して与えた連署坪付。総量は九町二杖とされるが、伊地知季安は現存する坪付の記載だけでは九町にならず、紙端の脱落ではないかと疑い、丁・畦・町の換算を示したうえで博古の人の検討を求める。後続の系譜注記は、尚常(尚近とも作る)の軍功を略記し、天正二十年九月五日に没して高崎縄瀬村小牧に葬られ、法名を久全源昌居士としたこと、清水押職を務めた人物や尚張、新納忠堯室となった女子を掲げる。尚張については天正十二年三月の隆信合戦への従軍、慶長十六年の国分から麑府への移住、家久の用不足による百石につき四分一の田禄収公と残禄四百八十二石を記す。上原尚氏は天正十四年十一月、島津義久の豊後大友氏攻めに従軍し、天正二十年六月には日州志布志伊屋松門の二町七段八畦五歩を与えられ、島津忠長・伊集院忠棟ら老中から目録を受けたとする。坪付本文だけでなく、その受給者一族の軍歴・移住・知行変動と次の知行文書の背景まで連続して記す点が特徴である。

登場人物
上原隼人佑(前項の上原尚信)、伊集院忠棟、村田経定、上井覚兼、平田光宗、本田親貞、河野通古、上原尚常(尚近とも作る)、上原尚張、島津義久、島津家久、新納刑部少輔忠堯、上原尚氏(隼人佑・筑前守・源右衛門尉)、島津図書頭忠長、伊集院忠棟入道幸侃、町田出羽守久倍、平田左近将監蔵宗、本田親貞入道三清
宛先
上原隼人佑殿
キーワード
上原氏老臣連署坪付、正本家蔵、上原隼人佑、天正八年閏三月吉日、薩摩国加世田、津貫名、牧壇之門、あまつこみ、谷の口、山の下、牟田、坪、宮田尻、陰俣、上公田、堀町、九町二杖、坪数不整合、紙端脱落、丁畦町換算、伊地知季安考証、伊集院忠棟、村田経定、上井覚兼、平田光宗、本田親貞、旧記雑録後編一二三四号、河野通古、上原尚常、尚近、軍功略記、高崎縄瀬村小牧、久全源昌居士、清水押職、上原尚張、隆信合戦、国分、麑府、田禄収公、四分一、残禄四百八十二石、新納忠堯室、上原尚氏、豊後大友氏攻め、志布志伊屋松門、二町七段八畦五歩、島津忠長、伊集院幸侃、町田久倍、平田蔵宗、本田三清
旧記雑録拾遺 著作史料集9-文書ID W06_文書0120-1考察旧記雑録拾遺暫定版確認度 低

新納久仰考

久仰が泉徳寺本尊後光裏の銘と寺の由緒を考察する。以前は由緒の概要しか分からなかったが、萬延元年の公用調査で銘が見つかった。龍伯が懸命地を与えて寺を建立したこと、忠元が父祐久の菩提を弔い、弟忠堯らの供養をしたという伝承を、忠元・忠恒の名と再興銘から検討する。宗心の忌日に朝鮮渡海を控えて念仏した記事も参照し、懸命地は忠堯の戦死を深く悼んで与えられたのであろうと考える。寛正六年の田代氏文書に「千徳寺」の前とあることも、泉徳寺の証拠として記す。

登場人物
新納久仰、新納忠元、新納忠恒、新納忠堯、龍伯、加賀守祐久、弥太右衛門忠増、宗心、華巌意雲
宛先
—
キーワード
新納久仰考、泉徳寺の由緒探索、父の菩提所、弟忠堯の戦死、宗心の忌日、懸命地の由来、銘による考証、寛正六年田代氏文書
旧記雑録拾遺 著作史料集9-文書ID W06_文書0125勲功記旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

新納忠元勲功記

天正四年、近衛龍山の下向に伴う歌会へ忠元も召されたことに続き、高原城攻略の働きを記す。八月十六日の戦いで二十三歳の忠堯は小楯を持ち打刀で突入し、首を得たが多くの傷を負った。十八日の落城時、足軽大将漆豊前介がその名を尋ねて勇士と称えた。高原の落城後は三之山・温水・須木など七城が退去し、忠元は勝利の祝いに参じ、太刀を進上した。

登場人物
新納忠元、新納忠堯、新納刑部太輔、近衛龍山前久、貴明、漆豊前介、川田駿河守義朗
宛先
—
キーワード
新納忠元勲功記、近衛下向の歌会、高原城攻略、二十三歳の忠堯、小楯と打刀、首級、負傷、十八日の落城、七城の退去、勝利祝い、太刀進上
旧記雑録拾遺 著作史料集9-文書ID W06_文書0154系譜旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

新納忠元系譜

相良義陽が大友と結び、阿蘇惟前と朴之河内に城を置いて、高城を囲み大口を取ろうとした。忠元は大口を守り、五月十三日に忠堯と平田又次郎らを攻撃に出した。又次郎と本村士介・國田掃部が奮戦して死んだが、十五日には城を抜き取った。早水・山下らにも功があり、末尾では針野・岩年礼に塁を築いて東駿河守らを置いたと記す。

登場人物
新納忠元、義陽、阿蘇惟前、忠堯、平田又次郎、國田掃部、東駿河守、早水金右衛門、山下伊賀守
宛先
—
キーワード
新納忠元系譜、大友との結託、高城包囲、大口攻撃、忠元の守備、忠堯の出陣、又次郎らの戦死、五月十五日の抜城、両塁の設置
追録6-No.2405記事旧記雑録暫定版確認度 高

斉宣が父重豪に随って将軍・世子へ初御目見する

斉宣は七月二十七日に老中奉書を受け、翌二十八日に父重豪に随って登城し、白書院で将軍家治と世子家斉へ初御目見した。家治へ太刀一腰・白銀二十枚・緞子十巻・馬一匹、家斉へ太刀一腰・白銀二十枚・馬一匹を献上し、初御目見の恩を謝した。

登場人物
島津斉宣(又三郎忠堯)、島津重豪、徳川家治、徳川家斉
宛先
江戸幕府
キーワード
島津斉宣、又三郎忠堯、島津重豪、徳川家治、徳川家斉、白書院、初御目見、太刀、白銀、緞子、馬
追録6-No.1127記事旧記雑録暫定版確認度 中

齊宣の出生と虎寿丸賜名・七夜祝儀、実母に関する注

齊宣公御譜中の出生記事。冒頭に初名忠堯、小名虎寿丸、又三郎、豊後守・薩摩守、従四位下侍従・左近衛少将、従四位上左近衛中将、修理大夫、溪山、正四位上という名・称・官位を掲げる。安永二年冬十二月六日、江府芝邸に誕生し、時刻は不詳とする。母は同悟姫、実母は堤中納言代長の卿女と記し、生母なので内証と称した旨や、後年の高輪邸での逝去と法号の注を付す。十三日に七夜の賀を催し、家老小松帯刀清香が鳴弦の儀を行い、太刀一腰・馬代金一枚・二種一荷を父公へ献じ、他の臣も献物した。父公は折紙で幼名虎寿丸を賜い、鯛一折と榛代三百足を贈って祝う。虎寿丸も鯛一折・榛代三百足を献じ、賜名の恩に謝したと記す。実母の注には文化八年六月十四日逝去と十三日を忌日とする記載が併存するため、その日付差は留保する。

登場人物
齊宣(初忠堯・虎寿丸・又三郎・豊後守・薩摩守・溪山)、父公重豪、小松帯刀清香、堤中納言代長の卿女・同悟姫
宛先
父公(七夜の献上先)、虎寿丸(賜名・贈物対象)
キーワード
齊宣の名・官位、十二月六日芝邸出生、時刻不詳、母同悟姫・堤代長女、内証、十三日七夜、小松清香の鳴弦、太刀一腰・馬代金一枚・二種一荷、虎寿丸賜名、鯛一折・榛代三百足、実母の日付注
追録6-No.1128系譜旧記雑録暫定版確認度 中

齊宣略歴―名・称・官位、芝邸出生と内証・実母の後年注

初名忠堯、後に齊宣、小字虎寿丸、又三郎、豊後守・薩摩守、従四位下侍従・左近衛少将、従四位上中将、後に修理大夫、号溪山とする略歴。安永二年癸巳十二月六日に芝邸で生まれ、母を堤前中納言代長女と記す。朱に「近秘野卿」との注がある。細注は浄岸君が守宮にあったこと、君の逝去後に父公が代長女を得て虎寿君が生まれたので千方殿におり、安永五年正月二十二日に本丸大奥へ移居したことを記す。寛政元年八月六日に御内証様と称する命を記し、寛政五年正月の注は「年餉提前宰相録百枚終身賜之命也」と記し、受給対象と「録」の細義は留保する。文化八年辛未六月十三日に江戸で逝去、大圓寺へ葬り、法号春光院殿心月清凉大姉、福昌寺に安主したと注する。主文の略歴と、実母・居所・呼称・終身賜与・逝去の細注を分けて記す。

登場人物
太公齊宣(初忠堯・虎寿丸・又三郎・豊後守・薩摩守・溪山)、堤前中納言代長・その女、浄岸君、父君
宛先
略歴のため独立宛所なし
キーワード
齊宣の名・官位、堤代長女、芝邸出生、千方殿・本丸大奥、寛政元年御内証様、寛政五年終身百枚の注(受給対象留保)、文化八年六月十三日逝去、大圓寺・福昌寺
旧記雑録拾遺 著作史料集9-文書ID W06_文書0111勲功記旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

新納忠元勲功記

天正二年の牛根城攻略と肝付方の和睦を記す勲功記。安樂兼寛の守る牛根城を攻める際、忠元は逆瀬川らに岸を掘って道を通すよう指示し、幼い忠堯を城へ入れて兼寛の弟兼貫を人質として得た。十二日に城内へ入り四百三十余人を討ち、牛根領の獲得を忠元の功績とする。肝付方の当主らが没して勢力が弱まる中、忠元は兼純との親族関係や其阿上人を通じて和睦を勧め、二月に下城と五ヶ所を譲らせた。市成・廻・福山・恒吉の取得、先功の賞賛、愛岩建立と六月十四日の例祭も伝える。

登場人物
新納忠元、安樂備前守兼寛、島津義久、貴明、逆瀬川奉膳兵衛武安、本村筑前守、久留伴五左衛門、肝付兼貫、忠堯、肝付省釣、肝付兼亮、兼死、兼純、伊地知重興、北郷時久、伊東義祐、浄光明寺其阿上人
宛先
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キーワード
新納忠元勲功記、牛根城の堀道、忠元の指揮、幼子の城内派遣、人質交換、城の奪取、四百三十余人の討取り、肝付方の衰退、親族と僧の和睦仲介、五ヶ所の譲渡、忠元の先功と愛岩祭
旧記雑録拾遺 著作史料集9-文書ID W06_文書0134勲功記旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

新納忠元勲功記

右之城に詰めていた肝付勢が、伊東勢の福嶋進攻を受けて争戦し、島津方へ降参したことを記す。高山を肝付兼護道に残し、姶良・志布志・福嶋など諸所を島津側の領知とした。忠元は十二歳で初めて出陣した旧領志布志の人々と面会し、旧臣の子孫が当地に残ったという。十二月には伊東義祐が佐土原を捨てて豊後へ出奔し、忠堯が城に籠もった。忠元は相良領と大口の境目の玖广で番を務めた。

登場人物
新納忠元、新納忠堯、伊東義祐、肝付兼護道(後の左馬介)、貴明
宛先
—
キーワード
新納忠元勲功記、天正五年春、伊東の福嶋進攻、肝付方の降参、諸所の領知、忠元の初陣と息子の働き、佐土原放棄、豊後への出奔、国境の番
旧記雑録拾遺 著作史料集9-文書ID W06_文書0143勲功記旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

新納忠元勲功記

大友宗麟の高城攻撃と十一月十二日の敗北を記し、耳川で敵六万人を討ち取ったとする。忠元と義虎は肥後境の番に当たり、忠堯が本隊に従った。忠元は忠堯・重康らと相談して山野に伏兵を置き、自ら早牟田勢を誘い出した。偽って退いたところを伏兵が攻め、主従七人を討ち取り、中間を捕らえた。義虎は働きを褒め、兼光の刀を贈った。

登場人物
新納忠元、忠堯、伊地知民部少輔重康、義虎、大友宗麟、山田有信、早牟田城介
宛先
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キーワード
新納忠元勲功記、耳川の勝利、肥後境の番、忠元と義虎の不参陣、山野の伏兵、釣り出し、七人の討取り、兼光の刀
旧記雑録拾遺 著作史料集9-文書ID W06_文書0146自記旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

伊地知重範自記

重範が十六歳で初めて具足を着け、求摩境の戦いに加わった経験を記す。忠元が敵を山野のふか下タへ誘い出し、忠堯・重康らの伏兵が攻めた。重範は郎等を斬った際に腰を負傷したという。早牟田城介ら主従七人を討ち、中間を捕らえた働きに対し、出水の義虎が兼光の刀を贈った。

登場人物
伊地知重範、新納武蔵守忠元、新納刑部太輔忠堯、伊地知民部少輔重康、義虎、早牟田城介
宛先
—
キーワード
伊地知重範自記、十六歳の初具足、求摩境の戦闘、敵の誘い出し、負傷、伏兵、七人の討取り、兼光の刀
旧記雑録拾遺 著作史料集9-文書ID W06_文書0164覚書旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

勝目兵右衛門覚書

天正八年五月、忠元が大口に接する相良領寶川内を攻め、忠堯と城へ入った平田又次郎ら三人が討死した。忠元は重康・重賢を誘って伏兵を置き、敵を討った。城主らは城を捨て、朴野・岩年礼も領地となった。続いて隈本方への援軍と内通、阿蘇方との対立を記す。十月十五日の矢崎攻めで忠元が丸田ら敵を討ち、翌日網田が降伏した。十一月の合子戦では忠元父子らが働き、百三十余人を討ち取って帰陣したとする。

登場人物
新納忠元、忠堯、貴明、兼早、水金右衛門、山下伊賀、山下早左衛門、有村隼人、平田又次郎、伊地知重康、重賢、城親賢、相良義陽、鎌田寛栖、丸田久右衛門、中村二太夫
宛先
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キーワード
勝目兵右衛門覚書、天正八年の寶川内攻め、三人の討死、城の放棄、肥後の内通、矢崎と網田の攻取、合子の戦い、百三十余の首級
旧記雑録拾遺 著作史料集9-文書ID W06_文書0171勲功記旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

新納忠元勲功記

相良義陽の北原・菱刈への妨害を受け、天正九年八月、島津兄弟が大軍を集めた。芦北へ先陣を入れ、十九日には大口から水俣を囲み、忠元が寄せ手へ夜襲を勧めたと記す。城方の瀧間美作守の発句に忠元が返歌したことも載る。九月十五日に水俣など五城が和降し、義陽が息子らを人質として出した。勝利は忠堯と川田義朗の働きによるとし、末尾に家伝などによる別伝と義朗の墓・由緒の注記を置く。

登場人物
新納忠元、忠堯、相良義陽、貴明、島津義久と兄弟、深見、犬童、川田駿河守義朗
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キーワード
新納忠元勲功記、天正九年八月、相良への対処、芦北の先陣、水俣包囲、忠元の夜襲勧告、発句と返歌、五城の和降、人質、義朗の注記
島津世禄記-A26記事関連史料(外伝)確認度 高

救田尻某救有馬某討捕隆信事

肥後の田尻氏と肥前の有馬氏を救援し、龍造寺隆信を討った経過を記す。隆信に攻められた田尻氏の要請で島津軍が肥後へ進出するが、遠征軍は兵糧・装備が不足して一度撤退した。続いて有馬氏の救援要請を受け、新納忠堯・川上忠堅らを安徳へ送るが、深江攻撃で忠堯が戦死する。翌天正十二年、家久を大将に忠豊・彰久・忠長・忠元ら約千五百騎が島原へ渡り、有馬軍と合流した。数万とされる隆信軍に対し、家久は退却を許さず死戦を命じ、沖田畷で敵を狭隘な地形へ引き込んで撃破する。川上忠堅らが隆信の所在を突き止め、最終的にその首を得た。島津方も多数の戦死者を出したが、敵首三千余を得たとし、守山・神代などの城が落ちた。有馬氏には旧領の一部を返し、島原方面へ島津の守将を置いた。寡兵による大軍撃破と家久の指揮を強調する記事である。

登場人物
島津家久、島津忠豊(豊久)、島津彰久、島津忠長、新納忠元、新納忠堯、川上忠堅、龍造寺隆信、有馬晴信、田尻氏
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キーワード
沖田畷合戦、龍造寺隆信、有馬救援、家久、寡兵、島原
旧記雑録拾遺 著作史料集9-文書ID W06_文書0115日記旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

上井覚兼日記

天正二年八月以後の出仕・交渉・接待を記す日記の抄録。川辺で盗人孫左衛門をめぐって起きた鹿籠との争論を忠元・鎌田らと相談し、中書の内議を使者の忠元から聞く。隈城の四十町、山田三十町、天辰・田崎を交換する所領調整や、弓箭の談合、江月斎・和泉の使者への対応を続けて記す。頴娃や唐口の座席と接待、諸役と参加者、雑説をめぐる義虎や中書への報告も記録する。天草の使僧の太刀・厚板物・馬代などの進献、和泉・天草の和平交渉と所領の一部譲渡、使僧の返事についても述べる。

登場人物
上井覚兼、新納武州、鎌田尾州、孫左衛門、金田、折田、左馬頭忠長、中書、入来院、北郷時久、本田野州、本田親貞、伊地知重秀、江月斎、喜入季久、平田昌宗、梅北國兼、川上久辰、新納忠堯、義虎、天草の使僧
宛先
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キーワード
上井覚兼日記、川辺鹿籠争論、盗人孫左衛門、所領四十町、山田三十町、天辰田崎の交換、弓箭談合、使者の接待、雑説と義虎、和泉天草の和平、天草進献品
旧記雑録拾遺 著作史料集9-文書ID W06_文書0120地蔵銘文旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

泉徳寺勝軍地蔵銘文

泉徳寺に安置する本尊勝軍地蔵の木像・蓮花座・後光の寸法を記す。後光裏の銘は、天正三年菊月二十八日に華巌意雲が勝軍地蔵大菩薩を造立したことを伝え、大檀那忠元と忠恒の武運長久・家門繁昌を祈る。別の銘には寛延三年十二月十六日、源隆の代に華巌意雲が再興し、厨子の後ろに圖子一宇を奉寄進したことを記している。

登場人物
新納忠元、新納忠恒(忠堯の初名)、華巌意雲
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キーワード
泉徳寺勝軍地蔵銘文、勝軍地蔵、木像、後光裏の銘、大檀那父子、武運長久、家門繁昌、天正三年菊月廿八日
旧記雑録拾遺 著作史料集9-文書ID W06_文書0121観音銘文旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

祥雲寺脇立観音銘文

祥雲寺に安置する脇立観音の木座像・蓮花座・後光の寸法を記し、後光裏の尊像彫刻銘と奉寄進の銘を掲げる。天正三年十一月吉日の銘と天正六年八月の蓮花座裏銘があり、後者は華岩意雲の再興を伝える。願主忠元・忠恒と家門の繁昌、安泰を祈り、天正三年十一月二日付の華岩意雲の文と、細工重藤が切組の内に記されているという注を添える。

登場人物
華岩意雲、新納忠元、新納忠恒(忠堯の初名)、細工重藤
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キーワード
祥雲寺脇立観音銘文、脇立観音、木座像、後光と蓮花座の銘、天正三年十一月吉日、天正六年八月、家門繁昌、重藤の切組細工
島津世禄記-A21記事関連史料(外伝)確認度 高

肝付退治之事

肝付兼続・禰寝重長・伊地知重興ら大隅の反島津勢力を討った長期戦を記す。義久は歳久らを派遣して小浜・古江方面を攻めるが、戦況は容易に決しなかった。そこで八木昌信が僧に同行して禰寝重長と秘密交渉し、婚姻を含む条件で降参を取り付ける。島津軍は高洲浦から肝付領へ進み、父忠将の仇を討とうとする征久らが先鋒となって敵を破った。一方、早崎の陣は夜襲を受け、家久が多数の傷を負いながら少数の従者と敵を押し返す。牛根城攻めでは平常岡・茶園尾へ陣を進め、断崖に道を築いて三日三夜攻撃し、城方を降伏させた。祢寝方も伊東・肝付勢の攻撃を受けたが喜入季久が防戦する。最終的に肝付・伊地知勢は服属し、人質を出し、新納忠元父子らが牛根城へ入った。秘密交渉、婚姻政策、夜襲、築道による城攻めを通じて大隅平定が進む過程を詳述する。

登場人物
島津義久、島津歳久、島津家久、島津征久、肝付兼続、禰寝重長、伊地知重興、八木昌信、新納忠元、新納忠堯、喜入季久、島津忠長
宛先
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キーワード
肝付退治、禰寝降参、秘密交渉、夜襲、牛根城、大隅平定
島津世禄記-A24記事関連史料(外伝)確認度 高

城親政服我旗下事付宝之川内岩穴札矢崎陥事

大友氏の衰勢を受け、肥後熊本城主の城親政が島津方へ服属し、周辺国人も相次いで来附したことを記す。島津方は佐多久政らを熊本へ派遣し、宇土・天草・栖本・大矢野・志岐などの勢力を従える。一方、相良義陽は大友方と結び、日向侵攻にも加担したため、新納忠元らが宝川内を攻め、岩牟礼・釘野の要害をめぐって矢に歌を書いて応酬した。岩牟礼を落とした後、矢崎・網田方面にも進み、城主の自害や降伏を経て拠点を確保する。さらに合志勢との戦いでは伊集院久治らが先陣を切り、多数を討った。肥後国人の服属と、相良・阿蘇系勢力の要害攻略を並行して進めた記事である。

登場人物
島津義久、城親政、佐多久政、新納忠元、新納忠堯、相良義陽、阿蘇惟前、伊集院久治、肝付兼寛、上原尚近
宛先
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キーワード
肥後進出、城親政、相良義陽、宝川内、岩牟礼、国人服属
追録2-No.2968記事旧記雑録暫定版確認度 低

幕府巡見使の薩摩領内道中と宿泊記録

八月の諸国巡見上使小田切駿負〈原注直廣〉・土屋数馬〈喬直〉・永井監物〈白弘〉の道中記事。家老島津中務久貫、用人黒葛原忠雄・町田忠堯、医師印東玄桂らが応接した。八日肥後川尻で田代安徹の子福良頼廣が謁見し、九日水俣、十日領内米津へ入境。阿久根・宮之城・加治木・金山・石原を経て十六日鹿児島着、十七日は風雨で滞留し、平川・喜入・指宿福良・山川を回り、二十一日に船で大隅大始良へ渡った。池之原・志布志・末吉を経て二十五日著寺柱、二十六日峯の境から伊東領へ出た。

登場人物
巡見上使・随行接待役人〈本文に列記〉
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キーワード
巡見上使、小田切駿負直廣、土屋数馬喬直、永井監物白弘、島津久貫、黒葛原忠雄、町田忠堯、印東玄桂、八月十日米津入境、鹿児島、指宿山川、二十一日海渡、著寺柱、二十六日峯境伊東領出境
追録6-No.2400達書旧記雑録暫定版確認度 中

家来一人を召し連れて登城するよう命じる

幕府は重豪に対し、家来一人の御目見が仰せ付けられたので、その者を召し連れて登城するよう命じる。本文は家来の実名を記さず、又三郎忠堯との同定はできない。

登場人物
島津重豪(登城を求められる側)、家来一人(実名未記)
宛先
島津重豪
キーワード
島津重豪、家来一人(実名未記)、御目見、召連、登城令書