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『旧記雑録』前編・後編・附録10冊と追録1~8(暫定版)、『旧記雑録拾遺 伊地知季安著作史料集1~9』『家わけ1』(暫定版)、関連史料(外伝)『島津世禄記』の46,754件を横断検索できます。検索範囲は史料群・巻を組み合わせて選べます。結果は50件ずつ表示します。

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45 件 (全巻)/ 1–45件を表示

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後編3-No.386文書確認度 高

新納為舟忠元書状

新納為舟忠元が貴島弥兵衛尉へ、長い在洛の労をねぎらい、前年冬に忠元が薩摩へ在国していたため無音になったことを詫びた書状。黒木廣顔済に関わる件について、留守中でも伊東平右衛門尉と相談し、次郎兵衛尉・弥太右衛門尉の内談がまとまり次第、武庫へ内々に申し上げて納得を得たいと伝える。追而書では、病気の次郎兵衛尉を隈本勝右衛門尉が親身に世話したと聞いたため、十分に礼を述べるよう依頼する。

登場人物
新納為舟忠元、貴島弥兵衛尉、次郎兵衛尉、隈本勝右衛門尉、黒木廣顔済、伊東平右衛門尉、弥太右衛門尉、島津義弘(武庫)
宛先
貴島弥兵衛尉殿御宿所
キーワード
新納為舟忠元書状、貴島弥兵衛尉、在洛、薩摩在国、無音、黒木廣顔済、伊東平右衛門尉、次郎兵衛尉、弥太右衛門尉、武庫、内談、病気、隈本勝右衛門尉、謝礼
後編3-No.942文書確認度 高

島津義弘(惟新)書状

島津義弘が伊勢兵部少輔に、幸侃が重い状態だったため度々問い合わせ、弥兵衛尉の返答で早く快気したと知り、さらに市八左衛門尉が上京したことを喜ぶ。現地でも祈念を怠らず、義弘方でも種々祈念しているので一層回復するだろうと述べ、敵が疲弊していても油断せず、又八郎にも警戒を伝えるよう求める。

登場人物
島津義弘、伊勢兵部少輔、伊集院幸侃、弥兵衛尉、市八左衛門尉、又八郎
宛先
伊勢兵部少輔殿
キーワード
島津義弘(惟新)書状、島津義弘、伊勢兵部少輔、伊集院幸侃、病状、快気、弥兵衛尉、市八左衛門尉、上京、祈念、敵疲弊、油断禁物、又八郎、慶長四年十月廿四日
附録1-No.187文書確認度 高

島津久慶外二名連署書状

島津久慶・川上久國・伊勢貞昌が、根占殿の御蔵入方を會木弥兵衛尉と黒葛原吉左衛門尉へ命じたことを知らせた連署書状。吉左衛門尉は病気で参上が遅れたが当日出仕したため、その事情を披露するよう求める。

登場人物
島津久慶、川上久國、伊勢貞昌、新納仲左衛門尉、市来備前守、根占殿、會木弥兵衛尉、黒葛原吉左衛門尉
宛先
新納仲左衛門尉殿・市来備前守殿御宿所
キーワード
島津久慶、川上久國、伊勢貞昌、根占、御蔵入、會木弥兵衛尉、黒葛原吉左衛門尉、病気、参上
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w6:10-3副書・古文書由緒/伝来書写旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

天和二年六月十四日弁官親盈副書

弁官新右衛門親盈が淵辺弥兵衛へ、文治三年五月三日付頼朝判物の内容と伝来を説明し、希望に応じて写しを進覧した天和二年六月十四日付副書。判物は薩摩国住人・牛屎院司大秦元光代の下文で、牛屎家の嫡女である加藤金右衛門妻が男子を欠いたため系図・文書を所持し、当時は加藤辰之助家に伝わっていたとする。親盈はこの一通を祖母から授与され、実家が牛屎と同姓であることを述べる。

登場人物
源頼朝、大秦元光、加藤金右衛門、加藤金右衛門妻(牛屎家嫡女)、加藤辰之助、弁官新右衛門親盈、淵辺弥兵衛
宛先
淵辺弥兵衛殿
キーワード
天和二年六月十四日、弁官新右衛門親盈、淵辺弥兵衛、源頼朝判物、文治三年五月三日、薩摩国住人、牛屎院司、大秦元光、加藤金右衛門妻、牛屎家嫡女、男子なし、系図・文書伝来、加藤辰之助家、祖母授与、写し進覧
追録1-No.970口上覚旧記雑録暫定版確認度 高

伊勢弥兵衛口上覚

伊勢弥兵衛が、島津光久の帰国に伴う通行手形について、京都から江戸までの道中で手形を要する者・不要な者、家臣や飛脚の扱い、手形発給・番所確認の手順を問い合わせ、関係役人の名と回答をまとめた口上覚。

登場人物
伊勢弥兵衛、島津光久、伊勢兵部、京都・江戸の番所役人
宛先
—
キーワード
伊勢弥兵衛、島津光久、伊勢兵部、帰国、通行手形、道中、番所、家臣、飛脚、京都、江戸、口上覚
後編3-No.998記事確認度 高

殉国名薮

庄内戦で戦死した者を、年月日・戦場・所属とともに列挙した殉国者名簿。慶長五年正月の河内・栗山・追田などでの戦闘を中心に、戦死者名のほか、主従・組・衆の別や人数を記し、庄内戦での人的損害を整理する。

登場人物
河内五郎兵衛、柚木崎平右衛門正次、栗山喜兵衛、長井弥兵衛ほか庄内戦戦没者
宛先
—
キーワード
殉国名薮、庄内戦、戦死者、慶長五年、河内、栗山、追田、戦場、所属、人数、殉国者名簿
追録8-No.236御筆仰出(政務・士風教戒)旧記雑録暫定版確認度 中

政務規定・士風振興と質素節倹の御筆仰出

宰相の家督中に長年配慮して定めた政務改革・海岸手当等の規定を振り返り、諸役場の精勤と質素を求める御筆仰出。時がたつにつれて緩怠や華美、不行儀、無益な酒会、賄賂・贈物など士道を失う行為が生じていると戒める。異国船が諸所へ渡来し公辺も文武を指示する折として士風振興を求め、一同が趣旨を理解して質素節倹を用い分限を守るよう命じる。各役場末々の精勤、勝手方や町人等を支配する掛役の廉直、大目付・日付役の親疎によらない事実吟味と明白な賞罰、重役の身分に応じた謹慎を求める。支配にも正道を励ませ、町家の者が売利に迷い不相当な願いをすること等を戒める。諸役場が御趣意を深く受け相談し、来春帰国後の詮見に備える旨で結ぶ。本文は七月、年注は安政三年。外包は同年八月四日に駿河から格護を命じ、青山弥兵衛が承知して白木御文書十番箱へ収納した記録。

登場人物
宰相(先代家督者)、諸役場、勝手方掛役、支配、大目付、日付役、駿河、青山弥兵衛
宛先
諸役場・支配等へ末々まで申渡;外包:駿河から青山弥兵衛へ格護指示
キーワード
御筆仰出、政務改革、海岸手当、緩怠華美、酒会、賄賂、士風振興、文武、質素節倹、分限、廉直、大目付日付役、賞罰、来春帰国後詮見、文書格護
追録8-No.237本文群(生母取扱い・養女・折紙)旧記雑録暫定版確認度 中

篤君の生母指定・近衛養女・折紙保管の一件

篤君の生母の表向きの取扱いと近衛家養女・君号名字の折紙に関する一件。向後恒姫を生母と定めるとの仰出を受け、伊勢守へ届替の必要、清書の文言、新御殿の実印、年寄・側役、御礼女使や平常文通の扱いを内々に問い合わせる。阿部からの達では、国元と系図にもその旨を記すよう申し渡す一方、この扱いを内事として心得ることを述べる。別段の願いは不要とする書取と、届書を差し出すに及ばない旨の七月廿五日付薩摩守宛書取を収める。生母関係には五通を一封とする注があり、右府の御口状も続いて六通の書取を包むと記す。右府口状は養女承諾に伴う君号・名字を伝え、使者は北小路刑部権少輔。八月の伯耆による御記録奉行への申渡では、近衛右府の養女承諾と使者による君号・御譜の折紙授与、本書は篤君が所持し写しを格護することを記す。外包には安政三年八月十八日、伯耆から格護を命じ、青山弥兵衛が白木御文書十番箱へ収納した旨がある。恒姫への指定は文書上の扱いであり、実際の出生関係とは区別する。

登場人物
篤君、恒姫(注:斉彬正室徳川氏)、松平薩摩守(斉彬)、阿部伊勢守、一橋(実名不記)、丸山壮右衛門(字形留保)、新御殿の年寄・側役、近衛右府、北小路刑部権少輔、伯耆(注:島津久福)、青山弥兵衛、御記録奉行
宛先
伊勢守への内問合;薩摩守宛の書取;篤君宛の右府口状;御記録奉行への申渡;外包は伯耆から青山弥兵衛へ
キーワード
篤君、恒姫、生母指定、表向届替、内事、系図、阿部伊勢守、五通一封、六通書取、近衛養女、右府口状、北小路刑部権少輔、君号名字、御譜折紙、御記録奉行、原本写格護
追録8-No.286松平又次郎明細書(一枚)旧記雑録暫定版確認度 中

又次郎の養父・実父・領地・石高・居城を記す明細書

太守の明細書一枚として、松平又次郎の養父を故薩摩守斉彬、実父をその弟島津周防と記す。領地は薩摩国一円・大隅国一円・日向国の内、高六十万五千石余、本国・生国は薩摩、居城は薩州鹿児嶋とする。年齢は「午十八歳」の表記を載せる。外包には安政六年二月十八日、駿河から春山弥兵衛へ渡され、格護を承知して白木御文書十番箱に収納した旨がある。本文の年齢表示と収納年を区別する。

登場人物
松平又次郎、養父故薩摩守斉彬、実父島津周防、駿河、春山弥兵衛
宛先
包紙:太守の明細書一枚;外包:駿河から春山弥兵衛へ
キーワード
太守明細書、松平又次郎、養父斉彬、実父島津周防、薩摩大隅一円、日向国の内、高六十万五千石余、本国生国薩摩、居城鹿児嶋、午十八歳、二月十八日格護
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 356-2送状・兵站文書旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

飯米賦渡送状

『飯米賦渡送状』は、十一月二十一日、大崎の主取弥兵衛尉へ赤米九斗を割り当てる。末尾では、五枚帆船の水手六人に同日以後二十日分の海上飯米を一人一日赤米七合五勺で算用し、天草一乱に伴う小松原出船のため渡すよう永山覚右衛門・三原源右衛門へ命ずる。

登場人物
平田宗直方 永山覚右衛門 三原源右衛門 大崎の主取弥兵衛尉 主取弥兵衛 主取弥兵衛尉
宛先
永山覚右衛門・三原源右衛門/大崎の主取弥兵衛尉
キーワード
飯米賦渡送状 平田宗直方 永山覚右衛門 三原源右衛門 天草 小松原 寛永14年11月21日
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 386-4命令・兵站文書旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

飯米賦渡状

十一月二十五日、赤米八斗八升二合(「前かき」)を掲げる。天草出陣に際して伊作の入来浜辺から船を仕立てるため、加子・水手の飯米を永山覚兵衛・三原源右衛門へ渡すよう、谷山長左衛門・川崎弥兵衛に命ずる。宛先の役名は欠字を含む「□代衆」に「下カ」の注がある。

登場人物
永山覚兵衛 三原源右衛門 谷山長左衛門 川崎弥兵衛
宛先
□代衆(下カ)・谷山長左衛門・川崎弥兵衛
キーワード
赤米八斗八升二合 加子 水手 下代
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 837覚書・父六兵衛の船と物資調達の回顧旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

四元弥兵衛覚書

父六兵衛が先年の島原出陣に際し、旅陣の米や諸物資の不足に役立とうと小船一艘を自ら仕立て、水手を集め、蔵方の御用物を積んで天草へ赴いた奉公を回顧する。陣中で物資が不足しなかったため直ちに大きな御用には立たなかったが、中将の島原着船を聞くと使者船を務め、帰国後も公儀御用や私的用務に勤めて賞されたと述べ、家の誉れとする。

登場人物
四元弥兵衛 父六兵衛 古摂津守(ママの校注) 中将様 御役人 船の水手
宛先
不詳(家状抜粋)
キーワード
四元弥兵衛 六兵衛 自費仕立 小船 水手 御用物 天草 使者船 家の誉れ
追録6-No.181-21報告書旧記雑録暫定版確認度 高

東郷実孝(留守居)首尾書

東郷源五が二月廿四日、日光山法会に伴う東叡山御宮参詣の書付の受領・伝達と御請の予定を此面へ報告する。松平右近将監の用人から、当日中に当家から一人出頭するよう求める切紙が届いたため、東郷が出向いたところ、藤堂和泉守・松平出羽守・松平陸奥守・細川越中守の留守居も同様に召され、各人へ書付が渡された。用人を介して同席の諸家へ通達するよう命じられたので、別紙の御名分に従って廻状を出し、各家が内容を承知して右近将監へ御請使者を出すよう伝えた。当家の御請は時刻を見合わせて勤め、首尾を別紙で報告すると述べ、書付は桜田詰の歩行税所弥兵衛を介して差し上げた。後書には、諸家への通達が済んだ後、翌朝に右近将監へ届ける予定と記す。

登場人物
東郷実孝(源五)、高橋種寿(此面)、松平右近将監、小堀十太夫、税所弥兵衛、藤堂和泉守、松平出羽守、松平陸奥守、細川越中守
宛先
此面(高橋種寿)
キーワード
日光山法会、東叡山御宮、切紙、出頭、書付受領、同席諸家、廻状、御請使者、税所弥兵衛、翌朝申届
追録8-No.388-2公義書付(斉彬追贈の申渡・外包収納注)旧記雑録暫定版確認度 中

斉彬の功績と家久の家例を挙げ権中納言従三位追贈を申渡す第二通

五番外包の第二通。先代薩摩守が生前国家へ丹誠を尽くし、病末に及んで弟三郎らへ遺訓を残したことが叡聞に達して御感があったとする。先代家久が存命中に権中納言宣下を受けた家例もあるため、格別の叡慮によって贈権中納言従三位を宣下する旨が京都から伝えられたと述べ、生前の丹誠によりそのとおり追贈するとの仰出を松平修理大夫へ申渡す。正文の年月日は不記。外包注は文久三年亥正月十三日に式部から格護の旨を受けて春山弥兵衛が承知し、白木御文書拾壱番箱へ納めたと記す。外包の収納日を追贈日や正文宛先に転用しない。

登場人物
松平修理大夫、先代薩摩守(斉彬)、弟三郎(久光)、先代家久、京都、式部殿、春山弥兵衛
宛先
松平修理大夫(口裏:松平修理大夫江)
キーワード
五番外包第二通、松平修理大夫江、先代薩摩守斉彬国家丹誠、病末弟三郎遺訓、先代家久権中納言家例、京都叡慮、贈権中納言従三位、文久三年亥正月十三日外包格護、式部春山弥兵衛、白木御文書拾壱番箱
追録8-No.434戦闘への勅書と到来・拝見注旧記雑録暫定版確認度 中

英艦との戦闘を賞し武威を励むよう命じる勅書と伝達注

執事方帳留の勅書。去る二日に英国艦が来て砲戦になった報告を聞き、一心に攘夷に取り組んだことを賞し、さらに励んで皇国の武威を海外へ示すよう命じる。正文は七月・御名で、目録は孝明天皇勅書とする。末注は文久三年亥八月七日到来、九日拝見を命じたと記し、別に亥八月六日に三嶋弥兵衛が持ち下り、九日御一門以下の諸士へ拝聞させたとの注がある。正文月と到来・携帰・閲覧日を分け、称賛は勅書の評価として示す。

登場人物
勅書発給者御名(目録:孝明天皇)、三嶋弥兵衛、御一門以下諸士
宛先
戦闘報告を上げた側へ(正文宛名不記)
キーワード
執事方帳留勅書、七月御名、去二日英国艦砲戦報告、攘夷称賛武威励、目録孝明天皇、文久三年亥八月七到来九拝見、亥八月六三嶋弥兵衛持下九一門以下諸士拝聞
追録8-No.436茂久・久光連署御筆(賞美勅命と指揮改善・今後の防戦)旧記雑録暫定版確認度 中

戦闘への賞美勅命を受け指揮の不足を省み一統の防戦・忠戦を求める連署御筆

十一番旧御番所御文書中の御筆仰出。戦闘の報告が天聴に達して賞美の勅命を承知したことに恐れ入り、一統が粉骨砕身して戦ったため敗走に至らなかったとする。同時に指揮が十分行われなかったことを省み、今後また襲来する時はよく心を用いて指揮し、一心同力で皇国の武威を失わぬよう忠戦してほしいと命じる。八月、茂久・久光の二署。外包は文久三年亥八月十一日に但馬から格護を命じられ春山弥兵衛が承知し、白木御文書十一番箱へ納めたと記す。賞美と指揮への自己評価は発給者の叙述として整理する。

登場人物
茂久、久光、一統、天聴、但馬殿、春山弥兵衛
宛先
一統へ(正文宛名不記)
キーワード
十一番旧御番所御筆仰出、戦闘天聴賞美勅命、一統粉骨砕身敗走回避、指揮不行届省み、再襲来指揮一心同力忠戦、八月茂久久光二署、文久三年亥八月十一日但馬春山弥兵衛格護白木十一番箱
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 199-4覚・書上旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

種子島久時口上覚別紙副書

種子島久時口上覚の別紙副書。入江七郎右衛門・宮崎弥兵衛らの使者が到来したこと、殿下嶋の老衰と鹿児島への帰還、迎船を下すこと、上下十余人を当地から召し付けたことを記す。

登場人物
種子島久時、入江七郎右衛門、宮崎弥兵衛
宛先
なし
キーワード
種子島久時口上覚別紙副書、入江七郎右衛門、宮崎弥兵衛、鹿児島、種子島
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w3:48系図旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

餅原氏系図

餅原氏の短い系図。政公以下、長門守・摂津守・駿河守および法名玄良を称した山城守・四郎左衛門の系線を掲げ、周防介から惟利へ続ける。後半では、家嫡宗能の嫡子で無子のため惣領職となった肥前守惟之、惟延―肥前守惟清―兵部惟興、大隅守を称して戦死した人物から庄内で戦死した与四郎・平右衛門惟元へ続く系線を記す。平左衛門惟秀は実は岩下弥兵衛の三男で、その子孫を十郎左衛門とする。

登場人物
餅原政公、餅原玄良、惟利、惟之、宗能、惟延、惟清、惟興、惟元、惟秀、岩下弥兵衛
宛先
—
キーワード
餅原氏系図、餅原政公、長門守、摂津守、駿河守、山城守、法名玄良、四郎左衛門、周防介、惟利、惟之、家嫡宗能、肥前守、惣領職、惟延、惟清、惟興、兵部、大隅守、戦死、庄内、与四郎、惟元、平右衛門、惟秀、平左衛門、岩下弥兵衛、実子、十郎左衛門
追録8-No.263本文群(宰相の介助・政務規定維持の沙汰書二通)旧記雑録暫定版確認度 中

若年の跡目への斉興の介助と政務・節倹・士風維持の沙汰二通

宰相の御沙汰書二通。第一通は斉彬死去後の跡目茂久がまだ若年で、国務を放置できない事情を斉興が聞き、当分介助する旨を伝える。御取次は得能彦左衛門、八月の記載を伴う。第二通は薩摩守殿の死去を受け、若年の跡目を介助し、従来の領国・屋敷中の取締規定を忘れず家老以下が誠実に精勤するよう命じる。勝手向掛は無益な失費を細かく吟味し、風俗を政務の基本として文武・忠孝・律儀を守り、古国の士風を失わないよう求める。若年家督を理由に一同の心掛が緩み家法が弛むことを警戒し、その趣旨を深く伝達する。豊後・伯耆との包紙の記載があり、外包には安政五年九月九日、左衛門殿が格護を指示し青山弥兵衛が承知して白木御文書十番箱に収納した旨がある。

登場人物
宰相(注:斉興)、太守・薩摩守殿(注:斉彬)、御跡目(注:茂久)、御取次得能彦左衛門、家老、勝手向掛、左衛門殿、青山弥兵衛、豊後・伯耆(包紙)
宛先
領国・当所屋敷中の家老以下向々へ伝達;第一通は御取次を介する旨
キーワード
宰相斉興、斉彬死去、茂久若年跡目、国務介助、沙汰書二通、得能彦左衛門、家老精勤、取締規定、勝手向掛、失費吟味、文武忠孝、律儀士風、家法弛緩防止、九月九日格護
追録8-No.301御筆仰出(家老への自戒・政務精勤)旧記雑録暫定版確認度 中

茂久が家老に先代の規格と積徳を守り文武・礼義に励むよう命じる仰出

包紙に御筆仰出とある家老向けの訓示。茂久は自ら不肖ながら順聖院の遺言で跡目を継いだことをありがたく思い、先代の積徳を汚さぬよう日夜心を痛めると述べる。まだ不慣れなので気付いたことは放置せず申し出るよう求め、家老以下の役人は先代の規格どおりに緩みなく務め、政事に精入するよう命じる。士には礼義廉恥を保ち、文武の道を深く学び、耳目の欲や四肢の安逸を願わず、古来の国風を失わず万事出精するよう諭す。十月廿八日。外包は安政六年十二月朔日、伯耆から春山弥兵衛へ渡され、従来どおり格護して白木御文書十番箱に収納した記録。

登場人物
我等(注:茂久)、順聖院、御先代(本文実名不記)、家老・諸役人、伯耆殿、春山弥兵衛
宛先
家老中へ
キーワード
御筆仰出、茂久、家老中、順聖院遺言、跡目相続、先代積徳、気付事項申出、先代規格、政事精入、礼義廉恥文武、欲安逸抑制、古国風、十月廿八日、十二月朔格護
追録8-No.302-4~5本文群(明細書二枚提出首尾・西筑書状・写し収納)旧記雑録暫定版確認度 中

明細書二枚の提出落手報告と廻状写送付を伝える西筑書状

印刷の4~5の書類。の4は明細書二枚を昨夜持参し、大目付平賀駿河守の用人土肥某輔へ、本丸炎上による早期提出命令と陸奥守家来の廻状が届いたため提出すると申し述べたところ、駿河守が落手した旨を聞いたとする首尾報告。未十月廿日、留守居附役脇田仁兵衛から西筑右衛門宛。の5は陸奥守家来から届いた廻状について、本書を差し返して写しを差し上げ、明細書を早く下すよう願う旨を伝える西筑の龍衛宛書状。未十月十九日と記す。外包は安政六年十二月二日、筑後から春山弥兵衛へ渡し当座で写し、白木御文書十番箱へ収納した記録。二報の日付前後は原文どおり保持して疑義を残す。

登場人物
脇田仁兵衛、西筑右衛門、川上龍衛、平賀駿河守、用人土肥某輔(名細字留保)、松平陸奥守(注:伊達慶邦)、筑後殿、春山弥兵衛
宛先
の4脇田:西筑右衛門殿;の5西筑:龍衛様
キーワード
明細書二枚、昨夜持参、平賀駿河守落手、用人土肥、陸奥守家来廻状、脇田仁兵衛西筑右衛門、十月廿日首尾、十月十九日龍衛宛、廻状本書差返写送付、十二月二日当座写方収納
追録8-No.304筑後申渡書(久光の帯刀・供廻・格式)旧記雑録暫定版確認度 中

嶋津周防久光の帯刀・供廻・登城等の取扱と一世格式を記録させる申渡書

嶋津周防久光の取扱を御記録奉行へ申し渡す書付。御前でも脇差を帯び、「此殿」の文字を御前御用にも用いるなどの扱い、年頭等の供廻六七人・平日三四人の増員、虎皮鞍蓋・金紋先箱の御当地での使用を定める。御櫻門等の従来通行、北御門通融の際の玄関前・大奥通番所前・台所御門の通行、諸屋敷や神社寺院への乗輿、登城時の櫻之間脇二階・家老座での御用時通行を記す。御高五千石を一世召し付け、将来の格別な扱いは改めて詮議する旨を示す。一世の御會釋を改め虎皮鞍蓋等を家格に用いることを家老から達し、帳面に記録させる。本文十二月、外包は安政六年十二月十五日、筑後からの書付一通を春山弥兵衛へ渡し白木御文書十番箱に収納。

登場人物
嶋津周防(注:久光)、筑後(川上久封、包紙の官名)、御記録奉行、御家老、春山弥兵衛
宛先
御記録奉行へ;対象は嶋津周防様
キーワード
嶋津周防久光、御記録奉行、脇差帯刀、此殿文字、供廻増員、虎皮鞍蓋金紋先箱、御櫻門北御門通行、乗輿、登城家老座、五千石一世、御會釋家格、帳面記録、十二月十五日収納
追録8-No.305筑後申渡書(近衛家の忌服・心経奉納)旧記雑録暫定版確認度 中

近衛忠房の心経を斉興霊前へ備え特別な忌服とともに福昌寺で格護させる申渡書

近衛大納言忠房の御書写心経一巻を福昌寺へ渡す申渡書。金剛定院斉興に対する格別な思召により、官家では養方の忌服をしないと聞くものの、別段に定式の忌服を請け、さらに心経を霊前へ供えたと述べる。禁中や公達にもこのような例はないとし、篤い思召による供養として、後年に麁末な取扱にならぬよう格護を命じる。本文十二月、筑後の名。外包は安政六年十二月十八日、御用人から春山弥兵衛へ渡し白木御文書十番箱に収納した記録。

登場人物
近衛大納言(注:忠房)、金剛定院(注:島津斉興)、官家、筑後(包紙官名)、御用人、春山弥兵衛
宛先
福昌寺へ
キーワード
近衛大納言忠房、心経一巻、金剛定院島津斉興、福昌寺、官家養方忌服、定式忌服、格別思召、霊前供養、後年格護、十二月十八日収納
追録8-No.312喜入攝津書状(大圓寺位牌安置)旧記雑録暫定版確認度 中

斉興の位牌を大信院の次・霊龍院の前へ置き斉彬の位牌を大慈院の次へ移す書状

金剛定院斉興の位牌が成就し大圓寺へ安置するにあたり、御列位の記録を御記録奉行に調べさせた結果を伝える喜入攝津の書状。大信院の次、霊龍院の前に金剛定院を置く配置を示す。順聖院斉彬の位牌はこれまで大信院の次にあったが、このたび大慈院の次へ移す。大圓寺と関係者へ伝え、大奥その他にも知らせ、典姫への報告と宛所側での申渡を求める。申二月廿九日、左衛門・筑後・伯耆・登・駿河の五名宛。外包は安政七年申閏三月九日、伯耆から春山弥兵衛へ渡し帳留と写しを済ませ白木御文書十番箱へ納めた記録。

登場人物
金剛定院(注:島津斉興)、大信院(注:島津吉貴)、霊龍院(注:吉貴室松平氏)、順聖院(注:島津斉彬)、大慈院、典姫、大奥、喜入攝津、嶋津左衛門・川上筑後・嶋津伯耆・嶋津登・新納駿河、春山弥兵衛
宛先
嶋津左衛門殿・川上筑後殿・嶋津伯耆殿・嶋津登殿・新納駿河殿
キーワード
金剛定院斉興位牌成就、大圓寺安置、御列位記録調査、御記録奉行、大信院の次霊龍院の前、順聖院斉彬位牌移動、大慈院の次、典姫報告、喜入攝津五名宛、二月廿九日、閏三月九日帳留写済収納
追録8-No.314伯耆申渡書の写(斉興の福昌寺寄附高取扱)旧記雑録暫定版確認度 中

金剛定院斉興の福昌寺寄附百五十石を先例どおり御判物・添書で扱う伯耆書付写

伯耆から渡された書付の写。金剛定院斉興が寄附し御物計から毎年福昌寺へ渡していた御高百五十石を、大慈院の寄附高と同前に扱うとする。近日御判物・御書附を大目付使者によって寺へ渡し、家老中の添書は新番をもって渡す予定で、福昌寺への申渡は先例どおり取り扱うよう寺社奉行へ命じ、御記録奉行その他の関係者にも知らせる。日限は追って申し渡す。本文十月、伯耆の名。包紙には万延元年申十月三日、岩下佐次右衛門から春山弥兵衛へ渡され白木御文書十番箱へ収納したと記す。

登場人物
金剛定院(斉興)、大慈院、伯耆、御家老、大目付使者、新番、寺社奉行、御記録奉行、岩下佐次右衛門、春山弥兵衛
宛先
寺社奉行・御記録奉行等へ承知させる;対象福昌寺
キーワード
金剛定院斉興、福昌寺寄附百五十石、御物計年々相渡、大慈院寄附高同前、御判物御書附、大目付使者、家老添書新番、寺社奉行御記録奉行、日限追達、万延元年十月三日岩下春山収納
追録8-No.342大蔵申渡(女性三名の待遇・記録指示)旧記雑録暫定版確認度 中

於治・於珍・於寛を御子様方同様に扱い大奥で松壽院の振合とする旨を記録させる申渡

御記録奉行宛の大蔵申渡。嶋津石見の妻於治、入来院怡の妻於珍、喜入多門の妻於寛について、格別な続柄と評合により御子様方同様の御會釋とし、「此殿」の文字を用いること、大奥へ上がる際は松壽院の振合とすることを伝え、帳面に記録させる。本文二月、大蔵。包紙は文久二年戌二月廿八日、大蔵から春山弥兵衛へ渡して箱に納めた記録。本人三名と配偶者の列記を区別する。

登場人物
嶋津石見妻於治、入来院怡(名細字留保)妻於珍、喜入多門妻於寛、松壽院、大蔵、御記録奉行、春山弥兵衛
宛先
御記録奉行へ
キーワード
御記録奉行、石見妻於治、入来院怡妻於珍、喜入多門妻於寛、格別続柄評合、御子様方同様御會釋、此殿文字、大奥松壽院振合、帳面記録、二月大蔵、文久二年二月廿八日春山収納、白木十番箱百二十五番
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 349-2送状・船員動員旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

浦加子送状

大崎から立てる船の船頭弥兵衛尉以下の浦水子を列挙し、合計二十一人を軍衆乗船の加子として三原源右衛門・永山覚兵衛へ引き渡す送状である。

登場人物
三原源右衛門、永山覚兵衛、船頭弥兵衛尉
宛先
三原源右衛門・永山覚兵衛
キーワード
浦加子、大崎、二十一人、三原源右衛門、永山覚兵衛
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 396-2送状・兵站文書旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

水手送状

十一月二十七日、利右衛門・弥兵衛尉・彦右衛門・孫介の合計四人を掲げる。京田塩屋堀・高奈から立てた水手を受け取るよう、三原源右衛門・永山覚兵衛尉へ申し送る。「高奈」には「本まゝ」の注があるため原表記を保持する。

登場人物
利右衛門 弥兵衛尉 彦右衛門 孫介 三原源右衛門 永山覚兵衛尉
宛先
三原源右衛門・永山覚兵衛尉
キーワード
四人 水手送状 高奈
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w6:13-5同文省略・島津忠国書状/牛屎・淵辺家系譜・家伝旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

島津忠国書状(同文省略)・牛屎淵辺家系譜

冒頭は『諸家系図文書』10の7号文書と同一のため島津忠国書状を省略する。参照先は忠国が牛屎へ、菱刈方から詳細を聞いて早く来訪・決断するよう催し、対面を望んだ二月二十日付書状である。久元(牛屎越後守・法名光久)は永享十年の福昌寺仏殿造営勧進で、羽月元忠・山野頼元・北原久兼ら八十七人とともに馬一疋分の代銭を奉加した。歓元(同越後守・法名光秀)は文正二年梅雨吉日に牛屎家系図一巻を作り、薩摩守陳元から元親までの系譜を収め、文正元年から文明九年までの島津家系図・覚書も伝えた。応仁元年、牛屎院の兵乱で一門が日向真幸院へ移り、北原家との親族関係を頼ったこと、元親が大隅守・法名梅岳源春を称したこと、重元が永正六年に六十余歳で鷹書一冊二十五枚を書いたことを記す。天文十二年三月二十七日、実元は牛屎家先祖を覚書や本朝の大家系図と照合して記し、宗実兄弟が源頼政嫡子・仲綱の娘を母とし、建久七年に頼朝の恩免を受けて遠流先の薩摩へ下向し、羽月・山野・平泉を与えられ、子孫が牛屎・淵辺を称したとの家伝を載せる。元継の女子は兄弟不和のなか系図・文書を保持し、国分御前様に仕えた後に加藤金右衛門へ嫁いだため古文書が加藤家へ伝わり、頼朝御教書は公用のため提出されたとする。淵辺主計元継は慶長・元和の上地や宮越との田地争論で知行を減らし、寛永頃には約十石となった。弥兵衛は家に凶事が多く繁昌しないため母方の淵辺へ名字を改め、肥後の聖山伏を氏神として正宮・荒神宮に祀ったとし、元亀三年五月四日の真幸院における義弘と伊東家の合戦で五十四歳で戦死した。元秋は栗野に生まれ、父の戦死後に飯野・栗野を移り、伊東・大友との戦いを経て天正十五年豊後で戦死した。重綱は井手石氏の養子となり川上忠智に仕え、肥前深江・筑州岩屋城・朝鮮で戦い、朝鮮で左手を負傷して退き、加治木・鹿児島へ移って八十四歳で没した。元貞は父元秋の戦死後、十三歳で義弘に召し出され、吉松鶴丸村二十五石と栗野木場村三十石、計五十五石を与えられた。十五歳で義弘に従って朝鮮へ渡り、忠恒に近習・小姓として仕え、良右衛門の名、包清の脇指や衣裳を拝領し、のち帖佐・平松・加治木・鹿児島へ移住して、万治元年に百二十三石を持って隠居した。

登場人物
島津忠国、牛屎、久元(牛屎越後守・法名光久)、牛屎越後守久元、羽月豊後守元忠、山野因幡守頼元、北原周防守久兼、歓元(牛屎越後守・法名光秀)、元親(右衛門尉・法名梅岳源春)、重元(牛屎権守・法名龍永)、実元(牛屎平二郎)、盛元(牛屎権之允)、宗実、源頼政、伊豆守仲綱、源頼朝、忠齊、元継(淵辺主計・牛屎隠岐)、加藤金右衛門妻、国分御前様、宮越、弥兵衛(牛屎・淵辺、法名一庵道慶)、島津義弘、伊東家、弥兵衛妻(妙金禅定尼)、元秋(淵辺平五郎・平内左衛門、法名祖栄昌範)、元綱、元次、元英、元智、元任、元珍、元矩、井手石五郎兵衛重綱(月江浄西)、川上忠智、川上忠堅、元貞(淵辺宮千代・平内左衛門・良右衛門、法名善林宗樹)、島津忠恒、豊臣秀吉
宛先
牛屎殿(参照先w6:10-7の宛所)
キーワード
島津忠国書状、同文省略、諸家系図文書10の7、牛屎家、淵辺家、福昌寺仏殿造営、馬代銭奉加、八十七人、歓元、文正二年牛屎家系図、島津家系図、応仁元年牛屎院兵乱、日向真幸院、北原家、重元鷹書、天文十二年実元覚書、宗実、源頼政、伊豆守仲綱、建久七年、頼朝恩免、薩摩下向、羽月、山野、平泉、加藤金右衛門妻、国分御前様、古文書伝来、頼朝御教書、上地、田地争論、名字変更、牛屎から淵辺、正宮、荒神宮、元亀三年真幸院合戦、島津義弘、伊東家、天正十五年豊後戦死、井手石重綱、肥前深江、筑州岩屋城、朝鮮出兵、左手負傷、元貞、五十五石、忠恒近習、小姓、包清脇指、帖佐、加治木、鹿児島、万治元年、百二十三石
旧記雑録拾遺 著作史料集9-文書ID W06_文書0013覚書旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

某覚書

家蔵の覚として、新納武蔵・加賀・次郎右衛門・弥兵衛らの誕生日、幼名、元服後の名を列記する。安萬・熊千代・市二郎・市三郎などの幼名と、次郎四郎や主膳などの元服名を記す。

登場人物
新納武蔵(忠元)、新納加賀(忠清)、新納次郎右衛門(忠秀)、新納弥兵衛(忠徳)、安萬、熊千代、市二郎、市三郎
宛先
—
キーワード
某覚書、新納家の誕生、幼名、元服名
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 362-1送状・兵站文書旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

浦水手送状

『平田宗直加子立曳付』所収、十一月二十二日の浦水手送状。茂兵衛尉・喜左衛門・利兵衛尉・孫左衛門を船頭として掲げ、作左衛門以下の水手を列記する。小浦から立てた合計三十一人の浦水手を受け取るよう、永山覚兵衛尉・三原源右衛門へ命ずる。

登場人物
茂兵衛尉 喜左衛門 利兵衛尉 孫左衛門 作左衛門 神右衛門 作十郎 正九郎 久太郎 孫三郎 新左衛門 弥兵衛尉 清介 米千代 宇兵衛尉 助左衛門 休作 四兵衛尉 休三郎 弥作 助作 休兵衛尉 けさ 弥吉 助太郎 吉介 休次郎 与兵衛尉 孫九郎 太郎吉 次郎 永山覚兵衛尉 三原源右衛門
宛先
永山覚兵衛尉・三原源右衛門
キーワード
浦水手 三十一人 船頭 小浦 平田宗直加子立曳付
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 586賦帳・島原出陣の乗馬と中間割付旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

島原立ニ付乗馬並夫賦帳

島原出陣に伴う乗馬・中間・兵具持の割付帳。町田・浦川・山城・甲斐ら諸給人および寺社ごとに人数と馬匹を列挙し、正月九日までに手配するよう定める。寛永十五年正月六日付。

登場人物
島津家久 町田弥兵衛尉 浦川内蔵丞 甲斐掃部助 山之内勘兵衛尉
宛先
各地の給人・寺社
キーワード
島原立 乗馬 夫賦帳 寛永十五年正月六日 中間 兵具持
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 759指出・加久藤衆の人数と飯米旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

島原立人数差出

加久藤衆の島原立人数として人躰五十人、内衆四十二人等を記し、残る二十九人を伊地知弥右衛門ら十一名の人数に分けて列記する。十七日夜に米津へ到着したので飯米を引き渡してほしいと求める。伊地知杢右衛門尉から村田郷左衛門尉・猪俣猪右衛門尉宛。副本は加久藤地頭役屋に所在すると注記する。

登場人物
伊地知杢右衛門尉 村田郷左衛門尉 猪俣猪右衛門尉 伊地知弥右衛門尉 西田和泉守 河野与右衛門尉 宮内右兵衛尉 谷口弥兵衛尉 前田内蔵助 東郷作左衛門尉 瀬戸山摂津介 前田彦左衛門尉 宮竹越右衛門尉 萩原甚介
宛先
村田郷左衛門尉 猪俣猪右衛門尉
キーワード
加久藤衆 島原立 人数差出 米津 飯米 副本
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 779人数差出留・正月十八日前後の着津軍勢旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

島原軍衆人数差出留

正月十八日を中心に、米之津へ参着した各郷の人躰・卒者・夫丸と、主だった者が連れた人数を記す。恒吉・日当山・飯野・曽木・加久藤・須木・馬関田・踊・高原・出水・山之口・小林・諏訪神・曽於郡・野尻・真幸吉田・志布志・清水・蒲生・百引・庄内高城・東郷・高岡・高山・横川・穆佐・串良・垂水・伊集院などを列記し、十日または二十日分の飯米支給を注す。高山の名簿に載る以益について白坂氏譜を引いて帰還時期を考証し、兵糧不足による減員帰還と読む。末尾は十九日条への分載と十八日着津者の補記。

登場人物
村田市助 遠屋弥吉 横山弥兵衛 山下傳次郎 肥後民部左衛門 肥田木勘左衛門 大川平久兵衛 池田傳右衛門 児玉才兵衛 伊地知助兵衛 荒武藤兵衛 野田狩野介 須宗兵衛 浅稲二兵衛 本田雅楽助 加藤七右衛門 堀七左衛門 黒木惣左衛門 隈元隼人 崎山了兵衛 窪田新左衛門 伊地知杢右衛門 伊地知弥右衛門 西田和泉介 宮竹越右衛門 萩原甚介 馬関田衆 権屋飛驒守 野村三郎兵衛 斎藤五兵衛 平山仲兵衛 津曲幸右衛門 指宿内蔵助忠易 同盛左衛門忠能 伊集院久右衛門 北原雅楽助 松元彦左衛門 押川新左衛門 大脇民部左衛門 本田甚吉 稲留喜左衛門 堺田五兵衛 九市左衛門宗方 田原彦左衛門 川畑平右衛門 高橋平右衛門 濱田右京 松下源五左衛門 堅持駿右衛門 新南市左衛門 肥田木備後守 根占久兵衛 本田次郎兵衛 米良豊前守 海江田十兵衛 日高小平次 大迫弥兵衛 柏原久次郎 白坂大学坊篤辰以益 稲留与兵衛 山下傳右衛門 児玉千右衛門 下村主計助 加塩監物 津曲二右衛門 酒匂新左衛門 四位大蔵 中村主膳正 奥郷兵衛 中村正兵衛 町田安房介 川上主殿助 伊集院藤左衛門 三原左衛門佐 田中善兵衛 ほか各郷衆・卒者・夫丸
宛先
なし(人数留)
キーワード
島原軍衆 人数差出留 米之津 着津 人躰 卒者 夫丸 飯米 各郷 減員帰還
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 794人数差出留・十九日前後の着津者と飯米旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

島原軍衆人数差出留

村田市助家蔵の模本から、三原喜太郎・里村十左衛門や谷山・加治木・財部・末吉・大崎・志布志・頴娃・指宿・飯野・高原などの人躰、卒者・夫丸、個人別の随伴人数と着津日を記す。飯米は十日または二十日分を渡し、長嶋ふくら蔵元と米津で分けて支給する例もある。末吉衆中の検見崎兼堯について、家系・移住と島原出陣時の行動を元禄七年の系図申出により補注する。末尾は二十三日条へ続く旨の注。

登場人物
村田市助 三原喜太郎 里村十左衛門 木脇三右衛門 江浪勘兵衛 有川源右衛門 柏原但某 鎌田豊前守 鎌田傳左衛門 是枝長左衛門 川上助左衛門 波多与兵衛 池田右近将 市来勘解由 前田喜兵衛 恒吉主膳正 有馬茂右衛門 法元内蔵助 寺師九左衛門 大村次左衛門 有川長二郎 壱岐五兵衛 岩下渡右衛門 圖師平兵衛 江田新兵衛 宮内盛右衛門 新納杢右衛門 二階堂傳右衛門 菱田四市丞 川原正左衛門 川崎拾左衛門 池田五郎右衛門 鳥井与右衛門 黒田清介 野田喜左衛門 山口与四郎 川内主馬允 古郷次兵衛 中神喜右衛門 寺原主馬 竹之内神介 小野傳左衛門 本田九郎左衛門 中山早右衛門 鎌田少右衛門 中戸藤五左衛門 白尾七左衛門 竹下主膳 岩切宗左衛門 田口七兵衛 松下十郎左衛門 久長新左衛門 山城与八左衛門 鎌田孫右衛門 大慶坊 検見崎権之介兼堯 肝付兼泰 村田経宣寿仙 子権左ヱ門兼近 長田勘左衛門 久木元吉右衛門 谷口喜兵衛 松下四郎左衛門 青山治右衛門 落合新十郎 有馬勘解由左衛門 溝辺弥兵衛 黒木孫兵衛 田嶋治部左衛門 原兵右衛門 市来主水 本山分右衛門 岩元丹波守 鎌田新蔵 瀬戸山五右衛門 玉泉坊 伊集院五兵衛 伊十院兵右衛門 大乗院 持寶院 堀内主膳正 肥後吉右衛門 有馬安右衛門 山下勘右衛門 二見傳次郎 大弐坊 山本藤七兵衛 日高二右衛門 中村百左衛門 小城銀右衛門 中嶋七左衛門 岩崎三五郎 木下小左衛門 菱輪軍介 北原半介 田中休兵衛 山口右京 大脇右京 安庄織部佑 瀬崎安右衛門 鎌田少兵衛 長谷五兵衛 坂元才兵衛 大重六左衛門 有留大蔵助 田中六郎左衛門 柳田為左衛門 三石弥九郎 郡山監物助 谷口大蔵卿 柏木縫殿助 相良五右衛門
宛先
なし(人数留)
キーワード
人数差出留 着津 人躰 卒者夫丸 相之夫 飯米 十日 二十日 検見崎兼堯 系図
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 818-2書出写・島原居城鉄炮員数と諸家への玉薬配給旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

幕府上使衆書出写

島原居城の石火矢・長筒・異風大小の員数を掲げ、小計236挺と記す。役に立たない筒、籠城中の損物、上方へ送った筒などを続け、合計1,159挺を記すが内訳との整合には疑義がある。さらに有馬で鍋嶋・細川・松平ら諸家へ渡した石火矢、玉、火薬の内訳を載せる。正月二十一日付、田中・岡本・多賀の三名を記す。

登場人物
田中宗行 岡本政信 多賀次定 鍋嶋信濃守 細川越中守 松平右衛門佐 多久美作 濱田弥兵衛 中嶋長兵衛 寺澤兵庫頭
宛先
なし(書出写。諸家は配給先)
キーワード
島原居城 鉄炮員数 石火矢 長筒 異風 損物 玉薬 配給 数量疑義
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w2:17-8系図旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

寛永十三年九月鹿児島衆中屋敷検地帳抄

寛永十三年九月の鹿児島衆中屋敷帳から、松崎采女正について『下屋鋪四せ』『下々屋敷四せ廿三分』と記す抄録。続いて松崎貞悦の慶安五年以降の奉公歴を掲げる。慶安五年に上洛を命じられて三月六日に鹿児島を立ち、四月二十五日に江戸へ着いた。承応二年には琉球からの将軍継目祝使である国頭王子に関わり、島津光久に召し連れられて日光参詣へ供奉した。万治二年には進上用の腰物を選ぶため、堀尾正宗・貞宗・左文字・兼光・則光などを江戸へ持参した。寛文三年とみられる光久の上洛には道中跡払いとして供奉し、大坂・江戸の御番割に入った。六月には国許への急用使として江戸から鹿児島へ往復し、九月に再び江戸へ参着した。同年十二月には島津綱久から将軍への寒中伺候使者となり、酒井雅楽頭や老中阿部豊後守・稲葉美濃守・久世大和守を訪ね、江戸城で七島鰹節を進上した。その後も寛文四年の下向供奉、同五年の秋月佐渡家来欠落事件に関する使者、延宝二年の大坂町奉行石丸石見守への使者を務めた。

登場人物
松崎貞悦(小七郎・采女正)、満坂里介、国頭王子、島津光久、島津綱久、島津清太夫、樺山長門、平山次郎右衛門、大山六右衛門、是枝喜右衛門、北条次郎右衛門、上村茂兵衛、奈須五左衛門、平山久馬郎右衛門、本田与兵衛、名越清右衛門、沢崎主水、税所弥□武兵衛、市来次郎左衛門、肥後茂左衛門、相良善左衛門、猿渡□六郎右衛門、宇都八弥左衛門、三雲弥太夫、館小左衛門、白尾金左□采女、伊勢弥五兵衛、森喜兵衛、長尾権兵衛、内藤繁右衛門、岩元清右衛門、黒田加兵衛、左近允四郎左衛門、山崎喜右衛門、税所弥五右衛門、伊勢弥兵衛、酒井雅楽頭、阿部豊後守、稲葉美濃守、久世大和守、松平備前守、北条安房、伊沢隼人、秋月佐渡、川野長兵衛、白井久馬、播磨屋七右衛門、五兵衛、石丸石見守、新納喜右衛門
宛先
—
キーワード
寛永十三年鹿児島衆中屋敷帳、松崎采女正、下屋鋪、屋敷検地、慶安五年上洛、承応二年、国頭王子、琉球継目祝使、日光参詣、進上腰物、名刀、寛文三年上洛、道中跡払い、大坂御番、江戸御番、国許急用使、寒中伺候、七島鰹節、寛文四年下向、欠落人、延宝二年、大坂町奉行
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w6:13-7覚書・高麗人聞取/淵辺家系譜旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

万治二年八月十八日平田清右衛門覚書・淵辺家系譜

冒頭に『高麗人諸事問条記一通、但十五ヶ条』と掲げ、平田清右衛門が淵辺量右衛門へ、ほかにも覚えている事柄を詳しく書き付けて提出するよう求めた万治二年八月十八日付覚書。御記録方で使用するための聞取であり、朝鮮軍記の提出控えは別紙にあると注記する。続いて元貞以下の淵辺家系譜を収め、元貞が寛文元年に七十九歳で没して柿本寺へ葬られ、元辰・元隆・元智・元錦・元能・元苗・元儀・元詮・元長・元彬・元甫・元休・元堅・元伴・元次・元敏らの出生、幼名・通称・法名、母方・婚姻、早世・没年・墓所を各代ごとに記す。元辰は六歳で家久に召し出されて仲兵衛の名を受け、元隆は太守光久の目見を得て加治木の花堂・藤原重俊女を妻とし、元錦は太守光久への御目見、武州品川稲荷大明神への祈願成就、家督勤役と知行百壱石余を記す。元詮は天和三年に太守綱貴の初参勤供を務め、元苗は元文四年の清女産神・太田大明神参詣、元儀は綱貴・吉貴への御目見と町田・川上両家への奉公、元堅は太守継豊の初参勤供、元甫は島津小平太の供、元休は太守綱貴・重年への奉公、元詮系では太守吉貴・継豊の家督礼や島津家諸役を伝える。末尾は明和四年七月朔日、太守重豪への初而奉拝記事まで続き、近世淵辺家の奉公・婚姻・家督・墓所を世代順にまとめる。

登場人物
平田清右衛門、淵辺量右衛門、元貞、元貞妻、賀婆太郎、元辰(仲兵衛・法名徹心全通)、元隆(淵辺喜左衛門・五郎兵衛、法名夏室道安)、元侑(吉次郎・善左衛門)、元智(平内・諸兵衛)、元防(三左衛門)、元定(伊兵衛・仁右衛門)、元宣(百助・宗左衛門)、元錦(淵辺仲三郎・弥兵衛・初元定、法名節岩源秋)、元能(淵辺仲七郎・休右衛門)、元苗(仲次郎・休右衛門、法名随流忍性)、元儀(仲八・南郷正右衛門俊信)、元詮(仲三郎・良右衛門・伝兵衛、法名祥心了休)、元長(久次郎、法名華雲白如)、元彬(虎千代・良右衛門・初元彌・元雅・後元苗)、元甫(初元義・元賢・仲助・茂兵衛・源右衛門)、元休(織太郎・弥兵衛)、元堅(仙千代・彦右衛門・初元扶)、元伴(甚五郎・長右衛門・初元苗)、元次(源五郎)、元敏(亀千代・亀助・熊助・源蔵)、元智(釜八)、太守綱貴、太守吉貴、太守継豊、島津小平太、太守重年、太守重豪
宛先
淵辺量右衛門殿
キーワード
万治二年八月十八日、平田清右衛門、淵辺量右衛門、高麗人諸事問条記、十五ヶ条、御記録方、朝鮮軍記、別紙、淵辺家系譜、元貞、柿本寺、加治木、鹿児島、郡山、出生、幼名、通称、法名、婚姻、家督、知行百壱石余、武州品川稲荷大明神、太田大明神、初参勤、御目見、太守光久、綱貴、吉貴、継豊、重年、重豪、島津小平太、町田家、川上家、奉公、明和四年
旧記雑録拾遺 著作史料集9-文書ID W02_文書0008書状・伝記資料・詩文旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

如竹書状

琉球滞在中の如竹が屋久島安房の親族・郷人へ送った教訓状。公儀への奉公、親への孝行、利己心の戒め、節酒・早起き、農作と日々の計画を具体的に説く。後半には如竹の薩摩召還、侍講、直諫、救貧、用水開削、林業、没年・法号、遺詩などを集成し、その儒学教育と地域社会への功績を伝える。

登場人物
如竹、南浦文之、島津光久、島津久元、山田有栄、梁淳民、愛甲喜春、日高茂兵衛
宛先
屋久島安房の与右衛門・弥兵衛・太右衛門・善兵衛・日高茂兵衛・勘兵衛・八左衛門
キーワード
如竹、屋久島、安房、琉球、教訓状、孝行、奉公、農作、朱子学、侍講、救貧、用水、詩文
追録2-No.2936書状旧記雑録暫定版確認度 低

琉球国司跡職拝命への謝意と神文提出を伝える尚益書状

琉球国司尚益が御老中へ、先国司の跡職を相違なく命じられた厚恩に謝意を述べる。清水弥兵衛・中神七右衛門を介して霊社の神文を提出し、同じ内容を七右衛門方にも伝えたと報告する。

登場人物
琉球国司尚益
宛先
御老中
キーワード
尚益、琉球国司、先国司跡職、御老中、清水弥兵衛、中神七右衛門、霊社神文、書状
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 369戦功・実見証文旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

村尾重候実見証文

村尾源左衛門尉重候が、寅二月二十八日、有馬原城本丸内で須木衆今村久右衛門尉とともに鑓を合わせ、左手に鑓傷を受けながら敵を鑓下に突き伏せたことを記す証文。大口衆大田彦右衛門尉を証跡人とし、同じ須木衆の堀添十郎兵衛尉が首一つを取ったことも記す。須木衆長里弥兵衛尉・大石喜内・宗形佐市の三人が村尾とともに城内へ入り、負傷した村尾を退かせたという。本文に宛所はない。編者注は『旧記雑録後編五』二一六九号文書と同文とする。

登場人物
村尾重候(村尾源左衛門尉)
宛先
宛先記載なし
キーワード
村尾重候、村尾源左衛門尉、戦功実見証文、有馬原城本丸、須木衆今村久右衛門尉、鑓合、左手鑓傷、敵突伏、大口衆大田彦右衛門尉、証跡人、須木衆堀添十郎兵衛尉、首1、長里弥兵衛尉、大石喜内、宗形佐市、同行3人、寅二月二十八日、目録寛永十五年(三月)朔日、本文末日付異同、宛先なし、旧記雑録後編五2169号同文
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 504有馬先船衆・夫丸人数書付旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

堀久左衛門尉有馬先船衆書付

堀久左衛門尉は、有馬へ先発する船衆として江夏五右衛門・益山弥兵衛・佐藤伊豆守・杉尾千右衛門・渋江藤七兵衛らを主従人数とともに列挙し、合計十一人とする。別に夫丸七人を記し、西田貞右衛門尉・有馬千兵衛へ提出する。

登場人物
堀久左衛門尉
宛先
西田貞右衛門尉、有馬千兵衛
キーワード
十一月十二日、堀久左衛門尉、有馬、先船衆、江夏五右衛門、益山弥兵衛、佐藤伊豆守、杉尾千右衛門、渋江藤七兵衛、合人数十一人、夫丸七人、西田貞右衛門尉、有馬千兵衛、十二月五日癸巳
旧記雑録拾遺 著作史料集7-文書ID w09:33加久藤での一向宗本尊差出し報告旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

西田時通外二名連署書状

加久藤で樋口筑後・中堀源兵衛・樋渡弥兵衛らから一向宗本尊を差し出させ、さらに五人組の調べで七兵衛の保管も判明したと宗体奉行へ報告する。

登場人物
本文記載人物(詳細は本文画像参照)
宛先
―
キーワード
加久藤、樋口筑後、中堀源兵衛、樋渡弥兵衛、一向宗本尊、五人組
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 336-4覚書旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

討死手負覚

寅年二月二十七・二十八日の黒田右衛門佐家中の討死・手負者を記した覚。討死者として濱田五郎兵衛、松岡作右衛門、梶川作左衛門、八田仁左衛門、林与左衛門、勝野伊右衛門、戸田角兵衛、丹野七右衛門、高館源左衛門、大石庄右衛門、立花弥兵衛、南畝太左衛門、野口万右衛門ら計17人を掲げ、続いて黒田三左衛門・井上半兵衛・黒田太郎介・北村頼母介ら手負者の氏名を列挙する。本文の日付は目録年月日欄へ補入しない。

登場人物
黒田右衛門佐家中
宛先
宛先なし(覚書・記録類)
キーワード
寅年、二月二十七日、二月二十八日、黒田右衛門佐家中、討死17人、手負、濱田五郎兵衛、松岡作右衛門、梶川作左衛門、八田仁左衛門、林与左衛門、勝野伊右衛門、黒田三左衛門、井上半兵衛、黒田太郎介、北村頼母介
旧記雑録拾遺 著作史料集8-文書ID W02_115差出旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

礼式太刀・御馬代受払書

黒田弥兵衛は二丸御納戸へ出向き、代銀を納めて木太刀一腰を受け取る。別に御馬代として銭一貫文を納めた取扱いを記す。

登場人物
伊地知季安
宛先
宛先明示なし
キーワード
伊地知季安差出・差出・伊地知