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『旧記雑録』前編・後編・附録10冊と追録1~8(暫定版)、『旧記雑録拾遺 伊地知季安著作史料集1~9』『家わけ1』(暫定版)、関連史料(外伝)『島津世禄記』の46,754件を横断検索できます。検索範囲は史料群・巻を組み合わせて選べます。結果は50件ずつ表示します。

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49 件 (全巻)/ 1–49件を表示

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前編2-No.2572文書確認度 中

肝付省釣兼続書状

肝付兼続が島津日新に、久しく音信がなかったことを詫び、家中の安定と今後の取り計らいを願った書状。

登場人物
肝付兼続(省釣)、島津日新
宛先
日新様参人々御中
キーワード
肝付省釣兼続書状、肝付兼続、省釣、島津日新、家中、音信、三月十日
後編1-No.102文書確認度 高

肝付兼続書状

肝付兼続が番替えの送りを依頼し、岸良方面で敵九人を討ち五人を捕らえ、馬三十一疋を得た戦果を報告する。遠見・警戒、兵糧、部隊の激励を念入りに指示する。

登場人物
肝付兼続、岸良衆、番替衆
宛先
宛先不明
キーワード
肝付兼続書状、番替、岸良、戦果、捕虜、馬、遠見、兵糧、永禄元年
後編1-No.260文書確認度 高

肝付省釣兼続証状

肝付省釣兼続が安楽因幡守の望みにより、野柄・合爪・中救仁・樋下・薗草・橋崎などの田地と堀町・小原の屋敷を含む所領を、従前の扶持分として認めた証状。

登場人物
肝付兼続(省釣)、安楽因幡守
宛先
安楽因幡守
キーワード
肝付省釣兼続証状、永禄六年、肝付兼続、省釣、安楽因幡守、所領、田地、堀町屋敷、安堵
附録1-No.56文書確認度 高

肝付兼続証状

肝付兼続が、当家へ忠節を尽くした安楽大和守の筋目を踏まえ、安楽因幡守を二男として扶持すべき旨を認めた証状。先神領のうち借屋之門と同屋敷二所を与え、社頭の儀に異議がないよう定めて証文を渡す。

登場人物
肝付兼続、安楽大和守、安楽因幡守
宛先
安楽因幡守殿
キーワード
肝付兼続、安楽大和守、安楽因幡守、忠節、二男、扶持、神領、借屋之門、屋敷、証文
後編1-No.41記事確認度 高

島津国史

弘治二年の島津氏関係事績を編年で記す。三月、貴久は蒲生本城が険固なため先に松坂塁を攻めるが落とせず、八月十七日には島津忠親が大崎で肝付兼続を破り三百余人を討つ。十月十九日に松坂塁を落として中原父子以下百余人を討ち、十一~十二月に蒲生城へ向け七曲・馬立・蒲生新城に陣した。菱刈氏の援軍、琉球王尚元の即位も記す。

登場人物
島津貴久、島津忠親、肝付河内守兼続、中原氏父子、菱刈左馬権頭、蒲生氏、祁答院氏、琉球王尚元
宛先
—
キーワード
島津国史、弘治二年、蒲生城、松坂塁、大崎、島津忠親、肝付兼続、三百余人、中原氏父子、七曲、馬立、菱刈左馬権頭、琉球王尚元
後編1-No.97記事確認度 高

島津国史

永禄元年の島津氏周辺の軍事・家政記事。肝付兼続の庄内侵攻、恒吉宮ヶ原での北郷・肝付両軍の戦い、志布志・飫肥新山城の攻防と戦死者を記し、十二月には島津支族が所領名を氏とする改姓を命じられた。

登場人物
島津貴久、北郷時久、肝付兼続、島津忠親、伊東義祐、島津季久、桂忠利
宛先
—
キーワード
島津国史、永禄元年、肝付兼続、北郷時久、恒吉宮ヶ原、志布志、飫肥新山城、改姓
後編1-No.120記事確認度 高

日向記

永禄元年冬、島津方と肝付氏が戦った経緯を記す。清ヶ島で肝付方の有力者が多数討たれた後、兼続が少人数で踏みとどまり敵を退けたこと、伊東方が新山・南郷方面から櫛間を攻めた状況を述べる。

登場人物
肝付兼続、伊東義祐、島津方、肝付衆、飫肥衆、庄内衆
宛先
—
キーワード
日向記、永禄元年、肝付兼続、清ヶ島、伊東義祐、新山、南郷、櫛間、反撃
後編1-No.124記事確認度 高

島津国史

永禄二年の外交・軍事記事。琉球国王への返書、肝付兼続による松山城攻略、飫肥での伊東軍との戦い、島津尚久救援と春成久正の戦死、肝付・頴娃との盟約、末吉・梅北の領有移動などを記す。

登場人物
島津貴久、島津義久、島津尚久、島津忠親、肝付兼続、北郷時久、琉球国王、伊東義祐
宛先
—
キーワード
島津国史、永禄二年、琉球国王、松山城、肝付兼続、飫肥、島津尚久、盟約、末吉、梅北
後編1-No.150記録確認度 高

箕輪伊賀自記

永禄三年夏頃、伊集院忠純の家臣の言動を発端に肝付兼続が島津貴久を怨み、鹿児島を去った経緯を詳述する。兼続方は廻伊豆守の城を奇襲して奪い、伊豆守を討ち、兼続自身も廻城へ入って島津方と対立した。

登場人物
箕輪伊賀、肝付兼続、島津貴久、伊集院忠純、肝付治部左衛門、廻伊豆守
宛先
—
キーワード
箕輪伊賀自記、肝付兼続、伊集院忠純、島津貴久、廻城、奇襲、占拠、対立
後編1-No.161記事確認度 高

島津国史

永禄四年、肝付兼続が宴席で鶴を供した際、島津家の鶴丸紋を嘲られたと憤り、伊東氏らと結んで五月十四日に廻城を奪取した。島津貴久・義久らが包囲し、七月十二日の竹原山合戦で島津忠将・町田忠林らが戦死したが、島津方は反撃して肝付・伊地知・禰寝勢を退け、飫肥在陣中の義弘も帰還した経過を記す。

登場人物
島津貴久、島津義久、島津義弘、島津忠将、肝付兼続、伊集院忠朗、町田忠林、伊地知重興、禰寝重長
宛先
—
キーワード
島津国史、永禄四年、肝付兼続、鶴丸紋、廻城、竹原山合戦、島津忠将、町田忠林、島津義弘
後編1-No.163記事確認度 高

島津日新譜

日新の長女婿で父子の契りを結んでいた肝付兼続が島津氏に背いたため、日新が儒教的な戒めと和歌を娘へ送り翻意を促したが、兼続は従わず敵対に至ったことを記す。

登場人物
島津忠良(日新)、肝付兼続、日新長女
宛先
—
キーワード
島津日新譜、島津忠良、日新、肝付兼続、長女、諫戒、和歌、離反
後編1-No.164記事確認度 高

島津貴久譜

肝付兼続が島津氏への遺恨から伊東氏と結んで廻城を奪い、島津貴久・義久らが包囲した経過を記す。七月十二日の竹原山合戦で忠将と町田忠林以下多数が戦死したのち島津方が反撃し、飫肥にいた義弘を呼び戻した。

登場人物
島津貴久、島津義久、島津義弘、島津忠将、肝付兼続、町田忠林、伊東氏
宛先
—
キーワード
島津貴久譜、肝付兼続、廻城、竹原山合戦、島津忠将、町田忠林、島津義弘、伊東氏
後編1-No.165記事確認度 高

島津義弘譜

肝付兼続の反乱と廻城をめぐる戦い、竹原山合戦で島津忠将が戦死したことを義弘の譜から記す。飫肥在陣中の義弘は、島津忠親の勧めもあって急ぎ帰還した。

登場人物
島津義弘、島津貴久、島津忠将、肝付兼続、島津忠親
宛先
—
キーワード
島津義弘譜、肝付兼続、廻城、竹原山合戦、島津忠将、飫肥、島津忠親、帰還
後編1-No.174記録確認度 高

壱岐加賀年代記

永禄四年、日向本城方面の戦況に続き、肝付兼続が五月に廻城を奪い、島津方が大牟礼・馬立・竹原山へ布陣した経過を記す。肝付方は救援を求め、伊東方も本城・酒谷間の鎌ケ倉に陣を置いた。

登場人物
肝付兼続(省釣)、島津貴久、島津義久、島津忠将、伊東義祐
宛先
—
キーワード
壱岐加賀年代記、永禄四年、肝付兼続、廻城、大牟礼、馬立、竹原山、鎌ケ倉、伊東氏
後編1-No.177記録確認度 高

樺山玄佐自記

肝付兼続の廻城奪取後、島津方が曽於郡方面の安全確保を図りつつ大平・馬立・竹原山へ布陣した経過を記す。竹原山合戦で忠将が戦死し、島津方が反撃したこと、樺山玄佐の知行や陣所をめぐる処置まで述べる。

登場人物
島津貴久、島津義久、島津義弘、島津忠将、肝付兼続、樺山玄佐、北原氏、島津忠親
宛先
—
キーワード
樺山玄佐自記、肝付兼続、廻城、竹原山合戦、島津忠将、樺山玄佐、曽於郡、知行
後編1-No.178記事確認度 高

日向記

肝付兼続が廻城を奪ったため島津方が三か所に陣を置き、伊東方が本城・酒谷間の鎌ケ倉から肝付を支援した経過を記す。竹原山・馬立の陣が破られ忠将以下七十人が討たれたとの注進を受け、日向方面でも対応を協議した。

登場人物
肝付兼続(省釣)、島津貴久、島津忠将、伊東義祐、島津忠親、島津義弘
宛先
—
キーワード
日向記、肝付兼続、廻城、鎌ケ倉、竹原山合戦、島津忠将、伊東義祐、日向情勢
後編1-No.181記録確認度 高

箕裘自記

島津方が廻城を包囲すると、肝付方は六千余騎を集め竹原山・馬立の陣を攻撃し、島津忠将以下を討ち取った。兼続は忠将との旧交を思って涙し、島津方は一時和睦して撤陣し、飫肥の義弘も貴久・忠親の意向により帰国した経過を記す。

登場人物
島津貴久、島津義弘、島津忠将、肝付兼続(省釣)、島津忠親、新納永鑑、安楽備前守
宛先
—
キーワード
箕裘自記、廻城、竹原山合戦、島津忠将、肝付兼続、六千余騎、和睦、島津義弘、帰国
後編1-No.185文書確認度 高

隈庄親昌書状

隈庄親昌が薩摩との交渉について大友氏重臣らへ取り次いだ経過を述べる。肝付兼続が廻城を忍び取って薩摩国内が混乱した事情を伊集院大和入道から聞いたとして、花巌院の口上どおり日向へ早急に下知するよう求め、茶磨を贈った書状。

登場人物
隈庄親昌、志賀安房守、吉岡長増、臼杵鑑速、肝付兼続、伊集院大和入道、花巌院
宛先
志賀安房守
キーワード
隈庄親昌書状、永禄四年、志賀安房守、大友氏、肝付兼続、廻城、日向下知、花巌院、茶磨
後編1-No.602記事確認度 高

島津義久譜

大隅の肝付兼続・禰寝重長・伊地知重興が島津氏への出仕を拒み、廻城主肝付忠勝の死後は伊東氏とも結んで敵対した経緯を述べる。元亀二年十一月二十日、百余艘の船団が鹿児島湾に侵入して瀧水村を攻めたが、平田新三郎ら帖佐衆約五十人が防戦し、敵船を退却させた。

登場人物
島津義久、肝付兼続、禰寝重長、伊地知重興、伊東義祐、平田新三郎
宛先
鹿児島湾、瀧水
キーワード
島津義久譜、元亀二年、肝付兼続、禰寝重長、伊地知重興、伊東氏、鹿児島湾、瀧水、平田新三郎、海戦
後編1-No.640記事確認度 高

樺山玄佐譜

肝付兼続・禰寝重長・伊地知重興を大隅の三凶徒とし、島津義久がまず下大隅征討を決めた経緯を記す。元亀三年九月二十六日、義久と歳久が軍を率いて樫島を経て小浜古城を落とし、早崎高峰を陣営として越年した。樺山玄佐は新春を祝う和歌を詠み、その後三氏が次第に島津方へ屈したと結ぶ。

登場人物
島津義久、島津歳久、樺山玄佐、肝付兼続、禰寝重長、伊地知重興、伊地知美作守
宛先
下大隅、樫島、早崎、小浜
キーワード
樺山玄佐譜、元亀三年、樺山玄佐、肝付兼続、禰寝重長、伊地知重興、下大隅、樫島、早崎、小浜、和歌、帰順
後編1-No.642記事確認度 高

島津歳久譜

大隅の肝付兼続・禰寝重長・伊地知重興が島津義久への出仕を拒み、廻城を奪って敵対した経緯を述べる。元亀三年九月二十六日、歳久が将帥として下大隅へ出兵し、樫島・瀬戸を経て早崎に陣営を構えた。義久の進船に鼓舞された軍勢が小浜古城を落とし、同地を前陣と改称した。

登場人物
島津義久、島津歳久、肝付兼続、禰寝重長、伊地知重興、伊地知美作守
宛先
廻、樫島、瀬戸、早崎、小浜、古江浜
キーワード
島津歳久譜、元亀三年、島津歳久、肝付兼続、禰寝重長、伊地知重興、廻城、下大隅、早崎、小浜、前陣
後編1-No.655記事確認度 高

新納忠元勲功記

肝付兼続と禰寝重長が長年島津氏に敵対するなか、島津義久が宝持院に八木昌信を添えて密かに禰寝へ送り、重長に肝付方から離れるよう説かせた。続いて天正元年二月、新納忠元・伊集院久治・上原尚常も渡海して説得し、二十一日に三使が、二十六日に義久と家老衆が誓紙を渡した。重長は三月に降参し、島津軍とともに肝付氏を攻めた。

登場人物
新納忠元、島津義久、禰寝重長、肝付兼続、八木昌信、宝持院、伊集院久治、上原尚常、喜入季久、伊集院忠金、平田昌宗
宛先
禰寝城
キーワード
新納忠元勲功記、天正元年、新納忠元、禰寝重長、肝付兼続、八木昌信、宝持院、密使、和睦、誓紙、降参、禰寝城
後編1-No.664記事確認度 高

島津義久譜

天正元年三月十日、薩隅軍が禰寝城へ入り、義久は指宿に進んで肝付兼続討伐を指揮した。十四日は大雨で戦えず高洲浦の船を奪って帰り、十八日に西俣で肝付勢と交戦した。歳久・忠長らが奮戦して敵を破り、禰寝重長も参戦して凱歌をあげた。重長はのち指宿で義久に謁し、鹿児島で数日饗応を受け、横尾合戦では敵五十余人を討ったとする。

登場人物
島津義久、島津歳久、島津忠長、禰寝重長、肝付兼続、川上久信、樺山規久、上原尚近、肝付兼寛、野村兵部少輔、鎌田外記
宛先
禰寝城、指宿、高洲浦、西俣、横尾、鹿児島
キーワード
島津義久譜、天正元年、禰寝重長、肝付兼続、指宿、高洲浦、西俣合戦、島津歳久、島津忠長、横尾合戦、鹿児島、饗応
後編1-No.665記事確認度 中

島津以久譜

天正元年三月、島津軍が肝付兼続方を攻めた際に以久も従軍した。十八日の西俣合戦では先頭に立ち、兼続が亡父の仇であり今日の戦いこそ望むところだと士卒を励まし、疾風迅雷の勢いで諸将とともに敵軍を撃破して首級を得たとする。

登場人物
島津以久、肝付兼続、島津軍
宛先
西俣
キーワード
島津以久譜、天正元年、島津以久、肝付兼続、西俣合戦、従軍、亡父の仇、先陣、撃破、首級
後編1-No.723記事確認度 高

島津忠長譜

天正二年正月三日、肝付兼続の軍勢が高隈山を越えて牛根城前の茶園尾に陣取ろうとしたため、島津忠長が疲労した敵を討つ好機として軍中を励まし、自ら後詰めを約した。川上久信も同様に指揮し、島津勢が敵軍を敗走させ茶園尾を占領した。

登場人物
島津忠長、川上久信、肝付兼続
宛先
—
キーワード
島津忠長譜、天正二年、牛根城、茶園尾、高隈山、川上久信、肝付兼続、撃退
後編1-No.724記事確認度 高

雑抄

天正二年正月三日、肝付兼続の軍勢が高隈山を越えて茶園尾へ陣取ろうとしたが敗走し、島津勢が同地を占領したと記す。早崎城兵が安楽備前守の姓氏を題に狂歌を作り、矢に書いて敵陣へ送った逸話を載せる。底本欠損のため鹿児島県立図書館本で補われた記事である。

登場人物
島津義久、肝付兼続、安楽備前守
宛先
—
キーワード
雑抄、牛根城、茶園尾、肝付兼続、安楽備前守、狂歌、矢文、底本欠、補写
後編1-No.1237文書確認度 高

御家子女系図

島津忠良の娘について、肝付河内守兼続の室となり、母は島津薩摩守成久の娘であったと記す子女系図。天正九年九月三日に七十一歳で没し、姶良含粒寺に葬られ、法名を月庭桂秋大姉とする。

登場人物
島津忠良女、肝付兼続、島津成久女
宛先
—
キーワード
島津忠良子女系図、島津忠良女、肝付兼続、島津成久女、天正九年没、七十一歳、姶良含粒寺、月庭桂秋大姉
附録1-No.837文書確認度 高

島津日新忠良書状

島津忠良が式部大輔へ、兼続が来着したことを知らせ、相手が快気せず面会できないのを惜しみ、養生を第一とするよう勧めた返書。贈られた辛螺・海老四籠への礼も述べる。

登場人物
島津忠良(日新)、式部大輔、兼続
宛先
式部大輔
キーワード
島津忠良、日新、式部大輔、兼続、快気、養生、辛螺、海老、贈答、十月十二日
附録2-No.1410記事確認度 高

平山氏系図抄(一)

豊州家庶子の平山氏系図。島津季久流から忠廉・忠康・忠朝へ続く家系、松山居住と官途、加治木家への養子、忠智が肝付兼続討伐に向かう途中で肝付兵に斬られたことなどを記す。

登場人物
平山忠廉、島津季久、平山忠康、平山忠朝、平山忠智、肝付兼続
宛先
—
キーワード
平山氏、平山忠廉、島津季久、平山忠康、平山忠朝、平山忠智、肝付兼続、松山、加治木、養子、戦死、系図
後編1-No.106記事確認度 高

北郷時久譜

永禄元年三月十九日、肝付勢が庄内へ侵攻し、北郷時久・島津忠親の軍が恒吉宮ヶ原で迎撃したが敗れた戦闘を記す。北郷・豊州方の諸将と兵卒二百余人が戦死した。

登場人物
北郷時久、島津忠親、肝付兼続、北郷久慶、北郷久親、北郷教久、日置久範、平田宗仰
宛先
—
キーワード
北郷時久譜、肝付兼続、庄内、恒吉宮ヶ原、島津忠親、北郷氏、敗戦、戦死
後編1-No.182記録確認度 高

壱岐賀州年代記

永禄四年七月、肝付勢が島津方の陣を崩して総大将の島津忠将以下多数を討ち、廻城の守備を救ったことを記す。さらに飫肥方との和議交渉、人質交換、先宮城の一部引渡しなど日向方面の動向を続けて記録する。

登場人物
島津忠将、肝付兼続、日置周防介、柏原宮内少輔、長倉播磨守
宛先
—
キーワード
壱岐賀州年代記、竹原山合戦、島津忠将、肝付兼続、飫肥、和議、人質、先宮城
後編1-No.184記録確認度 高

長谷場越前自記

島津方が大牟礼・馬立・竹原山から廻城を包囲し、降伏をめぐる評議ののち、七月十二日に肝付勢の攻撃を受けた経過を詳述する。竹原山・馬立で忠将以下が戦死した一方、大寺大炊助・瀧聞美作守・梅北刑部左衛門らが奮戦し、敵を恒吉方面へ退けた。

登場人物
島津貴久、島津忠将、肝付兼続(省釣)、伊集院大和守、新納伊勢守、大寺大炊助、瀧聞美作守、梅北刑部左衛門
宛先
—
キーワード
長谷場越前自記、廻城、竹原山合戦、島津忠将、肝付兼続、大寺大炊助、瀧聞美作守、梅北刑部左衛門
後編1-No.196記事確認度 高

日向記

島津忠親が伊東方との和睦条件に従い、永禄五年二月二十二日に志布志を伊東方経由で肝付氏へ渡した。五月十八日には飫肥も伊東方へ引き渡して忠親が櫛間へ退き、日置・柏原両氏には南郷三百町が与えられた経過を記す。

登場人物
島津忠親、伊東義祐、肝付兼続、木脇八郎左衛門尉、日置周防介、柏原宮内少輔
宛先
—
キーワード
日向記、永禄五年、島津忠親、伊東義祐、肝付兼続、志布志、飫肥、櫛間、南郷三百町
後編1-No.656記事確認度 高

新納忠元譜

天正元年、島津義久が宝持院・八木昌信を密使として禰寝重長を説得し、二月には新納忠元・伊集院久治・上原尚常を重ねて派遣した。忠元らは肝付方を離れて島津氏へ降ることが後栄になると説き、重長は応じて二十一日に三使と、二十六日に義久と盟約し、領地を挙げて降参した。

登場人物
島津義久、新納忠元、禰寝重長、肝付兼続、宝持院、八木昌信、伊集院久治、上原尚常
宛先
禰寝
キーワード
新納忠元譜、天正元年、新納忠元、禰寝重長、肝付兼続、宝持院、八木昌信、伊集院久治、上原尚常、盟約、降参
後編1-No.666記事確認度 高

島津忠長譜

禰寝重長が島津方へ属したため、天正元年三月十日に薩隅軍が禰寝城へ入り、義久は指宿へ進んだ。十八日の西俣合戦では歳久が隅州軍、忠長が薩摩南方軍を率いて肝付勢を大破し、多数を斬獲した。重長も参戦し、戦後は海を渡って指宿で義久に謁し、鹿児島まで随行した。

登場人物
島津義久、島津歳久、島津忠長、禰寝重長、肝付兼続
宛先
禰寝城、指宿、西俣、鹿児島
キーワード
島津忠長譜、天正元年、島津忠長、禰寝重長、肝付兼続、禰寝城、指宿、西俣合戦、薩摩南方軍、鹿児島
後編1-No.721記事確認度 高

島津義久譜

天正元年十二月以来の平床対陣を承け、天正二年正月三日に肝付軍が高隈山を越えて牛根城前の茶園尾へ陣取ろうとした際、島津忠長と川上久信が軍を励まして撃退した。島津方は茶園尾を占領して牛根城に迫り、城方へ安楽備前守の名を詠み込んだ狂歌を矢で射送った。

登場人物
島津義久、島津忠長、川上久信、肝付兼続、安楽備前守
宛先
—
キーワード
島津義久譜、牛根城、平床、茶園尾、島津忠長、川上久信、肝付兼続、安楽備前守、狂歌
後編1-No.193記事確認度 高

島津国史

永禄五年、伊東義祐・肝付兼続の攻勢で島津忠親が飫肥・志布志を失った情勢と、真幸院北原氏の家督争いを記す。島津方は北原兼親の飯野復帰を支援し、横川城を攻略して菱刈氏へ与え、栗野・飯野方面の支配を固めた。

登場人物
島津貴久、島津義久、島津義弘、島津歳久、伊東義祐、肝付兼続、島津忠親、北原兼親、樺山幸久、新納忠元
宛先
—
キーワード
島津国史、永禄五年、飫肥、志布志、真幸院、北原兼親、飯野、横川城、菱刈氏、島津義弘
後編1-No.641記事確認度 高

島津忠長譜

肝付兼続・禰寝重長・伊地知重興が廻城を奪って島津氏に敵対したため、元亀三年九月二十六日、島津歳久を大将とする下大隅征討軍に忠長も従軍した。翌日、早崎高峰に陣して伊地知重興領の小浜古城を攻め、義久も古江浜へ進船して軍勢を励まし、守将伊地知美作守の城を落として前陣と改称した。

登場人物
島津忠長、島津歳久、島津義久、肝付兼続、禰寝重長、伊地知重興、伊地知美作守
宛先
廻、下大隅、樫島、早崎、小浜、古江浜
キーワード
島津忠長譜、元亀三年、島津忠長、島津歳久、下大隅、廻城、早崎、小浜古城、伊地知重興、前陣
後編1-No.166記事確認度 高

島津忠将譜

竹原山合戦で、海辺の守備に当たっていた島津忠将が町田忠林の制止を退けて単騎で敵中へ突入し、包囲されて四十二歳で戦死した経過を詳記する。法名は心翁大安大居士で、家臣や援兵にも多数の戦死者が出た。

登場人物
島津忠将、町田忠林、肝付兼続
宛先
—
キーワード
島津忠将譜、竹原山合戦、島津忠将、町田忠林、戦死、四十二歳、心翁大安大居士
後編1-No.175記録確認度 高

年代記

永禄四年五月十四日に肝付方が廻城を忍び取り、六月二十七日に島津方が大牟礼・馬立・竹原山へ陣を置いた。七月十二日に竹原山が破られて忠将以下七十余人が戦死し、十一月七日に代賢が福昌寺へ入院したことを記す。

登場人物
肝付兼続、島津貴久、島津義久、島津忠将、代賢
宛先
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キーワード
年代記、永禄四年、廻城、竹原山合戦、島津忠将、七十余人、代賢、福昌寺
後編1-No.681記事確認度 高

島津中務大輔家久譜

肝付・禰寝・伊地知三氏の離反と廻城奪取、元亀三年の早崎築陣・小浜攻略を前史として、天正元年七月二十四日の早崎夜襲を記す。守将家久は川南式部左衛門と戦い、田之上清左衛門に救援されつつ全身八か所を負傷した。喜入久績も負傷しながら敵を退け、平田光宗らも力戦して、二十六歳の家久は危機を免れた。

登場人物
島津家久、島津歳久、肝付兼続、禰寝重長、伊地知重興、川南式部左衛門、田之上清左衛門、喜入久績、平田光宗、平田左馬助、木脇刑部左衛門
宛先
廻、下大隅、早崎、小浜
キーワード
島津中務大輔家久譜、島津家久、早崎夜襲、川南式部左衛門、田之上清左衛門、喜入久績、八か所負傷、二十六歳、下大隅
後編1-No.714記録確認度 高

北郷時久日記(自元亀三年正月至天正元年十二月)

元亀三年正月から天正元年十二月までの軍事日程を記す。浜市小島の肝付兵船捕獲、廻・三山・木崎原・早崎・住吉原・西俣の諸戦、禰寝重長の帰順と下大隅渡海、平松陣の役人・作法、恒吉宮ノ原の損害、平床への着陣などを日付順に列挙する。

登場人物
北郷時久、島津義久、島津義弘、島津家久、禰寝重長、肝付兼続、伊集院忠金、大岩根河内守入道
宛先
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キーワード
北郷時久日記、元亀三年、天正元年、木崎原合戦、早崎、住吉原、西俣、禰寝重長、平松陣、平床
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w2:20-1系図旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

後奈良天皇口宣案

冒頭に弘治二年十月五日付の後奈良天皇口宣案を掲げ、権大僧都省釣(肝付兼続)を法印へ転任させる。上卿は中山大納言、奉者は蔵人頭左大弁頼房で、『家わけ二』肝付文書一七号と同文である。続いて前文書からつながる平岡氏系譜を収める。平岡義理は天正元年に日向国住吉原で北郷時久・相久・忠虎らとの合戦に討死し、義光は豊臣秀吉・徳川家康に仕えて子孫が旗本となった。義秀は島津義久に奉公し、天正六年の高城防衛と文禄元年の朝鮮出兵に従い、大崎横瀬村を賜る。義辰は慶長四年の恒吉城攻めに従軍し、のち串良杉尾口へ移された。以後、義長・義元・義彦・義遇・義敬・義業・義臣・義言・義堯・義源・義寄ら諸流について、寺院建立、知行・高山預、家督、養子・婚姻、医師・僧位、出生・没年・法名を詳記し、末尾は宝暦四年九月二十七日生の女子の記事で終わる。

登場人物
後奈良天皇、肝付兼続(省釣)、中山大納言、蔵人頭左大弁頼房、平岡義理、肝付左兵衛、伊集院三川入道、北郷時久、北郷相久、北郷忠虎、平岡義光、豊臣秀吉、徳川家康、平岡義秀、島津義久、平岡義辰、伊集院忠真、吉田美作守清在、島津図書忠長、寺山四郎左衛門、樺山権左衛門久高、桂山城守忠昉、迫水内記入道等津、柏原将監、平岡義長、平岡義宣、平岡義元、平岡義彦、平岡義遇、平岡義敬、平岡義業、平岡義臣、平岡義言、平岡義堯、平岡義源、平岡義寄
宛先
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キーワード
後奈良天皇口宣案、弘治二年十月五日、肝付兼続、省釣、権大僧都、法印、中山大納言、頼房、家わけ二、肝付文書一七号、平岡氏系図、日向国住吉原、北郷氏、豊臣秀吉、徳川家康、旗本、島津義久、高城合戦、朝鮮出兵、大崎横瀬村、恒吉城、伊集院忠真、串良杉尾口、家督、養子、婚姻、知行、高山預、寺院建立、医師、法名
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w2:22-1系図旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

伴姓肝付氏庶流系図

舒明天皇・天智天皇・大友皇子を起点に伴姓の祖系を示し、兼経・兼益以下の肝付氏と庶流を配する系図。萩原・救仁郷・安楽・検見崎・北原・和泉・岸良・野崎・川南・鹿屋・小野口・山下など各氏の分出を明記する。兼尚が鎌倉在府中、兼重が留守・番代を務め、その子秋兼が兼尚の養子となって嫡家を相続した経緯を載せる。後段では兼続(法号省釣)の永正八年誕生、永禄五年の松山・志布志知行、永禄九年十一月十五日の志布志での死去、良兼・兼勝・兼樹・兼包・兼政らの続柄を記す。兼政は早世した良兼の娘を妻として嫡家を相続し、慶長五年九月十五日に美濃国関ヶ原で戦死したとし、兼元の島津元久上京供奉や兼忠の頴娃拝領にも触れる。

登場人物
舒明天皇、天智天皇、大友皇子、余那足、善名、善男、仲用、仲兼、兼遠、兼行、行貞、兼貞、兼俊、兼経、兼益、兼員、兼任、兼綱、貞、兼友、兼幸、行俊、兼藤、兼尚、兼重、秋兼、兼光、兼廣、宗兼、信兼、兼氏、兼朝、久兼、兼政、兼続、良兼、兼勝、兼樹、兼包、兼元、兼忠、島津元久、島津久豊、島津忠朝、伊東義祐
宛先
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キーワード
伴姓肝付氏庶流系図、天智天皇、大友皇子、伴姓、肝付氏、萩原氏、救仁郷氏、安楽氏、検見崎氏、北原氏、和泉氏、岸良氏、野崎氏、川南氏、鹿屋氏、小野口氏、山下氏、兼尚、秋兼、養子、嫡家相続、兼続、省釣、松山、志布志、兼政、慶長五年、関ヶ原合戦、戦死、島津元久、上京供奉、頴娃、系図、庶流
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w2:22-2系図旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

源盛富段書

肝付氏嫡流古系図の巻頭を掲げて当流の出自伝承を説明する、天明七年正月吉祥日付の源盛富段書。河内守兼続入道省釣の致仕後、豊前守兼隆の弟・治右衛門尉兼清を鼻祖とする伝承を示す。ただし古系図には兼隆・兼清を確認できず、年代が隔たり徴すべき文献もないため系線を接続できないと判断し、兼清を肇祖として後代の再撰の助けとなるよう、見聞に基づき世系を訂考した旨を記す。

登場人物
肝付兼続(省釣)、肝付兼隆、肝付兼清、源盛富
宛先
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キーワード
源盛富段書、天明七年、肝付氏嫡流、古系図、肝付兼続、省釣、致仕、肝付兼隆、肝付兼清、鼻祖、肇祖、系線、文献不足、世系訂考、再撰、山縣遠流、源盛富
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w8:100系図・伴家肝属氏正統近代の家譜旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

伴姓肝付氏正統系図

伴家肝属氏の近代の家系を兼続以下の枝筋までたどり、子女・養子・婚姻、家督、官途・法名、所領、戦死や寺院関係を記した長大な系図。冒頭に宝永四年五月二十五日、改訂して御記録所へ差し出したと記し、兼続の弘治二年の口宣、良兼らの志布志大慈寺・日州の寺院や位牌をめぐる記事、兼長らの地頭職・知行、兼道らの島津家との関係や慶長五年の戦死を載せる。後段には享保年間の太刀・銀馬代や家格に関する願い、僧籍に入った者、女性の婚姻・離別も記し、宝永四年の提出後にあたる年次の記事も含む。単なる直系表ではなく、分家・養子筋と後年の由緒主張を併記した点に特徴がある。

登場人物
兼続、良兼、兼長、兼吉、兼道、兼盛、兼康、兼幸、兼辛、兼親、年兼、経兼、治兼、兼群、島津家久、島津義久、島津龍伯、伊東義祐、大友宗麟
宛先
なし(系図。冒頭に御記録所への差出を記載)
キーワード
伴家系図、肝属氏正統、宝永4年御記録所提出、兼続、良兼、兼長、兼道、兼辛、兼康、兼幸、年兼、経兼、治兼、兼群、志布志大慈寺、日州、地頭職、養子・婚姻、慶長5年戦死、享保年間の家格・拝領願、太刀・銀馬代
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w8:101系図・伴氏/前田茂右衛門家旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

伴家系図

前田茂右衛門の所蔵と記す伴家系図で、天智天皇・大友皇子から伴善男らを経て、肝付と号した兼後以下の諸流をつなぎ、家族関係・官職・法名・所領・軍功を併記する。兼藤の相模国鎌倉住、兼久の鹿屋・肝付殿番代、兼光の越前守、兼続の加治木城主・高山城落城後の入部、兼勝らの山城守・左右衛門尉などの系統をたどる。後半には、兼洪が天文二年に逆心露見により誅伐された記事と遺児の記述、兼続が永禄期に松山・志布志を知行し同九年に没した記録を載せる。系線だけでなく、女子の婚姻、養子、出家、戦死や相続の経緯まで書き込む点が特徴で、前項の宝永四年御記録所提出の近代肝属氏正統系図とは別の系図である。

登場人物
天智天皇、大友皇子、伴善男、伴兼後、伴兼経、兼藤、兼久、兼忠、兼光、兼久、兼頼、兼綱、兼松、兼洪、兼続、兼勝、良兼、島津忠朝、前田茂右衛門
宛先
なし(系図。前田茂右衛門の所蔵注記)
キーワード
伴家系図、前田茂右衛門蔵、天智天皇、大友皇子、伴善男、兼後、肝付、鎌倉、鹿屋、加治木、高山城、志布志、天文2年、永禄5・9年、兼洪、兼続、兼勝、女子婚姻、養子、戦死
島津世禄記-A14記事関連史料(外伝)確認度 高

島津忠廉住日州飫肥事 付 肝付謀叛之事

島津忠国の弟季久の子忠廉が文明十八年から日向飫肥に居住した由緒と、永禄三年の将軍上使伊勢備後守による島津・伊東間和平交渉を詳録する。上使は飫肥を公領として和睦させようとするが、樺山善久ら島津方は、飫肥が頼朝以来の島津領であり伊東領ではないと反論し、伊東が飫肥へ手を出さないことや大友氏との協調を条件として確認する。続いて貴久は忠廉の孫忠廣の継子として忠平(のち義弘)を飫肥へ送る。忠平は一年後に薩摩へ戻り、その隙に伊東勢が飫肥を囲むと救援を望むが、貴久・義久に止められ、養父忠廣との関係に苦悩する。後半では肝付兼続が貴久への礼を欠き、廻城を奪って伊地知重興・禰寝重長と結び反乱したため、島津軍が竹原山・廻城で戦う。忠将は制止を聞かず敵中へ突入して戦死し、町田忠林ら七十余人も討死した。肝付方は敗れて恒吉へ退く。忠平は忠廣の勧めで薩摩へ帰り、忠廣は北郷八代系の忠親を養子とする。忠親はいったん飫肥城を伊東氏へ渡すが、同年九月に策を用いて再入城した。和平外交、忠平の養子関係、肝付反乱、忠将戦死、飫肥家継承を結ぶ記事である。

登場人物
島津忠廉、島津忠廣、島津忠平(義弘)、島津貴久、島津義久、樺山安芸守善久、伊勢備後守、伊東義祐、肝付兼続、島津忠将、町田加賀守忠林、伊地知重興、禰寝重長、北郷忠親
宛先
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キーワード
飫肥和平交渉、伊勢備後守、島津忠廉、忠廣養子、肝付兼続、忠将戦死、北郷忠親
島津世禄記-A21記事関連史料(外伝)確認度 高

肝付退治之事

肝付兼続・禰寝重長・伊地知重興ら大隅の反島津勢力を討った長期戦を記す。義久は歳久らを派遣して小浜・古江方面を攻めるが、戦況は容易に決しなかった。そこで八木昌信が僧に同行して禰寝重長と秘密交渉し、婚姻を含む条件で降参を取り付ける。島津軍は高洲浦から肝付領へ進み、父忠将の仇を討とうとする征久らが先鋒となって敵を破った。一方、早崎の陣は夜襲を受け、家久が多数の傷を負いながら少数の従者と敵を押し返す。牛根城攻めでは平常岡・茶園尾へ陣を進め、断崖に道を築いて三日三夜攻撃し、城方を降伏させた。祢寝方も伊東・肝付勢の攻撃を受けたが喜入季久が防戦する。最終的に肝付・伊地知勢は服属し、人質を出し、新納忠元父子らが牛根城へ入った。秘密交渉、婚姻政策、夜襲、築道による城攻めを通じて大隅平定が進む過程を詳述する。

登場人物
島津義久、島津歳久、島津家久、島津征久、肝付兼続、禰寝重長、伊地知重興、八木昌信、新納忠元、新納忠堯、喜入季久、島津忠長
宛先
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キーワード
肝付退治、禰寝降参、秘密交渉、夜襲、牛根城、大隅平定