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旧記雑録拾遺 著作史料集1の目録
暫定版です。原文との照合により、概要や文書の区切り等を修正する場合があります。
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旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 827 牧野成純書状
たびたびの書状を拝見したことと、当地にまだ変事はないことを伝える。松平伊豆守と戸左門が諸事を指示しているので近日中に退治できると考えると述べ、詳しくは両人から申し上げるとして島津家久に報じる。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 828 林勝正書状
使札を拝見した礼を述べ、当地の朔日の戦闘については既報のとおりで、その後は変事がないと伝える。島津下野守・三原左衛門佐が指し越されたことを承知したとし、変わったことがあれば両人へ知らせると島津家久に報じる。林丹波守の署名は吉政で、勝正の校注が付く。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 829 伊地知季安記事
松平伊豆守信綱が薩摩勢に肥後勢と交替して上津浦の番手を務めるよう命じた経緯を記す。二十二日、久元が鬼塚源太左衛門を久玉へ遣わし、久賀・忠政らに伝えた。久賀・忠政は甲根へ陣を移し、久加・重国を交え四人で協議した後、使者を鹿児府へ戻して川上久国に報告した。末尾に久賀・忠政らの二十三日・二十六日案文を参照…
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 830 小川監物日記
二十二日、から爾という在所へ皆が陣を移したと記す短い日記記事。典拠は忠政従士小川監物の日記で、上文は十八日にあると注記する。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 831-1 伊地知季安記事
公の薬に天門冬を用いるため、市来湊などに来ている唐人から求めるよう、久国が湊の御仮屋守へ申し送ったと記す。次の久国書状の内容を説明する編者記事。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 831-2 川上久国書状
上様の薬として天門冬の漬物が必要なので、付近の唐人衆が所持していれば求めて進上するよう児玉次左衛門に依頼する。あわせて、その地の船を残らず出水へ回すよう求める。正月二十二日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 832 伊地知季安記事
岩元源六と同宗兵衛の供夫各一人が高根に至ったと記す短条。到着者は両名に付く供夫である。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 833 時任氏日記
同二十二日、吉田から出船し、からねという在所へ着船したと記す。二十一日夜は陣で泊まり、二十三日晩は船に泊まったという補足と、船が十五端帆であったことを載せる。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 834 緒方主殿日記
同二十二日、軍衆三十人をキリシタンの山狩に登らせたと記す。高根から亀之川という所へ船で渡って陣を取り、道のりは六里、狩衆は往来四日で帰ったとする。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 835 入来院重国譜
同二十二日、久田間を去って甲爾に陣し、守衛を怠らなかったと記す。入来院重国の行動を記した系譜記事の一条。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 836 喜入忠政従臣聞書
滞在中の人狩で犬二、三匹を連れた者を見つけ、鹿籠の百姓三兵衛と判明したため呼び寄せたと記す。三兵衛は長年執印六郎に付けられていたが欠落した者で、鹿籠へ帰ったという。別条で四本六兵衛が鹿籠から小船に米などを積んで参上し、重宝され赦免された旨を載せ、その後上津浦へ着船してしばらく滞在したと記す。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 837 四元弥兵衛覚書
父六兵衛が先年の島原出陣に際し、旅陣の米や諸物資の不足に役立とうと小船一艘を自ら仕立て、水手を集め、蔵方の御用物を積んで天草へ赴いた奉公を回顧する。陣中で物資が不足しなかったため直ちに大きな御用には立たなかったが、中将の島原着船を聞くと使者船を務め、帰国後も公儀御用や私的用務に勤めて賞されたと述べ、…
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 838 川上久国書状
川上久国が市来宗友に、黄門の大量吐血と、万一の場合にも軍衆を引き揚げさせない方針を伝える。兵糧の継続供給を懸念し、川内・串木野・市来・加世田の米と船便の状況を飛脚で報告させ、天草への輸送を急がせる。遠方から到着した後立衆の帰還は負担が大きいため、有馬・天草の主取と相談して減員を決めるよう求める。仕寄…
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 839 川上久国書状
琉球船が来たら荷を下ろして船を軽くし、早急に出水へ回し、入津を飛脚で報告するよう命じる。上様の養生用の天門冬の漬物があれば進上させ、その有無の返答を急がせる。また、当地の船・加子を残らず西目へ回し、未出船の船も早く出すよう督促する。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 840 川上久国書状
各浦の船を出水へ早く回すよう再三命じたのに、出船後に途中で隠れ、航行を遅らせているとの噂があるとして調査を求める。事実なら上乗・船頭の名を報告させ、容赦なく処罰する旨を伝える。追而書でも不届きの船頭・水手を捕らえて送り上せるよう命じ、回航の厳守を求める。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 841 某書状(川上久国書状カ)
山川に琉球船が入津した際は飛脚で報告するよう山川曖衆へ命じてあると伝える。山川から書状が到着したら夜昼を問わずこちらへ届けること、緩慢な者には後日糾明することを沿道の関係者に申し渡す。差出人は本文では確定できず、目録の川上久国書状カという推定を保持する。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 842 川上久国書状
黄門の吐血後の食事や容態を詳報し、少し落ち着いたものの、琢庵の見立てや年初以来の衰弱からなお懸念があると伝える。御道具衆の一部帰還にも触れ、矢文や城攻めの風聞を照合して報告するよう求める。細川肥後守への書状・音信を評価する一方、兵糧の継続供給を憂慮し、市来の米と物奉行の岩切六右衛門・川上彦左衛門を通…
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 843 川上久国書状
上様の薬用に天門冬の漬物が必要であるため、唐人の所持品があれば求めて進上するよう児玉次左衛門に依頼する。併せて船を残らず出水へ送るよう命じる。831-2と内容が近いが、独立した文書番号の書状として扱う。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 844 川上久国書状
上様の薬用に天門冬の漬物が必要であるとして、唐人が所持していれば求め、白皮唐人などにも照会して早急に進上するよう山内淡路守へ依頼する。本文の欠字と補読注を保持し、末尾に続く二十三日丁亥の見出しは本書の日付とはしない。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 845 島津久賀外三名連署書状
久賀ら四人が鬼塚の来訪を受け協議し、大人数の兵糧負担を考慮して島原約千人・天草五千人、計六千人とする方針を久国へ報告する。物奉行・船奉行の分担と市来・出水・京泊の輸送手配を示し、山狩ではまだ切支丹を発見していないこと、細川勢の番手との交替を伝える。編者は案文帳の伝来を説明し、末尾に黄門重病の報と万一…
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 846 島原軍衆人数差出留
正月二十三日の人数留として、舟乗廻の谷山大学左衛門尉主従三人、岩元清左衛門尉五人、岩元源六・宗兵衛各二人を記す。谷山組は正月八日に山川、清左衛門組は九日に小松原へ着き、源六・宗兵衛の各組のうち一人は二十二日に高根へ到着した旨を注記する。前文は十九日、続文は二十六日に載せるとある。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 847 石谷貞清書状
山田民部少を通じた書状と人数要請への返答を受けたことを述べ、下野守から再度人数を求められた件は伊豆殿・左門殿と相談したと報告する。江戸から天草まで人数を差し出して置くよう上意があったため、それに従うよう伝える。家老衆へも既に両名から通知済みであると付け加える。署名は為成、校注は貞清とする。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 848 川上久国書状
上使や家中の取次衆への贈答用に、獅子島で鹿十四、五頭ほどを捕らえ、船便で有馬へ送るよう市来宗友に命じる。相手が受け取らない場合には手元へ取り置くよう伝える。追而書では多数の狩人が集まるので、余計な負担が生じないよう曖衆と相談するよう求める。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 849 川上久国書状
上使・取次衆や他国大名への贈答として獅子島で鹿を捕らえ、船便で送るよう市来宗友に命じたことを陣中の三人へ知らせる。上使が受け取らない場合には、受取側と久国方の家中へ分配してよいと伝える。追而書では獅子島での鹿狩りは既に相手の耳に入っているだろうと述べる。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 850 川上久国書状
黄門の容態がよくなく、養生に天門冬の蜜漬が必要であるとして、阿久根の町や唐人の所持品を探すよう命じる。見つかれば蔵入の夫に持たせ、夜昼を問わず進上させることを求め、追而書でも少量であっても差し上げるよう念を押す。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 851 川上久国書状
黄門の吐血後の食事、痰、牛王圓服用などの経過を報告し、天門冬蜜漬を長崎で探して送るよう求める。船がないため陸路で人を出し、通行手形を整え、入手品は出水経由で夜昼急送するよう指示する。琢庵の上洛は当面見合わせ、病状を見届けてもらう考えを示す。併せて城攻め・加勢・各陣の動静を報告させ、兵糧や用務は出水の…
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 852 川上久国書状
黄門の療養用の天門冬蜜漬が当地にないため、長崎から取り寄せるよう陣の三老へ頼んだと伝え、小早を出して書状を送らせる。周辺の唐人にも薬材を照会し、黄門の好物のけりは鉄炮衆に撃たせて進上するよう求める。楯用の板を十枚、二十枚ずつ船便ごとに早送し、兵糧の手配にも油断しないよう命じる。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 853 戸田氏鉄書状
正月十三日付書状への返答として、古城がなお落城せず、築山・せいろう・竹把・仕寄などを油断なく進めていると報じる。薩摩側から人数を派遣する申し出について、別の入用があれば松平伊豆守と相談して随時知らせると伝え、詳細は山田民部から聞くよう求める。追而書では家久の病状を気遣う。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 854 細川光利書状
渋谷四郎左衛門が持参した八日付書状と琉球酒一壺・鰤塩引二枚の見舞贈答に謝意を述べ、家久の病状を気遣う。当方に変事はなく、諸手の仕寄もやがて整う見込みと報じる。府内目付からの知らせとして、鍋信濃・有玄蕃・立飛騨・越中守の帰国許可、水日向や小笠原一門の当地来着などを伝える。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 855 寛明日記
細川越中守の有馬着陣と肥後守との合勢二万三千五百人、黒田右衛門佐らの合勢一万八千人を記す。日付について二十四日・二十二日、別記の二月八日を挙げ、どれが正しいか後に検討すると按語を添える。同日の大風で江戸近郊の家が損傷し、島原も強風だったという記事を引く。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 856 平塞録
『平塞録』を引き、細川越中守が二十四日に豊後鶴崎へ到着し、その日のうちに出立したと記す。詳しい記事は二十六日の項に載せるとして参照を促す。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 857-1 伊地知季安記事
島津久賀・喜入忠政・北郷久加・入来院重国が甲爾から川上久国へ返書し、黄門の容態をうかがい、二十一日付直書による伊東和州への伝達について答えたと記す。市来宗友・岩切信堯・川上久康ら出水詰の役人にも返書し、兵糧が尽きないよう軍衆を減らす件を申し送ったという。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 857-2 島津久賀外三名連署書状
二十一日付久国書状を受け、松平主税助・伊東大和守宛の黄門の書状はこちらには届かず、家老衆宛の文箱一つが到着した旨を報告する。黄門の吐血・衰弱を案じながら、万一でも軍衆を引き揚げず奉公を続ける指示を承知したと答える。追而書では山田民部少・新加賀守が有馬にいるため連判しないこと、書状用紙が不足するので杉…
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 857-3 島津久賀外三名連署書状
黄門の病状が重くなり吐血したとの知らせに驚き、深く案じていると久国へ伝える。早い回復を願い、よい知らせを引き続き待つと述べる四人連署の見舞返答である。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 857-4 島津久賀外三名連署書状
米の津への手配をねぎらい、既に七千五百人が渡海し、残る二千三百六十八人は当面渡す必要がないと市来宗友へ伝える。島原側と相談し、山田民部少の来訪や下野守・三原の帰陣に伴って、渡す人数と控える人数を調整すると述べる。追而書では川上彦左衛門・岩切六右衛門へ、兵糧を一刻も早くからつらへ渡すよう命じた書状を見…
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 857-5 島津久賀外三名連署書状
残留人数の渡海は当面不要なので差し控え、米を先に送るよう物奉行二人へ求める。十日分の飯米を渡された者も五日を過ぎれば困るため、早急な追送が必要とする。からつらへ陣替し、先に千四、五百人が向かうこと、大船が通れない本渡ではなく柳木へ送ることを伝える。番手が八日ほどで済むとは限らず、長期滞在への用意を求…
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 858-1 伊地知季安記事
出水衆の井尻三郎右衛門祐永を島原へ帰らせ、久賀ら四将から島津久元・山田有栄・三原重庸への返書を持たせ、軍衆減員の件を協議したと記す。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 858-2 島津久賀外三名連署書状
井尻を通じた知らせと米五十石の件を受け、渡海人数が過多であるため三人軍役を超える者は帰すという方針に賛同する。村田郷左衛門に人数配分を尋ねて書付を作り、井尻から詳細を伝えると述べる。国元の軍役高による三人役で計算し、既渡海者をさらに留めると過剰になるとして、出水に残る二千三百余人のうち帰す者・渡す者…
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 858-3 伊地知季安記事
久賀・忠政が薩軍二千を率いて上津浦番手へ陣を移すため甲根から出帆し、その夜は巣本に船をつないだと記す。久加・重国らはなお甲根に残って山々の探索を続け、探索を終えてから上津浦番手に加わる配置であった。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 859 小川監物日記
二十四日に上津浦への陣替のため出船し、夜はかろふしという場所に停泊したと記す。二十五日には柳之瀬戸へ船を回したという、忠政従兵小川監物の日記記事である。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 860 時任氏日記
久賀従兵時任氏の日記として、二十四日にからねを出船して池之浦に停泊し、二十五日は池之浦を出て柳之瀬戸に船を掛けたと記す。二十五日己丑の見出しはこの日記に続く編纂上の日次表示として分ける。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 861 寛明日記
『寛明日記』を引き、二十五日に上使の本郷庄左衛門が有馬へ到着したと記す短い記事である。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 862 平塞録
『平塞録』を引き、細川越中守が二十五日に龍田口を通って島原へ出陣し、熊本城には立ち寄らず、その夜は川尻に泊まったと記す。本文の語句に脱落・補読の注があり、詳しくは二十六日の項を参照するとする。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 863-1 伊地知季安記事
久賀・忠政らが巣本から、上津浦で番手を務める熊本侯の物頭清田石見守へ使状を送り、番手を交替する日程などを問い合わせたと記す。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 863-2 島津久賀・喜入忠政連署書状
有馬奉行から上津浦番手を薩摩勢が引き受ける旨を下野守経由で承知し、前日からねを出て巣本へ着いたと清田石見守に伝える。当日は柳まで進み、順風ならさらに向かうので、番手引継ぎの期日を詳しく返答するよう求める。詳細は使者の口上で伝えるとする。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 864 伊地知季安記事
忠政らの船が柳瀬戸へ着いたこと、久元・三原重庸・山田有栄が島原から鮫島民部左衛門を巣本へ遣わし、久賀・忠政へ数件の返答をしたことを記す。その夜、原城から逃れて来た者が、長い籠城で薪などの物資に窮していると語った。二十六日付の忠政らの案文を参照する注がある。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 865 星野寿庵覚書
正月末頃、城内から夜に紛れて二十五、六歳の女性一人が逃れ出たところ、松倉衆がこれを引き据えたと記す。星野寿庵の覚書からの短い引用である。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 866 国分賦所日記
国分賦所日記の正月二十五日条に久右衛門の来訪・滞在を記す。続いて元日攻城時、寄手が退く中で三原重庸が城へ向き直り、犬追物で鍛えた弓馬の技で数筋の矢を放った働きを述べる。吉田印西がこれを聞き、息子三右衛門の使行を機に賀書・贈物を送り、対面も求めたとして、重庸の名声を評する。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 867 吉田印西書状
三原が肥前で弓を用いて類のない働きをしたことを喜び、家の弓の名誉になると称える。赤羽の矢は矢師の都合などですぐに調わず、当面は半次と山鳥の矢を送り、不要なら戻してよいと述べる。大納言・松平伊豆守の用で来る子三右衛門との対面を依頼し、うつぼは平内が調達に赴いているので出来次第送ると伝える。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 868 時任氏日記
久賀従兵時任氏の日記から、二十五日に池之浦を出船し、柳之瀬戸に停泊したと記す。860の後半と同じ航行記事であるが、独立した文書番号として保持する。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 869 松平忠重・伊東祐久連署書状
当地の城の番手を命じられて二、三日前に着船したことを報告する。切支丹がなお島内に隠れているため、松平伊豆守・戸田左門から山狩を命じられており、薩摩側の人数派遣を承知したと述べる。相応の用務があれば知らせるとし、家久の病状を気遣う。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 870 川上久国書状
仁礼蔵人の二十三日付書状と佐土原からの薬を受け取り、黄門が礼を述べたと伝える。一方、病状はよくなく、食欲も落ちていると報じる。鬼塚の来訪を受け、軍衆以外の諸国使者は軍務の妨げになるので帰す方針を述べ、天草の細川勢に代わって薩摩勢二、三千ほどが番手を務める見通しを知らせる。主計助の帰国希望にも触れる。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 871 川上久国書状
鬼塚持参の条書への返答として、十九日に伊豆守から諸国使者の帰還が伝えられたことを確認する。薩摩は遠国で攻城道具もなく、他国に追加動員があるのに重ねて増援を望む必要はないとする。天草番手は二、三千ほどの熟練者を置けばよいという意向と、大人数による狼藉への懸念、陣には身軽な者を置く方針を伝える。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 872 某覚書(川上久国覚書カ)
黄門が粥をむせて食べられず、昼食や汁・菜も十分取れないなど、前日から当朝にかけての摂食・体調を詳報する。宮内卿や肥前守らも様子を問い、発熱感から衣服を薄くし障子を開けさせたことにも触れる。記録者一人での詰めは心配なので、宛先三人のうち一人の帰還を望むと述べ、鬼塚を介して送る。差出人は目録の推定を保持…
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 873 川上久国覚書
久玉からから祢への陣替報告に返答し、人数は順次送ってよいが、定められた配分外で勝手に出兵する者には飯米と船を与えず、処罰する方針を伝える。諸将の相談不一致と大人数による混乱を懸念し、有馬の三老との協議を求める。黄門重病、新納の直行、清田石見守の天草番手に薩摩が代わる件に触れ、人数配分と軍紀を鬼塚を介…
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 874 川上久国書状
国分の山伏である存堯坊・本林坊・大鏡坊について、当地で験者を務めさせるため、一刻も早く帰すよう久賀ら四人に命じる。引き延ばしてはならないとし、鬼塚の便で伝える。末尾には前の条書による指示だが、この控えではこのように記したという注がある。