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旧記雑録拾遺 著作史料集1の目録

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  1. 旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 649 田代衆中島原立之覚

    正月十一日に島原へ立つ田代衆の人名を列挙し、出水衆との相談、山へ登った日程や役務を記した出陣覚書。

  2. 旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 650 二階堂定行系伝

    二階堂氏三左衛門定行の系伝。寛永十五年正月十一日に田布施を発ち、島原へ従軍したことを記す。

  3. 旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 651 川上久国書状

    伊地知杢右衛門尉から届いた大名・大人数と船の動員情報、島原城落去後の上使帰国見込みを伝え、出陣衆の米・大豆・野菜・薪、宿、船などを急ぎ手配するよう命じた書状。

  4. 旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 652 薩本島原軍記

    正月十一日の夜、板倉内膳正重昌が戦死したとの報が江戸へ伝わったことを記す『薩本島原軍記』の記事。

  5. 旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 653 坂元清長覚書

    寛永十四年冬から十五年正月にかけ、肥前島原郷の百姓が有馬城へ籠ったこと、松平伊豆守らの催人・出陣、京都での籠城報知と田布施衆の動員を記す。

  6. 旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 654 今井仁右衛門訴状

    黄門様御代の役務をめぐり、讒訴による処分や役儀・扶持の扱いを不当として、関係者の証言と過去の経緯を挙げて再吟味を求める訴状。

  7. 旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 655 島原立衆人数差出帳

    島原へ出陣する諸士について、主従人数、乗馬、具足、鉄砲・弓・長刀・槍などの武具と弾薬数を個人別に列記し、総人数百九拾人、乗馬六騎、鉄砲五十六挺などを集計した人数差出帳。

  8. 旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 656 伊地知季安記事

    清色・鶴田・東郷・渋谷・阿久根・伊集院・種子島など各地から米之津へ集まった出陣衆について、領主・地頭と家衆・供夫の人数を列記し、船で久見崎へ向かった経過を記す。

  9. 旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 657 山内淡路守自記

    島原出陣時、隈城方面での人数捕縛、薩摩勢との協力、軍勢の差配と帰陣を回想し、子孫の見合書として残した山内淡路守の自記。

  10. 旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 658 緒方主殿覚書

    十一日、紫尾を卯刻に出立し、七里を進んで宿泊したのち、米之津へ向かう諸軍勢のため宿所を手配した行程を記す。

  11. 旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 659 馬関田衆中島原立人数賦

    肥前国島原へ出立する馬関田衆の人名と若党・小者を列記し、合計十三人とした人数賦。

  12. 旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 660 平塞録

    十二日、江戸城で島原落城・板倉内膳正戦死の注進を受けた幕府の動きを記す。松平信綱らへの帰国・出陣命令、使者の往来、後詰軍・船の準備と島原攻撃の停止命令までを詳述する。

  13. 旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 661 伊地知季安記事

    加世田・種子島など各地から米之津へ集まった出陣衆について、地頭・家衆・供夫の人数を列記し、船で久見崎へ向かった経過を記す。

  14. 旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 662 時任氏日記

    島津久賀の従兵である時任氏が、十二日に西方を発し、十里を進んで米野津へ着いた行程を記す。

  15. 旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 663 緒方主殿覚書

    十二日、天草方面での渡海、船頭・加子を伴う船の運用、帰着後の使者・指示に関する経過を記した覚書。

  16. 旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 664 川上久国書状

    港にある船をできる限り徴発して出水へ回し、山川衆中の舟奉行へ引き渡すよう現地役人に命じた書状。

  17. 旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 665 川上久国書状

    使用可能な船を早急に差し回すよう求め、京泊方面の通航事情にも触れて船の手配を促した書状。

  18. 旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 666 川上久国書状

    船が十分に差し出されていないことを咎め、国の命令と奉公を重んじて速やかに船を出すよう諸浦・諸地域の関係者へ督促した書状。

  19. 旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 667 小原織部取払

    伊地知杢右衛門尉衆中の新納次郎四郎らへの振舞に際し、米・塩魚・鮑・焼酎・魚・酒などの品目、数量、代価を列記して精算した取払帳。

  20. 旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 668 小川監物日記

    十二日、仁礼佐渡守らが米之津を船で発し、有馬の陣屋へ到着して宿泊し、翌日の手配を行った経過を記す。

  21. 旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 669 有馬立ニ付御賦渡帳

    寛永十四年十二月から同十五年二月まで、有馬出陣に関わる諸衆について、人数、従軍日数、給付額を個人・地域別に記録し、総人数二万五千二百十七人、給付銀四貫四百五十五銭と集計した賦渡帳。

  22. 旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 670 諸外城天草立軍衆人数究帳

    寛永十五年正月から三月まで、鶴田・羽月・山田・伊作・加世田・川辺・国分・市来・串木野など諸外城から天草へ出陣した軍衆について、主従・人躰・小者夫の人数と従軍日数を地域別・期間別に集計した帳簿。総人数十五万六千八十三人を、人躰十一万二千七百六十六人、小者夫四万三千三百十七人と内訳し、寛永二十一年正月二…

  23. 旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 671 諸外城衆有馬立軍衆人数究帳

    寛永十五年正月から三月まで、志布志・高山・市来・出水・姶良・大口・須木・蒲生・福山・谷山・加久藤・高尾野・田布施・知覧・阿久根など諸外城から有馬へ出陣した軍衆について、主従・人躰・小者夫の人数と従軍日数を地域別・期間別に集計した帳簿。獅子島・長島からの番衆や蔵入夫も別記し、寛永二十一年二月五日に一日…

  24. 旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 672 鹿児島衆天草立軍衆人数究帳

    寛永十五年正月から三月まで、鹿児島衆から天草へ出陣した諸士について、一人ごとに主従の内訳、従軍期間、延べ日数を列記した人数究帳。大身衆から多数の家臣までを連続して記録し、末尾で被官・夫を合わせた人数九万五千三百七十六人と集計し、寛永二十一年正月二十六日に一日賦として照合した旨を記す。

  25. 旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 673 鹿児島衆有馬立軍衆人数究帳

    寛永十五年正月から三月まで、鹿児島衆から有馬へ出陣した諸士について、一人ごとに主従の内訳、従軍期間、延べ日数を列記した人数究帳。末尾で総人数五万七千七百四十一人、その内訳を人躰三千七百五人・小者夫五万四千三十六人と集計し、寛永二十一年正月二十六日に一日賦として照合した旨を記す。

  26. 旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 674 島原城内外明地覚

    『天草説書』に基づき、島原城内外の明地について、本丸花畑、二・三の丸、厩前、勢溜り、細工所の道、大工小屋、厩の丸の東西・南北の寸法を列記する。末尾に寅正月十三日と記し、田中宗夫老および大工五郎兵衛・佐介の名を掲げる。

  27. 旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 675 薩本島原軍記

    正月十一日夜に板倉内膳正戦死の報が江戸へ届き、十二日から西国衆の一部に暇が出されたこと、十三日に薩摩守が阿部豊後守へ召されて帰国を命じられ、その夜江戸を立ったことを記す。末尾で下文二月十三日の記事への抄載を示す。

  28. 旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 676 御恩徳記

    寛永十四年冬、キリシタンが肥前島原に籠城したため、島津光久が隣国の事情として出兵を願い出たことを記す。翌年正月十三日、阿部豊後守を介して許可が伝えられ、追討に向かう松平伊豆守への協力と、病気の島津家久の見舞いを命じられ、早々に発足した経緯を述べる。

  29. 旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 677 御功恩之次第大概

    寛永十五年正月十三日、阿部豊後守を通じ、父島津家久の重病を看護するため帰国し、あわせて松平伊豆守に力を添えて肥前島原の賊徒を討つよう上意が伝えられ、島津光久が発足した経緯を記す。

  30. 旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 678 御謳抄

    寛永十五年正月十三日、阿部豊後守忠秋が、父の病を看るため速やかに帰国し、松平伊豆守信綱と協力して有馬一揆を討つよう命令を伝えたことを漢文で記す。光久は邸館に戻って即日出発を促し、翌暁江戸を発して二月十六日夜に鹿府へ着いたとする。

  31. 旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 679 伊地知季安記事

    この日早朝、世子貞昌を関老のもとへ赴かせて西国へ向かうことを願い出たこと、昼に忠秋の邸で御用があったことを簡潔に記す。

  32. 旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 680 土井利勝外二名連署奉書

    島津方の人数が有馬表へ向かうとの上使らの注進を上聞に達したことを伝え、病気中であるため薩摩守に暇を与えた旨を通知する。正月十三日付で阿部忠秋・酒井忠勝・土井利勝が連署し、薩摩中納言島津家久へ宛てた奉書。

  33. 旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 681 島津家久袖判控書

    島津家久の袖判を据えた控書で、島原・天草出兵の諸軍衆に対し、法度を守り天下の奉公に専念すること、三原左衛門佐ら奉行衆の指揮に従うこと、喧嘩・口論・濫妨・狼藉・大酒などを停止することを命じる。違反者の処罰と連絡・相談の手続きを定め、寛永十五年正月十三日付で結ぶ。

  34. 旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 682 薩本島原軍記

    天草へ島津豊後守・喜入摂津守・北郷佐渡守・入来院石見守らと五千余人を派遣したことを述べる。正月十二日、島津中納言が石谷十蔵へ書状を送り、板倉内膳正の戦死を惜しみ、病床にあって在国しているため人数を仰せ付けられたいとして、松平伊豆守・戸田左門への取次を求めた経緯と、その後の幕府側との交渉を記す。

  35. 旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 683 島原軍衆引飯米指出留

    島原へ向かう軍衆が飯米を受け取るために提出した人数差出を写し留めた帳簿。諸士・各地域衆ごとに主従、人躰、夫丸、小者等の人数と正月の出発・米津などへの到着日を記し、飯米渡しの根拠とする。末尾では不足者や指出のない者、張紙に記した有馬在陣の外城衆を含めて集計し、合人数三千百六十八人を掲げる。

  36. 旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 684 島原軍衆人数指出留

    外城から島原方面へ動員され、米津から召し帰された軍衆の人数をまとめた指出留。全体の合人数二千九百二十一人を掲げ、上津浦・加世田・有馬詰をはじめ各地域の衆について、人躰・夫丸などの内訳と小計を記録する。

  37. 旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 685 島原軍衆人数指出留

    島原軍衆の人数差出を留めた帳簿で、諸士・各衆中ごとに主従、人躰、夫丸などの人数を記し、正月中旬の米津到着と飯米支給を照合する。途中に合人数・内訳を掲げ、米津への到着が遅れた者や前帳に記載のない者を別に書き留め、日々の到着人数を整理する。

  38. 旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 686 時任氏日記

    十二日、西方から米津まで十里を進み、十三日は談合と諸法度の申渡しに時間を要したため逗留した旨を記す行程記事。

  39. 旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 687 島津氏法度

    鹿児島から島原・天草へ向かう軍衆に対し、道中での狼藉・濫妨・私的な物品徴発、鉄砲の濫発、百姓家や村への無断立入りなどを禁じる。天草山ノ守など在地の指図に従い、争いは奉行へ届け、私的に処断しないよう定めた法度。

  40. 旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 688 島津氏掟書

    有馬・天草方面に出陣する軍衆へ、渡海後は使者の指示を待ち、遅延時は現地の役人と相談して独断で行動しないこと、山地の守備、人数の配分、狼藉・濫妨の停止などを命じる掟書。甲斐掃部助・有馬左近・伊地知らを指揮・相談役として挙げる。

  41. 旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 689 袖判之写

    御袖判の写について、番の人数を書いた五箇条は別写があるため本書では省略する旨を記した注記。

  42. 旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 690 緒方主殿覚書

    正月十三日・十四日・十五日は船がなかったため渡海できなかったことを記し、続く十六日の記事を参照させる短い覚書。本文見出しには肝付兼屋と兵糧方主殿に関する覚書である旨が見える。

  43. 旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 691 北郷久加世別記

    北郷久加世が自分の人数をそろえ、都合四百六十七人を召し連れて同月十三日に出水郡米津へ到着したことを記す。役人・軍政や留守中の地域支配に触れ、出兵準備と在国統治の状況を述べる。

  44. 旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 692 島津氏掟書

    有馬・天草方面へ渡海する軍衆に対し、御法度と使者の指図を守り、私的な儀や濫妨・狼藉を禁じる。山守、追討、捕縛、鉄砲、船による相通など、現地での軍事行動と秩序維持を定めた掟書。

  45. 旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 693 川上久国書状

    島原・天草方面への使者派遣と早期渡海、軍衆・飯米の取扱い、山守や現地役人との談合、渡海後の加勢・追討などを指示する書状。正月十三日付で川上久国が吉崎五郎左衛門尉へ送り、山田民部少輔への報告も添える。

  46. 旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 694 川上久国書状

    新納次郎四郎を使者として島原へ遣わすことを知らせ、このたびの軍衆と現地での飯米渡しについて指示する。正月十三日付で川上久国が岩切六右衛門尉へ送り、新納次郎四郎へ渡すよう付記する。

  47. 旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 695 川上久国書状

    島原方面への出水経由の行程と、市来湊で船が到着していない状況を知らせ、船便・油・兵糧などの手配を急ぐよう求める書状。正月十三日付で川上久国が、市来・相良・東郷・有川ら関係者へ回達した。

  48. 旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 696 川上久国書状

    御蔵入の代定に関わる奉行三人の分担と協議について指示し、違背があれば後日調査・沙汰する旨を述べる書状。正月十三日付で川上久国が関係衆中へ送る。

  49. 旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 697 川上久国書状

    諸浦の船を急ぎ出船させ、敵城落去後では役に立たないとして、上乗衆・船頭が肝煎りして出水へ回航するよう督促する廻文。正月十三日付で川上久国が諸浦の役人らへ回す。

  50. 旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 698 川崎正直・佐々長次連署書状

    島津方使者の参着と軍衆・飯米の手配、石谷十蔵からの申入れ、松平伊豆守・戸田左門への取次、上意を得るための働きかけなどを伝える連署書状。寛永十五年正月十三日付で川崎正直・佐々長次が松平大隅守へ送る。

  51. 旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 699 牧野成純書状

    新年の祝儀を述べ、病中のため自ら十分に応対できず、松平伊豆守・戸田左門へ意向を伝えてもらうよう頼む書状。寛永十五年正月十三日付で牧野成純が松平大隅守へ送る。

  52. 旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 700 馬場利重書状

    年頭の祝儀を述べ、病中であることへの見舞いと快癒を願い、詳しい事情は津下野から説明させるとする書状。寛永十五年正月十三日付で馬場利重が松平大隅守へ送る。

  53. 旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 701 土井利勝外二名連署書状

    島津方の人数が有馬表へ向かうとの上使らの注進を上聞に達したことを伝え、病気中であるため薩摩守に暇を与えた旨を通知する。寛永十五年正月十三日付で阿部忠秋・酒井忠勝・土井利勝が連署し、薩摩中納言へ宛てる。

  54. 旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 702 林勝正書状

    病中の松平大隅守へ年頭の挨拶を述べ、使札への返礼、島原方面への加勢、城攻めの状況、板倉内膳正の戦死、松平伊豆守・戸田左門への取次を伝える書状。寛永十五年正月十三日付。

  55. 旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 703 松平行隆書状

    病中の松平大隅守へ見舞いと年頭挨拶を述べ、島原への加勢、松平伊豆守・戸田左門の派遣、城攻めと板倉内膳正戦死などの状況を伝える。三原左衛門佐へ申し入れた旨を添え、寛永十五年正月十三日付で送る。

  56. 旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 704 榊原職直書状

    松平大隅守へ年頭の挨拶を述べ、病中であることを案じ、誠意を尽くして奉公する旨を伝える書状。寛永十五年正月十三日付。

  57. 旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 705 松平定綱書状

    薩摩守の病気を案じつつ、御上国・出府に関する用向きと、島原方面への加勢人数を早急に差し出すよう求める。松平伊豆守・戸田左門にも指示済みである旨を伝える、寛永十五年正月十三日付の書状。

  58. 旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 706 戸田氏鉄書状

    松平大隅守へ年頭の祝儀を述べ、病気を案じて快癒を願い、御用については委細を使者へ頼んだ旨を伝える書状。寛永十五年正月十四日付。

  59. 旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 707-1 記事

    『寛明日記』を引き、十四日に松平伊豆守と戸田左門が法度を出したことを記す短い記事。

  60. 旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 707-2 松平信綱・戸田氏鉄連署条書

    松平信綱・戸田氏鉄が、両人の下知のない城攻めやその他の指図を禁じ、喧嘩・口論、押買・狼藉、在陣中の人の出入りを統制する。小屋場の火の用心、付馬を取り放さないこと、申し渡しの下々への徹底、家中への軍法遵守の申し定めを求める。寛永十五年正月十四日付。『平塞録』の異文を併記する。

  61. 旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 708 吉田久馬助書状

    吉田久馬助が三原佐右衛門へ年頭の祝意を述べ、相手の無事を尋ね、天草で弓による手柄を立てたと聞いて喜ぶ。自分の兄・同名三右衛門尉が肥州で無事に過ごし、天草での手柄によって使番などを命じられ、加増などを拝領したことも伝える。末尾で、こちらで用事があれば申し付けてほしいと申し出る。正月十四日付。

  62. 旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 709 松平信綱・戸田氏鉄連署条書

    松平信綱・戸田氏鉄が、有馬へ派遣された両人の下知なく城攻めやその他の指図を行うことを禁ずる。喧嘩・口論、押買・狼藉、在陣中の人返しを禁じ、小屋場の火の用心、付馬を放さないこと、申し渡しを下々まで繰り返し徹底し、諸将が家中へ軍法遵守を申し定めることを求める。寛永十五年正月十四日付の連署条書。

  63. 旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 710-1 記事

    『平塞録』を引き、十四日に上使衆が軍中制法一通を諸家へ渡し、あわせて大名の攻口を定めたと記す。

  64. 旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 710-2 戦場持口間数定覚

    切支丹徒党の処置に関する前文を省略し、持口の間数と配分を記す。総182間の内訳に有馬36間・松倉146間を掲げ、146間の内25間を道に引くとする。続く持口渡覚は細川91間・松倉7間半・有馬39間・立花19間、原計157間と記す。内訳の計算値は156.5間で半間差がある。

  65. 旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 711 戦場持口間数覚

    『天草説書』から戦場の持口配分を記す。細川91間・松倉7間半・有馬39間・立花19間と記し、各家の知行高と一万石当たりの地口割を説明する。後の配分として黒田200間・寺澤40間・鍋嶋190間を掲げるが、その合計は原文に330間とあり、個別数値の和430間と一致しない。

  66. 旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 712 原城巻面々責口間数覚

    『藤掛集書』所収の原城攻囲各家の攻口間数覚。鍋島190間・有馬36間・松倉146間を掲げ、後の寄場配分を北から細川91間・立花19間・松倉7間・有馬39間、南から鍋島40間・黒田200間と記す。黒田分のうち20間を寺澤兵庫頭が受け取ったのは、天草から遅れて来たためと説明する。

  67. 旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 713 松平信綱・戸田氏鉄連署条書

    有馬へ派遣された松平信綱・戸田氏鉄が、両人に無断での城攻めや私的指示、喧嘩・口論、押買・狼藉、陣中の人返しを禁じる。火元・付馬の管理と命令の周知徹底を命じ、陣場見物人と家中の者も軍法遵守を申し定めたうえで滞在を認める。寛永十五年正月十四日付。薩本を掲げ、寛明・平塞両書の本文との小異を考訂すると付記す…

  68. 旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 714 小川監物日記

    十四日、民部様・播州様が先手として天草へ渡り、加世田衆50人が随行して久田間へ夜四つ時に着船したと記す。十五日に陣屋を設け、夜から大雨となり、十七日朝まで降ったことと、本家が焼き払われて無かったことを伝える。

  69. 旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 715 入来院重国譜

    『入来院重国譜』を引き、同十四日に天草久田間へ到着し、島津久賀・喜入忠政・北郷久加・山田有栄がともに警固にあたったと記す。

  70. 旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 716 時任氏日記

    島津久賀従兵の時任氏日記を引く。十四日に米之津を出船して天草の久田摩へ着船し、その夜は船泊まり、十五日朝に久玉の内の吉田という所へ船から上陸したと記す。続文は十五日条にある旨の注を付す。

  71. 旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 717 有川喜左衛門覚書

    伊勢貞昌与力の有川喜左衛門の覚書から、島原出陣時の江戸出立を記す。正月十四日、大隅様が御暇を得て、その晩八つ時に江戸を発ち、道中を急いだ。駿河へ着く頃に大雨となったといい、続文は二十七日条に載せると注記する。

  72. 旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 718-1 伊地知季安記事

    黎明に世子が江戸を出て西国へ急いだことと、家老・使衆・兵具奉行・代官などの随員を記す。右筆がいなかったため伊勢貞昌与力の有川喜左衛門が兼務した。神谷山三郎らは従行を許されず、後から自力で下り大坂で追いついたという。

  73. 旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 718-2 某覚書

    正文が江戸御家老座にあると注記した覚書。寛永十五年正月十三日に光久が江戸城で暇を賜り、同夜に江戸を出立、二月十七日晩に鹿児島へ着城したと記す。島原一揆時の初めての下向で、家老伊勢兵部貞昌と使衆相良丹後を挙げる。

  74. 旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 719-1 伊地知季安記事

    元日の城攻めで寄手が崩れた際、伊集院の四本縫殿忠綱が三原重庸の馬を引き返させ、弓の使い所は今だと攻撃へ向かわせたという。重庸は薩州の使者三原左衛門佐と名乗り、最後尾から退きつつ多数の矢を放ち、兜の前立を鉄砲で二か所射抜かれた。武功が諸陣や遠国に伝わり、射術の師家からこの日祝賀書状が届いたと記す。

  75. 旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 719-2 吉田久馬助書状

    年賀と無音の詫びを述べ、天草で弓によって手柄を立てたと内々に聞き喜びを伝える。面談を望み、兄の同名三右衛門も肥州で無事に使番を務め、天草での武功によって加増を受けたと報告する。当地で用事があれば承ると申し出た、正月十四日付の三原左衛門宛書状。

  76. 旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 720 川上久国書状

    欠字を多く含む書状。十二月十日以来の喉の腫れ、痰血、横になって眠れない病状を伝える。島原出陣と米の用意、伊東殿の天草警備、大口の人数三千、有馬の城がまだ落ちていないこと、翌十五日の城攻めに言及する。末尾では使衆・物奉行衆との相談を求める。正月十四日付で仁禮蔵人に宛てる。

  77. 旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 721 川上久国書状

    東郷肥前守を通じて天草へ人数を渡海させる件を伝え、まだ出船していなければ早く渡す必要があるとして、飛脚で催促する。欠字を含む正月十四日付書状で、山田民部少・豊州に宛てる。

  78. 旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 722 本田十左衛門日記

    国分士本田十左衛門の日記から、正月十四日に自分たち三人が出立し、安楽休兵衛・奥原笹之允ら五人が同行、残りも翌日・翌々日には出立する予定だったことを記す。季安は三人を町田甲斐守・佐土原狩野介・本田十左衛門とし、国分衆の到着後に諸事を差配するため先に出水へ派遣されたと、六日条の記事を引いて考証する。

  79. 旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 723 伊地知季安記事

    加久藤地頭伊地知杢右衛門が、配下の瀬戸山種左衛門・桑原覚兵衛と瀬戸山の小者弓蔵の三人を先に出水へ遣わし、宿手当などを差配させたと記す。地頭本人が総人数を率いて出発したのは十六日であり、併せて参照するよう促す。

  80. 旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 724 伊地知季安記事

    寛永十四年十一月の島原城籠城を受け、翌年正月十四日に津曲狩野介兼業・古垣四郎右衛門忠興が先駆として兵三百人を率い、薩州出水米津に到ったと記す。島原没落を聞いて帰陣したと結ぶ。原文の翌年干支表記には疑義があるため、そのまま注記する。

  81. 旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 725 島原軍衆人数差出留

    村田市助家蔵本による、正月十三・十四日頃の島原出陣軍衆の人数と飯米処理の記録。川内百次・高城・中郷、阿多、恒吉、須木、水引、松山などの衆および個々の家の主従・人躰・小者・夫丸、到着日、米津・市来湊の兵糧支給や返上を列記する。合人数1799人を人躰550人・内之者1249人とし、別に鹿児島衆254人(…

  82. 旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 726-1 記事

    『寛明日記』十五日条を引く。黒田長興・同高政が一万八千人を率いて福岡城を立ち有馬へ到着し、伊豆守の下知によると記す。黒田右衛門佐は江戸におり、島津光久の家臣島津下野が検使として六十余人でこの日着いた。城内から矢文が来たことを記し、文面は次の枝番に続く。

  83. 旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 726-2 天草四郎時貞矢文

    国家に背くためや私欲による籠城ではなく、切支丹の宗旨を捨てられないためであると訴える矢文。改宗を迫る法度と迫害、後生への恐れから一度は改宗した経緯、なお信仰を守ろうとする理由を述べ、単に身命を惜しむ邪路ではないと弁明する。正月十五日付、松平伊豆守宛。異本の語句を多数付記し、時任氏日記本との関係も注記…

  84. 旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 726-3 記事

    伊豆守が諸将を集め毎日軍議を行う。諸将は一揆勢に武士が少数加わっていても多くは農民で、古来の計略を用いれば攻め取れるとして、矢文で働きかける策を述べる。敵をもって敵を討つ理があり、たとえ味方に従う者がなくとも害はないと伊豆守が認め、毎日矢文を射送ったと記す。

  85. 旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 727 平塞録

    十五日、黒田長興・高政の軍勢一万八千人が有馬へ着陣し、家老黒田睡鴎・美作守らが上使の陣へ挨拶したと記す。上使から助言を求められた睡鴎は一揆の城を強敵と認め、諸手の竹束の付け方が不十分なので右衛門佐の手から見本を示すと答える。大江口二百間を担当し、寺澤兵庫頭と小屋・堀・柵などを設け、銃砲で攻めたことを…

  86. 旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 728 藤掛集書

    正月半ばに伊豆守が城内へ矢文を送り、双方が出会って文箱を交換したと伝える。肥後宇都で捕らえた四郎の母・妹・姉を有馬へ呼び、妹を城内へ遣わして非信者や脱出者の助命を申し伝えたが、四郎は非信者は一人もおらず信仰を受け入れなければ同意できないと返答したという。妹が持ち出した新しい饅頭は誰も食べず、城内に新…

  87. 旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 729 天草四郎時貞矢文

    『藤掛集書』所収の原城からの矢文。籠城は国家への反逆や私欲ではなく切支丹宗旨を守るためだと述べる。禁令と迫害によって改宗したものの、後生と天主を背くことへの恐れから信仰を捨てられないと弁明し、単なる身命への執着ではないと訴える。正月十五日、四郎時貞から松平伊豆守に宛てる。726-2と本文を同じくする…

  88. 旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 730 伊地知季安記事

    薩摩の家老山田有栄・喜入忠政らが先鋒として前夜亥刻に天草久田間へ着船し、この日陣屋を建てたと記す。久田間の村屋は一揆に焼き払われ一軒もなく、夜には大雨となった。

  89. 旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 731 本田十左衛門日記

    正月十五日九つ時に出水へ着き、翌日は米之津町人半左衛門の宿へ移ったと記す。叔父杢田清兵衛・伊地知金右衛門や肝煎酒匂吉右衛門の来着、喜入吉兵衛からの宿手当書状、弓・鉄砲・具足の名簿送付を記録する。飯米も十七日に届き、諸勢は十七・十八日までに出水へ集まり喜入の到着次第出船する予定で、日々城攻めの鉄砲音が…

  90. 旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 732 国分賦所日記

    正月十五日の国分賦所記録。盾板十五枚・大釘三十・熊手十などの調達と代銀・代銭を記し、国分御城山の松で盾板を作り、奉行が出水米之津まで宿送りするよう手配する。続いて十五日までの出立人数85人と国分から付けた人躰、付衆・大工等の名前を記す。

  91. 旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 733 島原立人数賦

    国分士杢田十左衛門家蔵の島原出陣人数賦。町田甲斐守以下、各人の主従人数と鉄砲・鑓・弓・具足、鍬・斧などの携行品を列記する。末尾に合85人(うち18人自身立)、合134人披官と記し、杢田十左衛門景親に請うて採録したと結ぶ。

  92. 旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 734 島原立人数賦

    加世田士人相徳新介蔵本による人数賦。仁禮右京亮以下の主従人数を次第不同で列記し、追加申出や乗船勤務、夫丸の割付、小松原・出水米之津での飯米支給を注記する。途中に軍士156人・外117人夫と記す。末尾では正月十二日以来二十日分の飯米として真米15石・赤米10石7斗を出水六月田御蔵から受け取り、人躰一人…

  93. 旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 735 川上久国書状

    有馬陣から立板の手配を求められたため、長嶋にある松のうち舟の楷木となるものを確保し、ほかに節松なども伐り立てるよう出水の噯衆へ指示する。こちらから遣わす大工・大鋸へ引き渡すよう求める。正月十五日付、久国署名。

  94. 旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 736 川上久国書状

    舟奉行一人を天草へ、もう一人を兵糧輸送に当て、物奉行と相談するよう指示する。二十日分の飯米支給、出水・加世田方面の御蔵米、船と人数の手配、輸送完了後の舟の帰還を求める。天草陣にも便ごとに連絡し、奉行間で事情を通じて調整することを重視する。正月十五日、次飛脚で送る書状。原史料に欠字が多く、数量・対象の…

  95. 旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 737 川上久国書状

    軍衆の飯米が続かなくなるとの報告を受け、出水・加世田の御蔵米・出物米について岩切六右衛門らと相談し、軍衆の乗船を追加するよう求める。米を確保しても舟が来なければ届かないため、至急の協議と督促が必要とする。上使への米の送付にも触れ、伊豆守・左門側には多く送られている一方で不足する相手があることを述べる…

  96. 旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 738 川上久国書状

    山田民部少輔が有馬にいることに触れ、出水の曖衆に文箱を開け、物奉行などへ遣わした書状を渡すよう求める。御老中の書状は有馬へ早く届けるよう指示する。正月十五日、次飛脚で送付。欠字のある奉行名・前後の語句は推補しない。

  97. 旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 739 川上久国書状

    陣所と民部少輔の書状を受け、上使らへの連絡、黄門の病状、松平越中守から伝えられた保科家中の新参・古参の騒動、江戸火災の風聞を報じる。長嶋の松と大鋸・大工の派遣、上使への送米、岩切六右衛門の出水派遣、諸役人日記の提出、船の回送と軍衆飯米不足への対応を求める。兵糧調達と後日の算用をめぐる調整、土俵・竹な…

  98. 旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 740 島原軍衆人数差出留

    正月十五日を中心に島原出陣者の主従人数、米之津・久見崎などへの到着日、乗船勤務と飯米支給を記録する。福崎らの主従人数、御道具衆49人、兵具持の夫丸11人などを列記し、既支給分や僧侶から出された夫の内訳を付記する。末尾に三原五郎兵衛20人・平山七兵衛15人の有馬到着を記す。季安は次の記事を十六日に分け…

  99. 旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 741 時任氏日記

    十五日朝、久玉のうち吉田という場所で舟を取り、陣を置き、二十一日まで七日間滞留したと記す。続く有馬城中の矢文は、先掲『寛明日記』の文と小異だけなので傍注して省略したとする編纂注を付す。

  100. 旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 742 北郷久加世別記

    同月十五日に米之津を出船したことを記す短い記事。先行本文は十三日の条にあり、続く本文は十六日の条にあるとの参照注を付す。