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旧記雑録拾遺 著作史料集1の目録
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旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 559-3 記事
細川光利の大軍が島原内の須川へ着陣し、同夜に須川へ陣を置いたことを記す。城中からの夜討を警戒して堅固に防備し、新手の大軍による攻城策を述べる。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 560 藤掛集書
『藤掛集書』に収める島原攻城記事。松平信綱・戸田氏鉄をはじめ九州諸大名・幕府諸勢の人数を列挙し、総勢十万余とする。原城を大廻りに二重柵で囲み、諸手の持場・門・昼夜の仕寄を定めた状況を記す。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 561 小川監物日記
加世田士小川監物の日記。加子おのが有馬勤番のため出立し、平山七兵衛宅で宿送りを受けたこと、殿役方から宿送りの申し付けがあったことを記す。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 562 伊地知季安記事
元日付の石谷貞清書簡を、出水衆の小倉大炊介が島原から持ち帰って呈上したことを記す。書簡の詳しい内容は正月五日条に載せるとする。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 563 旧伝集
『旧伝集』所収の十二月十四日付書状を引き、島原一揆への諸国軍勢集結、松平信綱ら上使の指揮、板倉重昌・松倉勝家をめぐる事情を記す。伊地知季安は異本・伝聞を照合し、薩摩方の出陣や原城攻囲について考証する。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 564 寛明日記
『寛明日記』五日条。細川光利の軍勢が有馬へ押し寄せ、寺沢・松倉勢が前年以来の合戦で不足するため、細川勢が大手の仕寄を引き受けたことを記す。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 565-1 記事
『平塞録』五日条。上使衆が諸陣へ攻囲方針を伝え、細川・立花・鍋島・薩摩勢などの持場、仕寄、陣屋配置を調整した経緯を記す。原城包囲を固める人数・役割分担と兵糧・兵庫の手配にも及ぶ。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 565-2 戸田氏鉄・松平信綱連署達
戸田氏鉄・松平信綱が諸手家老中へ、村や山への放火を禁じ、住民をむやみに殺害せず、城中からの降人を保護するよう命じる。鉄砲番を昼夜置き、持口・柵を厳重に管理し、異変は直ちに報告させる。正月五日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 565-3 記事
細川光利が上使衆の小屋を退出した後、原城を残らず見分して陣替えを行ったことを記す。諸手の陣替えに関する上使の紙面一通と、同日江戸へ早飛脚を送ったことを掲げる。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 565-4 細川光利書状
細川光利が上使衆到着後の原城包囲を詳報する書状。諸勢の陣屋・攻口配置、城内からの夜襲への警戒、仕寄・柵・塀の整備、軍勢人数や攻城協議を述べ、今後の攻撃準備を伝える。正月五日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 565-5 記事
天草で寺沢家・細川家の人数を分け、潜伏する一揆勢を捜索し、残兵の守備を続けたことを記す。兵庫・人数を原城方面へ輸送し、早船で諸隊を召集して肥後・薩摩勢の到着を待ち、島原へ渡る方針を述べる。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 565-6 戸田氏鉄・松平信綱連署書状
戸田氏鉄・松平信綱が松平大隅守家久へ、薩摩の人数を島原へ急ぎ参陣させるよう求める。軍役の具体的指図は石谷十蔵貞清から伝えるため、その命に従うよう命じる。寛永十五年正月五日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 566 某覚書抄
寛永十四年十月下旬に島原一揆が起こり、松倉勝家から急報が届いた経緯を記す。幕府方の命により山田民部有栄・北郷佐渡久加ら薩摩勢が有馬へ向かい、軍務の指揮を受けたことを述べる。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 567 児玉利泰覚書
三原重庸家臣児玉五左衛門利泰の覚書。薩摩人数が島原へ渡海し、上使の指図を受けて陣を取った経過、薩摩衆が諸大名衆から評価されたこと、落城後に薩摩へ帰陣したことを回顧する。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 568 島津久慶外二名連署書状抄
江戸在府の島津久慶・伊勢貞昌・鎌田政統らが国元へ送った連署状の抄録。島原一揆への薩摩衆参陣、鉄砲・騎馬の働き、細川越中守からの評価、幕府方との相談内容を伝える。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 569 白石随筆
『白石随筆』の記事。島原一揆に対し薩摩から人数を差し出した事情と、幕府方の書付・手前人数の差出しに関する伝承を記し、薩州から奉書が出た経緯を述べる。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 570 三原重庸書状抄
三原重庸が島原から山田有栄らへ送った書状の抄録。上使の軍勢掌握、板倉重昌討死後の原城攻囲、城中への飛報、各地頭衆の人数と加世田衆の到着予定を報じる。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 571 小川監物日記
『小川監物日記』五日条。有馬城攻めで板倉重昌が討死したとの伝聞を記し、加世田衆が十日の出立に向け、人馬・船などの支度を進めるよう命じられたことを述べる。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 572 喜入忠政申渡書
加世田地頭喜入摂津守忠政の申渡案文。島原出陣に供する人数を割り付け、船送・陸路、兵糧米、武具、船の準備を定める。限日までの提出と不足時の代替を命じる。正月五日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 573 鹿児島賦所手形
大口地頭仮屋に伝来した鹿児島賦所手形。島原加勢の人数を定め、鉄砲・弓・鑓、飯米、水船などを準備して指定どおり差し出すよう命じる。寛永十五年正月五日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 574 鹿児島賦所手形
鹿児島賦所が阿多衆中へ出した手形。島原加勢の人数六十五人を定め、鉄砲・弓・鑓、飯米、水船を用意し、指定どおり差し出すよう命じる。寛永十五年正月五日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 575 鹿児島賦所手形
鹿児島賦所が中郷衆中へ出した手形。島原加勢の人数三十八人を定め、鉄砲・弓・鑓、飯米、水船を用意し、指定どおり差し出すよう命じる。寛永十五年正月五日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 576 鹿児島賦所手形
鹿児島賦所が蒲生衆へ出した手形。島原加勢の人数四十四人を定め、鉄砲・弓・鑓、飯米、水船を用意して差し出すよう命じる。寛永十五年正月五日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 577 鹿児島賦所手形
鹿児島賦所が加久藤衆へ出した手形。島原加勢の人数五十五人を定め、武具・飯米・水船を準備して差し出すよう命じる。末尾に本田孫九郎親孚が写しを提供した由来を記す。寛永十五年正月五日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 578 鹿児島賦所手形
鹿児島賦所が財部衆へ出した手形。島原加勢の人数七十五人を定め、鉄砲・弓・鑓、飯米、水船を用意して差し出すよう命じる。寛永十五年正月五日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 579 鹿児島賦所手形
鹿児島賦所が馬関田衆へ出した手形。島原加勢の人数三十八人を定め、鉄砲・弓・鑓、飯米、水船を用意して差し出すよう命じる。寛永十五年正月五日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 580 黒木氏家状
加久藤社家黒木氏が、神舞勤仕と家督・蔵役をめぐる家の由緒を申し立てる家状。祖先夫婦への飯米支給、親族間の争論、石原助兵衛や平田大休への訴え、祖父十郎左衛門の病死までを述べる。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 581 相良頼寛書状
相良頼寛が松平大隅守家久へ、三原左衛門を有馬陣所へ使者として派遣したことを知らせる。板倉重昌討死後の情勢を踏まえ、島原加勢と左右の手配について指示を求める。寛永十五年正月五日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 582 島原陣加勢軍衆賦表題写
寛永十五年正月六日付『島原御陣御加勢軍衆賦写』の表題部分。横折の原本に人数・姓名等が霜月に記されていたこと、重複を避けて本文では表題のみを採録したことを注記する。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 583 三原重庸書状
三原重庸が源左衛門尉の不慮の戦死を悼み、上使衆が事情を聞き届けて江戸へ報告したと伝える書状。板倉重昌の討死にも触れ、遺族扶助に関する配慮を申し入れる。正月六日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 584 小川監物日記
『小川監物日記』六日条。殿役方日記等を携えて京亮殿へ渡り、出陣の談合を行ったこと、門出として福寿権現へ参詣したことを記す。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 585 平田宗乗目安
平田宗乗が児玉筑後守へ提出した目安。先祖以来の軍立・兵道の職掌を自家に安堵するよう願い、島原出陣時の中郷衆の軍役や三原重庸らとの関係を述べる。正月六日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 586 島原立ニ付乗馬並夫賦帳
島原出陣に伴う乗馬・中間・兵具持の割付帳。町田・浦川・山城・甲斐ら諸給人および寺社ごとに人数と馬匹を列挙し、正月九日までに手配するよう定める。寛永十五年正月六日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 587 旧伝集
『旧伝集』所収の逸話。寛永十五年の島原出陣時、鎌田弥右衛門が大剛の武篇者東郷萬左衛門を討ち、武運を試そうとした企てと、その後の顛末を記す。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 588 杢田十左衛門日記
国分士杢田十左衛門の島原出陣日記。正月六日、国分衆の召集と城付之板の割当て、町田甲斐守らとの相談、出水までの先行派遣を記す。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 589-1 伊地知季安記事
伊地知季安の記事。穂佐地頭伊地知四郎兵衛尉重賢が、暖吉野監物家定を介して邑士・小田右京ら四十人を招集し、軍勢を発行させたことを記す。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 589-2 某覚書抄
某覚書の抄録。正月六日の島原出陣に際し、吉野堅助が地頭四郎兵衛尉から軍役・相勤めを命じられ、人数や飯米の不足、差越の事情を申し立てた経過を記す。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 590 川上久国書状
川上久国が山田民部少輔へ、有馬出陣に関する幕府上使の下知、兵糧・船手・武具の調達、伊豆殿への伺いなどを報じる書状。正月六日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 591 寛明日記
『寛明日記』七日条。上使が井上筑後守の有馬陣へ到着し、松弥五左衛門が今晩着陣した旨を記す。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 592-1 記事
親見出し『平塞録』の記事。七日、上使兼松弥五右衛門が有馬へ到着し、寺沢兵庫頭の出陣、籠城側の動向、細川勢の軍議と飛脚差立てを記す。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 592-2 細川光利書状
細川光利が坂崎内膳へ、有馬籠城戦の作戦と軍議の経過を詳報した書状。上使・諸大名との協議、陣替え、攻城用の築山・鉄砲・火矢、兵糧遮断などを述べ、指示を仰ぐ。正月七日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 593 藤掛集書
『藤掛集書』所収の書。原城絵図を附寄し、江戸からの上使警固衆と諸役人の配置を報告する。翌日、武江へ罷帰る予定にも触れる。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 594 原ノ城絵図并寄手陣取ノ事
原城の曲輪・門・海岸線と寄手諸軍の陣所を描いた攻囲図。松平・細川・鍋島・立花・島津勢などの配置を示し、『島原始末記』で得た図であると注記する。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 595 天草覚書
『天草覚書』。原城の構造と一揆勢の籠城、寄手による攻囲の経過を述べ、板倉・細川・黒田・立花ら諸将の陣場と所在を列挙する。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 596 緒方主殿覚書
肝付家臣緒方主殿の覚書。有馬一揆に関係した人物と鎮圧に動員された諸大名・家臣を、出身地・在所とともに列挙する軍勢名簿である。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 597 川上久国書状
評定所案文として、肥前方面への加勢派遣、人数の追送、養生中の者や船不足への対応を協議する。川上久国が決定事項の実施と不都合の申越しを求めた書状。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 598-1 賦所達
親見出し『島原立ニ付万覚書留帳』所収の賦所達。鍬・鎌などの工具、雑物、人夫、船を串木野・阿久根・出水方面から徴発し、島原出立用に輸送するよう命じる。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 598-2 賦所達
島原陣所で土俵に用いる空俵を鹿児島から江口へ送り、船に積んで輸送するよう命じる賦所達。飯米と物奉行の渡海手配にも触れる。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 599 伊地知季安記事
肥後為兵衛・加治屋新左衛門清房らが従者、船手、大工を率いて伊作・枕崎・坊津へ急行し、島原派遣用の軍艦を速やかに艤装したことを記す。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 600 薩本島原軍記
『薩本島原軍記』。正月七日に島原加勢の人数割付への返事があり、追って人員を差し付けた経緯と、島津久加を主取として多数の物頭を任命したことを記す。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 601 川上久国書状
川上久国が沿岸各地へ、在住する大工・鍛冶を一人残らず急ぎ招集するよう命じる。諸国軍勢の着陣に対して薩摩勢が遅れているため、軍船整備を急がせた書状。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 602 川上久国書状
川上久国が、肥後・筑前などの軍勢が遅れ、船不足で渡海が進まない状況を報じる。出水方面へ人夫・兵糧の手配を加え、浦役人を油断なく督促するよう求める。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 603 川上久国書状
川上久国が上使との談合内容と陣図の扱いを報じ、必要な馬を早急に召し渡すよう求める。物奉行や浦役人にも手配を徹底させた正月七日付書状。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 604 川上久国書状
川上久国が細川越中守の書状を受け、米之津への船と物資の集積、人夫の追送を指示する。上使との協議、船不足と積載遅延、浦役人への督促を詳しく伝える。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 605 川上久国書状
川上久国が町田勘解由次官へ、現地にある盾用の板を出水へ運ばせ、必要な道具類とともに米之津まで宿次で確実に輸送するよう命じる。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 606 川上久国書状
川上久国が浦役人へ、切支丹を水手に立てず、信頼できる船員を急ぎ集めるよう命じる。出水への船不足で諸国軍勢の渡海が遅れるため、浦ごとの船を漏れなく差し出すよう督促する。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 607 川上久国書状
川上久国が松平伊豆守への使者として田原主膳を遣わし、献上物を持参させたことを知らせる。上使との軍議の詳細を報告するよう求め、八日付の追而書を添える。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 608 寛明日記
『寛明日記』八日条。幕府上使の日根野織部正が島原陣へ着陣したことを一行で記す。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 609 平塞録
『平塞録』八日条。日根野織部正が豊後から島原へ来たが、板倉重昌討死の使者として江戸へ戻る途中であったため、城外を巡見して即日帰府したと記す。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 610 児玉利泰覚書
児玉利泰覚書。正月七・八日頃、瀬崎野で騎馬を左衛門佐へ渡す予定が城普請に遮られ、先に人を渡して馬は鉄砲衆とともに後送した事情を記す。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 611 薩本島原軍記
『薩本島原軍記』。島津久加が薩摩人数五万六千程を渡海させた旨を上使へ返答し、松平信綱・戸田氏鉄らに挨拶して原城落去を見込んで在陣した経緯を記す。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 612 肝付喜右衛門覚書
元禄十七年の肝付喜右衛門覚書。寛永十五年正月八日、島津豊州が軍大将として島原へ出陣した際、十八歳で供として従軍した由緒を記す。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 613 伊地知季安記事
久永吉左衛門らが家僕を率いて船で小湊へ回り、加世田・谷山・鹿籠など各地の従軍者を乗せて米之津へ向かった経過を記す。各船の人数と指揮者を列挙し、十一日の到着までを追う。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 614 川上久国書状
川上久国が上使との軍議や判物・返書の取扱いを報じ、加勢人数を早く渡海させるよう求める。原城落城前に注進を届けることも督促した正月八日付書状。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 615 川上久国書状
書状を持参した飛脚二人を本日中に帰すため、分国中の各改所で滞留させず通行させるよう命じる正月八日付の通行許可状。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 616 川上久国書状
川上久国が松平信綱・戸田氏鉄ら上使の動向、薩摩加勢の人数と配置、出水からの渡海状況を報じる。原城落城が近いとして返事と増援を急がせ、軍勢運用を指示する。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 617 平塞録
『平塞録』九日条。上使兼松弥五右衛門が島原を引き払い、江戸へ帰ったことを簡潔に記す。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 618 川上久国書状
評定所案文として、島原へ渡海する加勢五万六千余の動員、天草・寺沢領の警固、城普請を協議する。職人・人夫を集め、上使の指図に従って急ぎ派遣するよう命じる。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 619 川上久国書状
評定所案文。陣中の大将役二人に加え、談合衆六人を選任して上使の意向に沿い軍務を調整するよう定め、児玉筑後守・有馬左近将監らの召集を命じる。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 620 川上久国書状
川上久国が島津豊後守・下野守を陣中大将役に任じ、談合衆を招集して軍務を進めるよう申し入れる。病中で連絡が遅れる事情を述べ、児玉筑後守らの早期合流を求める。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 621 有馬純実系伝
有馬左近将監純実の系伝。寛永十五年の肥前島原一揆で島津豊州久賀が多数の兵を率いて出陣した際、純実が使節として従軍したことを記す。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 622 川上久国書状
川上久国が加治木衆を率いる町田勘解由次官に一刻も早い島原出陣を命じる。鎌田豊前守へ、留守役を定め、児玉筑後守の指図に従って人数を整えるよう求める。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 623-1 賦所達
親見出し『島原立ニ付万覚書留帳』所収の賦所達。島原陣用の鉄十二斤を調達し、石神善吉・木場源左衛門尉ら物奉行へ引き渡すよう命じる。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 623-2 賦所達
島原陣用の鍛冶炭を必要量に応じて出水で調達し、物奉行へ引き渡すよう命じる賦所達。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 623-3 賦所達
普請方に熊手掻百五十本を正月九日中に製作し、島原陣の普請・攻城用として整えるよう命じた賦所達。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 624 島原立ニ付軍衆賦帳表題
財部地頭仮屋伝来の『島原立ニ付軍衆賦帳』の表題と異本注記。前巻所載の島津豊州・下野守一組の賦帳と大同小異で、差異を傍注したと説明する。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 625 小川監物日記
『加世田小川監物日記』。九日に百五十人を打ち立て、江口・市来・串木野を経て米之津へ向かい、山田民部の指示で人数を差し出して兵糧を受領した経過を記す。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 626 肝付家譜
肝付家譜。肝付三郎四郎兼屋が正月九日に百余人を率いて出陣し、高尾野・阿多藤代・串木野などの兵と家僕を集め、米之津から船団を出して島原へ向かった経過を記す。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 627 時任氏日記
島津豊後守久賀の従兵時任氏の日記。正月九日の出立と児島での打ち立て、市来湊までの行程を記し、十日条へ続く。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 628 緒方主殿覚書
肝付三郎四郎兼屋の従臣緒方主殿介の覚書。天草百姓一揆征討のため諸士・人数が集結し、鹿児島から木田を経て山崎へ着いて一宿した道程を記す。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 629 北郷久加世別記
『北郷久加世別記』。正月九日、荒児島の宅から出陣するため私領衆を集め、自分の人数を合わせて総勢四百六十七人となったことを記す。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 630 喜入忠政従臣聞書
喜入忠政従臣の聞書。肥前島原出陣に従った家臣を列挙し、各人の組・在所、槍・鉄砲・弓などの武具、持道具、役割を記した軍役名簿。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 631 門連署覚書(伊集院与左衛門・田代惣右衛門)
『鹿籠案文中』所収の連署覚書。寛永十五年正月の喜入摂津守忠政による天草出陣時の物頭任命・人数召集を記した文書など五通と、御大追物御手組二十一人の書付を提出したことを伝える。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 632 某書状(川上久国書状カ)
千人ほどの人数を早急に渡海させる談合、天草への対応、伊豆守の下知と奉書写の携行を述べ、民部少殿が率いる出水衆の渡海と人数差引を手配するよう求めた書状。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 633 川上久国書状
黄門の機嫌・容体を案じ、好物を当地や佐土原、穂佐・蔵岡・綾方面から調達して次の飛脚で届けるよう求めた川上久国書状。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 634 川上久国書状
加治木衆を率いて島原へ出陣する町田勘解由次官を加治木に残す必要から、豊前守を代わりに出陣させるとの児玉筑後守を通じた指示を伝える。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 635 川上久国書状
有馬城攻めが十五日以前に始まる見込みであるのに、出水方面へ船が一艘も回っていないとして、上乗りを付けて片時も早く船を差し出すよう厳しく督促する。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 636 川上久国書状
指宿・坊津・加世田・市来・伊集院・鹿籠などの諸士を列記し、軍務書状十二通を相良丹後守へ回達すること、帰着した飛脚二人を返すことを命じた書状。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 637 川上久国書状
伊集院方面から来る人数と野州老らへ急ぎ使者を送り、通路各所での宿、米・大豆・野菜・薪の用意、医者の派遣、船の借用などを手配するよう山田民部少へ命じる。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 638 平塞録
島原陣の攻城記事。肥後勢など諸手の配置、虎落・柵・竹束による防御、鉄砲・火攻め・梯子を用いる攻城策、城内外の戦況と損害を詳述する。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 639 伊地知季安記事
石谷貞清・松平直恒の元日付注進が江戸へ到着したことを記し、喜入摂津守忠政が加世田衆百五十人を市来湊に集め、この夜串木野に宿したと付記する。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 640 喜入忠政従臣聞書
喜入摂津守忠政の加世田衆について、仁礼佐渡が諸士二百人余を率いて市来湊へ集結し、出水米之津から乗船して肥前へ渡海・上陸した経過を記す。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 641 本田十左衛門・町田甲斐連署覚写
島原出陣の加子徴発で濱之市両浦の人手が不足したため、蔵米運送夫を両村から滞りなく割り当て、喜入殿の到着までに手当てするよう命じた連署覚写。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 642 伊地知季安記事
新納小右衛門久盛・中村源介・治木松右衛門・東郷宗兵衛らが各自の家僮を伴い、同四郎三郎久晴らとともに米之津へ到着したことを記す。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 643 時任氏日記
島津久賀の従兵時任氏の日記。十日に湊から串木野まで二里を進んだが、天気が悪く近くに滞在したことを記す。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 644 緒方主殿覚書
肝付兼屋の従臣緒方主殿の覚書。十日、曇天のなか木田を午刻に出立して紫尾へ申刻に到着し、一宿した四里の行程を記す。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 645 川上久国書状
年明けからの主君の不調と食事・服薬の様子を報告し、予定していた上洛・出立を見合わせることや、高崎伊豆守・板倉殿への連絡などを相談する書状。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 646 川上久国書状
長崎から届いた野州老の書状を受け、有馬への渡海と城攻め、新納勢・千人規模の人数、下野守らの島原派遣について報じ、必要な差配を求めた書状。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 647 小川監物日記
十一日、喜入忠政が加世田衆を率いて串木野を発し、湯田に泊まったことを記す日記記事。
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 648 時任氏日記
十一日、島津久賀が自らの兵と帖佐衆を率い、串木野から西方まで九里を進んだことを記す日記記事。