SEARCH THE ARCHIVE

文書を探す

『旧記雑録』前編・後編・附録10冊と追録1~8(暫定版)、『旧記雑録拾遺 伊地知季安著作史料集1~9』『家わけ1』(暫定版)、関連史料(外伝)『島津世禄記』の46,754件を横断検索できます。検索範囲は史料群・巻を組み合わせて選べます。結果は50件ずつ表示します。

検索範囲
すべての文書
読込量の目安
小
数行~半頁未満。短い書状、感状、証状、記事、本文省略や同文注記のみ。
中
半頁~1頁程度。一つの用件をある程度詳しく記すもの、複数項目を含む目録・交名。
大
1頁を超え3頁未満。複数の用件・事件・人物・地名を含む長文書、詳細な譜記事・合戦記録・日記・知行帳。
特大
冊子頁3頁以上。長大な日記・軍記・系図・知行帳・軍役帳。

37 件 (全巻)/ 1–37件を表示

ページ 1 / 1

後編3-No.393文書確認度 高

帖佐方軍役究目録

帖佐方の軍役高を区分別に集計した目録。定軍役分三万七千百四十三石七斗九升三合四夕六才、奥方二千百八十三石四斗二升七合六夕二才、医者分百二十三石七斗のほか、諸職・道具衆・中間・行司・浮所の各分を掲げる。これら七口の計を七千六百二石余、別の三口を四万四千七百四十六石余、北郷持分を三万七千三百三十一石余とし、最終の三口合計を八万二千七十七石八斗四升八合四夕二才と記す。

登場人物
帖佐方、奥方、医者、諸職、道具衆、中間、行司、浮所、北郷
宛先
—
キーワード
帖佐方軍役究目録、定軍役分、奥方、医者分、諸職分、道具衆分、中間分、行司分、浮所、北郷持分、軍役高、石高集計、八万二千七十七石
後編3-No.1398文書確認度 高

戦場供衆人数書上

関ヶ原からの退路で島津義弘(惟新)に供奉した人々を、戦場御供衆・御道具衆・御小者・御鳥取などに分けて列挙した人数書上。伊集院半五郎、山田民部少輔、伊勢平左衛門、帖佐彦左衛門、木脇久作ら多数の名を収録し、張紙では慶長五年の関ヶ原退却時に路次を違わず供奉した人数と説明する。

登場人物
島津義弘(惟新)、戦場御供衆、御道具衆、御小者、御鳥取
宛先
該当なし
キーワード
戦場供衆人数書上、島津義弘(惟新)、関ヶ原、戦場御供衆、御道具衆、御小者、御鳥取、伊集院半五郎、山田民部少輔、伊勢平左衛門、帖佐彦左衛門、木脇久作
附録1-No.202文書確認度 高

島津久慶・川上久國連署書状

島津久慶と川上久國が、上様の下向に備えて当地から御道具衆二十人を御舟本まで差し上げたと知らせた連署書状。相手方にも手持ちの御道具衆を今晩から順次差し上げ、油断しないよう命じる。

登場人物
島津久慶、川上久國、新納仲左衛門尉、上様、御道具衆
宛先
新納仲左衛門尉殿人々御中
キーワード
島津久慶、川上久國、新納仲左衛門尉、上様、下向、御道具衆、二十人、御舟本、動員
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 119書状旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

川上久国・三原重庸連署書状

川上久国・三原重庸が伊勢貞昌の御道具衆二人へ、黄門様から薩州様宛の書状を持たせるので披露するよう頼む。有馬から、松平伊豆守信綱が薩州様の出陣は不要と命じたとの報告があり、有馬からの書状も次飛脚に持たせたと伝える。

登場人物
川上久国、三原重庸、黄門様、薩州様、松平伊豆守信綱、伊勢兵部少輔貞昌、御道具衆二人
宛先
伊勢兵部少輔貞昌様御道具衆両人々
キーワード
川上久国、三原重庸、伊勢貞昌、御道具衆二人、黄門様書状、薩州様、松平信綱、出陣不要、有馬、次飛脚
後編3-No.1322記録確認度 高

神戸久五郎覚書

洲俣警備で島津義弘(惟新)は川の徒渉可能地点を裸の道具衆に調べさせ、竹を立てて安全な渡河線を示した。竹より下流は淵で危険なため、緊急時には竹より上流を人馬とも渡るよう命じ、対岸へ渡って洲俣に一泊した。

登場人物
神戸久五郎、島津義弘(惟新)、島津軍道具衆
宛先
該当なし
キーワード
神戸久五郎覚書、島津義弘(惟新)、洲俣、徒渉点、竹標識、渡河、川深、緊急退路
後編3-No.1323記録確認度 高

神戸久五郎覚書

洲俣対岸の桑木の中が敵で占められるなか、後続の舟が沈んで二人が死亡した。乗馬衆は前日に義弘が竹で示した徒渉線を渡り、押川郷兵衛が対岸を偵察して敵を討ち取る。翌朝、石田三成はこれを大垣での太刀初めの手柄として賞し、大判一枚を与えた。

登場人物
神戸久五郎、島津義弘(惟新)、石田三成、押川郷兵衛、島津軍道具衆
宛先
該当なし
キーワード
神戸久五郎覚書、島津義弘(惟新)、石田三成、洲俣、舟沈没、徒渉、押川郷兵衛、偵察、敵討ち、大判褒賞
後編6-No.311文書確認度 高

島津久通・川上久国連署書状

島津久通・川上久国が、島津光久の江戸出立日と帰路を知らせた連署書状。帰国暇が五月十一日に下り、出立日は同十五日と定まったこと、船は西目方面を通る予定であるため、その心得で準備するよう伝える。注記には書状が五月二十六日に御道具衆によって届けられたことも記される。

登場人物
島津久通、川上久国、島津光久、御道具衆
宛先
山田民部少輔様ほか御中
キーワード
島津久通、川上久国、島津光久、帰国暇、江戸出立、五月十五日、西目、船路、御道具衆、連署書状
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 80軍勢目録・人数武具集計旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

軍衆一紙目録

軍衆一紙目録として、軍衆・乗馬衆・陸衆・道具衆・手明・船頭の人数と、鉄砲・鑓・弓の数量を集計する。人数・道具数はいずれも合計1万2930と記す。

登場人物
軍衆、乗馬衆、陸衆、道具衆、手明、船頭
宛先
なし(目録)
キーワード
軍衆一紙目録、軍衆、乗馬衆、陸衆、道具衆、船頭、鉄砲、鑓、弓
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 82軍役賦帳・軍勢編成旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

軍役賦帳

慶長18年12月朔日の人数賦を起点に、家臣ごとの知行高、軍役人数、乗馬役を組・備ごとに列記する大部の軍役賦帳。一番備から左右備、城内外の諸役、町方賦役、御道具衆、船手、馬・武具の荷割まで編成と数量を集計し、末尾に慶長19年の人数賦や大坂冬・夏陣の出馬人数を後世の考証として付す。

登場人物
島津家中諸士、各番備、城衆、町衆、船手、御道具衆
宛先
なし(賦帳)
キーワード
軍役賦帳、人数賦、知行高、一番備、左右備、町方賦役、御道具衆、船手、大坂冬陣、大坂夏陣
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 172書状旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

川上久国・三原重庸連署書状

川上久国・三原重庸が市来宗友へ、七日申刻に米之津へ着船した道具衆が九日八ツ時にようやく到着した遅延を咎め、使者・飛脚を昼夜速やかに継ぎ、茂棚を含む道筋を滞りなく通すよう命じる。

登場人物
川上久国、三原重庸、市来八左衛門宗友、米之津の道具衆・使者・飛脚
宛先
市来八左衛門尉殿御宿所
キーワード
川上久国、三原重庸、市来宗友、米之津、七日申刻、九日八ツ時、道具衆、使者、飛脚、遅参、継送、茂棚
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 195書状旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

川上久国・三原重庸連署廻状

川上久国・三原重庸が市来宗友へ、薩州様の船が八日に七釜まで来たと伝え、諸役人と御道具衆を早急に渡海させるよう命じる。不要な人数は留め置き、現地で必要となる者を選んで整えるよう指示する。末尾の『十二日丙午』は次の日次見出し。

登場人物
川上久国、三原重庸、市来八左衛門宗友、薩州様、諸役人、御道具衆
宛先
市来八左衛門尉殿
キーワード
川上久国、三原重庸、市来宗友、薩州様、八日、七釜、諸役人、御道具衆、渡海、人数選別
後編6-No.405文書確認度 高

参府琉人行列次第

琉球使節の参府行列次第の別紙。王子・使者を中心に、琉球供衆、騎馬、小荷駄、御道具持、薩摩側の供奉・警固役を左右・前後の位置関係に従って配し、各役の氏名と編成を図式的に記す。

登場人物
島津光久、琉球王子・使者、琉球供衆、薩摩家臣、騎馬、小荷駄衆、御道具衆
宛先
—
キーワード
島津光久、琉球使節、参府、行列次第、琉球王子、琉球供衆、薩摩家臣、騎馬、小荷駄、御道具衆、供奉、警固、配置図
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 111軍役賦・編成記録旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

島津氏軍役賦

御旗本の手鑓・長刀から鉄砲・弓・旗・騎馬・道具衆、各外城・郷ごとの人数と乗馬を大規模に列記する島津氏の軍役賦。塩硝・鉄砲玉・火縄・具足・陣屋道具などの数量と運搬人員も定める。

登場人物
島津氏旗本、外城衆、道具衆、持夫
宛先
なし(軍役賦)
キーワード
島津氏軍役賦、御旗本、外城衆、鉄砲、騎馬、塩硝、陣屋道具
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 346軍勢賦・動員帳旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

島原陣加勢軍衆賦

島原陣へ派遣する薩摩方加勢軍を、軍大将・乗馬衆・各番立・外城衆・御道具衆などの編成別に列挙した軍衆賦である。諸士名と各組の人数を全巻にわたり記し、合計五千五百五十六人と集計する。末尾では兵具所に残る軍衆賦帳と内容に相違がないことを確認する。

登場人物
島津久儔、軍大将衆、乗馬衆、外城衆、御道具衆
宛先
該当なし(軍勢賦)
キーワード
島原陣、加勢軍衆賦、島津久儔、軍大将、乗馬衆、外城衆、五千五百五十六人
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 145-6取払帳旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

小原織部取払留

小原織部の取払帳。上津浦で伊地知重政付衆七人へ振舞った白米一升七合五勺、米之津・上津浦で買った塩四俵・鯛・さうち魚の代米を品目別に記す。末尾の『下文ハ二月十一日に載す』は参照注で、B列へ補入しない。

登場人物
小原織部、伊地知重政付衆、前田彦左衛門、野津安右衛門、村田郷左衛門、高木孫左衛門、白坂小介、御道具衆一人、長野正右衛門
宛先
宛先なし(小原織部取払帳)
キーワード
小原織部、取払帳、上津浦、米之津、振舞七人、白米、塩四俵、鯛、さうち魚、買物、二月十一日参照
後編4-No.1729文書確認度 中

島津久元・町田久幸連署状

島津久元・町田久幸が国元重臣へ、島津家久の子息が息災であること、上州老から贈物が届いているので後便で礼を述べること、御道具衆を早く差し上せることなどを追って伝えた連署状。

登場人物
島津久元、町田久幸、島津家久、喜入忠政、比志島国貞、伊勢貞昌、三原重種
宛先
島津久元・町田久幸
キーワード
島津久元・町田久幸連署状、島津家久、御曹子、上州老、贈物、御道具衆、喜入忠政、比志島国貞、伊勢貞昌、三原重種、元和七年三月十二日
後編5-No.682文書確認度 低

伊勢貞昌書状

伊勢貞昌が種子島左近将監へ、明石掃部の子に関する急使書状の到着状況と遅延の有無を問い合わせ、過去に早打の遅延で扶持停止・道具衆追放となった事例を引いて注意を促した書状。

登場人物
伊勢貞昌、種子島左近将監、明石掃部の子、仁礼左近、板倉殿
宛先
種子島左近将監殿
キーワード
伊勢貞昌、種子島左近将監、明石掃部子、仁礼左近、板倉殿、早打、急使、遅延、扶持停止、道具衆追放
後編6-No.258記録確認度 高

新納氏古日記

新納氏古日記の寛永十九年六月の記事。六月三日に島津光久が日光参詣へ出発し、新納右衛門佐以下の供奉者を記すほか、六月二十八日から七月十五日頃にかけて道具衆が持ち下ったことと、御曹子島津綱久の元服に関する事項を記録する。

登場人物
島津光久、新納右衛門佐、平田狩野介、喜入舎人佐、新納刑部大輔、福屋伊賀守、島津綱久
宛先
—
キーワード
新納氏古日記、島津光久、日光参詣、供奉、新納右衛門佐、平田狩野介、喜入舎人佐、新納刑部大輔、福屋伊賀守、島津綱久、元服、道具衆
追録1-No.38記事旧記雑録暫定版確認度 高

琉球使節行列次第

琉球使節の行列・供揃を図式で示す。国頭按司の乗物、琉球衆三十人の乗馬、琉球供衆、薩摩側の案内・警固に関わる諸役、与力小荷駄衆、道具衆等の配置と人名を複数段に列記する。

登場人物
琉球使節、島津家家臣団
宛先
—
キーワード
琉球使節、行列、供揃、国頭按司、乗馬、琉球衆三十人、諸役配置、小荷駄衆、道具衆
追録1-No.735書状旧記雑録暫定版確認度 中

島津久通書状

島津久通が鎌田筑後へ、軽い使者と判形を三人分用意し、急ぎ参着させるよう求める。川内大小路・久見崎から長崎への移動と、阿蘭陀船が入り二十七人いるとの風聞を記すが、偽りの可能性も留保する。相良主税・三原伝左衛門らとの相談、入津の見届け、道具衆五六人と槕取の警固手配を求める。

登場人物
島津久通、鎌田筑後、相良主税、三原伝左衛門、山田民部少、子越左衛門、阿蘭陀人
宛先
鎌田筑後
キーワード
久通、鎌田筑後、川内、久見崎、長崎、阿蘭陀、廿七人、風聞、判形、道具衆、槕取
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 65人数書上・戦場供衆名簿旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

戦場御供衆人数書上

戦場御供之人数として67名分の項目を列記し、うち御道具衆6名・御小者2名・御馬取3名を区分する。鳴海覚右衛門尉と松下喜左衛門尉は御道具衆の人名である。末尾の貼紙は、慶長五年の関ヶ原退却時に道中を供した人数とみられる、と推定する。

登場人物
桂太郎兵衛尉、本田与兵衛尉、伊集院半五郎、山田民部少輔、横山久内、長田三平、鳴海覚右衛門尉、前田万右衛門、松下喜左衛門尉、山口喜左衛門尉、平六、才八、与早左衛門尉、作兵衛尉、善左衛門尉ほか
宛先
なし(人数書上)
キーワード
戦場御供之人数、67名分、御道具衆6名、御小者2名、御馬取3名、関ヶ原退却、貼紙の推定
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 740人数帳・出陣と飯米支給旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

島原軍衆人数差出留

正月十五日を中心に島原出陣者の主従人数、米之津・久見崎などへの到着日、乗船勤務と飯米支給を記録する。福崎らの主従人数、御道具衆49人、兵具持の夫丸11人などを列記し、既支給分や僧侶から出された夫の内訳を付記する。末尾に三原五郎兵衛20人・平山七兵衛15人の有馬到着を記す。季安は次の記事を十六日に分け、十五日到着者の追記を加えたと説明する。

登場人物
福崎新兵衛 川村少左衛門 藤井為左衛門 本田甚右衛門 山口平兵衛 是枝諸左衛門 青山権介 田中五右衛門 是枝喜右衛門 三原五郎兵衛 平山七兵衛 本田隼人 山路太郎右衛門 吉田新右衛門 上村弥左衛門 求仁郷四郎左衛門 有川治部左衛門 濱田主水 伊地知季安
宛先
なし(人数帳)
キーワード
人数差出留 主従 米之津 久見崎 飯米 御道具衆 夫丸
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 6-1文書旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

島原軍衆人数差出留

『島原軍衆人数差出留』の正月二十六日条。上津浦の土持左馬権頭以下、船廻りなどで各地へ到着した者の主従・人鉢・忰者夫丸を列挙する。鹿児島衆は計四百四十三人(人鉢四十人、御道具衆四十九人、忰者夫丸三百五十四人)。喜入舎人を米之津から帰したため除き、三口の合計を千八百四十六人(人鉢百六十六人、道具衆四十九人、忰者夫丸千六百三十一人)とする。

登場人物
土持左馬権頭、高江衆、有泉坊、渡辺源太郎、深野主膳正、大脇舎人佑、岩切与介、右舎人、与介、酒匂利左衛門尉、喜入舎人ほか
宛先
宛先なし(人数差出留)
キーワード
島原軍衆、正月二十六日、上津浦、到着、船廻り、鹿児島衆四百四十三人、人鉢四十人、道具衆四十九人、忰者夫丸三百五十四人、三口千八百四十六人
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 190書状旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

川上久国・三原重庸連署達

川上久国・三原重庸が島津久元・伊勢貞昌・山田有栄へ、薩州様の船が八日に出たものの風波で未着のため到着見込みを尋ね、東郷肥前守へ渡した絵図・書状や陣道具の受取りを指示する。江戸屋敷無事の報知を伝え、早い渡海と後報を求める。追而書では中間五人・道具衆十人を直ちに上らせるよう命じる。

登場人物
川上久国、三原重庸、島津久元、伊勢貞昌、山田有栄、薩州様、松平伊豆守信綱、今井市兵衛、東郷肥前守
宛先
島津下野守久元様、伊勢兵部少輔貞昌様、山田民部少輔有栄様、人々御中
キーワード
川上久国、三原重庸、島津久元、伊勢貞昌、山田有栄、薩州様、風波、絵図、陣道具、江戸屋敷、中間五人、道具衆十人
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 268書状旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

島津久元外三名連署書状

島津久元・川上久国・伊勢貞昌・三原重庸が市来宗友へ、薩州様から伊豆守・越中守へ送る書状を御道具衆に持たせたので両所へ届けるよう求めた。木下右衛門太夫宛の書状と、琢庵からの三通もそれぞれ届けるよう命じる。

登場人物
島津久元、川上久国、伊勢貞昌、三原重庸、薩州様
宛先
市来八左衛門尉宗友
キーワード
島津久元、川上久国、伊勢貞昌、三原重庸、市来宗友、薩州様、伊豆守、越中守、木下右衛門太夫、琢庵、三通、御道具衆、二月十八日
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 269書状旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

島津久元外三名連署書状

島津久元・川上久国・伊勢貞昌・三原重庸が川上久康と出水衆中へ、市来宗友宛にも書状を送り、有馬へ渡海する場合は御道具衆を速船で渡すよう命じたと伝える。川上久康が帰っている場合は、地元の衆で相談し、御道具衆を早々に渡海させるよう求める。

登場人物
島津久元、川上久国、伊勢貞昌、三原重庸、市来八左衛門尉宗友
宛先
川上彦左衛門尉久康、出水衆中
キーワード
島津久元、川上久国、伊勢貞昌、三原重庸、市来宗友、川上久康、出水衆中、有馬、御道具衆、速船、渡海、二月十八日
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 318-2人数帳旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

評定所案文帳

外城衆等を区分した人数帳。米津から召し帰された衆は合計二千九百二十一人で、人躰千六百四十三人と夫丸千二百七十八人(内訳合計二千九百二十一人)。上津浦衆は原記載で合計二千七百八十一人、人躰千八百六十六人、夫丸九百五十七人と見え、内訳合計は二千八百二十三人となって一致せず、傍記もある。有馬へ詰める衆は合計欄に二千五百六十人とある一方、「廿七人」の傍記があり、人躰千五百五十八人と夫丸・倅者九百六十九人の内訳合計は二千五百二十七人で、318-1の記載とも一致する。鹿児島衆の上津浦・有馬分は合計三千百五十六人で、人躰二百五十人、御道具衆四十九人、倅者・夫丸二千八百五十七人(内訳合計三千百五十六人)。各区分に属する外城名も列記する。原記載の合計・内訳・傍記の不一致は計算だけで統一しない。

登場人物
作成者不明
宛先
宛先なし(人数帳)
キーワード
評定所案文帳、人数帳、米津被召帰衆、合計二千九百二十一人、人躰千六百四十三人、夫丸千二百七十八人、上津浦衆、合計二千七百八十一人、人躰千八百六十六人、夫丸九百五十七人、内訳不一致、有馬江詰衆、合計二千五百六十人、傍記廿七人、人躰千五百五十八人、夫丸倅者九百六十九人、内訳二千五百二十七人、鹿児島衆、上津浦有馬分、合計三千百五十六人、人躰二百五十人、御道具衆四十九人、倅者夫丸二千八百五十七人、外城
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 561-2書留旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

児玉利実書留

五月十八日夜、東郷喜右衛門と児玉利実は御前へ召され、御道具衆の総書立を作るよう命じられ、六月十三日に提出した。御道具衆を早く四百人に達させる旨を新納刑部少殿から家老へ申し上げ、添状を付して須田十郎兵衛の下向時に国元へ送ること、当該組分は町田勘解由・平田狩野介から受け取り写しを送ったことを記す。目録年月日は空欄である。

登場人物
児玉利実、東郷喜右衛門、新納刑部少殿、須田十郎兵衛、町田勘解由、平田狩野介
宛先
御家老中
キーワード
児玉利実書留、五月十八日、六月十三日、東郷喜右衛門、御道具衆四百人、書立、御前提出、新納刑部少殿、御家老中、須田十郎兵衛、町田勘解由、平田狩野介、目録日付空欄
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 561-3覚書旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

児玉利実覚書

御道具衆四百人について、前代から召し仕えた三百六十人と近年任命した四十人を挙げ、細工人の扶持、馬屋方、御船手定水衆二百人のうち近年任命の百人、作事方、犬井付衆、歴々衆の扶持銀、二十人衆の取立、小姓衆の増員、近年召し抱えた男女を列挙する。書立は権兵衛・豊前の座へ出し、奈五左衛門が受け取った。本文は正月七日付で「正保二年か」とするが、目録日付は六月二十一日である。

登場人物
児玉利実(目録標題)
宛先
権兵衛殿・豊前殿、奈五左衛門殿
キーワード
目録六月廿一日、本文正月七日・正保二年か、御道具衆四百人、前代三百六十人、近年四十人、御船手定水衆二百人、近年百人、扶持、作事方、小姓衆、権兵衛、豊前、奈五左衛門
後編3-No.819記録確認度 高

池田貞安覚書

池田貞安が庄内出陣時の戦功を回想する。帖佐・蒲生勢が山田新城を攻めた際、六左衛門は退却命令に対し、味方を捨てれば周辺の敵城から攻撃され全滅すると再三諫めた。中将様がその主張を採用して旗差・道具衆・軍勢を一斉に登らせ、新城と続いて本城を攻め落とし、惟新が伏見で報告を聞いて有川助兵衛から感状に相当する内談の書状が寄せられたという。

登場人物
池田貞安、六左衛門、長寿院、中将様、島津義弘(惟新)、有川助兵衛
宛先
—
キーワード
池田貞安覚書、池田貞安、六左衛門、長寿院、中将様、島津義弘、惟新、有川助兵衛、庄内の乱、山田新城、帖佐衆、蒲生衆、退却命令、進言、攻城、分捕、感状
後編4-No.982文書確認度 高

軍衆一紙目録

島津家久譜に収められた軍衆一紙目録で、乗馬衆、陸立衆、道具衆、手明・指物持、夫丸、船頭・加子などの人員を区分し、総勢と鉄砲・弓・鎧などの兵具数を記したもの。

登場人物
島津家久、島津軍役関係者
宛先
—
キーワード
軍衆一紙目録、軍役、兵力、乗馬衆、陸立衆、鉄砲、弓、鎧、船頭、加子
後編6-No.230文書確認度 高

川上久国・新納久詮連署書状

川上久国・新納久詮が国元の重臣らへ、九州巡回上使の松田善右衛門・蒔田数馬・曽川喜左衛門を迎えるため、国絵図を持参して経路や宿所を協議した結果を報告した連署書状。上使は江戸を正月二十三日に出立し、細島・佐土原・飫肥・志布志・肝付・根占・佐多・種子島・屋久島・永良部島・山川などを巡る見込みで、渡海船・水主・供人数・宿所・賄い・案内人を整え、天候や海上事情に応じた代替経路を準備するよう指示している。追記には、十二月二十六日付の書状が翌年正月十八日に御道具衆によって届けられ、飛脚が立山吉左衛門・末原甚左衛門であったことを記す。

登場人物
川上久国、新納久詮、松田善右衛門、蒔田数馬、曽川喜左衛門、徳川家光(公方様)、島津光久、相良主計助、山田有栄、鎌田治部少、頴娃左馬頭、弾正大弼、立山吉左衛門、末原甚左衛門
宛先
鎌田治部少様、山田民部少様、頴娃左馬頭様、下野守様、弾正大弼様
キーワード
川上久国、新納久詮、松田善右衛門、蒔田数馬、曽川喜左衛門、徳川家光、公方様、島津光久、相良主計助、山田有栄、鎌田治部少、頴娃左馬頭、弾正大弼、立山吉左衛門、末原甚左衛門、九州巡回上使、国絵図、経路、宿所、細島、佐土原、飫肥、志布志、肝付、根占、佐多、種子島、屋久島、永良部島、山川、渡海船、水主、賄い、案内人、連署書状
追録1-No.257文書旧記雑録暫定版確認度 高

北郷久加・新納久詮連署書状

御鷹の鶴と使者の到着・御礼、城中での拝領儀礼、又三郎・子供衆・道具衆の配置と留守居衆の処置を国許へ伝えた連署書状。

登場人物
北郷久加、新納久詮
宛先
島津久通、川上久国、山田有栄
キーワード
北郷久加、新納久詮、島津久通、川上久国、山田有栄、御鷹、鶴、又三郎
追録1-No.654文書旧記雑録暫定版確認度 中

北郷久加・新納久詮家老連署書状

久加・久詮が国元役人四人へ、長崎の唐船唐人に対する切支丹宗門の訴人を尋問し、澳門の日本人子供に宗門と唐の学文を教えて唐人として日本へ渡す企てがあるとの情報を伝える。幕府の上意として、今後唐船は陸地につけず海上で船中を改め長崎へ送る取扱いを示す。松田七左衛門へ道具衆一人を添え、この指示を長崎奉行へ追って使者で伝えるよう求める。

登場人物
北郷久加、新納久詮、島津光久、阿部対馬守
宛先
山田民部少輔、頴娃左馬頭、川上因幡守、島津図書
キーワード
久加、久詮、阿部対馬守、長崎、唐船、唐人、切支丹、南蛮宗門、あま川、澳門、日本人子供、学文、船中改、松田七左衛門、上意、伝達
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 842書状・黄門病状続報と軍情報・兵糧手配旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

川上久国書状

黄門の吐血後の食事や容態を詳報し、少し落ち着いたものの、琢庵の見立てや年初以来の衰弱からなお懸念があると伝える。御道具衆の一部帰還にも触れ、矢文や城攻めの風聞を照合して報告するよう求める。細川肥後守への書状・音信を評価する一方、兵糧の継続供給を憂慮し、市来の米と物奉行の岩切六右衛門・川上彦左衛門を通じた手配を促す。

登場人物
川上久国 黄門(島津家久) 琢庵 島津久元 山田有栄 三原重萬 岩切六右衛門 川上彦左衛門 細川肥後守立允
宛先
下野守(島津久元)・山田民部少(有栄)・三原左衛門(重萬)
キーワード
黄門吐血 琢庵 食事 病状続報 矢文 兵糧 物奉行
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 45-2文書旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

島原出陣諸賦頭書

寛永十五年正月二十九日の島原出陣に備え、武器・軍勢・奉行・輸送・兵糧などの割当を列挙した頭書。御備は昇100本、外城衆の鉄砲300挺・弓200張、御道具衆の鑓200本、馬乗衆50騎(分限役の馬は別)、陸衆150人(外城衆は別)、召立乗馬50騎とする。有馬には3,262人中782人が帰り2,480人、天草には5,201人中1,624人が帰り3,577人が残り、両地の残留総数を6,057人とする。軍勢の兵糧・船手、兵具・送夫馬・普請・諸調、旗本・供衆、船手奉行、先備、玉薬、持道具、番道具、普請奉行、法度、武器別奉行・備頭、仮屋、使番・使衆・右筆・代官・給書・物荷・膳配・同朋・小姓・評定・医師・納戸・進物・門番・陣僧・振舞等の担当や準備事項を挙げる。鉄砲備頭5人・小指物1,050本、弓備頭3人、鑓備頭3人、惣備奉行10騎、御備直し20人、仮屋見舞衆3人なども定める。末尾で編者は、『旧記雑録後編五』222号文書と同文だが後半を欠くとし、以下は二月朔日の肩書により同日に写載したこと、軍衆法度の旧留は続く三公の掟を指すらしいと注記する。

登場人物
薩州様、野州老、龍伯、惟新、黄門様、喜入久右衛門尉、鎌田源左衛門尉、伊東二右衛門尉、相良杢助、新納右衛門佐、仁礼主計助、新納勘解由、三原伝左衛門尉、平田藤右衛門尉、是枝喜右衛門、平田民部少輔、国分民部少輔、相良満右衛門、市来八左衛門、岩切六右衛門、川上彦左衛門、国分十右衛門、相良主計助、松山六兵衛尉、宝珠院、喜入丹波、平野六郎左衛門、東郷藤兵衛、弟子丸治左衛門、村田郷左衛門、猪俣為右衛門
宛先
宛先なし(島原出陣諸賦頭書)
キーワード
寛永十五年正月廿九日、島原出陣、御備、昇100本、鉄砲300挺、弓200張、鑓200本、馬乗50騎、陸衆150人、召立乗馬50騎、有馬3262人・帰782人・残2480人、天草5201人・帰1624人・残3577人、残留総数6057人、兵糧、船手、夫馬、普請、御番道具、船手奉行、鉄砲備頭5人、小指物1050本、弓備頭3人、鑓備頭3人、惣備奉行10騎、御備直し20人、仮屋見舞3人、後編五222号、二月朔日、三公の掟
旧記雑録拾遺 著作史料集5-文書ID B:24日記旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

高麗入日記

文禄四年十二月下旬の朝鮮在陣中の日記。歳暮の礼として竹嶋・小西・大村・天草らから届いた鳥・樽・肴などの進物、加藤・小西ら諸大名への年末の使者と書状、年男の任命、鳥狩りや鞠、道具衆・中間衆への衣服の給与を日ごとに記す。釜山浦では小西行長・寺沢正成へ進物を届け、末尾に年男らへの肩衣・袴の給与を記す。

登場人物
高麗入日、一又七、龍造寺六郎次郎、一小西作右衛門、荒武九右衛門尉、一加藤、小西、平戸
宛先
一又七殿、龍造寺六郎次郎、一小西作右衛門、一又七、伊東源四郎、一古城、荒武九右衛門尉、一加藤、小西、木脇三右衛門尉、一殿様古城、一大村新人、一天草、聞書頭、御中間衆、一停土口、真徳院、寺津志摩守股、一市来清十郎
キーワード
高麗入日記、寺社・宗教、朝鮮出兵、儀礼・贈答、高麗