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『旧記雑録』前編・後編・附録10冊と追録1~8(暫定版)、『旧記雑録拾遺 伊地知季安著作史料集1~9』『家わけ1』(暫定版)、関連史料(外伝)『島津世禄記』の46,754件を横断検索できます。検索範囲は史料群・巻を組み合わせて選べます。結果は50件ずつ表示します。

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86 件 (全巻)/ 1–50件を表示

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附録1-No.143文書確認度 中

上井秀秋書状

上井秀秋が、図田帳の借用について土持大膳亮と瀧聞越後守へ協力を求めた書状。迫田次郎左衛門尉と相談し、南郷の福永が所持すると聞く図田帳も調査・借用して差し上げるよう依頼する。

登場人物
上井秀秋、土持大膳亮、瀧聞越後守、迫田次郎左衛門尉、南郷の福永
宛先
土持大膳亮殿・瀧聞越後守殿御宿所
キーワード
上井秀秋、土持大膳亮、瀧聞越後守、迫田次郎左衛門尉、南郷、福永、図田帳、借用、調査
附録1-No.144文書確認度 高

上井秀秋書状

上井秀秋が、内山の番役を早急に立てるよう土持大膳亮と瀧聞越後守へ求めた書状。御老中の指示に従い必要な人数を手配し、中山にもこちらから番衆を置くので、双方で相談して進めるよう伝える。

登場人物
上井秀秋、土持大膳亮、瀧聞越後守、御老中、内山番衆、中山番衆
宛先
土持大膳亮殿・瀧聞越後守殿御宿所
キーワード
上井秀秋、土持大膳亮、瀧聞越後守、内山、中山、番衆、御老中、人員配置、談合
附録1-No.150文書確認度 高

伊集院久治書状

伊集院久治が、兒玉新四郎による衣類盗難事件の処置を土持大膳亮と瀧聞越後守へ求めた書状。新四郎が在所で衣類を盗み、当地で売却して露見したため、盗人として適切に詮議・処分するよう依頼する。

登場人物
伊集院久治、兒玉新四郎、土持大膳亮、瀧聞越後守
宛先
土持大膳亮殿・瀧聞越後守殿御宿所
キーワード
伊集院久治、兒玉新四郎、土持大膳亮、瀧聞越後守、衣類盗難、売却、露見、盗人、詮議
附録1-No.509文書確認度 中

今川了俊書状

今川了俊が島津越後守に、当陣へ出向いて翌日の参会を期すことを伝え、島津家の権益は先祖一代の御免に基づき子孫へ相続されて相違ないとの見解を示した書状。御用をめでたく勤めるよう勧める。

登場人物
今川了俊、島津越後守、島津氏先祖・子孫
宛先
島津越後守殿
キーワード
今川了俊、島津越後守、参会、当陣、先祖、御免、子孫、相続、権益、奉公
後編2-No.341書状確認度 中

伊集院久治書状

伊集院久治が、桑山重晴・福智長通から数か所へ送られた書状を受け、人質提出の処置や自身の出頭時期を相談した書状。秀吉上洛時の通路・宿泊、日向越え、内之倉・八郎ヶ野付近の悪路、志布志・鹿児島方面の道路整備にも触れ、戦後処理と交通確保を同時に進める実務連絡である。

登場人物
伊集院久治、桑山重晴、福智長通、土持大膳進、瀧聞越後守
宛先
土持大膳進、瀧聞越後守
キーワード
伊集院久治書状、伊集院久治、桑山重晴、福智長通、土持大膳進、瀧聞越後守、人質、道路整備、志布志、日向越え
附録1-No.629文書確認度 中

島津勝久書状

島津勝久が、石州からの丁重な申し入れを喜び、石州と船者の知行不足や七島内の所領配分について報告し、今後の進展を両名へ伝えた書状。

登場人物
島津勝久、入来院山城守殿、東郷越後守殿、石州関係者、船者
宛先
入来院山城守殿・東郷越後守殿
キーワード
島津勝久、書状、入来院山城守、東郷越後守、石州、船者、知行、七島、所領配分
附録2-No.229文書確認度 高

竹内実位書状

出銀負担を一石につき三分から五分へ変更し翌月二十日までに集めるよう求め、人別日記を受領したこと、豊後からの捕虜を月末に集める際の責任者は一人でよいかを相談した書状。

登場人物
竹内実位、桑波田越後守、清水播磨守、豊後捕人
宛先
桑波田越後守殿
キーワード
竹内実位、桑波田越後守、出銀、一石五分、徴収期限、人別日記、豊後捕人、捕虜、責任者
附録2-No.230文書確認度 高

伊集院久治書状

一石につき二升の反米を少量でも鹿児島へ運び上洛の急用に備えるよう求め、豊後の捕虜は男女とも二十五日までに帰国させ、期限を一日も遅らせないよう厳命した書状。

登場人物
伊集院久治、桑波田越後守、豊後捕人
宛先
桑波田越後守殿
キーワード
伊集院久治、桑波田越後守、反米、一石二升、鹿児島、上洛、豊後捕人、男女、帰国、期限
附録2-No.1235文書確認度 高

平田宗酒外二名連署条書

幸侃上洛前に、五斗収納未済地の督促、殿中番、京衆帰京時の六文出銭、夫丸、銀子二分・三分など諸出物の調達を命じる。さらに狩猟で鹿皮十四枚を整えて送るよう求めた三名連署条書。

登場人物
平田宗酒、木脇祐充、白浜重綱、桑波田越後守、幸侃
宛先
桑波田越後守
キーワード
平田宗酒、木脇祐充、白浜重綱、桑波田越後守、幸侃、上洛、殿中番、出銭、夫丸、出銀、鹿皮
前編2-No.1027文書確認度 高

越後守久元契状

越後守久元が、公方への忠節を尽くし、私事でも命令に従い、子孫に至るまで背かないことを神仏に誓った契状。

登場人物
越後守久元(花押)
宛先
—
キーワード
越後守久元、契状、公方、忠節、命令、子孫、違背禁止、神文、誓約
前編2-No.1911文書確認度 高

中野歳信答申書

中野安房守歳信が新納越後守忠泰の諮問に答え、久顕公を中心とする家政運営について意見を述べた答申書。家督の安定、近侍・家臣の登用と処遇、佐伯殿・内田十郎ら関係者への対応、所領給付の基準を論じ、家中統制を立て直す方策を示す。

登場人物
中野安房守歳信、新納越後守忠泰、久顕公、佐伯殿、内田十郎
宛先
新納越後守殿
キーワード
中野歳信、新納忠泰、久顕公、家督、家中統制、家臣、所領、答申書、永正十六年
前編2-No.2300文書確認度 中

島津勝久書状

島津勝久が入来院・東郷両名に、石州での用件と船員不足、入国者の処遇、報恩のための進言を伝えた書状。

登場人物
島津勝久、入来院氏、石州、東郷越後守
宛先
入来院山城守殿、東郷越後守殿
キーワード
島津勝久、書状、入来院氏、東郷氏、石州、船員、入国、天文五年
前編2-No.2508記事確認度 中

日向記

島津忠廣方が郷原に陣城を築き、羽島越後守・宇宿小次郎らを配置して伊東方に対抗した城郭戦の記事。敵軍の進出に応じた守備と援軍の派遣、陣城周辺での攻防を追い、戦況悪化後の退却と部隊の再配置までを記す。

登場人物
島津忠廣、羽島越後守、宇宿小次郎、伊東氏
宛先
—
キーワード
日向記、島津忠廣、羽島越後守、宇宿小次郎、伊東氏、郷原、陣城、援軍
後編1-No.448記事確認度 高

庄内平治記

永禄十一年八月、島津忠親が北郷氏と肝付氏の和睦を進めた経過を記す。八月八日、北郷右衛門尉・土持美濃守と忠親の使者餅原越後守入道が末吉へ赴き、肝付一族らと会談して和議を成立させた。二十日に肝付刑部少輔が都城へ祝賀に来訪し、二十四日には北郷久臓が串良へ返礼に赴いた。

登場人物
島津忠親(泰心)、北郷時久、北郷右衛門尉、土持美濃守、餅原越後守入道、肝付左兵衛尉、渡辺隠岐守、肝付刑部少輔、北郷久臓
宛先
—
キーワード
庄内平治記、永禄十一年、島津忠親、泰心、北郷時久、肝付氏、末吉、和睦、餅原越後守、都城、祝賀、串良、返礼
後編1-No.610記事確認度 高

島津義久譜

元亀三年二月二十日、廻と市成の境に伏兵を置いて肝付越後守以下二十人を討ち取った。同月二十九日には肝付方の拠点である境・二川を攻めて破却した。

登場人物
島津義久、肝付越後守、肝付氏
宛先
廻、市成、境、二川
キーワード
島津義久譜、元亀三年、廻、市成、伏兵、肝付越後守、二十人、境、二川、破却
後編1-No.615記録確認度 中

年代記

壬申年の軍事記事として、正月十九日の小村で肝付方の兵船二艘を奪い岸良治部少輔以下約二十人を討ったこと、飯野・三山境で敵八人を討ったこと、二月二十日に廻・市成境の野伏で肝付越後守以下約二十人を討ち、同二十九日に境・二川を破却したことを列記する。本文の年号表記には矛盾がある。

登場人物
肝付氏、岸良治部少輔、肝付越後守、島津方
宛先
小村、飯野、三山、廻、市成、境、二川
キーワード
年代記、壬申、小村、肝付氏、岸良治部少輔、飯野、三山、廻、市成、肝付越後守、境、二川、年号矛盾
後編4-No.1559文書確認度 高

島津義弘書状

島津義弘が松平隠岐守康親へ、河内守康長の妻の死去に重ねて弔意を述べ、使者新納越後守が心情を口上で伝えるとした書状。

登場人物
島津義弘、松平康親、松平康長、康長室、新納越後守
宛先
松平康親
キーワード
島津義弘書状、松平康親、松平康長、内儀、死去、弔慰、新納越後守、元和四年十二月七日
前編2-No.877文書確認度 高

新納久臣寄進状

新納久臣が、大慈寺龍護庵へ日向国救仁郷比志田村内の助則田四段を寄進し、先例どおり執務するよう定めた寄進状。

登場人物
新納久臣(越後守久臣、花押)
宛先
大慈寺龍護庵
キーワード
新納久臣、越後守、大慈寺、龍護庵、日向国、救仁郷、比志田村、助則田、四段、寄進状
前編2-No.2459-2文書確認度 高

勝岡諏訪大明神棟札

勝岡諏訪大明神について、野々三谷の知行と本所への還着、伊東代の造立、本地の奉安を記し、天文十二年正月十八日に還宮した旨を記す棟札。

登場人物
和田越後守
宛先
—
キーワード
勝岡諏訪大明神棟札、諏訪大明神、野々三谷、伊東氏、還宮、和田越後守、天文十二年
附録1-No.149文書確認度 中

上床国寿書状

上床国寿が土持大膳亮に、順喜の宿所と小舟の調達を頼んだ書状。町役人と相談して町近辺の空家を探し、順喜本人の負担で小舟一艘を借りられるよう取り計らうことを求め、関係諸氏への取次も依頼する。

登場人物
上床国寿、土持大膳亮、瀧聞越後守、市来石州、有馬主馬首、東殿、順喜、町役人
宛先
土持大膳亮殿御宿所
キーワード
上床国寿、土持大膳亮、順喜、町役人、空家、宿所、小舟、飲肥、瀧聞越後守、市来石州、有馬主馬首
追録5-No.2531-9副状旧記雑録暫定版確認度 高

幕府大目付副状

大目付が六月十四日、松平越後守・松平相摸守の留守居へ、秋元但馬守から渡された書付の写一通を送り、同席中へ漏れなく速やかに伝えるよう求める。返答については各自からの挨拶を要せず、それぞれ大井伊勢守へ知らせるよう指示する。

登場人物
大目付・秋元但馬守・松平越後守・松平相摸守・両名の留守居・大井伊勢守(満英)
宛先
松平越後守・松平相摸守の留守居(本文宛名)
キーワード
大目付・松平越後守・松平相摸守・留守居・秋元但馬守・書付写・同席通達・大井伊勢守
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 49-3書状・装束/旗規定旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

今川了俊書状

今川了俊が島津越後守に、参会の遅延を詫びつつ、錦の直垂は先代一代の免許であっても子孫が相続でき、大御用には着用してよいと伝える。一方、御旗は陣中で一流以外を用いず、所持しておくよう指示する。

登場人物
今川了俊、島津越後守(氏久公の原注)、先代・子孫(免許相続の記述)
宛先
島津越後守(氏久公の原注)
キーワード
今川了俊、島津越後守、錦の直垂、免許、相続、御旗、陣中
旧記雑録拾遺 著作史料集9-文書ID W05_文書0066書状旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

今川了俊書状

今川了俊が鳴津越後守へ、陣に出るため会参を翌日に延ばすと伝える。錦の直垂は先祖一代に御免があったなら子孫が相続して用いて差し支えないこと、軍旗はその陣で一流のほかを用いず所持することを述べ、対面の際に直垂の用い方について承りたいとする書状。

登場人物
今川了俊、島津氏久(鳴津越後守)
宛先
鳴津越後守殿
キーワード
今川了俊、島津氏久、鳴津越後守、会参、錦直垂、子孫相続、軍旗一流
後編1-No.645記録確認度 中

下大隅合戦従軍者交名

元亀三年九月二十七日の垂水早崎陣と、その後の禰寝・肝付方面の軍事・交渉に関与した将兵を列記する。大将島津歳久、肝付兼寛・鎌田外記・伊集院久春・上原尚近らのほか、禰寝重長との密議・和議を担った宝持院・八木越後守、新納忠元ら、天正元年三月十八日の西俣合戦で働いた島津忠長・樺山規久らを掲げる。

登場人物
島津歳久、肝付兼寛、鎌田外記、伊集院久春、上原尚近、野村兵部少輔、宝持院、八木越後守、新納忠元、伊集院久治、島津忠長、樺山規久
宛先
垂水早崎、禰寝、西俣
キーワード
下大隅合戦従軍者交名、元亀三年、垂水、早崎、島津歳久、禰寝重長、和議、新納忠元、西俣合戦、島津忠長、樺山規久
後編5-No.367文書確認度 中

島津家久書状案

相手の体調がまだ十分でないことを案じ、検校に祈念を頼み、薬と併せて回復を祈る。又三郎・又十郎・越後守の任官が決まったこと、まもなく暇を得て帰国する見込みも伝えた島津家久の仮名書状案。

登場人物
島津家久、むもし、検校、又三郎光久、又十郎忠直、越後守忠紀、弾正、お袋
宛先
むもし
キーワード
島津家久、むもし、病気、検校、祈念、薬、島津光久、島津忠直、島津忠紀、帰国
前編2-No.1901記事確認度 高

調所恒久伝

永正十五年十月、島津忠隆が申良城を陥れたのち忠朝・忠康らの働きを賞し、調所恒久の家系と所領・奉公の由緒を記した伝記記事。

登場人物
調所恒久、島津忠隆、島津豊後守忠朝、平山越後守忠康
宛先
—
キーワード
調所恒久、島津忠隆、島津忠朝、平山忠康、申良城、家系、所領、奉公、永正十五年
前編2-No.1938文書確認度 高

島津家老臣連署式日次第

島津家の家老臣が連署して定めた年中行事の式日次第。正月の祝儀・参賀から七夕まで、饗応、使者の派遣、社寺参詣、座敷での座次と役割を日付順に掲げ、田島・伊地知・本田・桑波田・石井ら家臣が担当する儀礼と家中運営の手順を示す。

登場人物
島津家老臣、田島駿河守、伊地知越後守、本田因幡守、桑波田観魚、石井旅也ほか
宛先
—
キーワード
島津家、家老臣、連署、式日次第、年中行事、祝儀、参賀、饗応、使者、社寺
前編2-No.2085記事確認度 高

調所恒房伝

大永七年三月二十二日、国老の平田職宗・肝付兼演・梶原景豊・池袋宗政・村田経董らが調所恒房へ国衙領内の坪付を授けたことを記す。

登場人物
調所恒房、平田右馬助職宗、肝付越前守兼演、梶原備前守景豊、池袋越後守宗政、村田越前守経董
宛先
—
キーワード
調所恒房伝、調所恒房、平田職宗、肝付兼演、梶原景豊、池袋宗政、村田経董、坪付、大永七年
後編1-No.199記録確認度 高

殉国名薮

永禄五年の郡山および六月三日の横川城合戦などで戦死した島津方の武士を列挙する殉国名簿。尾辻佐左衛門尉、貴島図書助をはじめ各地の従軍者名を伝える。

登場人物
尾辻佐左衛門尉、貴島図書助、新納越後守ほか永禄五年戦死者
宛先
—
キーワード
殉国名薮、永禄五年、郡山、横川城合戦、尾辻佐左衛門尉、貴島図書助、戦死者名簿
後編1-No.948記録確認度 高

日州御発足日々記

天正五年十二月七日から晦日までの日向進発を日次に記す。正八幡宮参詣中に福永丹波守の内応を知った義久が海路で出陣し、義弘の野尻入城、紙屋以下諸城の服属、正八幡宮への戦勝奉告、高原・紙屋・都於郡への進軍、福永への恩賞と鉄砲拝領、相良・佐伯方との使者往来、高城衆の降伏と人質収容を経て年を越した。

登場人物
島津義久、島津義弘、福永丹波守、米良越後守、相良義陽、佐伯宗天
宛先
—
キーワード
日州御発足日々記、島津義久、島津義弘、正八幡宮、野尻城、紙屋城、高原、都於郡、相良義陽、高城、人質、日向平定
後編5-No.261文書確認度 高

永井白元書状

永井白元が、公方の機嫌と尾張大納言の登城・御成の様子、数寄屋で供をした諸大名、代替わりの祝儀、翌月に予定される水戸殿の御成などを島津下野守へ報じた書状。

登場人物
永井白元、徳川家光、尾張大納言、水戸中納言、松平越後守、松平筑前守、毛利甲斐守、立花飛騨守
宛先
島津下野守
キーワード
永井白元、尾張大納言、御成、数寄屋、水戸中納言、諸大名、江戸
附録2-No.831文書確認度 高

島津家久書状

琉球へ下す使者について、川上式部太輔ら五人のうち誰を任命するのがよいか義弘の意見を求め、現地では鎌田左京亮が義弘の意向に従うよう申し付けると伝えた島津家久書状。

登場人物
島津家久、島津義弘、川上式部太輔、山田民部、市来八左衛門尉、頴娃氏、佐多越後守、鎌田左京亮
宛先
島津義弘
キーワード
島津家久、島津義弘、琉球、使者、人選、鎌田左京亮
旧記雑録拾遺 家わけ1-管理ID TMP-OF-P04-D004番号文書旧記雑録拾遺暫定版確認度 –

刊本標題:関東御教書

益山庄地頭忠澄と阿多別府郡司平氏女の、上野畠・阿世串原をめぐる相論を取り上げる。 阿多別府は嶋津庄内、益山庄は八幡宮弥勒寺領と記す。 嘉禎二年六月の御教書と本所下知を挙げ、氏女が従わないとの申述に言及する。 事実であるなら早く本所成敗に従うよう下知すべき旨を、相模守殿・越後守殿へ伝える。

登場人物
忠澄、平氏女、棟請法印(原表記・比定未確認)、前武藏守(原表記・比定未確認)、相模守殿、越後守殿
宛先
相模守殿、越後守殿
キーワード
関東御教書、相論、本所成敗
旧記雑録拾遺 著作史料集5-文書ID A:36-1文書旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

諏訪神事頭屋一件書出

諏訪神事の頭屋・居頭役について、慶長五年・七年の役割分担を記した古書を挙げ、頭役、献役、幣役、宿などの担当者を列挙する。伊地知季安は、本田氏・新納家・平田家などの伝承や社役帳を照らし、担当家の組合とその変遷、神事の古い作法を考証する。また大口の諏訪神事にも触れ、慶長十二年・十八年の記録を挙げて鹿児島の頭屋との関係を推測する。

登場人物
諏訪神事頭屋一件、一建前一鵬一議一繕門、一御頭股左寺山四郎、殿二男右圏分五、幣役喜兵衛、新三献源十郎、相伴肝付越後守、初献与九郎
宛先
子側一建前一鵬一議一繕門、一御頭股左寺山四郎左衛門、幣役喜兵衛、新三献源十郎、相伴肝付越後守、初献与九郎、三献狩野介肢弐献次左衛門、伴賀治木加右衛門殴舶肝田、左直摂州仮屋右三代主膳正、衛門殴嫡子右撞渡賀左衛門、宗蓮老右宿平田九郎左衛門、然共
キーワード
諏訪神事頭屋一件書出、家譜編集、系図・由緒、寺社・宗教、朝鮮
旧記雑録拾遺 著作史料集5-文書ID F:213-1日記旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

新納仲左衛門忠雄日記

新納仲左衛門忠雄日記の抜書。元和九年から寛永十六年まで、主君への出仕や江戸・鹿児島での行動、移動・宿泊、茶・酒・刀・馬などの拝領と贈答、家中の出来事を日付順に記す。

登場人物
新納仲左衛門忠雄日、又八郎、右馬頭、一晩付右馬頭、馬頭殿内衆北郷、北郷越後守、一御曹子、一文八郎
宛先
殿様御父子御下屋敷、又八郎、右馬頭殿、一晩付右馬頭殿、馬頭殿内衆北郷、北郷越後守、一御曹子様吾等所、一文八郎、一五月九日、一御曹子様、鹿府、殿様、同壱貫文御老中、鎌左京亮殿、屋形、我等、生高、一僧衆屋形、泰椿東漸寺内、一殿、江戸、又御家、備
キーワード
新納仲左衛門忠雄日記、寺社・宗教、領地・地頭職、軍事・武具、鹿児島、大隅、日向、江戸、京都、伊勢、肥後、福昌寺、出水
追録8-No.218-1口上覚(条目写・別紙の回覧)旧記雑録暫定版確認度 中

松平越後守使者口上覚(条目写の順達・返却)

条目写し一通と別紙一通の回覧に関する、松平越後守の使者の口上覚。九月二十六日、牧野備前守宅で家来が受け、大広間四品以上の諸方へ順に伝えるよう命じられたので、使者を介して両書を渡すと述べる。受領を承知した旨は各自から備前守へ届け、順達が済み次第、条目写しと別紙をこちらへ返すよう求める。先へ順達する場合は別紙を添え、松平加賀守にも同様に渡してあり、残る同席の諸方へは加賀守から通達があるはずだとする。本文注記は越後守を津山藩主斉民とする。

登場人物
松平越後守斉民(津山藩主・本文注記)、使者、牧野備前守忠雅、松平加賀守、大広間四品以上の諸方、同席の残る諸方
宛先
大広間四品以上の諸方へ順達する旨
キーワード
口上覚、条目写一通、別紙一通、九月廿六日、牧野備前守宅、大広間四品以上、使者順達、各自受領届、別紙添付、写し返却、松平加賀守
旧記雑録拾遺 家わけ1-管理ID TMP-P02-CONT-A23系譜導入記事旧記雑録拾遺暫定版確認度 –

管理表題:北條越後守仲時同姓丹波守…二通有之記左

北條越後守仲時・同姓丹波守の在判書二通があるとして、以下に掲げる。

登場人物
北條越後守仲時、同姓丹波守
宛先
—
キーワード
系譜導入
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w1:9-1系図旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

鎌田政真和歌

鎌田政真の槿花の奇瑞に伴う朝顔二首の和歌を掲げ、鎌田家系を続記する。政春(治部左衛門尉)の系では、大炊助が島津義久の菱刈院馬越攻略に従い、永禄十年十一月二十三日に軍功を立てて戦死した。政在は嗣子のない大炊助の養子で、実は佐多久越後守の弟とされ、薩摩・大隅・日向三州および肥後・筑後・豊後六州の軍場に従い、向島地頭を長年務めた。後裔の政貞は鶴田地頭、政栄は平松・吉松・野田・小根占・大姶良・田代・田布施の地頭を歴任して明暦二年に御使役となり、国治は比志島義之の養子となった。各人の出生・死没・法名、婚姻、早世記事も収める。

登場人物
鎌田政真、鎌田政春、島津義久、鎌田政在、佐多久越後守、鎌田政貞、鎌田政栄、税所篤清、鎌田国治、比志島義之、鎌田政高、吉田康清、川上忠暁、渋谷重良
宛先
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キーワード
鎌田政真、朝顔和歌、鎌田政春、菱刈院馬越、永禄十年戦死、鎌田政在、佐多久越後守、向島地頭、六州軍役、鎌田政貞、鶴田地頭、鎌田政栄、七か所地頭、御使役、鎌田国治、比志島義之、養子、婚姻、早世
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w5:130-23文書・坪付抄/市来院伊作田名一町七反旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

薩摩国市来院伊作田名坪付抄

十二月二十七日、薩摩国市来院伊作田名一町七反の坪付について、個々の坪付本文を「末略」として総面積だけを掲げ、池袋越後守宗政・村田越前守経定・平田右馬助清宗が連署して河上山城守へ渡した抄録。傍注は、天文三年九月十四日に大将として南郷を攻め、勝てずに討死した人物を家林かと推定する。付随系譜は平左衛門尉と二人の女子を掲げ、一人を河上越前守妻、もう一人を町田伊賀守妻とする。

登場人物
池袋越後守宗政、村田越前守経定、平田右馬助清宗、河上山城守、平左衛門尉、河上越前守、町田伊賀守、家林(比定傍注)
宛先
河上山城守殿
キーワード
薩摩国市来院伊作田名坪付抄、十二月二十七日、薩摩国、市来院、伊作田名、一町七反、坪付、末略、池袋越後守宗政、村田越前守経定、平田右馬助清宗、河上山城守、天文三年九月十四日、南郷攻め、討死、家林比定、平左衛門尉、河上越前守妻、町田伊賀守妻、付随系譜
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w6:7系図・伊地知家庶流分派一覧旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

伊地知家庶流

伊地知家の祖系から分かれた庶流十五系統を、分岐した代数・男子の出生順・祖の名や官途ごとに列挙する一覧。季随六男裳輪将野介流、季弘の二男左馬介・三男重貞・四男重春の各流、季豊三男重之流、持季流、小牟田小三郎流、重持二男左馬介流、重豊二男河内守流などを挙げ、後裔の伊地知姓称用、木工右衛門・刑部左衛門・淡路守・伊白らの通称、高岡士・飯野士などの居住・身分を付記する。重持二男流では重貞が家老職に補され後に誅され、嫡子重兼も同日に誅されたこと、弟越後守重房の系統が伊地知越右衛門へ続くことも示す。

登場人物
季随、裳輪将野介、重村、重房、重長、季弘、重貞、重勝、重年、重春、重之、持季、小牟田小三郎、重元、重持、重兼、重房(越後守)、重豊、淡路守、伊白、重弘、重周、重成、重武、重屋
宛先
—
キーワード
伊地知家庶流、庶流十五系統、季随、裳輪将野介、季弘、重貞、重春、季豊、重之、持季、小牟田小三郎、重持、重兼、越後守重房、重豊、河内守、淡路守、伊白、重弘、重周、重武、高岡士、飯野士、家老職、伏誅、伊地知姓、分家一覧
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:365文書旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

六波羅施行状

六波羅が、大隅国祢寝院南俣内の用松名・下直世村地頭職について、同年十月十六日の関東御下文の旨に任せ、受給者をその職に就けて先例どおり沙汰するよう命じた施行状。丹波守・越後守が連署する。正応四年十一月四日付。

登場人物
丹波守平朝臣、越後守平朝臣
宛先
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キーワード
六波羅施行状、丹波守平朝臣、越後守平朝臣、祢寝院南俣、用松名、下直世村、地頭職、関東御下文、施行、正応四年
旧記雑録拾遺 著作史料集7-文書ID w08:4今川了俊書状旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

今川了俊

今川了俊が島津越後守に、錦の直垂は先祖以来の使用なら許されると答え、白旗については陣中一流に限ると伝える。旗と装束の使用資格を示す書状。

登場人物
島津越後守
宛先
―
キーワード
今川了俊、島津越後守、錦直垂、白旗、永和元年
後編2-No.327文書確認度 中

伊集院久信書状

伊集院久信が三名からの問い合わせに答え、豊臣秀吉が必ず大口へ進軍すると見込まれる状況を報じた書状。五月二十一日に宮城を攻めたが堅固なため津留田へ退き、近く秀吉が大口へ向かうと伝える。自分の内意として、ここで弓箭を構えて上方の大軍に抗するのは甚だ不利で迷惑を招くとして、抵抗回避を勧めている。

登場人物
伊集院久信、豊臣秀吉
宛先
瀧聞越後守・土持大膳亮・二階堂阿波守
キーワード
伊集院久信書状、伊集院久信、豊臣秀吉、大口、宮城、津留田、進軍、抗戦回避、瀧聞越後守、土持大膳亮、二階堂阿波守
追録6-No.1261記事旧記雑録暫定版確認度 中

留守居の会合席順を主人の官位へ改める照会の記事

以前から江戸に留守居を置くのは諸国とも同じで、京都・大坂の藩邸にも同様の者がいて旧称蔵奉行とする小字注を伴う。公用の会合では主人である諸侯の爵位に従わず、留守居自身の年功で席次を決めていたが、その由来は明らかでなく、次第にそうなったのだろうと述べる。自家と大廣間で同列となる諸侯として、仙臺の松平陸奥守重村、熊本の細川越中守重賢、福岡の松平筑前守継高、萩の松平大膳大夫重就、佐賀の松平肥前守治茂、津の藤堂和泉守高敦、鳥取の松平相模守重寛、徳島の松平阿波守治昭、高智の松平土佐守豊雍、久留米の有馬中務大輔頼僮、秋田の佐竹右京大夫義敦、米澤の上杉弾正大弼治憲、柳河の立花左近将監鑑通、津山の松平越後守康致、宇和島の伊達遠江守村候、対州府中の宗対馬守義暢を列挙し、共十七家の注を付す。安永四年の首夏、留守居参会について二箇条を作り、その弊を救うため同列へ報じ、可否を問うたと記す。受け入れた者として松平重村・細川重賢・松平重就・松平重寛・松平康致・有馬頼僮・上杉治憲を挙げ、示問の書は左方に収めるとする。諸侯の格式と家来個人の年功、照会先の列挙と賛同者を分け、全国一律の席次改正命令や、全家が同意して改正を実施したとはしない。重寛の名には推読を示すカ注もある。

登場人物
重豪、諸国留守居、松平陸奥守重村、細川越中守重賢、松平筑前守継高、松平大膳大夫重就、松平肥前守治茂、藤堂和泉守高敦、松平相模守重寛、松平阿波守治昭、松平土佐守豊雍、有馬中務大輔頼僮、佐竹右京大夫義敦、上杉弾正大弼治憲、立花左近将監鑑通、松平越後守康致、伊達遠江守村候、宗対馬守義暢
宛先
同列の諸国留守居(照会先、独立宛書なし)
キーワード
江戸留守居、京都大坂蔵奉行注、公用出会、主人爵位と己年功、由来未詳、大廣間同列、共十七家、安永四年首夏、二箇条示問、可否照会、重村重賢重就重寛康致頼僮治憲賛同
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 49-8軍事記事考証旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

伊地知季安記事

季安が月・杉の軍勢と『太平記』の十五夜・月弓の記事を引き、五手に分かれた陣編成を考証する。新納殿を越後守実久とし、その手に御一家の衆、杉の手の大将本田信濃守重親に地家の御内衆が付いたと解する。北原を梶原氏とみなし、左近尉の御幡指に関する記載と結び付ける。

登場人物
伊地知季安、新納越後守実久、本田信濃守重親、北原氏、梶原氏、左近尉
宛先
なし
キーワード
太平記、月・杉の軍勢、五手、新納実久、本田重親、御一家、地家の御内衆、北原氏、梶原氏、御幡指
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 50社参行列・随兵人数書上旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

島津忠昌社参随兵人数書上

文亀四年二月の御屋形様の正八幡宮初社参について、十四日の鹿児島出立、十五日の社参・下向などの日程を記す。河上筑前守の先うちから各方の供衆まで、殿原・中間・小者の人数、太刀・槍・弓うつぼ等の武具、服装・馬具を列挙し、末尾に惣人数三百七十一人、伊地知越後守重實と記す。冒頭には文政十年に伊集院新之允本を書写した旨の注がある。

登場人物
島津忠昌、河上筑前守(忠直)、松本新左衛門尉、小玉十郎兵衛尉、野弘新六、肝付越前守(兼国)、伊集院刑部少輔(久盈)、伊地知周防守(重良)、伊地知越後守重實(本文末署名)、伊集院新之允(写しの出典)ほか
宛先
なし
キーワード
島津忠昌、正八幡宮、社参、随兵、行列、武具、人数書上
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w6:13-5同文省略・島津忠国書状/牛屎・淵辺家系譜・家伝旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

島津忠国書状(同文省略)・牛屎淵辺家系譜

冒頭は『諸家系図文書』10の7号文書と同一のため島津忠国書状を省略する。参照先は忠国が牛屎へ、菱刈方から詳細を聞いて早く来訪・決断するよう催し、対面を望んだ二月二十日付書状である。久元(牛屎越後守・法名光久)は永享十年の福昌寺仏殿造営勧進で、羽月元忠・山野頼元・北原久兼ら八十七人とともに馬一疋分の代銭を奉加した。歓元(同越後守・法名光秀)は文正二年梅雨吉日に牛屎家系図一巻を作り、薩摩守陳元から元親までの系譜を収め、文正元年から文明九年までの島津家系図・覚書も伝えた。応仁元年、牛屎院の兵乱で一門が日向真幸院へ移り、北原家との親族関係を頼ったこと、元親が大隅守・法名梅岳源春を称したこと、重元が永正六年に六十余歳で鷹書一冊二十五枚を書いたことを記す。天文十二年三月二十七日、実元は牛屎家先祖を覚書や本朝の大家系図と照合して記し、宗実兄弟が源頼政嫡子・仲綱の娘を母とし、建久七年に頼朝の恩免を受けて遠流先の薩摩へ下向し、羽月・山野・平泉を与えられ、子孫が牛屎・淵辺を称したとの家伝を載せる。元継の女子は兄弟不和のなか系図・文書を保持し、国分御前様に仕えた後に加藤金右衛門へ嫁いだため古文書が加藤家へ伝わり、頼朝御教書は公用のため提出されたとする。淵辺主計元継は慶長・元和の上地や宮越との田地争論で知行を減らし、寛永頃には約十石となった。弥兵衛は家に凶事が多く繁昌しないため母方の淵辺へ名字を改め、肥後の聖山伏を氏神として正宮・荒神宮に祀ったとし、元亀三年五月四日の真幸院における義弘と伊東家の合戦で五十四歳で戦死した。元秋は栗野に生まれ、父の戦死後に飯野・栗野を移り、伊東・大友との戦いを経て天正十五年豊後で戦死した。重綱は井手石氏の養子となり川上忠智に仕え、肥前深江・筑州岩屋城・朝鮮で戦い、朝鮮で左手を負傷して退き、加治木・鹿児島へ移って八十四歳で没した。元貞は父元秋の戦死後、十三歳で義弘に召し出され、吉松鶴丸村二十五石と栗野木場村三十石、計五十五石を与えられた。十五歳で義弘に従って朝鮮へ渡り、忠恒に近習・小姓として仕え、良右衛門の名、包清の脇指や衣裳を拝領し、のち帖佐・平松・加治木・鹿児島へ移住して、万治元年に百二十三石を持って隠居した。

登場人物
島津忠国、牛屎、久元(牛屎越後守・法名光久)、牛屎越後守久元、羽月豊後守元忠、山野因幡守頼元、北原周防守久兼、歓元(牛屎越後守・法名光秀)、元親(右衛門尉・法名梅岳源春)、重元(牛屎権守・法名龍永)、実元(牛屎平二郎)、盛元(牛屎権之允)、宗実、源頼政、伊豆守仲綱、源頼朝、忠齊、元継(淵辺主計・牛屎隠岐)、加藤金右衛門妻、国分御前様、宮越、弥兵衛(牛屎・淵辺、法名一庵道慶)、島津義弘、伊東家、弥兵衛妻(妙金禅定尼)、元秋(淵辺平五郎・平内左衛門、法名祖栄昌範)、元綱、元次、元英、元智、元任、元珍、元矩、井手石五郎兵衛重綱(月江浄西)、川上忠智、川上忠堅、元貞(淵辺宮千代・平内左衛門・良右衛門、法名善林宗樹)、島津忠恒、豊臣秀吉
宛先
牛屎殿(参照先w6:10-7の宛所)
キーワード
島津忠国書状、同文省略、諸家系図文書10の7、牛屎家、淵辺家、福昌寺仏殿造営、馬代銭奉加、八十七人、歓元、文正二年牛屎家系図、島津家系図、応仁元年牛屎院兵乱、日向真幸院、北原家、重元鷹書、天文十二年実元覚書、宗実、源頼政、伊豆守仲綱、建久七年、頼朝恩免、薩摩下向、羽月、山野、平泉、加藤金右衛門妻、国分御前様、古文書伝来、頼朝御教書、上地、田地争論、名字変更、牛屎から淵辺、正宮、荒神宮、元亀三年真幸院合戦、島津義弘、伊東家、天正十五年豊後戦死、井手石重綱、肥前深江、筑州岩屋城、朝鮮出兵、左手負傷、元貞、五十五石、忠恒近習、小姓、包清脇指、帖佐、加治木、鹿児島、万治元年、百二十三石
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID shige:3-33記録・人数書旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

島津忠昌社参随兵人数書

文亀四年二月、島津忠昌が正八幡宮へ初めて社参した際の随兵人数書。十四日に鹿児島を出立、十五日に社参・帰還、十六日に先打ちとし、河上筑前守以下の随兵と武具を列挙する。合計三百七十一人とし、重久孫七を伊地知越後守重實に比定する。

登場人物
島津忠昌、重久氏一族、伊地知越後守重實
宛先
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キーワード
島津忠昌社参随兵人数書、文亀四年、正八幡宮、鹿児島、河上筑前守、重久孫七、伊地知重實、随兵、武具、三百七十一人
旧記雑録拾遺 著作史料集9-文書ID W06_文書0141自記旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

長谷場越前自記

義弘を御太将として、歳久・右馬頭・圖書頭・河上上野守・北郷一雲らの名を列挙する自記の抄録。新納武蔵守、伊集院右衛門太夫・美作守、新納越後守も記載される。前後の耳川合戦の記事は省略したと注記されている。

登場人物
長谷場越前、島津義弘、歳久、右馬頭、圖書頭、河上上野守、北郷一雲、同次郎、薩摩守、喜入摂津守、新納武蔵守、伊集院右衛門太夫、同美作守、新納越後守
宛先
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キーワード
長谷場越前自記、御太将義弘、歳久、諸将、耳川合戦前後の省略
旧記雑録拾遺 家わけ1-管理ID KW1-P01-39f4516f-D0020番号文書/大隅國守護代名越朝時執事某奉書旧記雑録拾遺暫定版確認度 –

現行表題(出所留保):大隅國守護代名越朝時執事某奉書

建部清綱が代々の御下文を帯して知行する大隅國祢寢院南俣地頭職について、曾木太郎重能の訴えにより双方を問注すべきことを記す。 重能は参上せず、智源三郎政茂が重能の譲状を得たとして関東へ参上し、問注を求めたという。 清綱は幼少で、一腹の舍兄伴太郎兼親も病気のため遅れており、政茂の上洛を挙げつつ、清綱を従前どおり安堵する。 重能がなお問注を望む場合は再び召し合わせる旨を示し、越後守殿の仰せとして執達する。

登場人物
建部清綱、曾木太郎重能、智源三郎政茂、伴太郎兼親、越後守殿
宛先
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キーワード
南俣、地頭職、問注、幼少、病気、安堵