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『旧記雑録』前編・後編・附録10冊と追録1~8(暫定版)、『旧記雑録拾遺 伊地知季安著作史料集1~9』『家わけ1』(暫定版)、関連史料(外伝)『島津世禄記』の46,754件を横断検索できます。検索範囲は史料群・巻を組み合わせて選べます。結果は50件ずつ表示します。

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37 件 (全巻)/ 1–37件を表示

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後編2-No.1069文書確認度 高

島津義弘・同久保連署宛行状

公儀の使者として奥地の陣へ赴く薩摩衆を命じたところ、猿渡掃部兵衛尉が異議なく引き受けたことを「無比類」と賞する。 無事に帰国した際には、この軍忠に対して知行を宛て行うと島津義弘・久保が連署して約束した。危険な使者任務と恩賞を直結させた宛行状。

登場人物
島津義弘、島津久保、猿渡掃部兵衛尉
宛先
猿渡掃部兵衛尉
キーワード
島津義弘、島津久保、猿渡掃部兵衛尉、公儀使者、奥陣、薩摩衆、軍忠、知行宛行、帰国、連署状
後編1-No.434記録確認度 高

長谷場越前自記

永禄十一年三月二十三日、球磨・大口・入来院・祁答院・東郷勢が曽木城を攻めたが、城将宮原景種・越中守と佐多勢が防いだ経過を記す。敵は曽木を退いて市山城へ向かい、負傷療養中の新納忠元が出陣して白坂口を守った。さらに永福寺口で本田掃部兵衛尉・河野玄蕃允・長谷場菊四郎らが防戦し、敵将を鉄砲で倒して退却させた。

登場人物
長谷場越前、宮原景種、宮原越中守、佐多氏、新納忠元、吉田治部少輔、西国主馬允、本田掃部兵衛尉、河野玄蕃允、長谷場菊四郎ほか
宛先
—
キーワード
長谷場越前自記、永禄十一年、曽木城、宮原景種、佐多氏、市山城、新納忠元、白坂、永福寺、本田掃部兵衛尉、河野玄蕃允、鉄砲、防戦
後編2-No.535文書確認度 高

島津義久書状案

義久が石田三成へ、秀吉から命じられた大仏殿用の柱を調達するため、直ちに屋久島へ使者を派遣し、市来掃部兵衛も上洛させる予定だと報告する。 一方で国中は疲弊し、義弘父子が長く在京しているため家中の立て直しも困難だとして、帰国実現への取り成しを懇願する。豊臣政権の造営負担と島津領国の窮状が同時に見える書状案。

登場人物
島津義久、島津義弘、久保、石田三成、市来掃部兵衛
宛先
石田殿
キーワード
島津義久、島津義弘、石田三成、屋久島、市来掃部兵衛、東山大仏殿、巨柱調達、在京、帰国許可、領国疲弊
後編2-No.1029記事確認度 高

島津義弘譜

平壌退却後、朝鮮の群盗が王城―釜山間の往還を塞いだため、奉行衆が咸鏡道の加藤清正を王城へ戻して鎮圧させる方針を決める。 敷根仲兵衛が使者を志願し、猿渡掃部兵衛と鉄砲の巧者百人を伴って甲山城へ赴き、清正に帰城命令を届けた経過を記す。 島津家臣が危険な連絡路を突破し、全軍の再編命令を伝えた具体的な軍使活動が分かる。

登場人物
島津義弘、加藤清正、敷根仲兵衛、猿渡掃部兵衛、増田長盛、石田三成、大谷吉継
宛先
—
キーワード
島津義弘、加藤清正、敷根仲兵衛、猿渡掃部兵衛、咸鏡道、甲山城、群盗、王城、釜山、鉄砲衆、軍使
後編2-No.1065記事確認度 中

征韓偉略

咸興の加藤清正が明使から朝鮮王子の引渡しを条件に帰国を促されるが拒絶し、宇喜多秀家らからも明軍接近と釜山路遮断を理由に帰陣を求められた経過を記す。 交渉使の人選が難航するなか島津義弘が引き受け、敷根伊兵衛・猿渡掃部兵衛に鉄砲兵二百人を付け、敵地を十余日進んで清正へ書状を届けさせた。島津方の危険な使者任務が分かる記事。

登場人物
加藤清正、宋応昌、宇喜多秀家、鍋島直茂、島津義弘、敷根伊兵衛、猿渡掃部兵衛
宛先
—
キーワード
加藤清正、宋応昌、島津義弘、敷根伊兵衛、猿渡掃部兵衛、咸興、朝鮮王子、鉄砲兵二百人、敵地通過、帰陣交渉
後編3-No.612記事確認度 高

島津家久譜

島津家久譜が、慶長三年十二月六日に対馬を出帆して壱岐勝本へ着き、翌日迫門で松浦法印刑部卿の盛大な饗応を受けた帰航経路を記す。あわせて、朝鮮で前代未聞の怯弱を示した深野掃部兵衛・長崎六郎左衛門を軍勢の前で処刑し、鮫島筑右衛門尉が深野の首を斬ったこと、深野の息子二人は死罪を免じて帰国させたことを記す。

登場人物
島津家久(忠恒)、松浦法印刑部卿、深野掃部兵衛、長崎六郎左衛門、鮫島筑右衛門尉、深野掃部兵衛の息子二人
宛先
—
キーワード
島津家久譜、対馬出帆、壱岐勝本、迫門、松浦法印饗応、軍律処分、怯弱、深野掃部兵衛、長崎六郎左衛門、鮫島筑右衛門尉、息子赦免
後編3-No.1153文書確認度 高

島津義弘(惟新)書状

島津義弘(惟新)が少将殿へ、上方の騒乱が際限なく続き、手勢が乏しく言語に尽くせない状況であるため、少しも油断せず人数を上らせるよう求める。三月以来たびたび申し下しているのに実現していないと指摘し、詳しい様子は市成掃部兵衛が条書で伝えるとする書状。

登場人物
島津義弘(惟新)、島津忠恒(家久・少将)、市成掃部兵衛
宛先
島津忠恒(家久・少将)
キーワード
島津義弘(惟新)書状、少将殿、上方騒乱、手勢不足、人数上洛、三月以来催促、市成掃部兵衛、条書
後編3-No.1574文書確認度 高

近衛信尹書状

近衛信尹が、帰国する掃部兵衛に書状を託し、龍伯の上洛を待つ人々がいるとの京都の風聞を伝える。長十郎について玄旨からの依頼に応じ、慰めの言葉を添えるよう求めた。

登場人物
近衛信尹、島津忠恒(家久)、掃部兵衛、島津義久(龍伯)、長十郎、玄旨
宛先
鹿児島少将(忠恒)
キーワード
近衛信尹書状、閏十一月六日、近衛信尹、島津忠恒、鹿児島少将、掃部兵衛、島津義久、龍伯、京都、上洛待望、長十郎、玄旨
後編3-No.1798文書確認度 高

島津義久書状案

島津義久の書状案。親王の筆になる名号八幅、家門の書状、加賀手綱五通などの拝領に礼を述べ、義弘らにも尊筆が届いたと報告する。市成掃部兵衛尉の下向に続き使者を遣わし、黒絹一巻を進上した。

登場人物
島津義久、近衛前久(大蔵入道)、親王、島津義弘(惟新)、島津忠恒(少将)、市成掃部兵衛尉
宛先
近衛前久(大蔵入道)
キーワード
島津義久書状案、慶長八年三月、島津義久、近衛前久、大蔵入道、親王、名号、尊筆、島津義弘、惟新、加賀手綱、市成掃部兵衛尉、黒絹、贈答礼
後編4-No.1061文書確認度 中

島津義弘書状

慶長十八年十月二十五日、島津義弘が、伊勢兵部少輔の上京と市成掃部兵衛妻の下向を聞き、京都への往復を急ぐよう述べるとともに、大名が集住する江戸では評判や風聞が立ちやすいとして、身持ちを慎み家臣を統率し、再会まで無事に勤めるよう訓戒した書状。

登場人物
島津義弘、伊勢兵部少輔、市成掃部兵衛妻、在府大名、島津家中
宛先
—
キーワード
島津義弘書状、伊勢兵部少輔、市成掃部兵衛妻、京都、江戸、大名集住、風聞、家臣統率、訓戒
後編3-No.1535文書確認度 高

伊集院久治・山田有信連署状

伊集院久治と山田有信が鎌田政近に、龍伯を迎える上方使者の下向や龍伯帰国の風聞を報じる。当国衰微で諸式が整わない事情を述べ、情報収集と周到な対応を求めた連署状。

登場人物
伊集院久治(抱節)、山田有信(理安)、鎌田政近、島津義久(龍伯)、市来掃部兵衛尉
宛先
鎌田出雲守(政近)
キーワード
伊集院久治(抱節)、山田有信(理安)、鎌田政近、島津義久(龍伯)、市来掃部兵衛尉、上方使者、帰国風聞、当国衰微
附録1-No.115文書確認度 高

海老原為信書状

海老原為信が、過去の物品立替に伴う借状と借用金の精算について本田助丞へ回答した書状。複数の借用案件と同様に初秋に精算する方針であること、関係者にも繰り返し申し入れており、自身も処理を怠っていないことを説明する。

登場人物
海老原為信、本田助丞、伊平左、伊主馬、内山采右、伊地知掃部兵衛
宛先
本田助丞殿人々御返報
キーワード
海老原為信、本田助丞、伊平左、伊主馬、内山采右、伊地知掃部兵衛、借状、借用、精算、初秋
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID sar:24-29文書旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

島津義弘・久保連署宛行状

島津義弘・久保が猿渡掃部兵衛尉に与えた二月十九日付の連署状。公儀の使者として奥陣へ赴き、薩摩衆への命令を伝える役を異議なく引き受けたことを比類ない軍忠と評価し、帰国後に知行を宛行う旨を約する。

登場人物
島津義弘、島津久保、猿渡掃部兵衛尉
宛先
猿渡掃部兵衛尉
キーワード
島津義弘、島津久保、猿渡掃部兵衛尉、二月十九日、奥陣、公儀使、薩摩衆、軍忠、知行宛行
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID sar:24-30文書旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

石田三成感状并猿渡氏家譜・由緒考証

二月二十九日付の石田三成書状は、猿渡掃部兵衛の遠国での辛労と無事帰陣を賞し、今後の用向きへの配慮を伝える。後半は伊地知季安が猿渡氏の系譜、島津氏への奉公、知行・家格、武具・家財、相続と分家間の争論を諸記録から考証し、元禄十五年十一月六日付猿渡信安書状までを収める。

登場人物
石田三成、猿渡掃部兵衛、島津義弘、島津久保、猿渡信安、鎌田六郎大夫
宛先
猿渡掃部兵衛、鎌田六郎大夫
キーワード
石田三成感状、猿渡掃部兵衛、猿渡氏家譜、島津義弘、島津久保、猿渡信安、軍忠、知行、家格、相続、家財、元禄十五年
後編1-No.435記録確認度 高

箕輪伊賀覚書

永禄十一年三月二十三日、相良・菱刈・入来院・東郷・祁答院勢が曽木城を攻めた際、宮原景種・越中守と佐多山城守らが防戦したことを記す。敵は攻めあぐねて市山城へ転じたが、手傷を負っていた新納忠元が白坂口へ出て迎撃し、永福寺口でも本田掃部兵衛・河野玄蕃允らが戦ったため退いた。

登場人物
箕輪伊賀、宮原景種、宮原越中守、佐多山城守、佐多経久、新納忠元、吉田治部少輔、西田主馬允、本田掃部兵衛、河野玄蕃允ほか
宛先
—
キーワード
箕輪伊賀覚書、永禄十一年、曽木城、相良氏、菱刈氏、入来院、東郷、祁答院、宮原景種、佐多山城守、市山城、新納忠元、白坂、永福寺
後編3-No.607記事確認度 高

島津義弘譜

島津義弘譜が帰航途中の動静を記す。十二月五日に鴨瀬を出帆し、義弘父子は対馬で宗義智の饗応を受け、立花宗茂・島津忠豊も同席した。翌六日に対馬を発ち、壱岐勝本を経て迫門へ着き、松浦法印の酒宴を受ける。一方、朝鮮で前代未聞の怯弱を示したとして深野掃部兵衛・長崎六郎左衛門を軍勢の前に引き出し、鮫島筑右衛門尉に処刑させたことも記す。

登場人物
島津義弘、島津忠恒、宗義智、立花宗茂、島津忠豊、松浦法印刑部卿、深野掃部兵衛、長崎六郎左衛門、鮫島筑右衛門尉
宛先
—
キーワード
島津義弘譜、朝鮮帰航、鴨瀬、対馬、宗義智饗応、立花宗茂、島津忠豊、壱岐勝本、松浦法印、家臣処罰、怯弱、鮫島筑右衛門尉
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID sar:24-28記録・覚書旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

『征韓録』文禄二年正月条抄并猿渡掃部兵衛軍功考証

『征韓録』巻十一から、文禄二年正月に加藤清正が甲山から帰陣して北青城の相良頼房を救援した記事を抄出する。島津義弘が敵地を通る使者に猿渡掃部兵衛らを選び、鉄砲火の中を突破して軍情を伝えた軍功を考証し、義弘・久保の感状と石田三成書状へ続くことを示す。

登場人物
加藤清正、相良頼房、島津義弘、猿渡掃部兵衛、島津久保、石田三成
宛先
—
キーワード
征韓録、文禄二年正月、加藤清正、相良頼房、島津義弘、猿渡掃部兵衛、甲山、北青城、敵地通過、軍功
後編1-No.1178記録確認度 高

長谷場越前自記

天正八年十月十五日、島津方の兵船数百艘が矢崎城下へ着き、鬨の声を上げ火矢で放火して攻め上った。中村一太夫ら城兵は妻子を殺して切り出て戦い、島津方も市来備前守ら多数が戦死した。翌日青田城を和議で開城させ、城兵を阿蘇領へ送り、宇土で負傷者を養生し戦死者を弔った後、二十九日に熊本へ陣替えした。

登場人物
新納忠元、鎌田政年、伊集院久治、中村一太夫、中村二太夫、市来備前守、長野民部少輔、上原内蔵助、黒木掃部兵衛尉ほか
宛先
—
キーワード
長谷場越前自記、矢崎城、火矢、兵船、中村一太夫、青田城、開城、戦死者供養、熊本陣替
後編3-No.640文書確認度 高

伊勢貞昌書状

伊勢貞昌が、朝鮮からの撤兵時に小西行長の籠る城が漢南・高麗勢に包囲された際の救援と海戦を報告した書状。立花飛騨守・宗対馬守・高橋主膳らとの協議、島津方の番船・迎船、敵の火攻めによる船の焼失、負傷・戦死、漂流者の救助、退路確保と乗船の混乱を述べ、帰国後も国政に油断なく励むよう求める。

登場人物
伊勢貞昌、島津忠恒、島津義弘(惟新)、小西行長、立花飛騨守、宗対馬守、高橋主膳、五代勝左衛門尉、深野掃部兵衛ほか
宛先
野州様人々御中
キーワード
伊勢貞昌書状、野州様、朝鮮撤兵、小西行長、順天城、島津水軍、火攻め、番船、救援、漂流者、帰国
後編3-No.733文書確認度 高

西俣七兵衛証状

西俣七兵衛が、幸侃の縁者らを東福寺へ見舞った際の交際と談話、庄内へ置いた者への書状の伝達、幸侃家中の桃山蔵允へ刀を譲った経緯を証言する。処罰に及んでも偽りは申さないとして、後日の証拠となるよう条々を書き上げる。

登場人物
西俣七兵衛、幸侃、東郷彦右衛門尉、八代民部左衛門尉、相河山伏東福坊、市成掃部兵衛尉、津留拾郎右衛門尉、大田清右衛門尉、桃山蔵允
宛先
旅庵老、比志嶋大膳允殿、長濱与一兵衛殿、久冨但馬入道殿
キーワード
西俣七兵衛証状、幸侃、東福寺、庄内、見舞、書状伝達、刀譲渡、証言、後日証跡、慶長四年四月卅日
後編3-No.1401記録確認度 高

桐野掃部覚書抜書

桐野掃部が関ヶ原で島津義弘(惟新)の側に奉公し、九月十五日から駒野越え、伊勢路、土山、伊賀、山城、住吉、堺を経て二十一日に乗船し、帖佐まで供奉した経路を記す。途中では負傷者の処置、米の調達、田辺屋道春への迎え依頼や堺の見聞を担当し、他の御側衆同様の加増を願い出た。

登場人物
桐野掃部、島津義弘(惟新)、須田博士、南郷覚右衛門、帖佐彦左衛門、白坂興竹、伊地知掃部兵衛
宛先
該当なし
キーワード
桐野掃部覚書抜書、桐野掃部、島津義弘(惟新)、関ヶ原、駒野、伊勢、伊賀、住吉、堺、帖佐、米調達、見聞、加増願
後編4-No.277文書確認度 中

検地帳請取状

出水郡の検地帳を受け取った旨を記す請取状。竹本・知識・鯖淵・杉川内・大川内・高尾野・野田・長崎など各村の帳数と内訳を列記し、受領・引渡しの関係者を記す。

登場人物
伊地知掃部兵衛、阿久根郡当所、野村善右衛門ほか
宛先
—
キーワード
検地帳請取状、出水郡、竹本村、知識村、鯖淵村、杉川内、大川内、高尾野、野田、長崎、帳冊
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID sar:1系図・系譜旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

勝部宗将書付並猿渡越中流系図

勝目宗将の書付と猿渡越中守流の系図。猿渡掃部兵衛が羽月地頭時代に高麗へ渡海し、十一月十八日に四十四歳で戦病死したこと、法名、弟による跡目相続、四百石の知行、加治木・帖佐への移動、子女・養子関係を記す。延宝五年九月二十五日、勝目助左衛門宗将から山元孝右衛門へ提出した系譜書付。

登場人物
勝目宗将、猿渡越中守、猿渡掃部兵衛、猿渡喜右衛門、山元孝右衛門
宛先
山元孝右衛門
キーワード
勝部宗将書付並猿渡越中流系図、勝目宗将、猿渡越中守、猿渡掃部兵衛、羽月地頭、高麗渡海、戦病死、法名、跡目、四百石、加治木、帖佐、山元孝右衛門、延宝五年
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID sar:3文書旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

勝目宗将覚書

勝目助左衛門宗将が、石庵妙庵大姉の出自と猿渡家の系譜照会への対応を記した覚書。石庵妙庵大姉は天正十四年生まれ、寛永六年十月十八日に帖佐で四十四歳で没し、猿渡越中守の子・掃部兵衛の娘であるとする。系図作成に必要な返答書の催促と照会経緯を記し、延宝六年三月十三日、猿渡喜右衛門信安宛に送る。

登場人物
勝目宗将(勝目助左衛門)、石庵妙庵大姉、猿渡越中守、猿渡掃部兵衛、猿渡信安
宛先
猿渡信安(猿渡喜右衛門)
キーワード
勝目宗将覚書、勝目助左衛門宗将、石庵妙庵大姉、猿渡越中守、猿渡掃部兵衛、猿渡信安、帖佐、系譜照会、返答書、延宝六年
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID sar:4文書旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

勝部宗将書状

勝目助左衛門宗将が猿渡信安の先祖由緒について返答した書状。猿渡越中が日向根白坂で戦死したとの伝承、猿渡掃部兵衛の高麗での戦死と帖佐惣禅寺の石塔、石庵妙庵大姉との関係を述べる。さらに、朝鮮で掃部兵衛と同様の働きをした敷根仲兵衛家の証書を、跡目を願う義耕和尚へ渡した経緯を記す。

登場人物
勝目宗将(勝部宗将)、猿渡信光(猿渡越中)、猿渡掃部兵衛、敷根仲兵衛、義耕和尚
宛先
猿渡信安(猿渡喜右衛門)
キーワード
勝部宗将書状、勝目宗将、猿渡信安、猿渡越中、根白坂、猿渡掃部兵衛、高麗、帖佐、惣禅寺、石庵妙庵大姉、敷根仲兵衛、義耕和尚、系譜照会
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID sar:5文書旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

猿渡信安証状

猿渡信安が、安宅三郎兵衛の先祖敷根仲兵衛と自らの曽祖父猿渡掃部兵衛との高麗での関係について証した書付。文禄二年春、石田治部少輔・大谷刑部少輔・増田右衛門佐・加藤主計頭らが在陣するなか、掃部兵衛が書状・感状を携えて使者を務めた経緯と、失われた証拠書類を写しによって確認したことを記す。

登場人物
猿渡信安、猿渡掃部兵衛、敷根仲兵衛、石田治部少輔、大谷刑部少輔、増田右衛門佐、加藤主計頭
宛先
安宅三郎兵衛
キーワード
猿渡信安証状、猿渡掃部兵衛、敷根仲兵衛、安宅三郎兵衛、高麗、文禄二年、石田治部少輔、大谷刑部少輔、増田右衛門佐、加藤主計頭、使者、感状
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID sar:6文書旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

猿渡信安届書

猿渡信安が先祖の地頭歴を記録所へ届け出た書付。猿渡越中守が加世田・羽月地頭となり、天正年中に知行を羽月へ移して城内に居住したこと、猿渡掃部兵衛が羽月地頭となったことを記す。さらに猿渡興三の栗野地頭、猿渡喜右衛門尉の川内山田地頭就任を挙げ、不明な年代は追って調査するとする。

登場人物
猿渡信安、猿渡越中守、猿渡掃部兵衛、猿渡興三、猿渡喜右衛門尉
宛先
—
キーワード
猿渡信安届書、猿渡越中守、猿渡掃部兵衛、猿渡興三、猿渡喜右衛門尉、加世田地頭、羽月地頭、栗野地頭、川内山田地頭、知行、記録所、天和二年
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID sar:7-2記録・覚書旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

猿渡信安家筋由緒覚

猿渡信安が嫡子監物の初御目見願いに添えた家筋由緒覚。曽祖父猿渡越中の加世田・羽月地頭就任と日向伊東氏・高城での大友氏との合戦、肥前知々輪での軍役、猿渡掃部兵衛の羽月地頭就任と高麗陣での奉公・戦死などを記す。歴代の相続・養子・知行・感状の伝来を述べ、監物へ至る家筋を説明する。

登場人物
猿渡信安、猿渡越中、猿渡掃部兵衛、島津義弘、島津久保、猿渡監物
宛先
仁礼覚左衛門
キーワード
猿渡信安家筋由緒覚、猿渡越中、猿渡掃部兵衛、猿渡監物、加世田、羽月、日向、高城、肥前知々輪、高麗陣、地頭、軍功、相続、養子、知行、感状
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID sar:24-15記録・覚書旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

『上井覚兼日記』天正三年十一月二十八日条抄并猿渡氏考証

『上井覚兼日記』天正三年十一月二十八日条から、上井覚兼が永吉へ赴き、野間座主猿渡掃部兵衛の用件を扱った記事を抄出する。永吉の盗難捜査、鹿島藤七の召置き、宇都宮次郎左衛門の子孫伝承を記し、当時の猿渡越中が掃部兵衛を名乗ったことを考証する。

登場人物
上井覚兼、猿渡掃部兵衛、宇都宮次郎左衛門、鹿島藤七、安田雅楽助、酒匂宮内左衛門
宛先
—
キーワード
上井覚兼日記、天正三年十一月二十八日、猿渡掃部兵衛、永吉、野間座主、盗難、鹿島藤七、宇都宮次郎左衛門、猿渡越中
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID sar:24-16記録・覚書旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

『大友御退治御日帳』三日条等抄并猿渡氏考証

『大友御退治御日帳』三日条から、羽月の猿渡掃部兵衛尉が使僧を通じて祝儀を申し上げ、新納武蔵守も同様に申し入れた記事を抄出する。あわせて天正八年八月の肥後国水俣陣の軍記勢揃に羽月地頭猿渡掃部兵衛が見え、この時期まで越中が掃部兵衛を名乗ったことを考証する。

登場人物
猿渡掃部兵衛尉、猿渡越中守、新納武蔵守
宛先
—
キーワード
大友御退治御日帳、猿渡掃部兵衛尉、猿渡越中守、新納武蔵守、天正八年八月、水俣陣、羽月地頭、使僧、祝儀
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID sar:7-1文書旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

猿渡信安口上覚

猿渡信安が嫡子猿渡監物の初御目見と太刀進上を願った口上覚。信安自身は十歳で父監助を失い、十一歳で初御目見したこと、先祖以来太刀を進上してきたことを述べる。監物の家筋と相続事情を示し、先例どおり御目見と太刀進上を許可するよう仁礼覚左衛門に取り次ぎを求める。

登場人物
猿渡信安(猿渡喜右衛門)、猿渡監物、猿渡監助、猿渡掃部兵衛
宛先
仁礼覚左衛門
キーワード
猿渡信安口上覚、猿渡信安、猿渡監物、猿渡監助、猿渡掃部兵衛、初御目見、太刀進上、嫡子、相続、仁礼覚左衛門、元禄二年
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID sar:8-2記録・覚書旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

猿渡信安家筋由緒覚

猿渡信安が二男助左衛門の初御目見願いに添えた家筋由緒覚。猿渡藤三郎の子藤四郎が武蔵守と称し、島津忠久に従って薩摩へ下向したとの伝承から説き起こす。歴代の地頭職、伊東氏・龍造寺氏との戦いや高麗陣での軍功、感状・知行・養子関係を詳述し、村山自伯らの系譜主張や焼失・散逸した証拠書類の照合経緯まで記す。

登場人物
猿渡信安、猿渡藤三郎、猿渡藤四郎(武蔵守)、島津忠久、猿渡越中、猿渡掃部兵衛、村山自伯
宛先
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キーワード
猿渡信安家筋由緒覚、猿渡藤三郎、猿渡藤四郎、武蔵守、島津忠久、猿渡越中、猿渡掃部兵衛、村山自伯、薩摩下向、地頭、軍功、高麗陣、感状、知行、養子、系譜照合
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID sar:12文書旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

猿渡信安内意口上覚

猿渡信安が家の本姓を平氏から藤原氏へ改め、近衛家から由緒書を受けることについて内意を伺った口上覚。祖先猿渡藤四郎が近衛基通から藤原姓を受け、六代後の猿渡越中も近衛龍山から由緒書を得たとする。古系図・証文の焼失を述べ、歴代の合戦・地頭職・高麗陣での軍功を列挙し、近衛家による証明の許可を願う。

登場人物
猿渡信安、猿渡藤四郎、近衛基通、近衛龍山、猿渡越中、猿渡掃部兵衛、島津忠久、島津義弘
宛先
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猿渡信安内意口上覚、猿渡信安、猿渡藤四郎、近衛基通、近衛龍山、藤原姓、猿渡越中、猿渡掃部兵衛、古系図焼失、由緒書、合戦、地頭、高麗陣、近衛家
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w5:130-30記録・日記抄+系図/豊後渡海情報・河上氏十二~十三代旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

上井覚兼日記

〔天正十四年〕九月十七日の上井覚兼日記。覚兼が瀬戸山大蔵丞宅に泊まった夜、山田越前守の使者から、五日前に美々津から来た者が四国の兵船の豊後渡海と京衆下向の確実さを伝え、市来川上省伴・家村隼人佑の出家した二子が持参した書状にも同趣旨が記されていたと聞く。御家中に策動へ加わる者が多いとの風聞を受け、油断すれば重大だとの警告を了承したと記す。付随系譜では、忠家が菱刈合戦の馬越取合で永禄十年正月二十四日に戦死したこと、十二代包家が天文五年生まれで永禄十二年の渋谷一揆時に祁答院長野口で三十四歳にて戦死したことと多数の子女・僧を列記する。十三代忠宅は永禄七年生まれ、母を貴島氏女とし、大蔵姓から源姓川上へ改め、豊州撤退の夜戦で深手を負ったが本田淡路守親存に救助された。のち市来地頭本田氏との争論で伊集院忠棟(幸侃入道)の権威に押され十三年間牢浪したが、比志島紀州の上聞により赦免され、慶長年間の日州高岡外城取立時に移住して三十二石八斗を加増され、内山之城本丸に居住し与頭役を務め、正保三年正月十八日に八十三歳で没したとする。

登場人物
上井覚兼、瀬戸山大蔵丞、山田越前守、市来川上省伴、家村隼人佑、川上忠家、川上又次郎忠武、河上包家(十二代)、河上忠宅(十三代・千代熊丸・孫次郎・次郎左衛門尉)、本田掃部兵衛、吉富次郎五、本田淡路守親存、中馬大蔵、伊集院右衛門太夫忠棟(幸侃入道)、比志島紀州
宛先
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キーワード
上井覚兼日記、天正十四年九月十七日、瀬戸山大蔵丞、山田越前守、美々津、四国兵船、豊後渡海、京衆下向、市来川上省伴、家村隼人佑、風聞、油断警告、川上忠家、菱刈合戦、馬越取合、永禄十年、十二代包家、天文五年、渋谷一揆、祁答院長野口、戦死、十三代忠宅、源姓川上、豊州撤退、夜戦負傷、本田淡路守親存、市来地頭本田氏、伊集院忠棟、幸侃入道、十三年牢浪、比志島紀州、日州高岡外城、三十二石八斗、内山之城、与頭役、正保三年、法名学翁正参庵主
旧記雑録拾遺 著作史料集9-文書ID W06_文書0067自記旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

長谷場越前自記

求麻・大口・入来院・祁答院・東郷勢が曾木へ攻め寄せた時、佐多を大将として若武者と遠見隊が防戦した記事。忠元も備えたが、敵はその支度を見て退いたとする。続く永福寺・白坂口での諸隊の働きと死傷、守備隊の交替を詳記する。五月には山野から野伏を試み、八月には加久藤・田中河内方面で陣を取り、大雨で攻撃を中止した。長陣の後、感應寺の西堂を頼って和平を申し入れたという。

登場人物
島津義久、新納刑部太輔忠元、佐多、宮原筑前守景種、越中守、西田主馬、吉田治部少輔、本田掃部兵衛尉、川野玄蕃允、長谷場弥四郎、伊地知新二郎、日高甚五郎、貴久、日新、川上丹波守
宛先
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キーワード
長谷場越前自記、三月廿三日の攻城、物具の支度、遠見隊、鉄炮、守備交替、五月の野伏、大雨による中止、加久藤・大山の陣、僧の和平仲介
旧記雑録拾遺 著作史料集9-文書ID W06_文書0068自記旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

箕輪伊賀自記

相良・菱刈などの連合勢が曾木へ攻め寄せた際、佐多を大将に迎え、城内の兵が切岸で防戦した記事。馬越の遠見隊が迫ると敵は退き、一山では新納刑部太輔らが城戸へ出て吉田・西田らと戦った。永福寺でも市来などの諸隊が合戦し、双方に損害が出た。五月に山野・羽月・平泉の守備が交替したことまで記す。

登場人物
島津家久、深水参河守、宮原筑前守、吉田治部少輔、西田主馬、本田掃部兵衛、川野玄蕃允、長野民部、伊地知新二郎
宛先
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キーワード
箕輪伊賀自記、三月廿三日の攻城、渋谷党、防戦、遠見隊、軍功、番替
旧記雑録拾遺 著作史料集9-文書ID W06_文書0138合戦日記旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

耳川合戦日記

川上久辰の耳川合戦日記。天正六年九月十一日の山東への出陣に本田紀伊守・三原右京亮らが旗役を務め、鹿児島などから供衆を集めた。忠元の使僧や諸所の使者を通じ、高城・野尻・紙屋などの番衆交代、雑務の分担、参陣と御陣の人数を調整する。大軍が押し寄せる高城へ軍勢を差し籠め、石之城を得た際の祝言や太刀などの進献も記す。終盤には猿渡らの使僧、山下造酒の中国鉄山からの帰帆報告と進献を載せる。

登場人物
川上左近将監久辰、本田紀伊守、三原右京亮、新納武蔵守、吉田刑部少輔、吉田平次郎、白濱周防介、菱刈孫三郎、義虎、新納殿、上原長門守、加世田片浦之山下造酒、羽月猿渡掃部兵衛
宛先
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キーワード
耳川合戦日記、天正六年九月、山東への出陣、旗役、番衆の交代、使僧による報告、御陣の混雑、猛勢と高城、石之城、祝儀と進献