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『旧記雑録』前編・後編・附録10冊と追録1~8(暫定版)、『旧記雑録拾遺 伊地知季安著作史料集1~9』『家わけ1』(暫定版)、関連史料(外伝)『島津世禄記』の46,754件を横断検索できます。検索範囲は史料群・巻を組み合わせて選べます。結果は50件ずつ表示します。

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42 件 (全巻)/ 1–42件を表示

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追録6-No.369願書旧記雑録暫定版確認度 高

島津重豪願書

重豪が、御暇を与えられて国許へ帰るに際し、まだ男子がいないため、在国中に不慮のことがあった場合には国許に置く大叔父島津杢に相続を命じ、跡職を相違なく与えるよう願う。島津杢は当年三十六歳と記す。四月十九日付、年は明和四年の朱注。宛記は松平右近将監・松平右京太夫・松平周防守・阿部伊豫守の四名。扣正文は右筆所にあるとする。

登場人物
重豪、島津杢(大叔父、当年三十六歳)、松平右近将監・松平右京太夫・松平周防守・阿部伊豫守
宛先
松平右近将監殿、松平右京太夫殿、松平周防守殿、阿部伊豫守殿
キーワード
帰国、男子未出生、不慮の事態、国許の大叔父、島津杢三十六歳、相続・跡職維持の願い、四老中宛
追録5-No.2352伺書旧記雑録暫定版確認度 高

島津重豪伺書(代替誓詞・当十六歳)

重豪が五月二十五日、代替に際して誓詞を差し出したいと願い出る。当年十六歳になったことを述べ、提出について伺う。

登場人物
重豪
宛先
独立宛名なし
キーワード
五月二十五日、代替誓詞差上希望、当十六歳、此段相伺、御名署表示、宛不記
旧記雑録拾遺 著作史料集8-文書ID W15_46-1旧記結語旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

沙弥聖栄八十六歳の結語

長寿を祈る文言と年齢・正月二十一日の還化を記し、末尾に「于時文明十二年三月、沙弥聖栄歳八十六」と署す短い結語を収める。

登場人物
沙弥聖栄
宛先
宛先明示なし
キーワード
沙弥聖栄・文明12年3月・八十六歳・還化
後編1-No.681記事確認度 高

島津中務大輔家久譜

肝付・禰寝・伊地知三氏の離反と廻城奪取、元亀三年の早崎築陣・小浜攻略を前史として、天正元年七月二十四日の早崎夜襲を記す。守将家久は川南式部左衛門と戦い、田之上清左衛門に救援されつつ全身八か所を負傷した。喜入久績も負傷しながら敵を退け、平田光宗らも力戦して、二十六歳の家久は危機を免れた。

登場人物
島津家久、島津歳久、肝付兼続、禰寝重長、伊地知重興、川南式部左衛門、田之上清左衛門、喜入久績、平田光宗、平田左馬助、木脇刑部左衛門
宛先
廻、下大隅、早崎、小浜
キーワード
島津中務大輔家久譜、島津家久、早崎夜襲、川南式部左衛門、田之上清左衛門、喜入久績、八か所負傷、二十六歳、下大隅
後編1-No.1016記録確認度 中

伊地知重範自記

伊地知重範が十六歳で初具足し、新納忠元が山野と球磨の境の深下で早牟田城之介を計略により討った戦いに参加した自記。重範は城之介の郎等に後ろから腰を斬られたが、新納忠実・伊地知重康らが伏兵から起こって主従七人を討ち、重範は褒美として飾りと兼光の刀を拝領した。

登場人物
伊地知重範、新納忠元、新納忠実、伊地知重康、早牟田城之介
宛先
—
キーワード
伊地知重範自記、初具足、十六歳、新納忠元、新納忠実、伊地知重康、早牟田城之介、伏兵、兼光拝領
後編1-No.1236記事確認度 中

古物語

矢崎の陣で拙斎が敵から島津家久の標識を奪い、丸田休右衛門に急いで城へ登るよう促されて横入りし、城を落としたという武功譚。丸田休右衛門は当時十六歳で、敵三十六人を討ち取ったと伝える。

登場人物
拙斎、丸田休右衛門、島津家久
宛先
—
キーワード
古物語、矢崎陣、拙斎、丸田休右衛門、島津家久、標識、城攻め、十六歳、三十六人討取
後編3-No.1178記事確認度 高

北郷久永譜

北郷久永は十六歳で島津義弘(惟新)の陣にあり、関ヶ原敗戦後に義弘を追ったが及ばず、郎従が離散するなか四位主水だけが従ったと記す。敵中を三日進み、足の腫痛で歩けなくなると主水が背負って加藤嘉明の陣へ赴いた。久永は進退窮まり首を刎ねるよう求めたが嘉明に救われ、その後三年間囚われたのち暇を得て帰国した。

登場人物
北郷久永、島津義弘(惟新)、四位主水、加藤嘉明
宛先
該当なし
キーワード
北郷久永譜、十六歳、関ヶ原合戦、島津義弘(惟新)追跡、四位主水、負傷、加藤嘉明、助命、三年拘留、帰国
後編4-No.1740文書確認度 中

有川某願文

有川助兵衛尉が御座主へ、十六歳の男子に関する祈念を依頼し、御馬方大明神へ馬一疋と指刀一つを奉進するとした願文。

登場人物
有川助兵衛尉、御座主、御馬方大明神
宛先
御座主
キーワード
有川某願文、有川助兵衛尉、御座主、御馬方大明神、十六歳、馬一疋、指刀、祈念、元和八年八月九日
後編5-No.161文書確認度 中

島津家久書状

島津家久が、又五郎の落馬を重ねて心配し、占いによれば現在の住居や二十六歳の年回りが良くないとして、祈念を十分にするよう勧める。詳しくは帰着後に話すと伝える仮名書きの書状。

登場人物
島津家久、又五郎
宛先
又五郎
キーワード
島津家久、又五郎、落馬、占い、年回り、二十六歳、住居、祈念、仮名書き、要確認
後編5-No.1112記事確認度 中

讃良貞資譜

讃良善助貞資の自譜により、寛永十四年の島原一揆に際し、六十六歳の貞資が御使者竹内備前守に同行し、多数の足軽を添えて派遣されたことを記す。老練な人物として事情聴取のため遣わされたとみられる。

登場人物
讃良貞資譜(記事)
宛先
(記事)
キーワード
讃良貞資譜、讃良善助貞資、島原一揆、竹内備前守、御使者、足軽、六十六歳、聞合、老功
後編6-No.127記事確認度 中

殉国名藪

殉国名藪抄の記事。島津図書久通の家臣土屋市之助が、久通の嫡男左兵衛尉久武が十六歳で早世した跡を追い、寛永十七年五月四日に殉死したことを記す。

登場人物
土屋市之助、島津久通、島津久武
宛先
—
キーワード
土屋市之助、島津久通、島津久武、家臣、嫡男、十六歳、早世、殉死、殉国名藪
追録2-No.789記事旧記雑録暫定版確認度 低

亀姫、近衞家久トノ婚姻ヲ許サレ

近衛関白基熙・右大臣家熙が、島津忠久以来の近衛家と島津家の旧好を理由に、島津綱貴の娘亀姫を大納言近衛家久の妻に望み、綱貴が承諾して八月二十五日に近衛家諸大夫へ書面で返答した記事。亀姫は元禄三年生まれで当時十一歳、のち家久の御簾中となり宝永二年に十六歳で早世したとの考証を付す。

登場人物
近衛関白基熙、右大臣家熙、綱貴、女子亀姫、大納言家久、島津元祖忠久、近衛家諸大夫四人
宛先
—
キーワード
近衛基熙、近衛家熙、島津綱貴、島津忠久、亀姫、近衛家久、大納言、婚姻、旧好、承諾、八月二十五日、近衛家諸大夫、元禄三年生、十一歳、御簾中、宝永二年、十六歳、早世、考証、元禄十三年
追録2-No.1925記事旧記雑録暫定版確認度 中

島津忠守家老職ヲ辞ス

宝永二年三月十日、島津忠守が家老職を辞したことを記す記事。忠守は宝永四年十二月二十日に六十六歳で死去したと付記する。

登場人物
島津忠守
宛先
—
キーワード
島津忠守、家老職、辞職、宝永二年三月十日、宝永四年十二月二十日、死去、六十六歳、記事
追録2-No.2012記事旧記雑録暫定版確認度 中

亀姫逝去ス

綱貴公御子亀姫君伝中に、八月晦日、亀姫が前関白基熙の堀川御所へ初参し、平調五常楽・合歓塩・長慶子の音楽を聴いたことを記す。基熙の和琴、石井少納言の笛、櫛笥中将の琵琶、四辻の笙、監役らを列記する。同年秋に病み療養・投薬の効なく十月五日京都の邸で十六歳で死去。七日夜半に遺体を大徳寺へ移し、十日酉刻に葬礼、法諡は英光院殿覚樹圓明大姉、大徳寺輪番湘南和尚が引導した。後に位牌を薩州福昌寺内深固院へ置いたとする。

登場人物
亀姫・近衞家久
宛先
—
キーワード
亀姫、八月晦日、堀川御所、基熙、音楽、平調五常楽、合歓塩、長慶子、和琴、笛、琵琶、笙、療養、十月五日死去、十六歳、七日夜、大徳寺、十日酉刻葬礼、英光院殿覚樹圓明大姉、湘南和尚、位牌、薩州福昌寺、深固院
追録4-No.1530記録旧記雑録暫定版確認度 高

吉貴・継豊・宗信の生年等の照会と回答

大學頭父子から吉貴・継豊・宗信の生年と吉貴の隠居年月日の照会があり、江戸家老方が報告を受けて回答を指示した記録。回答は吉貴六十六歳、継豊四十歳、宗信十三歳とし、吉貴の隠居日を享保六年六月九日と記す。

登場人物
島津吉貴、島津継豊、島津宗信、大學頭父子
宛先
—
キーワード
大學頭父子、生年照会、吉貴六十六歳、継豊四十歳、宗信十三歳、隠居日
追録6-No.2716記事旧記雑録暫定版確認度 中

十九日に許可を得て、二十一日に斉宣が前髪を除く

正月二十一日、斉宣が前髪を除いた。これに先立つ十九日に官へ請願して許可を得ていたと記し、斉宣の年齢は実十六歳であったと続ける。

登場人物
島津斉宣
宛先
記事(宛所なし)
キーワード
斉宣、正月十九日、請官、許可、正月二十一日、前髪除去、実十六歳
追録8-No.262御履歴抄(継承・改革事績の総括)旧記雑録暫定版確認度 中

斉彬の遺志継承と久光・忠義の履歴、藩政軍備改革を総括する記事

御履歴から、安政五年七月の斉彬病歿と十二月二十八日の茂久家統継承を記し、斉彬の遺志と久光・忠義の履歴を総括する記事。米使節来航後の措置で公武の指旨に相違が多いことを憂え、皇国守護に心を尽くした斉彬の事業が未成に終わり、久光・忠義がそれを継承したと評する。斉彬が官礼・旧弊を改め、国論を採り、武門と国事守護を重視し、執事・軍務の官を設けたこと、十六歳から四十二歳までの城下兵士の砲銃訓練、薬・度量・製法の規定、海軍局と器械製造場の設置を列挙する。久光・忠義の教場巡察・試験、城外兵士の配置、在郷教育、民の農武両面と備え、忠義の財貨による軍備拡充も記す。始祖以来の治領を回顧し、潘士の恩と家臣の忠順・上下和協、武教の成就を論じ、久光・忠義の勤王の志業を斉彬の遺志に根拠付けるとの叙述で後文へつなぐ。事績の評価や因果関係はこの履歴記事の記述として整理する。

登場人物
斉彬、茂久、久光、忠義、亜墨利加使節、官吏・兵士・島士、公武、島津忠久(始祖の回顧)
宛先
宛先なし(御履歴中の総括記事)
キーワード
御履歴、斉彬遺志、久光忠義、茂久家統、十二月二十八日、米使来航、公武指旨、旧弊改革、国事守護、軍務局、砲銃訓練、十六歳四十二歳、海軍局、器械製造場、教場巡察、在郷教育、上下和協、勤王
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 340記事旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

田代衆中島原立之覚

有馬四郎の首を確定できなかったため、捕らえた八十歳余りの母に首を揃えて見せたが確かに見知れず、不審とされた二首を樟脳詰めにして上方へ差し上げたとする。四郎は生年十六歳で髭があったといい、江戸で四郎の首と判断された由を記す。三月に引陣し、田代衆中は全員帰国したと結び、本文末に寛永十五年三月とあるが、目録年月日欄は空欄のためB列へ補入しない。

登場人物
有馬四郎の首・母、田代衆中
宛先
宛先なし(記事・記録類)
キーワード
田代衆中島原立之覚、有馬四郎、首不確定、母八十歳余、首二つ、樟脳詰、上方、十六歳、髭、江戸、四郎首、三月引陣、田代衆中帰国、寛永十五年三月、目録日付空欄
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w3:42系図旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

入田氏系図

大友氏四代因幡守親時の二男泰親を祖とする入田氏系図。泰親は入田次郎を号し、因幡守・兵庫頭、のち秀直、初名松屋とし、豊後南郡を領して入田城に居住したという。氏綱・氏朝・親忠・氏廣・親廣・親廉へ続く系線と治部少輔・因幡守・豊後守・大膳大夫・修理亮・丹後守・出羽守などの官途を掲げ、氏綱を正和年間生、氏朝の母を草野筑後女とする。親直は入田城に居住し、十六歳の時に父とともに戸次玄興と戦って軍功を挙げ、古野尻で戦死した。後半は輝氏・義・義氏・義昌・義豊らを掲げ、入道半林・宗和等の名、義氏の高崎居住と庄内山田戦死、義昌の一時肥後居住と帰国、義豊の高岡から鹿児島への移住と元禄六年没を記す。

登場人物
大友親時、泰親、氏綱、氏朝、草野筑後女、親忠、氏廣、親廣、親廉、親直、戸次玄興、輝氏、義、義氏、義昌、義豊
宛先
—
キーワード
入田氏系図、大友親時二男、泰親、入田次郎、因幡守、兵庫頭、秀直、松屋、豊後南郡、入田城、氏綱、正和年間生、氏朝、草野筑後女、親直、戸次玄興、十六歳、軍功、古野尻戦死、義氏、高崎、庄内山田戦死、義昌、肥後居住、帰国、義豊、高岡、鹿児島、元禄六年、入道半林、入道宗和
旧記雑録拾遺 著作史料集9-文書ID W05_文書0053年代記抄旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

年代記抄

高山士山下善之丞所蔵の正文から、天神七代以下を略し、永和の改元と年次を抄録する年代記。永和四年戊午九月十日、了俊・大内・大友・少弐の数千騎が肥後へ寄せ、十六歳の菊池武朝が託間原の合戦で敵を打ち散らしたと記す。翌己未年の彗星出現と三月二十二日の改元も掲げる。

登場人物
高山士山下善之丞、今川了俊、菊池武朝、大内氏、大友氏、少弐氏
宛先
—
キーワード
年代記、山下善之丞、永和改元、了俊、菊池武朝、十六歳、託間原合戦、彗星
旧記雑録拾遺 著作史料集9-文書ID W06_文書0146自記旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

伊地知重範自記

重範が十六歳で初めて具足を着け、求摩境の戦いに加わった経験を記す。忠元が敵を山野のふか下タへ誘い出し、忠堯・重康らの伏兵が攻めた。重範は郎等を斬った際に腰を負傷したという。早牟田城介ら主従七人を討ち、中間を捕らえた働きに対し、出水の義虎が兼光の刀を贈った。

登場人物
伊地知重範、新納武蔵守忠元、新納刑部太輔忠堯、伊地知民部少輔重康、義虎、早牟田城介
宛先
—
キーワード
伊地知重範自記、十六歳の初具足、求摩境の戦闘、敵の誘い出し、負傷、伏兵、七人の討取り、兼光の刀
旧記雑録拾遺 著作史料集9-文書ID W06_文書0163物語旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

古物語

矢崎の戦いで忠元が働いた際、丸田休右衛門が相良方の城へ入ったことを記す。忠元の到着が遅いと人を通じて急がせたところ、ほどなく登城して敵を討ったという。丸田が天正九年八月吉日に述べた記録で、当時十六歳、三十六人を討ち取ったとする。

登場人物
新納忠元(拙齋)、丸田休右衛門
宛先
—
キーワード
古物語、矢崎の戦い、忠元の手柄、丸田の城攻め、三十六人の討取り、十六歳
前編2-No.1369記事確認度 高

伊作島津大安丸譜

伊作島津大安丸が伊集院諏訪祭祀の頭人を務め、祭礼後の長禄二年十二月四日に十六歳で死去し、法号を良山道賢としたことを記す。

登場人物
伊作島津大安丸
宛先
—
キーワード
伊作島津大安丸譜、大安丸、伊集院、諏訪祭祀、頭人、長禄二年、死去、良山道賢、多宝寺
前編2-No.2142記事確認度 中

大島氏系図

大島忠明の子忠次が十六歳で戦死したことや、菱刈方との戦いで敵を討ち、忠次の首を取り返した家臣の働きを記す。

登場人物
大島忠明、大島忠次、菱刈入道天岩、宮原十郎兵衛尉
宛先
—
キーワード
大島氏系図、大島忠次、菱刈氏、宮原十郎兵衛尉、戦死、首級、享禄二年
後編1-No.295記事確認度 高

島津義弘譜

永禄七年五月晦日、伊東勢が夜明けから申刻まで今城を攻め落とし、大河平隆次の一族・郎党九十余人が戦死した経過を記す。十六歳の隆次も一族全滅を嘆いて大軍へ突入し、伊東方にも五百余人の死者が出たが、城内の妻子・下人は捕虜となった。

登場人物
大河平隆次、大河平隆堅、大河平隆光、伊東義祐、今城守兵
宛先
—
キーワード
島津義弘譜、永禄七年、今城合戦、大河平隆次、九十余人戦死、伊東義祐、五百余人、落城、捕虜
後編2-No.303記事確認度 高

町田久幸譜

十六歳の町田久幸が、太平寺で豊臣秀吉へ降参する島津義久に供奉し、義久の太刀を捧持した。義久の帰城後も人質として秀吉のもとに残され、拝謁して羽織を賜う。のちに義久が上京した際にも供奉したことを記し、若年家臣が服属儀礼と人質役を担った具体例を示す譜記事。

登場人物
町田久幸、島津義久、豊臣秀吉
宛先
—
キーワード
町田久幸譜、町田久幸、島津義久、豊臣秀吉、太平寺、太刀捧持、人質、羽織拝領、上京、若年家臣
後編4-No.633記事確認度 高

新納忠元勲功記

新納忠元勲功記。忠元が十六歳から島津氏に仕え、多くの合戦で先陣・一騎討ち・首級獲得などの武功を重ね、身体に十九か所の傷を負ったこと、子孫も軍功を立てたことを列挙する。

登場人物
新納忠元、島津貴久、島津義久、島津家久、島津忠清、島津忠隣
宛先
—
キーワード
新納忠元勲功記、新納忠元、島津貴久、島津義久、戦功、先陣、一騎討ち、首級、負傷、武勇
後編4-No.1645記事確認度 高

島津家久女子系譜記事(光久公御譜中)

「光久公御譜中」の系譜に、光久・忠朗・久直と並ぶ女子について、元和五年十月二十日に誕生し、母は家臣鎌田政重の娘、寛永十一年八月十八日に十六歳で早世したと記す。島津光久本人の出生記事ではない。

登場人物
島津家久(忠恒)、島津光久、島津忠朗、島津久直、女子(姓名未詳)、鎌田政重女
宛先
—
キーワード
光久公御譜中、島津家久、島津光久、島津忠朗、島津久直、女子、鎌田政重女、元和五年十月二十日、寛永十一年八月十八日、系譜
後編4-No.1691記事確認度 中

島津光久譜

島津光久譜中、元和六年六月十八日に生まれた光久と同母の家久女が、家臣島津大和久章の室となり、正保二年五月十日に二十六歳で早世し、桃岳英仙と号したことを記す系譜記事。

登場人物
島津光久、島津家久女、島津久章
宛先
島津家久女
キーワード
島津光久譜、島津家久女、島津光久、同母、島津久章室、早世、桃岳英仙、元和六年六月十八日
追録1-No.1285記事旧記雑録暫定版確認度 中

北郷忠長参勤随従記事

北郷忠長の譜は、寛文九年五月の光久の江戸行きに忠長と家老北郷次左衛門久伴が従ったと記す。参勤月には光久譜は九年三月とあり誤りかという傍注がある。続く翌年五月二十八日の将軍家綱への拝謁・献上は主語が省略されており、太刀一腰・馬代銀一枚・帷子一・熨斗目一・綿子一を献じたとする。同十年十一月十二日に江戸で二十六歳で没したと結ぶ。

登場人物
北郷忠長、島津光久、北郷久伴、徳川家綱
宛先
—
キーワード
北郷忠長、島津光久、北郷久伴、徳川家綱、参勤、拝謁、献上、江戸、死去
追録4-No.2194伺書・付属記事旧記雑録暫定版確認度 中

病気による代替礼式・誓詞と拝礼の伺い

継豊は病気で将軍代替わりの礼式を自ら行い難く、代わりの私儀を早く行いたいと伺った。併せて誓詞の提出、宗信による儀式の代行、翌年参府時の誓詞と拝礼を相談する。付属の記録は、病気による不参・代理出仕・使者の扱い、十六歳以下の誓詞免除、先例を列挙し、どの手順が許されるかを検討している。

登場人物
島津継豊、島津宗信、幕府老中
宛先
幕府老中
キーワード
継豊、病気、代替礼式、私儀、誓詞、拝礼、宗信、代理、先例
追録6-No.2808系譜旧記雑録暫定版確認度 中

久昵家系譜抄(男を含む)

重豪の子久昵について、初名久亮・一純・久亮、通称時之丞・諸之丞・蔵人、官称肥前守・左近を掲げ、寛政元年六月十九日に江府で生まれ、越前丸岡城主有馬誉純の養子となって有馬肥前守一純を称したと記す。文政二年二月六日、高輪邸で病気となり帰れず、老中への照会後いったん丸岡邸へ戻ったが、斉興と誉純が病気を理由に有馬家を辞する願書を出し、十七日に許されて高輪邸へ帰ったという。天保五年五月二十六日に四十六歳で没し、二十日を忌日とする注記があり、法号を本光院殿瑞巌永祥大居士、墓所を福昌寺とする。子善次郎は文政六年正月十一日生、母小笠原氏女、斉興の養子となり同年二月十一日に夭折し、宝珠院殿浮光幻影大禅童子と号した。

登場人物
島津久昵、久亮、一純、時之丞、諸之丞、蔵人、有馬誉純、島津斉興、大信公(重豪)、善次郎、小笠原氏女
宛先
系譜記事(宛所なし)
キーワード
久昵、久亮、一純、有馬家養子、病気、辞家、高輪邸、福昌寺、善次郎、斉興養子、夭折
追録8-No.372-2公家五名の官位年齢・領高住所と閉門の伝聞一覧旧記雑録暫定版確認度 中

中院通繁・押小路・中山忠能・岩倉貞慶・千種有文の閉門を聞いたと記す一覧

中院前侍従通繁七十四歳、押小路遠江権介三十六歳、中山大納言忠能五十歳、岩倉三位貞慶五十六歳、千種左少将有文四十五歳を、官位と御家領・高、居所の表示とともに掲げる一覧。末尾に、この方々が当月初め頃に閉門を命じられたと聞いたとする文を付す。中院の御家領五百石、押小路の高百三十石、中山の二百石、岩倉・千種各百五十石の原単位を維持する。押小路の名はサネキヨとの注を取り、漢字細字は留保。閉門年月や具体的罪状・期間は補わず、聞いた処分内容として扱う。

登場人物
中院前侍従通繁、押小路遠江権介(名サネキヨ、漢字細字留保)、中山大納言忠能、岩倉三位貞慶(原表記)、千種左少将有文
宛先
宛先なし(五名の一覧と伝聞注)
キーワード
雑集、公家五名一覧、中院通繁押小路遠江権介サネキヨ中山忠能岩倉貞慶千種有文、官位正四位下正二位正三位、年齢七十四・三十六・五十・五十六・四十五、御家領五百石、高百三十二百百五十石、石薬師通本町丸太町富小路西殿町、当月初閉門伝聞
附録1-No.323文書確認度 中

新納忠元書状

新納忠元が丸田久右衛門尉に宛てた書状。馬越之前目を加増として拝領したことを伝え、明後日二十六日を吉日として、加増地に関する段取り、槍兵への指示、大隅殿への案内と番衆一人の派遣などを命じている。前段には丸田久右衛門尉について、天正五年以来の合戦歴、十六歳以来三十八人を討ち取ったこと、加藤式部左衛門尉を案内者として雇う案などを記した覚が付されている。

登場人物
新納忠元、丸田久右衛門尉、加藤式部左衛門尉、大隅殿
宛先
丸田久右衛門尉殿
キーワード
新納忠元、丸田久右衛門尉、馬越之前目、加増、吉日、槍兵、大隅殿、番衆、天正五年、軍歴、討取三十八人、加藤式部左衛門尉、案内者
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 219軍記旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

藤掛島原軍記

『藤掛島原軍記』の記事。大矢野ら五人が小西行長旧臣の古老を訪ね、宗頭となる者の予言を聞いた話を記す。楠正成や未来記の謀計になぞらえ、天草四郎が十六歳で諸学・宗門の奥義を究め、各党に随身を誓わせたと評する。

登場人物
藤掛勘九郎、天草四郎、大矢野、宗意軒、小西行長旧臣
宛先
なし
キーワード
藤掛島原軍記、天草四郎、大矢野、小西行長旧臣、未来記
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 359編纂史料・戦記旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

平塞録

二十二日、天草四郎ら一万余の一揆勢が富岡城を再攻撃した経過を記す。十九日の退却後に攻撃を予告した一揆勢は志岐村で竹束などを準備して押し寄せ、城兵は鉄砲・大木・大石で防戦する。攻撃が水口へ回ると原田伊豫や島田・並河らの指揮下で諸士が出撃し、岡原・上月の戦死、古川の負傷と十六歳の九郎市による救出などを列挙する。多勢に圧迫された守備側が本丸内へ引き入るところまで叙述する。

登場人物
天草四郎 原田伊豫 島田 並河 津田五郎八 古橋権太夫 原田主馬 大竹新助 呼子平右衛門 澤木七郎兵衛 原彦兵衛 上月八助 吉川傳右衛門 塩田市右衛門 井上角右衛門 福永六郎左衛門 野藤助之丞 松本七左衛門 山原作右衛門 川岸茂右衛門 山彦右衛門 古川 傳右衛門 九郎市
宛先
なし(戦闘記事)
キーワード
平塞録 富岡城 天草四郎 竹束攻め 水口 防戦 九郎市
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 360編纂史料・戦記旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

藤掛集書

霜月二十二日の城攻めを記す。並河太左衛門・嶋田十郎左衛門らが守る伊勢丸に一揆勢が竹束を寄せると、六匁筒の鉄砲で撃退する。一揆勢が裏へ回って水の手を断つなか、岡原彦兵衛・上月八助の戦死、呼子平右衛門や古川傳右衛門らの出撃を叙述する。十六歳の古川九市郎が負傷した傳右衛門を担いで戻り、後に水谷伊勢守から五百石で召し抱えられ古川浅右衛門と名乗ったことを記す。守備側の奮戦で一揆勢は有馬方面へ移ったと結ぶ。

登場人物
並河太左衛門 嶋田十郎左衛門 関善左衛門 渡邊与次右衛門 小笠原斉 柴田弥五兵衛 柳元五郎左衛門 岡原彦兵衛 上月八助 呼子平右衛門 古川傳右衛門 古川九市郎 水谷伊勢守 古川浅右衛門 河岸茂右衛門 澤木七郎兵衛
宛先
なし(戦闘記事)
キーワード
藤掛集書 伊勢丸 六匁筒 水の手 古川九市郎 古川浅右衛門 有馬
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w2:17-6系図旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

鹿児府衆中高究之帳抄

鹿児府衆中高究之帳から松崎杢右衛門入道の高七十五石を掲げ、同人と後継の貞綱の家歴を続記する。慶長十八年の江戸質開始に、杢右衛門入道は島津義弘の姫の上洛代官として役人十人を伴い、六月二十四日に鹿児島を出発し、十一月十六日に江戸桜田屋敷へ入った。四年間勤め、本文に『元和元年丙辰(ママ)』とある四月に暇を得て、御盃と小袖を拝領して六月七日に帰着した。元和五年から蔵入代官を務め、同六年の質様下向時にも谷山で代官となり、島津下野守久元への祝儀まで処理した。寛永十二年十一月二十五日に八十四歳で没し、幼少時に父貞充と伯父貞清を戦死で失いながら家を中興したとし、法名を覚翁宗泉と記す。貞綱は天正十六年正月二日生まれ、指宿左近女を妻とし、元和三年・七年の島津家久上洛と日光参詣に供奉し、能書として知られ、寛永十年七月十一日に四十六歳で没して法名を松屋常青とした。

登場人物
松崎杢右衛門入道(法名覚翁宗泉)、島津義弘、義弘公御姫様、四本金右衛門、淵辺領右衛門、鳥井与右衛門、竪山丹後、青山与次右衛門、迫田源右衛門、山下治右衛門、田尻小左衛門、本田彦左衛門、村田源左衛門、島津久元(下野守)、松崎貞充、松崎貞清、松崎貞綱(熊徳・助七・喜右衛門尉)、指宿左近女、島津家久
宛先
—
キーワード
鹿児府衆中高究之帳、松崎杢右衛門入道、高七十五石、慶長十八年江戸質、義弘公御姫様、上洛代官、江戸桜田屋敷、元和元年丙辰ママ、御盃・小袖拝領、蔵入代官、谷山、家中興、覚翁宗泉、松崎貞綱、島津家久上洛、日光供奉、能書、松屋常青
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w3:70系図・由緒書旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

祢寝山城坊女子系図

祢寝山城坊の女子から亀山又兵衛妻へ至る関係と、岡村伊織家の由緒を記す系図・由緒書。女子は近衛信輔公の側に召し置かれ、上京に供奉したのち、岡村伊織との縁組を命じられたとする。伊織は元和元年に豊臣秀頼方へ味方し、落城後は牢人として籠居したが、のち松平下総守に召し仕えた。伊織の子は十六歳の時、国許にいた母を見舞うため岡村新左衛門を伴って下り、亀山又兵衛宅に滞在した。その後上方へ戻ったところ父伊織が死去したため、母を介抱する目的で再び国へ下って居住し、札改めの際には亀山家の預りとして親類札に登録されたという。系線には岡村新左衛門―岡村市兵衛も掲げる。

登場人物
祢寝山城坊、祢寝山城坊女子、近衛信輔、岡村伊織、豊臣秀頼、松平下総守、岡村新左衛門、亀山又兵衛、岡村市兵衛
宛先
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キーワード
祢寝山城坊女子系図、祢寝山城坊、亀山又兵衛妻、近衛信輔、上京供奉、岡村伊織、縁組、元和元年、豊臣秀頼方、大坂落城、牢人、松平下総守、岡村新左衛門、母見舞、上方、父死去、母介抱、帰国居住、札改め、亀山家預り、親類札、岡村市兵衛
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w5:123系図・市来家氏流/軍功・地頭職・家督継承記録旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

市来家氏流系図

市来家氏流の家守以下を一頁に示す系図。新納忠元の妹を母とする家満は天正六年十一月十一日に新納院高城で戦死し、その子家繁は永禄十二年生まれで、頴娃・庄内・高城・伊作・蒲生などの地頭を歴任して多くの忠功を立て、宗友は蒲生地頭、家良は兵具奉行、家実は光久へ太刀・青銅を進上して御納戸奉行・穆佐地頭・御側御目付・鹿屋地頭を務めたとする。後代では、家張が高奉行、家的が三十六歳で大坂に死去し、家年が嫡宗家親の養子となったこと、家貞が兄二人の死後に家督を継いで江戸で死去したこと、家重が寛文五年に生まれ、兄二人の死により家督を継いだことなど、戦死・役職・養子・相続を記す。

登場人物
家守(美作守)、家満(軍介)、新納忠元、家繁(八左衛門・備前守)、宗友(掃部助・八左衛門)、家豊(宗兵衛・宗右衛門)、家良(万右衛門・宇兵衛)、家信(太郎左衛門)、家実(大蔵・勘左衛門)、島津光久、家数(権兵衛)、家張(仙助・七左衛門)、家的(仲兵衛・治部太夫)、家年(源右衛門)、家親、家貞(喜左衛門・五兵衛)、家永(長次郎)、家重(千左衛門)
宛先
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キーワード
市来家氏流系図、家守、家満、新納忠元妹、天正六年、新納院高城戦死、家繁、永禄十二年、頴娃地頭、庄内地頭、高城地頭、伊作地頭、蒲生地頭、宗友、家良、兵具奉行、家実、島津光久、太刀・青銅進上、御納戸奉行、穆佐地頭、御側御目付、鹿屋地頭、家数、家張、高奉行、家的、大坂死去、家年、家親養子、家貞、江戸死去、家重、寛文五年、家督継承
旧記雑録拾遺 著作史料集8-文書ID W02_19書付旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

伊地知季安書付

季安は御徒目付に任じられたことを届ける覚に、役料米二十四俵一斗、持高五十六石、原坂元村内の借地、年齢六十六歳を列記し、明細書を提出すると記す。

登場人物
伊地知季安、調所広郷
宛先
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キーワード
伊地知季安・御徒目付・役料米・原坂元村