北郷久加譜
年月日未詳 / 冊子 199頁
北郷久加譜の記事。慶長十三年、久加が五歳の時、龍伯から景光の脇指、備前吉房の薙刀、国綱の太刀を厳親三久を介して下賜され、翌年二月に城州伏見で忠能に代わったことを記す。
SEARCH THE ARCHIVE
『旧記雑録』前編・後編・附録10冊と追録1~8(暫定版)、『旧記雑録拾遺 伊地知季安著作史料集1~9』『家わけ1』(暫定版)、関連史料(外伝)『島津世禄記』の46,754件を横断検索できます。検索範囲は史料群・巻を組み合わせて選べます。結果は50件ずつ表示します。
229 件 (全巻)/ 1–50件を表示
ページ 1 / 5
年月日未詳 / 冊子 199頁
北郷久加譜の記事。慶長十三年、久加が五歳の時、龍伯から景光の脇指、備前吉房の薙刀、国綱の太刀を厳親三久を介して下賜され、翌年二月に城州伏見で忠能に代わったことを記す。
慶長二十年 / 冊子 569頁
北郷久加の元服を祝って、天福と地徳が満ち、君の代が久しく続くことを願った島津義弘の祝歌。
年月日未詳 / 冊子 8頁
北郷三久が島津忠恒を平佐の館へ招いて盛膳を献じた際、二歳の北郷久加が初めて忠恒に拝謁したことを記す譜記事。奏者は鎌田出雲守政近であった。
年月日未詳 / 冊子 242頁
北郷久加譜の記事。慶長十四年秋、久加が島津龍伯の使者・山口直友に従って駿府へ上り、本多正純の執奏で徳川家康に拝謁し、内府から左文字の宝刀を賜ったことを記す。
年月日未詳 / 冊子 276頁
北郷久加譜の記事。慶長十五年五月、久加に代わる人質として千世鶴を差し出し、従来の北郷忠能が江戸から帰国したことなど、人質交替の経過を記す。
年月日未詳 / 冊子 569頁
元和元年、十二歳の北郷久加が元服し、島津家久が加冠して又次郎と名乗らせ、宝刀を与えた。島津義弘も銭二千疋を贈り、祝歌を添えたことを記す北郷久加譜の記事。
年月日未詳 / 冊子 823頁
寛永元年十一月、島津家久が江戸城へ参勤した際、北郷久加が供奉し、翌年六月に暇を賜って帰国したことを記す北郷久加譜の記事。
年月日未詳 / 冊子 51頁
北郷久加が寛永五年の年頭使者となり、上洛して二条城で賀礼を述べ、江戸城でも酒井忠世を通じて主君の意向を上申し、時服五領・羽織四領を賜った。西の丸でも土井利勝を介して新春を祝い、時服五領を拝領し、二月十日に江戸を辞して三月二十日に帰着した。
年月日未詳 / 冊子 131頁
北郷久加が鷹府亭に島津家久・姫君と供奉の貴族を招いて饗応し、馬・青銅・時服などを拝領する一方、太刀・馬代・青銅を献じたこと、仁礼頼景が又次郎から佐渡へ改号したことを記す譜記事。
年月日未詳 / 冊子 449頁
寛永十一年九月十一日、北郷久加が芝の島津家屋敷地を監督するため江戸へ赴き、それまで勤めていた入来院重国に代わったことを記す系譜記事。
年月日未詳 / 冊子 629頁
家久の病気に対して将軍家光が久志本式部少輔を薩摩へ遣わして治療させたため、北郷久加が謝恩使として江戸へ赴いたことを記す。玉城で趣旨を述べ、帷子三・羽織一を賜って帰国し、祭主与左衛門重政が随行した。
年月日未詳 / 冊子 686頁
寛永十四年十月下旬、島原・天草で切支丹門徒らが蜂起し、松倉・寺沢両家の家老が近国へ援兵を求めた。病床の家久は国中の兵を催し、北郷久加ら諸将に領内兵を率いて国境に待機するよう命じた。翌年、上使の指揮下で残党を討ち、島原城落城後に富岡で松平信綱へ謁見して帰国したと記す。
「寛永十七年」二月廿日 / 冊子 101頁
北郷久加と山田有栄が、江戸から来た飛脚と下関で会い、上使が薩摩へ下向するとの書状を受け取ったため転送した連署書状。上使との行き違いを避けるため飛脚を陸路で下し、光久一行が大坂で数日待って参会できるよう、船中・道中の行程と受入れを関係重臣が相談するよう求めている。
四月十六日 / 冊子 89頁
北郷久加ら三名が、根占七郎による沿岸各地の巡見に際して回した廻文。各地では宿の用意を念入りに行うこと、宿の亭主から礼物を受け取らないことを厳命し、鹿児島・横井・伊集院・神川・日置へ順次伝達するよう指示している。
四月十六日 / 冊子 171頁
本文はNo.223と同文として省略され、あわせて『旧記雑録追録二』No.688と同文である旨を掲げる。No.223によれば、北郷久加ら三名が、根占七郎による沿岸各地の巡見に際し、宿の用意を念入りに行うこと、宿の亭主から礼物を受け取らないことを命じ、鹿児島・横井・伊集院・神川・日置へ順次伝達させた廻文。
年月日未詳 / 冊子 140頁
久加が家久に従って江戸へ赴き、四月十八日の家光御成と同月二十一日の相国秀忠御成で太刀などを進献し、袷・白銀を拝領したこと、その後に帰国したことを記す。
年月日未詳 / 冊子 34頁/原整理番号 46
『北郷久加世別記』は、富岡で松平主税介・伊東大和守が番を務めるため、太守島津家久が北郷久加を御使者として派遣するよう命じ、久加が有馬から島津下野守久元の書状でこれを承知して、正月二十九日に「かう祢」から出船したと記す。本文には正月二十九日があるが、目録年月日は空欄のため年月日欄は空欄を維持する。
年月日未詳 / 冊子 58頁/原整理番号 86
『北郷久加世別記』の記事。同月三日、上津浦へ帰陣したことを記す。傍記の『上六日在』『下九日在』は別記中の所在を示す注記として扱い、目録年月日欄は空欄を維持する。
年月日未詳 / 冊子 106頁/原整理番号 165
『北郷久加世別記』。天草の切支丹狩の帳面を有馬へ持参するよう島津久元から命じられ、二月九日に上津浦を出船して有馬へ渡り、松平信綱・戸田氏鉄へ提出した経緯を記す。目録年月日欄は空欄のため本文日付をB列へ補入しない。
十月十五日 / 冊子 68頁
川上久國らが、江戸から下向する上使を迎えるため発した連署廻文。通行路の道・橋を念入りに普請し、上使通過時は下々まで見物に出ないこと、途中で出会った場合は平伏して慎むことを厳命する。
年月日未詳 / 冊子 733~734頁
北郷時久の三男三久を祖とする庶流系図。三久の生没年・母方・法名、娘の鎌田政喬への婚姻、久加・久精以下の家系と伊集院・伊勢・相良氏への養子・婚姻関係を記す。
寛永廿一年十一月十三日 / 冊子 364頁
島津光久の補任書下。北郷久加は前代からの家老筋ではないが、今度加判役を命じるので、万事の差引に遠慮せず、藩のためになることは念を入れて懇切に奉公するよう命じる。
寛文六年八月十七日 / 冊子 519頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書1162
島津光久が北郷久加へ、国元の留守居役を命じ、家老衆・諸士について遠慮なく言上すること、病身や家老中との相談の難しさがあっても他に任せる者がいないため請けるよう申し渡した口上覚書。
寛文七年一月三日 / 冊子 526~527頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書1185
島津光久が、病後で留守居役を命じられた北郷久加に、江戸で又三郎(島津綱貴)の守役を務めるよう重ねて求めた仰書。綱貴の才発を認めつつ、当世の作法と合わない薩摩家中の古風な慣行を見分けて指南するよう命じる。
(寛文七年)七月五日 / 冊子 534~535頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書1214
島津光久が北郷久加へ、又三郎に奉公し、その行跡をよく見守って気付いた点は遠慮なく申し上げること、近習の者に無作法がないよう厳しく申し付けること、下屋敷は島津中務が行ってきた仕置のとおり取り扱うことを命じた口上覚。
年月日未詳 / 冊子 17頁
島津光久が家督後初めて帰国を許された際、北郷久加が礼使として江戸城へ赴き、単衣四領を拝領して帰国したことを記す譜記事。久加は江戸滞在中に伊集院地頭職へ補任され、北郷吉左衛門忠盈が随行した。
年月日未詳 / 冊子 64頁
寛永十六年十一月、北郷久加が御旅家老に補任されたことを記す記事。
年月日未詳 / 冊子 103頁
北郷久加が島津光久の江戸参勤に供奉し、北郷次郎兵衛久利と祭主與左衛門重政も従ったが、勤仕中に長野金山の件によって帰国したことを記す譜記事。
「寛永十七年」三月二日 / 冊子 103頁
北郷久加と山田有栄が国元の重臣らへ、島津光久一行の大坂到着と伏見へ上る見込み、江戸からの飛脚到着を報告した連署書状。飼育を命じられた熊の子が死んだ件、琉球から来た南蛮人二人と付添二人、七島の平良島へ来た唐人三人を長崎へ送る件を伝え、追而書では塩屋休兵衛を召し置いたことと扶持方が未決であることを知らせている。
「寛永十七年」四月廿六日 / 冊子 107~109頁
北郷久加・伊勢貞昌・山田有栄が国元の重臣らへ、祁答院長野金山の弥右衛門尉から確実に金が出るとの報告と砂金・吹金が届き、島津光久へ披露したところ大いに喜ばれたと伝えた連署書状。産金が続けば詳細を公儀へ披露するため再報を求め、金掘の人数と上納条件は産出状況に応じて協議し、性急に催促して掘手を立ち退かせたり、成果確定前に大事として扱ったりしないよう慎重な運営を指示している。
「寛永十七年」四月廿七日 / 冊子 110~111頁
北郷久加・伊勢貞昌・山田有栄が国元の重臣らへ、公方から犬追物について尋ねがあるため、島津光久の意向により川上十郎左衛門尉入道を必要な書物とともに上らせるよう命じた連署書状。後注はこの人物を川上芳菊とし、六月四日に使者として下った件に触れている。
「寛永十七年」六月十日 / 冊子 119~120頁
北郷久加・山田有栄・伊勢貞昌が国元の重臣らへ、島津大和久章が先月に暇を得て五月朔日に京都三条へ着き、十七日まで逗留したものの、各所へ出歩き、供の者にも居所が分からない状態であったと報じた連署書状。予想外の行動に薩州様も驚いたことを伝え、当時の詳しい事情は市来備後守から口上で申し上げるとしている。
年月日未詳 / 冊子 242頁
北郷久加世別記の記事。島津光久の江戸からの帰国に際し、久加が領地の伊集院にある御仮屋へ赴いて迎えの準備をした。六月十七日に光久が伊集院御仮屋へ到着すると膳を献じ、川上因幡守久国・伊勢兵部少輔貞昭らとともに相伴して帰国を迎えたことを記す。
年月日未詳 / 冊子 318頁
北郷久加譜の記事。正保元年十一月十三日に日向国高崎地頭へ補任されたことを記し、霧島神社の社殿修理・造営や寄進を行って神徳を仰ぎ、家運長久を祈った経緯と棟札・銘文を掲げている。
寛永廿一年四月二日 / 冊子 329頁
北郷久加ら四名が、川辺の山之寺客殿が破損したため再建勧進を行うことを許可し、領内の貴賤を問わず志に応じて寄進するよう命じた連署書下。
年月日未詳 / 冊子 335頁
北郷久加譜の記事。正保元年四月、島津光久が琉球国中山王の使節を伴って江戸へ赴いた際、北郷久加も供奉したことを記す。
「寛永廿一年」九月二日 / 冊子 348~349頁
北郷久加が三司官らへ、諸所の地頭帳を衆中の石高・人数まで詳しくして早急に提出するよう求める書状。併せて七島へ異国船が着岸し、上陸者一人を捕らえて長崎へ送った事件と、その報告が江戸の阿部忠秋へ伝えられた経緯を知らせ、今後も異国船着岸時には速やかに薩摩へ上申するよう命じる。
「正保元年」九月九日 / 冊子 353~354頁
北郷久加・新納久詮の連署書状。阿部重次から大名家臣へ、南蛮宗禁制を重ねて徹底するよう命が出たことを伝える。当年長崎へ来た唐船にキリシタン宗門の唐人がいるとの訴えがあり、取調べで唐人を南蛮宗へ勧誘した者の存在も問題となったため、領内での探索・申告・港湾監視を急ぐよう指示する。
「寛永廿一年」九月廿四日 / 冊子 355頁
北郷久加・新納久詮の連署書状。禁制相撲興行の件について、酒席・評定場・宿所などにいた関係者を召し出し、各人の書付と証言を集めて相互に照合するよう命じる。主催・参加・見物の経緯、誰が呼び寄せたか、供述の食い違いを厳密に調べ、隠し立てなく報告するよう求める。
「寛永廿一年」十月朔日 / 冊子 357頁
北郷久加・新納久詮の連署書状。江戸城西丸作事に伴い、薩摩から材木二千五十本を進上することを阿部忠秋へ目録で届けたと報告する。代銀約六十六貫目が必要だが蔵銀がないため、商人伏見屋又兵衛と相談し、その手前から立て替えて上納させるよう手配した。
「寛永廿一年」十月七日 / 冊子 357~358頁
北郷久加・新納久詮の連署書状。津田平右衛門が上使として参り、将軍の御鷹で捕らえた雁を島津光久が拝領した慶事を伝える。併せて犬追物稽古について古法を守るよう命があり、その趣旨を関係者へ申し下すよう指示する。
「寛永廿一年」十月十五日 / 冊子 358~359頁
北郷久加・新納久詮の連署書状。肥後笠猪兵衛をめぐる入組の件が評定所へ出されたため、関係者・証人を召し寄せ、猪兵衛が「山先」を務めたか否か、過去の奉公や証文・書付の有無を調べるよう命じる。供述の矛盾を公平に確認し、各人の書付をそろえて報告することを求める。
「寛永廿一年」十月十八日 / 冊子 361~362頁
北郷久加・新納久詮の連署書状。肥後国の笠猪兵衛が金山の山先をめぐる申し分を評定所へ提出し、国許でも興国寺参詣の折に目安を差し上げた件について、その後の相談・処置を報告するよう求める。証拠・証人を精査し、猪兵衛の主張に確かな根拠がなければ速やかに申し渡すよう指示する。
「寛永廿一年」九月廿五日 / 冊子 362~363頁
北郷久加の書状。笠猪兵衛が江戸へ下り、金山山先の件を公儀へ訴えたため、島津図書頭家中の関係者を召し寄せて従前の経緯を吟味し、急ぎ報告するよう命じる。米・銀などの受け渡し、宿主や証人の供述も確認し、隠匿や不正がないよう調査する。
年月日未詳 / 冊子 364頁
北郷久加譜の記事。寛永二十一年十一月十三日、北郷久加が御家老職に補任され、御証判を受け、役料米千石を与えられたことを記す。続く補任書下の由来を示す記事。
正保二年一月十八日 / 冊子 1~2頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0002
北郷久加・新納久詮が、若君の元服に備えて能役者らを早急に召し寄せること、職務不履行の大寺喜左衛門に代えて海江田仲左衛門尉を秋目地頭に任じること、知行高に応じた乗馬・小荷駄の奉公基準を伝えた連署書状。
正保二年三月二日 / 冊子 6~7頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0008
北郷久加・新納久詮が、新納久詮の持継役を島津久通が加判役として相続すること、兵庫頭殿仮屋・客屋・蔵長屋と屋敷図の割当てを伝える。さらに領内で生まれた子を殺すことを従前から禁じているのに密かに行う者があるとして、与頭等に調査させ、知行取・百姓町人それぞれの科料を定めて厳禁する。
正保二年四月二十六日 / 冊子 17~18頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0021
北郷久加・新納久詮が、去る四月二十三日に若君が大納言となった祝いとして、この日御両殿様が登城し、若君へ御馬代と猩々皮二十間を進上したと報告する。来る二十八・二十九日に城で能があるため、それを見物してからの帰国を見込み、暇にもなお時間がかかると伝える。
正保二年八月二十四日 / 冊子 22~23頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0033
北郷久加・新納久詮が、長崎への使者派遣、上使への対応、礼状・御案紙の送付、入念な処置を山田民部少輔に伝えた連署書状。
正保二年十月七日 / 冊子 26頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0039
北郷久加・新納久詮が、十月四日に津田平右衛門尉が上使として来て鷹の獲物の鶴を拝領したことを、目出度いと伝える。さらに、犬追物稽古はますます律儀に古法を守るよう仰せ出されたとして、宛先側に心得を求める連署書状。