伊勢貞昭書状
六月廿日 / 冊子 58頁
伊勢貞昭が霧島座主に、大御前様の病気平癒祈願を依頼した書状。薩州様から寄進された脇差を差し上げたことを伝え、病状が重いのでこの機会に精誠を尽くして祈念するよう求める。
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六月廿日 / 冊子 58頁
伊勢貞昭が霧島座主に、大御前様の病気平癒祈願を依頼した書状。薩州様から寄進された脇差を差し上げたことを伝え、病状が重いのでこの機会に精誠を尽くして祈念するよう求める。
慶安二年十二月七日 / 冊子 163~164頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0305
伊勢貞昭・新納久詮・町田久則が五宛所へ、太守の登城は公方の痛みにより延びたが、同朔日に下曾根三十郎を上使として御鷹の鶴を拝領したと報じる。御姫誕生の使者寺山又右衛門が三日に到着したこと、進物や一門の祝儀、京都・大坂の借銀返済と年内の八百五十貫などの調達・処置も相談する。
承応二年十二月四日 / 冊子 240頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0497
鎌田政有・新納久詮・伊勢貞昭が国元の島津図書・島津筑前・町田勘解由へ、北郷佐渡の留守居役、当地の殿様・奥方の無事、霜月十八日に上使斎藤佐源太を介して御鷹之鶴を拝領したことを伝える。奥方等への伝達を依頼し、来七日の催しや松平隠岐守の御家等への伝達にも触れる。書状は十二月四日付、封面は承応二年十二月二十五日持下。
(承応三年)十月廿九日 / 冊子 247頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0522
伊勢貞昭が国元家老四人へ、御前様の御繁昌につき少将様から国府市郎左衛門を遣わし、書付どおり祝物を調えて披露したことを報じる。兄弟衆・一所衆・各相中の祝物も差し上げて喜ばれた。御姫様への祝物は国元の書立がなく相談して調え、高崎惣右衛門が詳細を取り扱う。隠岐守・河内守の奥方への祝物も調えた旨を付記する。
(承応三年)十二月十二日 / 冊子 250~251頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0532
伊勢貞昭が国元家老らへ、御鷹之鶴を今晩戌の刻に松平伊豆様方で受け取り、木場鉄之介を宰領として送ることを報じる。鶴の到着を早く報告すること、奉書と宿次手形を送り手形は返送すること、御礼使は佐多又四郎が取成すること、年頭使者は別格にすることを求める。末ノ封面には十二月の日欠字と、承応四年正月朔日に木場鉄之介が持ち下った注がある。
(万治元年)八月廿九日 / 冊子 371頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0801
伊勢貞昭が鎌田蔵人へ、曹源院(光久夫人・伊勢氏との刊本注)の葬礼における位牌持は御子様のうちでもよいという内意だったが、自分に命じられたと伝える。この事情を適当な折に耳へ入れ、上聞に達するよう求める。
年月日未詳 / 冊子 246頁
伊勢貞昌自記。朝鮮出兵時の川内山田、庄内合戦後の谷山、祖父新納忠元との縁による大口地頭就任と辞退、谷山復帰を述べ、馬の調練や妻子・娘の婚姻など家政上の出来事を記す。
慶安二年十月三日 / 冊子 161~162頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0300
前年秋以来の琉球国継目の儀が無事に認められ、使者が役目を果たしたことへの安堵と祝意を中山王へ伝えた連署書状。
慶安二年十月十三日 / 冊子 162頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0301
種子島にいた柴春の急逝を受け、遺言・家督・所領処置等について三老の意向と公儀への申上げ方を国許へ伝えた三名連署書状。
慶安二年十一月晦日 / 冊子 162~163頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0302
北郷式部・島津玄番と同様に私領の山を給された件に関し、公儀用の刀木等の召上げ、山からの収益・給付の扱いについて国許へ指示した三名連署書状。
慶安二年十二月二十三日 / 冊子 164~165頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0306
又三郎に姫が生まれた祝儀の使者として、国元の衆中から寺山又右衛門が江戸へ来たことを披露し、上意がたいへん満足したと報じる。各方から早く消息を伝えるよう求め、詳しくは島津安芸が説明するという三名連署書状。封面に十二月二十三日付の状を翌年二月二十一日晩に持参した旨の注がある。
慶安三年正月十六日 / 冊子 167頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0310
役人の勤仕、上申・取次の手順、女房衆の扶養、屋敷の火の用心、屋敷内の配置など、家中役人が守るべき事項を列挙した連署条書。
慶安三年閏十月二日 / 冊子 182頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0347
前年の琉球王使者への返事が遅れた事情、帰帆・再派遣、使者交替や中村佐五右衛門の処置などを説明した四名連署覚書。
慶安四年九月十八日 / 冊子 204頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0400
琉球から江戸へ参府した使者の帰国にあたり、進物・書簡、道中の取扱い、使者の交代や今後の参府方法について指示した達書。
慶安2年10月13日 / 冊子 248頁/原整理番号 198
児玉作左衛門を介して届いた書面を披見し、種子島にいた栄俊が先月八日に急逝したことを伝える連署書状。栄俊が種子島にいた事情は以前から公儀も承知しており、御三老の使者を通じて披露した旨を述べる。慶安二年十月十三日付。
慶安二年五月十七日 / 冊子 152頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0276
御姫様と嶋津右馬頭の縁組について、老中への内証を経て一昨十五日に城で許容を承ったことを国元へ報じ、慶祝を述べる三名連署書状。差出は島津久通・新納久詮・伊勢貞昭。封面に五月十七日付の状を六月二日に亀山主馬が持参し、姫様・右馬頭の縁与の件を仰せ出された旨の注がある。
年月日未詳 / 冊子 378頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0828
島津光久が万治二年二月四日に鹿児島を出帆して参勤し、家老伊勢貞昭らを従えて西海路を進み、三月二十八日に江戸邸へ着き、翌日上使稲葉正則の慰問を受け、拝礼と献上を行った記事。
(寛文元年)閏八月廿四日 / 冊子 443頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0952
町田久則・伊勢貞昭・鎌田政直の三名が阿谷屋親方へ、少将から宇治茶一壺・鰹節一匣・樽一荷を拝領するので、ありがたく頂戴するよう伝えた家老中連署書状。
(寛文元年)閏八月廿四日 / 冊子 443頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0953
町田久則・伊勢貞昭・鎌田政直の三名が饒波親雲上へ、少将から茶碗十、宇治茶一壺、鰹節一箱、樽一荷を拝領するので、ありがたく頂戴するよう伝えた家老中連署書状。
年月日未詳 / 冊子 242頁
北郷久加世別記の記事。島津光久の江戸からの帰国に際し、久加が領地の伊集院にある御仮屋へ赴いて迎えの準備をした。六月十七日に光久が伊集院御仮屋へ到着すると膳を献じ、川上因幡守久国・伊勢兵部少輔貞昭らとともに相伴して帰国を迎えたことを記す。
正保三年三月十七日 / 冊子 35頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0060
三名が主君への奉公と御相博の儀に背かず、他家へ奉公せず、讒言や不忠を行わないことを誓った連署起請文前書。
慶安二年四月三日 / 冊子 147~148頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0269
琉球へ下す条書、南蛮使者船・積荷・船材、長崎・薩摩間の航路と手続、家臣処置や年寄衆の役割について指示した四名連署書状。
慶安二年五月二日 / 冊子 151頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0273
奈須三左衛門を父奈須五左衛門の跡職に任じ、五左衛門を名乗らせること、屋敷・扶持等の処置を国許へ指示した三名連署書状。
慶安二年六月十九日 / 冊子 153頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0279
六月九日夜、京都の薩摩藩蔵屋敷で火災が起こり、土蔵の道具を含め屋敷が全焼したが、隣家への延焼はなかったことを国許へ知らせた三名連署書状。
慶安二年七月七日 / 冊子 153~154頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0282
島津光久の病状、医師の診療、祈祷・御札の手配、将軍家からの見舞使者などを国許へ詳報し、引き続き祈念を求めた三名連署書状。
慶安二年七月九日 / 冊子 154~155頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0283
琉球国への使者および琉球人の取扱いについて、長崎方面との連絡・返事の手順を示し、関係事項を遅滞なく申し越すよう求めた三名連署書状。
慶安二年七月十三日 / 冊子 155~156頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0284
琉球渡海船の便乗者・積荷・長崎寄港等について報告を受け、漂着や遅延時の措置、乗員の上陸制限、次便での連絡方法を指示した三名連署書状。
慶安二年七月十三日 / 冊子 156頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0285
琉球船や異国人の入津に際し、許可なく上陸させず、船荷・乗員を厳格に調べ、琉球国の儀についても関係奉行と相談して処置するよう命じた三名連署書状。
慶安二年八月二十九日 / 冊子 156~157頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0286
長崎へ入津した南蛮船に日本人を装う者らが乗っているとの情報を受け、上陸を許さず、来歴を厳重に詮議し、琉球船との関係も含め報告するよう指示した三名連署書状。
慶安二年八月二十九日 / 冊子 157頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0287
長崎へ入津した船の乗員について、南蛮人の潜入を疑って身元・渡航経路を調査し、上陸を禁じて厳重に処置するよう重ねて命じた三名連署書状。
慶安三年四月十一日 / 冊子 168頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0313
幕府から書物・東鑑の一部や城郭関係の御用について召寄せがあり、平田清右衛門らの派遣、道具・書籍の手配を国許へ指示した三名連署書状。
慶安三年四月二十八日 / 冊子 169頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0315
光久の帰国許可と松平信綱・松平乗寿への御礼、帰国準備と期限内の出立について国許へ知らせた三名連署書状。
明暦三年九月十一日 / 冊子 350~351頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0751
島津久通らが、運賃船への私荷積載、琉球からの女性連行、武具・商品売買、船頭・水主の祝儀や酒宴、帆・木綿等の不正、琉球と領内間の無断往来を禁じた船舶取締定書。
万治三年九月廿一日 / 冊子 429頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0902
島津久通ら家老五名が三司官へ、七月に八重山近辺で破損したオランダ船への対応を指示した達書。島民の救助・接待と拾得物の保管を評価し、残荷・船体・道具の保護、長崎への連絡、乗員・宰領の移送を命じ、今後も諸島で同様に遭難者を厚遇するよう求める。
(寛文元年)七月十二日 / 冊子 439頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0939
島津久茂と島津久頼が鎌田政有ら五名へ、将軍の機嫌伺いの使者には岩元清左衛門を差し出すので国元から別に召し上げる必要はなく、冬の機嫌伺い使者は頃合いを見て命じ、時期は追って知らせると達した連署書。
(明暦元年)七月十二日 / 冊子 363~365頁/原整理番号 38
島津久通ら五名の連署覚。順治帝から琉球へ使者船が渡来するとの風聞を受け、江戸の老中へ内意を尋ねた経過を記す。清朝使節の受入れ、琉球を介した唐との通交、冠船の取扱い、幕府への報告、琉球へ派遣する使者と指示内容などを協議し、国際関係を損なわず慎重に処置する方針を整理する。
(明暦元年)七月十三日 / 冊子 365~366頁/原整理番号 39
島津久通ら五名の連署書状。長崎の薬丸刑部左衞門から、琉球へ清朝の冠船が渡来するとの風聞や福州での大船建造の情報が届いたことを伝える。琉球へ誰を派遣するかを早急に決め、派遣者への指示を国元から示すよう求める。
(明暦元年)九月十三日 / 冊子 366頁/原整理番号 40
島津久通ら五名が遠山三郎左衞門に宛てた連署書状。琉球へ清朝の使者が渡来するとの風説を大隅守から江戸の老中へ披露し、その旨を飛脚で松平定行へ報告した経過を伝える。琉球へ二人の使者を派遣したことも知らせ、定行への披露を依頼する。
(明暦元年)九月十三日 / 冊子 366~367頁/原整理番号 41
島津久通ら五名の連署書状。長崎で広まった清朝使節船の琉球渡来説について、現地の情報収集者から奉行所へ届け、通事を介して唐船に確かめた内容を覚書形式で報告する。大船建造や使節派遣の情報を列挙し、付記では松平定行へ竹宮内記を使者として差し向けたと記す。
(明暦元年)九月六日 / 冊子 367~368頁/原整理番号 42
松平定行が島津家の家老五名に宛てた書状。島津光久の在国中の無事と、江戸在府の島津忠朗の安泰を伝える。琉球へ渡る清朝の冊封使船をめぐり、福州船や漂着船の情報を示し、幕府への申達と琉球側の受入れ対応について相談する。
(明暦元年)九月廿三日 / 冊子 368頁/原整理番号 43
島津久通ら五名が遠山三郎左衞門に宛てた連署書状。松平定行からの書状を受け、琉球へ向かう清朝の冊封使船、福州での船の準備、漂着唐人の口上などを報告する。幕府内証のうえ琉球側へ指示する必要があるとして、定行の意見と仲介を求める。
(明暦元年)九月廿七日 / 冊子 368~369頁/原整理番号 44
松平定行が島津家の家老五名に宛てた書状。琉球から唐へ渡る進貢船が海賊被害に遭った件について、長崎の唐船・東寧船への調査と過料銀の措置を伝える。あわせて琉球へ渡る冊封使船の情報と、竹宮内記が持参した書状への返答を述べる。
慶安二年三月三日 / 冊子 145~146頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0266
太守の大坂到着と出立予定、鎌田又七郎を使者とする処理を報じる。江州沢山に籠居するという大野主馬子息について探索・長崎への伝達を求め、同族等から事情を調べるよう述べる。東西両御門跡の使者が取次の先後を争った経緯と帰宅の処置、今後の取次への注意が続く。末尾では借銀が整わず差し迫った用に応じ難いことを案じ、蔵入方等への配慮を求める。
明暦三年九月十一日 / 冊子 351~354頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0752
島津久通らが、南蛮船・唐船・異国人への対応、漂着船と荷物、琉球往来、在番衆、船頭・水主・乗客、武具・貨物・女性、密売買・私渡海・不正運賃等を詳細に禁じ、違反時の届出と処罰を定めた連署掟書。
寛文六年五月十七日 / 冊子 517頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書1154
土屋数直が島津光久へ、将軍家綱が息災であること、伊勢内記が先月二十八日に首尾よく御目見えし謝礼使を差し越したこと、今月六日の大坂出船を承知したことを伝えた書状。
明暦元年九月十三日 / 冊子 435~436頁/原整理番号 16
明暦元年九月十三日、清から琉球へ使者船を送るとの風説を長崎の情報と唐船船頭の話で確かめ、薩摩から幕府に報じた経緯を記す。幕府は琉球に清使が来て衣冠を変えるよう求めても状況に応じて対処し、それ以外は領国のこととして薩摩が計らうよう伝えた。薩摩は高崎・本田を琉球へ派遣した。
慶安三年六月二十八日 / 冊子 171~172頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0321
御孫が急逝したとの報を受け、祈祷・療治を尽くしたが及ばなかったことを伝え、国許の関係者へ報告した連署書状。
慶安三年七月朔日 / 冊子 172頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0322
又三郎の幼い姫が死去し、六月十八日晩に泉岳寺へ取り置き、幼少ゆえ特別な作法を行わなかったことを報じる。葬送に関わる三名への内談と国元からの書状、先物奉行の算用処理、松平右京方との御門番の出合・意見照会を述べる。さらに井上筑後守末の孫の不慮死と、井伊掃部頭の疝気・腫気を伝え、物沙汰や見舞いを慎重にするよう求める。
慶安三年八月八日 / 冊子 173~174頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0324
八月五日、上使石川弥左衛門によって御鷹の雲雀を拝領し、登城御礼も整ったことを報じる。国元からの御礼や、暇に際する祝物を受けたこと、人員を国元へ差し出すこと、返答の書状・飛脚の相談を述べる。島津中務は前日に首尾よく登城したと記し、奉書が出れば急いで知らせるという。
慶安三年八月晦日 / 冊子 176頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0331
有馬郷兵衛が判紙・絵図を届け、絵図について隠岐守へ伺い、出された奉書の写しを送ったことを報じる。移徙の祝物、諸人への書状、又三郎の下国祝儀の御樽・使者の手配が続く。末尾は昨日の奉書、西御丸の移徙、進上する籠の出来を伝える。封面に御城破損の絵図と移徙に関する抜記、九月十七日持下の注がある。