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『旧記雑録』前編・後編・附録10冊と追録1~8(暫定版)、『旧記雑録拾遺 伊地知季安著作史料集1~9』『家わけ1』(暫定版)、関連史料(外伝)『島津世禄記』の46,754件を横断検索できます。検索範囲は史料群・巻を組み合わせて選べます。結果は50件ずつ表示します。

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半頁~1頁程度。一つの用件をある程度詳しく記すもの、複数項目を含む目録・交名。
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1頁を超え3頁未満。複数の用件・事件・人物・地名を含む長文書、詳細な譜記事・合戦記録・日記・知行帳。
特大
冊子頁3頁以上。長大な日記・軍記・系図・知行帳・軍役帳。

32 件 (全巻)/ 1–32件を表示

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後編2-No.1342文書確認度 中

伊集院幸侃書状

幸侃が検地の際には薩摩衆の過半を補助として付けるとの話を喜び、それが実現すれば万事残りなく進むと述べる。あわせて又八郎忠恒の祝儀も無事に済み、関係者が同席して上下ともめでたいと伝える。 検地実務への大規模な家臣動員と、忠恒の婚礼祝賀を同時に報告した書状。冒頭数文字は原資料でも判読しにくいため、その部分は断定を避けた。

登場人物
伊集院幸侃、島津忠恒、相良五左衛門尉、山崎仲兵衛尉
宛先
相良五左衛門尉殿・山崎仲兵衛尉殿
キーワード
伊集院幸侃、島津忠恒、相良五左衛門尉、山崎仲兵衛尉、太閤検地、薩摩衆、過半動員、婚礼祝儀、又八郎
後編2-No.1022文書確認度 高

大島忠泰書状

高麗在陣中の大島忠泰が、家族には自分を心配しないよう伝え、大蔵仲兵衛・九郎左衛門尉らに留守宅と家中のことを託した書状。 十八日以降の日付ごとに、宿泊地、進んだ里数、川口への船着きなど移動の経過を細かく報告し、書状や贈物の受け渡しにも触れる。 軍務の背後にある家族への気遣い、留守居の運営、朝鮮在陣者の通信と移動実態が一通から読み取れる私信。

登場人物
大島忠泰、大蔵仲兵衛、九郎左衛門尉、五介、十介
宛先
家族・留守居衆(具体名判読要確認)
キーワード
大島忠泰、高麗、朝鮮出兵、家族、留守居、大蔵仲兵衛、船着き、旅程、通信、在陣書状
後編2-No.1024文書確認度 高

大島忠泰書状

大島忠泰が内方へ、留守宅の火の用心を徹底し、仲兵衛の黒役や家中の作事について下代衆へ指示するよう頼む。 小吉・宮役殿・弥太右衛門らへの伝言、手紙や贈物の受け渡し、船を出す日取りについても細かく書き、三~五日中の好日を見て出船すると知らせる。 在外中の夫が妻へ家政・人間関係・輸送を託し、「心遣いあるまじく」と安心させる、生活感の濃い私信。

登場人物
大島忠泰、仲兵衛、小吉、宮役殿、や八、弥太右衛門
宛先
内方(妻)
キーワード
大島忠泰、内方、妻、火の用心、仲兵衛、小吉、宮役殿、弥太右衛門、出船、家政、私信
後編2-No.1029記事確認度 高

島津義弘譜

平壌退却後、朝鮮の群盗が王城―釜山間の往還を塞いだため、奉行衆が咸鏡道の加藤清正を王城へ戻して鎮圧させる方針を決める。 敷根仲兵衛が使者を志願し、猿渡掃部兵衛と鉄砲の巧者百人を伴って甲山城へ赴き、清正に帰城命令を届けた経過を記す。 島津家臣が危険な連絡路を突破し、全軍の再編命令を伝えた具体的な軍使活動が分かる。

登場人物
島津義弘、加藤清正、敷根仲兵衛、猿渡掃部兵衛、増田長盛、石田三成、大谷吉継
宛先
—
キーワード
島津義弘、加藤清正、敷根仲兵衛、猿渡掃部兵衛、咸鏡道、甲山城、群盗、王城、釜山、鉄砲衆、軍使
後編4-No.206文書確認度 高

伊集院抱節・山田理安連署知行地割目録

伊集院抱節・山田理安が連署した、財部内の知行地割目録。蒲興禅寺内などの田地を田位・面積・石高ごとに示し、仲兵衛・五郎右衛門・権右衛門・助六・伝右衛門・源太・弥六左衛門らへ割り付ける。総高二十三石九斗余と、ほかに高山へ遣す七石余を記し、二口を合計する。

登場人物
伊集院抱節、山田理安、伊集院五郎介、仲兵衛、五郎右衛門、権右衛門、助六、伝右衛門、源太、弥六左衛門
宛先
伊集院五郎介
キーワード
伊集院抱節、山田理安、伊集院五郎介、知行地割目録、財部、蒲興禅寺、田位、田地、面積、石高、仲兵衛、五郎右衛門、権右衛門、助六、伝右衛門、源太、弥六左衛門、高山、慶長十一年五月二日
後編4-No.405記事確認度 高

殉国名簿

慶長十二年十一月八日、伊勢平左衛門貞成が肥前寺沢侯のもとへ使者として赴き、高畠仲兵衛と戦って唐津で死去したこと、および享年三十九歳と記す記事。

登場人物
伊勢平左衛門貞成、寺沢侯、高畠仲兵衛
宛先
—
キーワード
伊勢平左衛門貞成、肥前、寺沢侯、使者、高畠仲兵衛、戦闘、唐津、死去、享年三十九歳
後編4-No.406記事確認度 中

島津家久譜

島津惟新が寺沢広忠への使者に伊勢貞成を選び、主従五十二人で唐津へ派遣した経緯と、帰途に寺沢家臣高畠仲兵衛が貞成を茶に招いて襲撃し、戦闘に至った事件を記す系譜記事。

登場人物
島津惟新(義弘)、伊勢平左衛門尉貞成、寺沢志摩守広忠、高畠仲兵衛
宛先
—
キーワード
島津家久譜、島津惟新、伊勢貞成、寺沢広忠、唐津、高畠仲兵衛、使者、天草、襲撃事件
後編4-No.407文書確認度 高

寺沢広忠起請文

慶長十二年十一月十一日、寺沢広忠が島津家久(羽柴陸奥守)へ、天草で起きた伊勢貞成と高畠仲兵衛の不慮の争いについて、自身に企図や指示は全くなかったと諸神に誓い、虚偽なら神罰を受けるとした起請文。

登場人物
寺沢広忠、伊勢平左衛門貞成、高畠仲兵衛、島津家久(羽柴陸奥守)
宛先
羽柴陸奥守(島津家久)
キーワード
寺沢広忠起請文、島津家久、羽柴陸奥守、伊勢貞成、高畠仲兵衛、天草、争闘、弁明、神文、神罰
後編4-No.1103文書確認度 中

御譜抄

家臣敷根仲兵衛は生来勇敢であったが、度重なる命令違反や不届きがあり、鹿児島で拘束されたのち、福山で斬首されたことを記す御譜抄。

登場人物
敷根仲兵衛、島津家久
宛先
—
キーワード
御譜抄、敷根仲兵衛、島津家久、命令違反、捕縛、福山、斬首、刑罰
附録2-No.1158文書確認度 高

阿多某覚書

普光院からの琉球関係文書一箱、徳川秀忠の御内書、系図調査時に島津弾正が借りた文書の所在を調査した報告。弾正死後に返上され、島津彦太夫から田中五右衛門へ受取が渡された経緯を阿多仲兵衛が記す。

登場人物
阿多仲兵衛、島津弾正、島津彦太夫、田中五右衛門、伊東孫左衛門
宛先
島津家
キーワード
阿多仲兵衛、島津弾正、島津彦太夫、田中五右衛門、普光院、琉球、徳川秀忠、御内書、文書返却
後編6-No.241文書確認度 高

島津久元外二名連署引付

島津久元・山田有栄・頴娃久政が五代仲兵衛尉・三原五郎兵衛尉へ、高二百石を知行および御使役分として与え、両人で支配するよう命じた連署引付。寛永十九年正月二十八日付で、久元が印を据えている。

登場人物
島津久元(下野守)、山田有栄(民部少輔)、頴娃久政(左馬頭)、五代仲兵衛尉、三原五郎兵衛尉
宛先
五代仲兵衛尉殿、三原五郎兵衛尉殿
キーワード
島津久元、山田有栄、頴娃久政、五代仲兵衛尉、三原五郎兵衛尉、高二百石、知行、御使役分、支配、連署引付
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID sar:22記録・覚書旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

猿渡信安由緒覚

猿渡信安が、宇都宮次郎左衛門が羽月へ移された由緒について鮫島仲兵衛の照会に答えた覚書。六代前の猿渡越中が加世田地頭から羽月地頭へ移った経緯と、天正十五年の肥後国合志城主一行に対する島津方の処置、猿渡越中・白坂式部らの役割を述べ、家伝の範囲で回答する。

登場人物
猿渡信安、猿渡越中、宇都宮次郎左衛門、鮫島仲兵衛、島津義久、島津義弘、合志蔵人、白坂式部
宛先
鮫島仲兵衛
キーワード
猿渡信安由緒覚、猿渡信安、猿渡越中、宇都宮次郎左衛門、鮫島仲兵衛、羽月地頭、加世田地頭、島津義久、島津義弘、合志蔵人、白坂式部、天正十五年
追録6-No.617記事旧記雑録暫定版確認度 中

重豪、谷山郷仲兵衛を褒賞し家基の西丸移徙を賀す

谿山郡谷山郷の仲兵衛が私財を出して道路を修め、さらに私蔵の米銭を出して村中の困窮者を賑救したので、この年の冬十二月、若干の品を与えて褒賞したことを記す。続く記事は、同月九日に大納言家基公が西丸へ移ったことに対し、重豪が西城へ使者を遣わし、三種二荷を献じて移徙を祝ったとする。付注は、その使者と月日が欠け、今は考えることができないと記す。移徙の日付と祝賀使者を遣わした日付を区別する。

登場人物
重豪、谷山郷の仲兵衛、大納言家基公、祝賀の使者(名不詳)
宛先
—
キーワード
谷山郷仲兵衛、私財道路修繕、私蔵米銭賑救、十二月褒賞、若干品、家基九日西丸移徙、重豪西城遣使、三種二荷献上、使者・送付日不詳
追録1-No.684書状旧記雑録暫定版確認度 中

鎌田政有書状

鎌田政有が国元の役人へ、鶴御礼使の新納四郎左衛門と雁御礼使の本田仲兵衛が臘月二十八日に登城し、首尾よく正月六日に江戸を出立したことを報じ、御奉書を送る。薩州様が初めて御鷹之雁を拝領したことへの隅州様の祝儀、二種・一荷の調達と御礼の御服の相談、年頭の御礼・御名代、松河内守の参府と御孫誕生の祝儀等を伝える。正月六日付。封面には二月朔日に本田仲兵衛が持ち下ったと記す。

登場人物
鎌田政有、島津光久、新納四郎左衛門、本田仲兵衛、神尾備前守、阿部忠秋
宛先
町田勘解由、新納右衛門、伊勢兵部、鎌田筑後、島津筑前、島津図書
キーワード
鎌田政有、島津光久、新納四郎左衛門、本田仲兵衛、御鷹、鶴、雁、御礼使、江戸到着
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID sar:4文書旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

勝部宗将書状

勝目助左衛門宗将が猿渡信安の先祖由緒について返答した書状。猿渡越中が日向根白坂で戦死したとの伝承、猿渡掃部兵衛の高麗での戦死と帖佐惣禅寺の石塔、石庵妙庵大姉との関係を述べる。さらに、朝鮮で掃部兵衛と同様の働きをした敷根仲兵衛家の証書を、跡目を願う義耕和尚へ渡した経緯を記す。

登場人物
勝目宗将(勝部宗将)、猿渡信光(猿渡越中)、猿渡掃部兵衛、敷根仲兵衛、義耕和尚
宛先
猿渡信安(猿渡喜右衛門)
キーワード
勝部宗将書状、勝目宗将、猿渡信安、猿渡越中、根白坂、猿渡掃部兵衛、高麗、帖佐、惣禅寺、石庵妙庵大姉、敷根仲兵衛、義耕和尚、系譜照会
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID sar:5文書旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

猿渡信安証状

猿渡信安が、安宅三郎兵衛の先祖敷根仲兵衛と自らの曽祖父猿渡掃部兵衛との高麗での関係について証した書付。文禄二年春、石田治部少輔・大谷刑部少輔・増田右衛門佐・加藤主計頭らが在陣するなか、掃部兵衛が書状・感状を携えて使者を務めた経緯と、失われた証拠書類を写しによって確認したことを記す。

登場人物
猿渡信安、猿渡掃部兵衛、敷根仲兵衛、石田治部少輔、大谷刑部少輔、増田右衛門佐、加藤主計頭
宛先
安宅三郎兵衛
キーワード
猿渡信安証状、猿渡掃部兵衛、敷根仲兵衛、安宅三郎兵衛、高麗、文禄二年、石田治部少輔、大谷刑部少輔、増田右衛門佐、加藤主計頭、使者、感状
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID sar:21記録・覚書旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

猿渡信安口上覚

猿渡信安が二男助左衛門の初御目見と太刀進上を願った口上覚。先に提出した家筋由緒書二通について、その後判明した内容と食い違うため返却を願う。あわせて家老衆から返された感状・書状の経緯と、猿渡越中信光から宇都宮次郎左衛門への羽月移封由緒を鮫島仲兵衛へ書き送ったことを付記する。

登場人物
猿渡信安、猿渡助左衛門、川村勝左衛門、吉利治部、高橋左門、鮫島仲兵衛、宇都宮次郎左衛門、猿渡越中信光
宛先
—
キーワード
猿渡信安口上覚、猿渡信安、猿渡助左衛門、初御目見、太刀進上、家筋由緒書、返却願い、川村勝左衛門、吉利治部、高橋左門、鮫島仲兵衛、宇都宮次郎左衛門、羽月
追録5-No.2653御譜記事旧記雑録暫定版確認度 要

重豪参勤ノ途次、芝第焼亡ヲ聞キ帰国ス

芝邸の焼失を受け、家治は二月十八日、宿次奉書で重豪の様子を尋ね、有馬正左衛門純春・伊集院甚助兼伯を宰領として江戸から遣わした。奉書は三月七日夜に芸州廿日市浦へ届き、重豪は翌朝税所次郎右衛門篤仁・三原經處を返使に遣わし、十四日の江戸到着後に井上利容へ証文を呈し、別の書状でも礼を述べた。二月十九日には参勤時期を孟秋へ延ばす奉書が出され、二階堂五郎太夫行照・山本郷太郎郷富が届けた奉書を三月九日に同浦で受け、伊地知彌兵衛季富・郷田仲兵衛兼品を返使に遣わして二十四日に江戸へ返答と礼を届けた。重豪は廿日市浦から直船で豊前大里へ戻り、九州を陸路で進み、三月二十七日に鹿児島へ帰着した。

登場人物
家治・重豪・有馬正左衛門純春・伊集院甚助兼伯・税所次郎右衛門篤仁・三原經處・井上利容・二階堂五郎太夫行照・山本郷太郎郷富・伊地知彌兵衛季富・郷田仲兵衛兼品
宛先
記載なし(御譜記事。独立宛名なし)
キーワード
二月十八家治宿次御尋、有馬純春伊集院兼伯、三月七廿日市浦受翌税所篤仁三原經處返使十四江府、二月十九孟秋延期二階堂行照山本郷富、三月九受伊地知季富郷田兼品返使二十四江府、直船大里陸路三月二十七鹿府
追録7-No.無番号_0063報告書旧記雑録暫定版確認度 高

記録奉行調書(906の4・出産女中の後歴先例)

大奥で召し仕えた女中が子を産んだ後に縁付を命じられた例、また子へ直接召し付けられた者があるか調べるよう命じられたことへの先例調書。浄国院(島津吉貴)の妾、郷田仲兵衛兼近女お幾・後霜林は子を産み、後に重富屋敷へ移った。重富留守居へ照会すると、当若狭殿の祖父周防殿(忠紀・注)が享保19寅9月に磯で生まれ、すぐ月桂院(吉貴側室)の養育となったが、延享2年乙丑3月21日に下屋敷から鼓川へ移り、同日母を勝浦山屋敷から召し移したと分かった。家元郷田安左衛門にも照会したが詳細不明で、形行いの次第は不知とする。吉貴の妾、近藤三左衛門嘉包女お政・後貞寿院は因幡殿の実母。吉貴逝去時まで御側に召し仕え、その後因幡方へ移り、今和泉留守居によれば延享元年甲子5月15日、因幡(初三次郎)の磯付高屋敷と道具を拝領、延享4年丁卯10月の遷去時も因幡の拝領なので磯屋敷で籠居した。宝暦2年申7月に居屋敷を拝領して家作し、翌3年酉には母子が喜入へ移った。有邦院(島津継豊)の妾、伊地知八四郎季鄰女おはんは本殿の実母で、知覧屋敷へ移った。享保17年子閏5月朔日に本丸大奥で出生し同日島津本久豪方へ引越し、直子の筋で養育された。延享2年丑12月朔日に北条織部から母を本殿方へ移す旨、100石の所務を一世下す旨を命じ、同日玄蕃から50石の所務を一世付けられたが、50石以外に本殿からの命はないとする。翌寅年2月26日、本殿15歳の時におはんが知覧へ移った。以上の先例は調べたが古い事なので細部は不明で、寛陽院(島津光久)の妾から子に召し付けられた人もあるものの、出産後の縁与等は見当たらないと報告する。文化元年子10月16日の朱注、記録奉行本田孫九郎・平山五郎右衛門、記録方添役橋口善兵衛、見習碇山八郎右衛門・本田休七・八田孝之進の六名を掲げる。居住・養育・道具・一世禄の先例と、縁付について確かな例を示せない調査結果を分ける。

登場人物
浄国院吉貴、有邦院継豊、寛陽院光久、郷田仲兵衛兼近女お幾・霜林、郷田安左衛門、周防忠紀、月桂院、近藤三左衛門嘉包女お政・貞寿院、因幡殿(初三次郎)、伊地知八四郎季鄰女おはん、本殿(初太郎次郎久峯・注候補)、島津本久豪、北条織部、玄蕃、本田孫九郎、平山五郎右衛門、橋口善兵衛、碇山八郎右衛門、本田休七、八田孝之進
宛先
独立宛名なし(調査命令への報告)
キーワード
906の4、出産女中後縁先例調査、郷田氏重富鼓川移居、近藤氏今和泉磯喜入、伊地知氏知覧、本久豪養育、一世百石・五十石、縁与不明、文化元年十月十六日、記録方六名
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w6:13-7覚書・高麗人聞取/淵辺家系譜旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

万治二年八月十八日平田清右衛門覚書・淵辺家系譜

冒頭に『高麗人諸事問条記一通、但十五ヶ条』と掲げ、平田清右衛門が淵辺量右衛門へ、ほかにも覚えている事柄を詳しく書き付けて提出するよう求めた万治二年八月十八日付覚書。御記録方で使用するための聞取であり、朝鮮軍記の提出控えは別紙にあると注記する。続いて元貞以下の淵辺家系譜を収め、元貞が寛文元年に七十九歳で没して柿本寺へ葬られ、元辰・元隆・元智・元錦・元能・元苗・元儀・元詮・元長・元彬・元甫・元休・元堅・元伴・元次・元敏らの出生、幼名・通称・法名、母方・婚姻、早世・没年・墓所を各代ごとに記す。元辰は六歳で家久に召し出されて仲兵衛の名を受け、元隆は太守光久の目見を得て加治木の花堂・藤原重俊女を妻とし、元錦は太守光久への御目見、武州品川稲荷大明神への祈願成就、家督勤役と知行百壱石余を記す。元詮は天和三年に太守綱貴の初参勤供を務め、元苗は元文四年の清女産神・太田大明神参詣、元儀は綱貴・吉貴への御目見と町田・川上両家への奉公、元堅は太守継豊の初参勤供、元甫は島津小平太の供、元休は太守綱貴・重年への奉公、元詮系では太守吉貴・継豊の家督礼や島津家諸役を伝える。末尾は明和四年七月朔日、太守重豪への初而奉拝記事まで続き、近世淵辺家の奉公・婚姻・家督・墓所を世代順にまとめる。

登場人物
平田清右衛門、淵辺量右衛門、元貞、元貞妻、賀婆太郎、元辰(仲兵衛・法名徹心全通)、元隆(淵辺喜左衛門・五郎兵衛、法名夏室道安)、元侑(吉次郎・善左衛門)、元智(平内・諸兵衛)、元防(三左衛門)、元定(伊兵衛・仁右衛門)、元宣(百助・宗左衛門)、元錦(淵辺仲三郎・弥兵衛・初元定、法名節岩源秋)、元能(淵辺仲七郎・休右衛門)、元苗(仲次郎・休右衛門、法名随流忍性)、元儀(仲八・南郷正右衛門俊信)、元詮(仲三郎・良右衛門・伝兵衛、法名祥心了休)、元長(久次郎、法名華雲白如)、元彬(虎千代・良右衛門・初元彌・元雅・後元苗)、元甫(初元義・元賢・仲助・茂兵衛・源右衛門)、元休(織太郎・弥兵衛)、元堅(仙千代・彦右衛門・初元扶)、元伴(甚五郎・長右衛門・初元苗)、元次(源五郎)、元敏(亀千代・亀助・熊助・源蔵)、元智(釜八)、太守綱貴、太守吉貴、太守継豊、島津小平太、太守重年、太守重豪
宛先
淵辺量右衛門殿
キーワード
万治二年八月十八日、平田清右衛門、淵辺量右衛門、高麗人諸事問条記、十五ヶ条、御記録方、朝鮮軍記、別紙、淵辺家系譜、元貞、柿本寺、加治木、鹿児島、郡山、出生、幼名、通称、法名、婚姻、家督、知行百壱石余、武州品川稲荷大明神、太田大明神、初参勤、御目見、太守光久、綱貴、吉貴、継豊、重年、重豪、島津小平太、町田家、川上家、奉公、明和四年
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 626家譜・肝付兼屋の島原出陣旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

肝付家譜

肝付家譜。肝付三郎四郎兼屋が正月九日に百余人を率いて出陣し、高尾野・阿多藤代・串木野などの兵と家僕を集め、米之津から船団を出して島原へ向かった経過を記す。

登場人物
肝付三郎四郎兼屋 佐藤仲兵衛尉貞利 阿多藤十郎 相良五右衛門
宛先
なし(家譜)
キーワード
肝付家譜 正月九日 肝付兼屋 島原出陣 米之津
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 683飯米指出留・島原軍衆人員兵站集計旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

島原軍衆引飯米指出留

島原へ向かう軍衆が飯米を受け取るために提出した人数差出を写し留めた帳簿。諸士・各地域衆ごとに主従、人躰、夫丸、小者等の人数と正月の出発・米津などへの到着日を記し、飯米渡しの根拠とする。末尾では不足者や指出のない者、張紙に記した有馬在陣の外城衆を含めて集計し、合人数三千百六十八人を掲げる。

登場人物
佐藤仲兵衛 三原左衛門佐 新納加賀守 大嶋長二郎 市来五兵衛 石神彦左衛門 尾野村右衛門 本田帯刀長親 有川次左衛門 吉利下総守 国分平次郎 二階堂城之介 伊地知右衛門兵衛 長野勘左衛門 武宮内左衛門 出水衆中 川辺衆中 田布施衆中 加世田衆中
宛先
飯米支給担当
キーワード
島原軍衆引飯米指出留 飯米 人数差出 主従 人躰 夫丸 小者 米津 有馬 外城衆
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 779人数差出留・正月十八日前後の着津軍勢旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

島原軍衆人数差出留

正月十八日を中心に、米之津へ参着した各郷の人躰・卒者・夫丸と、主だった者が連れた人数を記す。恒吉・日当山・飯野・曽木・加久藤・須木・馬関田・踊・高原・出水・山之口・小林・諏訪神・曽於郡・野尻・真幸吉田・志布志・清水・蒲生・百引・庄内高城・東郷・高岡・高山・横川・穆佐・串良・垂水・伊集院などを列記し、十日または二十日分の飯米支給を注す。高山の名簿に載る以益について白坂氏譜を引いて帰還時期を考証し、兵糧不足による減員帰還と読む。末尾は十九日条への分載と十八日着津者の補記。

登場人物
村田市助 遠屋弥吉 横山弥兵衛 山下傳次郎 肥後民部左衛門 肥田木勘左衛門 大川平久兵衛 池田傳右衛門 児玉才兵衛 伊地知助兵衛 荒武藤兵衛 野田狩野介 須宗兵衛 浅稲二兵衛 本田雅楽助 加藤七右衛門 堀七左衛門 黒木惣左衛門 隈元隼人 崎山了兵衛 窪田新左衛門 伊地知杢右衛門 伊地知弥右衛門 西田和泉介 宮竹越右衛門 萩原甚介 馬関田衆 権屋飛驒守 野村三郎兵衛 斎藤五兵衛 平山仲兵衛 津曲幸右衛門 指宿内蔵助忠易 同盛左衛門忠能 伊集院久右衛門 北原雅楽助 松元彦左衛門 押川新左衛門 大脇民部左衛門 本田甚吉 稲留喜左衛門 堺田五兵衛 九市左衛門宗方 田原彦左衛門 川畑平右衛門 高橋平右衛門 濱田右京 松下源五左衛門 堅持駿右衛門 新南市左衛門 肥田木備後守 根占久兵衛 本田次郎兵衛 米良豊前守 海江田十兵衛 日高小平次 大迫弥兵衛 柏原久次郎 白坂大学坊篤辰以益 稲留与兵衛 山下傳右衛門 児玉千右衛門 下村主計助 加塩監物 津曲二右衛門 酒匂新左衛門 四位大蔵 中村主膳正 奥郷兵衛 中村正兵衛 町田安房介 川上主殿助 伊集院藤左衛門 三原左衛門佐 田中善兵衛 ほか各郷衆・卒者・夫丸
宛先
なし(人数留)
キーワード
島原軍衆 人数差出留 米之津 着津 人躰 卒者 夫丸 飯米 各郷 減員帰還
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 67-2文書旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

某覚書

二月朔日に鹿児島へ参る衆28人の覚。四位与四郎以下、北原吉左衛門尉までを列挙する。文書67-1が出発を記す蒲生衆28人に対応する。

登場人物
四位与四郎、染川九右衛門、松田土佐守、別府加右衛門尉、岩下慶左衛門、同名織部佑、清水源太兵衛、石塚休兵衛、原弥右衛門尉、飯牟礼六左衛門尉、古川内蔵丞、内山平内左衛門尉、川北権右衛門尉、桑畑次郎兵衛、福本弥左衛門尉、竹下源七、池田宗左衛門尉、窪田弥左衛門、染川早介、柳元小外記、石牟礼善兵衛、家村仲兵衛、朝倉善兵衛、満尾伝左衛門尉、山下金兵衛、長島早右衛門尉、柳元主殿助、北原吉左衛門尉
宛先
宛先なし(鹿児島参集者名簿)
キーワード
二月朔日、覚、鹿児島参集、蒲生衆28人、四位与四郎、染川九右衛門、松田土佐守、別府加右衛門尉、北原吉左衛門尉、人数名簿
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w1:1-1系図旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

大田久知書状

島津綱貴代の記録奉行・大田小平次久知が平山勘兵衛へ送った十一月十三日付書状。本田氏元祖について浅羽三右衛門へ問い合わせた結果、所持する伝記はいずれも異説であるとしつつ、始祖を宣化天皇とし、武蔵七党の丹党に属して秩父郡内の本田・榛沢を拠点としたこと、家紋は「田」の字を十字形に配したものと伝える。親経以前は詳しいが以後は不明で、系図作成には至らないものの、元祖の由緒を知り疑いが解けた旨を述べる。

登場人物
島津綱貴、大田小平次久知、浅羽三右衛門、平山勘兵衛、本田親経、宣化天皇、仲兵衛
宛先
平山勘兵衛様 人々御中
キーワード
記録奉行、本田氏元祖、宣化天皇、武蔵七党、丹党、秩父、本田、榛沢、田字紋、異説、系図考証
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w5:123系図・市来家氏流/軍功・地頭職・家督継承記録旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

市来家氏流系図

市来家氏流の家守以下を一頁に示す系図。新納忠元の妹を母とする家満は天正六年十一月十一日に新納院高城で戦死し、その子家繁は永禄十二年生まれで、頴娃・庄内・高城・伊作・蒲生などの地頭を歴任して多くの忠功を立て、宗友は蒲生地頭、家良は兵具奉行、家実は光久へ太刀・青銅を進上して御納戸奉行・穆佐地頭・御側御目付・鹿屋地頭を務めたとする。後代では、家張が高奉行、家的が三十六歳で大坂に死去し、家年が嫡宗家親の養子となったこと、家貞が兄二人の死後に家督を継いで江戸で死去したこと、家重が寛文五年に生まれ、兄二人の死により家督を継いだことなど、戦死・役職・養子・相続を記す。

登場人物
家守(美作守)、家満(軍介)、新納忠元、家繁(八左衛門・備前守)、宗友(掃部助・八左衛門)、家豊(宗兵衛・宗右衛門)、家良(万右衛門・宇兵衛)、家信(太郎左衛門)、家実(大蔵・勘左衛門)、島津光久、家数(権兵衛)、家張(仙助・七左衛門)、家的(仲兵衛・治部太夫)、家年(源右衛門)、家親、家貞(喜左衛門・五兵衛)、家永(長次郎)、家重(千左衛門)
宛先
—
キーワード
市来家氏流系図、家守、家満、新納忠元妹、天正六年、新納院高城戦死、家繁、永禄十二年、頴娃地頭、庄内地頭、高城地頭、伊作地頭、蒲生地頭、宗友、家良、兵具奉行、家実、島津光久、太刀・青銅進上、御納戸奉行、穆佐地頭、御側御目付、鹿屋地頭、家数、家張、高奉行、家的、大坂死去、家年、家親養子、家貞、江戸死去、家重、寛文五年、家督継承
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:336系図・系譜旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

佐多西方仲次郎系図抄

内大臣平重盛から維盛・維清を経て、佐多氏の清重・清忠・清親・清治らへ続く系譜抄。大隅国祢寝郷との関係、佐多家の分流、御鹿倉・西方屋敷の由緒、光久からの褒賞、西方屋敷の氏神を山川から勧請したことなどを記す。日付欠。

登場人物
平重盛、平維盛、平維清、佐多清重、佐多清忠、佐多清親、佐多清治、佐多清綱、佐多仲兵衛、佐多仲右衛門
宛先
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キーワード
佐多西方仲次郎系図抄、平重盛、平維盛、平維清、佐多氏、清重、清忠、清親、清治、祢寝郷、西方屋敷、氏神、島津光久、日付欠
旧記雑録拾遺 著作史料集5-文書ID A:5-1目録旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

諸外城系図文書抑留帳

谷山・指宿・知覧・坊津・伊作・出水・帖佐・加治木など各地を見出しとし、家臣・寺社などの所持者ごとに史料名と巻・通・冊などの数量を列挙した帳簿。島津家や諸家の系図・由来記、義弘・家久らの書状、太閤の朱印状、軍記、朝鮮出兵関係の書付など、多様な史料の所在を記録し、明暦三年九月の日付で閉じる。

登場人物
平田清右衛門、田中主馬、森仲兵衛、伊地知季安
宛先
宛先なし(抑留文書目録)
キーワード
諸外城、系図、古文書、抑留帳、所持者、朱印状、軍記、由来記、系譜編纂、史料収集
旧記雑録拾遺 著作史料集9-文書ID W05_文書0170軍衆賦抄旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

島原陣加勢軍衆賦抄

島原陣に加勢する軍勢の割り当てを列挙した抄。軍大将は山田民部少輔と渋谷四郎左衛門、乗馬は豊後守と渋谷石見守とし、川上・堀・児玉・柏原・大嶋・福屋・始良・田上・福崎・上持・田原・村尾・佐藤・長谷場・深栖などの軍衆を配している。

登場人物
山田民部少輔、渋谷四郎左衛門、豊後守、渋谷石見守、川上源三郎、堀弥四郎、児玉四郎兵衛、柏原西市之丞、大嶋久左衛門、福屋助左衛門、始良三郎兵衛、田上覚左衛門、福崎新兵衛、上持平左衛門、田原主膳正、村尾源左衛門、佐藤仲兵衛、長谷場少右衛門、始良萬兵衛、深栖内膳正
宛先
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キーワード
島原陣加勢軍衆賦抄、島原陣加勢、軍大将、乗馬、軍衆の配置
旧記雑録拾遺 著作史料集7-文書ID w11:12樹木取扱書付旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

宮里壱岐・南郷仲兵衛連署達書

郷内の樹木の伐採に際し、持主だけで判断せず役人の申付けを受けるよう求める。用木や苗木を確保するための管理と取締りを記す。

登場人物
本文記載人物(詳細は本文画像参照)
宛先
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キーワード
樹木、伐採、郷内、用木、苗木、役人
追録2-No.192記事旧記雑録暫定版確認度 高

向井友貞琉球在番記事

島津綱貴譜は、元禄十一年春に向井市之丞友貞を琉球国在番奉行とし、岩城仲兵衛重良・名越與右衛門時氏・内田十郎右衛門頼実・佐々木新右衛門綱貞・阿久根助左衛門良隆の五人を副役に付けたと記す。友貞らは元禄十三年夏、任を終えて薩州へ帰った。

登場人物
向井市之丞友貞、岩城重良、名越時氏、内田頼實、佐々木綱貞、阿久根良隆
宛先
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キーワード
島津綱貴、向井市之丞友貞、岩城仲兵衛重良、名越與右衛門時氏、内田十郎右衛門頼実、佐々木新右衛門綱貞、阿久根助左衛門良隆、琉球国在番奉行、五人、副役、元禄十三年夏、帰薩
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 409大重久永の原城本丸乗入・敵首討取実見証文旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

伊地知重政実見証文

伊地知重政が大重伝左衛門尉久永へ、寛永十五年二月二十八日に有馬の原城本丸へ乗り入り、敵の首を討ち捕らえた働きを確かに見届けたとして、後証のため暮春二日に与えた証文。

登場人物
伊地知杢右衛門(重政)
宛先
大重伝左衛門尉(久永)
キーワード
寛永十五年二月二十八日、暮春二日、有馬、原城本丸、城乗、敵首討取、粉骨、実見証文、伊地知重政、大重久永、大重仲兵衛家蔵