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『旧記雑録』前編・後編・附録10冊と追録1~8(暫定版)、『旧記雑録拾遺 伊地知季安著作史料集1~9』『家わけ1』(暫定版)、関連史料(外伝)『島津世禄記』の46,754件を横断検索できます。検索範囲は史料群・巻を組み合わせて選べます。結果は50件ずつ表示します。

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25 件 (全巻)/ 1–25件を表示

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後編3-No.574記事確認度 高

新納久宣譜

『新納久宣譜』の記事。新納久宣が島津義弘に従って朝鮮へ渡り、三年間軍務に従事したことや、太守父子の出動時に遅れず随行した十七人の一人であったことを記す。帰朝時の海戦で南海島に約五百人が孤立した際、敵船を恐れて救援船が退くなか、久宣だけが先に島へ到着し、後続船を導いて全員の帰帆を実現した功績を称える。

登場人物
新納久宣(勘解由、号張尾)、島津義弘(兵庫頭)、太守父子、樺山権左衛門尉久高、白坂式部少輔、矢野氏、南海島の約五百人
宛先
—
キーワード
新納久宣譜、新納久宣、新納勘解由、張尾、島津義弘、朝鮮渡海、三年間軍務、太守父子、十七人、樺山久高、南海島、五百余人孤立、救援船、先着、全員救出、帰帆、美談
追録8-No.680-3大坂行幸先陣供奉の人数届書旧記雑録暫定版確認度 中

内田が御官名内で銃隊五百人・手習廻十人・手廻十五人を届ける

御届書として銃隊五百人、手習廻十人、手廻十五人を掲げる。親征・大坂行幸供奉先陣を命じられ、人数付を差し上げるよう仰せ出されたことを承知したとして、二月二十二日に御官名内内田仲之助が届ける。「手習廻」はこの届書の原表記で、前行の追書では近習と記す。

登場人物
御官名、内田仲之助、太守、銃隊・手習廻・手廻(原区分)
宛先
人数付の提出を求めた側へ(個別宛名不記)
キーワード
原680の3御届書銃隊五百人手習廻十人原表記手廻十五人親征大坂行幸供奉先陣人数付二月廿二御官名内内田仲之助
追録8-No.680-2供列届書の提出首尾と兵員残置・先供人数の追記旧記雑録暫定版確認度 中

内田が供列届の取次を報じ、五百人のうち百人ほどを残し残りを先供とする扱いを伝える

親征の太守供奉に関する御供列の届一通を私の名前で出すという表示を掲げ、昨二十二日に二条城太政官代へ出て松尾但馬に面会・演説の上差し出し、申上げる旨を聞いたと報じる。自分たちの差支えで留守居付役勤永山左内が勤めたとして、辰二月二十三日に内田仲之助が伊勢様へ知らせる。追記では、供列の内百人ほどを残して残りを先供として出輦二、三日前に大坂へ下すこと、五百人の内で太守御供百人ほどを残すという意味を承知したと述べる。近習十人・手廻り十五人までの扱いも軍務局から聞いたとして伝える。

登場人物
内田仲之助、伊勢様、留守居付役勤永山左内、非蔵人松尾但馬、太守、御官名・軍務局
宛先
伊勢様。届書の取次先は非蔵人松尾但馬
キーワード
原680の2御書附一通親征太守供奉御供列届私名前松尾但馬昨廿二二条城太政官代面会演説提出申上私共差支永山左内勤辰二月廿三内田伊勢追百人計残其余先供出輦二三日前大坂五百内御供百近習十手廻十五軍務局
後編1-No.638文書確認度 高

島津忠平義弘書状

島津義弘が伊地知主水佑へ、上洛以来会えず朝夕懐かしく思うと述べ、再度の下向を望む。伊東勢が加久藤麓へ侵攻して退いた戦いでは、院内衆だけで五百人を討ち、今も山中で遺骸が見つかると戦果を報告する。左近権介も大いに働き無事であり、忠勤を重ねているので安心するよう伝える。

登場人物
島津忠平(義弘)、伊地知主水佑、伊東方、左近権介
宛先
伊地知主水佑
キーワード
島津忠平義弘書状、元亀三年、島津義弘、伊地知主水佑、上洛、加久藤、木崎原合戦、伊東氏、五百人、左近権介、戦果報告
後編2-No.978文書確認度 中

島津竜伯書状

島津義久(竜伯)が、朝鮮への軍勢・兵糧輸送を優先するため上洛を延期したと伝え、船がないことを理由に渡海を遅らせれば処罰対象になると厳しく警告する。 船を購入してでも、まず千五百人ほどを早急に渡海させ、番衆と兵糧も確実に送るよう命じる。島津領内における兵員・船舶・食糧調達を具体的な人数付きで督促した軍役書状である。

登場人物
島津義久(竜伯)、本田六右衛門尉、伊集院肥前入道、桂太郎兵衛か
宛先
本田六右衛門尉、伊集院肥前入道、桂太郎兵衛か
キーワード
島津義久、竜伯、朝鮮出兵、渡海、千五百人、船舶調達、兵糧、軍役、上洛延期、本田六右衛門尉
後編3-No.111文書確認度 高

島津義弘書状

島津義弘が忠恒へ、番船の出動に備えて薩隅諸県から約千五百人を直ちに鹿徳島へ渡し、城普請、兵糧、大鉄砲・石火矢・鉄砲・玉薬を整えるよう命じた書状。明勅使との対面後、朝鮮王子が来朝しなかったため再出兵が見込まれるとして、国元から人数を渡海させる準備も急がせている。

登場人物
島津義弘、島津又八郎(島津忠恒)、豊臣秀吉、大明勅使、朝鮮王子、薩隅諸県衆、鹿徳島在番衆
宛先
島津又八郎殿
キーワード
島津義弘、島津忠恒、島津又八郎、大明勅使、朝鮮王子、鹿徳島、薩隅諸県、千五百人、番船、城普請、兵糧、大鉄砲、石火矢、鉄砲、玉薬、再出兵、渡海、書状
後編5-No.1118文書確認度 低

某書状

「覚」として『家久公御譜中』に収められた島原・天草の戦況記事。島原城から一里ほどの米蔵へ侍十二人・鉄砲二百挺を遣わしたところ、千本村の一揆勢に襲われ、鉄砲頭の高橋弥次右衛門・入江与右衛門・高畠次郎太夫とほか四、五人が討死し、城へ退いたこと、城近辺の村々も焼かれたことを記す。唐津勢は十一月十日に天草本戸へ着き、先手四、五百人が島子村で約三千人の一揆勢に攻められて本戸へ退却、本戸の在家を焼かれ、三宅藤兵衛のいる富岡へ移ったという。これらは天草からの未確定情報であり、上使の下向・隣国加勢の続報はなく、御横目衆が高瀬へ来たとも記す。本文日付は寛永十四年十一月十七日。差出人・宛所のない覚書・譜記事で、索引の「文書・某書状」と形式が相違する。

登場人物
高橋弥次右衛門、入江与右衛門、高畠次郎太夫、三宅藤兵衛、島原城籠城者、唐津勢、天草一揆勢、上使、隣国加勢、御横目衆
宛先
—(覚書・宛所なし)
キーワード
家久公御譜中、覚、島原、島原城、米蔵、侍十二人、鉄砲二百挺、千本村、一揆、高橋弥次右衛門、入江与右衛門、高畠次郎太夫、討死、唐津勢、天草、本戸、島子村、四五百人、三千人、三宅藤兵衛、富岡、上使、隣国加勢、御横目衆、高瀬、戦況報告、未確定情報、索引形式相違、寛永十四年十一月十七日
追録5-No.1368伺書・人員覚旧記雑録暫定版確認度 高

島津重年伺書

普請手伝方の人数案として小奉行三十人、歩行士百人、足軽二百人を掲げる。正月廿一日の一色周防守の指図注は小奉行人数を案どおりとし、広い普請場に対応するため歩行士三百人・足軽五百人ほどを出すのが適当とする。人数は当地方からの派遣と国元からの追派遣で賄い、不足すれば国許へ申し送る。また御用荷物と道中のため目印札を付けたいと願い、濃州・勢州・尾州川々御手伝御用の札図を示す。家中人員の道中駄賃・人馬を滞りなく出すよう宿々へ命じることも願う。提出案に対し、一色の指図は歩行士三百人・足軽五百人に増やしている。

登場人物
島津重年(伺案)、一色周防守(指図注)
宛先
一色周防守(伺先)
キーワード
小奉行三十人、歩行士百人、足軽二百人、歩行士三百人、足軽五百人、目印札、駄賃
追録5-No.1481連署書状旧記雑録暫定版確認度 要確認

嶋津久馬・嶋津久郷連署書状

七月八日、在府の嶋津主鈴・主殿が義岡相馬・鎌田典膳へ、秋の水行普請に残す人員の調達と伝達を相談する。当春、一色周防守から小奉行三十人・歩行士三百人・足軽五百人を差し出すよう指示されたことを述べる。春普請が一方完成したため、秋の水行普請に必要な人数を残す件について国元から相談を受け、現場で吟味したところ、小奉行三十二人・歩行士百六十四人・足軽二百三十一人ほどと、別に浮人数を調達することになった。 別紙のとおり青木次郎九郎・吉田久左衛門へ申し出たところ、留め置く旨の挨拶を受けたと、惣負殿から報告された。さらに一色周防守へ岩下佐次右衛門を通じて取り次いだところ、同じく留め置く旨を申し付けられたので、この結果を国元へ知らせる。現場へも伝えておいたため、惣負殿から委細の連絡があると思われるとして結ぶ。別紙1483も三職の人数を同じく掲げる。

登場人物
嶋津主鈴・嶋津主殿(目録は久馬・久郷)
宛先
義岡相馬殿・鎌田典膳殿
キーワード
七月八日、目録七月六日、主鈴、主殿、義岡相馬、鎌田典膳、秋水行普請、春普請、一色周防守、小奉行三十人、歩行士三百人、足軽五百人、小奉行三十二人、歩行士百六十四人、足軽二百三十一人、浮人数、青木次郎九郎、吉田久左衛門、岩下佐次右衛門、惣負、別紙留置
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 66書状抄・軍勢上京督促旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

島津惟新義弘書状抄

惟新が伏見少将へ、春以来求めた伏見留守番の人衆が一人も上京していないことを嘆き、予定された在京人数七千人の半分、三千五百人を急送するよう重ねて求める。鹿嶋太郎兵衛尉を介した伝達にも触れ、他の九州勢が秀頼に奉公していることを挙げ、他国並みの軍役を果たすよう強く催促する。

登場人物
島津義弘(惟新)、伏見少将、豊臣秀頼、鹿嶋太郎兵衛尉
宛先
伏見少将
キーワード
島津義弘、伏見留守居、在京衆、三千五百人、軍勢上京、豊臣秀頼
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 281-3別紙旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

三宅重利書状別紙添書

「唐津より来候与頭之覚」として、岡島次郎左衛門・沢木七郎兵衛らの組頭、鉄砲頭、人数千五百人を列記する三宅重利書状の別紙添書。唐津からの加勢部隊の編成と鉄砲百六十挺を記す。

登場人物
岡島次郎左衛門、沢木七郎兵衛、三宅藤右衛門ほか
宛先
なし
キーワード
三宅重利書状別紙添書、唐津、与頭、鉄砲頭、加勢部隊、千五百人、鉄砲百六十挺
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 857-4連署書状・渡海人数抑制と兵糧督促旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

島津久賀外三名連署書状

米の津への手配をねぎらい、既に七千五百人が渡海し、残る二千三百六十八人は当面渡す必要がないと市来宗友へ伝える。島原側と相談し、山田民部少の来訪や下野守・三原の帰陣に伴って、渡す人数と控える人数を調整すると述べる。追而書では川上彦左衛門・岩切六右衛門へ、兵糧を一刻も早くからつらへ渡すよう命じた書状を見せるとしている。

登場人物
島津久賀 喜入忠政 北郷久加 入来院重国 市来宗友 山田民部少 島津下野守 三原左衛門佐 川上彦左衛門尉 岩切六右衛門尉
宛先
市来八左衛門尉(宗友)
キーワード
七千五百人 二千三百六十八人 渡海抑制 米の津 兵糧 からつら
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 95記事旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

伊地知季安記事

伊地知季安の記事。この夜亥刻、島津久元らの島原からの書簡が上津浦へ届き、平田民部少輔宗直と出水・阿久根の衆を島原へ召すことになった。千五百人を編成する計画を立て、まず四百人を出発させた。

登場人物
島津久元等、平田民部少輔宗直
宛先
宛先なし(伊地知季安記事)
キーワード
伊地知季安、亥刻、島津久元、島原、書簡、上津浦、平田宗直、出水、阿久根、召集、千五百人、四百人、出発
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 113-2書状旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

島津久賀外二名連署書状

北郷久加・喜入忠政・島津久賀が山田有栄・島津久元へ、出水衆を残らず戻す件を回答する。亀之川から荷物だけを船で、人は陸路で移し、三百人を渡す迎船を求める。平田宗直の衆は千五百人のうち四百人が帰り約千百人が残るため、大船十艘ほどを要望し、悪風で五日間滞留して米がさらに必要なこと、薩州様供立ての関船・荷船は出水へ回すことを伝える。

登場人物
北郷久加、喜入忠政、島津久賀、山田民部少輔有栄、島津下野守久元、平田民部少輔宗直、仁礼左近将、山城新介、出水衆、阿久根衆、薩州様
宛先
山田民部少輔有栄様、島津下野守久元様参人々
キーワード
北郷久加、喜入忠政、島津久賀、出水衆、亀之川、三百人、迎船、平田宗直、千五百人、四百人帰還、約千百人残留、大船十艘、五日滞留、兵糧米、関船、荷船、薩州様、出水
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 286書留旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

谷口氏書留

蒲生士谷口氏の書留。二月二十一日夜九ツ時、キリシタン二千五百人が陣中へ出撃して火を放ったが、そのうち二百九十二人が討ち取られたと記す。出撃人数二千五百人と討取人数二百九十二人は別の数量である。

登場人物
蒲生士谷口氏、一揆勢
宛先
宛先なし(谷口氏書留)
キーワード
蒲生士谷口氏、二月二十一日、夜九ツ時、キリシタン、二千五百人、出撃、放火、二百九十二人、討取
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 315記録旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

平塞録

『平塞録』の二十六日記事。松平伊豆守(信綱)の陣で諸大将が攻城を評議し、城内では鉄砲の発射が減り、竹木を薪にし、海藻を拾うほど糧米・玉薬が払底したとの報告を受け、二十八日卯刻から追手・搦手が一斉に総攻めする方針を定めた。松平右衛門佐が前後からの越矢を懸念したのに対し、妙解公は越矢は弱まり、多少の被害を恐れて攻撃を控えるべきでないと述べ、詳しい手配は翌日に定めることとなった。同日、籠城方の四郎太夫は困窮を理由に翌夜の夜討を決め、三千人と二千五百人の二備(計五千五百人)を諫早口から鍋島本陣へ向かわせ、うち場数を踏んだ二百人を時枝隼人・赤星主膳の指揮で先に潜入させて馬を放つ計画を立てた。さらに別働五千人を島原口から細川勢へ、水練百人を海上から寄手の後備へ差し向け、四郎太夫は大江口で松平右衛門佐陣への攻撃を装うとした。相印は右肩を脱ぎ新縄で鉢巻し、合言葉は「鼠か」に「猫」と答える。城内の虎口を固め、敵の潜入・放火を警戒して夜討に備えるよう命じた。

登場人物
松平伊豆守(松平信綱)・戸田左門・松平右衛門佐・三浦志摩守(傍注・正次)・村越七郎右衛門(傍注・正重)・四郎太夫・馬場監物入道休意ほか
宛先
宛先なし(記録)
キーワード
平塞録、二十六日、松平伊豆守、松平信綱、戸田左門、松平右衛門佐、三浦志摩守、正次、村越七郎右衛門、正重、攻城評議、糧米払底、玉薬払底、二十八日、卯刻、総攻め、追手、搦手、越矢、妙解公、四郎太夫、夜討、三千人、二千五百人、五千五百人、二百人、馬場監物入道休意、時枝隼人、赤星主膳、諫早口、鍋島本陣、五千人、島原口、細川勢、水練百人、海上、大江口、相印、右肩、新縄、合言葉、鼠か、猫、虎口、放火警戒
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 322集書旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

藤掛集書

『藤掛集書』の「二月二十七・二十八日原之城落去之事」。二十七日朝、二十八日の城乗りを評定するため諸大将が戸田左門氏鉄の陣所に集まったところ、物見櫓番が鍋島勢の突入を告げ、松平伊豆守が確認して各将を陣所へ戻したため、諸勢が予定外の攻撃に続いた。本文は、軍法に背いた先行突入への批判、若年の近習・家臣らの戦功と戦死、証拠提出・褒賞の経緯を詳述する。また鍋島勢の先手三千人を二手とする編成、第二陣二千五百人、白布旗、梯子・竹束、海辺に潜ませた水練の達者百人などの攻城準備を記す。黒田右衛門佐が退却しないと誓って天草丸へ攻め、黒田美作が機を見て突入させた記事では、黒田勢の討死を上下二百人、手負千人余りとする。細川勢は二十七日巳の下刻、鍋島勢に続いて三の曲輪を破り、海手から二の丸へ入り、詰の丸東端を攻めて九曜旗を立てた。この時の手負・死人は百人。敵前に柵木を結って夜を明かし、二十八日早朝に四郎の居館へ入って焼き、天草四郎時貞の首を陣野佐左衛門が討ち取ったため、本丸一番乗りとして江戸へ注進したと記す。

登場人物
戸田左門氏鉄・松平伊豆守(信綱)・鍋島勢・黒田右衛門佐・黒田美作・細川勢・水野美作守・陣野佐左衛門・天草四郎時貞ほか
宛先
宛先なし(集書・軍記記事)
キーワード
藤掛集書、原城落去、二月二十七日、二月二十八日、戸田左門氏鉄陣所、松平伊豆守、鍋島勢、予定外突入、軍法違反、若年者戦功、褒賞、先手三千人、第二陣二千五百人、白布旗、梯子、竹束、水練百人、黒田右衛門佐、黒田美作、天草丸、討死上下二百人、手負千人余り、細川勢、三の曲輪、二の丸、詰の丸、九曜旗、手負・死人百人、天草四郎時貞、陣野佐左衛門、江戸注進
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 531帳簿旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

人衆賦帳

寛永十七年七月九日の人衆賦帳で、須木口・大口・加久藤口などの各方面へ、須木・小林・野尻・高原・高岡・鹿児島等の郷衆中と島津家諸士を組み分けし、各人の高、全役・半役、主従人数を列記する。複数の組に『合五百人』等の総計欄があり、国境方面へおおむね五百人単位で人衆を割り付けた構成を示す。冒頭の須木口一与は須木百人、小林百十人、野尻七十六人、高原百二十五人、高岡四十人、鹿児島五十人を掲げ、原記総計を五百二人とするが、内訳の算術合計は五百一人となる。編者は、相良清兵衛召還に伴う大童半兵衛ら三百余人の籠城と求麻騒動を受け、隣国境目の警備用に作成された帳簿と考証する。天保二年十二月二十日の写載経緯と、伊地知重政・相良頼員が京詰のため加久藤口の名簿に載らないとの説明も付す。

登場人物
島津家諸士・各郷衆中、伊地知季安(編者考証)、田中清右衛門(写本)
宛先
宛先記載なし
キーワード
寛永十七年七月九日、人衆賦帳、須木口、大口、加久藤口、須木衆中百人、小林衆中百十人、野尻衆中七十六人、高原衆中百二十五人、高岡衆中四十人、鹿児島衆中五十人、原記総計五百二人、算術合計五百一人、合五百人、高、全役、半役、主従人数、国境警備、相良清兵衛、大童半兵衛、三百余人、求麻騒動、伊地知重政、相良頼員、京詰、天保二年写載
後編3-No.569記事確認度 高

島津家久譜

『島津家久譜』の記事。十一月十八日の海戦後、乗船を焼かれて南海島に取り残された騎歩約五百人の救出経緯を記す。伊勢貞昌らが島津義弘・忠恒父子へ急報し、樺山忠征・島津久高・吉田大蔵・竹内兵部らが、生死をともにする覚悟で釜山浦へ救船を求めた。寺沢正成の提案を受け、小西・松浦・大村各氏が船を出し、敵中に孤立した将兵を収容した功労を称える。

登場人物
島津義弘、島津忠恒(家久)、伊勢兵部少輔貞昌、樺山太郎三郎忠征、島津久高、吉田大蔵、竹内兵部、寺沢志摩守正成、小西氏、松浦氏、大村氏、南海島の島津勢
宛先
—
キーワード
島津家久譜、十一月十八日、海戦後、南海島、島津義弘、島津忠恒、騎歩五百余人、乗船焼失、孤立、伊勢貞昌、樺山忠征、島津久高、吉田大蔵、竹内兵部、釜山浦、救船要請、寺沢正成、小西氏、松浦氏、大村氏、救出
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 68軍役定書・知行高別負担表旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

幕府軍役定書

知行高別の鉄砲・弓・鎗・騎馬・旗の負担表と、半役に付く扶持方人数表を記す。装備表の一万石は鉄砲二十丁・弓十張・鎗五十本・馬上十四騎・旗三本。扶持人数は百石七人、一万石百五十人、十万石千五百人などを挙げる。末尾は光久公御譜にある元和九年の公儀定書とみられると説明する。

登場人物
島津光久(伝来注記)
宛先
なし(軍役定書)
キーワード
幕府軍役定書、知行高、鉄砲、弓、槍、騎馬、旗、軍役人数
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 276記録旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

平塞録

『平塞録』。五日、唐津寺沢家老中が富岡城代三宅藤兵衛へ加勢として組頭四人・物頭八人・総人数千五百人と鉄砲六十挺を遣わした記事。飛札への反応、唐津出発の遅れ、先遣と富岡援兵の準備を記す。

登場人物
三宅藤兵衛、岡島次郎左衛門、唐津寺沢家老中
宛先
なし
キーワード
平塞録、唐津、富岡城、三宅藤兵衛、援兵、鉄砲
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 301編纂戦記旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

平塞録

十三日、大矢野四郎らが島原の一揆勢約千五百人を率いて天草へ渡海し、島原城を攻め落として長崎・九州へ勢力を広げる企てを進めたと記す。寺沢方は上津浦へ人数を集め、唐津勢を分配して迎撃する準備を整えた。

登場人物
大矢野四郎、志岐辺宅、益田甚兵衛、寺沢勢
宛先
該当なし(編纂戦記)
キーワード
平塞録、大矢野四郎、島原一揆、天草渡海、長崎、寺沢勢
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 855日記引用・細川黒田勢着陣と日付異説旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

寛明日記

細川越中守の有馬着陣と肥後守との合勢二万三千五百人、黒田右衛門佐らの合勢一万八千人を記す。日付について二十四日・二十二日、別記の二月八日を挙げ、どれが正しいか後に検討すると按語を添える。同日の大風で江戸近郊の家が損傷し、島原も強風だったという記事を引く。

登場人物
細川越中守 肥後守 黒田右衛門佐 甲斐守 市正
宛先
なし(日記引用)
キーワード
寛明日記 細川着陣 黒田勢 兵数 日付異説 大風
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 857-5連署書状・兵糧残日数とからつらへの急送旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

島津久賀外三名連署書状

残留人数の渡海は当面不要なので差し控え、米を先に送るよう物奉行二人へ求める。十日分の飯米を渡された者も五日を過ぎれば困るため、早急な追送が必要とする。からつらへ陣替し、先に千四、五百人が向かうこと、大船が通れない本渡ではなく柳木へ送ることを伝える。番手が八日ほどで済むとは限らず、長期滞在への用意を求める。

登場人物
島津久賀 喜入忠政 北郷久加 入来院重国 岩切信堯 川上久康 市来宗友 島津下野守 三原左衛門佐
宛先
岩切六右衛門尉(信堯)・川上彦左衛門尉(久康)
キーワード
飯米十日分 五日経過 米急送 からつら 陣替 本渡 柳木 長期備え
旧記雑録拾遺 著作史料集5-文書ID C:76日記旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

上井覚兼日記

『上井覚兼日記』三月三~八日の田野御狩の記事。行司との日程調整を経て、覚兼は周辺諸所に人数を出すよう伝え、六日に田野で準備した。七日は吉利・福永・樺山などの衆と狩り、猪鹿十二、三頭を得た。八日は海江田への帰路に鹿倉で再び狩り、鹿五、六頭を得た。狩人は七日に約千人、八日に約五百人と記す。

登場人物
上井、膿而大寺、福永宮内少輔、山城守、大寺、大寺刑部
宛先
宮崎、田野、楠原上之門、膿而大寺、福永宮内少輔、行司処、山城守、大寺、如海
キーワード
上井覚兼日記、寺社・宗教、領地・地頭職、役職・人事