町田久則譜
年月日未詳 / 冊子 392頁
町田久則譜は、島津忠恒の庄内出陣に供奉し、山田城が落ちた際、町田久則が鉄砲傷を負って退こうとしたところ、城兵一人が勇戦を挑んできたと記す。久則は負傷を顧みず戦ってその首を討ち取り、後に相手が勇名のある黒木越前であったと知ったとする。
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年月日未詳 / 冊子 392頁
町田久則譜は、島津忠恒の庄内出陣に供奉し、山田城が落ちた際、町田久則が鉄砲傷を負って退こうとしたところ、城兵一人が勇戦を挑んできたと記す。久則は負傷を顧みず戦ってその首を討ち取り、後に相手が勇名のある黒木越前であったと知ったとする。
(寛永十一年)五月六日 / 冊子 422~423頁
町田久則が高崎伊豆守へ、勝連島に置かれた平田太郎左衛門の出家した子を四月十二日に成敗したことを報告し、付き人一人・小者一人と押収道具の処置について指示を求めた書状。
年月日未詳 / 冊子 422頁
琉球在番奉行町田久則が高崎伊豆守へ、勝連島に置かれた平田増宗の二子について上命に従う配置・処置を、前月二日に琉球三司官と協議したことを知らせた記事。
年月日未詳 / 冊子 524~525頁
伊集院久教の後裔久武、その妹で町田伊賀久則の妻となった女子、久則二男から伊集院家を継いだ忠鏡らの婚姻・所領継承・役職を記した伊集院氏支流系図。女子が島津龍伯の三女に仕え、化粧料六十石を与えられた経緯も載せる。
「寛永廿一年」九月三日 / 冊子 349~351頁
町田久則・山田有栄の連署覚書。琉球使節の江戸参府・帰国に伴う神奈川・小田原・箱根・三島などでの宿泊、洪水時の渡船、道中警固、荷物輸送、医師手配、諸役人への挨拶・贈答と返礼を詳細に記す。各地の代官・宿役人・家老との折衝、旅程上の便宜、金武・国頭両王子への供応や人員配置を列挙した道中事務記録。
慶安二年十月朔日 / 冊子 161頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0299
又三郎の奥方が十月朔日に姫を出産したことを千秋万歳の吉事として急報し、関係者へ知らせるよう求めた町田久則の書状。
慶安二年十二月二十三日 / 冊子 165頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0307
又三郎の姫誕生を祝し、青銅五百斤などの進上・祝着の意を伝え、関係者へ披露するよう求めた町田久則の書状。
慶安四年正月二十七日 / 冊子 187~188頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0366
島津久通・町田久則が、琉球書簡の返事や対馬への返事、御鷹之鶴拝領の御礼使伊集院右衛門が二十五日に江戸へ着き、今朝久通同道で老中へ出仕したことを報じる。国元の干鮑一箱ずつを両上様へ献上するため老中へ預け、披露を見込む。鶴送御手形、返書、家臣の帰国・処遇の相談、喜楽の件を御目付衆へ申し入れたこと等を伝える。正月二十七日付で、封面には二月十九日夜に飛脚で到着した旨を記す。
慶安五年正月十一日 / 冊子 210頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0420
嶋津右馬頭の奥方が正月六日から病み、亀庵法印の療治を受けたが、八日から疱瘡と見られ駿河玄勝とも相談したこと、祈念の験もなく十一日昼に他界したことを町田久則が報じる。別件として町田助太郎が落馬により遠行したとの飛札を得たと記す。
承応三年八月三日 / 冊子 422頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0876
島津久茂と町田久則が、鹿児島吉野牧場の創設、吉野・吉田の適地への松・杉・檜の植栽、厩屋普請など馬の繁殖養育に尽くした功労を記し、先に中納言へ献上された土地等について今度上様から賜与する旨を証した連署証文。
(寛文三年)七月三日 / 冊子 466~467頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書1032
町田久則が、琉球船の不参と道之島からの便船、功労者への褒賞、江戸での銀不足、国元留守中の知行・銀米処置、松崎采女便による指示、須木・小林の山林・材木問題などを鎌田蔵人らへ報告・協議した書状。
寛文三年七月十九日 / 冊子 467~468頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書1033
町田久則が、高崎四郎兵衛・蒲生正左衛門を国元の見分役に任命すること、旱魃と井戸・用水、琉球船不参、銀不足、知行・扶持米、借銀と金山資金などについて鎌田蔵人らへ指示・協議した書状。
11月18日 / 冊子 359~360頁/原整理番号 336
町田久則が、白輪村庄屋満尾弥八左衛門に天草出立が命じられたことを山口源五左衛門尉・酒匂彦兵衛尉へ伝えた書状である。庄屋派遣に必要な手配を促し、天草一乱対応で村役人まで動員された状況を示す。
年月日未詳 / 冊子 583頁
新納久无は八月中旬に薩州から伏見へ向かう途中、島津義弘(惟新)が石田三成方に加わったと聞き、九月に大垣で義弘へ謁した。十五日の関ヶ原合戦に従軍して多くの家臣を失い、敗走時には伊吹山から近江路を経て京都へ到着した。喜入忠政・川上助七らと平道正庵宗古の宅に潜伏し、近衛信尹の厚意と宝刀を受け、翌年三月に帰国した経緯を記す。
(寛永十一年)五月九日 / 冊子 423~424頁
伊勢貞昌が、琉球から唐へ銀子を送る初めての任務で尽力した川上又左衛門尉の働きを賞し、今後の奉公や子の召し仕え、知行百石の加増と奉公米の扱いについて談合・通達を求めた書状。
慶安四年四月廿一日 / 冊子 136頁
長く病床にあった将軍徳川家光が四月二十日晩に死去したことを急報し、江戸城から重臣らが下って供奉した悲痛な状況を伝えた。諸説・流言が生じ得るため十分心得、国中の仕置をこの時こそ厳重に行うよう命じた四名連署状。
慶安元年二月二十七日 / 冊子 116頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0205
幕府奉書を受け、領内の登城・往来、改元後の年号使用、キリシタン召捕り、諸大名国中の渡航許可、異国船・大船来着時の急報などを厳守するよう触れた連署書状。
慶安元年四月五日 / 冊子 118~120頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0210
前年からの掛銀・銀子調達と京都での換金難、上方・江戸での公儀御用金、進上物・大房調進の支払方法について、国許の蔵方・家老衆へ細かく指示した連署書状。
慶安三年正月十六日 / 冊子 167頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0310
役人の勤仕、上申・取次の手順、女房衆の扶養、屋敷の火の用心、屋敷内の配置など、家中役人が守るべき事項を列挙した連署条書。
慶安三年六月二十八日 / 冊子 171~172頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0321
御孫が急逝したとの報を受け、祈祷・療治を尽くしたが及ばなかったことを伝え、国許の関係者へ報告した連署書状。
慶安五年正月十四日 / 冊子 210~211頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0421
江戸在勤の軍役・人員配置、拝領品や使者往来等を国元へ報じ、別紙に松平薩摩守家来の証人名と拝領品配分を列記した書状。
慶安三年七月朔日 / 冊子 172頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0322
又三郎の幼い姫が死去し、六月十八日晩に泉岳寺へ取り置き、幼少ゆえ特別な作法を行わなかったことを報じる。葬送に関わる三名への内談と国元からの書状、先物奉行の算用処理、松平右京方との御門番の出合・意見照会を述べる。さらに井上筑後守末の孫の不慮死と、井伊掃部頭の疝気・腫気を伝え、物沙汰や見舞いを慎重にするよう求める。
慶安三年八月八日 / 冊子 173~174頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0324
八月五日、上使石川弥左衛門によって御鷹の雲雀を拝領し、登城御礼も整ったことを報じる。国元からの御礼や、暇に際する祝物を受けたこと、人員を国元へ差し出すこと、返答の書状・飛脚の相談を述べる。島津中務は前日に首尾よく登城したと記し、奉書が出れば急いで知らせるという。
慶安三年八月晦日 / 冊子 176頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0331
有馬郷兵衛が判紙・絵図を届け、絵図について隠岐守へ伺い、出された奉書の写しを送ったことを報じる。移徙の祝物、諸人への書状、又三郎の下国祝儀の御樽・使者の手配が続く。末尾は昨日の奉書、西御丸の移徙、進上する籠の出来を伝える。封面に御城破損の絵図と移徙に関する抜記、九月十七日持下の注がある。
慶安三年十一月朔日 / 冊子 185~186頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0359
若御前誕生の消息が永山小兵衛を通じて届き、上聞に達したことへの喜びを伝える。虎寿丸が十月二十七日に宮参りし、松平河内守から鞍置御馬一足・道具二本を贈られ、光久にも報告して御礼を求めたという。七夜祝いの刀剣贈答や母子の息災も記す。
慶安二年十二月七日 / 冊子 163~164頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0305
伊勢貞昭・新納久詮・町田久則が五宛所へ、太守の登城は公方の痛みにより延びたが、同朔日に下曾根三十郎を上使として御鷹の鶴を拝領したと報じる。御姫誕生の使者寺山又右衛門が三日に到着したこと、進物や一門の祝儀、京都・大坂の借銀返済と年内の八百五十貫などの調達・処置も相談する。
承応三年五月二十三日 / 冊子 242~243頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0506
町田久則が、橋口七左衛門・長友主水・前田蔵人三人の禄高・屋敷を列記する。三人は新納加賀の大口地頭所で諏方采女が数年預かっていたが、今回大村地頭所へ召し移すので支配するよう、高奉行の高城喜左衛門・有馬治右衛門へ命じる。末に五月二十三日町田久則印、筑前・図書の印がある。
(寛文元年)閏八月廿四日 / 冊子 443頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0952
町田久則・伊勢貞昭・鎌田政直の三名が阿谷屋親方へ、少将から宇治茶一壺・鰹節一匣・樽一荷を拝領するので、ありがたく頂戴するよう伝えた家老中連署書状。
(寛文元年)閏八月廿四日 / 冊子 443頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0953
町田久則・伊勢貞昭・鎌田政直の三名が饒波親雲上へ、少将から茶碗十、宇治茶一壺、鰹節一箱、樽一荷を拝領するので、ありがたく頂戴するよう伝えた家老中連署書状。
慶安二年十月十三日 / 冊子 162頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0301
種子島にいた柴春の急逝を受け、遺言・家督・所領処置等について三老の意向と公儀への申上げ方を国許へ伝えた三名連署書状。
慶安二年十一月晦日 / 冊子 162~163頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0302
北郷式部・島津玄番と同様に私領の山を給された件に関し、公儀用の刀木等の召上げ、山からの収益・給付の扱いについて国許へ指示した三名連署書状。
慶安二年十二月二十三日 / 冊子 164~165頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0306
又三郎に姫が生まれた祝儀の使者として、国元の衆中から寺山又右衛門が江戸へ来たことを披露し、上意がたいへん満足したと報じる。各方から早く消息を伝えるよう求め、詳しくは島津安芸が説明するという三名連署書状。封面に十二月二十三日付の状を翌年二月二十一日晩に持参した旨の注がある。
慶安三年九月八日 / 冊子 177~178頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0334
飛脚・使者の往来、江戸登城と礼式、帰帆後の報告、琉球使者の礼などを詳報し、関係者への披露と国許での処置を求めた三名連署書状。
慶安三年十月二十四日 / 冊子 181~182頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0345
幕府軍役に関する命令、家中の追付・登城、若君誕生と永山小兵衛の進上などを国許へ報じ、関係者への披露を求めた三名連署書状。
慶安四年四月二十一日 / 冊子 191~192頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0378
将軍家光の薨去を国元へ急報し、公務停止、城内警固、役替えや雑説への戒めなど、非常時の心得と対応を指示した連署状。
慶安四年六月二十六日 / 冊子 193頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0383
家綱の将軍襲封と拝謁・献上、諸役人の叙任、病気・交代、家中の参府と帰国など幕府・江戸の動静を国元へ詳報した連署状。
慶安四年八月二十一日 / 冊子 202~203頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0396
家綱の将軍宣下と官位、諸大名の拝謁、能興行、幕府の褒賞・取次ぎなど江戸の儀礼進行を国元へ詳報した連署状。
慶安五年四月二十三日 / 冊子 216頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0429
若御前に男子が誕生したとの知らせを受け、安産を祝賀し、早飛脚で報じる旨を島津久頼ら三名が国元関係者へ伝えた連署書状。
承応三年七月九日 / 冊子 422頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0875
川上久運が町田勘解由・島津中務へ、川上家が代々仕え、上野騎射の術を伝え、吉野原に牧を開いて馬を養育してきた由緒を述べ、老齢で遠方からの出仕が難しいため、吉野・吉田の地を拝領して移住し、騎射・大追物の伝授を続けられるよう取り成しを願った口上書。
万治三年九月廿一日 / 冊子 429頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0902
島津久通ら家老五名が三司官へ、七月に八重山近辺で破損したオランダ船への対応を指示した達書。島民の救助・接待と拾得物の保管を評価し、残荷・船体・道具の保護、長崎への連絡、乗員・宰領の移送を命じ、今後も諸島で同様に遭難者を厚遇するよう求める。
(寛文元年)七月十二日 / 冊子 439頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0939
島津久茂と島津久頼が鎌田政有ら五名へ、将軍の機嫌伺いの使者には岩元清左衛門を差し出すので国元から別に召し上げる必要はなく、冬の機嫌伺い使者は頃合いを見て命じ、時期は追って知らせると達した連署書。
年月日未詳 / 冊子 937~938頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書2559
郷原久兵兵雄について、貞享四年に島津忠守の二男として生まれ、赤松氏の養子となった後に本姓へ復したこと、元禄八年九月二十七日に父忠守宅で吉貴から加冠・名乗りを受け、島津久輝が理髪を務め、郷原金太夫兵雄と称したことを記す系譜抄。
(明暦元年)七月十二日 / 冊子 363~365頁/原整理番号 38
島津久通ら五名の連署覚。順治帝から琉球へ使者船が渡来するとの風聞を受け、江戸の老中へ内意を尋ねた経過を記す。清朝使節の受入れ、琉球を介した唐との通交、冠船の取扱い、幕府への報告、琉球へ派遣する使者と指示内容などを協議し、国際関係を損なわず慎重に処置する方針を整理する。
(明暦元年)七月十三日 / 冊子 365~366頁/原整理番号 39
島津久通ら五名の連署書状。長崎の薬丸刑部左衞門から、琉球へ清朝の冠船が渡来するとの風聞や福州での大船建造の情報が届いたことを伝える。琉球へ誰を派遣するかを早急に決め、派遣者への指示を国元から示すよう求める。
(明暦元年)九月十三日 / 冊子 366頁/原整理番号 40
島津久通ら五名が遠山三郎左衞門に宛てた連署書状。琉球へ清朝の使者が渡来するとの風説を大隅守から江戸の老中へ披露し、その旨を飛脚で松平定行へ報告した経過を伝える。琉球へ二人の使者を派遣したことも知らせ、定行への披露を依頼する。
(明暦元年)九月十三日 / 冊子 366~367頁/原整理番号 41
島津久通ら五名の連署書状。長崎で広まった清朝使節船の琉球渡来説について、現地の情報収集者から奉行所へ届け、通事を介して唐船に確かめた内容を覚書形式で報告する。大船建造や使節派遣の情報を列挙し、付記では松平定行へ竹宮内記を使者として差し向けたと記す。
(明暦元年)九月六日 / 冊子 367~368頁/原整理番号 42
松平定行が島津家の家老五名に宛てた書状。島津光久の在国中の無事と、江戸在府の島津忠朗の安泰を伝える。琉球へ渡る清朝の冊封使船をめぐり、福州船や漂着船の情報を示し、幕府への申達と琉球側の受入れ対応について相談する。
(明暦元年)九月廿三日 / 冊子 368頁/原整理番号 43
島津久通ら五名が遠山三郎左衞門に宛てた連署書状。松平定行からの書状を受け、琉球へ向かう清朝の冊封使船、福州での船の準備、漂着唐人の口上などを報告する。幕府内証のうえ琉球側へ指示する必要があるとして、定行の意見と仲介を求める。
(明暦元年)九月廿七日 / 冊子 368~369頁/原整理番号 44
松平定行が島津家の家老五名に宛てた書状。琉球から唐へ渡る進貢船が海賊被害に遭った件について、長崎の唐船・東寧船への調査と過料銀の措置を伝える。あわせて琉球へ渡る冊封使船の情報と、竹宮内記が持参した書状への返答を述べる。
明暦元年九月十三日 / 冊子 435~436頁/原整理番号 16
明暦元年九月十三日、清から琉球へ使者船を送るとの風説を長崎の情報と唐船船頭の話で確かめ、薩摩から幕府に報じた経緯を記す。幕府は琉球に清使が来て衣冠を変えるよう求めても状況に応じて対処し、それ以外は領国のこととして薩摩が計らうよう伝えた。薩摩は高崎・本田を琉球へ派遣した。