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『旧記雑録』前編・後編・附録10冊と追録1~8(暫定版)、『旧記雑録拾遺 伊地知季安著作史料集1~9』『家わけ1』(暫定版)、関連史料(外伝)『島津世禄記』の46,754件を横断検索できます。検索範囲は史料群・巻を組み合わせて選べます。結果は50件ずつ表示します。

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特大
冊子頁3頁以上。長大な日記・軍記・系図・知行帳・軍役帳。

14 件 (全巻)/ 1–14件を表示

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後編2-No.561記事確認度 高

天正十七年・十八年覚書

天正十七年の十七か条誓紙連判、八月の実明公上洛、同年秋の松齢公下向、天正十八年の久保公関東出陣を列記した覚書。 二年間の島津家中の主要行事を見出し形式でまとめたもので、誓約・上洛・帰国・軍事動員の時系列を簡潔に確認できる。

登場人物
実明公、松齢公、島津久保
宛先
—
キーワード
天正十七年、天正十八年、十七か条誓紙、連判、実明公、上洛、松齢公、下向、島津久保、関東出陣
後編2-No.626記事確認度 高

天正十八年・十九年覚書

天正十八年の小田原陣に続き、天正十九年正月の貴明公の下向、同年九月の松齢公の伏見からの帰国と人質番組を列挙する。 さらに同年冬の高麗渡海命令、十二月に貞明公が名護屋へ加わったことを記し、豊臣政権下で島津家が相次いで軍事動員を受けた経過を簡潔にまとめた覚書である。

登場人物
貴明公、松齢公、貞明公
宛先
—
キーワード
天正十八年、天正十九年、小田原陣、貴明公、松齢公、伏見、下向、人質番組、高麗渡海、貞明公、名護屋、軍事動員、覚書
後編4-No.383記事確認度 中

児玉筑後譜

慶長十二年、島津義久が帖佐で病んだため、国分にいた島津家久が心配し、療治を促すとともに実相を見舞いに遣わした記事。使者は犬追物の件も伝え、八月一日に復命した。

登場人物
島津家久(実明公)、島津義久(松齢公)、理心、実相
宛先
—
キーワード
児玉筑後譜、島津家久、島津義久、帖佐、国分、病気療養、見舞使者、犬追物
追録7-No.352記事旧記雑録暫定版確認度 高

斉宣、鶴寿丸の霊牌を安置す(目録352・原印刷352)

幻生君について、十代の祖松齢公(島津義弘の注)の長男で、永禄12年に生まれ幼名鶴寿丸、天正4年11月22日に亡くなり法号涼山幻生とする御譜記事。遺骨の蔵所が不詳であったが、寛政8年2月、寺社奉行から日向加久藤郷不動寺の仏壇下へ納められているのではないかと報告があり、その修理を以下の通り命じたと述べる。骨の所在は疑われるという記載で、ここだけで発掘確認済みとしない。続く印刷353の具体的な石棺・位牌取扱命令へつながる。

登場人物
幻生君(幼名鶴寿丸)、松齢公(島津義弘注)、島津斉宣、寺社奉行
宛先
宛名なし(御譜記事)
キーワード
幻生君、鶴寿丸、松齢公義弘の長男、永禄十二年出生、天正四年十一月二十二日卒、涼山幻生、遺骨蔵所不詳、加久藤不動寺、仏壇下推定、修理命令
追録7-No.1628記事旧記雑録暫定版確認度 高

重豪公御譜記事(島津義弘二百年忌法事)

重豪公御譜中、斉興公御譜にもあるとする。この年秋七月七日、松齢公の二百年忌法事を伊集院妙圓寺で三日間、七月九日から十一日まで修したと記す。松齢公には島津義弘の傍注を伴う。重豪は大目附畠山式部義矩を遣わし、この日は仮に家老として、香奠金二百疋を献じ拝させた。記事の日付七月七日と法事期間九~十一日を区別する。香奠の単位は疋であり、二百両ではない。家老の注記は当日の仮任で、恒常的な家老職への任命とまでは記さない。

登場人物
島津重豪、島津義弘(松齢公)、大目附畠山式部義矩
宛先
伊集院妙圓寺(代参・香奠先)
キーワード
重豪公御譜斉興公御譜秋七月七松齢公島津義弘二百年忌伊集院妙圓寺三日九至十一大目附畠山式部義矩是日仮家老香奠金二百疋拝焉
追録8-No.152記事旧記雑録暫定版確認度 高

斉興、祖法ニヨリ軍法ヲ設ク

斉興が藩内に軍法を設けた理由を述べる記事。大中公・貫明公・松齢公の旧制を専ら模範とし、古い制度の良い点を棄てずに取り、当世の士にも忠厚な風法を用いさせたいとする。その意向を家老へ告げるため、詳しい書付を以下に示すと記す。具体的な命令はNo.153に収める。

登場人物
島津斉興、大中公、貫明公、松齢公、家老、当世の士
宛先
宛先なし(記事)
キーワード
島津斉興、軍法、大中公、貫明公、松齢公、祖法、旧制、忠厚、家老
追録6-No.1253記事旧記雑録暫定版確認度 高

定山公師久の四百年忌と香奠銀の減額の注

同年春三月二十一日、薩摩郡隈之城の稱名寺で、定山公の四百年忌の法事を修したと記す。定山公には島津師久の注があり、使番頭鎌田蔵人正方を遣わし、香奠銀三枚を献じて拝させたという。仝上は重豪公御譜中の出典を受ける。小字の注は、これまで祖先の遠忌法事では寺へ香奠銀五枚を納めていたが、ここで初めて減額し、銀三枚を香資として献じ、以後はこれに倣うと記す。その上で大中公・貫明公・松齢公・慈眼公のような場合はまた同じではないと付すため、すべての祖先法事を一律三枚へ改めたとしない。三枚はこの法事への献納額で、従前五枚と加算しない。四百年忌の原表記を保持し、師久の没年を逆算して補ったり、三月二十一日を死亡日として扱ったりしない。

登場人物
定山公(島津師久の注)、使番頭鎌田蔵人正方、稱名寺、重豪、大中公、貫明公、松齢公、慈眼公(原注の例外)
宛先
薩摩郡隈之城稱名寺(法事・献香奠先、独立宛書なし)
キーワード
定山公島津師久、四百年忌、三月二十一日、薩摩郡隈之城稱名寺、鎌田蔵人正方、香奠銀三枚、従前五枚、初減、以往倣、大中貫明松齢慈眼不同
追録8-No.128記事旧記雑録暫定版確認度 中

斉興慶長役ノ追薦ヲナス

慶長三年十月の泗川の役と同年十一月の戦から二百五十年に当たり、斉興がその年の戦死者の霊を弔った記事。九月二十一日、福昌寺住持独山を導師として薩府妙谷寺で施餓鬼会を行い、敵兵数万の亡魂にも施したと記す。貫明公・松齢公・一唯公の霊牌を置き、家老調所広郷が代わって礼拝し、戦死者の子孫も法筵に礼拝して食を賜り、僧俗に粥を施した。松齢公は征韓の役で伊集院妙円寺を菩提所としたが、場所が不便なため妙谷寺で法会を行ったと説明する。貫明公の肥前名護屋出陣と征韓事の指揮にも言及し、戦死者子孫の名録を作ったと記す。斉興譜に戦死者四十八名の列記があるという編者注があるが、本記事に各名は掲載されない。

登場人物
島津斉興、福昌寺住持独山、調所笑左衛門広郷、貫明公、松齢公、一唯公(久保・義弘男の人物注)、戦死者とその子孫
宛先
宛先なし(記事)
キーワード
慶長役、泗川、二百五十年、戦死者追薦、施餓鬼会、敵兵亡魂、妙谷寺、独山、霊牌、戦死者子孫、名録
追録8-No.939諸菩提所の画像肖像木像遺骸の合祀小社建立と寺院廃止を定める達旧記雑録暫定版確認度 中

先代等の画像・肖像・木像・遺骸を指定社へ合祀し、一部旧寺地へ小社を設け社守・祭祀を定める

諸所に安置した先代等の画像・肖像・木像・遺骸を、指定の社へ合祀する対応を列記する。浄光明寺内得佛公社、日新寺内梅岳公社、妙圓寺内松齢公社、福昌寺内英嶽殿、妙谷寺内貫明公社、諏方社宗源殿が合祀先となり、各旧寺名・対象・媒体は台帳へ個別転記した。阿多上宮寺・高山日新院・川邊玉泉寺は旧寺地の由緒から小社を建て、誕生日を神祭として従来通り敬い、所中士族から社守を選び寺地をその者へ支配させ、神社奉行が吟味して申し出る。画像は箱入保護し祭日に懸ける扱いと当分鹿籠転院の注も保持する。寺院を廃し、合祀または一社建立を行い本社と同日に祭祀する旨を神社奉行等と諸郷へ通知する。明治二巳十一月知政所。実廃寺数・移送完了・現代社名地図対応は補わない。

登場人物
知政所、神社奉行、諸郷、所中士族社守、得佛公・節山公・圓室公・興岳公・松齢公・梅岳公・運久君・宰相君・恕翁公・大中公・持明君・大信公・金剛定公・貫明公・信證君・信解君・妙心君(台帳に各注)
宛先
神社奉行、その他関係向々、漏れなく諸郷
キーワード
原939通達留諸菩提所画像肖像木像遺骸得佛節山圓室興岳松齢梅岳運久宰相恕翁大中持明大信金剛定貫明信證信解妙心合祀箱入保護祭日懸当分鹿籠転院三寺地小社建立誕生日神祭士族社守寺地支配神社奉行吟味寺院廃本社同日祭祀明治二巳十一月
追録8-No.946-1旧寺地の六霊社の社号を定める達旧記雑録暫定版確認度 中

龍尾竹田松原大平徳重長谷の六社について旧寺地と霊社対象を掲げ社号を伝える

通達留。旧浄光明寺の御高祖霊社を龍尾神社、旧日新寺内梅岳公霊社を竹田神社、旧南林寺内大中公霊社を松原神社、旧妙谷寺龍伯公霊社を大平神社、旧妙圓寺内松齢公霊社を徳重神社、旧福昌寺跡慈眼公霊社を長谷神社と掲げる。今般の社建立に伴い、社号をこの通り称する旨を神社奉行と関係先へ伝える。明治二巳十二月、知政所。六組の社号・旧地・霊社対象、義久家久注と竹田の本々注を区分し、御高祖の具体名や社殿完成・祭祀開始実績、現在の住所は補わない。

登場人物
知政所、御高祖、梅岳公、大中公、龍伯公(義久注)、松齢公、慈眼公(家久注)、神社奉行、関係向々
宛先
神社奉行、承知すべき関係向々
キーワード
原946の1通達留龍尾旧浄光明寺御高祖竹田本々旧日新寺梅岳松原旧南林寺大中大平旧妙谷寺龍伯義久徳重旧妙圓寺松齢長谷旧福昌寺跡慈眼家久霊社六社号社建立神社奉行明治二巳十二月
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 49-4史料伝来考証旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

伊地知季安記事

伊地知季安が御母呂伝受について、寛永九年の条書、山田聖栄自記、松齢公(島津義弘)が大翁公(島津勝久)の子・修理大夫忠良入道休庵老に返した御書にも見えることを挙げ、古くから伝えられた事柄であろうと考証する。

登場人物
伊地知季安、山田聖栄、島津義弘(松齢公)、島津勝久(大翁公)、修理大夫忠良入道休庵老(勝久の子)
宛先
なし
キーワード
御母呂伝受、山田聖栄自記、条書、伝給、史料伝来
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 49-6系譜・寄進文書考証旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

伊地知季安記事

伊地知季安が、式部常陸守友久による応永六年三月二十一日の寄進文を挙げる。二親道慶禅門・通長禅尼の菩提料として、鹿児島給分小牧の中牟田二段を福昌寺に寄進したもので、友久は元久公の時代の人物を氏久の時代と誤伝したのではないかと考える。松齢公(島津義弘)の御書は後に載せるとし、永和三年二月二十五日の氏久公簑原合戦について聖栄自記の記事を続掲する。

登場人物
伊地知季安、式部常陸守友久、道慶禅門、通長禅尼、元久公、島津氏久、島津義弘(松齢公)、山田聖栄
宛先
なし
キーワード
式部常陸守友久、菩提料、福昌寺、寄進、元久、氏久、伝聞の考証
追録8-No.74記事旧記雑録暫定版確認度 高

斉興義弘肖像ヲ大乗院ニ移ス

斉興が義弘の肖像を京都から鹿児島の大乗院へ移した記事。慶長五年、関原の役から泉州へ退いた義弘は、知己の今井道興の家へ潜み、懇厚な待遇を受けて危急を免れた。後に道興の願いに応じて肖像を与え、義弘没後、道興は庵を築いて像を安置し松齢院と称した。曾孫某が僧となり京都相国寺内林光院の住持となって像を移し、大玄公(綱貴)の時に仏餉料を年々白銀十枚寄附した経緯を記す。斉興が肖像の所在を聞き、京都から取り戻して大乗院へ安置し、住持に祭祀を怠らないよう命じたことを述べる。安置命令はNo.73に収められる。

登場人物
島津義弘(松齢公)、今井道興、その曾孫某(林光院住持)、島津綱貴(大玄公。本文人物注)、島津斉興
宛先
宛先なし(記事)
キーワード
島津義弘、関原の役、今井道興、危急、肖像、松齢院、林光院、仏餉料、白銀十枚、大乗院
旧記雑録拾遺 著作史料集7-文書ID w12:1西藩田租考旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

帖佐方軍役究目録一一一西落田租考

西藩の給地と田租について古い書付を引く。太閤検地後の石高、諸給地への配分、松齢公からの給地の由来を挙げ、知行と領地高の関係を考証する。

登場人物
本文記載人物(詳細は本文画像参照)
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キーワード
西藩田租考、太閤検地、石高、給地、知行