伊集院道忍臨書状
正平十五年二月十一日 / 冊子 17頁
伊集院道忍が大隅守に、『みつへのかんなかのまた名内のすいてんしもんしかい七反、井の木のまろ三反』、計一町と堀ノ内の一所について、知行を認めるよう取り次ぐことを求めた書状。
SEARCH THE ARCHIVE
『旧記雑録』前編・後編・附録10冊と追録1~8(暫定版)、『旧記雑録拾遺 伊地知季安著作史料集1~9』『家わけ1』(暫定版)、関連史料(外伝)『島津世禄記』の46,754件を横断検索できます。検索範囲は史料群・巻を組み合わせて選べます。結果は50件ずつ表示します。
3,419 件 (全巻)/ 1–50件を表示
ページ 1 / 69
正平十五年二月十一日 / 冊子 17頁
伊集院道忍が大隅守に、『みつへのかんなかのまた名内のすいてんしもんしかい七反、井の木のまろ三反』、計一町と堀ノ内の一所について、知行を認めるよう取り次ぐことを求めた書状。
八月廿五日 / 冊子 166頁
渋川満頼が伊作大隅守に、こちらで重大事が起きた場合には軍勢を率いて早々に国境を越えて来援するよう求めた書状。
応永八年八月十日 / 冊子 202頁
島津久哲(伊久)が伊作大隅守へ、薩摩国日置庄内の名主職を預ける旨を伝えた書下。
応永八年八月廿一日 / 冊子 203頁
島津久哲(伊久)が伊作大隅守へ、薩摩国の南郷を祈祷所として預け置き、先例どおり沙汰するよう命じた書下。
応永八年十月十日 / 冊子 203頁
島津久哲(伊久)が伊作大隅守へ、薩摩国日置庄内の名主職を預ける旨を伝えた書下。
応永八年十一月十六日 / 冊子 203~204頁
島津久哲(伊久)が伊作大隅守へ、薩摩国知覧院で元久方の祈祷所として先日知行していた水田二十町を、新たな祈祷所として知行することを認めた書下。
応永十一年四月五日 / 冊子 213~214頁
島津久哲が伊作大隅守へ、薩摩国加世田別符内大浦村について、先例に任せて相違なく知行するよう認めた書下。本文の月表記は『卯月』。
文禄2年後9月26日 / 冊子 749頁
島津義弘が、九鬼大隅守から託された書状を確かに受け取ったと返答する。名護屋へ送った船がまだ着岸していないため、到着後に算用を済ませ、墨付を添えて指定先へ渡すと約束する。 近所に滞在しているので、ほかにも用件があれば申し付けてほしいと伝えた、船舶・書状・会計処理に関する実務的な書状。
八月廿五日 / 冊子 540頁
当地で重大事が起きているため、軍勢を早急に越国させてほしいと要請した渋川満頼書状。
年月日未詳 / 冊子 499頁/整理ID 1342
松平大隅守の妹と阿部伊勢守との縁組について、願い出のとおり仰せ付ける旨を伝える短い書付。
享保十四年十一月十五日 / 冊子 955頁/整理ID 2407
来月十一日を吉辰として竹姫の入輿を仰せ出すと松平大隅守へ伝える。
延享三年正月十一日 / 冊子 889~890頁/整理ID 2387
松平大隅守が年頭の祝儀に公方様・大御所様へ使者を通じ太刀一腰と馬代を献じたことを、本多中務大輔忠良が承り、品を披露した旨を返す。No.2388は同件の西尾忠直返書。
延享三年正月十一日 / 冊子 890頁/整理ID 2388
松平大隅守が年頭の祝儀として使者を通じ太刀一腰と馬代黄金十両を献じたことを、西尾隠岐守忠直が承り、品を披露した旨を返す。No.2387と同件の別差出人の書状。
本文年月日不記(No.252の1の付属御書取) / 冊子 182頁/原整理番号 252の2/整理ID 252-2
松平大隅守について、官位はすでに格別な扱いで本来さらに昇進を沙汰し難いが、長年の在職勤務、廣大院の続柄、当時の縁辺により、特別な思召で従三位昇進を命じたとする御書取。今回の昇進を以後の家格と心得てはならず、その旨を申し聞かせるよう沙汰されたことを記す。本文年月日はなく、第252号の1が添えた別紙御書取と内容を照合した。
享保十四年十一月十五日 / 冊子 956頁/整理ID 2408
竹姫入輿の日程を来月三日へ繰り上げることを大久保下野守に了承させ、松平大隅守へ伝える。
享保十四年十一月十七日 / 冊子 958~959頁/整理ID 2417
竹姫入輿に際し、親類や御広敷へ進める祝儀物、御機嫌伺いの人数や作法について松平大隅守へ伝える。
年月日未詳 / 冊子 318頁
伊作大隅守勝久の女子二人について、一人は伊作遠江守十忠の室、もう一人は島津上総介久世の室となったことを示す系図。
年月日未詳 / 冊子 318~319頁
平佐城が豊臣方の攻撃を受けた際、城兵が門・櫓・城壁の持ち場で応戦した経過を記す原田市兵衛の書。寄手の大将小出大隅守らに対し、少人数の守兵が鉄砲・刀で戦い、討死・負傷者を出しながら城を支えた。平佐城攻防の配置と被害を伝える実戦記録である。
年月日未詳 / 冊子 323~324頁
島津軍が豊後へ進出したのち、豊臣秀吉の大軍来援を受けて日向・肥後の二路から撤退するなか、桂忠昉が肥後路を退き平佐城へ入った経過を記す。秀吉方の小西摂津守・脇坂中務少輔・九鬼大隅守らが平佐城を包囲すると、城兵は討死を覚悟して抗戦し、高田橋安藝・阿久根權介らも城門で奮戦した。忠昉は落城後に秀吉へ出仕し、その剛勇を認められて宝刀を賜ったといい、九州征伐末期の平佐城攻防を伝える譜記事。
(寛永八年)四月三日 / 冊子 203~204頁
加治木大隅守と川上式部太夫について、家久の意向に従い旧名・官名を改めるよう求める。国中の飢饉に際して米価の高騰で民衆が苦しまないよう値段を抑え、命令に背いて高値で売る者を処罰する方針も伝えた。
(寛永八年)十一月十五日 / 冊子 250頁
僧観助が松平大隅守のため太元明王護摩を修し巻数を送ったことを伝え、先日大関守へ送った見舞状が原宗順から届いたかを尋ねて、その機嫌を知らせてほしいと求めた書状。
五月廿二日 / 冊子 45頁
原田市兵衛が、天正十五年の平佐城攻めにおける祖父原田帯刀の軍功を申し立てた文書。籠城戦で寄手の大将九鬼八郎を弓で射たこと、直後に和談となり、矢をめぐって小出大隅守方の家老らが確認した経緯を述べる。
年月日未詳 / 冊子 285頁
島津忠宗の譜中記事。久長について、伊作と号し、初名を忠長、通称・官途を彦三郎・左衛門尉・下野守・大隅守としたことを記し、子孫は別紙に記すとする。女子の記載もある。
享保十四年十一月十六日 / 冊子 956~957頁/整理ID 2411
竹姫入輿後の御礼に際し、但馬守・鳥居丹波守の御興と御貝桶請取、家老二人の御目見について指図する。
承応二年七月 / 冊子 395頁
島津光久を大檀主として大興寺の客殿一宇を再興した棟札写。草堂以来の建物が風雨で傷んだため、郡民の負担を軽くする構造で再建し、天下泰平・国土安穏・檀門繁栄・寺家長久・仏法紹隆を祈願する。
(明暦三年)八月三日 / 冊子 345頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0741
老中二名が松平大隅守へ、先ごろ上使によって息の薩摩守(原注綱久)が御鷹の梅首鷄を拝領した件を伝える。大隅守からの礼使と国の肴一種を受け、披露したと答える。
(万治元年)閏十二月十九日 / 冊子 374~375頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0816
神尾元勝が松平大隅守へ、将軍は健勝と伝え、西尾藤兵衛を上使として同姓薩摩守が御鷹の雁を拝領した件と、礼使を差し上せたことを了承する。光久が当地で健康であることも重く受け止めたと述べる。
(万治二年)五月十三日 / 冊子 381頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0840
稲葉正則が松平大隅守へ、鹿毛の御馬一疋を献じた旨を披露し、御機嫌であったと知らせる。
(寛文二年)九月三日 / 冊子 453頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0982
阿部忠秋・酒井忠清が松平大隅守へ、公方の機嫌と先頃の帰国の暇についての喜びを承知したと返答する。帰国に際し差し越した種嶋三郎次郎による羅紗五間・御樽肴の献上を披露し、御前に使者を召し出し、入念の段は御喜色とする。詳しくは三郎次郎が述べるという。
(寛文八年)十二月九日 / 冊子 551頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書1274
稲葉正則が松平大隅守へ、公方の機嫌がよい旨を重く思うという知らせを承知したと返答する。国元の蜜柑二箱と御肴一種を献じた件を各々相談して披露し、一段の御仕合と伝える。
(寛文十二年)七月六日 / 冊子 596頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書1451
久世広之が松平大隅守へ、公方の機嫌がよいことへの祝意を承知し、先日同氏修理大夫が首尾よく暇を得て色々と拝領した旨の謝意を承知したと返答する。その礼に差し越した使者について各々相談して上聞に達したと伝える。
(寛文十二年)八月十七日 / 冊子 597頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書1455
土屋数直が松平大隅守へ、公方の機嫌がよいことへの祝意を承知し、先頃同氏薩摩守が上使を介して御鷹之雲雀を拝領した旨を承知したと返答する。入念の段を各々相談して上聞に達したと伝える。
(寛文十二年)九月廿二日 / 冊子 598頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書1464
稲葉正則が松平大隅守へ、帰国に際して先に礼のため差し越した使者が御前へ召し出され、時服を下賜されたことへの謝意を承知したと返答する。紙面のとおり各々相談して言上すると伝える。
(寛文十二年)十二月十五日 / 冊子 603頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書1481
土屋数直が松平大隅守へ、先頃上使を介して同氏薩摩守が御鷹之鴈を拝領した件の知らせを承知したと返答する。紙面のとおり各々相談して上聞に達したと伝える。
〔延宝二年〕十二月二十八日 / 冊子 640~641頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書1590
久世大和守が松平大隅守へ、先月二十五日の書状による領内の転び切支丹の親類・縁者改帳について、大久保右京亮に照会した件を承知したと返答する。家来の判形とするのがよい旨は渡辺大隅守・青木遠江守に伝え、書面の趣旨にも留意する。判形の件は両人の奉行衆へ申し達したと記す。
〔延宝二年〕十二月二十八日 / 冊子 641頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書1592
大久保右京亮教勝が松平大隅守へ、先月十日・十五日の書状を受け、年頭礼使への配慮に謝する。領内の転び切支丹の親類・縁者改帳は、今後家来の判形で差し上げるよう久世大和守から渡辺大隅守・青木遠江守へ仰せ渡されたこと、改帳は新納又左衛門の判形で相済んだことを喜ぶ。
〔延宝二年〕十二月二十七日 / 冊子 642頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書1594
杉浦正昭が松平大隅守へ、十一月十一日・十五日の二通を拝見し、公方の機嫌と宛人の勇健を喜び、年頭礼使による太刀の差上げに謝する。領内の転び切支丹の親類・縁者改帳を家来の判形で提出するよう久世大和守から渡辺大隅守・青木遠江守に伝えられたことを、宛人が喜んだ旨を承知したと返答する。
(貞享四年)一月十六日 / 冊子 787頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書2061
戸田忠昌が松平大隅守へ、公方の機嫌がよいことへの謝意を承知したと返答する。旧冬に同氏薩摩守へ上使を介して御鷹之雁が下された件について、書状の趣旨を相談して上聞へ達したと伝える。
享保六年八月三日 / 冊子 489頁/整理ID 1310
戸田忠真が松平大隅守へ、八朔の祝儀として使者を通じ太刀一腰と馬代黄金十両を献上したことを知らせる。
享保六年十月十四日 / 冊子 493頁/整理ID 1322
戸田忠真が松平大隅守へ、生龍眼肉一箱の献上を受け、披露する旨を伝える。
享保六年十月廿日 / 冊子 493頁/整理ID 1324
井上正岑が松平大隅守へ、重陽の御内書を渡すので、翌日五つ半時に家来を城へ差し出すよう伝える。
享保六年十二月九日 / 冊子 497頁/整理ID 1331
井上正岑が松平大隅守へ、蜜柑一箱と炙鮎一箱の献上を受け、披露する旨を伝える。
享保六年十二月十七日 / 冊子 497~498頁/整理ID 1333
水野和泉守と戸田山城守が松平大隅守へ、翌十八日四つ時に登城するよう伝える。
享保六年十二月二十七日 / 冊子 499頁/整理ID 1340
水野和泉守・戸田山城守が松平大隅守へ、翌二十八日五つ時に登城し、任官の御礼を申し上げるよう伝える。
享保七年二月六日 / 冊子 524~525頁/整理ID 1354
水野忠之・戸田忠真・井上正岑が松平大隅守へ、翌七日の四つ時に登城するよう伝える。
享保七年二月廿日 / 冊子 526~527頁/整理ID 1361
水野忠之が松平大隅守へ、歳暮の御内書を渡すため、翌日の五つ半時に登城するよう知らせる。
享保七年三月十三日 / 冊子 527頁/整理ID 1364
戸田忠真が松平大隅守へ、新身の御刀二腰を献上した件について、将軍家へ披露したことを伝える。
四月四日 / 冊子 531~532頁/整理ID 1372
松平大隅守の留守家来に対し、帰国の御礼使が携える太刀一腰、馬代銀壹枚、時服三領などの献上品と、その差出し方を伝える。
享保七年孟夏二十七日 / 冊子 534~535頁/整理ID 1380
女房奉書を受けたことへの謝意を述べ、今後も便りを願う返書。松平大隅守宛で、孟夏二十七日付。
享保七年五月六日 / 冊子 536頁/整理ID 1386
戸田忠真が松平大隅守へ、香具一箱と丸熨斗一箱の献上を将軍家に披露したと伝える。