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『旧記雑録』前編・後編・附録10冊と追録1~8(暫定版)、『旧記雑録拾遺 伊地知季安著作史料集1~9』『家わけ1』(暫定版)、関連史料(外伝)『島津世禄記』の46,754件を横断検索できます。検索範囲は史料群・巻を組み合わせて選べます。結果は50件ずつ表示します。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 308記録旧記雑録拾遺暫定版確認度 高
年月日未詳 / 冊子 184~188頁/原整理番号 308
『藤掛集書』所収「城乗評定并水野日向守金言之事」。寛永十五年二月二十四日早朝、松平伊豆守信綱の陣所に寄手の大小名が集まり総攻めを評議した。戸田左門は、人数を損なわず鎮圧せよとの上意と城内の兵糧不足を理由に兵糧攻めを唱える。水野日向守は、堅城で援軍の恐れがなく、未熟な若者の拙攻で損害が出るとして兵糧攻めの理を説明した後、それは以前の判断であり、既に多くの侍と板倉内膳を失った現在は直ちに攻め崩すべきだと改めた。細川越中守と鍋島信濃守が三の曲輪・二の曲輪出丸の攻略を申し出たが諸将の意見は一致せず、日向守は分散した攻撃では上意に反して損害が増すとして、上使信綱の統一指揮を求めた。評定は二十六日の総攻めに決まり、信綱は鐘・太鼓・貝・鉄砲・火矢・合印・合言葉・先後陣などの規定を触れた。日向守も子の美作守、孫の伊織助と家臣団に二の丸・本丸攻略の内々軍法を示したが、二十四日夜から二十六日昼までの豪雨で攻城は延期された。その後、信綱は二十八日の総攻めと、二十七日早朝に諸大将が戸田左門の陣所へ集合することを命じた。
- 登場人物
- 藤掛集書、松平伊豆守信綱、戸田左門、水野日向守、立花飛騨守、板倉内膳、細川越中守、鍋島信濃守、美作守、伊織助ほか諸大将・水野家家臣
- 宛先
- 宛先なし(軍事記録)
- キーワード
- 藤掛集書、城乗評定、水野日向守金言、寛永十五年、二月二十四日、松平信綱、戸田左門、兵糧攻め、板倉内膳、細川越中守、鍋島信濃守、三の曲輪、二の曲輪出丸、統一指揮、二月二十六日、総攻め、鐘、太鼓、貝、火矢、合印、合言葉、美作守、伊織助、内々軍法、豪雨、延期、二月二十七日、二月二十八日
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 321説書旧記雑録拾遺暫定版確認度 高
二月廿五日 / 冊子 199~203頁/原整理番号 321
『天草説書』に記された原城攻めの記事。二月二十六日に予定された城乗りは二十四日夕方から二十六日昼までの大雨で延期され、松平伊豆守は二十八日の総攻めを定めて諸大将を二十七日早朝に戸田左門氏鉄の陣所へ集めた。評定後の濃茶の席で物見櫓番が鍋島勢の突入を告げ、伊豆守が櫓から確認して諸将を各陣へ戻したため、予定外の攻撃に各軍が続いた。本文は鍋島勢の仕寄・竹束・梯子による攻撃、海手や各口からの諸勢の突入、榊原家臣らの戦闘を記す。黒田右衛門佐は天草丸への攻撃で退却しないと誓って諸卒を励まし、黒田美作が機を見て一度の下知で乗り崩したとする。黒田勢の損害は討死二百十三人、手負千余人。細川勢は三の丸を乗り崩して二の丸へ切り入り、酉刻に詰の丸東端を破って九曜旗を立て、敵前に柵木を詰め掛けて夜を明かした。この際の手負・死人は百人と記す。
- 登場人物
- 戸田左門氏鉄・松平伊豆守(信綱)・鍋島勢・黒田右衛門佐・黒田美作・細川勢・榊原家臣ほか
- 宛先
- 宛先なし(説書・軍記記事)
- キーワード
- 天草説書、原城、二月二十六日城乗予定、大雨、延期、二月二十八日総攻め、二月二十七日評定、戸田左門氏鉄陣所、松平伊豆守、鍋島勢、予定外突入、仕寄、竹束、梯子、黒田右衛門佐、黒田美作、天草丸、討死二百十三人、手負千余人、細川勢、三の丸、二の丸、詰の丸、九曜旗、手負・死人百人、柵木
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 330逸話旧記雑録拾遺暫定版確認度 高
二月廿六日 / 冊子 214~215頁/原整理番号 330
『塵葉』巻十二所収の四本縫殿の逸話。島原で城下浜手の干潟にある岩を盾に敵を射て、多くを討ち、鉄砲の名手と呼ばれたという。他国衆の一人から翌日の介抱を頼まれたが断り、翌日その者と干潟で再会して九年母を分け合ったのち共に城へ乗り込んだ。他国衆は帰らず、四本は「介抱」とは最期を見届ける依頼だったと悟り、後れを取ったことを悔いたとする。ただし伊地知季安は、翌日城乗りなら二月二十八日のことに見える一方、三原左衛門は在国で四本縫殿の在陣も疑わしいと指摘する。村尾源左衛門の城乗り時に鍋島家衆と働いた話を四本へ附会した誤りではないかとして、重ねて調べるべきだと留保する。
- 登場人物
- 四本縫殿・他国衆の一人・三原左衛門・村尾源左衛門・鍋島家衆・伊地知季安
- 宛先
- 宛先なし(逸話・編者考証)
- キーワード
- 塵葉、巻十二、四本縫殿、島原、城下浜手、干潟、岩、鉄砲名手、他国衆、介抱、九年母、城乗り、討死、二月二十八日か、三原左衛門在国、在陣疑義、村尾源左衛門、鍋島家衆、附会疑義、伊地知季安、重ねて糺すべし
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 331書留旧記雑録拾遺暫定版確認度 高
二月廿六日 / 冊子 215~216頁/原整理番号 331
蒲生士谷口氏の書留。二月二十七日八つ時に城乗りがあり、翌二十八日までに一戦が済んだと記す。本文には上文が二月二十一日、下文が三月七日にあるとの参照注が付く。
- 登場人物
- 蒲生士谷口氏
- 宛先
- 宛先なし(書留)
- キーワード
- 谷口氏書留、蒲生士、二月二十七日、八つ時、城乗り、二月二十八日、一戦終了、上文二月二十一日、下文三月七日、参照注
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 333-1記事旧記雑録拾遺暫定版確認度 高
年月日未詳 / 冊子 218~223頁/原整理番号 333-1
『平塞録』所載の二月二十七日原城攻撃記事。翌二十八日の総攻めを評議するため、松平伊豆守ら諸大将が戸田左門の山手陣屋へ集まった。鍋島信濃守は、自陣前の二の郭枡形へ翌日の足次とする竹束を付けたいと上使衆へ申し、竹牌だけを寄せることを許された。ところが鍋島勢の者が出丸へ竹牌を付け、敵が退いたと見て鍋島安芸らが乗り込み、榊原左衛門佐職信や細川勢など諸勢も続いて三の丸・城内へ進み、鉄砲戦と混戦になった。記事は各隊の先陣争いと多数の個別武功を詳記し、末尾では非番ながら鍋島勢の城乗りを聞いて参加した松野縫殿之助・吉弘四郎太夫兄弟にも触れる。三の丸一番乗を書き出した者は四人いたが、明確な証拠がなく、その四人の差出が一通あると留保する。
- 登場人物
- 松平伊豆守・戸田左門・鍋島信濃守・鍋島安芸・榊原左衛門佐職信・細川越中守・式部ほか
- 宛先
- 宛先なし(記事)
- キーワード
- 平塞録、二月二十七日、二月二十八日総攻め評議、松平伊豆守、戸田左門、鍋島信濃守、二の郭枡形、竹束、竹牌、出丸、鍋島安芸、榊原左衛門佐職信、細川越中守、三の丸、城乗り、鉄砲戦、先陣争い、松野縫殿之助、吉弘四郎太夫、非番、三の丸一番乗四人、証拠不分明、差出一通
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 333-35差出旧記雑録拾遺暫定版確認度 高
寛永十五年七月八日 / 冊子 247~248頁/原整理番号 333-35
平野治部左衛門が、二月二十七日の有馬城乗りで討死した子・太郎四郎の働きを申し出たもの。太郎四郎は二之丸で槍を持つ切支丹二人に襲われ、一人を突き留め、もう一人にも槍を付けたが逃したという。村上吉之丞から翌朝に伝えられた話や、従者・山田新九郎の証言を挙げ、本丸塀の破口付近で敵を突き伏せた後、大勢と戦って槍が折れ、腿を敵の槍で突かれて倒れ、その場で討死したと推定している。
- 登場人物
- 平野治部左衛門(平野太郎四郎父)
- 宛先
- 宛先なし(差出)
- キーワード
- 寛永十五年七月八日、平野治部左衛門、平野太郎四郎、二月二十七日、有馬城乗り、二之丸、切支丹二人、槍、一人突留、村上吉之丞、翌二十八日、山田新九郎、本丸塀破口、大勢、槍折れ、腿負傷、討死推定
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 373高尾野衆失衆注文旧記雑録拾遺暫定版確認度 高
二月廿八日 / 冊子 331~332頁/原整理番号 373
宮原又左衛門尉・税所助兵衛尉が、高尾野衆のうち「失衆」とされた一向宗の牧田主馬允・山口納右衛門尉・前田少兵衛尉・細山田内蔵助・児玉七右衛門尉について、新納佐左衛門尉・上原貞右衛門尉へ提出した注文。牧田は有馬の春之城への城乗りで首一つを射取りながら、失衆のため仁礼左近へ内証で見せて切り捨てたとし、他の四名は詰めていたが仕合を知らず、軍功をしなかったと記す。二月二十八日付。編者注は『旧記雑録後編五』二一五三号文書と同文とする。
- 登場人物
- 宮原又左衛門尉・税所助兵衛尉
- 宛先
- 新納佐左衛門尉殿・上原貞右衛門尉殿
- キーワード
- 高尾野衆、失衆注文、一向宗、牧田主馬允、山口納右衛門尉、前田少兵衛尉、細山田内蔵助、児玉七右衛門尉、有馬、春之城、城乗り、首1、射取り、仁礼左近、内証、切捨て、無軍功、宮原又左衛門尉、税所助兵衛尉、新納佐左衛門尉、上原貞右衛門尉、二月二十八日、旧記雑録後編五2153号同文
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 374加久藤衆・寺領衆軍功注文旧記雑録拾遺暫定版確認度 高
二月廿九日 / 冊子 332~333頁/原整理番号 374
伊地知杢右衛門重政が、春之城本丸への城乗りで、加久藤衆と寺領衆の首取得・手負・戦死を列記した注文。加久藤衆では伊地知弥右衛門尉ら首取得者八名と原記載の合首数十、手負として金剛坊の弓射通(敵六人を射たとの付記)、岩崎源之丞の鉄砲疵、川野与右衛門尉の鑓疵を記し、同心衆十名を列挙する。寺領衆では西田市左衛門尉らの首取得と赤川兵左衛門尉の戦死を分け、合首五つとする。二月二十九日付。宛所はない。編者注は『旧記雑録後編五』二一六八号文書と同文とする。
- 登場人物
- 伊地知重政(伊地知杢右衛門)
- 宛先
- 宛先記載なし
- キーワード
- 伊地知重政、伊地知杢右衛門、加久藤衆、寺領衆、春之城本丸、城乗り、首取得、合首数10、個別首数合計9、手負、弓射通、敵6人射、鉄砲疵、鑓疵、同心衆10名、戦死1、合首5、伊地知弥右衛門尉、西田杢之丞、岩崎源之丞、瀬戸山権左衛門尉、東郷作左衛門尉、江平清右衛門尉、長野正右衛門尉、金剛坊、川野与右衛門尉、西田市左衛門尉、赤川兵左衛門尉、二月二十九日、宛先なし、旧記雑録後編五2168号同文
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 379-2加久藤衆軍功・手負・首注文旧記雑録拾遺暫定版確認度 高
二月廿九日 / 冊子 336~337頁/原整理番号 379-2
伊地知杢右衛門重政が、春之城本丸への城乗りで加久藤衆が挙げた首取得、手負・戦死、同心衆を列記し、上原左太右衛門尉尚辰・新納佐左衛門尉忠頼へ提出した注文。首取得者十二名の個別首数は合計十五で、本文の『合首数十五』と一致する。金剛坊の鉄砲疵、岩崎弾之丞・川野与右衛門尉らの鑓疵、赤川兵左衛門尉の戦死を記す。同心衆欄には西田和泉守らを列挙する。二月二十九日付。編者注は『旧記雑録後編五』二一六八号文書と同文とする。
- 登場人物
- 伊地知重政(伊地知杢右衛門)
- 宛先
- 上原尚辰(上原左太右衛門尉)殿・新納忠頼(新納佐左衛門尉)殿
- キーワード
- 伊地知重政、伊地知杢右衛門、上原尚辰、上原左太右衛門尉、新納忠頼、新納佐左衛門尉、加久藤衆、春之城本丸、城乗り、首取得者12名、合首数15、鉄砲疵、鑓疵、戦死、同心衆、伊地知弥右衛門尉、西田杢之丞、岩崎弾之丞、江平清右衛門尉、瀬戸山種左衛門尉、東郷作左衛門尉、赤川弥七郎、西田市左衛門尉、井上帯刀長、長野正右衛門尉、江平宇左衛門尉、二月二十九日、旧記雑録後編五2168号同文
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 380有馬落城・薩摩衆働聞書旧記雑録拾遺暫定版確認度 高
年月日未詳 / 冊子 337頁/原整理番号 380
喜入忠政の従臣から聞いた有馬原城落城時の薩摩衆の働きを記す聞書。同年二月二十九日に落城し、男女の大半が討ち果たされたとする。城攻めでは鹿児島の村尾三右衛門・友野七郎らが本丸の塀に乗り、弓で敵を射詰めて細川殿から称賛された。また新納加賀を先として鹿児島から十八人が城乗りで奮戦し、出水衆・大口衆各一人も知られ、軍法に背いたため一同が当初牢人となったという。後記は、天草へ従軍した老人伊集院与左衛門らから日帳・備立覚書を尋ねて後代の参考に一巻へ綴ったこと、樋ノ町与介が事情により長野六右衛門へ改名したことを記す。
- 登場人物
- 作成者記載なし(喜入忠政従臣の聞書)
- 宛先
- 宛先記載なし
- キーワード
- 喜入忠政従臣、二月二十九日、有馬落城、男女、薩摩衆、鹿児島、村尾三右衛門、友野七郎、本丸、弓、細川殿、新納加賀、十八人、城乗り、出水衆、大口衆、軍法違反、牢人、天草、伊集院与左衛門、森源右衛門、長野六右衛門、有村源六、日帳、備立覚書、樋ノ町与介、改名
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 381-6出水別本有馬原城軍功・手負帳旧記雑録拾遺暫定版確認度 高
年月日未詳 / 冊子 343~347頁/原整理番号 381-6
伊地知季安が、出水にあった別本の有馬原城攻め軍功一覧を掲げた記事。前後の次第は不詳として略し、鑓合、討捕、城乗、弓・鉄砲、手負、戦死などを鹿児島衆、出水衆、蒲生衆、加久藤衆、伊集院衆等の区分で列記する。『首数百三拾八討捕』との原記載を含む。末尾には当時の上使と在陣大名を列挙し、出水本にない書付を大野久左衛門所蔵本から見せてもらい書写したと注記する。
- 登場人物
- 伊地知季安
- 宛先
- 宛先記載なし
- キーワード
- 伊地知季安、出水別本、有馬原城、本丸城乗、鹿児島衆、出水衆、蒲生衆、加久藤衆、伊集院衆、鑓合、討捕、城乗、弓、鉄砲、手負、戦死、首数百三拾八、上使、在陣大名、大野久左衛門所蔵本、書写
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 381-7有馬原城本丸城乗軍功帳旧記雑録拾遺暫定版確認度 高
寛永十五年二月廿八日 / 冊子 343頁/原整理番号 381-7
寛永十五年二月二十八日の有馬原城本丸城乗における鹿児島衆の軍功帳。新納加賀守・市来八左衛門尉の鑓合、三原五郎兵衛・村尾源左衛門尉の弓射通、是枝喜右衛門尉・福崎新兵衛らの鑓合・刀討・首捕を記し、日高十兵衛には受傷を付す。ほか有馬九郎左衛門尉、大野監物、友野七郎、有馬久右衛門尉、平田弥左衛門尉を列挙する。
- 登場人物
- 作成者記載なし
- 宛先
- 宛先記載なし
- キーワード
- 寛永十五年二月二十八日、有馬原城、本丸城乗、鹿児島衆、新納加賀守、市来八左衛門尉、三原五郎兵衛、村尾源左衛門尉、是枝喜右衛門尉、福崎新兵衛、日高十兵衛、有馬九郎左衛門尉、大野監物、友野七郎、有馬久右衛門尉、平田弥左衛門尉、鑓合、弓射通、刀討、首捕、受傷
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 389有馬原城本丸軍功者帳旧記雑録拾遺暫定版確認度 高
年月日未詳 / 冊子 351~352頁/原整理番号 389
蒲生士松下氏書留に収める有馬原城本丸合戦の軍功者帳。出水衆などを区分し、鑓合、鑓疵、刀討、刀疵、城乗、弓での射通といった軍功・負傷別に人名を列挙する。末尾に『頸数百三十八』と、寅年二月二十八日の本丸合戦人数である旨を記し、編者は『旧記雑録後編五』一二六七号文書と同一文書であろうと注記する。
- 登場人物
- 作成者記載なし(蒲生士松下氏書留)
- 宛先
- 宛先記載なし
- キーワード
- 有馬原城、本丸合戦、寅年二月二十八日、出水衆、蒲生士松下氏書留、鑓合、鑓疵、刀討、刀疵、城乗、弓射通、軍功者帳、頸数百三十八、旧記雑録後編五、一二六七号文書、同一文書注
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 392福崎新兵衛島原城乗記事旧記雑録拾遺暫定版確認度 高
年月日未詳 / 冊子 352頁/原整理番号 392
諸家大概記は、福崎新兵衛が島原で城乗をした者のうちに含まれると記す。
- 登場人物
- 諸家大概記
- 宛先
- 宛先記載なし
- キーワード
- 諸家大概記、福崎新兵衛、島原、城乗、軍功
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 405-1日高正盛城乗・石打負傷実見証文(藤井助四郎)旧記雑録拾遺暫定版確認度 高
三月朔日 / 冊子 357頁/原整理番号 405-1
藤井助四郎が、寛永十五年二月二十八日の有馬原城落城時、日高十兵衛正盛が友野七郎・有馬久右衛門と一番に城乗し、屏際で敵の石打ちを受けて三間ほどの石垣から落ちながら名誉を遂げたことを、自身も同じく城乗して実見したとして、三月朔日に日高へ渡した証文。
- 登場人物
- 藤井助四郎
- 宛先
- 日高十兵衛尉(正盛)
- キーワード
- 三月朔日、寛永十五年二月二十八日、有馬原城落城、一番城乗、屏際、敵方石打、三間石垣、転落、軍功、実見証文、藤井助四郎、日高十兵衛正盛、友野七郎、有馬久右衛門
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 405-2日高正盛城乗・石打負傷実見証文(有馬純兵)旧記雑録拾遺暫定版確認度 高
三月朔日 / 冊子 357頁/原整理番号 405-2
有馬久右衛門尉(純兵)が、寛永十五年二月二十八日の有馬原城本丸落城時、日高拾兵衛正盛が友野七郎・藤井助四郎と先陣し、屏際で敵の石打ちを受けて三間ほどの石垣から落ちながら名誉を遂げたことを、自身も同じく城乗して実見したとして、三月朔日に日高へ渡した証文。
- 登場人物
- 有馬久右衛門尉(純兵)
- 宛先
- 日高拾兵衛尉(正盛)
- キーワード
- 三月朔日、寛永十五年二月二十八日、有馬原城本丸落城、先陣、城乗、屏際、敵方石打、三間石垣、転落、実見証文、有馬久右衛門尉、純兵、日高拾兵衛正盛、友野七郎、藤井助四郎
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 405-3日高正盛城乗・石打負傷実見証文(友野七郎)旧記雑録拾遺暫定版確認度 高
三月朔日 / 冊子 357~358頁/原整理番号 405-3
友野七郎が、寛永十五年二月二十八日の有馬原城落城時、日高十兵衛正盛が有馬久右衛門・藤井助四郎と一番に城乗し、屏際で敵の石打ちを受けて三間ほどの石垣から落ちながら名誉を遂げたことを、自身も同じく城乗して実見したとして、三月朔日に日高へ渡した証文。
- 登場人物
- 友野七郎
- 宛先
- 日高十兵衛尉(正盛)
- キーワード
- 三月朔日、寛永十五年二月二十八日、有馬原城落城、一番城乗、屏際、敵方石打、三間石垣、転落、実見証文、友野七郎、日高十兵衛正盛、有馬久右衛門、藤井助四郎
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 407-1藤井助四郎一番城乗・敵鑓奪取実見証文旧記雑録拾遺暫定版確認度 高
三月朔日 / 冊子 358~359頁/原整理番号 407-1
友野七郎が、本文に欠字を含む(寛永か)十五年二月二十八日の有馬(原之城か)攻めで、藤井助四郎が有馬久右衛門・日高拾兵衛と一番に城乗し、屏際で敵の鑓を奪い取ったのを、自身も同所へ城乗して実見したとして、三月朔日に藤井へ渡した証文。
- 登場人物
- 友野七郎
- 宛先
- 藤井助四郎
- キーワード
- 三月朔日、十五年二月二十八日、欠字、寛永か、有馬原之城か、一番城乗、屏際、敵鑓奪取、実見証文、友野七郎、藤井助四郎、有馬久右衛門、日高拾兵衛
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 407-2藤井助四郎一番城乗・敵鑓奪取系伝旧記雑録拾遺暫定版確認度 高
年月日未詳 / 冊子 359頁/原整理番号 407-2
藤井助四郎の系伝は、寛永十五年二月二十八日の肥前国有馬原城攻めで、藤井助四郎・有馬久右衛門尉・日高拾兵衛・友野七郎の四人が一番に城乗し、藤井が屏際で敵の鑓を奪い、友野の実見証文一通とその鑓一本が伝わると記す。鑓は『兼門』銘の長鋒で、鋒先九寸五分、幅七分、中心一尺二寸とし、図を掲げる。
- 登場人物
- 藤井助四郎系伝
- 宛先
- 宛先記載なし
- キーワード
- 藤井助四郎系伝、寛永十五年二月二十八日、肥前国有馬原城、四人、一番城乗、屏際、敵鑓奪取、友野七郎実見証文、一通、鑓一本、兼門銘、長鋒、鋒先九寸五分、幅七分、中心一尺二寸、鑓図、有馬久右衛門尉、日高拾兵衛
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 415伊尻祐永の原城本丸初鑓合実見証文旧記雑録拾遺暫定版確認度 高
月日 / 冊子 360~361頁/原整理番号 415
伊地知重政が伊尻三郎右衛門尉祐永へ、寛永十五年二月二十八日の原城本丸への城乗時、祐永の最初の鑓合を脇から見届けたと証明した文書。その後に先へ進んでからの手柄は知らないと、実見範囲を限定して三月二日に証文を与える。
- 登場人物
- 伊地知杢右衛門尉(重政)
- 宛先
- 伊尻三郎右衛門尉(祐永)
- キーワード
- 寛永十五年二月二十八日、三月二日、原城本丸、城乗、初鑓合、脇から実見、実見範囲限定、その後の手柄不知、実見証文、伊地知重政、伊尻祐永、出水士伊東氏蔵
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 451諸将帰陣・松倉父子処分・軍法違反吟味記事旧記雑録拾遺暫定版確認度 高
年月日未詳 / 冊子 370頁/原整理番号 451
『藤掛集書』は、原城落去・破却後、諸将が三月中旬に帰陣し、松平伊豆守信綱・戸田左門氏鉄が天草・長崎を仕置して肥前・筑前・豊前を巡見し、小倉へ九州諸将を召集したと記す。島原一揆を招いた領国統治の責任から松倉家を改易し父子・兄弟を諸家預けとし、寺沢兵庫頭から天草四万石を召し上げた。さらに軍法に背いた城乗込みをめぐり鍋島信州と梶原父子らを江戸で吟味し、閉門後に赦免した経過を記す。
- 登場人物
- 松平伊豆守信綱、戸田左門氏鉄、太田備中守、松倉父子、寺沢兵庫頭、鍋島信州、梶原父子
- 宛先
- 宛先記載なし
- キーワード
- 藤掛集書、原城落去、破却、諸将帰陣、三月中旬、松平伊豆守信綱、戸田左門氏鉄、太田備中守、天草、長崎、仕置、肥前名護屋、唐津、筑前福岡、博多、豊前小倉、九州諸将召集、松倉父子、領国統治、島原一揆、改易、諸家預け、寺沢兵庫頭、天草四万石召上、軍法違反、城乗込み、鍋島信州、梶原父子、江戸吟味、閉門、赦免
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 328覚旧記雑録拾遺暫定版確認度 高
二月廿七日 / 冊子 214頁/原整理番号 328
「田代衆中島原立の覚」。二月二十七日、肥前守殿家中の十三人が有馬城へ忍び入り、火を掛けて焼き払い、城へ乗り込んで敵を討ち取ったが、その数は不明とする。さらに、助命を願って投降してきた男女・子供が多数いたものの、一人も残さず皆殺しにしたと記す。
- 登場人物
- 肥前守殿家中十三人・有馬城の投降者
- 宛先
- 宛先なし(覚書)
- キーワード
- 田代衆中島原立之覚、二月二十七日、肥前守殿家中、十三人、有馬城、忍入、放火、焼払、城乗り、敵討取、数不知、投降、男女、子供、助命願、一人も不残、皆殺し
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 409大重久永の原城本丸乗入・敵首討取実見証文旧記雑録拾遺暫定版確認度 高
三月二日 / 冊子 359頁/原整理番号 409
伊地知重政が大重伝左衛門尉久永へ、寛永十五年二月二十八日に有馬の原城本丸へ乗り入り、敵の首を討ち捕らえた働きを確かに見届けたとして、後証のため暮春二日に与えた証文。
- 登場人物
- 伊地知杢右衛門(重政)
- 宛先
- 大重伝左衛門尉(久永)
- キーワード
- 寛永十五年二月二十八日、暮春二日、有馬、原城本丸、城乗、敵首討取、粉骨、実見証文、伊地知重政、大重久永、大重仲兵衛家蔵
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 322集書旧記雑録拾遺暫定版確認度 高
二月廿五日 / 冊子 203~212頁/原整理番号 322
『藤掛集書』の「二月二十七・二十八日原之城落去之事」。二十七日朝、二十八日の城乗りを評定するため諸大将が戸田左門氏鉄の陣所に集まったところ、物見櫓番が鍋島勢の突入を告げ、松平伊豆守が確認して各将を陣所へ戻したため、諸勢が予定外の攻撃に続いた。本文は、軍法に背いた先行突入への批判、若年の近習・家臣らの戦功と戦死、証拠提出・褒賞の経緯を詳述する。また鍋島勢の先手三千人を二手とする編成、第二陣二千五百人、白布旗、梯子・竹束、海辺に潜ませた水練の達者百人などの攻城準備を記す。黒田右衛門佐が退却しないと誓って天草丸へ攻め、黒田美作が機を見て突入させた記事では、黒田勢の討死を上下二百人、手負千人余りとする。細川勢は二十七日巳の下刻、鍋島勢に続いて三の曲輪を破り、海手から二の丸へ入り、詰の丸東端を攻めて九曜旗を立てた。この時の手負・死人は百人。敵前に柵木を結って夜を明かし、二十八日早朝に四郎の居館へ入って焼き、天草四郎時貞の首を陣野佐左衛門が討ち取ったため、本丸一番乗りとして江戸へ注進したと記す。
- 登場人物
- 戸田左門氏鉄・松平伊豆守(信綱)・鍋島勢・黒田右衛門佐・黒田美作・細川勢・水野美作守・陣野佐左衛門・天草四郎時貞ほか
- 宛先
- 宛先なし(集書・軍記記事)
- キーワード
- 藤掛集書、原城落去、二月二十七日、二月二十八日、戸田左門氏鉄陣所、松平伊豆守、鍋島勢、予定外突入、軍法違反、若年者戦功、褒賞、先手三千人、第二陣二千五百人、白布旗、梯子、竹束、水練百人、黒田右衛門佐、黒田美作、天草丸、討死上下二百人、手負千人余り、細川勢、三の曲輪、二の丸、詰の丸、九曜旗、手負・死人百人、天草四郎時貞、陣野佐左衛門、江戸注進
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 333-24差出旧記雑録拾遺暫定版確認度 高
寛永十五年四月九日 / 冊子 239~241頁/原整理番号 333-24
二月二十七日の城乗りで、河喜多九太夫正重が本丸海手角と升形の間にある、蓆を掛けた塀の破口下の崩れた石垣(高さ三尺五寸ほど)に取り付き、砲石の激しい攻撃にも退かず、そこから乗り込んだ経過を嶋少右衛門へ申し出たもの。山田新九郎ら近傍の者を一番乗りの証人に挙げ、乗込み後は槍を合わせて敵二人を仕留め、前田忠左衛門・大村孫兵衛から証拠状を取ったと述べる。
- 登場人物
- 河喜多九太夫正重
- 宛先
- 嶋少右衛門
- キーワード
- 二月二十七日、河喜多九太夫正重、本丸、海手角、升形、塀破口、蓆、石垣、三尺五寸、砲石、一番乗り、山田新九郎、敵二人、前田忠左衛門、大村孫兵衛、証拠状、寛永十五年四月九日、嶋少右衛門
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 333-32記事旧記雑録拾遺暫定版確認度 高
年月日未詳 / 冊子 244~245頁/原整理番号 333-32
本丸一番乗りをめぐる都甲太兵衛・森本藤太昌勝・田中左兵衛氏久の働きと認定を論じた記事。都甲は躑躅採取の人夫を連れていたところ城乗りを知り、雨具のまま石垣へ急行して城中へ入り、蓑に火を付け小屋へ投げたが、上使衆が見ていなかったため一番乗りとならなかったという。森本も早く城中へ入り、一揆一人を斬り槍二本を切り取ったが、火打を忘れ指物もなく一番乗りを明確に証する者がなかったとする。田中は実際には本丸へ最初に乗り込んだと記事は評する一方、上使衆が益田才助を一番と定めたためその裁定に従い、田中には益田の倍の禄を与える約束がされ、後に計四千石となったと記す。
- 登場人物
- 都甲太兵衛、森本藤太昌勝、田中左兵衛氏久
- 宛先
- 宛先なし(記事・記録類)
- キーワード
- 本丸一番乗り、都甲太兵衛、躑躅採取、人夫、雨具、石垣、城中、蓑、放火、上使衆未見、森本藤太昌勝、火打忘れ、指物なし、一揆一人、槍二本、田中左兵衛氏久、益田才助、上使衆裁定、倍禄、四千石
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 333-40記事旧記雑録拾遺暫定版確認度 高
年月日未詳 / 冊子 252~255頁/原整理番号 333-40
小笠原備前組を中心に、二月二十七日の原城総攻撃で各組が二之丸・本丸へ突入した経過と、軍功・死傷を列挙した記事。前夜の仕寄場当番を終えて組士が休息中、城乗りを聞いて出動し、番頭有吉舎人が真先に二之丸へ攻め入って一揆二人を突き留め、妙解公から高名を与えられたこと、七十三歳の藤本勘助と河村伊右衛門らが備前旗を進め、諸番頭・組士が石垣・升形を攻めて多数の討死・手負を出したことなどを記す。末尾の『伝曰』以下では、寄手が本丸を包囲しても一揆側は決死で防戦すると述べ、先祖・主君・上使らを意識して一同で乗り崩せとの評言を掲げ、その言葉で総勢が突入し、病中の志水伯耆に代わる嫡子新之丞の組にも死傷者が出たとする。
- 登場人物
- 小笠原備前、有吉舎人、藤本勘助、河村伊右衛門、細川立允、志水新之丞ほか
- 宛先
- 宛先なし(記事・記録類)
- キーワード
- 小笠原備前組、二月二十七日、原城総攻撃、二之丸、本丸、有吉舎人、一揆二人突留、妙解公、高名、藤本勘助、七十三歳、河村伊右衛門、備前旗、石垣、升形、諸番頭、組士、討死、手負、伝曰、決死防戦、総勢突入、志水伯耆、志水新之丞