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『旧記雑録』前編・後編・附録10冊と追録1~8(暫定版)、『旧記雑録拾遺 伊地知季安著作史料集1~9』『家わけ1』(暫定版)、関連史料(外伝)『島津世禄記』の46,754件を横断検索できます。検索範囲は史料群・巻を組み合わせて選べます。結果は50件ずつ表示します。

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38 件 (全巻)/ 1–38件を表示

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後編4-No.118文書確認度 高

板倉勝重・米津親勝連署状

板倉勝重と米津親勝が島津忠恒に、先に申し入れた大船献上について江戸年寄衆から再度書状が来たため転送し、領内の商船も調査して同様に上せるよう命じた連署状。

登場人物
板倉勝重(伊賀守)、米津親勝(清右衛門尉)、島津忠恒(陸奥守)
宛先
島津忠恒(陸奥守)
キーワード
板倉勝重、米津親勝、島津忠恒、大船、商船、江戸年寄衆、献上、領内調査、連署状
後編4-No.1462文書確認度 高

米津田政書状

米津田政が、将軍の上洛に伴う島津家久の京都滞留を承知し、当地に変事がないと報じ、約束の茶碗を口切に用いて満足したことを伝えた書状。

登場人物
米津田政、島津家久
宛先
島津家久
キーワード
米津田政書状、島津家久、将軍上洛、京都滞留、茶碗、口切、元和三年九月三日
追録6-No.2797その他文書旧記雑録暫定版確認度 高

島津重豪米津天神由来記

重豪が天明七年九月朔日に薩府を発ち、同四日に出水郷米津村の仮館へ入った際、村の長吏から、昨夜の激しい風雨と雷鳴の中で東北から光が飛来し、階に天満天神の銘を持つ鏡が現れたと聞いた由来を記す。太宰府の方角からの降臨とされ、その鏡の形状・裏文を写して新たに二鏡を鋳造し、延寿王院に頼んで飛梅の枝から尊像三体を刻ませた。飛来した鏡と像一体は家に蔵め、翌年の未の月に鏡の留まった所へ新宮を建てて新鏡一面・像一体を安置し、米津天神と称した。府城内にも一社を建て、残る新鏡と像を奉った。太宰府から天神直筆の古帖の写を求め、神剣も模製して当宮へ納めたとし、米津村の鎮守にとどまらず三国の文明の吉祥として来由を後世へ伝える。

登場人物
島津重豪(左中将)、米津村長吏、天満天神、太宰府別当延寿王院
宛先
由来記(米津天満宮に正文)
キーワード
米津天神、由来記、天満天神、飛来鏡、新鏡二面、尊像三体、飛梅、延寿王院、神剣模製、真蹟の写
追録6-No.2804申渡書旧記雑録暫定版確認度 高

高橋種央外二名寺社奉行連署申渡書

中将が米津天満宮へ奉納する天満宮御神刀の模製一柄、御真蹟の臨写二幅、米津天満宮由来記一通、神号一通を、袋・包み・箱とともに列記する。参詣の時だけ箱から出して飾り、内宮で真蹟を掛けることが難しければそのままとし、神刀も同様に扱うよう指示する。社司が保管し、後年に粗末な扱いをしないよう入念に護ることを命じる。六月朔日付、小林中太兵衛政央・二階堂源太夫・高橋縫殿種央の三名連署。

登場人物
高橋縫殿種央、小林中太兵衛政央、二階堂源太夫(行端、本マ注)、中将(重豪)、米津天満宮社司
宛先
米津天満宮社司(冒頭に筑前太宰府の記載もある)
キーワード
米津天満宮、奉納、神刀模製一柄、真蹟臨写二幅、由来記一通、神号一通、参詣、飾付、社司保管
追録6-No.2773その他文書旧記雑録暫定版確認度 高

出水郷米津天神由来記

天明丁未の秋、東都へ向かう前太守中将が九月三日に出水郷へ宿泊した夜、郷吏が訪れて米津村での鏡拾得を報告したという由来を記す。郷吏によれば、風雨で暗い中、東北数十里の方から一条の光が飛来して地に落ち、その鏡の背に「南無天満大自在天神」の銘があったという。村の旧天満宮は久しく荒廃し、東北には筑前太宰府があるため、神の降臨と考えて社の再建を願い、中将が許したとする。翌戊申正月に着工、十一月に完成して米津天神と称した。神像は太宰府の飛梅の枝で作り、飛来鏡の周囲・形状を模した鏡を別に鋳て神座に懸け、飛来の鏡は藩主家の宝として公宮へ収めたという。命を受けた山本正誼がこの由来を記し、天神の霊験を称えて辺境と民の安寧を祈る。末尾は天明八年季冬。

登場人物
島津重豪(前太守中将公)、郷吏、山本正誼(歩卒将行府学教授事)
宛先
由来記(宛所なし)
キーワード
米津天神、出水郷、鏡、南無天満大自在天神、太宰府、飛梅、神像、社殿再建、山本正誼
追録6-No.2807記事旧記雑録暫定版確認度 高

重豪出水郷米津天満宮ヲ再興ス

天明丁未の秋、重豪が参府の途中に出水で天満天神の銘を持つ神鏡一面を得たことを起点に、翌年に旧跡で天満宮を再興し、十一月に完成して米津天神と称した経緯を記す。伊東丹治祐久・西郷休太郎盛次を祠官とし、同郷の幸善寺に別当職を兼ねさせ、府学教授山本正誼に由来の撰文・石刻を命じた。重豪自筆の由来記と神号、太刀一腰、菅公の墨帖の臨写二冊を社内へ納め、六月九日に遷宮を行い、当番頭鎌田蔵人正方を遣わして黄金二百疋を献じた。祭日は毎年二月二十五日と九月四日とする。

登場人物
島津重豪、伊東丹治祐久、西郷休太郎盛次、山本正誼、鎌田蔵人正方、幸善寺
宛先
記事(宛所なし)
キーワード
米津天神、再興、神鏡、祠官、別当、山本正誼、石刻、由来記、太刀一腰、遷宮、黄金二百疋、祭日
追録7-No.1385記事旧記雑録暫定版確認度 高

重豪が再建の米津天神に田禄を与える記事

重豪公御譜中。先に天明戊申の冬、封内出水郷で米津天神社(出水注)を再造したことを述べ、今冬10月に田禄を「十五石貳斗九舛三合七夕五撮」として天神領に定めたと記す。年は目録文化11年。社の再建と今回の田禄設定を分け、原数量の細単位夕・撮まで保持する。重豪の意によるという末尾を採録し、天明年号の年数、田の地番・面積や収穫実績を外部から補わない。米津の原名称を目録の米ノ津と照合しても本文表記を無注で変更しない。

登場人物
重豪
宛先
独立宛名なし(重豪公御譜)
キーワード
天明戊申冬出水郷米津天神再造、今冬十月田禄十五石貳斗九舛三合七夕五撮天神領重豪意
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 90書状旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

川上久国・三原重庸連署書状

川上久国・三原重庸が米津の市来八左衛門宗友へ、黄門様の快方と薩州様の着船遅延を報じる。出水へ向かう道筋は祁答院筋より宿泊・休息所を確保しやすい川内筋がよいとの相談、道・宿・船・兵糧・台所の準備、御供衆が一万四、五千人ほどになる場合の米の確保について協議を求める。

登場人物
川上久国、三原重庸、市来宗友、黄門様、薩州様、川上彦左衛門、岩切六右衛門
宛先
米津にて市来八左衛門宗友殿御宿所
キーワード
川上久国、三原重庸、市来宗友、黄門様、薩州様、出水、祁答院筋、川内筋、道作、宿泊、船、兵糧、台所、御供衆一万四五千
旧記雑録拾遺 著作史料集5-文書ID F:248日記旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

川上久国上使附日記

諸国へ下向した上使からの問いに対する返答記事。九州各地への移動、出水から米津江への行程、栗野・岩城などの城と守備、物資や人数の手配、城攻めの経緯を記す。

登場人物
川上久国上使附日、黄門、小十郎、鎌田源、喜入久、地頭五代少、織部、可取構
宛先
諸園、九州、出水米津、其晩者麓町、加治木、黄門、又加治木、圏分、園府、小十郎、右御両人者園府、栗野、御城、伊東領、飲肥、川上因幡、而山川、健之湊、十日永良部、其日屋久嶋之長田、一般、宮之浦、殴御宿、織部、一大坂御陣之脇武家、可取構、如何、太
キーワード
川上久国上使附日記、寺社・宗教、領地・地頭職、軍事・武具、大隅、江戸、肥後、豊後、志布志、出水、田布施、高岡
追録2-No.1768証状旧記雑録暫定版確認度 中

島津吉貴証状

吉貴公御譜中に、九月二十五日付で修理大夫が、病死した松平薩摩守の遺骸を棺に納め乗物で江戸から薩州鹿児島福昌寺へ送るため、箱根・今切両関所を滞りなく通す手形を求めた証状を載せる。遺骸について難儀があれば自分方へ知らせてほしいと述べる。

登場人物
島津吉貴(松平修理大夫)
宛先
松平主計頭・大久保玄蕃頭・井戸対馬守・米津周防守・近藤備中守(各殿)
キーワード
吉貴公御譜、修理大夫判形、薩摩守、病死、遺骸、棺、乗物、江戸、薩州鹿児島、福昌寺、箱根、今切、関所手形、通行、六ヶ敷、難儀、井戸対馬守、九月二十五日
旧記雑録拾遺 著作史料集5-文書ID F:206文書旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

島原立人数差出

島原へ差し出した人数の内訳。内衆とその夫などの人数を列挙し、日数を付けた総計も記す。

登場人物
島原立人数差出、而弐拾九人在伊地知弥、河野輿、前田彦、宮竹武、寅正月十七日伊地知杢、村田郷
宛先
米津
キーワード
島原立人数差出、年貢・財政
後編5-No.1236文書確認度 中

北郷久直譜

寛永十五年正月、北郷家臣の津曲狩野介兼業・古垣四郎右衛門忠興ら三百人が先手として出水・米津へ進み、原城落城を聞いて帰陣したことを記す。二月二十三日の島津家久死去後、島津光久が江戸に留守の間、久直が分国中の諸役人へ下知を加える任を命じられたとする譜記事。

登場人物
北郷久直譜
宛先
後世の読者
キーワード
北郷久直、津曲狩野介兼業、古垣四郎右衛門忠興、出水、米津、原城落城、帰陣、島津家久、島津光久、分国支配
追録2-No.1627記事旧記雑録暫定版確認度 中

島津綱貴参勤道中記事

島津綱貴が三度目の参勤のため三月十日に発国し、一族島津久健、家老川上久重、用人野村廣貫・平田純旨・諏方兼秩らを伴った記事。十三日に出水米津で乗船し、十七日に肥前国寺井川へ着き、陸路で十九日に豊前国大里へ到着して再び乗船、二十八日に大坂へ着船した。

登場人物
島津綱貴(記事主語)
宛先
—
キーワード
島津綱貴、三度目、参勤、発国、島津久健、川上久重、野村廣貫、平田純旨、諏方兼秩、三月十三日、出水米津、乗船、三月十七日、肥前国寺井川、陸路、三月十九日、豊前国大里、三月二十八日、大坂、元禄十七年三月十日、記事
追録2-No.2968記事旧記雑録暫定版確認度 低

幕府巡見使の薩摩領内道中と宿泊記録

八月の諸国巡見上使小田切駿負〈原注直廣〉・土屋数馬〈喬直〉・永井監物〈白弘〉の道中記事。家老島津中務久貫、用人黒葛原忠雄・町田忠堯、医師印東玄桂らが応接した。八日肥後川尻で田代安徹の子福良頼廣が謁見し、九日水俣、十日領内米津へ入境。阿久根・宮之城・加治木・金山・石原を経て十六日鹿児島着、十七日は風雨で滞留し、平川・喜入・指宿福良・山川を回り、二十一日に船で大隅大始良へ渡った。池之原・志布志・末吉を経て二十五日著寺柱、二十六日峯の境から伊東領へ出た。

登場人物
巡見上使・随行接待役人〈本文に列記〉
宛先
—
キーワード
巡見上使、小田切駿負直廣、土屋数馬喬直、永井監物白弘、島津久貫、黒葛原忠雄、町田忠堯、印東玄桂、八月十日米津入境、鹿児島、指宿山川、二十一日海渡、著寺柱、二十六日峯境伊東領出境
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 683飯米指出留・島原軍衆人員兵站集計旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

島原軍衆引飯米指出留

島原へ向かう軍衆が飯米を受け取るために提出した人数差出を写し留めた帳簿。諸士・各地域衆ごとに主従、人躰、夫丸、小者等の人数と正月の出発・米津などへの到着日を記し、飯米渡しの根拠とする。末尾では不足者や指出のない者、張紙に記した有馬在陣の外城衆を含めて集計し、合人数三千百六十八人を掲げる。

登場人物
佐藤仲兵衛 三原左衛門佐 新納加賀守 大嶋長二郎 市来五兵衛 石神彦左衛門 尾野村右衛門 本田帯刀長親 有川次左衛門 吉利下総守 国分平次郎 二階堂城之介 伊地知右衛門兵衛 長野勘左衛門 武宮内左衛門 出水衆中 川辺衆中 田布施衆中 加世田衆中
宛先
飯米支給担当
キーワード
島原軍衆引飯米指出留 飯米 人数差出 主従 人躰 夫丸 小者 米津 有馬 外城衆
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 684人数指出留・島原軍衆帰還集計旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

島原軍衆人数指出留

外城から島原方面へ動員され、米津から召し帰された軍衆の人数をまとめた指出留。全体の合人数二千九百二十一人を掲げ、上津浦・加世田・有馬詰をはじめ各地域の衆について、人躰・夫丸などの内訳と小計を記録する。

登場人物
外城衆 上津浦衆 加世田衆 有馬詰衆 高尾野衆 郡山衆 市来衆 伊集院衆 谷山衆 阿久根衆
宛先
なし(人数指出留)
キーワード
島原軍衆人数指出留 外城衆 米津 召帰衆 人躰 夫丸 人数集計
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 685人数指出留・島原軍衆到着飯米記録旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

島原軍衆人数指出留

島原軍衆の人数差出を留めた帳簿で、諸士・各衆中ごとに主従、人躰、夫丸などの人数を記し、正月中旬の米津到着と飯米支給を照合する。途中に合人数・内訳を掲げ、米津への到着が遅れた者や前帳に記載のない者を別に書き留め、日々の到着人数を整理する。

登場人物
有馬主殿助 同千左衛門 四元善兵衛 肝付三郎兵衛 木上監介 鎌田与兵衛 高崎弥六 伊集院九右衛門 伊地知拾左衛門 山内勘兵衛 黒川十介 標識衆 永吉右衛門 土持平左衛門
宛先
飯米支給担当
キーワード
島原軍衆人数指出留 米津 飯米 主従 人躰 夫丸 到着日 遅参者
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 686日記・米津行程と軍議旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

時任氏日記

十二日、西方から米津まで十里を進み、十三日は談合と諸法度の申渡しに時間を要したため逗留した旨を記す行程記事。

登場人物
島津軍衆
宛先
なし(日記)
キーワード
時任氏日記 西方 米津 十里 談合 諸法度 逗留
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 691別記・島原出兵人数と米津到着旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

北郷久加世別記

北郷久加世が自分の人数をそろえ、都合四百六十七人を召し連れて同月十三日に出水郡米津へ到着したことを記す。役人・軍政や留守中の地域支配に触れ、出兵準備と在国統治の状況を述べる。

登場人物
北郷久加世 河野弥左衛門
宛先
なし(別記)
キーワード
北郷久加世別記 北郷久加世 四百六十七人 出水 米津 天草
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 724編者記事・先駆出兵旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

伊地知季安記事

寛永十四年十一月の島原城籠城を受け、翌年正月十四日に津曲狩野介兼業・古垣四郎右衛門忠興が先駆として兵三百人を率い、薩州出水米津に到ったと記す。島原没落を聞いて帰陣したと結ぶ。原文の翌年干支表記には疑義があるため、そのまま注記する。

登場人物
津曲狩野介兼業 古垣四郎右衛門忠興
宛先
なし(記事)
キーワード
津曲兼業 古垣忠興 先駆 三百人 出水米津 帰陣
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 725人数帳・飯米支給記録旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

島原軍衆人数差出留

村田市助家蔵本による、正月十三・十四日頃の島原出陣軍衆の人数と飯米処理の記録。川内百次・高城・中郷、阿多、恒吉、須木、水引、松山などの衆および個々の家の主従・人躰・小者・夫丸、到着日、米津・市来湊の兵糧支給や返上を列記する。合人数1799人を人躰550人・内之者1249人とし、別に鹿児島衆254人(人躰90人)、他者夫丸964人を記す。末尾には十四日の追加到着・出船を記し、十五日条へ読み継ぐよう注記する。

登場人物
永吉官右衛門 西吉次 土持平左衛門 川崎次左衛門 伊地知太郎左衛門 蒲生外記 岸良内蔵助 外山弥右衛門 久留万左衛門 伊勢弥市 市来十左衛門 堀弥四郎 野村傳左衛門 大寺甚右衛門 肥後主膳正 有河十右衛門 三雲権之介 皿良善介 森喜右衛門 中江八左衛門 相良満右衛門 三原源右衛門 四元少監物助 村尾源左衛門 蘭田隠岐介 中山源太左衛門 北郷佐渡守 山口内蔵助 梶山主水左衛門 帖佐次左衛門 長谷場兵右衛門 竹内備前守 伊地知新十郎 伊勢右京 阿多藤十郎 園田清左衛門 福崎新兵衛 本田甚右衛門 ほか各差出人
宛先
なし(差出留)
キーワード
島原 軍衆 人数差出留 主従 人躰 小者 夫丸 飯米 米津
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 746人数帳・飯米支給旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

島原軍衆人数差出留

正月十六日を中心とする島原軍衆の人数差出留。前日到着の本田らの主従人数、始良衆・佐多衆・新納らの軍衆と夫丸、乗船勤務・到着地を記し、頴娃御蔵からの米受領、各人への米支給を注記する。季安は以後を十七日条へ分けたと説明し、十六日に米津へ到着した二階堂家中・敷根・福山・須木の人数を追記する。

登場人物
本田隼人親紀 山路太郎右衛門 吉田新右衛門 上村弥左衛門行定 濱田主水 求仁郷四郎左衛門 有川治部左衛門 愛甲次右衛門 新納小右衛門久盛 加治木松右衛門 中村源介 東郷宗兵衛 岡村治右衛門 八木戸左衛門 田中善之丞 田中後藤兵衛 鳥丸兵右衛門 山城新介 伊地知季安
宛先
なし(人数帳)
キーワード
島原軍衆 主従 夫丸 飯米 頴娃御蔵 乗船 米津
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 759指出・加久藤衆の人数と飯米旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

島原立人数差出

加久藤衆の島原立人数として人躰五十人、内衆四十二人等を記し、残る二十九人を伊地知弥右衛門ら十一名の人数に分けて列記する。十七日夜に米津へ到着したので飯米を引き渡してほしいと求める。伊地知杢右衛門尉から村田郷左衛門尉・猪俣猪右衛門尉宛。副本は加久藤地頭役屋に所在すると注記する。

登場人物
伊地知杢右衛門尉 村田郷左衛門尉 猪俣猪右衛門尉 伊地知弥右衛門尉 西田和泉守 河野与右衛門尉 宮内右兵衛尉 谷口弥兵衛尉 前田内蔵助 東郷作左衛門尉 瀬戸山摂津介 前田彦左衛門尉 宮竹越右衛門尉 萩原甚介
宛先
村田郷左衛門尉 猪俣猪右衛門尉
キーワード
加久藤衆 島原立 人数差出 米津 飯米 副本
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 772人数差出留・米津到着の各郷軍勢旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

島原軍衆人数差出留

正月十七日を中心に米津へ到着した各郷の軍勢を、人躰・卒者・小者・夫丸・玉薬持夫に分けて記す。都之城八十人と小者夫丸七十一人、吉松三十人と夫丸四十二人、栗野七十人と夫丸三十一人、国分八十五人と卒者夫丸百三十四人などを載せ、人物別の負担人数も列記する。後半には十八日条へ分載する旨を注し、十七日到着の大姶良・頴娃・飯野・高原・小林・清水・蒲生・高山などの士と従者を続ける。

登場人物
村田市助 二階堂城之介 津曲狩野介 古墻四郎右衛門 赤池文右衛門 福留七右衛門 佐渡諸右衛門 松山宮内左衛門 米住正右衛門 師々目弓右衛門 縄澤長右衛門 野崎新介 中原土佐守 高野傳左衛門 猿渡弥右衛門 阿多筑後守 前山刑部左衛門 中馬丹後守 原田左近将 宮越賀兵衛 宮永喜兵衛 郡山伊与守 池田為兵衛 久富弥左衛門 和田主殿助 平原永右衛門 指宿佐藤兵衛 松下清左衛門 渡邊権之介 真方兵右衛門 赤崎平右衛門 尾賀藤弥左衛門 長山休介 喜入舎人佐 町田甲斐守 野村三郎兵衛 川上主殿介久清 田中六郎右衛門 ほか各郷士・従者・夫丸
宛先
なし(人数留)
キーワード
島原軍衆 人数差出 米津 着津 人躰 卒者 夫丸 玉薬持夫 各郷
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 795記事・飯野士の供夫到着旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

伊地知季安記事

十九日、飯野士の谷口大蔵卿・柏木縫殿助の供夫二人が米津へ到着したと記す短い記事。前の人数帳にある飯野衆の後着者を補う。

登場人物
谷口大蔵卿 柏木縫殿助 供夫二人
宛先
なし(記事)
キーワード
飯野士 谷口大蔵卿 柏木縫殿助 供夫二人 米津 到着
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 815記事・米津と京泊の船・兵糧担当旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

伊地知季安記事

市来八左衛門宗友を中取、岩切信尭・川上久康を物奉行、平田宗直・是枝快温を船奉行として米津に詰めさせたことを記す。川越三右衛門重能は京泊に詰め、舟手・兵糧を担当する。この日、高原士某が供夫一人を伴い米津に到着したと付記する。

登場人物
市来八左衛門宗友 岩切六右衛門信尭 川上彦左衛門久康 平田民部少輔宗直 是枝喜右衛門快温 川越三右衛門重能 高原士某 供夫一人
宛先
なし(記事)
キーワード
中取 物奉行 船奉行 米津 京泊 舟手 兵糧 高原士
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 819-1連署覚・十九人分の飯米受領旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

東郷長左衛門尉外二名連署覚

人躰十四人、夫丸五人、合主従十九人が出水米津へ赴くことに伴い、その飯米を手形の内から引き除いて確かに受け取ったとする覚。有馬・堀・東郷の三名が連署し、西田・榎田・山口へ宛てる。後日のための受取証明として作成された。

登場人物
有馬千兵衛 堀休左衛門 東郷長左衛門 西田貞右衛門 榎田益右衛門 山口傅右衛門
宛先
西田貞右衛門尉 榎田益右衛門尉殿 山口傅右衛門尉殿
キーワード
人躰14 夫丸5 主従19 出水米津 飯米 手形 引除 受領 連署
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 285記事旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

伊地知季安記事

伊地知季安の記事。喜入摂津守忠政に従軍した加世田衆の仁礼佐渡守忠頼らが三分一の帰衆としてこの日上津浦を出帆した。また、使衆との取次のため出水米津へ出張していた蒲生地頭市来八左衛門宗友も加勢を命じられ、この日米津を発船して有馬へ向かった。松下源五左衛門らは蒲生勢の集結を待ち、翌日の出船を準備したという。

登場人物
伊地知季安、喜入摂津守忠政、仁礼佐渡守忠頼、市来八左衛門宗友、松下源五左衛門
宛先
宛先なし(伊地知季安記事)
キーワード
伊地知季安、喜入摂津守忠政、仁礼佐渡守忠頼、加世田衆、三分一、市来八左衛門宗友、蒲生、上津浦、出水米津、有馬、出船
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 302記事旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

伊地知季安記事

伊地知季安の記事。市来八左衛門宗友、蒲生地頭所の松下源五左衛門らが、前日の二十二日に米津浦を出船し、この日に有馬へ着船したと記す。

登場人物
伊地知季安、市来八左衛門宗友、蒲生地頭所、松下源五左衛門
宛先
宛先なし(伊地知季安記事)
キーワード
伊地知季安、市来八左衛門宗友、蒲生、松下源五左衛門、二十二日、米津浦、出船、有馬、着船
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 318-2人数帳旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

評定所案文帳

外城衆等を区分した人数帳。米津から召し帰された衆は合計二千九百二十一人で、人躰千六百四十三人と夫丸千二百七十八人(内訳合計二千九百二十一人)。上津浦衆は原記載で合計二千七百八十一人、人躰千八百六十六人、夫丸九百五十七人と見え、内訳合計は二千八百二十三人となって一致せず、傍記もある。有馬へ詰める衆は合計欄に二千五百六十人とある一方、「廿七人」の傍記があり、人躰千五百五十八人と夫丸・倅者九百六十九人の内訳合計は二千五百二十七人で、318-1の記載とも一致する。鹿児島衆の上津浦・有馬分は合計三千百五十六人で、人躰二百五十人、御道具衆四十九人、倅者・夫丸二千八百五十七人(内訳合計三千百五十六人)。各区分に属する外城名も列記する。原記載の合計・内訳・傍記の不一致は計算だけで統一しない。

登場人物
作成者不明
宛先
宛先なし(人数帳)
キーワード
評定所案文帳、人数帳、米津被召帰衆、合計二千九百二十一人、人躰千六百四十三人、夫丸千二百七十八人、上津浦衆、合計二千七百八十一人、人躰千八百六十六人、夫丸九百五十七人、内訳不一致、有馬江詰衆、合計二千五百六十人、傍記廿七人、人躰千五百五十八人、夫丸倅者九百六十九人、内訳二千五百二十七人、鹿児島衆、上津浦有馬分、合計三千百五十六人、人躰二百五十人、御道具衆四十九人、倅者夫丸二千八百五十七人、外城
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 431小原織部の米請取・兵糧内訳・買物記録旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

小原織部取払留

小原織部の取払帳は、三月四日に真米一斗五升と赤米一斗五升を先掻で受け、三月七日から十日まで主従十五人分の引飯米としたこと、米合計十石四斗三升八合の先掻・前掻別および米種別内訳を記す。伊地知重政の在陣中、地頭所加久藤・羽月での持留、出水の米津・天草の上津浦・有馬で主従三十五人から漸減した兵糧だとの編者注を付し、同四日の小鯛等の買物と米之津宿賃も記録する。

登場人物
小原織部、伊地知重政
宛先
宛先記載なし
キーワード
小原織部取払帳、米請取方、銀子銭、三月四日、三月七日から十日、主従十五人、真米一斗五升、赤米一斗五升、合米十石四斗三升八合、先掻五石六斗九升五合、前掻四石七斗四升三合、上白米、中白米、能米、赤米、伊地知重政、在陣、加久藤、羽月、出水、米津、上津浦、有馬、主従三十五人、買物、小鯛、米之津宿賃
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 472上津浦出船・火之嶋泊・出水米津着船記事旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

谷口氏書留

本文見出し『蒲生書留』は、上津浦村に三日逗留し、三月十四日に出船、天草の火之嶋に掛かって一夜を明かし、翌日に出水米津へ着いたと記す。上文は七日、下文は十六日にあるとの所在注を伴う。

登場人物
蒲生衆
宛先
宛先記載なし
キーワード
目録標題谷口氏書留、本文見出し蒲生書留、上津浦村、三日逗留、三月十四日、出船、天草、火之嶋、一夜泊、翌日、出水米津、着船、上文七日、下文十六日、所在注
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 480出水米津出立・蒲生帰着記事旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

谷口氏書留

蒲生谷口氏の書留は、三月十六日に出水米津を発ち、同十七日に蒲生へ帰着したと記す。上文は十四日にあるとの所在注を伴う。

登場人物
蒲生谷口氏
宛先
宛先記載なし
キーワード
谷口氏書留、蒲生谷口氏、上文十四日、本文三月十六日、出水米津、出立、同十七日、蒲生、帰着
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w4:108系図・上原丹後守流旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

上原丹後守流系図

上世不詳とする上原丹後守を祖とし、丹後守が日新公に仕えたのち中書家久に臣従し、日州佐土原で二百五十石を与えられたことから始まる上原氏系図。長野下総守の長男で上原家に入った佐太右衛門は慶長五年九月十五日の関ヶ原合戦で二十五歳で戦死し、法名を節義玄忠禅定門とする。尚辰は島津豊久に従って戦い、豊久戦死後に本城へ移り、寛永十五年正月十三日にわずか三人で米津へ至り、二月二十八日の島原で軍功を立てたと記す。後裔には傳左衛門尚堯、薬丸如水門下で示現流に関わり貞享五年六月十二日に能学寺で自殺した佐太右衛門尉、仁禮仁左衛門景治の二男である尚照らを掲げ、奉公・知行・戦死・養子の由緒を伝える。

登場人物
上原丹後守、島津忠良(日新公)、島津家久(中書家久)、長野下総守、上原佐太右衛門、上原尚辰、島津豊久、上原尚堯、上原傳左衛門、上原佐太右衛門尉、薬丸如水、上原尚照、仁禮仁左衛門景治
宛先
—
キーワード
上原丹後守流系図、上世不詳、上原丹後守、日新公、島津忠良、中書家久、島津家久、日州佐土原、二百五十石、長野下総守長男、佐太右衛門、慶長五年、関ヶ原、二十五歳、節義玄忠禅定門、尚辰、島津豊久、本城、寛永十五年、三人、米津、島原、軍功、尚堯、傳左衛門、薬丸如水、示現流、貞享五年、能学寺、自殺、知心宗覚居士、尚照、仁禮仁左衛門景治、系図
後編5-No.1189文書確認度 中

新納忠清指出写

島原軍勢へ渡す飯米に関する人数指出の写し。人数七十六人、そのうち夫丸十八人、乗馬一疋とし、新納次郎四郎が加わる場合は別に指出を提出すると記す。

登場人物
新納忠清
宛先
岩切六右衛門尉・新次郎四郎
キーワード
新納忠清、指出写、島原軍勢、飯米、七十六人、夫丸十八人、乗馬一疋、岩切六右衛門尉、新次郎四郎、米津
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 743書留・蒲生衆の参着と帰宿旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

谷口氏書留

貴理師旦の一揆に際し、正月十五日に蒲生衆が出水米津へ参着し、二十八日に帰宿したと記す。末尾に十六日庚辰とあるほか、十九日条への参照注を付す。

登場人物
蒲生衆 谷口氏
宛先
なし(書留)
キーワード
谷口氏書留 蒲生衆 貴理師旦 一揆 参着 帰宿
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 794人数差出留・十九日前後の着津者と飯米旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

島原軍衆人数差出留

村田市助家蔵の模本から、三原喜太郎・里村十左衛門や谷山・加治木・財部・末吉・大崎・志布志・頴娃・指宿・飯野・高原などの人躰、卒者・夫丸、個人別の随伴人数と着津日を記す。飯米は十日または二十日分を渡し、長嶋ふくら蔵元と米津で分けて支給する例もある。末吉衆中の検見崎兼堯について、家系・移住と島原出陣時の行動を元禄七年の系図申出により補注する。末尾は二十三日条へ続く旨の注。

登場人物
村田市助 三原喜太郎 里村十左衛門 木脇三右衛門 江浪勘兵衛 有川源右衛門 柏原但某 鎌田豊前守 鎌田傳左衛門 是枝長左衛門 川上助左衛門 波多与兵衛 池田右近将 市来勘解由 前田喜兵衛 恒吉主膳正 有馬茂右衛門 法元内蔵助 寺師九左衛門 大村次左衛門 有川長二郎 壱岐五兵衛 岩下渡右衛門 圖師平兵衛 江田新兵衛 宮内盛右衛門 新納杢右衛門 二階堂傳右衛門 菱田四市丞 川原正左衛門 川崎拾左衛門 池田五郎右衛門 鳥井与右衛門 黒田清介 野田喜左衛門 山口与四郎 川内主馬允 古郷次兵衛 中神喜右衛門 寺原主馬 竹之内神介 小野傳左衛門 本田九郎左衛門 中山早右衛門 鎌田少右衛門 中戸藤五左衛門 白尾七左衛門 竹下主膳 岩切宗左衛門 田口七兵衛 松下十郎左衛門 久長新左衛門 山城与八左衛門 鎌田孫右衛門 大慶坊 検見崎権之介兼堯 肝付兼泰 村田経宣寿仙 子権左ヱ門兼近 長田勘左衛門 久木元吉右衛門 谷口喜兵衛 松下四郎左衛門 青山治右衛門 落合新十郎 有馬勘解由左衛門 溝辺弥兵衛 黒木孫兵衛 田嶋治部左衛門 原兵右衛門 市来主水 本山分右衛門 岩元丹波守 鎌田新蔵 瀬戸山五右衛門 玉泉坊 伊集院五兵衛 伊十院兵右衛門 大乗院 持寶院 堀内主膳正 肥後吉右衛門 有馬安右衛門 山下勘右衛門 二見傳次郎 大弐坊 山本藤七兵衛 日高二右衛門 中村百左衛門 小城銀右衛門 中嶋七左衛門 岩崎三五郎 木下小左衛門 菱輪軍介 北原半介 田中休兵衛 山口右京 大脇右京 安庄織部佑 瀬崎安右衛門 鎌田少兵衛 長谷五兵衛 坂元才兵衛 大重六左衛門 有留大蔵助 田中六郎左衛門 柳田為左衛門 三石弥九郎 郡山監物助 谷口大蔵卿 柏木縫殿助 相良五右衛門
宛先
なし(人数留)
キーワード
人数差出留 着津 人躰 卒者夫丸 相之夫 飯米 十日 二十日 検見崎兼堯 系図