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『旧記雑録』前編・後編・附録10冊と追録1~8(暫定版)、『旧記雑録拾遺 伊地知季安著作史料集1~9』『家わけ1』(暫定版)、関連史料(外伝)『島津世禄記』の46,754件を横断検索できます。検索範囲は史料群・巻を組み合わせて選べます。結果は50件ずつ表示します。

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追録8-No.327御系図(斉興の子久光)旧記雑録暫定版確認度 中

久光が重富家を辞し本氏へ復することと公武一和の周旋を叙述する系図記事

斉興の御子久光についての御系図記事。文久元年辛酉四月に重富家を辞し、本氏へ復して和泉久光と改称し、その後居所を移したと記す。後段では内憂外患が迫って海内が動こうとするなか、久光がまず公武一和の基を開いて天下の紀綱を張ろうとし、京師・江戸へ赴いて周旋し王室に力を尽くしたと叙述する。これを斉彬の遺託を奉じたものとするのは系図の評価として扱う。移住先の原地名細字は留保し、後段の周旋時期を四月と一括しない。

登場人物
斉興公、久光公(和泉久光)、斉彬、王室
宛先
宛先なし(御系図記事)
キーワード
御系図、斉興御子久光、文久元年辛酉四月、重富家辞去、本氏復帰、和泉久光改称、居所移動、公武一和、天下紀綱、京師江戸周旋、王室尽力、斉彬遺託叙述
後編4-No.423文書確認度 中

島津家久外十一名追悼和歌

島津家久をはじめ十二名が、実窓芳真大姉を追悼して詠んだ和歌集。月・夢・春・野・仏跡などを題材に、故人への悲しみと供養の心を表す。

登場人物
島津家久、紹益、忠重、貞昌、景親、一和、安意、島津惟新、大炊助久正、宗可、元巣、遊浦
宛先
—
キーワード
島津家久外十一名追悼和歌、実窓芳真大姉、追悼、供養、和歌、月、夢、春
追録8-No.346家老五名申渡(久光御筆の遵守・士風謹慎)旧記雑録暫定版確認度 中

久光御筆の趣旨を守り廉直・一和と郷士以下の分限謹慎を下役へ徹底する申渡

当時の情態を和泉久光が熟考し、別紙の御筆で仰せられたことを尤もでありがたいとする家老五名の申渡。趣旨を謹んで承知して各人の分を守り、士風を廉直にし、一統が和合して尊慮を安んじるよう誠実に働くことを求める。特に郷士以下の末々の者は分限に従った謹慎を第一とし、少しも越過の儀があってはならないとして、支配下の下役にも十分申し含めるよう命じる。本文三月、筑後・大蔵・摂津・但馬・式部。別紙の御筆正文は本切片に載せない。

登場人物
和泉久光、筑後・大蔵・摂津・但馬・式部、一統、郷士以下、支配下下役
宛先
支配下の下役等へ申し合わせる;宛先個人名不記
キーワード
雑集中、和泉久光御筆、別紙御厚配、各分守、士風廉直、一統一和、奉安尊慮、郷士以下分限謹慎、越過禁止、下役申し含め、三月、筑後大蔵摂津但馬式部五名
追録8-No.347-4久光御筆教誡(士風・上威・父兄による周知)旧記雑録暫定版確認度 中

上威の軽視と若年者の放恣を戒め士風・謹慎を父兄や年長者から教えさせる久光御筆

先日の書取での申渡は遠慮を感じながらも世上不穏のためやむなく伝えたもので、熟考の結果、上威の軽さから群下が類を引くことを国主も自分も心痛すると述べる久光の御筆。非常時に一和して働くべきなのに、王朝を尊ぶ名目を唱えながら、若年者の容貌・振舞いが変わり放恣となっていることを戒める。武士は律儀廉潔を本意とし、武文を研究しても言行が正しくなければ武士とはいえないとする。郷士以下・家来末々も心得違いなく、奉行頭人が支配下へ丁寧に諭し、父兄・同郷年長者からも教えるよう求める。文久二年戌三月、久光の花押No.5。包紙に戌三月十二日御筆とあり、月日を拡大画像で確認した。

登場人物
久光(花押No.5)、国主、奉行・頭人、郷士以下・家来末々、若年者、父兄・同郷年長者
宛先
支配下へ丁寧に諭し、父兄・同郷年長者からも教える
キーワード
久光御筆教誡、文久二年戌三月、花押No.5、上威軽視、群下類引、国主心痛、非常時一和、王朝尊ぶ名目、若年者容貌放恣、武士律儀廉潔、武文言行、郷士家来末々、奉行頭人、父兄同郷年長者周知、戌三月十二日包紙
追録8-No.366-2嶋津三郎の老中脇坂宛内用書状写(久世上京・政務取扱と長州周旋)旧記雑録暫定版確認度 中

久世の上京と一橋越前の政務取扱、長州の早期協議周旋を求める三郎の脇坂宛書状写

脇坂へ送った三郎の内用書状写。以前役場を離れて面会し存慮を述べた際の厚意に礼を述べ、熟考したので同列とも相談してほしいとする。第一は久世上京の勅命を受けても停滞していること、一橋・越前を人心が頼りにしているのに大老等の名目・先例へ拘束して政務の協議が半年にも及ぶことを憂える。早く決定して公武一和・国内一致を実現し、人心疑惑や浪人蜂起を防ぐよう求める。次に長州側の上書と上京をめぐる回答が不明瞭で、長門守の出府と大膳大夫との協議が決まらず、措置を翌春まで遅らせれば国中の紛乱を招くと懸念する。叡慮を体して早く上京し是非を相談することを促す。自身は家督者でなくても亡兄の遺言と天下への志から身命を投げて周旋するので、功名栄利の意図ではなく公武一和・国家一致を願う趣旨を汲んで取り扱ってほしいと結ぶ。六月十六日。末注は文久二年戌六月十六日に江戸で三郎が老中脇坂へ内々に出した書付とする。希望・懸念と政策実施を分ける。

登場人物
嶋津三郎久光、老中脇坂侯、同列、一橋、越前、久世、勅使、長州大膳大夫(注:毛利慶親)、長門守(注:毛利元徳)、浪人、亡兄(本文実名不記)
宛先
老中脇坂侯へ内々に差出す(伝来注);同列との談合を求める
キーワード
脇坂宛内用書状写、三郎久光、同列談合願、久世勅命上京停滞、一橋越前人心、名目先例拘泥大老、半年協議、早期政務取扱、公武一和国内一致、浪人蜂起懸念、長州上書上京不明瞭、大膳大夫長門守、翌春延期懸念、叡慮周旋、家督者ではない亡兄遺言、功名栄利否定、六月十六日、文久二年江戸内々差出注
追録8-No.378京都守護・三郎と肥後守の協働に関する沙汰旧記雑録暫定版確認度 中

松平肥後守の京都守護と三郎の公武周旋を踏まえ協働を進めたいとする沙汰

松平肥後守が京都守護職を命じられ警衛が行き届くことを安心する一方、一藩だけの奉職では人心の居合がどうかと懸念する沙汰。三郎久光が公武一和の基本を周旋し皇国の誠忠の者であると評価し、今後の公武のためにもよいとして、別段の叡慮による守護の命と、大樹家へも叡慮が貫徹するよう肥後守と相談して務めることを進めたい旨を記す。本文年月日・発給者姓名は不記。「断然守護職被命」の主語の読みは留保し、この書付だけで三郎が幕府の京都守護職に就任したとは認定しない。

登場人物
松平肥後守(注:容保)、嶋津三郎久光、大樹家、叡慮の主体(姓名不記)
宛先
大樹家へも趣旨を進めることを求める(宛先姓名不記)
キーワード
雑集中、松平肥後守容保京都守護職、警衛安心、一藩奉職人心懸念、嶋津三郎公武一和周旋、皇国誠忠評価、別段叡慮守護命、大樹家叡慮貫徹、肥後守申談協働、年月日発給者不記
追録8-No.505御系図記事(久光の参預功による叙任)旧記雑録暫定版確認度 中

久光の朝廷拝謁と従四位上左近衛中将への叙任を記す記事

御系図「玉里久光公」の記事。元治元年四月十一日に召しに応じて登闕し、天皇に拝謁して天盃を賜ったとする。伝奏野宮中納言を通じ、帰国を告げられ白布等を賜ったこと、壬戌以来の参預・廷議に努め官武一和の基礎を立てた功を評価する勅語を伝え、従四位上・左近衛中将へ叙任したと記す。参預の功績評価と叙任は系図の叙述であり、壬戌以来という起点は原記載のまま示す。

登場人物
玉里久光公、天皇、傳奏野宮中納言
宛先
御系図記事、文書宛所なし
キーワード
御系図玉里久光、元治元年四月十一登闕天盃、傳奏野宮中納言帰国白布、壬戌以来参預廷議官武一和勅語、従四位上左近衛中将叙任
追録8-No.521-1本文群(久光の拝謁・叙任報告と祝儀指示)旧記雑録暫定版確認度 中

久光の拝謁・叙任と帰国許可を報告し祝儀登城を命じる通知

少将が去る十一日に帰国の暇を受けるため参内し、装束で鶴の間にて甘露寺頭辨らの対面を受け、天盃を賜ったと報告する。虎の間で伝奏野宮中納言から、帰国許可と扇子三本・白晒五端の拝領、公武一和の基礎を開き昨秋以来の参預に尽力した功による従四位上・左近衛権中将の宣下を伝えられたという。通知到来を受け、一門・嶋津又六・大身らが月次礼の席で、明十四日四ツ時に登城して家老・太守・中将へ祝儀を述べるよう命じる。四月丹波・摂津・但馬の三署、甲子四月十四日の申渡注。拝謁・拝領の報告と官位官職・祝儀指示を分け、少将と昇進後の中将の呼称をそのまま示す。

登場人物
少将・中将、太守、嶋津又六、傳奏野宮中納言、甘露寺頭辨、丹波・摂津・但馬、家老・一門・大身
宛先
一門・又六・大身・家老等、奥掛御勝手方
キーワード
少将去十一参内御暇天盃鶴虎間野宮中納言甘露寺頭辨、扇子三本白晒五端、公武一和昨秋以来参預功、従四位上左近衛権中将、明十四四ツ時登城祝儀家老太守中将、四月三署丹波摂津但馬甲子十四申渡
追録8-No.597-2出兵への諫訴に答える茂久の口達覚旧記雑録暫定版確認度 中

一大隊の上京に対する諫訴を評価し小事に拘らず国家の安寧を求める口達覚

一大隊の上京に際して出船前の直諫、役筋への諫訴、出船後の封書があり、国家を憂い保安を望む赤心として称える。一方、君臣の交際の一字に拘り、小事を大局より先にするような判断を戒める。先帝崩御と若年の今上、藩の置かれた時節を踏まえ、中将の上京・三藩との会議や建言、滞京と療養の事情を述べる。禁闕警衛の人数を差し留めるのは行動の遅速・緩急の判断によるとして、人数の進退が瓦解や難を招く危険も説明する。朝廷も藩も信義と正義を失わず国家を維持し、君臣一和のうえ急変時に力を尽くし、無益な動揺と紛擾を避けるよう熟考を求める口達覚。末尾に慶応三年卯十月十九日に命じたとの注がある。諫訴への評価と危険の見通しは発言者の政治的判断として示す。

登場人物
茂久(目録標題)、発言者「我等」、中将、諫訴者、一大隊の兵、先帝・今上、朝廷・藩
宛先
諫訴者と聞き手(個別宛名不記)
キーワード
口達之覚一大隊上京出船前直諫役筋諫訴出船後封書赤心感賞君臣交際一字枝葉小事大局、先帝今上若年中将上京三藩会議滞京療養禁闕警衛人数進退遅速緩急危機、信義正義国家社稷君臣一和急変尽力紛擾回避熟考慶応三卯十月十九
追録8-No.319茂久訓示の雑抄(山吹之間詰人数)旧記雑録暫定版確認度 中

寄合以上に学問・文武と日々の省察を求め家名を守って国家に役立つよう諭す雑抄

「雑抄」と題する訓示。寄合以上は将来重役も命じられる身柄であり学問が第一だと、御両殿から繰り返し仰せられ承知しているはずなのに、旧弊が改まらないことを戒める。本職はもちろん文武の道に励み、平日の言行を省察し、礼譲によって和合して放逸を避けるよう求める。弊風を一洗し、先祖の勲功による家名を失墜させず国家の用に立つことを肝要とする。万延二年酉正月廿五日、山吹之間詰人数を二之丸御茶屋へ呼び出した際の仰出と記す。

登場人物
御両殿(本文姓名不記)、茂久(目録)、寄合以上、山吹之間詰人数、先祖
宛先
二之丸御茶屋へ呼び出された山吹之間詰人数へ
キーワード
雑抄、寄合以上将来重役、学問第一、御両殿、旧弊改め、本職文武、言行省察、礼譲一和、放逸戒め、先祖勲功家名、国家用、万延二年正月廿五日、山吹之間詰人数、二之丸御茶屋