村田雅楽助署判加増目録
慶長6年12月3日 / 冊子 363頁/原整理番号 162
慶長六年十二月三日、村田雅楽助が羽島藤右衛門尉へ与えた加増目録。屋敷三畦・高三斗、原文仮名表記『きゃうの本』にある法楽寺三反二畝八分のうち中田七畝十五歩などを掲げ、三行分は略記したうえで田畠合計三石とする。法楽寺の助左衛門尉に関する傍注があり、『旧記雑録後編三』一五七九号文書と同一文書と注記される。
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慶長6年12月3日 / 冊子 363頁/原整理番号 162
慶長六年十二月三日、村田雅楽助が羽島藤右衛門尉へ与えた加増目録。屋敷三畦・高三斗、原文仮名表記『きゃうの本』にある法楽寺三反二畝八分のうち中田七畝十五歩などを掲げ、三行分は略記したうえで田畠合計三石とする。法楽寺の助左衛門尉に関する傍注があり、『旧記雑録後編三』一五七九号文書と同一文書と注記される。
年月日未詳 / 冊子 811-813頁
恒吉八幡宮への法楽として島津一門・家臣らが詠んだ和歌集。卯の花や夏日などの題をめぐり、龍伯・少将をはじめ多くの詠者が季節の景物と信仰を詠み連ねる。
慶長七年四月廿六日 / 冊子 813-814頁
恒吉八幡宮への法楽和歌。首夏風・早苗・村雨・夏月・夕立・旅恋・後朝恋などの題で、島津家臣らが初夏の景物や恋情を詠み連ねる。
慶長七年四月廿六日 / 冊子 814頁
恒吉投谷八幡宮への法楽和歌。寄神祇祝および夏日同詠松間郭公を題に、久高・図書頭忠長らが神徳、夏夜、郭公などを詠んだ歌群。
宝暦十四年 二月五日 / 冊子 5~6頁/原整理番号 17/整理ID 17
宝暦十四年甲申二月五日の法楽能の組。翁に可助、三番叟に仙兵衛を記し、嵐・田村・羽衣・安宅・祝言の弓八幡にはそれぞれ重豪の名を配する。各番の欄には虎齋・八郎次・與左衛門・長四郎や、甚五兵衛・市郎治・彌兵衛・政右衛門、喜六郎・喜藤太・大之進、善兵衛・傳兵衛、織右衛門・珍阿彌、源五左衛門・良右衛門・貞右衛門等の担当者を列配置で記す。注には、正文が稲荷社内にあり、能組・狂言組二通が白木御文書五番箱十一番に入り、児玉(名は阜之丞とみられる)の所蔵と記されることが示される。担当者の役種を明記しない欄もある。
宝暦十四年 二月五日 / 冊子 6頁/原整理番号 18/整理ID 18
宝暦十四年甲申二月五日の法楽狂言の組。麻生、繩綯、福之神、嵐山之間、猿聟を並べ、麻生に萬次、繩綯・福之神の欄に直右衛門・太郎右衛門、猿聟に伊兵衛の名を記す。嵐山之間の担当者名は独立して記されていない。正文は稲荷社内にあるとの注がある。能組とは別の狂言の組であり、重豪を出演者として記す本文はない。
年月日未詳 / 冊子 570~571頁
島津氏久による留主氏所領の没収と、加治木郷の法楽寺田・修理田、関所に関する権利が伊地知重貞へ与えられた経緯を記す本田重親伝の記事。
十一月十五日 / 冊子 571頁
伊地知重貞が本田氏に、留主氏の所領没収に伴う加治木郷法楽寺田・修理田の処置を伝え、今後も協力して領掌するよう求めた書状。
永禄二年五月十八日 / 冊子 71~73頁
永禄二年五月十八日、聖廟法楽として催された『初何』の連歌。花・夏・五月雨・月・旅・恋・神祇・無常などを題材に、貴久らが百韻を連ねる。
天正九年 / 冊子 699頁
村田氏の小掛物に伝わる新納忠元の詠草。天正九年七月の諏訪法楽歌、同年秋の芦北陣中で海辺を詠んだ歌、津奈木の敵城を目前にして詠んだ歌の三首を収める。
天正十年八月二十五日 / 冊子 716頁
天正十年八月二十五日の青木天神法楽で、新納忠元が『かよふ野の萩や小鹿の思草』と詠んだ詠草。本文はほかの歌を省略する。
慶長五年三月廿九日 / 冊子 529頁
島津竜伯ら三名が、木の間から聞こえる郭公の初音や松の常緑を題材に詠んだ和歌。慶長五年三月二十九日に住吉大明神の神前で詠み、会紙を法楽として住吉社内へ奉納した詠草。
慶長六年八月二十五日 / 冊子 777頁
島津義久(龍伯)が伊作天神への法楽として「たつ霧も地にはのぼらぬ嶋ね哉」と詠み、署名を添えた詠草。
慶長六年十二月三日 / 冊子 789-790頁
村田雅楽助が署判し、屋敷三畝や法楽寺内の田地などを羽嶋藤右衛門尉へ加増として宛行った目録。各田地の面積・石高を列記する。
年月日未詳 / 冊子 846頁
島津忠長譜は、忠長が在京中に飛鳥井雅庸へ歌道入門を願い、門弟となったことを記す。雅庸から自筆の歌書・免状や懐紙、法楽歌、講師事、発声事など歌道伝授に関わる品々を授けられた。
慶長七年十一月吉日 / 冊子 856頁
島津義久が鹿島諏訪社への法楽として詠んだ詠草。歳暮の梅を題に、春を待たず咲き始める梅の香に人の心もなびく趣を詠む。
慶長九年二月廿二日 / 冊子 926頁
島津龍伯義久の詠草。慶長九年二月二十二日に鹿児島護摩所で、家桜や春を題材とする歌、神への法楽として小萩原などを詠んだ歌を記す。
年月日未詳 / 冊子 4頁/原整理番号 12/整理ID 12
重豪が正月二十八日に斎戒して府下の稲荷大明神へ親しく参詣し、拝礼後、祝文を宝殿へ納めたことを記す。二月五日には法楽能を催し、翌六日に結願のため再び親しく参詣した。稲荷大明神には五社内との注がある。
年月日未詳 / 冊子 336頁
島津忠良の『法楽之詠冠於大悲権現七首和歌』。神慮、正直の道、迷いを照らす神光、熊野、月、神幸などを題に、神仏への帰依と衆生救済への願いを七首に詠む。
年月日未詳 / 冊子 361~362頁
島津義久の和歌詠草。残菊、玉津明神法楽、返歌、当座、忘恋、住吉法楽、追膳などの題で、菊・言の葉・波・雪・雲を詠む。
年月日未詳 / 冊子 363頁
慶長四年の島津義久の詠草。正八幡の馬場の松に付した法楽連歌、立春、寄神祇祝、道などを題に、松・雪・神祇を詠む。
年月日未詳 / 冊子 363頁
慶長四年の島津義久の詠草。月前松風、住吉法楽、朝花、盛花などを題とし、月・松・露・花を詠む。
年月日未詳 / 冊子 365頁
慶長九年の島津義久の詠草。初秋月を題とした歌と、伊作の天神法楽で詠んだ花野の歌を収める。
八月六日 / 冊子 378頁
毎年の例により八月二十五日に萩原天神で法楽連歌があるため、萩を題とする発句を書き送り、遠慮なく意見を述べ、皆で入念に見分して良ければ点を付けるよう求めた島津家久書状。
慶長六年十二月三日 / 冊子 57頁/原整理番号 286
村田雅楽助が羽嶋藤右衛門尉に、屋敷三畦三斗、法楽寺三反二畝八分内の中田七畦拾五歩九斗などを加増として宛行った目録。慶長六年十二月三日付。
年月日未詳 / 冊子 430頁/原整理番号 179
忠元の詠草。青木天神への法楽として萩と小鹿を詠む歌を載せ、年表記を直す注がある。続いて芦北の陣中の法楽として、松・汐・秋の海などを詠んだ歌を記す。末尾には秋の別れを歌う句と「物いひかはせ忘形見に」の文がある。
元亨三年二月廿日 / 冊子 492~493頁
入阿が祖父経円から相伝した正八幡宮御法楽経講勘合田字横手田三段を、丹後法橋の意向により坂上普賢御前へ本証文とともに永代去渡した文書。入阿の相伝・知行に違乱がないこと、法橋御房へ奉避した経緯、後代の妨げを禁ずる条件を記す。
宝暦十一年十一月六日 / 冊子 884頁/整理ID 旧記雑録追録5_文書2593
大乗院三十一代住持堯然が十一月六日、重豪による稲荷大明神への大般若経寄進の由来を記す。城東五社の一つで島津家が代々崇敬する氏神に、初帰国した重豪が先君の政道を継ぎ、民への恩沢と神の加護を願い、有司に経巻・仏像・経函等を調えさせて奉納したと述べる。毎月六日を恒例とし、大乗院壇主が僧十三人を集めて神殿で六百軸を転読し、本地垂迹の法楽を行うよう定める。その功徳によって重豪の長寿と国家の安寧を祈る。