島津忠長外三名連署加増目録
慶長六年四月二十五日 / 冊子 760頁
島津忠長・比志島国貞・鎌田政近・平田増宗が、土持次郎九郎に南郷村内の五百石を加増し、所務を命じた目録。
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慶長六年四月二十五日 / 冊子 760頁
島津忠長・比志島国貞・鎌田政近・平田増宗が、土持次郎九郎に南郷村内の五百石を加増し、所務を命じた目録。
(天正七年)七月十日 / 冊子 638頁
田原鎮忠が町田忠房へ、土持氏旧領の処置や門川に滞在する土持次郎九郎、同地へ送った女中親子について尋ねる。高城で大友方の将兵が戦死し再戦を求める声が強いため豊薩両家の永代静謐が難しくなるとして、島津以久とも相談し和談を調達するよう求めた。
慶長十九年八月七日~十月朔日 / 冊子 543~544頁
慶長十九年八月七日から十月朔日までの御日記抄。島津義弘(惟新)からの伝言をはじめ、島津家久(奥州様)の川内通過と長崎出立、村尾源左衛門尉入道・新納次郎四郎らの長崎出立および出立人数の編成、奥州様への茶の進上、鎌田左京亮による使節と焼葉壺三つの進上、小城権現座主職への善乗院任命、本田伊豆守の鹿児島への使い、新納次郎九郎の見舞いなどを記す。
慶長九年四月廿三日 / 冊子 931頁
土持親経が伊勢兵部少輔へ提出した起請文。世情が変転しても二心なく奉公すること、他方からの策謀や讒言を直ちに報告すること、互いに隠し事なく協力することを誓い、違反時には諸神の罰を受けると記す。
年月日未詳 / 冊子 625頁
敵が迫ったため亀井武蔵から鉄砲衆の加勢を求められ、浜之市衆らを派遣した。しかし到着する頃には味方勢が崩れており、後に亀井武蔵には野心があったと聞いたことを記す。
〈宝暦四年〉正月 / 冊子 444~445頁/整理ID 旧記雑録追録5_文書1364
島津重年方から一色周防守へ差し出した、治水手伝の準備と施工についての覚。本文の各条を吟味して相談し、去る二日に岩下佐次右衛門が一色の屋敷へ持参して見せたところ、各条に付紙で返答を受けたと記す。普請場所の絵図・帳面を近日中に渡されたいと願い、絵図はすでに渡し、帳面も近く渡すという返答を付す。青木次郎九郎が濃州へ帰り、正月下旬に引き渡す旨も記す。 手伝方の居小屋をどこで受け取るのかを尋ね、当月下旬の引渡しに備え、人員の名書を提出して普請所の請取役とその他の者の手当てをするよう答えを得る。各普請場の場所を知らないため、居小屋の配置について相談し、場所の差図を求める。返答は書面の趣を承知し、次郎九郎を通じて申し談ずるという。出張小屋を新たに建てるか、百姓家・寺院を借りてよいかについては、場所を見積もり、小屋を建てるか、近隣の家屋を借りるよう指示される。 普請場所の取付け時期をあわせて知らせるよう願い、二月中旬の取付けを心得ることと、人員名書を出すことを求められる。また取付け以前に一通り案内して見せてもらえるかを尋ね、引渡しの際に役々が繰り出した時、仕事が滞らないよう指示するという返答を受ける。 各場所へ派遣される幕府役人に対し、手伝方からも人を配して賃銭渡しなどを扱わせてよいかを尋ねる。返答は、普請に従う人夫について諸事を考えて選び、場所の人夫数も踏まえ、取計らう者と賃銭を渡す者について手伝方へ指示するという。押札では、人夫の差出し方、請方への申渡し、賃銭払いその他を本々役から見計らって伝えたとする。 普請を町人請負にしないよう命じられたことについて、木屋掛その他の家中用向を町人に任せる分は差し支えないかを確認する。付紙は普請請負を町人に申し付けない旨を伝え、手伝方の木屋掛その他の家中事務は、都合に応じてその地の者に申し付けてよいと答える。
〈宝暦四年〉五月十一日~七月二十八日 / 冊子 478~479頁/整理ID 旧記雑録追録5_文書1457
重年が島津備中貴儔の娘との間にもうけた善次郎久方を、亡き兵庫久季の家統を継ぐ者として国元に置いていたところ、参勤に伴って江戸へ連れて行こうとし、老中松平右近将監武元へ相談して了承を得た記事。久方には前年十二月十五日に児服を改め兵庫と号したとの元注があり、重年との続柄について異なる記録があるが、実子であるため善次郎と復称したという注を付す。宝暦四年五月十一日、重年は久方を伴って出国し、家老伊勢兵部貞起・新納内蔵久品、側用人二階堂林左衛門行通・福山平太夫安都・河野安之右衛門通古、近習役迫水善左衛門久芳らが従った。二十四日に豊前大里へ着いて乗船し、六月十九日に播州坂越へ着船した。播磨路を陸行して二十四日に大坂、二十六日に川をさかのぼり二十八日に伏見へ着いた。七月二日に伏見を発って美濃へ向かい、四日に大垣へ泊まった。濃・勢・尾三州で前年から役人が治水に従事しており、台許を受けて五日に大垣を発ち、その場所を巡覧した。郡代青木次郎九郎・代官吉田久左衛門が来て用務を執った。遠州金谷では連雨で大井川が増水し、六日間足止めされた。二十二日に江戸芝邸へ到着し、久方は芝邸東門から入り中奥へ入ったとの元注がある。二十五日に上使西尾隠岐守忠尚が芝邸へ来て参勤を労い、重年は同日老中各邸へ謝礼した。二十八日に登営して家重・家治に拝謁し、先例どおり品物を献上、老中各邸で謝礼し、西城でも謝礼した。随行家老伊勢貞起・新納久品も両公に拝謁し、それぞれ家重へ太刀・銀馬代一枚・紗綾二巻、家治へ太刀・銀馬代一枚を献じた。出典は重年公御譜。
天正四年八月~ / 冊子 475~476頁/原整理番号 73
天正四年八月、伊東方の軍勢が田原山方面へ進出した際の戦闘を中心とする覚書。湯之尾・飯野周辺での軍勢の移動、交戦、討取などを記し、川上大炊介・次郎九郎らを証人として挙げる。田布施士下村甚右衛門文書に伝わる。
〈宝暦四年〉正月 / 冊子 457~458頁/整理ID 旧記雑録追録5_文書1389
宝暦四年正月、四箇所の普請場ごとに担当役人を掲げる名書。濃州桑原輪中から尾州神明津輪中は石野三次郎・高木新兵衛、尾州梶嶋村から勢州田代輪中は大久保荒之助・青木次郎九郎、濃州墨俣輪中から同国本阿弥輪中は浅野左膳・高木内膳、勢州金廻輪中から同国海落口濱地藏辺は新見又四郎・高木玄蕃が担当する。さらに四場を見回る吉田久左衛門を記す。各場の御徒目付と御小人目付を続けて列記し、桑原・神明津は御徒目付小知藤右衛門・原田又兵衛、梶嶋・田代は小川孫七郎・川崎市右衛門、墨俣・本阿弥は鈴木市十郎・中村忠左衛門、金廻・海落口は村山金三郎・吉田半太郎を置く。御小人目付も場別に記すが、全役人の通算人数は本書には記されない。本書では金廻の所属国を勢州と記す。行間には本書二通を御徒目付衆から受け、国元へ送る旨を記す。
〈宝暦五年〉正月五日(目録・原本主書末尾) / 冊子 511~512頁/整理ID 旧記雑録追録5_文書1552
平田靱負が正月五日、嶋津主殿・鎌田典膳へ、御手伝普請の工程・検分と人員引取の首尾を報告する。一~四之手の追加目論見により工事が進み、二・三之手は旧臘二十三・二十四日に幕府役人立会いの検分を受け、完成した工事の小屋返却と人員引取を求める。油嶋から松之木村まで百九十間の水分切は指示がなく、油嶋側五百五十間・松之木側百五十間の築留には見積変更で約五十間を加え、大榑川二百六十五間の切り・洗堰も未決とし、石田・八神の石寄せを急ぐが難場では三月までかかり得ると述べる。江戸の御馬廻・新番・御歩行・足軽からの派遣について、現場では足軽約四十人が不足すると伝え、太田新田の小屋は返却して人員を元木屋へ引き取り、早春の小屋返却・人員引取を年内に申し渡したこと、引取人数の不要分を吟味して追って差し下す旨を報告する。
〈宝暦五年〉五月十四日 / 冊子 527~529頁/整理ID 旧記雑録追録5_文書1596
平田靱負が五月十四日、嶋津主殿・鎌田典膳へ、御手伝普請成就後の見分・木屋引払い・人員引取を報告する。牧野織部・細井九助らは四月十五日着、翌日から一之手を見分して二十一日に済み、石田を二十三日に見分、二之手は二十四日から五月十日、三之手は五月十二日までに済み、四之手も十二日に完成、十三日の金廻・葉名の見分が滞りなく済んだと述べる。木屋や家作・地面を返し、矢来・杭を取り払い、人員を江戸・国元へ引き取らせ、残る人数は木屋に収容して順次差し立て、役人らも近日出発する見込みであると知らせる。旅宿同然の現場に長く留まる不都合を受け、平田自身をまず江戸へ帰し、受負金の未払と元方の仕廻は追って調べるよう命じられ、伊集院十藏の十五日出発、平田の二十六日籠立てと役人の出発手配を記し、別紙を添えて江戸へも急飛脚で報告したと伝える。
〈宝暦四年〉二月十日 / 冊子 460頁/整理ID 旧記雑録追録5_文書1395
宝暦四年二月十日、重年の御名内として岩下佐次右衛門が届け出た書付の写。濃州・勢州・尾州川々の普請手伝に関し、木屋場について去る五日に青木次郎九郎から渡された書付を受け取ったことを、まず知らせる。その付書に従い、当地から差し越す人数は来る十一日・十二日の両日に出立させると届ける。宛先の付記は堀田相模守・一色周防守への届出と記す。重年公御譜中・扣正文在家老座の注を持ち、国元から大坂へ到着した役人の直行を扱うNo.1394とは、当地からの人数派遣として区別する。人数の総数・氏名は本書に記されない。
〈宝暦四年〉七月六日(目録。対応主本文は七月八日) / 冊子 484頁/整理ID 旧記雑録追録5_文書1481
七月八日、在府の嶋津主鈴・主殿が義岡相馬・鎌田典膳へ、秋の水行普請に残す人員の調達と伝達を相談する。当春、一色周防守から小奉行三十人・歩行士三百人・足軽五百人を差し出すよう指示されたことを述べる。春普請が一方完成したため、秋の水行普請に必要な人数を残す件について国元から相談を受け、現場で吟味したところ、小奉行三十二人・歩行士百六十四人・足軽二百三十一人ほどと、別に浮人数を調達することになった。 別紙のとおり青木次郎九郎・吉田久左衛門へ申し出たところ、留め置く旨の挨拶を受けたと、惣負殿から報告された。さらに一色周防守へ岩下佐次右衛門を通じて取り次いだところ、同じく留め置く旨を申し付けられたので、この結果を国元へ知らせる。現場へも伝えておいたため、惣負殿から委細の連絡があると思われるとして結ぶ。別紙1483も三職の人数を同じく掲げる。
〈宝暦四年〉正月 / 冊子 447~448頁/整理ID 旧記雑録追録5_文書1370
三州の御手伝普請場へ出向く役人を御留守居が報告する名書。目付代として石野三次郎・大久保荒之助・浅野左膳・新見又四郎、美濃郡代青木次郎九郎、代官吉田久左衛門を掲げる。美濃衆の高木内膳・玄蕃・新兵衛の三人は領地に居付き、直接普請場へ出向くと説明する。御普請役の長岡文兵衛以下の役人、御徒目付の小知藤右衛門・村山金三郎・鈴木市十郎、御小人目付の小川孫七郎・吉田半太郎・原田又兵衛・川崎市右衛門・中村忠左衛門及び十六人を列挙する。右人数を普請場四ヶ所に分けると記す。
〈宝暦四年〉正月 / 冊子 454~455頁/整理ID 旧記雑録追録5_文書1384
宝暦四年正月の普請方申渡しと、行間の在府家老添書。前年夏の出水後は瀬の向き等が変わっているので、以前の見積りに拘らず現時点の水当りを調べて積替え、青木次郎九郎・吉田久左衛門側と相談するよう命じる。仮締切や水深・濁水、各場所の人足の働き方、輪中の堤・民家・田畑、長い河川への舟運を考慮し、場所に応じて差図する。御用金は手伝方役人の印形による手形を御勘定所へ出し、請負人・村方への支払いには青木・吉田の切印付き手形を用い、請取印鑑を照合する。材木・竹木・縄・俵の改めは担当役人が立ち会い、運送や出水時の流失防止を図る。役人の定刻巡回、夜間を含む工事の仕上げ、無益な人員・費用の削減、村請と積の妥当性、役人の休息小屋、前年出水後に残された損物の取り替えも扱う。添書は幕府の指示を国元へ伝え、現場で聞き合わせる旨を補う。
〈宝暦四年〉正月 / 冊子 455~456頁/整理ID 旧記雑録追録5_文書1386
戌正月の覚。普請所の小屋場近辺で出火した場合は風向き等に応じて手当てし、水籠・梯子を用いる。家老添書には鳶二十人の差立てを吟味して手当てする旨を記す。川除け竹木その他の運送は支障のないようにし、必要があれば青木次郎九郎・吉田久左衛門の見回り時に遠慮なく相談する。御林材木代の支出は代官と相談して早く決済し、通竹木・菅・蛇籠等の買上げ品を請負人や村方から受け渡す際は、御普請役又は手代立会いで一式を手伝方が受け取り、当日・日ごとの分を印形帳面で照合する。工事を把握するため普請役手代を置きつつ、人数を増やさず適当な役人を時々巡回させ、急な出張の必要や支障は青木・吉田へ相談する。最後に役所の無益な人員を出さないよう工夫を求める。
〈宝暦四年〉二月 / 冊子 459頁/整理ID 旧記雑録追録5_文書1392
宝暦四年戌二月、一色周防守の申渡しを写した文書。御手伝普請場へ運ぶ石は、場所から九里・十里ほど川上で舟に取るため、必要な船数を確保して工事に差支えないよう石取船を手当てする。人足は村請で土持を申し付け、大規模な箇所は村人足だけで対応し、地元村内で相談して他村からの下請希望者を吟味し、地元の人足を重く用いるよう命じる。聖牛枠等を深い水中に設ける工事などで人足に不慣れな場合は、大井川辺又は関東筋大川通で水中仕事に慣れた人足を雇い、頭取とし、村人足を受け替えるのに適した箇所を選ぶ。これらを青木次郎九郎・吉田久左衛門へ相談するよう指示する。行間には、一色周防守について御勘定組頭室田金左衛門から御城蘇鐵之間で聞いた旨を記す。
〈宝暦五年〉六月六日 / 冊子 529~530頁/整理ID 旧記雑録追録5_文書1598
島津主鈴・義岡相馬が六月六日、嶋津主殿・鎌田典膳へ、御手伝普請の完了届・通知と人員帰還を報告する。一~三之手の成就と見分済みを五月十七日の飛脚で知らせ、四之手も二十二日までに見分が済んで木屋を引き払い、翌日堀田相模守へ届書写一通・留守居名書一通、一色周防守へ留守居名書を渡したと記す。近衛・御三家・御一門等への通知、公儀役人・京大坂での周知と隣国・長崎への書状、隅州の太守による通知、将来の拝領物に伴う祝儀と国元の対応を相談する。現地から到着した人数を別紙に掲げ、伊集院十藏らの出府、青木次郎九郎らの公儀用入用諸色代の残務と順次出発、小田原からの十藏の連絡を伝え、残務を終えた者は国元へ直接帰す意向を述べ、隅州様・女中方への報告を求めて届書写三通・首尾書一通を添える。
年月日未詳 / 冊子 360~361頁/原整理番号 16
質人に随行する人々への賦銀・扶持米の渡方を列挙した帳。新納次郎九郎や江田藤右衛門らの人数と銀・米の数量を記し、江戸への同行体制を示す。