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『旧記雑録』前編・後編・附録10冊と追録1~8(暫定版)、『旧記雑録拾遺 伊地知季安著作史料集1~9』『家わけ1』(暫定版)、関連史料(外伝)『島津世禄記』の46,754件を横断検索できます。検索範囲は史料群・巻を組み合わせて選べます。結果は50件ずつ表示します。

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16 件 (全巻)/ 1–16件を表示

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後編3-No.1912記事確認度 高

児玉筑後守伝

児玉筑後守伝は、慶長九年二月、慈眼公島津忠恒が東郷重位と東新丞に試合を命じ、重位が勝利したためその剣技を学んだと記す。重位の門弟東出実相も忠恒に知られて恩遇を受け、重位とともに親衛の臣となった。

登場人物
島津忠恒(慈眼公)、東郷重位、東新丞、東出実相
宛先
(児玉筑後守伝)
キーワード
児玉筑後守伝、慶長九年二月、島津忠恒、慈眼公、東郷重位、東新丞、東出実相、試合、剣術、勝利、門弟、恩遇、親衛臣
追録7-No.2739記事旧記雑録暫定版確認度 高

斉彬、左近衛少将に転任

近衛野御中・斉彬公の記事。天保五年十二月十六日、斉彬が左近衛少将に転任した。御台君から厚い請いがあったため特に命じられたもので、島津家では慈眼公の叙任が少将から始まった先例はあるが、その他の世子にはなかったと記す。

登場人物
島津斉彬、御台君、慈眼公
宛先
—
キーワード
島津斉彬、左近衛少将、転任、御台君、特命、慈眼公、世子、官位、天保五年十二月十六日
後編3-No.855記事確認度 高

児玉利昌譜

『児玉氏乳後利昌譜』が、慶長四年の庄内の乱で、島津義久が富隈から平田狩野介宗応に兵を率いさせ、成渡瀬の守備へ派遣したこと、児玉実相・新納忠陸・平田宗次・吉田清家らが備えたこと、忠恒の帰国後の親征と八月十七・十八日の使者・檄の往来を記す。

登場人物
児玉利昌、島津忠恒(慈眼公)、伊集院忠棟、伊集院忠真(源次郎)、島津義久、平田狩野介宗応、児玉実相、新納忠陸、吉田清家、平田宗次、安楽大炊介
宛先
—
キーワード
児玉利昌譜、児玉利昌、島津忠恒、慈眼公、伊集院忠棟、伊集院忠真、島津義久、平田狩野介宗応、児玉実相、新納忠陸、吉田清家、平田宗次、安楽大炊介、庄内の乱、富隈、成渡瀬、親征
追録6-No.1010記事旧記雑録暫定版確認度 高

郡山遜志による島津世家二十七巻・十一冊の編纂と収蔵

寛陽公の時に平田清右衛門純正を文書奉行とし、得佛公から慈眼公までの事跡を集めて「島津氏世録系図」を編纂したことを述べる。その後も史官が相続して編纂したが、譜牒はあって史伝がなかったので、明和六年己丑十一月十五日に太史郡山次郎左衛門遜志へ史伝を作るよう命じた。遜志は譜牒を根拠に新しく構成して起草し、記事のいう今茲三月十四日に完成、歴年凡五年と記す。得佛公から圓徳公までを記し、さらに延享二年以後から宝暦十年までの事を収め、二十七巻を十一冊にまとめて「島津世家」と名付けた。書写・装潢を済ませ、重豪が自ら詳しく閲覧し、一部を座右に置き、一部を文庫に収蔵して永く伝えることとした。旧系図の編纂と史伝の新編、対象年代、完成時期、巻冊数、閲覧・保存を分けて記録する。

登場人物
重豪、寛陽公(島津光久注)、平田清右衛門純正、得佛公(島津忠久注)、慈眼公(島津家久注)、太史郡山次郎左衛門遜志、圓徳公(島津重年注)、歴代史官
宛先
記事のため独立宛書なし
キーワード
家史・系図、史伝の編纂、起草と完成、巻冊数、座右・文庫への収蔵
追録6-No.1129記事旧記雑録暫定版確認度 中

齊宣・齊興譜序文―家譜の編纂沿革、廃藩・戦乱と史料収集

齊宣公御譜初巻中の序文。得仏公島津忠久が文治中に三州の封を受けて以来、二十六世・六百余年を伝えた家の史乗を述べる。寛陽公光久の時に平田清右衛門純正を文書奉行にして家譜を集めたことを記す。得仏公から慈眼公家久初世まで十八世の正統系譜百十四冊、公中世以後の正統系譜続編七十九冊、支流系譜五十二家九十六冊が編纂され、史官の記録が積み重ねられたとする。寛陽公から大信公重豪まで七世五百八冊が正統系譜続編となり、大慈公齊宣・金剛定公齊興二世の記事実録・文書の編纂も進められたが、明治四年の廃藩によって史官の職と編纂業務が廃されたと述べる。後の丁丑の乱では鹿城が戦場となり、島津家の累世の譜牒・文書のうち岩崎文庫所蔵品は保護運搬によって兵燹を免れたが、築地邸所蔵品は十分に運べず、焼失したことを記す。残存数は原記「正統家譜正續編十七處七百零一冊」、支流系譜九十六冊とし、岩崎文庫に存すると述べる。明治二十一年四月、島津家譜を続輯する命を受け、宗高は旧藩太史職に就いていた者として力を尽くして二世の編纂を成したと記す。築地邸の旧編纂史料が焼失したため、全く新しく集め直す必要があり、先公譜に引用される事実文書を読み、文庫・史館記録・家老座右筆所の簿籍を採り、中山王と藩内諸家の文書も求めた。県庁収蔵史館記録も兵燹で失われ、旧中山王や諸家の文書も廃藩時の混乱・その後の災難で散逸し、残存史料が少ないとする。岩崎文庫が火災を免れても多くの譜に欠けがあるため、編纂が十分でない遺憾を述べる。先公旧譜の紀事体にならって公自身の文書を用い、後の先史の凡例に関する論説を宗高が独断で改めることはせず、時に愚按を加えて記事の不足を補うという編集方針で結ぶ。

登場人物
宗高(本文の自称)、平田清右衛門純正、島津忠久得仏公、家久慈眼公、光久寛陽公、重豪大信公、齊宣大慈公、齊興金剛定公、当家、旧史官、中山王、諸家、家老座右筆所
宛先
譜序のため独立宛所なし
キーワード
家譜編纂沿革、平田純正、正統系譜・続編・支流系譜、齊宣齊興二世、廃藩で編纂中断、丁丑戦乱、岩崎文庫・築地邸、明治二十一年の命令、史料焼失散逸、各家史料収集、紀事体・公自身文書・愚按
追録6-No.1253記事旧記雑録暫定版確認度 高

定山公師久の四百年忌と香奠銀の減額の注

同年春三月二十一日、薩摩郡隈之城の稱名寺で、定山公の四百年忌の法事を修したと記す。定山公には島津師久の注があり、使番頭鎌田蔵人正方を遣わし、香奠銀三枚を献じて拝させたという。仝上は重豪公御譜中の出典を受ける。小字の注は、これまで祖先の遠忌法事では寺へ香奠銀五枚を納めていたが、ここで初めて減額し、銀三枚を香資として献じ、以後はこれに倣うと記す。その上で大中公・貫明公・松齢公・慈眼公のような場合はまた同じではないと付すため、すべての祖先法事を一律三枚へ改めたとしない。三枚はこの法事への献納額で、従前五枚と加算しない。四百年忌の原表記を保持し、師久の没年を逆算して補ったり、三月二十一日を死亡日として扱ったりしない。

登場人物
定山公(島津師久の注)、使番頭鎌田蔵人正方、稱名寺、重豪、大中公、貫明公、松齢公、慈眼公(原注の例外)
宛先
薩摩郡隈之城稱名寺(法事・献香奠先、独立宛書なし)
キーワード
定山公島津師久、四百年忌、三月二十一日、薩摩郡隈之城稱名寺、鎌田蔵人正方、香奠銀三枚、従前五枚、初減、以往倣、大中貫明松齢慈眼不同
追録6-No.1268記事旧記雑録暫定版確認度 中

菩提寺領の付与と旧田禄の銀への切替・五廟祭祀の趣旨

この年夏五月二十九日、浄國公・有邦公・慈德公・圓德公の福を資するため、浄光明寺・福昌寺へ田禄各百五十石を付したと記す。続く四通の内訳は浄國分を浄光明寺、有邦・慈德・圓德分を福昌寺宛とし、それぞれ総高百五拾斛を掲げるため、二寺へ均等に百五十石ずつと集計しない。他方、慈眼公・寛陽公・泰清公・大玄公については、寺へ白銀若干を納めて従来付していた田禄に代えると述べる。以後、世数の限りをこの基準に準ずるとし、諸侯が五廟を祭る趣旨を取ったのだろうと説明する。小字注は、初めに行人兼太史児玉に草させ、上丞實門の注を付し、五廟祭祀の法を詳しく述べさせて、それに従った経緯を記す。出典は重豪公御譜中。百五十石の付与と、別の四法号の旧田禄を銀納へ切り替える扱いを分ける。白銀若干の額や、世数の具体的な境界を本文以上に補わず、五廟を現に五つの寺院への寄付と同一視しない。本文は「有邦」と表記する。

登場人物
重豪、浄國公、有邦公(原表記)、慈德公、圓德公、慈眼公、寛陽公、泰清公、大玄公、行人兼太史児玉(上丞實門の注)
宛先
浄光明寺・福昌寺(田禄付与先)、旧田禄の寺(白銀納入先、独立宛書なし)
キーワード
五月二十九日、浄光明福昌、田禄各百五十石、浄國有邦慈德圓德、慈眼寛陽泰清大玄、白銀若干、旧附田禄に代える、世数限、諸侯祭五廟、児玉上丞實門、小字注
追録6-No.1506記事旧記雑録暫定版確認度 中

在国の拝賜順年に当たるが翌春の早い参府のため鶴の賜物がなかった記事

慈眼公以来、在国の時には隔年に大家が御鷹の鶴を国へ賜ったと記す。重豪は当年在国し、拝賜の年に当たるが、翌春に早く国を発して朝覲することにより、実際の賜物はなかったと結ぶ。本文には独立した月日や、重豪本人が辞退を申し出たという文言は記されない。小注は禁殺生に伴う鶴・雁・雲雀の賜物への言及、享保四年の雲雀、六年の鶴、自是以来更無という記載を含む。小注の慈顏という表記と本文の慈眼公を区別して保持し、自是以来更無の範囲を本文の隔年拝賜の説明へ無条件に広げない。当年の不拝領を記すこの記事と、次の御用人を介する内聞書状を資料種別として分ける。

登場人物
慈眼公(本文呼称)、重豪、大家
宛先
独立宛所記載なし
キーワード
慈眼以来在国隔年御鷹鶴賜、重豪今茲在国拝賜年・明年早発国朝覲無賜、小注禁殺生享保4雲雀6鶴・自是以来更無
追録7-No.1082記事旧記雑録暫定版確認度 高

重豪御譜(貫明公二百年忌香奠と千眼寺再建援助)

文化7年庚午正月21日、妙谷寺で貫明公200年忌法事を3日、19~21日に修した際、重豪も家老頴娃信濃久喬を遣わし、香奠金200疋を献じ代拝させた。割書は祖先遠忌の費用について、官庫から祭費を出す場合と寺主が寺役法事を行う場合、1日又は3日などの違いを説明する。重豪は記録奉行に論じさせ、大中公・貫明公・松齡公・慈眼公の梵儀では寺主が3日の法会を設け、香奠を増し、その他は1日、功徳ある者は五十年忌と同様とするとの説明を載せる。次の丸印は別件。先に千眼寺を再建し黄金を付しても資用が足りず、同月26日に斉興が田禄150石を寺産として付したのは重豪の意によると記す。後注は文政8年乙酉冬10月にさらに田禄150石を加えたこと。文化7年の斉興追加と後年追加を分け、1081同件記事の田禄を二重合算しない。

登場人物
重豪、家老頴娃信濃久喬、貫明公、大中公、松齡公、慈眼公、記録奉行、寺主、斉興
宛先
独立宛名なし(重豪公御譜中)
キーワード
貫明公二百年忌妙谷寺十九至二十一三日、正月二十一頴娃信濃久喬代拝、香奠金二百疋、寺役法事官庫負担、記録奉行法会議定、千眼寺黄金資用不足、二十六斉興田禄百五十石寺産、文政八冬十月更百五十石
追録8-No.943歳久忠朗五忠臣の神霊祭祀寺院廃止神社等建立を定める達旧記雑録暫定版確認度 中

歳久・忠朗の菩提寺を廃し神社祭祀を設け、五忠臣位牌・別庵・長谷神社等の扱いを定める

歳久について、帖佐瀧ケ水の自盡と貫明公による心岳寺建立を述べ、寺を廃して跡に一社を建て神霊を崇め社司を置く。忠朗について、奉仕忠節と忠棟父子の叛逆による衰亡を原の評価・説明として述べ、笑岳寺を廃して自家で神霊を崇め、庶流伊集院四郎が祭祀を永続できるよう寄附高から七石を永く与える。忠長・政近・國貞・久治・貞昌の五人は、慈眼公が病悩重い際に位牌脇へ位牌を配列させたとの記述を掲げ、寺院廃絶後、國貞には別に菩提所源舜庵を建て、各霊は長谷神社の肖像脇に改め設けて従祀し、釼一振も置く旨を伝える。明治二巳十二月知政所。原顕彰・叛逆評価、霊の扱いと寺高・庵・釼を区分し、実移送祭祀完成や病名・実給付総額は補わない。

登場人物
知政所、嶋津左衛門歳久、貫明公、伊集院大和忠朗、日新公、大中公、忠棟父子(原叛逆評価)、伊集院四郎、嶋津圖書忠長、鎌田出雲政近、比志嶋紀伊國貞、伊集院下野久治、伊勢兵部貞昌、慈眼公、神社奉行、各子孫
宛先
神社奉行、各子孫、承知すべき関係向々
キーワード
原943通達留歳久帖佐瀧ケ水自盡貫明心岳寺廃一社神霊社司伊集院大和忠朗日新大中貫明奉仕忠棟父子叛逆原評価笑岳寺廃自家祭祀四郎寄附高七石永給五人忠長政近國貞久治貞昌慈眼病悩位牌脇配列國貞源舜庵長谷神社肖像脇改設従祀釼一振神社奉行子孫明治二巳十二月
追録8-No.946-1旧寺地の六霊社の社号を定める達旧記雑録暫定版確認度 中

龍尾竹田松原大平徳重長谷の六社について旧寺地と霊社対象を掲げ社号を伝える

通達留。旧浄光明寺の御高祖霊社を龍尾神社、旧日新寺内梅岳公霊社を竹田神社、旧南林寺内大中公霊社を松原神社、旧妙谷寺龍伯公霊社を大平神社、旧妙圓寺内松齢公霊社を徳重神社、旧福昌寺跡慈眼公霊社を長谷神社と掲げる。今般の社建立に伴い、社号をこの通り称する旨を神社奉行と関係先へ伝える。明治二巳十二月、知政所。六組の社号・旧地・霊社対象、義久家久注と竹田の本々注を区分し、御高祖の具体名や社殿完成・祭祀開始実績、現在の住所は補わない。

登場人物
知政所、御高祖、梅岳公、大中公、龍伯公(義久注)、松齢公、慈眼公(家久注)、神社奉行、関係向々
宛先
神社奉行、承知すべき関係向々
キーワード
原946の1通達留龍尾旧浄光明寺御高祖竹田本々旧日新寺梅岳松原旧南林寺大中大平旧妙谷寺龍伯義久徳重旧妙圓寺松齢長谷旧福昌寺跡慈眼家久霊社六社号社建立神社奉行明治二巳十二月
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 48軍賦制度考証・稽古論旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

伊地知季安記事

伊地知季安が寛永九年の軍賦改定と天草・島原援軍時の事情を論じ、慶安元年・寛永十五年・十七年・慶長十八年などの古い軍賦帳や元和九年の公儀定と比較する。少人数主従の騎馬を停止した見直し、五番編成、東目・西目の出陣に応じて各外城地頭を先頭に繰り替える方式を挙げる。軍賦は古制と近例を時所に応じて斟酌して定めたものと考え、古帳を借り出して年代を考え、写して稽古の便に備える。

登場人物
伊地知季安、島津家久(慈眼公)、伊勢貞昌、川上久国、島津久慶、新庄右近大夫、慶祐・意徳(医師)、寺澤家
宛先
なし
キーワード
稽古、軍賦、兵賦改定、騎馬、旗本、東目、西目、出陣編成
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 305軍記・通報記事旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

薩本島原軍記

牧野傳蔵・林丹後守に代わって豊後府内へ置かれた御目付衆に対し、十一月十三日付の飛札で一揆討伐の状況を通報した記事である。併せて島津家久側から、薩摩勢の加勢が必要か否かを問い合わせた。

登場人物
牧野傳蔵、林丹後守、島津家久(慈眼公)
宛先
豊後府内御目付衆
キーワード
薩本島原軍記、豊後府内、御目付、飛札、島原一揆、加勢
旧記雑録拾遺 著作史料集8-文書ID W03_3考証旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

鹿児島、伊敷、四郎ヶ坂等之説

「鹿児島、伊敷、四郎ヶ坂等之説」。鹿児島と鹿児島神食、伊敷・四郎ヶ坂の地名や旧跡を、古系図、社説、旧記から考証する。荒田・神食、伊敷郷と島津荘の記載を比べ、鹿島の語源や鹿皮を朝廷へ貢じた伝承も検討する。末尾は伊敷の上下村・上伊敷村の位置と、伊敷村名主家の由緒に及ぶ。

登場人物
市来政寛、兼行補一一薩摩守、慈眼公、頒一一賜川上助、乂元和五年公、愛甲廉宗之殉一一公、説近衞信輔公、道鑑公
宛先
宛先明示なし
キーワード
鹿児島・伊敷・四郎ヶ坂・地名考証・古系図
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 384編纂記事旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

伊地知季安記事

出水地頭山田民部有榮が兵を率いて獅子島へ移っていたところ、熊本家老長岡監物から二十一日の便りを受け、板倉内膳正重昌・石谷十蔵貞清が江戸から上使として有馬へ向かうとの報を鹿児府へ伝えたと記す。慈眼公島津家久は病中ながらこれに対応し、上使へ飛脚を遣わして島原・天草の一揆に対し要請があれば直ちに出兵する旨を伝えた。

登場人物
伊地知季安 山田民部有榮 長岡監物 板倉重昌 石谷貞清 島津家久
宛先
なし(記事)
キーワード
山田有榮 上使 板倉重昌 石谷貞清 獅子島 飛脚
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 392編纂史料・記事旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

伊地知季安記事

十二月七日に閣老が慈眼公島津家久へ送った奉書を引く。天草の一揆が兵庫頭単独で鎮め難ければ細川越中守の兵を加え、なお人手が必要なら島津方も兵を送り、細川家来と相談して加勢するよう述べる。この旨は先月二十六日に上使板倉内膳正・石谷十蔵へ伝えており、両人の指図に従うべきとする。詳細は七日条にあると案内する。

登場人物
伊地知季安 島津家久 寺沢兵庫頭 細川越中守 板倉重昌 石谷貞清
宛先
なし(記事)
キーワード
奉書 加勢 島津家久 上使差図