箕輪伊賀自記
年月日未詳 / 冊子 77~78頁
永禄三年夏頃、伊集院忠純の家臣の言動を発端に肝付兼続が島津貴久を怨み、鹿児島を去った経緯を詳述する。兼続方は廻伊豆守の城を奇襲して奪い、伊豆守を討ち、兼続自身も廻城へ入って島津方と対立した。
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年月日未詳 / 冊子 77~78頁
永禄三年夏頃、伊集院忠純の家臣の言動を発端に肝付兼続が島津貴久を怨み、鹿児島を去った経緯を詳述する。兼続方は廻伊豆守の城を奇襲して奪い、伊豆守を討ち、兼続自身も廻城へ入って島津方と対立した。
年月日未詳 / 冊子 394頁
北郷氏庶流系図は、慶長四年六月、長千代丸が祁答院を発して庄内へ出陣した際、北郷久武・北郷久明が従軍したことを記す。北郷忠純についても同年六月の従軍を、前文と同内容として掲げる。
年月日未詳 / 冊子 543頁
伊作本主・平良通を起点に、嫡女と久純、その後裔親純・則純・実純・有純・忠純・重純らの婚姻・継承関係を記した一流系図。
十七日 / 冊子 341頁
美しい梅に感動して「千年経る心地こそすれ紅の梅咲き匂ふ春ごとの宿」と詠み、返歌を待ちながら、袖の件などは相談して追って知らせるとした島津家久書状。
廿一日 / 冊子 341~342頁
見事な頭巾を贈られ、寒さが厳しい折なので特に満足したと謝し、千鶴の母の快気が悪いと聞いて案じ、まもなく見舞いに訪れるとした島津家久書状。
十五日 / 冊子 342頁
春の祝いと快復を喜び、早く訪ねて操りを見せたいと述べ、花の盛りには歌を詠むこと、当地は寒さで開花が遅く三月頃にようやく盛りになるだろうと伝えた島津家久書状。
廿四日 / 冊子 342頁
庭の花と歌を贈られ、「来てや見む八重咲く花に山風も、えやは色香を吹き散らさむ」など二首を返し、母にも一首詠んで送るよう頼み、先方からの返歌を待つとした島津家久書状。
廿七日 / 冊子 342~343頁
出立後は書状を出せなかったことを詫び、今回はまもなく帰るので待っていてほしいと伝え、兄弟方には到着時に挨拶し、上方からも詳しい便りが来るだろうとした細島発の島津家久書状。
廿日 / 冊子 343頁
思いがけない大雪を珍しがり、先方の様子を案じ、「今朝つもる雲を都も東路の、空思ひやる明ぼのの庭」と雪景色を詠み、近く訪ねるとした島津家久書状。
年月日未詳 / 冊子 343頁
贈られた羽根を昼夜もてあそぶほど喜び、歌を母とともに見て、花見前に作者へ尋ねて直してもらいたいと頼み、国分へ持たせて返事を待つとした島津家久書状。
十八日 / 冊子 343~344頁
梅の返歌を喜び、「咲き匂ふ梅の梢の嬉しさを、枕ならべて二人眺めむ」と重ねて詠み、妹らの来訪日程を調整し、梅の盛りに花見を催すことを提案した。先方の眼病も鷹に由来する軽症だろうとして薬を尋ねた島津家久書状。
廿日 / 冊子 344頁
上竹の花を贈ったところ寄せられた歌を面白く思い、「君が袖馴れてふ手折る上竹の、花の情けになほぞ懸しき」と案を示し、庭の紅葉も盛りなので花とともに楽しみたいとした島津家久書状。
年月日未詳 / 冊子 552頁
伊地知季安が、伊敷四郎の居所・名乗りを手掛かりに、島津忠純、長谷場六郎久純らとの系譜上の関係を考証した記事。原文の人名異同を示しながら比定する。
安政7年申3月12日 / 冊子 229頁/原整理番号 313/整理ID 313
執事方帳留にある家老への訓示。昨年伝えたとおり怠りはないはずだが、さらに文武の道に励み、誠忠純孝の徳を基に礼譲を専らにして淳和の風俗へ立ち戻るよう求める。家老がまずこの趣旨を保ち、末々まで伝達することを命じ、とりわけ軍政は国家の急務なので各人で相談してほしいと述べる。安政七年申三月十二日。本文に発給者姓名を記さない。
年月日未詳 / 冊子 82~94頁/原整理番号 19
藤原鎌足・冬嗣から長良・良房・基経らを経て長谷場氏へ至る祖系と、薩摩・大隅・日向に展開した諸流を記す長大な系図。鹿児島郡司・弁済使・取納使、東福寺城・市来城・飫肥・櫛間・有馬等の所領・城地、建武期の足利尊氏による安堵、島津元久への東福寺城・長谷場屋敷の引渡しと清水移居、福昌寺創建、市来移住などを叙述する。近世部分では渋谷・伊東・大友・菱刈・豊後・庄内などの諸合戦、岩屋城・高城・小林城・大口・泗川等での軍功・討死、家督・養子・婚姻・法名・地頭職を列記する。実純の朝鮮出陣・泗川戦、琉球への武具奉行派遣、大坂陣、万治二年の琉球押奉行、松山・真幸・吉田地頭歴までを収め、末尾は純堯の女子四人と婚姻先を記して終わる。