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『旧記雑録』前編・後編・附録10冊と追録1~8(暫定版)、『旧記雑録拾遺 伊地知季安著作史料集1~9』『家わけ1』(暫定版)、関連史料(外伝)『島津世禄記』の46,754件を横断検索できます。検索範囲は史料群・巻を組み合わせて選べます。結果は50件ずつ表示します。
追録7-No.530系譜旧記雑録暫定版確認度 高
寛政11年3月29日忠公生・9月2日英姫生、享和元年8月17日英姫夭亡、明治5年8月13日忠公卒(本文) / 冊子 165頁/整理ID 旧記雑録追録7_文書0530
御系図中。図に斉興・女子二人男子一人・忠公・女子を並べる。忠公は寛二郎、若狭、出雲、駿河、山城、楽水の名・称を掲げ、寛政11年3月29日生、母は操姫と同じと記し、実母中根半平正房女の注を伴う。島津山城忠貫の養子となり、明治5年8月13日卒、神号豊靈眞弓彦命とする。女子は英姫・籌姫と掲げ、寛政11年9月2日生、母鈴木勝直女、享和元年8月17日夭亡、法名光容院殿妙臺慧鏡大禅童女と記す。図の並列表示を父子関係へ読み替えず、二人の出生・母・後年の経歴を分ける。
- 登場人物
- 忠公(寛二郎・若狭・出雲・駿河・山城・楽水)、英姫(籌姫)、斉興(図表示)、中根半平正房女、鈴木勝直女、島津山城忠貫
- 宛先
- 独立宛名なし
- キーワード
- 忠公、寛二郎、山城忠貫養子、神号、英姫籌姫、母、出生・卒去
追録7-No.無番号_0133その他文書旧記雑録暫定版確認度 高
天保4年4月の中陰日(日未記載、本文に8日の葬の記述) / 冊子 972~973頁/整理ID 旧記雑録追録7_文書無番号_0133
No.2704の附属資料「の3」、島津山城忠公が重豪を祭る文。天保四年の春、国主重豪が高輪邸で二月初三日に死去し、尊霊を国元へ戻して四月八日に法儀により福昌寺で葬ったと、祭文の表向きの経過を記す。中陰の日に族臣源忠公が悲哀に堪えず、山菜などの供えを備えて尊霊へ祭祀を行うと告げる。本文注は忠公を越前家・斉宣男とする。続く韻文は三国の統治、文武の道、礼譲、慈悲、君子としての善行、賢良の評判と民の仰望を讃え、八十余年の年月と急な病に対する驚き、時の移り変わりを嘆く。天地・黄泉・夢・落花を用いて別離の悲しみと無形の心、残る姿を詠み、湯・炉炭、水の清涼と陰陽を超える供養の語で結ぶ。三頁の序文と韻文を一件として確認し、二月三日を実際の内報の死去日へ統一せず、祭祀当日も記載以上に補わない。
- 登場人物
- 島津山城忠公(越前家・斉宣男)、邦君大信院殿栄翁如證大居士(島津重豪)
- 宛先
- 尊霊(島津重豪)
- キーワード
- 2704の3、無番号0133、島津忠公、島津山城、越前家、斉宣男、島津重豪、国主、二月初三日死去の叙述、四月八日葬、中陰日、山菜供え、祭文、文武、礼譲、慈悲、賢良、民の仰望、八十余年、無形心法、黄泉、夢、清涼、尚饗
追録7-No.531系譜旧記雑録暫定版確認度 高
寛政11年3月29日生(実は18日との注)、文化7年正月15日首途~11月22日老中へ稟告(本文) / 冊子 165~166頁/整理ID 旧記雑録追録7_文書0531
近秘野帥の斉宣公御子、忠公の系譜。忠高とも書き、小字寛次郎、若狭から出雲・駿河に改め今は山城と記す。寛政11年3月29日に芝邸で生まれたとするが、実は18日との注がある。母を丹羽長貴女と記し、実母中根半平正房女、その母の名曰於~の細字と寛政8年2月12日卒の注を付す。文化7年正月15日首途、2月9日芝邸を発し温泉へ、4月9日鹿府着。27日に島津若狭忠貫の嗣子となり、11月22日に老中牧野備前守へ稟告した。忠貫には初名忠寛・後に山城・今は静河の注。出生の本文日付と訂正注、母の本文表記と実母注を区別する。
- 登場人物
- 忠公(忠高・寛次郎・若狭・出雲・駿河・山城)、斉宣、丹羽長貴女、中根半平正房女、島津若狭忠貫、牧野備前守(忠精)
- 宛先
- 独立宛名なし
- キーワード
- 忠公忠高、寛次郎、芝邸出生、三月十八日訂注、母・実母、温泉、忠貫嗣子、牧野忠精
追録7-No.629系譜旧記雑録暫定版確認度 高
享和元年7月23日生、明治9年7月17日卒(本文) / 冊子 196頁/整理ID 旧記雑録追録7_文書0629
御系図中。図に斉興・男女六人・女子を並べ、女子は祀姫・随姫・随眞院、島津飛騨守忠徹夫人と記す。享和元年7月23日生、母は操姫と同じ、実母は忠公と同じとの注。明治9年7月17日卒、法名随眞院殿圓諦妙觀大姉を記す。図の斉興を父と読み替えず、母の参照注と生卒・夫名・院号を分ける。
- 登場人物
- 祀姫・随姫・随眞院、斉興(図表示)、島津飛騨守忠徹、操姫・忠公(実母参照)
- 宛先
- 独立宛名なし
- キーワード
- 御系図、祀姫随姫、忠徹夫人、母操姫同・実母忠公同、明治九年卒、随眞院
追録7-No.1578系譜旧記雑録暫定版確認度 高
文化14年10月24日(丁丑、出生) / 冊子 520頁/整理ID 旧記雑録追録7_文書1578
御系図、斉興公御子、男女九人のうち久光を記す。初忠教、普之進、又次郎、山城、周防、和泉、三郎の名乗りを掲げ、従四位下左近衛少将・大隅守、従四位上左近衛中将、参議、従三位、従二位、内閣顧問、左大臣、正二位勲一等、従一位大勲位を列記する。文化十四年丁丑十月二十四日生、母は岡田小藤次利武の妹。島津山城忠公の養子とし、忠公に越前家の傍注がある。官位の各叙任日や年、没日は記されていないため補わない。上段の出典・斉興御子の表示と下段の系譜を連結して採録し、後書1579にある種子島家への養子入りや帰還の経過は本書には移さない。
- 登場人物
- 島津久光、島津斉興、岡田小藤次利武の妹、島津山城忠公(原表記)
- 宛先
- 該当なし(系譜)
- キーワード
- 御系図斉興公御子男女九人久光初忠教普之進又次郎山城周防和泉三郎従四位下左近衛少将大隅守従四位上左近衛中将参議従三位従二位内閣顧問左大臣正二位勲一等従一位大勲位文化十四丁丑十月二十四出生岡田小藤次利武妹島津山城忠公越前家養子
追録7-No.1579系譜旧記雑録暫定版確認度 高
文化14年10月24日(丁丑、出生)/文化15年3月1日・文政8年3月、4月、11月1日(経歴) / 冊子 520頁/整理ID 旧記雑録追録7_文書1579
近秘野抄、斉興公御子、忠教。初字普之進、又次郎と称す。文化十四年丁丑十月二十四日、府城に生まれ、母は岡田利武の妹、名山良とする。十五年戊寅三月朔日、種子島蔵人幡時に命じて養子とした。文政八年乙酉三月、前命により彼家から還ったとし、当時なお府城にいて、かつて適いたことがないとの注記がある。四月に島津又次郎へ改称。十一月朔日、島津山城忠貫に命じて養子とし、出雲忠公の壻養子と続く。称名は以前の通りで、子孫が永く又字を称することも許す。養子の命と実際の居所に関する注記を区別し、種子島家へ居住移転したとは補わない。養父名の本書忠貫、1578の山城忠公・越前家注、続く出雲忠公の記載関係は原形を保持する。
- 登場人物
- 忠教(久光)、島津斉興、岡田利武の妹(名山良)、種子島蔵人幡時、島津山城忠貫(原表記)、出雲忠公
- 宛先
- 該当なし(系譜)
- キーワード
- 近秘野抄斉興御子忠教久光普之進又次郎文化十四丁丑十月二十四府城母岡田利武妹山良十五戊寅三月朔種子島蔵人幡時養子文政八乙酉三月還自彼家府城未嘗適四月島津又次郎十一月朔島津山城忠貫出雲忠公壻養子称名如故子孫永称又字
追録7-No.2143書状旧記雑録暫定版確認度 高
文政9年12月15日(注記) / 冊子 762頁/整理ID 旧記雑録追録7_文書2143
四家老が羽地王子・三司官へ、琉球国王の尊書を拝見し、又次郎が島津出雲殿の養子とするよう仰せ出された祝儀として、座喜味親方を通じ大御隠居重豪へ太刀一腰・御馬代白銀三十両と目録記載品が差し上げられたことを伝える。又次郎には島津久光、出雲殿には忠公・越前家の注がある。江戸で披露され重豪が満悦したため、国王へ伝達するよう求める。十二月十五日付。
- 登場人物
- 北郷内記久珉、島津丹波久長、川上久馬久芳、島津但馬久風、又次郎久光、出雲殿忠公、座喜味親方、琉球国王、島津重豪
- 宛先
- 羽地王子、三司官
- キーワード
- 又次郎、久光、出雲殿、忠公、越前家、養子、座喜味親方、琉球国王、島津重豪、太刀一腰、白銀三十両、四家老、江戸披露
追録8-No.7譜旧記雑録暫定版確認度 高
天保七年十二月八日~天保八年八月廿四日 / 冊子 3~4頁/原整理番号 7/整理ID 7
島津久光の女子於儔の系譜抄。天保七年十二月八日に重富の邸で生まれ、母は島津山城忠公の娘と記す。翌天保八年八月二十四日に夭折し、法名を玉容貞光とした。
- 登場人物
- 於儔、島津久光、島津忠公
- 宛先
- 宛先なし(系譜)
- キーワード
- 於儔、島津久光、島津忠公、重富、出生、夭折、法名、系譜
追録8-No.276忠義公御系図抄(出生・家督相続)旧記雑録暫定版確認度 中
天保11年4月21日出生;安政5年11月4日出発・12月25日江府着・12月28日襲封 / 冊子 198頁/原整理番号 276/整理ID 276
忠義公の御系図抄。忠徳・茂久・壮之助・又次郎の旧名と官位等を列記し、天保十一年四月二十一日に重富第で生まれ、母は島津山城忠公の女と記す。安政五年十二月に家督を継いだ経緯として、斉彬の病が篤く、世子哲丸が二歳で重任を承けられないため、周防忠教の嫡男島津又次郎忠徳を後とし、文暉姫を妻とし哲丸をその世子に立てる遺命を述べる。その後幕府へ請い、忠徳は十一月四日に鹿児島を発ち、十二月二十五日に江府へ着き、二十八日に登城する。老中内藤紀伊守信親が、斉彬養子となり薩隅二州・日州諸縣郡と琉球国を従前の願いどおり領する旨を伝えたとする。奥平大膳大夫昌服の代拝も記す。冒頭の官位列記をすべて襲封当日の授与とはしない。
- 登場人物
- 忠義(旧名忠徳・茂久・壮之助・又次郎)、島津山城忠公の女(母)、斉彬、哲丸、周防忠教、文暉姫(字形留保)、内藤紀伊守信親、奥平大膳大夫昌服
- 宛先
- 宛先なし(忠義公御系図抄)
- キーワード
- 忠義御系図、旧名忠徳茂久壮之助又次郎、重富出生、母忠公女、斉彬遺命、哲丸二歳、周防忠教嫡男、文暉姫、哲丸世子、十一月四日発、十二月二十五日着、十二月廿八日襲封、斉彬養子、薩隅日州諸縣琉球、昌服代拝
追録8-No.277島津氏家譜抄(養親実親・家督継承)旧記雑録暫定版確認度 中
天保11年4月21日出生;安政5年12月江戸着・継承許可 / 冊子 198頁/原整理番号 277/整理ID 277
島津氏家譜の二十九代忠義の記事。忠徳・又次郎の旧名、天保十一年四月二十一日の薩摩国鹿児島出生を記す。家譜上の父を斉彬、母を徳川宰相斉敦の女としたうえで、実際には斉彬の弟島津久光の嫡子で、母は島津忠公の女と明記する。斉彬が病篤くなり、世子哲丸は二歳で重任を承けられないため、忠徳へ国を伝え、娘暉をその妻とし哲丸を世子に立てるよう大臣へ遺命したと述べる。遺命に基づき幕府へ請い、安政五年十二月に忠徳が江戸へ到着し、幕府が願いを許して封土は従前どおりとした。養親としての家譜上の記載と実親を区別する。
- 登場人物
- 忠義(初忠徳・又次郎)、斉彬(家譜上の父)、徳川宰相斉敦の女(家譜上の母)、実父島津久光、島津忠公の女(実母)、哲丸、斉彬の女暉
- 宛先
- 宛先なし(島津氏家譜抄)
- キーワード
- 島津氏家譜、二十九代忠義、忠徳又次郎、天保十一年出生、斉彬養父、徳川斉敦女、実父久光、実母忠公女、哲丸二歳、娘暉、遺命国伝、幕府請、江戸到着、封土従前
追録8-No.15譜旧記雑録暫定版確認度 中
天保九年正月廿日~慶応三年三月十一日(出生日は目録では正月廿一日) / 冊子 10頁/原整理番号 15/整理ID 15
島津久光の女子於定の系譜抄。於治・栄松院とも称し、島津出雲久静の妻となったことを記す。天保九年正月二十日に重富の邸で生まれ、母は島津山城忠公の娘とする。慶応三年三月十一日に没し、法号は栄松院殿春巌貞操大姉。出生日は正文が二十日、目録が二十一日で異なる。
- 登場人物
- 於定(於治・栄松院)、島津久光、島津出雲久静、島津山城忠公
- 宛先
- 宛先なし(譜)
- キーワード
- 於定、於治、栄松院、島津久光、島津久静、重富、系譜、出生、死去
追録8-No.43譜旧記雑録暫定版確認度 高
天保十年二月廿日~文久二年七月四日 / 冊子 34頁/原整理番号 43/整理ID 43
島津久光の女子於哲の系譜抄。於珍とも称し、入来院怡公寛の妻となったことを記す。天保十年二月二十日に重富の邸で生まれ、母は島津山城忠公の娘とする。文久二年七月四日に没し、法名は観室妙音。
- 登場人物
- 於哲(於珍)、島津久光、入来院怡公寛、島津山城忠公
- 宛先
- 宛先なし(系譜)
- キーワード
- 於哲、於珍、島津久光、入来院怡公寛、重富、系譜、出生、婚姻、死去、法名
追録8-No.56譜旧記雑録暫定版確認度 高
天保十一年四月廿一日、安政五年十二月 / 冊子 41頁/原整理番号 56/整理ID 56
島津久光の子忠徳の系譜抄。壮之助・又次郎とも称し、天保十一年四月二十一日に重富の邸で生まれ、母は島津山城忠公の娘と記す。安政五年十二月に「大統」を継いだことを記載する。
- 登場人物
- 忠徳(壮之助・又次郎)、島津久光、島津山城忠公
- 宛先
- 宛先なし(系譜)
- キーワード
- 忠徳、壮之助、又次郎、島津久光、重富、系譜、出生、大統継承
追録8-No.64譜旧記雑録暫定版確認度 高
天保十二年四月廿五日~明治五年正月四日 / 冊子 44頁/原整理番号 64/整理ID 64
島津久光の子久治の系譜抄。初め久中といい、篤次郎・右近・図書の呼称を記す。天保十二年四月二十五日に重富の邸で生まれ、母は島津忠公の娘とする。島津図書久寶の養子となり、明治五年正月四日に没したこと、神号が霊文新治彦命であることを記す。
- 登場人物
- 島津久治(初久中・篤次郎・右近・図書)、島津久光、島津忠公、島津図書久寶(養父)
- 宛先
- 宛先なし(系譜)
- キーワード
- 島津久治、久中、島津久光、島津久寶、養子、系譜、出生、死去、神号
追録8-No.78系譜抄旧記雑録暫定版確認度 中
天保十三年七月晦日~文久二年七月廿七日(両人の出生・没日) / 冊子 51頁/原整理番号 78/整理ID 78
玉里久光公の子の系譜から包次郎と於寛の条を収める。包次郎は天保十三年七月晦日に重富第で生まれ、母は島津忠公の女、天保十四年四月七日に没し、法名を暁夢法大とする。於寛は天保十四年閏九月七日に同じ重富第で生まれ、母は同じと記す。喜入多門久博の室となり、文久二年七月二十七日に没した。於寛の法名の字形は留保する。
- 登場人物
- 島津久光、包次郎、於寛、島津忠公とその女、喜入多門久博
- 宛先
- 宛先なし(系譜)
- キーワード
- 島津久光、包次郎、於寛、系譜、出生、重富第、母、喜入久博、没日、法名
追録8-No.100系譜抄旧記雑録暫定版確認度 中
天保十五年十月廿二日(出生)、文久元年四月(重富家継承) / 冊子 63頁/原整理番号 100/整理ID 100
久光公の子の系図から珍彦を記す。男女七人の表示があり、珍彦には後に初紀寛、忠鑑、敬四郎、又次郎、周防・常陸・備という名や称号の表示を付す。天保十五年十月二十二日に重富第で生まれ、母は島津忠公の女とする。文久元年四月に父忠教が重富家を去って本室へ戻ったため、忠鑑がその後を継いだと記す。各名・称号の対応順と、末尾の本室への帰属表現の詳細は留保する。
- 登場人物
- 珍彦(忠鑑、後に初紀寛。敬四郎・又次郎、周防・常陸・備の表示)、島津久光、父忠教、島津忠公の女(母)
- 宛先
- 宛先なし(系譜)
- キーワード
- 島津久光、珍彦、忠鑑、初紀寛、出生、重富第、母、忠教、文久元年、重富家継承
追録8-No.108系譜抄旧記雑録暫定版確認度 中
弘化二年五月廿八日・十一月廿三日(出生)、文久二年六月・九月(於直の養子関係) / 冊子 69頁/原整理番号 108/整理ID 108
玉里久光公の子の系図から於直と忠欽の条を収める。於直は於貞とも記し、弘化二年五月二十八日に生まれ、実父は島津兵庫久長、母は喜入多門久通の女とする。文久二年六月に久光の義子となり、九月に斉彬の養女へ追擬されたと記す。忠欽は初紀堯・英之進の表示を付し、弘化二年十一月二十三日に重富第で生まれ、母は島津山城忠公の女とする。島津安藝忠敬の養子となったことを記す。
- 登場人物
- 於直(於貞)、忠欽(初紀堯、英之進)、島津久光、島津兵庫久長、喜入多門久通の女、島津斉彬、島津山城忠公の女、島津安藝忠敬
- 宛先
- 宛先なし(系譜)
- キーワード
- 於直、於貞、忠欽、久光、出生、実父母、義子、斉彬養女への追擬、重富第、忠敬養子
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w4:112系図・家伝/軍功・医家由緒旧記雑録拾遺暫定版確認度 高
清和天皇・源経基以降、慶長12年、寛文7年2月28日ほか / 冊子 281~290頁/原整理番号 112
源姓松本氏の系譜を、人皇五十六代清和天皇・貞純親王・源経基から源満仲・満快らを経て、伊那・林・芳美・松本などの諸支流へ展開して記す。松本氏部分では、行光・忠公・時光・満治・光家・光則・光信・貞行・光尚・景康・光後らの親子関係に、官途、居住地、法名、婚姻、養子、早世などを付記する。紀伊国雑賀庄湊の松本刑部については、武功により島津龍伯・惟新から恩顧を受け、上方との連絡や島津氏上洛をめぐる交渉に関与し、紀州帰還後も松本六郎左衛門を名代としてたびたび下向させたこと、長宗我部との連携、豊臣方の紀州攻め後の一族退去、藤堂和泉守・浅野紀伊守のもとでの知行・召出しを記す。別系の松本彦太郎は慶長十二年紀州生まれで、妙寿院大禅師に儒学、啓迪院陶室玄治法印に医術を学び、島津光久に供奉して病者を療治し、銀子や年々の台方米百俵を受け、江戸で三十年間、身分を問わず診療したとする。末尾は伝次郎・与右衛門・学之助・源右衛門・源之丞・弥一兵衛らへ続き、相良家への養子、四本・桑波田家との婚姻を載せる。
- 登場人物
- 清和天皇、陽成天皇、貞純親王、源経基、源満仲、源満快、為憲、為家、家清、行光、忠公、時光、満治、光家、光則、光信、貞行、光尚、景康、光後、松本刑部、松本六郎左衛門、羽柴美濃守、伊集院幸侃、鎌田刑部、藤堂和泉守、浅野紀伊守、湯浅丹波、佐竹伊賀、松本彦太郎、島津光久、新納右衛門、阿部対馬守
- 宛先
- —
- キーワード
- 源姓松本氏系図、清和源氏、清和天皇、貞純親王、源経基、源満仲、源満快、伊那氏、林氏、芳美氏、松本氏、紀伊国雑賀庄湊、松本刑部、松本六郎左衛門、島津龍伯、島津惟新、伊集院幸侃、羽柴美濃守、紀州攻め、長宗我部、藤堂和泉守、浅野紀伊守、知行、松本彦太郎、慶長十二年、妙寿院大禅師、啓迪院陶室玄治法印、医術、島津光久、台方米百俵、江戸三十年、婚姻、養子、法名
前編2-No.1340記事確認度 高
年月日未詳 / 冊子 423頁
『本田重恒譜』に、文安五年十二月二十九日、税所氏らと清水で戦い、本田重恒が石原口で国親に討たれたことと、その法名を義翁忠公とすることを記す。
- 登場人物
- 本田重恒、税所氏、清水、国親
- 宛先
- —
- キーワード
- 本田重恒譜、文安五年、税所氏、清水、石原口、国親、戦死、義翁忠公
追録7-No.2077申渡書旧記雑録暫定版確認度 高
文政8年11月朔日(本文。年次は前後配列) / 冊子 736頁/整理ID 旧記雑録追録7_文書2077
又次郎(久光)を本日、出雲殿(越前島津家・忠公の傍注)の養子とする旨が仰せ出されたことを御記録奉行へ伝える申渡書。改名する必要はなく、以後は家付きの子孫も永く「又」の字を用いるよう命じ、その旨を帳面に記録させる。十一月朔日、久馬署名、白木御文書九番箱中四番に収められる。
- 登場人物
- 川上久馬、又次郎(久光)、出雲殿
- 宛先
- 御記録奉行
- キーワード
- 川上久馬、又次郎、久光、出雲殿、越前島津家、忠公、養子、改名不要、子孫、又の字、帳面記録、御記録奉行
追録7-No.2459書状旧記雑録暫定版確認度 高
天保2年4月28日(本文・朱注) / 冊子 877頁/整理ID 旧記雑録追録7_文書2459
島津重豪から島津駿河殿への四月二十八日付礼状。従三位昇進の嘉儀として使者を通じ目録の品を贈られたことを喜び、「欣然之至」と謝意を伝える。贈答品の具体名・数量はこの書状本文には記されない。忠公・越前島津家の傍注。同文型の隣接する礼状と宛名を区別し、原本877頁の本文・日付・重豪の花押と宛名を一通として確認する。
- 登場人物
- 島津重豪、島津駿河殿
- 宛先
- 島津駿河殿
- キーワード
- 島津重豪、島津駿河殿、天保二年四月二十八日、従三位、昇進祝賀、使者、目録、贈答、礼状
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID sar:24-4記録・覚書旧記雑録拾遺暫定版確認度 高
建久元年十二月一日条ほか / 冊子 255~256頁/原整理番号 24の4
『吾妻鏡』建久元年十二月一日条から源頼朝の右大将拝賀行列を抄出し、御剣役を務めた糟屋藤太有季の記事を検討する。建久七年正月・元久二年三月の記事も参照し、猿渡家が御剣役を担ったという家伝、忠久・忠公らの奉公、京都での取次関係を他の旧記と照合する。
- 登場人物
- 源頼朝、糟屋藤太有季、猿渡藤三郎、猿渡忠久、島津忠久
- 宛先
- —
- キーワード
- 吾妻鏡、建久元年十二月一日、源頼朝、右大将拝賀、糟屋藤太有季、御剣役、猿渡藤三郎、猿渡忠久、島津忠久、京都、系譜考証
旧記雑録拾遺 著作史料集8-文書ID W15_70祭文抄旧記雑録拾遺暫定版確認度 高
目録年月日記載なし / 冊子 440頁/原整理番号 70
永享九年正月二十一日、先君恵燈院殿義天忠公大禅定門の十三回忌にあたり、厳神への礼拝と祈願を記した祭文を抜き書きする。
- 登場人物
- 藤原好久等
- 宛先
- 宛先明示なし
- キーワード
- 永享9年正月21日・義天・恵燈院殿・十三回忌・祭文・藤原好久