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『旧記雑録』前編・後編・附録10冊と追録1~8(暫定版)、『旧記雑録拾遺 伊地知季安著作史料集1~9』『家わけ1』(暫定版)、関連史料(外伝)『島津世禄記』の46,754件を横断検索できます。検索範囲は史料群・巻を組み合わせて選べます。結果は50件ずつ表示します。

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16 件 (全巻)/ 1–16件を表示

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追録5-No.845書状旧記雑録暫定版確認度 高

島津久柄書状

嶋津主殿久柄が十二月十六日、義岡相馬・鎌田典膳・市来左中へ、隅州の今月二十二日の年賀御祝について連絡する。国許へ伺って返答を待つと遅くなるため、相談のうえ、当日の御祝料理には嶋津主鈴を使者として遣わし、家老らが料理に寄り合うよう命じられたと伝える。財部孫之丞も使者を務め、列席人数を先に知らせたとおりとし、別紙の次第書に従って隅州に御祝を申し上げるよう求める。慰物は嶋津遊閑操が担当し、山下御屋敷で面談して進上物を渡し、返しも賜るという。ほかの御祝儀もあるかと尋ね、隅州五十の年賀の前例を見いだせないまま、当日下屋敷へ面談に赴き、隅州と太守に御祝儀を申し上げるよう求める。別封書状を各方へ送るので、申し合わせのうえ御祝儀を届けてほしいと記す。

登場人物
嶋津主殿久柄・隅州継豊・嶋津主鈴久郷・財部孫之丞・嶋津遊閑操・義岡相馬・鎌田典膳・市来左中・太守
宛先
義岡相馬・鎌田典膳・市来左中
キーワード
隅州五十年賀、十二月二十二日、御祝料理、主鈴使者、財部孫之丞、寄合、列席人数、別紙次第書、嶋津遊閑操、慰物、山下御屋敷、下屋敷、隅州・太守御祝儀、別封書状
追録5-No.892書状旧記雑録暫定版確認度 高

島津久柄・島津久郷家老連署書状

主殿久柄・主鈴久郷が六月六日、平田靭負正輔・市来左中政方へ、延岡領宮崎郡長峯村の百姓男女九十一人が先月七日に逃散し、同九日に穆佐へ入った件を知らせる。御目付藤野次兵衛・横目石川正右衛門を差し向け、十五日の報告を受けた後、穆佐からの書通と宮崎代官との対談により事情を調べた。前年の年貢取納が不適切だったため、百姓らの頭取は延岡へ訴えていたが、返答を待ちきれず退散したという。宮崎大郡役の清水五郎右衛門から渡邊今右衛門を遣わし、逃散の事情を承知したこと、首謀者の罪の軽重を定め、赦免される者もあろうことを説き、帰参を勧めた。しかし百姓らは当分このまま召し置いてほしいと願い、急に引き取らせるのは難しいとの報告があった。正徳五年、延岡の百姓四百人余が穆佐へ逃れて来た際には、江戸・大坂・長崎への先入来の御届を命じられ、ほどなく帰った例がある。この先例に照らし、今回すぐに帰参しないならば同じ三所へ御届を出すこと、隅州に伺い、御届書を調べ、近日の飛脚で申し上げることを求める。百姓らが心から帰るよう、先例を示して延岡の家老へ書通し、必要なら彼方の役人とも対談してほしいと依頼する。藤野次兵衛一人では難しい場合もあろうと相談し、留守居岩下佐次右衛門を差し向け、昨日穆佐へ出張させたと記す。

登場人物
嶋津主殿久柄・島津主鈴久郷・藤野次兵衛・石川正右衛門・清水五郎右衛門・渡邊今右衛門・岩下佐次右衛門(方隆)・平田靭負正輔・市来左中政方・隅州・長峯村百姓男女九拾壱人
宛先
平田靭負正輔・市来左中政方
キーワード
延岡領宮崎郡長峯村、百姓男女九十一人、先月七日逃散、九日穆佐入来、十五日報告、年貢取納、訴願、帰参勧告、罪の軽重、赦免、正徳五年、百姓四百人余、江戸・大坂・長崎御届、隅州、飛脚、延岡家老、留守居岩下佐次右衛門
追録5-No.846返書(朱書)旧記雑録暫定版確認度 要確認

義岡久中外二名家老連署返書

正月十九日、隅州の年賀御祝の手配に関する書状に付された朱書返答。本文の趣旨を伝え、各方からの御祝儀もあるかという件を相談したと記す。別紙の御祝儀状を御聴に達し、次第書は此方に留め置く旨を述べる。返答末には「久郷」の注があり、日付に添えて義岡相馬・鎌田典膳・市来左中の三名を掲げ、「下」と付記する。

登場人物
義岡相馬久中・鎌田典膳政昌・市来左中(目録の三名連署に対応する「下」の三名)・久郷(朱返答末注)・隅州
宛先
独立した宛名記載なし
キーワード
正月十九日、隅州年賀、御祝儀、各方への相談、別紙御祝儀状、御聴、次第書留置、久郷末注、義岡相馬、鎌田典膳、市来左中
追録5-No.1365連署返書・送達記事旧記雑録暫定版確認度 要確認

島津久馬・島津久郷在府家老連署返書

正月四日、在府の嶋津主鈴・主殿が、伊勢兵部・義岡相馬・新納内蔵・鎌田典膳・平田靭負・市来左中へ、治水手伝の木屋掛その他と、国元から送られた総人数の賄い方について申し送る。押札には、これらをすべて町人の請方へ申し付けてよいとあり、その札のとおり申し渡したことを伝える。普請そのものを町人請負にしないという覚の条項を踏まえ、木屋掛等と派遣者の賄いについての取扱いを知らせる返書である。

登場人物
嶋津主鈴・嶋津主殿・一色周防守
宛先
伊勢兵部・義岡相馬・新納内蔵・鎌田典膳・平田靭負・市来左中
キーワード
正月四日、在府家老、主鈴、主殿、伊勢兵部、義岡相馬、新納内蔵、鎌田典膳、平田靭負、市来左中、押札、治水手伝、木屋掛、総人数賄方、町人請方
追録5-No.804記事旧記雑録暫定版確認度 高

重年夫人芝邸ニ到ル

八月朔日、重年夫人が麑城南門から薩府を出発し、十一月二日に江戸芝邸へ到着した。供奉した者として大目付市来左中政方、側用人北郷助太夫久傳、近習役北郷八右衛門資知、江都留守居役山澤小左衛門盛福、納殿役人相良善太夫長居・兒玉利右衛門安通らを挙げる。九州・山陽・東海を経て、伊勢大神宮と諸神社へ参拝し、名勝旧跡を歴覧した。出発地・随員の役職氏名・経路・到着日を記録する。

登場人物
重年夫人(本文呼称)・島津重年・市来左中政方・北郷助太夫久傳・北郷八右衛門資知・山澤小左衛門盛福・相良善太夫長居・兒玉利右衛門安通
宛先
—
キーワード
重年夫人、市来政方、北郷久傳、北郷資知、山澤盛福、相良長居、兒玉安通、八月朔日、麑城南門、九州、山陽、東海、伊勢大神宮、十一月二日芝邸着
追録5-No.926御譜記事旧記雑録暫定版確認度 高

重年、吉宗遺物の脇刀を拝領

七月十日、上使若年寄小出信濃守英智が芝邸へ来て、有徳院吉宗の遺物脇刀一腰を重年へ賜った記事。信國作、長八寸七分半、剣・三鈷・梵字などの装飾、代金二十枚の元注が付く。継豊には尻懸則長作、長八寸三分半、護摩梵字、銘なし、代金二十枚の脇刀一腰と九十賀和歌御手鑑一帖、菊姫には同じ手鑑一帖を賜った。島津加賀守忠雅が重年・継豊に代わって上使を接待し、大書院で上旨を承った。馬廻川上喜藤太親毗、新番荒武蔵右衛門祐壽、歩士・軽卒を遣わして刀を護送させ、一行は七月十六日に江戸を発ち、東海・山陽・西海路を経て八月十三日に薩府へ着いた。九月二日に重年が恩賜の宝刀を拝戴した。延期の理由は継豊の女子が八月十一日に死去したためと注記する。江戸では忠雅が重年に代わり、十月四日に執政各位と上使英智の邸で謝礼し、同日、家老市来左中政方も若年寄各位の邸で謝礼した。

登場人物
島津重年・島津継豊・徳川吉宗(有徳院殿)・小出信濃守英智・菊姫・島津加賀守忠雅・川上喜藤太親毗・荒武蔵右衛門祐壽・継豊の女子(名なし)・市来左中政方・信國・尻懸則長(刀の元注)
宛先
—
キーワード
重年、継豊、菊姫、吉宗遺物、脇刀、信國、尻懸則長、代金各二十枚、九十賀和歌御手鑑各一帖、小出英智、忠雅、川上親毗、荒武祐壽、護送、九月二日拝戴、継豊女子死去、市来政方、十月四日謝礼
追録5-No.952返書(朱書)旧記雑録暫定版確認度 高

平田正輔・市来政方連署返書

十月四日、平田靭負正輔・市来左中政方が、六家老の八月二十一日付書状に朱書で返答する。国元からの意向を承知し、留守居に申し含めて堀田相模守の御用人へ詳しく伝えたところ、相模守の奥へ申し上げられ、名代で謝礼を勤める筋に差図されたと報告する。隅州の御礼が済んだ次第は別紙で詳しく知らせるとする。 また、隅州の御文は国元で整えられ、八月二十一日付で先月十六日に御守殿の添文を付けて差し出したこと、御礼が済んで返事が下ったことを伝える。この首尾についても別紙で詳しく返答すると結ぶ。

登場人物
平田靭負正輔・市来左中政方・隅州・堀田相模守・御留守居・相模守の御用人
宛先
独立した宛名記載なし
キーワード
十月四日、平田正輔、市来政方、八月二十一日書状、御留守居、堀田相模守御用人、名代御礼、隅州御礼、国元御文、八月二十一日付、先月十六日、御守殿添文、御返事、別紙
追録5-No.983書状旧記雑録暫定版確認度 要確認

平田正輔・市来政方連署書状

平田靭負正輔・市来左中政方が六家老へ、太守・隅州の有徳院遺物拝領後の御礼について、江戸での相談と書状・使札の提出経過を報告する。加賀守から名代御礼についての照会がないため、留守居を通じて御用番酒井左衛門尉へ申し上げ、山澤小左衛門を取次に遣わした。国元在住の拝領者には名代御礼の例がなく、上使の差図もないまま、有徳院の隠居祝いの拝領例だけで処理するのは不足があるとして、堀田相模守へ内談した。留守居が御用人浅井八兵衛から、御用番の出勤を待って礼使札を差し出す扱いを聞き、赤松甚右衛門にも申し合わせた。甚右衛門は病気で参上できず、小左衛門が佐久間源太夫へ事情を伝え、先月十五日に相模守へ内談する手はずを整えたが、浅井八兵衛の内用のため進まなかった。そこで倉次甚太夫にも相談し、十七日付の手紙と十九日の来訪を経て、御用番の差図どおり名代で勤めることになったと報告する。 名代が登城して御礼するのか、廻勤で済むのかについても堀田側と相談した。隅州が病中のため、在府の加賀守が両丸へ登城し、老中へ廻勤する扱いとし、似寄りの例書を添えるよう八兵衛から伝えられた。当分出勤しない酒井左衛門尉・秋元但馬守への御礼は差し控え、出勤後に改めて勤める。大納言への御礼も御用番へ申し上げて済ませるという。有徳院遺物の両殿への拝領について本多伯耆守へ提出した書付一通と例書一通、隅州から大納言への御礼についての書付一通と付紙の扱いを挙げる。加賀守父子の名代については先に願い、御用人を通じて登城を要しない廻勤の差図を受けた。先月二十五日の書状提出、翌二十六日の加賀守の老中・上使側への廻勤、若年寄への菱刈孫兵衛の使者、側衆への表方・隠居方それぞれの使者を記す。 太守・菊姫の遺物拝領に隅州から謝礼する連署書状一通について、本多への提出と受け取り、秋元宛書状が西丸用務のため登城しなかったこと、西尾隠岐守宛書状の提出、元で整えた連署書状と御右筆の案文を挙げる。太守・菊姫の拝領に対する奉書一通、隅州から大納言への謝礼に関する同一通、本丸の老女五人から隅州への返事六通も報告する。隅州の公方・大納言への御内証の御礼は名代使札で決めにくく、国元で文面を整えるよう伝えられた。八月二十一日付の御文と御案文、御礼文の八月九日・九日付、使札の八月二十一日付に相違があるため、御文を案文として扱い、双方を相談して調え直した。先月二十六日に御守殿から提出した御文はその日に返事が下り、女使の口上と春井の取次を経た。二十七日には春井から添文付きの御文六通を提出したという。 太守の御頂戴がまだ済んでいないため、七月十日の拝領として差し出す御礼文の扱いを佐々木に尋ね、差し支えないとの返答を得た。隅州の御礼文は御右筆が提出し、国元の御案文も添える。日付の異なる案文と調え直した文面を送って、国元の心得とする。京都諸司代・大坂城代への通知は、隠居祝いの拝領時の例に従って調えるよう使番へ申し渡したが、先例が見当たらないため、近衛その他への通知とあわせて相談する。日光宮・御三家・御一門への通知は、太守の御礼が済んだ時に使番へ申し渡すよう求める。隅州の御礼が済んだことも伝え、別紙九通を送るとして結ぶ。末尾に十月四日の朱記と、平田靭負・市来左中の名義、六家老宛名を掲げる。

登場人物
平田靭負正輔・市来左中政方・太守・隅州・菊姫・嶋津加賀守・山澤小左衛門・酒井左衛門尉・堀田相模守・浅井八兵衛・赤松甚右衛門・佐久間源太夫・倉次甚太夫・有徳院・秋元但馬守・本多伯耆守・西尾隠岐守・菱刈孫兵衛・大納言・公方・春井・山野・老女五人・御留守居・御用番・御右筆・御使番・老中・若年寄・側衆・物頭・京都諸司代・大坂城代・近衛・日光宮・御三家・御一門
宛先
嶋津主殿・伊勢兵部・義岡相馬・嶋津主鈴・鎌田典膳・河野八郎左衛門
キーワード
遺物拝領、名代御礼、御用番、酒井、堀田、留守居、浅井八兵衛、赤松甚右衛門、佐久間源太夫、倉次甚太夫、両丸登城、廻勤、病中隅州、加賀守、菱刈孫兵衛、本多、西尾、秋元、連署書状、奉書、老女五人、返事六通、八月二十一日、礼文日付相違、御守殿、春井添文、御文六通、御右筆、佐々木、京都諸司代、大坂城代、近衛、日光宮、御三家、御一門、別紙九通
追録5-No.1383連署返書旧記雑録暫定版確認度 高

伊勢貞起外四名連署返書

伊勢兵部・義岡相馬・新納内藏・鎌田典膳・市来左中の五名が二月二十六日、島津主鈴・島津主殿へ、御手伝普請の書付を受け取った経緯と伝達を返答する。先月二十六日の連絡で留守居一人の登城を求められ、岩下佐次右衛門が出向き、蘇鐵之間で書付を渡されたため、各普請場へ赴く者へその趣旨を伝えておいたと報告する。一色周防守から書付による指示を受けた件について、国元からの返答を求め、太守の挨拶は国元から使便で江戸へ知らせるよう伝える。

登場人物
伊勢兵部・義岡相馬・新納内藏・鎌田典膳・市来左中(五名)
宛先
島津主鈴・島津主殿
キーワード
朱返答、二月二十六日、岩下佐次右衛門、蘇鐵之間、書付伝達、太守挨拶
追録5-No.789文書旧記雑録暫定版確認度 高

荻原消息

荻原が三月十一日、義岡相馬・鎌田典膳・市来左中へ常念堂の別紙を送る。本尊阿弥陀一躰は竹姫を施主として国許の寺に安置し、太守を常念仏の永代施主、隅州を堂の施主、備中を始め家老・諸役人らを仏具箱の施主とする配分を示す。竹姫の願いなので太守へ申し上げ、国許では隅州への上申と願いの実現が相済むよう三名から御手前方へ伝えてほしいという。前文書が建立の経緯を詳しく述べるのに対し、この別紙は施主の配分と取次依頼を記す。

登場人物
荻原
宛先
義岡相馬・鎌田典膳・市来左中
キーワード
荻原消息:常念堂の施主配分と太守への取次
追録5-No.951書状旧記雑録暫定版確認度 高

島津久柄外五名家老連署書状

八月二十一日、嶋津主殿・伊勢兵部・義岡相馬・嶋津主鈴・鎌田典膳・河野八郎左衛門の六家老が、平田靭負・市来左中へ、大御所の遺物を太守・隅州・菊姫が拝領した後の謝礼について返答する。上使小出信濃守への御礼を山澤小左衛門が酒井左衛門尉の御用人に取り次いだところ、名代で御礼するよう上使から伝えられたという。国元で聞き合わせた結果、名代御礼の筋は当初から定まっており、上使の有無によって変わるものではないとする。大御所の隠居祝いに慈徳院が腰物を授けた例と、延享二年十一月、病身の隅州に代わり嶋津加賀守が登城して謝礼した例を挙げる。この時は老中・上使側へ直接廻勤し、若年寄へは家老の使者、側衆・物頭へは使者を遣わした。在国の慈徳院遺物拝領では御用番に相談して使札を勤めたことも示す。 今回も先例に従い、上使への御礼を使札で勤めたい意向を伝える。小左衛門からの口伝と廻勤例書による説明だけでは不足があるとして、堀田相模守へ内談し、留守居と御用人浅井八兵衛を通じて詳しく調整するよう求める。使札の扱いが整わなくても名代御礼に差し障りがないようにし、老中・上使側への名代の廻勤、若年寄への家老使者、側衆・物頭への使者を先例に合わせて勤める。御書の案文は佐々木に差図し、国元で判紙を整える。 太守は当分忌中なので、忌明後に御礼を勤めることとする。隅州は忌明となり今日御頂戴し、名代御礼の首尾を申し越すよう求める。同日、日積を付けて加賀守へ依頼し、淡路守にも連絡する。国元では十一日付の判紙を整え、老中その他の役人への書状と、使札を勤める場合の使者を先格に従って準備する。大御所からの腰物拝領時に国元の馬廻を使者にした例を挙げ、今回も使札が整えば同様に取り計らう。御内証の謝礼、太守・隅州の御礼、菊姫の御手鑑拝領への謝礼は別紙朱書返答によって相談し、日光宮・御三家・御一門その他へ拝領を知らせる件も別紙で伝える。隅州の御礼が済んだ首尾と、太守の忌明後の御礼の扱いを報告するよう結ぶ。

登場人物
嶋津主殿・伊勢兵部・義岡相馬・嶋津主鈴・鎌田典膳・河野八郎左衛門・大御所・太守・隅州・菊姫・小出信濃守・山澤小左衛門・酒井左衛門尉・慈徳院・嶋津加賀守・堀田相模守・浅井八兵衛・佐々木・淡路守・御留守居・老中・若年寄・側衆・物頭・御三家・御一門
宛先
平田靭負正輔・市来左中政方
キーワード
六家老連署、遺物拝領、名代御礼、小出信濃守、延享二年十一月、慈徳院腰物、使札、堀田相模守、浅井八兵衛、御留守居、廻勤、佐々木、判紙、太守忌中、隅州忌明御頂戴、加賀守、淡路守、馬廻使者、御内証、菊姫御手鑑、日光宮、御三家、御一門
追録5-No.1382普請方申渡書・在府家老添書旧記雑録暫定版確認度 高

普請方申渡書并在府家老添書

島津主鈴・島津主殿が二月六日、伊勢兵部・義岡相馬・新納内藏・鎌田典膳・平田靱負・市来左中へ、川々の御手伝普請の書付と手配を伝える。幕府から受けた五通のうち四通は本木屋に掲示し、一通は各普請場の惣奉行へ送り、御用人以下の氏名と歩行・足軽・鳶人足の人数、四場への配分人数を届けるよう求め、御用人八人・御小人目付十六人の名簿を送る。御用金の請取証文・印形の名義を惣奉行とする指示を伝えつつ、先着の御用人の印形で受け取れるか照会し、国元発留守居の挨拶、先発人数・本木屋完成の日数の報告、道具・小間物の落札購入と心得の周知を求める。書付写し八通、留守居首尾書三通、派遣人数名書二通を送り、急飛脚二人を出した旨を知らせる。

登場人物
島津主鈴・島津主殿(原本の署名官称)
宛先
伊勢兵部・義岡相馬・新納内藏・鎌田典膳・平田靱負・市来左中
キーワード
御手伝普請、五通書付、四場配員、御用金請取、道具購入、急飛脚
追録5-No.1391書状旧記雑録暫定版確認度 高

島津久郷書状

宝暦四年正月晦日、島津主鈴久郷が伊勢兵部・義岡相馬・新納内藏・鎌田典膳・平田靱負・市来左中へ送る書状。江戸から派遣する者、今後赴く者、朝夕定まった俸給で外方を勤める者には、現員数に応じて賄飯を下すので、請負を立てて願い入れ、落札価格を吟味したうえで請方へ申し渡すよう命じる。御賦飯米の差引き方等を調べたところ、先年の上野手伝では、俸給に賄飯を加え、御賦銀からは差し引かず、飯米分は全員同様に差し引いたと判明した。今回はこの先例に準じて御賦銀を差し引かず、飯米は一律に差し引くよう指示する。詳しい調書一結を添付して送るので、国元でも吟味し、変更すべきことがあれば知らせ、申渡しを直させるとする。「重年公御譜中」「扣正文在家老座」の注がある。

登場人物
島津主鈴久郷
宛先
伊勢兵部・義岡相馬・新納内藏・鎌田典膳・平田靱負・市来左中
キーワード
俸給、朝夕、賄飯、飯米、請負、落札、上野手伝、賦銀、差引
追録5-No.776記事旧記雑録暫定版確認度 高

宗信遺髪ヲ高野山蓮金院ニ納ム

寛延三年夏、重年が宗信の遺髪を紀州高野山へ納めるため使者を遣わした。四月十九日暁、福昌寺で島津久亮が継豊の代わりに焼香し、覺門・覺淵らの読経、遺髪の護守と送り出しを行う。総監鎌田政昌、側用人菱刈實詮ほか一行を列挙し、五月朔日出帆後の風波による津々の滞泊、二十八日兵庫港着、二十九日難波着を記す。六月九日に大坂を発ち、十一日に高野山蓮金院で遺髪を仏壇に安置した。十二日は僧衆五十口の勤行と政昌の重年代焼香、十三日は五十口の大曼荼羅供を行い、奥院へ遺髪を納めた。銅製の遺髪箱を木箱に入れ、石の供檀に納めたとの注がある。同日の空輪堂で僧二十口三昧・供養・誦経を行い、霊塔を建立して銘を記した。

登場人物
島津重年・島津宗信(慈徳院殿俊巖良英大居士)・島津継豊・島津圖書久亮・島津周防忠紀・島津大学久尚・島津主殿久柄・島津内記久映・川田伊織国祐・島津備中貴儔・市来左中政尚・覺門・覺淵・素禅和・兒玉利右衛門(代利右衛門)・鎌田典膳政昌・菱刈孫兵衛實詮・澁谷喜三左衛門貴通・鎌田太郎右衛門・二階堂森右衛門・有川勇馬・篠崎蔵太左衛門・山本猪右衛門・二階堂林左衛門・澁谷嘉納右衛門・故太・澁谷喜藤太・伊集院勘平・白井次郎右衛門・頴娃佐太夫・大迫彌兵衛・伊地知彦四郎・木藤五郎右衛門・吉井勘左衛門・弟子丸半右衛門・井尻次五右衛門・朝倉茂右衛門・岩下仁助・有川源蔵・村田元春・河野自哲・種子島十郎太夫祐行・島津貴信・入来院定勝・秀惠
宛先
—
キーワード
島津重年、宗信遺髪、継豊、島津久亮、鎌田政昌、菱刈實詮、覺門、覺淵、福昌寺、五月朔日出帆、六月十一日、蓮金院、六月十二日、六月十三日、大曼荼羅供、奥院、空輪堂、霊塔
追録5-No.1337家老連署返書(行間朱書)旧記雑録暫定版確認度 要確認

伊勢貞起外五名家老連署返書

国元の伊勢貞起ら六名から島津主鈴・主殿への返書。原本はNo.1336の長文に行間の朱書として返答を収め、末尾に正月十五日の朱日付がある。国元六名から島津主鈴・主殿への返答として、惣奉行・添奉行等の派遣準備、京都所司代・大坂城代及び長崎・近隣への通知、京都・大坂での借入と国元の出金を承知した旨を記す。中馬源兵衛の派遣を記す返答もあり、借入を急ぐ指示への対応が読み取れる。最後に命令書写三通・問合書一通・首尾書六通を受領し、照会・打合せを急ぐと返す。

登場人物
伊勢兵部貞起、義岡相馬久中、新納内蔵久品、鎌田典膳政純、平田靱負政方、市来左中
宛先
島津主鈴久郷、島津主殿久海
キーワード
治水助役、連署返書、行間、惣奉行、添奉行、役人派遣、近隣通知、借銀、受領
追録5-No.1336家老連署書状旧記雑録暫定版確認度 要確認

島津久海・島津久郷家老連署書状

島津主鈴久郷・島津主殿久海が国元の伊勢兵部ら六名へ、三州川普請手伝の命令と準備を詳しく通知する。御勘定奉行一色周防守の命令書を受け、未経験の御用なので諸事に工夫するよう求める。留守居中の除場・火消担当から人員を減らし、遠国からは早く派遣するよう指示する。来正月末から準備して雪解後の増水前に進める必要を述べるが、工期は未決である。目付役四名の派遣、一色との協議、町人請負を用いず村々の百姓に申し付ける方針、不要な役人を減らす指示を伝える。費用は初め凡十万両計、後に十四・五万両にも及ぶ見積りとされ、京都・大坂での借入と国元の出金を急がせる。最後に命令書写三通・問合書一通・首尾書六通を送るとして、別紙の役割に従い勤務し、決定事項を飛脚で報告するよう求める。

登場人物
島津主鈴久郷、島津主殿久海
宛先
伊勢兵部貞起、義岡相馬久中、新納内蔵久品、鎌田典膳政純、平田靱負政方、市来左中
キーワード
治水助役、家老連署、人員派遣、留守居、除場、火消、雪解、借銀、目付、飛脚