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『旧記雑録』前編・後編・附録10冊と追録1~8(暫定版)、『旧記雑録拾遺 伊地知季安著作史料集1~9』『家わけ1』(暫定版)、関連史料(外伝)『島津世禄記』の46,754件を横断検索できます。検索範囲は史料群・巻を組み合わせて選べます。結果は50件ずつ表示します。

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44 件 (全巻)/ 1–44件を表示

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追録2-No.2880寄進状旧記雑録暫定版確認度 中

神明宮の社領三十石を抱真院へ付す寄進状

島津吉貴が神明別当抱真院へ、神明宮建立に伴い社領として高三十石を寄進する旨を記す。前年までの神明宮造営を述べるNo.2879に続き、社領の額と管理先を明示する寄進状。

登場人物
島津吉貴(花押)
宛先
神明別当抱真院
キーワード
島津吉貴、神明宮、抱真院、社領、三十石、寄進、花押、寄進状
追録2-No.2881寄進状旧記雑録暫定版確認度 中

神明宮社領三十石の村別内訳を示す寄進状

島津久輝ら六名が神明別当抱真院へ、神明宮建立に伴う社領三十石を、川辺郡小野村・日置郡田布施池邊村・姶良郡帖佐松津村から寄進する旨を記す。No.2880の吉貴花押付き寄進状と異なり、具体的な村名と石高を列記する。

登場人物
島津久輝ほか五名(連署)
宛先
神明別当抱真院
キーワード
神明宮、抱真院、島津久輝、川辺郡小野村、田布施池邊村、帖佐松津村、社領三十石、寄進状
後編1-No.540記録確認度 中

広済寺由緒書

広済寺の由緒として、同寺が泰定山南禅寺派で寺領三十石を有したこと、七代雪辱和尚が義久の時代に琉球使僧として渡海し、七月十四日に出帆したことを記す。使節を忠実に勤めた賞として、旧来の末寺を寄附された置文が伝わるとする。

登場人物
広済寺七代雪辱和尚、島津義久、琉球国王
宛先
—
キーワード
広済寺由緒書、泰定山、南禅寺派、寺領三十石、雪辱和尚、島津義久、琉球使僧、渡海、七月十四日、忠賞、末寺寄附
後編2-No.1040文書確認度 高

入来院重時知行宛行状

安藤二介に関する算用として、三十石を勝田源左衛門尉へ遣わすことを入来院重時が認める。 百石・屋敷用土地の宛行状と同日に出された一通で、受給者と石高の違いを比較できる。

登場人物
入来院重時、安藤二介、勝田源左衛門尉
宛先
勝田源左衛門尉
キーワード
入来院重時、安藤二介、勝田源左衛門尉、知行宛行、算用、三十石、石高、天正二十一年
後編2-No.1055文書確認度 中

長寿院盛淳外二名連署領知目録

薩州隈城内の城岡之門をはじめ、屋敷・田畠・山畑などの所在と面積を列挙して長谷場越前守へ与えた領知目録。 新知三十石に九石一斗を加え、先知行と合わせて六十石の役を勤める条件で付与したことを明記する。三奉行が連署し、給付地の内訳と軍役負担を結び付けた家臣知行文書。

登場人物
長寿院盛淳、鎌田政近、町田久倍、長谷場越前守
宛先
長谷場越前守
キーワード
長寿院盛淳、鎌田政近、町田久倍、長谷場越前守、薩州隈城、領知目録、新知三十石、九石一斗、六十石役、軍役
後編3-No.98文書確認度 高

伊集院幸侃署判領知目録

伊集院右衛門入道幸侃が、隅州桑原郡吉松の般若寺領のうち、般若寺村内の右田島屋敷分について、米高百三十石余を記して与えた署判領知目録。

登場人物
伊集院右衛門入道幸侃、般若寺、右田島屋敷分の受給者
宛先
—
キーワード
伊集院幸侃、隅州、桑原郡、吉松、般若寺領、般若寺村、右田島屋敷分、米高、百三十石余、領知目録
後編3-No.602文書確認度 高

児玉利言申状

児玉利昌の孫・児玉利言が、祖父の朝鮮役での奉公を申し立てる。文禄元年、義弘の渡海時に自費で船を用意して朝鮮へ渡り、雑兵を多数討ち取ったため、帰朝後に褒美として知行三十石を与えられたと記す。本文は複数条のうち一条のみを掲げ、ほかは省略されている。

登場人物
児玉利言、児玉利昌(筑後・新四郎・四郎兵衛)、島津義弘
宛先
—
キーワード
児玉利言申状、児玉利昌、文禄元年、朝鮮渡海、自費船、敵兵討取、帰朝、褒美、知行三十石、奉公申立
後編3-No.1102文書確認度 高

島津忠長・平田増宗連署加増目録

島津忠長と平田増宗が連署し、加増高二千七百三十石のうち、庄内下川路有水の高千石を北郷作左衛門尉に与えることを示した加増目録。

登場人物
島津忠長(図書頭)、平田増宗、北郷三久(作左衛門尉)
宛先
北郷作左衛門尉殿
キーワード
島津忠長、平田増宗、北郷三久、加増目録、二千七百三十石、千石、庄内、下川路有水、連署
後編3-No.1212記事確認度 高

島津義弘(惟新)譜

義弘一行が九月二十七日に芸州を出船し、二十九日に細島へ着いたことに関連して、薩摩船三艘が豊前・豊後沖で黒田如水方の船勢に追われ、捕獲されて男子は討たれ、女性・子供は生け捕られたとの風説を記す。続いて柚木崎丹後の子・次郎右衛門へ父の勇敢を賞して三十石を与え高岡に居住させたこと、関ヶ原敗戦後に蒲生新城を築き赤塚源太左衛門を城番としたことを記す。

登場人物
島津義弘(惟新)、黒田如水、柚木崎次郎右衛門、柚木崎丹後、赤塚源太左衛門
宛先
該当なし
キーワード
島津義弘(惟新)譜、芸州出船、細島着、薩摩船三艘、黒田如水、豊前・豊後沖、船捕獲、柚木崎丹後、柚木崎次郎右衛門、三十石、高岡、蒲生新城、赤塚源太左衛門
後編3-No.1224文書確認度 高

島津義弘(惟新)感状

島津義弘(惟新)が、関ヶ原合戦で奮戦し、伊勢・近江・伊賀・大和・河内・和泉を経る帰国路でも片時も側を離れず奉公した者を賞し、知行三十石を与える。本文には宛所がない。

登場人物
島津義弘(惟新)
宛先
該当なし
キーワード
島津義弘(惟新)感状、島津義弘(惟新)、関ヶ原合戦、帰国随従、伊勢、近江、伊賀、大和、河内、和泉、知行三十石、宛所なし
後編3-No.1422文書確認度 高

伊勢貞成署判領知目録

伊勢貞成が、大隅国菱刈横邊村内の田畠について、地名・面積・分米や耕作者を列記し、合計分米・大豆三十石を本田勝次郎の領知として示した目録。

登場人物
伊勢貞成、本田勝次郎、横邊村百姓
宛先
本田勝次郎
キーワード
伊勢貞成署判領知目録、慶長五年十二月十一日、伊勢貞成、本田勝次郎、大隅国、菱刈、横邊村、田畠、分米、大豆三十石、領知目録
後編3-No.1565文書確認度 高

島津忠長外三名連署加増目録

島津忠長ら四名が連署し、薩摩国祁答院の大村にある楠原弥七右衛門尉屋敷三十石二斗三升を、井尻伝次へ加増として宛行った目録。

登場人物
島津忠長、平田増宗、鎌田政近、比志島国貞、井尻伝次
宛先
井尻伝次
キーワード
連署加増目録、慶長六年十月二十一日、島津忠長、平田増宗、鎌田政近、比志島国貞、井尻伝次、薩摩国、祁答院、大村、楠原屋敷、三十石二斗三升
後編3-No.1566文書確認度 高

島津忠長外三名連署加増目録

島津忠長ら四名が連署し、薩摩国川内山田村の鹿地門三十石五升を、満尾越中守へ加増として宛行った目録。

登場人物
島津忠長、平田増宗、鎌田政近、比志島国貞、満尾越中守
宛先
満尾越中守
キーワード
連署加増目録、慶長六年十月二十四日、島津忠長、平田増宗、鎌田政近、比志島国貞、満尾越中守、薩摩国、川内、山田村、鹿地門、三十石五升
後編3-No.1753文書確認度 高

島津忠長外三名連署証状

島津忠長ら四名が連署し、祈願成就のため日向国諸県郡加久藤栗下村内の三十石を加久藤二宮社へ付与した証状。公役は他の寺社領と同様に免除し、正式な目録は京都から帰国する際に交付すると定める。

登場人物
島津忠長(図書頭)、鎌田政近(出雲守)、比志島国貞(紀伊守)、樺山久高(権左衛門尉)
宛先
加久藤二宮社
キーワード
島津忠長外三名連署証状、慶長七年十二月二十四日、島津忠長、図書頭、鎌田政近、出雲守、比志島国貞、紀伊守、樺山久高、権左衛門尉、加久藤二宮社、日向国、諸県郡、栗下村、三十石、寺社領、公役免除、祈願成就
後編4-No.523文書確認度 高

喜入久正外二名連署知行目録

慶長十三年十二月二十四日、日向国大崎今田村内の浮免三十石を、渡海時の軍役と高麗退治での働きに対する加増として児玉四郎兵衛尉へ配分した連署知行目録。

登場人物
喜入久正ほか二名、児玉四郎兵衛尉
宛先
児玉四郎兵衛尉
キーワード
連署知行目録、喜入久正、児玉四郎兵衛尉、日向国、大崎、今田村、浮免、三十石、高麗退治、加増
後編4-No.524記事確認度 高

児玉筑後譜

児玉筑後譜の記事。慶長十三年、児玉四郎兵衛尉が軍功によって十二月二十四日に大崎今田村内三十石を与えられ、喜入久正・平田宗親・山田理安から知行目録を受けたことを記す。

登場人物
児玉筑後、児玉四郎兵衛尉、喜入久正、平田宗親、山田理安
宛先
—
キーワード
児玉筑後譜、児玉四郎兵衛尉、喜入久正、平田宗親、山田理安、大崎、今田村、三十石、軍功
後編5-No.150記事確認度 高

島津家久譜

比志島国隆の所領・家財は没収されたが、父国貞が島津義久・義弘・家久に忠勤したことを家久が追慕し、没収財産から祭田三十石を買い求めて国貞の神主寺へ付した。また国貞の未亡人の所領は没収せず、そのまま与えたと記す。

登場人物
比志島紀伊国貞、比志島宮内少輔国隆、島津家久
宛先
—
キーワード
比志島国貞、比志島国隆、島津家久、忠勤、没収、祭田、三十石、神主寺、未亡人、所領
後編5-No.272文書確認度 中

吉祥寺松岳覚書

吉祥寺松岳が、島津義弘の渡海祈念に伴う法華一万部読誦の成就、寺領三十石の寄進と寺社領改め後の扱いを述べ、後継者のため知行の継続を願った覚書。

登場人物
吉祥寺松岳、島津義弘、本田源右衛門ほか
宛先
—
キーワード
吉祥寺、松岳、島津義弘、渡海、法華経、一万部、寺領、三十石、知行
後編5-No.396文書確認度 中

伊勢貞昌書状

琉球・唐との取引奉行を務めた川上忠通と、航海中に公銀を救出した町田勘解由へ各知行百石を加増し、留守奥方に勤める東郷肥前守へ年米三十石を与えるよう伝える。父子で奉公する家々への扶持、上知行に伴う知行米半減の共通扱いも指示した伊勢貞昌の書状。

登場人物
伊勢貞昌、川上勝監、島津久元、島津忠興、川上忠通、町田勘解由、東郷肥前守ほか
宛先
川上勝監、下野守、弾正大弼
キーワード
伊勢貞昌、川上忠通、町田勘解由、東郷肥前守、琉球、唐、公銀、知行百石、年米三十石、上知行
後編5-No.677記事確認度 中

児玉利昌譜

家久在府中、児玉利昌が始良(姶良)の地頭職と給米三十石を受けたこと、納殿役として近侍し現地へ赴けないため、三十二歳の子利実を遣わし、児玉吉兵衛らと支配に当たらせたことを記す児玉利昌譜の記事。

登場人物
児玉利昌、児玉利実、児玉吉兵衛、島津家久
宛先
―
キーワード
児玉利昌、児玉利実、児玉吉兵衛、島津家久、始良、姶良、地頭職、給米三十石、納殿役、近侍、支配
後編5-No.679文書確認度 低

児玉利実覚書

児玉利実が、寛永十年十二月初七日付の江戸書状を翌十一年正月二日に受け取り、筑後守が始良(姶良)の地頭職と毎年八木(米)三十石を拝領した旨を確認した記録。同夜の兵法初めは式部大輔邸での実施が延期され、仁礼蔵人の宿所で若衆によって行われた。寛永十一年正月三日付で藤原氏利実が署名し、追記では同月二十三日・二十五日の市来八右衛門らによる地頭拝領関係の連絡・進物を記す。本文日付は寛永十一年正月三日で、索引の寛永十年正月三日とは相違する。

登場人物
児玉利実、児玉利昌(筑後守)、野村大学介、伊勢右京進、仁礼蔵人、市来八右衛門
宛先
―
キーワード
児玉利実、児玉利昌、筑後守、野村大学介、伊勢右京進、仁礼蔵人、市来八右衛門、始良、姶良、地頭職、八木三十石、江戸書状、兵法初め、寛永十一年正月三日、索引日付相違、児玉氏家蔵
後編5-No.727文書確認度 中

島津久元外二名連署達書

伊地知左衛門の弟弥右衛門尉を羽月衆として召し移し、当初の二十石ではなく京都からの指示どおり三十石を支給するよう奉行衆へ達した連署達書。

登場人物
島津久元、左近将監、弾正大弼、下野守、伊地知弥右衛門尉、伊地知左衛門
宛先
肥後長次郎、高崎伊豆守、山田民部少輔、新納加賀守
キーワード
島津久元、伊地知弥右衛門尉、羽月衆、知行三十石、高奉行、支配奉行、連署達書
追録1-No.790覚書旧記雑録暫定版確認度 中

鎌田政昭覚書

鎌田政昭が新納右衛門へ、苦労銀の賦課方法と、身上が行き詰まった平田九郎左衛門・鎌田勘兵衛の各三十石の知行を公儀が買い取り、代銀返済後に返す処置を記した覚書。

登場人物
鎌田政昭、新納久詮、平田九郎左衛門、鎌田勘兵衛
宛先
新納右衛門殿
キーワード
鎌田政昭、新納久詮、平田九郎左衛門、鎌田勘兵衛、苦労銀、知行、三十石、公儀、代銀
追録6-No.2113申渡書旧記雑録暫定版確認度 中

大円寺の位牌に対する仏餉米・銀の支給を定める

島津家の位牌を大円寺に安置するにあたり、蓮心院・青林院・妙心院などを含む位牌の仏餉について、従来の支給に三十石を加えて年三百石とし、すべての位牌の仏餉に充てると申し渡す。今後の位牌安置には米を別に付けず、位牌の先例や位格に応じて銀二十枚・十枚・七枚の範囲で吟味して支給する旨も伝える。九月付の二階堂主計行旦の申渡書。

登場人物
島津重豪、二階堂行旦(主計)、蓮心院、青林院、妙心院
宛先
申渡先は本文に明記なし
キーワード
大円寺、位牌、蓮心院、青林院、妙心院、仏餉米、三百石、三十石、銀、二階堂行旦
追録8-No.102連署知行目録旧記雑録暫定版確認度 高

島津久宝外四名連署知行目録

田中善左衛門へ高三十石を与える知行目録。伊集院麦生田村、帖佐住吉村福元門、谷山五ヶ別府村浮免の内を列記し、名寄帳は別冊とする。改革開始から担当し、十八箇年にわたって京都・大坂へ詰め、抜群の骨折りと精勤で御用に役立ったことを賞して、特別の思し召しで付与する。同年三月十八日に京都で拝領したことを付し、天保十五年十二月二十八日付で尚敏・久備・隆観・久浮・久宝が署判する。包紙には同日に石見殿から東郷半兵衛へ渡したと記し、十八年をさかのぼると文政十年に当たるとの後注がある。

登場人物
田中善左衛門、猪飼央尚敏、嶋津登久備、菱刈安房隆観、嶋津石見久浮、嶋津主計久宝
宛先
田中善左衛門殿
キーワード
田中善左衛門、知行三十石、改革、十八箇年、京都大坂詰、骨折り、精勤、名寄帳
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 552差出旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

某差出

阿久根蔵からの真米二十七石八斗四升二合と天草で受け取った二石六斗、計三十石四斗四升二合のうち、十石九斗五升九合を田上九郎兵衛・小幡主膳正へ返納し、残りを十九石四斗八升三合とする。支出は人躰八十九人の三千三百二十七人日分十六石六斗三升五合、小者・夫丸十六人の四百十八人日分二石九升、大石小監物主従二人の九十二人日分四斗六升、勝目郷左衛門尉ら主従三人の六十人日分三斗で、計十九石四斗八升五合と記す。残額と支出計には原記載上二合の差がある。

登場人物
某(目録標題)、田上九郎兵衛、小幡主膳正、勝目郷左衛門尉
宛先
宛先記載なし
キーワード
正月廿四日、阿久根、天草、真米三十石四斗四升二合、返納十石九斗五升九合、残十九石四斗八升三合、支出十九石四斗八升五合、二合差、人躰八十九人、小者・夫丸十六人、人日
旧記雑録拾遺 著作史料集9-文書ID W05_文書0171書置旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

児玉四郎兵衛書置

児玉四郎兵衛が、筑州老から受けた四百五十斛の配分について児玉新四郎へ書き置く。四十八石は母の隠居分とし、母の庶子分として三十石を萬兵衛に渡すことを相談したが、同意の返事が得られなかった。母の勘忍分七十石や出物の扱い、庶子が籠もった事情も述べ、世間の物沙汰がどうであっても萬兵衛の意向に任せ、その時の公儀の判断にも従うとしている。

登場人物
児玉四郎兵衛(利昌)、児玉筑州老、萬兵衛始良、少右衛門、母、庶子、山口五郎兵衛、児玉主水助
宛先
児玉新四郎殿
キーワード
児玉四郎兵衛書置、四百五十斛の配分、母の隠居分、庶子への三十石、萬兵衛の同意、世間の物沙汰、公儀の判断
後編5-No.840文書確認度 中

三与支配所知行目録

島津家久が三与に、父藤四郎の知行から以前に与えた二十五石に加え、今回五石を加増し、下屋敷の土地などを配した知行目録。

登場人物
島津家久・三与・藤四郎
宛先
三与
キーワード
島津家久、三与、藤四郎、知行目録、加増、三十石、下屋敷、土地配分
後編2-No.962記録確認度 高

広済寺領目録

広済寺領として、田方五町・分米五十石、畠方四町・大豆二十石、山畠十五町・大豆三十石などを列挙する寺領目録。 田・畠・山畠の面積と収納高を対応させ、寺領安堵の対象となった広済寺の経済基盤を数量で示している。

登場人物
町田久倍、広済寺
宛先
広済寺
キーワード
町田久倍、広済寺領、寺領目録、田方、畠方、山畠、分米、大豆、検地
後編2-No.1634文書確認度 高

川上胘枕外二名領知目録

大隅国帖佐舟津村内の大園門・蒲生久徳村浮免などについて、米・大豆合わせ三十石を本田助丞へ給与する。 田畠の配分は現地で相談し、法に反する者がいれば申し出るよう定めた、川上胘枕・新納旅庵らの領知目録。

登場人物
川上胘枕忠智、新納旅庵、本田助丞
宛先
本田助丞
キーワード
川上胘枕忠智、新納旅庵、本田助丞、帖佐、舟津村、大園門、蒲生久徳村、浮免、知行、領知目録
後編3-No.1209記事確認度 高

旧記抄

慶長五年十月十日、関ヶ原からの帰陣後に島津義弘(惟新)が感状を与えた人数と給付石高を列挙する。頴娃弥市郎・山田民部少輔の各二百石、本田源右衛門百石をはじめ、諸士へ五十石・三十石などを与えた記録である。

登場人物
島津義弘(惟新)、頴娃弥市郎、山田有栄、本田源右衛門、白坂与竹、石川田民部少輔
宛先
該当なし
キーワード
旧記抄、関ヶ原帰陣、島津義弘(惟新)感状、恩賞名簿、頴娃弥市郎、山田有栄、本田源右衛門、給付石高、二百石、百石、五十石
後編4-No.1118文書確認度 高

町田久幸外三名連署知行目録

慶長十九年七月二十三日、薩摩国入来院浦名内の下大根田門・平ノ門など高三十石と二十八石余を肝付氏へ知行として宛行い、公役を勤めるよう命じた町田久幸ら四名連署の知行目録。

登場人物
町田久幸、伊勢貞昌、比志島国貞、三原重種、肝付氏
宛先
肝付氏
キーワード
知行目録、肝付氏、入来院、浦名、下大根田門、平ノ門、町田久幸、公役、慶長十九年七月二十三日
後編5-No.152文書確認度 中

某覚書

比志島国隆の妻子の居所、後室の知行、国隆と親密な者の調査、家財中の金銀・米の算用と借銀返済、寺への三十石寄進、福昌寺住持、知行替えなどを指示する。さらに御蔵入百姓の調査、高岡への命令、書院普請、唐船来航時の取扱い、作事奉行の人選など複数の行政事項を列挙する。

登場人物
比志島宮内少輔国隆、国隆の妻子・後室、鎌田出雲守ほか
宛先
—
キーワード
比志島国隆、妻子、後室、家財、金銀、借銀、寺領、福昌寺、知行、唐船、作事奉行、要確認
後編5-No.156文書確認度 高

島津久元・伊勢貞昌連署条書

亀山家の兄弟に五十石・三十石、藤野に五十石を与え、町田勘解由次官は加増して計三百石とする。弟子丸越後入道を真幸吉田へ移して五十石、村田刑部少輔を穆佐へ移して旧知行から三百石を返付するなど、知行配分と移住を定める条書。

登場人物
島津久元、伊勢貞昌、亀山殿の次男・三男、藤野殿、町田勘解由次官、弟子丸越後入道、村田刑部少輔
宛先
—
キーワード
島津久元、伊勢貞昌、亀山、藤野、町田勘解由次官、弟子丸越後入道、村田刑部少輔、知行、加増、移住
後編5-No.193文書確認度 高

島津久元・喜入忠続連署書下

島津久元・喜入忠続が、市来備前守への加増知行百石、鎌田播磨守の本高三百九十石、恵灯院五十石、月江院三十石、新納刑部太輔の大口方面の替地二百五十石余について支配を命じる連署書下。

登場人物
島津久元、喜入忠続、市来備前守、鎌田播磨守、恵灯院、月江院、新納刑部太輔
宛先
関係役人
キーワード
島津久元、喜入忠続、知行、加増、市来備前守、鎌田播磨守、恵灯院、月江院、新納刑部太輔
後編5-No.798文書確認度 中

新納忠清・肥後某連署覚書

包丁役に関係する三名の知行について、切米返地として十五石・三十石・二十一石を割り当て、役替わり時の返還を前提としつつ、当時の知行逼迫を理由に二十五石を加えて合計五十石を支配させる旨を記した覚書。

登場人物
新納忠清、肥後長次郎、築瀬兵右衛門、牧野対馬守、辺見八郎右衛門、内山新兵衛
宛先
御支配所
キーワード
包丁役、切米、返地、築瀬兵右衛門、牧野対馬守、辺見八郎右衛門、内山新兵衛、二十五石、五十石、支配
追録5-No.241文書旧記雑録暫定版確認度 高

島津久甫外四名連署証状

島津久甫ら五名が、鶴田村・志布志月野村などにある高三十石の地を慧英寺の寺領として寄附した知行目録。村ごとの土地と別冊の名寄帳を示し、後年も違失なく収納させる旨を連署で定める。

登場人物
島津久甫ほか四名
宛先
慧英寺
キーワード
慧英寺、寺領、知行目録、鶴田村、志布志月野村、名寄帳、島津久甫
追録5-No.242文書旧記雑録暫定版確認度 高

島津久甫外四名連署証状

島津久甫ら五名が、志布志月野村・清水姫城村などにある高三十石の地を小根占安楽寺の寺領として寄附した知行目録。村ごとの土地と別冊の名寄帳を示し、後年も違失なく収納させる旨を連署で定める。

登場人物
島津久甫ほか四名
宛先
小根占安楽寺
キーワード
小根占安楽寺、寺領、知行目録、志布志月野村、清水姫城村、名寄帳、島津久甫
追録8-No.147海岸防禦・軍役手当の本文群旧記雑録暫定版確認度 中

海岸防禦手当書

軍役人数・飯米・馬・旗印と東西海岸防禦の手当を定める本文群。知行百石につき従卒二人・主従三人を出役させ、端高や一人前に不足する引足は小高無高の諸士へ配当する。病気幼少の高持や寺領からも家内の者が出役する。陣中飯米は五十石以上三合、四十九~三十石二合、二十九石以下は御物御構とする。寄合以上から無格小番以下は二百五十石から馬一疋、千石二疋、千五百石三疋、万石は賦で定め、役料高や役職による例外も記す。安永二年の乗馬登城の指示と節倹を引き、改正した旗相印等を別冊図形で確かめ定めどおり準備するよう求める。佐多等の東目海岸・西目海岸の異国船来着、長崎への加勢に備え、物主・小頭・御使番・御目付、兵糧玉薬・小荷駄、諸郷・各番組の配置名簿を載せ、早く出役し用意するよう命じる。東西岸への大砲十挺一組、長崎加勢の六挺一組、御奉書到来後の迅速な出役を定める。西岸打方の物頭六人は一ヶ月二人ずつ繰廻で定め、家来を差し出す場合の人数割と図の場所の固守、急変時の無遅滞と後年の継続を求める。八月・九月等の近江・笑左衛門の署と家老座印を付し、十二の内容区分に分けて記録する。

登場人物
末川近江久平、笑左衛門調所広郷、御軍役方家老座印、大野清右衛門、得能彦左衛門、物主島津求馬・新納内蔵・島津蔵人・島津靭負等、御使番折田八郎兵衛・寺尾庄兵衛、御目付肥後平九郎・平田清右衛門・寺田平右衛門、小頭小森新蔵ほか配置名簿の諸士
宛先
諸士・軍役担当・城下一手小頭・諸郷物主・触役所等へ伝達(内容区分別)
キーワード
海岸防禦、軍役人数賦、百石主従三人、陣中飯米、乗馬、二百五十石馬一疋、旗相印、東西海岸、佐多、長崎加勢、大砲十挺六挺、配置名簿、物頭交代、急変無遅滞
追録8-No.372-2公家五名の官位年齢・領高住所と閉門の伝聞一覧旧記雑録暫定版確認度 中

中院通繁・押小路・中山忠能・岩倉貞慶・千種有文の閉門を聞いたと記す一覧

中院前侍従通繁七十四歳、押小路遠江権介三十六歳、中山大納言忠能五十歳、岩倉三位貞慶五十六歳、千種左少将有文四十五歳を、官位と御家領・高、居所の表示とともに掲げる一覧。末尾に、この方々が当月初め頃に閉門を命じられたと聞いたとする文を付す。中院の御家領五百石、押小路の高百三十石、中山の二百石、岩倉・千種各百五十石の原単位を維持する。押小路の名はサネキヨとの注を取り、漢字細字は留保。閉門年月や具体的罪状・期間は補わず、聞いた処分内容として扱う。

登場人物
中院前侍従通繁、押小路遠江権介(名サネキヨ、漢字細字留保)、中山大納言忠能、岩倉三位貞慶(原表記)、千種左少将有文
宛先
宛先なし(五名の一覧と伝聞注)
キーワード
雑集、公家五名一覧、中院通繁押小路遠江権介サネキヨ中山忠能岩倉貞慶千種有文、官位正四位下正二位正三位、年齢七十四・三十六・五十・五十六・四十五、御家領五百石、高百三十二百百五十石、石薬師通本町丸太町富小路西殿町、当月初閉門伝聞
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 87書下・出陣乗馬軍役賦旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

市来家繁書下

勝部志摩丞に対し、三百三十石余の高に応じた人数九人、乗馬・馬取・甲持・鉄砲・弓・人足などを割り当てる書下。道具を整え、触日に遅れず二か月分を自賄いして出陣するよう命じる。

登場人物
勝部志摩丞、市来八左衛門(家繁)
宛先
勝部志摩丞
キーワード
市来家繁書下、勝部志摩丞、軍役賦、人数九人、乗馬、鉄砲、出陣
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 570日記旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

小川監物日記

正保四年七月一日、南蛮船二艘が長崎へ着いたとの報で、五日に川内衆を揃え、加世田から百三十人を賦課した。高百石以下三十石まで、二十石以下、無足衆で人夫・飯米・兵具負担を分け、各地の兵を召集して長崎方面へ遣わした。その後八月九日に帰還したが、沖の黒船を警戒して麓衆を小松原浜辺へ集め、磯辺・浜辺に一町ごとに篝火と番を置き、十四日に番衆を解いた。番衆の飯米は一人一升三合、真米は一石二十目の相場と記す。目録年月日は空欄である。

登場人物
小川監物、川内衆、加世田衆
宛先
—
キーワード
目録日付空欄、正保四年七月一日、南蛮船二艘、長崎、川内衆、加世田百三十人、知行高別負担、人夫、飯米、兵具、八月九日帰還、黒船、小松原浜辺、一町ごと篝火、八月十四日解番、一人一升三合、真米一石二十目
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w6:13-5同文省略・島津忠国書状/牛屎・淵辺家系譜・家伝旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

島津忠国書状(同文省略)・牛屎淵辺家系譜

冒頭は『諸家系図文書』10の7号文書と同一のため島津忠国書状を省略する。参照先は忠国が牛屎へ、菱刈方から詳細を聞いて早く来訪・決断するよう催し、対面を望んだ二月二十日付書状である。久元(牛屎越後守・法名光久)は永享十年の福昌寺仏殿造営勧進で、羽月元忠・山野頼元・北原久兼ら八十七人とともに馬一疋分の代銭を奉加した。歓元(同越後守・法名光秀)は文正二年梅雨吉日に牛屎家系図一巻を作り、薩摩守陳元から元親までの系譜を収め、文正元年から文明九年までの島津家系図・覚書も伝えた。応仁元年、牛屎院の兵乱で一門が日向真幸院へ移り、北原家との親族関係を頼ったこと、元親が大隅守・法名梅岳源春を称したこと、重元が永正六年に六十余歳で鷹書一冊二十五枚を書いたことを記す。天文十二年三月二十七日、実元は牛屎家先祖を覚書や本朝の大家系図と照合して記し、宗実兄弟が源頼政嫡子・仲綱の娘を母とし、建久七年に頼朝の恩免を受けて遠流先の薩摩へ下向し、羽月・山野・平泉を与えられ、子孫が牛屎・淵辺を称したとの家伝を載せる。元継の女子は兄弟不和のなか系図・文書を保持し、国分御前様に仕えた後に加藤金右衛門へ嫁いだため古文書が加藤家へ伝わり、頼朝御教書は公用のため提出されたとする。淵辺主計元継は慶長・元和の上地や宮越との田地争論で知行を減らし、寛永頃には約十石となった。弥兵衛は家に凶事が多く繁昌しないため母方の淵辺へ名字を改め、肥後の聖山伏を氏神として正宮・荒神宮に祀ったとし、元亀三年五月四日の真幸院における義弘と伊東家の合戦で五十四歳で戦死した。元秋は栗野に生まれ、父の戦死後に飯野・栗野を移り、伊東・大友との戦いを経て天正十五年豊後で戦死した。重綱は井手石氏の養子となり川上忠智に仕え、肥前深江・筑州岩屋城・朝鮮で戦い、朝鮮で左手を負傷して退き、加治木・鹿児島へ移って八十四歳で没した。元貞は父元秋の戦死後、十三歳で義弘に召し出され、吉松鶴丸村二十五石と栗野木場村三十石、計五十五石を与えられた。十五歳で義弘に従って朝鮮へ渡り、忠恒に近習・小姓として仕え、良右衛門の名、包清の脇指や衣裳を拝領し、のち帖佐・平松・加治木・鹿児島へ移住して、万治元年に百二十三石を持って隠居した。

登場人物
島津忠国、牛屎、久元(牛屎越後守・法名光久)、牛屎越後守久元、羽月豊後守元忠、山野因幡守頼元、北原周防守久兼、歓元(牛屎越後守・法名光秀)、元親(右衛門尉・法名梅岳源春)、重元(牛屎権守・法名龍永)、実元(牛屎平二郎)、盛元(牛屎権之允)、宗実、源頼政、伊豆守仲綱、源頼朝、忠齊、元継(淵辺主計・牛屎隠岐)、加藤金右衛門妻、国分御前様、宮越、弥兵衛(牛屎・淵辺、法名一庵道慶)、島津義弘、伊東家、弥兵衛妻(妙金禅定尼)、元秋(淵辺平五郎・平内左衛門、法名祖栄昌範)、元綱、元次、元英、元智、元任、元珍、元矩、井手石五郎兵衛重綱(月江浄西)、川上忠智、川上忠堅、元貞(淵辺宮千代・平内左衛門・良右衛門、法名善林宗樹)、島津忠恒、豊臣秀吉
宛先
牛屎殿(参照先w6:10-7の宛所)
キーワード
島津忠国書状、同文省略、諸家系図文書10の7、牛屎家、淵辺家、福昌寺仏殿造営、馬代銭奉加、八十七人、歓元、文正二年牛屎家系図、島津家系図、応仁元年牛屎院兵乱、日向真幸院、北原家、重元鷹書、天文十二年実元覚書、宗実、源頼政、伊豆守仲綱、建久七年、頼朝恩免、薩摩下向、羽月、山野、平泉、加藤金右衛門妻、国分御前様、古文書伝来、頼朝御教書、上地、田地争論、名字変更、牛屎から淵辺、正宮、荒神宮、元亀三年真幸院合戦、島津義弘、伊東家、天正十五年豊後戦死、井手石重綱、肥前深江、筑州岩屋城、朝鮮出兵、左手負傷、元貞、五十五石、忠恒近習、小姓、包清脇指、帖佐、加治木、鹿児島、万治元年、百二十三石